SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第五話 竹内多聞 大字波羅宿/耶辺集落 初日/二時十八分三十四秒

 竹内(たけうち)多聞(たもん)は羽生蛇村の南に位置する細い県道の真ん中に立ち尽くし、目の前に広がる光景に愕然とした。ほんの二時間ほど前、この場所からは、山のふもとの街を見下ろすことができた。しかし今は、見渡す限りの赤い水で覆われている。水――いや、それはもはや海だ。突如出現した、赤い海。

 

 それは、深夜〇時を回った頃だった。大きな地震があり、続いて、地の底から聞こえるかのようなサイレンの音が鳴り響いたのだ。そのサイレンは、頭を叩き割られるかと思うほどの大きな音で、強烈な頭痛により多聞は意識を失い、気が付くと、ふもとの街が海に飲まれて消えていたのである。

 

「先生……これ……ヤバくないですか……?」

 

 竹内の隣で、安野(あんの)依子(よりこ)も、目の前の光景が信じられないのか、掛けている黒縁のメガネを何度もハンカチで磨き、ぱちぱちと瞬きをしている。当然、見間違いなどではない。

 

「まさか……さっきの地震で、津波が発生したんじゃ……」安野は息を飲む。

 

 津波……いや、あり得ない。この羽生蛇村は、山に囲まれた内陸の村だ。標高は、最も低い場所でも三百メートル以上ある。そんな津波に襲われたら、日本の国土の大部分は海の藻屑となるだろう。それはもはや、ノアの方舟の大洪水だ。世界的に見れば、一九五八年、アメリカ・アラスカ州のリツヤ湾で発生した津波が、高さ五百二十四メートルまで達したという記録がある。しかしあれは、湾の一方にある山が地震の影響で千メートル四方に渡って土砂崩れを起こし、大量の土砂が湾に落ちたことにより、対岸に波が押し寄せた結果だ。地形が生み出した極めて特殊な例であり、通常、そこまでの高さの津波が発生するなどあり得ない。では、この赤い海はどう説明する? 竹内は、持てる知識を全て探り、納得できる説明を見つけようとする。

 

 

 

 

 

 

 竹内多聞は、都内にある私立城聖大学で民俗学を教える講師である。三十四歳という若さだが、学会では名の知られた存在だった。しかしそれは、決して良い意味ではない。彼の唱える学説は、良く言えば革新的、悪く言えば荒唐無稽で、学会ではどちらかと言えば異端視されていた。

 

 竹内がこの羽生蛇村を訪れたのは、この村で信仰されている眞魚(まな)教と、今夜、行われたであろう、眞魚教の秘祭の調査が目的だった。

 

 眞魚教は、羽生蛇村に古くから根づいている土俗信仰だ。大昔、天から舞い降りて来た『神』と、神と共に降りてきた『眞魚岩』と呼ばれる巨石を、信仰の対象としている。旧暦の大みそかに信者が川に身を鎮めたり、山に囲まれているにもかかわらず、通常は沿岸地域に多くみられる漂着神信仰の傾向が見られたりと、多少、奇妙な信仰と言えなくもない。しかし、土俗信仰とは大体そのようなものだ。奇妙な風習は特に珍しいわけではない。竹内が眞魚教の調査を行うのには、理由がある。

 

 四日前、竹内は、独自のルートから村で眞魚教の秘祭が行われるとの情報を入手した。

 

 眞魚教には、何年かに一度、村の権力者の娘を神の花嫁として常世に送るための儀式が行われるという話がある。常世とは、眞魚教では神の住む楽園とされている。要するに、村の娘を一人、神の生贄に捧げるのだ。残酷な行為ではあるが、歴史的に見て、このような儀式を行う宗教は珍しくない。ほんの百年もさかのぼれば、世界各地で行われてきたことだ。もちろん、現代においては許される行為ではない。ほとんどの宗教では廃止されているが、儀式として、形だけ行うことは、現代でもよくあることである。

 

 だが竹内は、眞魚教の儀式は、現代でも本来の形で行われているのではないか、と、睨んでいた。二十七年前、実際にこの羽生蛇村で、秘祭が行われたとの情報も掴んでいる。

 

