SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第五十話 四方田春海 田堀/廃屋内居間 第二日/十五時十九分五十九秒

 春海は、夢を見ていた。

 

 楽しい夢だった。お父さんとお母さん、クラスの友達、近所の友達、校長先生、そして、担任の玲子先生と一緒に、公園で遊んでいる。ずっと一緒に遊んでいた。お父さんお母さんとお弁当を食べ、クラスの友達と鬼ごっこをし、近所の友達とかくれんぼをし、校長先生に本を読んでもらい、そして、玲子先生とお喋りをした。

 

 みんな一緒だった。ずっと、遊んでいられると思った。幸せだった。この幸せが、永遠に続くと思っていた。

 

 でも。

 

「春海、お父さんとお母さんは、もう行くよ」

 

 突然、お父さんとお母さんから、別れを告げられた。

 

「え? 行くって、どこへ行くの?」

 

 春海が両親を振り返った時には、すでに二人は、春海に背を向け、遠くを歩いていた。

 

「待って! お父さん、お母さん! 春海も一緒に行く!」

 

 走って、走って、どんなに走って追いかけても、追いつけなかった。やがて、お父さんとお母さんの姿は、見えなくなった。

 

「春海ちゃん。あたしたちも、もう行くね」

 

 クラスの友達が言った。

 

 春海が振り返ると、みんな春海に背を向け、遠くを歩いていた。

 

「待って! みんな! あたしも一緒に行く!」

 

 どんなに走っても、もう追いつけない。

 

「春海ちゃん、バイバイ」

 

「春海ちゃん、さようなら」

 

 近所の友達にも、校長先生にも、別れを告げられた。

 

 気がつけば、春海は暗闇の中に、一人で立っていた。

 

 ――先生……そうだ……玲子先生は?

 

 周囲を見回し、玲子先生を探す。しかし、春海の周りに存在するのは、まとわりつくような闇ばかりだ。

 

「先生! 玲子先生!! どこ!?」

 

 叫び、周囲を見回す。返事は無い。誰もいない。存在するのは闇ばかりだ。玲子先生を探せば探すほど、自分は一人なのだと思い知らされるようだった。

 

 それでも春海は、玲子先生を探す。叫び、呼ぶ。どんなに一人であっても――いや、一人だからこそ、決してあきらめずに、探す。

 

 やがて。

 

 ――春海ちゃん?

 

 春海の背後で、玲子先生の声がした。

 

「先生!!」

 

 春海が振り返ると、そこには――。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 わずかに開いた隙間から、弱い光が差しこんでいた。

 

 春海はまぶしさに目を細め、右手で光を遮った。やがて目が慣れて来ると、それは、襖の隙間から外の明かりがさしこんでいるのだと判った。あたしは、夢を見ていたのだ。

 

 襖の向こうからは、楽しげに笑う声が聞こえて来た。男の人と、女の人と、そして、子供の笑い声。三人の家族が、楽しくお喋りをしながら食事をしている――そんな姿が想像できた。春海は、その楽しい場に加わりたくて、襖を開けて出て行こうとしたが。

 

 自分の置かれた状況を思い出し、思いとどまった、

 

 教会のある刈割から田堀地区へと移動しようとしていた春海と玲子。途中、襲ってきた屍人から春海を護るため、玲子は給油車に火を点け、爆発に巻き込まれた。一人になってしまった春海は、ただ、玲子の言葉通り、田堀地区へと向かった。

 

 ――田堀なら安全だから。

 

 先生の言葉を信じて。

 

 途中、何人もの屍人の姿があったが、見つからないように、隠れながら進んだ。なんとか田堀へとたどり着くことができた。ここで待っていたら、先生がきっと迎えに来てくれる。春海は一軒の古い家を見つけ、中に入った。玄関は板が何枚も張り付けられていて開かなかったが、裏へ回ると、台所の勝手口が開いていた。そこから中へ入り、居間の押し入れの中に身を隠し、先生を待っていた。そして、眠ってしまっていたのだ。

 

 春海は、襖の隙間から、そっと外の様子を窺った。

 

