SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第四十六話 須田恭也 蛇ノ首谷/吊り橋 第二日/九時五十七分五十八秒

 合石岳・蛇ノ首谷の吊り橋の上に立ち、須田恭也と神代美耶子は、南に広がる街並みを見下ろしていた。村の南の赤い海に出現していた光の柱は消えている。しかし、村を覆う黒雲は消えてはいない。赤い雨は、今も降り続いている。

 

「……どうしよう。逃げ場なんて、無い」

 

 恭也のそばで、美耶子は泣きそうな声で言った。その通りかもしれない、と、恭也も思う。

 

 三時間ほど前、恭也たちは、森の中で頭脳屍人を倒すことに成功した。それにより、この辺り一帯にいた犬屍人や羽根屍人全ての動きを止めることはできたが、それも、所詮一時しのぎにすぎなかった。時間が経つと頭脳屍人はよみがえり、同時に、動かなかった周囲の犬屍人たちもよみがえった。何度倒しても、ヤツらはよみがえる。これではキリが無い。

 

 だが。

 

「大丈夫だよ」恭也は、美耶子を励ます。「あんなヤツら、何回よみがえったって、俺が倒してやるから」

 

「そうじゃない……そうじゃないんだ」美耶子は、大きく首を振った。

 

「え?」

 

「ここは、現世でも、あの世でもない。どちらとも、地続きの場所なんだ」

 

「それって、どういう――」

 

「あたしが……御神体を壊したりしなければ……」

 

 美耶子は両手で顔を覆い、泣き崩れるように、膝をついた。

 

 御神体を壊した……何のことだろう? 考えて、思い当たったのは、初めて美耶子と会った時だ。森の中の大きな三角錐の岩のそばで、美耶子は何かを壊していた。あれが、御神体という物なのだろうか? それを壊したから、村は怪異に襲われたというのだろうか?

 

「判っていたんだ」と、美耶子は続ける。「儀式が失敗すれば、村は災いに襲われる。でも、こんな村、滅んでしまえばいいと思ってた。そうすれば、あたしは自由になれる。そう思ってたんだ。でも、あたしたちは逃げられない。まさか、こんなことになるなんて」

 

「…………」

 

 恭也は、そっと、美耶子の肩に手を置いた。

 

「――らしくないよ」

 

 優しい口調で言う。

 

「え……?」顔を上げる美耶子。

 

 その頬に。

 

「――――」

 

 ぷにっ、っと、恭也が立てた人差し指がささった。

 

「な……何するんだ、バカ!」恭也の手を払いのける美耶子。

 

 恭也は笑った。「お? ちょっと、調子が出てきたかな?」

 

「あたしは、真面目な話をしてるんだぞ」

 

「ゴメンゴメン――まあ、難しいことは俺にはわかんないけどさ。諦めちゃ、ダメだよ。この村、キライなんだろ? だったら、諦めないで、なんとか逃げ出す方法を探そう」

 

 恭也は、笑顔のまま言った。

 

 それにつられたのか、美耶子の顔にも笑顔が浮かんだ。「……気楽なヤツだな、お前は」

 

「そう? まあ、それが俺の取り柄だし。さあ、行こう」

 

 恭也は歩き出した。

 

「――ありがとう」

 

 聞き取れるかとれないかの小さな声がした。

 

「え?」振り返る恭也。

 

「恭也がいなかったら、あたし、とっくに諦めていたと思う。本当に、ありがとう」

 

 今度は、はっきりとした声だった。

 

「だから、らしくないって」笑う恭也。

 

「いいだろ、お礼くらい言っても。お前は、あたしのことをどう思ってるんだ」

 

「変なヤツだと思ってる」

 

「……もういい。二度と、お礼なんか言わないからな」

 

 むくれる美耶子。やっと、いつもの彼女らしさが戻ってきた。

 

 恭也は。

 

 ――お礼を言うのは俺の方だよ。

 

 心の中で呟いた。

 

 俺の方こそ、美耶子がいなかったら、とっくに諦めていただろう。いつ命を落とすかも判らないこの状況で、励まし合える人がいる。どこに向かえばいいのか、何をすればいいのか判らないこの状況で、するべきことを教えてくれる人がいる。それがどれだけ心強いか、身をもって判った。

 

 訊きたいことは、たくさんある。

 

 現世でもあの世でもないとはどういうことなのか? 御神体とは何か? 儀式とは何か?

 

 だが、それを聞いたところで、自分なんかに何ができるだろう?