 二十七年前――土砂災害に見舞われ、村がひとつ消滅した年だ。

 

 竹内は、こう考えている。

 

 二十七年前、村が土砂災害に見舞われたのは、儀式に失敗し、神の怒りに触れたからではないか、と。

 

 その真相を究明するため、竹内は、羽生蛇村を訪れたのである。

 

 

 

 

 

 

「――先生! なにボーっと突っ立ってるんですか! 早く逃げないと、津波に飲み込まれちゃいますよ!」

 

 考えを巡らす竹内の横で、安野は両手をブンブンと振って危険を訴える。

 

「落ち着け。これは津波ではない」考えを中断させられ、竹内は忌々しそうな口調で言う。

 

「あたしはいつも落ち着いてます! それより、これが津波じゃなきゃ、何なんですか!?」

 

「それを今考えているんだ。少し静かにしてくれないか」

 

「あたしはいつも静かにしてますよ! そんなことよりとにかく逃げましょうよ! 津波に飲み込まれたら、絶対助かりませんよ!?」

 

「だから、これは津波ではないと言ってるだろう。いいから、邪魔をしないでくれないか」

 

「あたしは今まで一度だって先生の邪魔はしてませんよ! とにかく逃げましょう! 早く!」

 

 ……ダメだ。コイツを黙らせるのは、自分の学説を学会の連中に認めさせるよりも難しいだろう。竹内は、大きくため息をついた。

 

 安野頼子は城聖大学の四年生で、竹内の教え子だ。学会だけでなく大学内でも教授や生徒から変人扱いされている竹内のことを、安野はどういうわけか慕っており、自称・助手として、今回の調査に勝手に同行してきたのだ。何度も追い返そうとしたが、今のような調子で聞く耳を持たず、結局ついて来てしまったのである。

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる安野を黙らせるのを諦め、竹内は考えを進める。

 

 二十七年前、この地域に発生した大規模な土砂災害で、村の大部分が消滅した。それがもし、眞魚教の儀式が失敗したことによる神の怒りだったのなら、さっきの地震と、この赤い海も、二十七年前と同じく儀式が失敗したことによる神の怒りではないのだろうか?

 

 竹内は、そう、仮説を立てた。

 

 一般的に考えれば、この仮説は荒唐無稽だ。地震により高さ三百メートルの津波が押し寄せたと考えた方が、まだ現実的であろう。このような説を大真面目に唱えるから、竹内は異端とされているのだ。

 

 もちろん竹内自身も、なんの根拠や証拠もなく、この仮説が正しいと言うつもりはない。説の正しさを証明するために、調査をしなければ。

 

 竹内は安野を見た。「私は村へ向かう。君は、車に戻って、大人しくしていろ」

 

「車はさっきの地震でひっくり返っちゃったじゃないですか。それに、こんな危険な場所にカワイイ女の娘を一人でおいて行くなんて、先生ヒドイです」

 

「村に向かう方が危険なんだ。それに、ここから一番近い集落でも、歩いて数時間は掛かる。途中で疲れたとかお腹が空いたとか眠いとか携帯が繋がらないとか騒がれては、たまらん」

 

「そんなこと言いませんよぉ」ぷくっと、頬を膨らませる安野。「それに、村なら、すぐそこにあるじゃないですか。ほら」

 

 安野は、赤い海の反対側を指さした。すぐそばに村がある? 何をバカな。竹内は振り返った。

 

「――――!?」

 

 その光景に、竹内は、赤い海を見た時以上の衝撃を覚えた。

 

 安野の言う通り、道の先には、棚田状になった山肌にへばりつくように、いくつかの家屋が立てられた集落が見える。

 

 ――バカな。この一帯の集落は、二十七年前の土砂災害で、消滅したはず……。

 

 この辺りは、昔、大字波羅宿(おおあざはらやどり)という小さな集落だった。しかし、二十七年前の土砂災害に飲み込まれて消滅し、近年の区画整理によって、下粗戸(しもあらと)と地名を変えた。現在は人は住んでおらず、道路が通っているだけの、何も無い地域だったはずだ。

