村に、サイレンが鳴り響く――。
竹内多聞は宮田医院第二病棟の裏口を開け、中に入った。壁や天井などいたるところが剥がれ落ち、瓦礫が散乱している。かなり荒れているようだ。現代の宮田医院の建物にしては古すぎる。どうやらここも、二十七年前に消えた病院なのだろう。竹内が子供の頃に通った時の記憶とも一致する。
――安野……無事でいろよ。
竹内は、拳銃を取り出した。
蛇ノ首谷で志村晃の屍人を倒した竹内。猟銃で撃たれた安野を病院へと運ぶため橋の下へ戻ったのだが、そこに、安野の姿は無かった。あれだけ動くなと言ったのに、やはり、勝手に行動したのか? いや、安野の傷はかなり深い。一人で動くのは不可能だろう。ならば、屍人となり、どこかへ行ってしまったのだろうか? その可能性も考えられるが、竹内は、地面に、安野のものでも自分のものでもない足跡がいくつかあることに気が付いた。誰かがここに来たということだ。たまたまここを通りがかったその誰かが、怪我をしている安野を見て、病院まで運んだのかもしれない。楽観的な考えかもしれないが、安野が生きているとすればその可能性に賭けるしかない。竹内は徒歩で山を下り、東の比良境にある宮田医院へと向かったのだ。
幻視で病院内の様子を探る竹内。建物内には無数の屍人の気配があった。そのほとんどが蜘蛛型の屍人だが、一体だけ、人型の屍人の気配がある。手に持った黒縁の眼鏡を、じっと見つめている。病院内には屍人以外の気配は無かった。安野はここにいないのだろうか? だが、屍人が持っている眼鏡には見覚えがあった。安野が掛けていた物に似ている。では、この屍人が、安野なのだろうか? 眼鏡を持っているだけではそう断定することはできないが、否定もできない。確かめなければならない。
この屍人は、どこにいるのだろう? 屍人はじっと眼鏡を眺めており、居場所の様子ははっきりしないが、視界の隅に手術台のようなものが見えた。手術室だろうか? だが、二十七年前の宮田医院に手術室があっただろうか? 竹内の記憶では、村人に手術が必要な場合は、ふもとの街の大きな病院へ運ばれていたように思う。もちろん、所詮は二十七年前の記憶であり、かなり曖昧だ。記憶違いであることは十分考えられる。それに、手術室があろうが無かろうが、安野の眼鏡を持った屍人が病院内にいるのは間違いない。探してみるしかないだろう。
竹内は拳銃の弾を確認する。蛭ノ塚に停められてあったパトカーから調達した銃弾は、銃に込められているものも含めて残り十六発。院内の屍人の数を考えると心許無い。戦闘はなるべく避けた方がよさそうだ。竹内は、慎重に第二病棟の廊下を進んだ。
第二病棟は、主に入院患者の部屋がある建物だ。徘徊している蜘蛛屍人はなるべく身を隠してやり過ごし、一階、二階と、順に部屋を調べていく。二階の一番奥の入院部屋まで調べたが、眼鏡を持っている屍人の姿は無かった。第二病棟にはいないようだ。
入院部屋を出ようとした竹内だったが、ベッドの上に写真立てが置いてあるのに気が付いた。何気なく手に取ってみる。かなり古い白黒写真だった。この入院部屋で撮影された物だろうか、ベッドに座る入院患者と、修道服を着た女性が映っていた。優しく微笑みかけるその女に、竹内は覚えがあった。眞魚教の求導女・八尾比沙子だ。竹内は七歳までこの村に住んでいた。家は眞魚教を信仰しており、子供だった竹内も、お祈りを捧げるため、毎週刈割の教会へと通っていた。八尾比沙子のこともよく覚えている。村人から『慈愛に満ちた聖母のような女性』と言われていたが、その言葉通り、優しく、美しい女性だった。
竹内は写真立ての裏を見た。昭和四十一年四月四日と書かれてあった。竹内が生まれるよりも前に撮影されたものだが、そこに写る比沙子は、竹内の記憶の比沙子と変わらない。二十代か、せいぜい三十代と思われる姿だ。まるで、時が止まっているかのようである。そう言えば、この人は
ふいに。
――あの女は化物だ。
竹内は、蛇ノ首谷で屍人となった志村晃が言っていた言葉を思い出した。
同じことを、二十七年前、志村晃の従兄弟・貴文も言っていた。あの女は化物だ。あの女は歳を取らない、と。
二人が誰のことを言っていたのかは判らない。
ただ、竹内の記憶にある八尾比沙子と、その十年近く前に撮影された写真に写る八尾比沙子は、同じ姿をしている。まったく歳を取っていないかのように。
……まさか、な。
竹内の記憶の八尾比沙子は二十七年前もので、かなり曖昧だ。記憶違いということも、十分に考えられる。いずれは教会も調べるつもりだ。八尾比沙子に会うこともあるだろう。その時、もし、彼女がこの写真と同じ姿をしていたら……。
竹内は写真立てを元に戻した。今は、安野を探すのが先だ。
竹内は入院部屋を出て、二階の渡り廊下を通り、北の第一病棟へ移動した。第一病棟には、二階に院長室や倉庫、一階には診察室や事務室などがあり、さらに、地下には霊安室やボイラー室もあった。第二病棟と同様、ひと部屋ひと部屋調べていくが、眼鏡を持った屍人の姿は無かった。
建物内の全ての部屋を探したが、どこにもいない。あと探索していないのは中庭だけだ。眼鏡を持った屍人がいるのはどう見ても屋外ではないが、他に手がかりがない以上、行ってみるしかないだろう。竹内は、中庭へ出ようとした。