 春海よりも年上の少女と、そのお父さんとお母さんと思われる人が、居間のちゃぶ台を囲み、ご飯を食べていた。みんな、楽しそうに笑っている。何がおかしいのかは判らない。三人は、お話をしているのではない。何もしゃべらず、ただ笑っているだけだ。テレビを見ているのかとも思ったが、テレビの画面には、ただ砂嵐のようなノイズが映っているだけだ。それでも、三人は大きな笑い声を上げる。奇妙な光景だった。薄気味悪いと言っていい。

 

 その、笑う三人の顔を見て、春海は悲鳴を上げそうになった。

 

 なんとか口を押さえ、耐えることができたが。

 

 三人は血の涙を流し、血の気を失った肌の色をしている。屍人だ。

 

 それだけではない。その三人の屍人の顔には、見覚えがあった。

 

 ――知子お姉ちゃん……おじさんおばさんも……。

 

 春海の家の近所に住んでいる前田という家族だった。娘の知子お姉ちゃんとはよく遊んだし、おじさんおばさんも優しくしてくれた。

 

 その前田家のみんなが、屍人になってしまった。

 

 みんな、屍人になっちゃう。

 

 校長先生が屍人になった。村の人たちも屍人になった。知子お姉ちゃんも、前田のおじさんおばさんも、もしかしたら、玲子先生も――。

 

 あたしは、一人だ。

 

 春海は、耐えがたい孤独を感じる。みんなにおいて行かれているような気がした。いま見た、夢のように

 

 ――あたしもしびとになれば、みんなと一緒にいられるのかな……?

 

 そんなことを思う。

 

 知子たちは楽しそうに笑っている。屍人となってはいるが、それは、村が平和だったころの彼女たちと、何ら変わりは無い。ごく当たり前の、しかし、何よりも幸せな家族の姿のように思えた。

 

 あたしも、その幸せの中に入れてくれるかもしれない。

 

 みんなと一緒にいたい。

 

 ひとりはイヤだ。

 

 春海は、襖に手を掛けた。

 

 ――春海ちゃん。絶対に、諦めちゃダメよ。

 

 どこからか、玲子先生の声が聞こえたような気がした。

 

 襖に伸ばした手をひっこめる。

 

 諦めちゃダメ――それは、いつも玲子先生が春海に、そして、クラスのみんなに繰り返し言っていた言葉だ。テストの時、運動会の時。いつも、その言葉で励ましていた。

 

 そうだ。諦めちゃ、いけない。

 

 玲子先生が、絶対に、迎えに来てくれるから。

 

 そう信じて。

 

 春海は襖の隙間から外の様子を窺う。なんとか隙をついて、家から脱出してみよう。

 

 しばらく様子を見ていると、食事が終わり、三人は居間から出て行った。春海は目を閉じ、幻視の能力で三人の様子を探り続ける。父親は、玄関のそばの客間に入り、タバコを吸い始めた。母親は台所へ行き、洗い物をはじめる。知子は、二階の子供部屋で勉強を始めた。

 

 幻視をやめる春海。この廃屋には台所の勝手口から入ったのだが、今は母親の屍人が洗い物をしているので、そこから脱出するのは無理だろう。玄関は閉ざされているので、一階には他に出口は無い。だが春海は、この廃屋に入る前、勝手口の他に、二階にある木組みのベランダの窓が開いているのを確認している。あそこからなら脱出できるかもしれない。

 

 ……でも……行けるかな……。

 

 二階のベランダへ向かうには、居間から出て、客間の前を通り、台所の手前の階段を上がって、子供部屋の前を通らなければいけない。どの部屋にも屍人がいる。客間のドアは閉まっているが、台所と子供部屋は開きっぱなしだ。あれではすぐに気付かれてしまう。屍人に見つかれば、狭い家の中では逃げられないかもしれない。

 

 怖い……。

 

 屍人に追われ、捕まる姿を想像し、春海は震えた。涙が出てきた。ダメだ、絶対に、捕まってしまう。このままここに隠れていた方がいい。ここは安全だ。ここにいれば怖くない。

 

 でも。

 

 ここに隠れていても、震えは止まらない。いつかは見つかってしまうかもしれない。怖い。

 

 外に出ても、ここにいても、怖い。どうしたらいいのか判らない。ただ、泣くことしかできない。

 

 ――大丈夫! 先生がついてるんだし、怖くないよ。がんばろう、ね?