 

 いったいどうなっているんだ。これも、神の怒りに触れたからか。

 

「なに変な顔してるんですか。さあ、村に行きましょう。きっと、みんな大騒ぎですよ?」

 

 安野は、村へ向かって歩く。

 

「ま、待て――」

 

 竹内が呼び止めようとすると。

 

「――――!!」

 

 強烈な頭痛が、竹内を襲った。

 

 それはまるで、撃ち込まれた銃弾が頭の中をぐるぐると何周も周回しているような、そんな激しい痛み。

 

「なに……これ……」

 

 安野も、頭を抱えて苦しんでいる。

 

 そして、次の瞬間。

 

 竹内の閉ざした目に、森を走る少女と白い犬の映像が映し出される。

 

 その映像は、すぐに別の映像に変わる。今度は、走る少女と白い犬を、追いかけている映像。獣のような息づかいも聞こえる。

 

 だが、それも一瞬だった。映像が消えた時、同時に、激しい頭の痛みも、嘘のように消えていた。

 

 ――今のはまさか……幻視か?

 

 竹内は考えを巡らせる。幻視の話は事前に聞いていた。さすがの竹内も半信半疑だったが、まさか、その現象を目の当たりにしようとは。

 

 今のが幻視ならば、あの少女と犬を追いかけていたのは、屍人――。

 

 竹内は、笑いがこみあげてくるのを抑えることができなかった。やはり、私の考えは正しかったのだ!

 

「……先生、なにニヤニヤしてるんですか。気持ち悪いですよ?」冷たい視線を向けている安野。コイツにそんな目で見られるいわれはないんだが。

 

 まあいい。口うるさいヤツだが、屍人がうろついている以上、一人でここに残しておくわけにもいかない。やれやれ、とんだお荷物を連れてきてしまったものだ。

 

 竹内は安野を見た。「私について来るのなら、どんな時でも、私の指示に従うんだ。判ったか?」

 

「言われなくても、あたし、先生の言うことは、いつも聞いてますよ?」平然と言う。判っていないようだが、今は時間が惜しい。

 

 竹内は足元に置いてあるバッグを開けた。中に手を入れたところで、もう一度安野を見る。安野は、じーっと、こちらを見ている。

 

「……安野」

 

「はい」

 

「少しの間、目を閉じ、向こうを向いていろ。絶対に、こっちを見るんじゃないぞ? 絶対にだ」

 

「はーい」

 

 幼い子供のように返事をし、向こうを向く安野。竹内は再びバッグを探り、中から、三角形の形に包装された紙包みを取り出した。包装紙を破る。中身は拳銃だった。モデルガンではなく、本物である。銃弾も用意してある。この村で秘祭が行われるのならば、屍人の有無にかかわらず危険であることは判っていた。だから、独自のルートで、事前に入手していたのである。

 

「先生。サバイバルゲームが趣味だったんですか?」

 

 背中越しに、安野が竹内の手元を覗き込んでいた。

 

「……絶対に見るなと言ったはずだが?」

 

「はい。絶対に見るなっていうのは、絶対に見ろっていうフリだと思ったので」

 

 どうして私がそんなお笑い芸人のマネ事をしなければならないのだ。竹内は、さっきとは別種の頭痛に、頭を抱えた。

 

「それより先生」

 

「なんだ」

 

「さっきからあたし、目を閉じると、変なものが見えるんです」安野は、実際に目を閉じた。

 

「変なもの? 何が見えるんだ?」

 

「今は、あたしの顔が見えます」

 

「それは確かに変なものだな」

 

「……どういう意味ですか。違いますよ。なんと言うか……そう、先生が見ているものが、あたしにも見えるんです。ちょうど、先生の視界を、ジャックしているような」

 

 ほう、と、竹内は初めて安野に感心した。勘は悪くないらしい。

 

「これって、何なんでしょう?」目を開け、頭を傾ける安野。

 