 

 屍人一人と戦うので精いっぱいだ。盲目の少女一人を護るのでさえ、自分には困難なことなのだ。

 

 ならば、余計なことは考えなくてもいい。

 

 少女を護り、村から脱出する方法を探す――それしかない。

 

 村から脱出できるかどうか判らない。美耶子の言う通り、逃げ場なんて無いのかもしれない。

 

 それでも。

 

 最期の最期まであきらめず、頑張ってみよう。

 

 そう、心に決めた。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

 吊り橋を渡り終えたところで。

 

「――美耶子……探したぞ」

 

 ワイシャツにスラックス姿の若い男が立っていた。

 

 右手に猟銃を、左手には、鞘に収まった長い日本刀を持っている。

 

 昨日、美耶子が殴り倒した、義理の兄と呼んでいた男だ。

 

「……(じゅん)……お前……」美耶子の表情が険しくなる。憎しみを込めた眼で、兄を睨んだ。

 

「昨日のお礼をしなきゃね」淳と呼ばれた男は、銃口を美耶子に向けた。

 

「美耶子、下がって」恭也は美耶子をかばうように立ち、火掻き棒を構えた。

 

 淳は、バカにしたように笑う。「そんな物で、何ができるんだ?」

 

 猟銃相手に火掻き棒で戦うのは、あまりにも無謀だ。それは、恭也にも判っている。恭也は、ポケットから拳銃を取り出し、淳に向けた。

 

「――へえ。銃を持ってのか。これは、油断できないな」

 

 淳の笑みは消えない。左手に持つ刀を腰のベルトに刺すと、両手で猟銃を構えた。

 

「……あれは……焔薙(ほむらなぎ)か……」美耶子がつぶやくように言う。

 

「え?」

 

「恭也、あの刀に気を付けろ」

 

「刀? 銃じゃなくて?」

 

「ああ。銃で撃たれた傷はすぐに治っても、あの刀に斬られたら、決して治らないぞ。あれは、神代家の宝刀・焔薙だ」

 

 どんな傷でも時間が経てばすぐに治ってしまうこの状況でも、決して治らないというのだろうか? 淳のベルトに刺さった刀を見る恭也。(つば)の部分にマナ字架が彫り込まれている以外、これといった装飾は施されていない。とても宝刀と呼ばれるような物には見えない。

 

「おい、お前――」淳が顎を上げ、見下すような目を向ける。「銃を撃ったこと、無いだろ? そんなんで、ちゃんと撃てると思うのか?」

 

「ふん。狙いを定めて、引き金を引けばいいだけだろ? 簡単だよ」

 

 そう言ってはみたものの、強がっているのは相手に見透かされているだろう。だが、ハッタリでも言うしかない。

 

「じゃあ、やってみろよ?」

 

 淳は猟銃を構えるのをやめ、挑発するように両手を上げた。撃てるはずがない。そう言わんばかりだ。

 

「撃て、恭也」美耶子が言った。「遠慮することはない」

 

 引き金に指を掛ける恭也。これを引けば、銃口から弾が発射される。相手はすぐ目の前だ。きちんと狙えば、外す方が難しい距離だろう。

 

 だが、相手は屍人ではなく、生きている人間だ。本当に撃ってもいいのか。銃で撃たれても、傷はすぐに治るが、それは、生きていればの話だ。死んでしまったら、屍人になるしかない。

 

「やっぱり、無理なようだな」両手を下ろす淳。「じゃあ、こっちは遠慮なく撃たせてもらうよ!」

 

 淳は、再び猟銃を構えようとした。

 

「撃て! 恭也!!」叫ぶ美耶子。

 

 恭也は、引き金を引いた――。

 

 いや、正確には、引こうとした。

 

 だが、引けない。引き金は、硬直したかのように、どんなに指に力を入れても動かなかった。

 

 淳が高らかに笑う。「――銃というのは、安全装置を外さないと撃てないんだよ!」

 

 安全装置? そう言えば、テレビドラマなどでそんなことを聞いたことがあるように思う。でも、どれが安全装置だ? 銃を見ても、すぐには判らない。

 

 銃声が、鳴り響いた。

 

 同時に、恭也の腹が小さく破裂する。まるで、腹の中に小さな爆弾が仕掛けられていたかのように。

 

 淳の猟銃の銃口から、煙が薄く立ち上っていた。

 

 銃で撃たれるのはこれが初めてではない。だが、昨日の夜に拳銃で撃たれた時よりも、はるかに大きな痛みと衝撃だった。

 

 ぐらり、と、天地がひっくり返った。奇妙な浮遊感と共に、吊り橋が遠ざかり、薄ら笑いを浮かべた淳の姿が遠ざかり、そして。

 

「恭也あぁ――!!」

 

 美耶子の叫び声が、遠ざかる。

 

 恭也は、吊り橋の下へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

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