 

 学校で、玲子先生が言っていた言葉を思い出した。

 

 あの時、学校にもたくさんの屍人がいたが、見つからないように静かに行動し、脱出することができた。

 

 春海は、涙を拭いた。

 

 ……あきらめちゃダメ……あきらめちゃダメ……。

 

 玲子先生の言葉を胸の中で繰り返す。そして、玲子先生のマネをし、頬をパンパンと叩く。

 

 春海は、押し入れを出た。

 

 居間から廊下へ出る襖を開け、そっと様子を窺う。

 

 客間の出入口は閉ざされている。台所の戸は開いているが、母親は廊下に背を向け、洗い物に集中している。音をたてず、静かに移動すれば、きっと気付かれない。大丈夫。学校でも、その方法でうまく行ったんだから。怖くない、怖くない。春海は居間から出て、ゆっくりと、静かに、しゃがみ歩きで廊下を進んだ。客間の前を通り、角を曲がって、台所のそばの階段を上がる。木造の古い家屋は歩くたびにキイキイときしむが、春海の体重が軽いことが幸いしたのか、客間の屍人にも、台所の屍人にも、気付かれることはなかった。そのまま二階まで行けると思ったのだが。

 

 ビクンと身体が震え、階段の上から自分を見下ろす視点が見えた。

 

「あれえ? 春海ちゃぁん?」

 

 見上げると、知子が、血を流す目で、春海を見下ろしていた。子供部屋から出て来たのだ。

 

「はるみちゃーん、みぃつけた」

 

 知子は右手に鉛筆を持っている、先は鋭く尖っており、十分な凶器になりそうだった。それを振り上げ、階段を下りてくる。

 

「いやぁ!」

 

 春海は叫び声をあげ、階段を駆け下りた。その音を聞いた屍人が、台所から、客間から、出てくる。手に、包丁を、鉄パイプを、持って。

 

 春海は走った。廊下の奥へと逃げる。三人の屍人は追って来る。春海は廊下の角を曲がり、突き当りの戸を開けた。狭い物置だった。逃げる所も、隠れる所もなかった。屍人は迫っている。春海は戸を閉め、少しでも屍人から遠ざかろうと、物置の隅に行って小さく身をひそめた。そんなことをしても、屍人が戸を開ければ簡単に見つかってしまうが、他に方法は無い。

 

「はるみちゃんがほしいぃ」

 

 知子の声が聞こえた。まるで公園で遊んでいるかのように、はないちもんめの童謡を歌い、物置へ迫っている。その後ろから「勝手にひとの家に上がりこむなんて悪い子ねぇ」「どこの子だぁ」と、知子の母親と父親の声も聞こえる。こっちへ向かって来る。

 

 怖い……怖い……。

 

 だが、何もできない。身を震わせるだけの春海。

 

 物置の前に、知子が立った。

 

 もうダメだ――そう思ったのだが。

 

 知子たちは戸を開けることなく、立ち尽くしているようだ。

 

 そして、しばらく廊下をウロウロした後、気配が遠ざかって行った。

 

 大きく息を吐きながら、気持ちを落ち着かせる春海。幻視を行い、知子たちの様子を探った。それぞれ、客間、台所、二階へと戻って行く。どうやら、春海を探すのを諦めたようである。あるいは、春海が家に居たこと自体を忘れてしまったのか。何にしても、ひとまず助かった。

 

 だが、この廃屋から脱出しなければ、本当に助かったとは言えない。もう一度、二階からの脱出を試してみようか……しかし、勇気が出てこない。また、同じように見つかってしまうのではないか。そう思えてならない。怖い。屍人に追われた時の恐怖が、春海の小さな胸を締め付ける。身体が震える。涙がこぼれ落ちる。あきらめちゃダメ……あきらめちゃダメ……玲子先生の言葉を繰り返し唱えても、効果は無かった。もう、ずっとここに隠れているしかない。そう思い始めた。

 