「幻視だ。詳しい理屈は私にも判らんが、この村に伝わる、特殊能力のようなものだ」

 

「特殊能力? それは、悪魔の実とか、念能力的なヤツですか?」

 

「よく判らんが、たぶんそうだ」

 

「やった。学校に帰ったら、みんなに自慢しよ。能力名は、視界ジャックっていうのでいいですかね?」

 

「……好きにしろ」

 

 嬉しそうにガッツポーズをする安野を見て、呆れた口調で言う竹内。さっきまで津波だ地震だと騒いでいたのに、この変りようだ。コイツに構っていると時間がいくらあっても足りない。さっさと調査を始めよう。竹内は、集落の方へ歩き始めた。

 

「あ、先生、待ってください」安野が追ってくる。「暗いですから、これ、どうぞ」

 

 安野は懐中電灯を二本取り出し、一本を竹内に渡した。幻視の影響からか、暗闇でもある程度見ることはできるが、ライトはあった方が心強い。竹内は、ありがたく使わせてもらうことにした。

 

 集落の前には北から南へかけて大きな川が流れている。羽生蛇村の中央を流れる眞魚川だ。川にはコンクリート製の古い橋が架けられてあり、橋を渡れば集落はすぐそこだ。

 

「……あれ? 変ですね」背後で、安野が不思議そうな顔で地図を見ていた。「ここって確か、下粗戸ですよね?」

 

「そうだ」

 

「地図では、この辺りはただの山道で、集落なんて載ってないです。地図が古いんでしょうか?」

 

「いや、恐らくは、逆だ」竹内は独り言のように言った。地図が古いのではない。地図が新しいから、この集落は載っていないのだ。

 

「へ? 逆ですか?」

 

 安野は地図を逆さにしたり、ひっくり返したりしている。そういう意味ではないが、説明している時間が惜しい。竹内は構わず、橋を渡ろうとした。

 

 突然、身体が大きく震えた。

 

 そして、竹内の目に、どこか高い場所から橋を見下ろす視点が映る。

 

 視点の主は、持っている猟銃を構えた。

 

 映像はすぐに消える。マズイ! 今のが幻視なら、ヤツが狙撃してくる!

 

「安野! 戻れ!!」

 

 叫ぶ竹内。安野は、状況が判らず、目をぱちぱちしている。竹内は安野の手を引き、走る。銃声が鳴り響いた。ほぼ同時に、竹内の右足に鋭い痛みが走る。

 

「――くそっ!」

 

 足を引きずりながら走り、竹内は岩の陰に身を隠す。

 

「先生! 足が!!」

 

 口元を押えて叫ぶ安野。幸い銃弾の直撃は避けられたが、右の腿が大きく裂けていた。

 

 安野はハンカチを取り出し、竹内の傷口に強く押しあてた。ほう、と、また竹内は感心する。かなりの出血だったが、それを見ても動揺せず、すぐに止血を始めた。適切な対応だ。医学部の生徒でも、いざとなったらこうはいかないだろう。

 

 おっと。感心している場合ではない。今、狙撃してきたやつが、まだ狙っているかもしれない。竹内は目を閉じ、敵の気配を探った。橋の向こう、十メートルほどの高さの櫓の上に、猟銃を構えている屍人の視点を発見した。橋に銃口を向けているが、岩の陰に隠れている竹内と安野の姿は見えない。狙撃することはできないだろう。やがて銃を降ろす。そのまま櫓を降りてこちらに来られると厄介だったが、屍人は、そのまま櫓に残り、周囲を見渡し始めた。竹内は、大きく息を付く。

 

「――どうしよう。こんなハンカチじゃ、止血しきれない」竹内の足の傷を押さえている安野は、止血できるものを探すように、周囲を見回した。

 

「いや、大丈夫だ」竹内はそう言った。安心させようとして言ったことではない。竹内には、本当に大丈夫だという確信があった。

 

「大丈夫って、そんな訳……あれ?」

 

 安野は、不思議そうな顔で足に当てているハンカチを離した。傷痕は消え、すでに出血は止まっていた。

 

 首をかしげる安野。「おかしいですね。ケガをしたと思ったんですけど、気のせいだったんでしょうか? でも、そのワリには、先生のズボンにもあたしのハンカチにも、血が付いてますけど」

 

「これも、この村に伝わる特殊能力のようなものだ。この程度の傷なら、すぐに治る」

 

「それは、クレア・ベネット的なヤツでしょうか? 大変です先生。その能力、敵に奪われると、取り返しがつきません。最優先で保護しないと」

 

 相変わらず何を言っているのか判らないが、いちいち相手にしていてはキリがない。竹内は安野の言うことを無視し、立ち上がった。もう一度目を閉じる。櫓の上の屍人は、油断なく周囲を警戒している。このまま橋を渡って進むのは危険だ。竹内は記憶を探る。彼には、突如現れたこの集落に関する古い記憶があった。確か、橋の手前には川に沿うように細い砂利道があり、少し川上へ行けば、小さな橋があったはずだ。

 

「川沿いに北へ向かう。安野。ヤツらに見つからないように、ライトを消せ」

 

「あ、はい」

 

 二人はライトを消した。

 

 再び幻視をする竹内。屍人の注意が橋から逸れたスキに走り出した。安野も後に続く。橋の手前にある細い砂利道へ入り、そのまま川上へ向かって走った。屍人は狙撃してこない。櫓と川はかなり離れている。ライトさえ消せば、闇が姿を隠してくれる。

 

 五分ほど走ると、記憶の通り、今にも崩れ落ちそうな木製の橋があった。慎重に渡り、対岸へとたどり着く。

 

 対岸は棚田状になっており、古い木製の家屋が数軒建っている。どれも、いま渡った橋と同じで、今にも崩れ落ちそうな廃屋だ。人が生活している様子は無い。しかし、何者かの気配は感じる。櫓の上の屍人だけでなく、他にも何人か徘徊しているようである。

 

 竹内はこれからどうすべきかを考えた。この集落には屍人しかいないようだ。危険だが、調べる価値はある。

 

 後ろの安野を見る。ここを調べる以上、安野にも屍人のことを教えておく必要がある。「あっちに人がいますよ」などと言って、気安く話しかけられてはたまらない。

 

「安野」

 

「はい」

 

「どうやらこの集落には、さっき、いきなり銃を撃ってきたような、頭のおかしなやつらが何人もうろついているようだ」

 

「そうなんですか? それは、大変ですね」

 

「だから、誰かを見かけても、絶対に、『こんばんは~』とか、話しかけるんじゃないぞ。絶対にだ」

 

「はい。判りました」

 

「…………」

 

「…………」

 

「安野」

 

「はい」

 

「一応言っておくが、今のは、フリとかじゃないからな」

 

「判ってますよ。いくらあたしでも、命懸けでそんなボケはやりません」

 

 どうだか。コイツは、「今ここで死ねばウケる」と思ったら、ためらいなく死ぬヤツだ。別にそれでコイツが死のうがどうしようが構わないが、巻き添えにはなりたくない。

 

 ……どうもコイツといると緊張感が無いな。竹内は気を引き締め直し、集落を進んだ。

 

 集落には、包丁を持った屍人と、鎌を持った屍人の二人がうろついていた。竹内は、幻視の能力で屍人の視界を逃れながら、慎重に進む。

 

 しばらく進むと広場があった。中央に井戸があり、少し離れたところには、玄関も窓も開け放たれた廃屋がある。そして、廃屋の隣には小さな(ほこら)があり、祠の前には、太い支柱に四枚の細長い木の板を張り合わせた看板のようなものが立てられてあった。奇妙な形をしている。上の三枚の板は水平に貼り付けられているが、一番下の一枚は、右上に向かって斜めに貼り付けられていた。

 

「あれ、何なんですかね?」安野が言った。「あっちにも、同じものがあります」

 

 安野が指差した先にも、確かに同じものがあった。この集落だけではない。羽生蛇村のいたる所で、この看板を見ることができるだろう。

 