 ――春海ちゃん。

 

 誰かに呼ばれた気がした。

 

 女の娘の声だった。誰? 顔を上げ、ライトで部屋の内を照らす。誰もいない。

 

 不思議と怖くは無かった。聞き覚えのある、優しい声。その声を聞いただけで、春海の胸の恐怖が少しだけ薄らいだ。春海はライトをいろいろな場所へ向ける。床に大きな穴が開いているのに気が付いた。近づいて、ライトで照らすと、何かがキラリと光った。穴に手を入れ、光った物を取ってみる。

 

 それは、白と黒のビーズを組んで作った、長い黒髪の少女の人形だった。

 

 ――これ、みやちゃんにプレゼントした人形だ……。

 

 みやちゃん。両親を事故で亡くし、独りぼっちになってしまった春海が出会った少女だった。一緒に遊んでくれた。お姉ちゃんになってくれるとも言ってくれた。ただし、一緒に遊んだことは、他の誰にもナイショだと言われた。秘密のお友達。

 

 ビーズ人形は、春海がみやちゃんをイメージして作り、プレゼントしたものだった。ここにあるということは、みやちゃんが、ここに来たということだろうか? なら、さっき呼んだのも……。

 

 ライトで床に開いた穴を照らす春海。誰かが踏み抜いてできたものだろうか? 身体の小さな春海ならば、十分通り抜けられそうな大きさだ。床下を覗き込むと、向こうが明るくなっているのが見えた。ここから外に出られるかもしれない。床下は暗く、埃っぽい。ネズミやゴキブリやクモなど、春海が苦手な生き物がたくさんいるかもしれない。

 

 ――でも、しびとに比べたら、そんなのぜんぜん怖くない!

 

 春海は決意し、床下へ下りた。明かりの方へ、ゆっくりと這って行く。頭上の床がギシギシときしむ音が聞こえた。屍人が歩いているようだ。もちろん、物置に隠れただけの春海すら見つけられないような屍人が、床下の春海に気付くはずもない。春海はそのまま這って進み、庭へ出ることができた。

 

 ――やった! 大成功!!

 

 春海は服に付いたほこりを払いながら立ち上がった。屍人が外に出て来る前に逃げなきゃ。庭を走り、門から外に出た。どこへ向かえばいいのかは判らないが、とにかく、この家から離れよう。屍人から逃げていれば、いつかきっと、玲子先生が見つけてくれる。そう信じて。

 

「――春海ちゃん?」

 

 門を出たところで、後ろから声を掛けられた。なじみのある女性の声。この声は、先生だ!

 

「先生!!」

 

 振り向いた。やっと、玲子先生が迎えに来てくれた。ずっと一人で寂しかった。怖かった。何度もくじけそうになった。でも、諦めなかった。一人で頑張った。そのことを話し、褒めてもらいたかった。ガンバったね、エライね、と、言ってもらえると思った。

 

 玲子先生は。

 

「春海ちゃぁん。じっとしてなさいって、言ったでしょぉ?」

 

 ゆっくりと、春海の方へ歩いてくる。

 

「どうして……先生の言うことが聞けないの……」

 

 血の涙を流す目で、春海を見ていた。

 

「先生を困らせて……春海ちゃんは……悪い子ね……」

 

 右手に持つバールを引きずりながら、近づいてくる。

 

 信じられない。

 

 どんなに寂しくても、どんなに怖くても、諦めないで頑張れば、きっと、玲子先生が助けに来てくれると思っていたのに。そう信じていたから、ここまで頑張ることができたのに。

 

 後退りする春海。いやいやと、大きく首を振る。これは夢……そう、夢なんだ。あたしはずっと、悪い夢を見ているの。だから、早く目覚めて! 何度も首を振る。そうすることで、この悪夢から目覚めるのを期待して。

 

 だが、夢は覚めない。これは、夢ではない。

 

「悪い子には……お仕置きしなくちゃね……」

 

 屍人となった玲子先生が、バールを振り上げた。

 

 春海は――。

 

「……いやああぁぁ!!」

 

 声の限りの悲鳴を上げ、逃げ出した。

 

 

 

 

 

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