「眞魚教の宗教的シンボル、マナ字架(じか)だ」竹内は答えた。

 

「宗教的シンボル……キリスト教の、十字架みたいなものですか?」

 

「そうだ。魔よけや墓碑として、いろいろな場所に建てられている。産まれたばかりの赤子の額に書いたりする風習もあるようだ。形の成り立ちについては諸説あるが、生きるという意味を込め、漢字の『生』という字を逆さにしたという説が、有力だな」

 

「『生』の字……ナルホド」

 

「祠には、眞魚岩の欠片が(まつ)られている。眞魚岩とは、眞魚教の信仰の対象の一つだ。村の中心に位置する三角錐の巨大な岩で、神と共に天から降臨したことから、『天降りの神岩』とも呼ばれている。一説によると――」

 

 大学の講義のように説明する竹内だったが。

 

 気が付くと、安野の姿は無かった。

 

 どこに行った? 周囲を見回すが、見当たらない。

 

 と、廃屋の方から、スピーカーのノイズのような耳障りな音が聞こえてきた。安野か? 何をしている! 廃屋へ走る竹内。思った通り、中には安野がいた。部屋にあったらしいラジオのスイッチを入れ、チューナーを合わせようとしている。

 

「安野! 何をしてるんだ!!」

 

「あ、先生。ラジオがあったから、聞いてみようと思って。さっきの地震や津波のこと、ニュースでやってるかもしれませんから。でも、電波が入らないんですよ。やっぱり、山奥だからですかね?」

 

「バカなことはやめろ! 早く消せ! ヤツらに気付かれる!!」

 

「あ、そうか。スミマセン」

 

 安野はラジオのスイッチを切ったが、遅かった。

 

 びくん、と、身体が震え、一瞬、家屋の中にいる自分と安野の姿が見えた。見つかった! 振り返ると、鎌を持った屍人が、広場の向こうから大股でこちらに向かって来ていた。

 

「あらら。見つかっちゃいましたね。どうしましょう?」緊張感のない声の安野。コイツは、事態が判っているのか。

 

 仕方がない。こうなったら、迎撃するしかない。

 

 竹内は拳銃を構えた。

 

 銃を手に入れたとはいえ、竹内に実弾射撃の経験は無かった。事前にエアガンで練習した程度である。うまく行くか……。

 

 銃口を向けられても屍人はひるまない。鎌を振り上げ、向かって来る。竹内は、十分に屍人を引きつけ。

 

 ――今だ。

 

 引き金を引いた。

 

 銃声が鳴り響く。

 

 銃弾は、屍人の左胸に命中した。

 

 数歩、後ずさりする屍人。

 

 だが、踏みとどまる。己を奮い立たせるように大きく吠えると、また鎌を振り上げた。

 

 竹内はもう一度引き金を引いた。今度は、腹に命中する。

 

 屍人の足は止まり。

 

 前のめりに、ゆっくりと崩れ落ちた。

 

 ふう、と、大きく息をつく竹内。初めての射撃だったが、うまく行ったようだ。

 

「驚きました。先生、その銃、本物だったんですね」大して驚いていないような口調の安野。

 

「警察には言うなよ?」

 

「判りました。でも先生、そんなもの、どこで手に入れたんですか?」

 

「内緒だ。いいから、行くぞ」

 

 広場から離れようとする竹内。

 

 しかし、安野が付いて来ない。倒れた屍人の前にしゃがみ込み、じーっと見ている。

 

「何をしている」

 

「観察です。先生、コイツ、何なんですか? 顔色悪いですし、目から血を流してますし、とても生きてる人間には見えません。まあ、先生が銃で撃ったから死んでるんでしょうけど、そうじゃなくて、なんかこの人、先生に撃たれる前から死んでたような気がするんです」

 

「それは屍人だ。屍に、人と書く。お前の言う通り、そいつらは元から死んでいる」

 

「死んだのに歩き回るんですか? それはひょっとして、ゾンビ的なヤツでしょうか?」

 

「まあ、そうだな。頭を潰しても死なないから、ゾンビより厄介だろうが」

 

「そうなんですか? じゃあ、この屍人さん、よみがえるんですか?」

 

「ああ。さっき私の足の傷が治ったのと同じだ。そいつらも、時間が経てば傷が塞がり、また動き出す」

 

「それは面倒ですね。だったら、せめて今のうちに、武器を奪っておきましょう」

 

 安野は屍人の持つ鎌を奪おうとするが、がっしりと握られているようで、手から離れない。

 

「……ダメです。手が、硬直してます。手首ごと切り落としてやりましょうか?」物騒なことを言う。

 

「時間の無駄だ。それより、急ぐぞ」今度こそ広場から離れようとするが。

 

「あ、先生。大変です」

 

「なんだ?」

 

「今、視界ジャックの能力で確認したんですが、櫓の上にいた屍人さんが、下りてきて、こっちに向かって来てます」

 

 なに!? 慌てて竹内も幻視を使う。安野の言う通り、あの猟銃を持った屍人が、広場に向かって来ている。

 

「あーあ。たぶん、先生が撃った銃の音を聞いたからですよ? 大きな音を立てたら、ダメじゃないですか」

 

 そもそもは貴様がラジオを点けたからだろうが! くそ! コイツから射殺しておくべきだった!

 

 どうする? こちらにも銃はあるが、拳銃と猟銃では分が悪すぎる。こちらは射撃の経験も乏しい。まともに撃ち合っては、勝ち目はないだろう。櫓からこの広場まではやや距離がある。いまのうちに身を隠してやり過ごすか。いや、そのまま広場で警戒されれば、移動が困難になる。何か、手は無いのか。

 

「しょうがないですね。この依子ちゃんに任せてください」

 

 のんきな声で言う安野。さっきの廃屋へ戻り、中から、あのラジオを持って来た。

 

「そんなもの、どうするつもりだ」と、竹内。

 

「いいから見ててください」

 

 ぱち、っとウィンクをすると、安野はラジオのスイッチを入れ、音量を最大まで上げた。耳障りなノイズ音が広場中に鳴り響く。続いて安野は、広場の中央にある井戸のそばへ行き、ロープを引いて桶を引き上げた。

 

「あれ? なにか入ってますね」

 

 安野は桶の中にあったものを取り出す。それは、ボロボロのまな板に赤子の上半身と魚の下半身を持つ人魚のミイラだった。健全な女子が見たら不気味さに震えあがりそうなものだが、安野は。

 

「ま、いいや」

 

 ぽい、っと、ミイラを井戸のそばに投げ捨てた。たたられても知らんぞ。

 

 ミイラに続いて桶の水も捨てた安野は、ラジオを桶の中に入れる。そして、そのまま井戸の中へ戻した。

 

「さ、隠れましょう」

 

 安野は小走りで廃屋の陰に隠れた。竹内も隠れる。いったい、どうするつもりだ。

 

 しばらく広場の様子を窺っていると。

 

「――あ、来ましたね」

 

 安野が指差す先に、猟銃を持った屍人が現れた。

 

 屍人は、広場に入ると、まっすぐに井戸へ向かう。そして、そのまま井戸の中を覗きこんだ。どうやら、ラジオの音を気にしているようだ。じーっと見つめ、動かない。

 

「予想以上にガン見してますね」と、安野。「先生、今です。背後から撃って、ぶっ殺してください」

 

 そういうことか。確かに、音に強く反応する屍人相手には、有効な作戦だ。

 

 竹内は廃屋の陰から出て、足音を立てず、静かに、ゆっくりと、屍人の背後に近づく。屍人は井戸の底を見つめ、こちらに気付かない。十分に距離を詰めた竹内は、引き金を引いた。銃弾は背中に命中する。大きくのけ反る屍人。バランスを崩し、そのまま前のめりに倒れ、井戸の中へ落ちて行った。

 

「やったぁ! さすが先生です!」手を叩いて喜ぶ安野。「どうです? あたし、役に立ったでしょ?」

 

 確かにそうだが、そもそもコイツがいなければこんな危機に陥ることも無かっただろう。役に立つのか立たないのか、よく判らないヤツだ。

 

「ところで先生、これって、何なんですか?」安野は、さっき井戸のそばに捨てた赤子の人魚のミイラを手に取った。

 

「偶像の一つだろう。羽生蛇村には、漁師の網にかかった亀を川に帰したら、恩返しをされたという昔話がある」

 

「筋斗雲を貰ったってヤツですか?」

 

「違う。亀は漁師を川の中の宮殿へ連れて行き、豪華な料理でもてなした。その料理の中に、まな板の上に赤ん坊を乗せたものがあったそうだ。漁師はそれを食べず、こっそり村へ持ち帰ると、井戸の底に捨てたそうだ」

 

「先生、のんきに解説している場合じゃないです。後ろの屍人さん、よみがえってますよ?」

 

 言われて振り返る。安野の言う通り、鎌を持った屍人が、ゆっくりと起き上ろうとしていた。

 

「もう一人の包丁を持った屍人さんも、こっちに向かって来てますね。先生。いちいち相手にしていてはキリがありません。銃弾にも限りがあるでしょうから、さっさと行きましょう」

 

 安野はまた人魚のミイラを投げ捨てると、スタコラと広場を出て行った。竹内は大きくため息をつくと、後を追った。幸い、よみがえった屍人も、包丁を持った屍人も、追ってはこなかった。今頃、井戸の底を覗き込んでいるのだろう。他に屍人はいない。安野のおかげで安全に調査できるようになったが、だからといって感謝する気にはなれなかった。

 

 かなり時間がかかったが、なんとか集落の中をひと回りすることができた。それ以上大きな収穫は無かったが、多聞は確信する。この、突然現れた集落は、二十七年前の土砂災害で消えた村に間違いないだろう。集落の全てが、自分の記憶と一致するのだ。

 

 ではなぜ、消えたはずの集落が、突然また現れたのだろう?

 

 それはまだ判らない。さらに調査をしなければ。次はどこへ向かう? 調査するなら、東の蛭ノ塚(ひるのつか)という地域か、西の刈割(かるわり)という地域だろう。蛭ノ塚は、この村に眞魚教が生まれるより以前、村人たちの信仰のよりどころとなっていた地域で、蛭子(ヒルコ)という神を奉った神社がある。しかし、眞魚教が普及してからは衰退の一途をたどり、二十七年前の土砂災害で、こちらの地域も壊滅してしまった。西の刈割は、田んぼや畑ばかりの農業地帯だが、山の上に眞魚教の教会があるはずだ。

 

 竹内が、どちらに向かうか思案していると。

 

 

 

《……先生……助けて……先生……》

 

 

 

 遠くから子供のものと思われる声が聞こえて来た。役場か学校の放送のような、ノイズ交じりのスピーカー音だ。

 

「先生。呼んでますよ?」と、安野。

 

「どうして私なのだ。この村にだって、学校くらいはある」

 

「そうなんですか。でも、どうします? なんか、助けてほしいみたいですけど」

 

 声が聞こえて来た方を見る竹内。北西の方角だ。確かこの方角には、羽生蛇村小学校の折部(おりべ)分校があったはずだ。そこの児童だろうか? 少なくとも、屍人ではなさそうだ。生存者がいる。向かうべきか? だが、助けを求めている以上、学校も、ここと同じように屍人が徘徊しているのかもしれない。学校に用は無い。無用な危険は避けるべきだが……。

 

「先生?」何かを訴えかけるような表情で、竹内の顔を覗き込む安野。

 

 竹内は、フフッと笑った。考えずとも、答えは初めから決まっていた。「――子供のようだ。放ってはおけないな」

 

「さすが先生です。じゃあ、行きましょう」意気揚々と刈割方面へ向かおうとする安野。

 

「いや、やはりやめておくか。お前が行くと、かえって子供が危険だ」

 

「……どういう意味ですか」

 

「冗談だ。行くぞ」

 

 竹内は銃に弾を込め直す。そして安野を連れ、羽生蛇小学校織部分校へ向かい、走り始めた。

 

 

 

 

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