しかし、中庭へ出るための扉は閉ざされており、鍵がかけられてあった。建物内の窓はすべて屍人の手によって板が張り付けられてあるので、中庭へ出るには鍵を探すしかない。幸い、第一病棟を探索した際、診察室の机の上に鍵束が置かれていたのを確認している。竹内は診察室へ戻ると、机の上の鍵束の中から、木の札に『中庭』と書かれてある鍵を取った。
中庭への出入口へ戻ろうとした竹内だったが、廊下の角を曲がったところで蜘蛛屍人に見つかってしまった。耳障りな金切り声をあげながら、廊下の先から走って来る。戦闘はなるべく避けたいところだ。幸い、蜘蛛屍人はドアを開けることができないようなので、どこか部屋に立てこもれば回避できるだろう。周囲を見回す竹内。最も近いのはトイレだった。トイレの個室でも十分隠れ場所になるはずだ。竹内はトイレに駆け込んだ。
――くそっ。
心の中で悪態をつく竹内。個室のドアは止め金が壊れており、閉ざすことができそうになかった。これでは隠れられない。すぐにトイレから出ようとしたが、遅かった。竹内が振り返った瞬間、蜘蛛屍人が跳びかかってきた。殴られ、よろめく竹内。幸い大したダメージではなかったが、中庭の鍵を手放してしまった。鍵は勢いよくトイレの奥まで滑って行き、排水溝の中に落ちてしまった。拾うのは後だ。竹内は、さらに跳びかかって来ようとする蜘蛛屍人を右足で蹴り飛ばし、一旦間合いを取る。そして銃口を向け、素早く引き金を二回引いた。運よく二発とも命中し、蜘蛛屍人はうめき声を上げながら倒れた。
竹内はトイレの奥の排水溝を覗き込む。ゴミでも詰まっているのか、中は水が溜まっており、木の札が浮かんでいた。排水溝は鉄格子のふたがはまっており、溶接されてあるのか、引っ張ってもビクともしなかった。隙間から指を突っ込んでも届かない。何か、フックのようなもので引っ掛けて取るしかないか。何かないかと周囲を見回すが、トイレの中にそのような道具は無かった。ただ、水道が目に入った。排水溝は詰まっているようだから、水を流せば、木の札の付いた鍵は浮かび上がって来るだろう。さっそく試そうとしたが、蛇口のハンドルが取り外されており、回すことができない。さらに周囲を見回す。トイレの奥には窓がある。例によって板が張り付けられてあるが、わずかに隙間が空いていた。
竹内はトイレを出て、階段から二階へ上がった。二階のトイレへと駆け込む。水道のハンドルは取り外されていない。ひねってみると、わずかに水が出た。竹内は掃除用具入れからホースを取り出すと、一方の口を蛇口に取り付け、もう一方の口を、窓のわずかな隙間から外に出した。そして、また一階のトイレへ戻る。窓の外には二階から垂らしたホースがある。それを中に引き入れた。よし。うまく行きそうだ。竹内はまた二階のトイレへ向かうと、蛇口をひねり、またまた一階へと戻る。排水溝を覗くと、狙い通り、水が溜まり、木の札に取り付けられた鍵は浮かび上がってきた。かなり手間がかかったが。これで、鍵を拾うことができる。
なんとか鍵を拾った竹内は、中庭への扉を開けた。中庭にも蜘蛛屍人が一匹徘徊している。戦闘は避けたいが、探索中に襲われると面倒だ。ここは、先に排除しておいた方がいいと判断した竹内は、幻視で様子を窺う。そして、蜘蛛屍人に気付かれないよう背後から近づき、銃弾を二発撃ち込んだ。
中庭を見回す。中央に院長のものと思われる石像があるだけで、後は雑草が生い茂るだけの荒れ果てた中庭だ。眼鏡を持った屍人がいるのは屋内のはずだ。見当違いだったかと思ったが、念のため石像を調べてみようと近づく。すると、石像のすぐ下の地面に、地下へと続く階段があった。
――隠し部屋、という訳か。
銃に弾を込め直す竹内。慎重に、階段を下りた。
そこは、鉄格子のはめられた狭い部屋がいくつも並ぶ、牢獄のような場所だった。とても、病院の一角とは思えない。だが、恐らくこれが、宮田医院の真の姿なのだろう。宮田医院は神代家、教会に次ぐ村の有力者だ。神代や教会に逆らう者、あるいは、村の秘密を探ろうとする者を捕え、監禁、場合によっては密かに処分する。それが、宮田医院の役割なのだ。もしかしたら、志村貴文もここに捕えられていたのかもしれない。
牢獄の中を順に見ていく竹内。そのひとつに、不気味な落書きがされてあった。壁に無数の目が描かれてあり、そのすべてが、×印で潰されている。竹内は心理学には詳しくないが、誰かに見られている恐怖の表れだろうか? もしかしたら、この絵を描いた者は、幻視の能力に気が付いていたのかもしれない。
さらに奥へと進む。大きな鉄の扉が見えてきた。安野の眼鏡を持っている屍人は、この中にいるはずだ。安野ではないと信じたい。しかし、もし、安野だったら……。
竹内は銃の中の弾を確認する。もし安野が屍人になってしまっていたら、私の手で葬ってやらねばならない。そう思った。もっとも、それができるかどうかは判らないが――。
竹内は、扉を開けた。
その瞬間、むっとする血臭が廊下に流れ出た。とっさに鼻と口を覆う竹内だが、それでも、ねっとりとした血の感触が、鼻孔と喉の奥に張り付くようだった。
部屋の中にはいくつかの手術台があり、床は、大量の血と、切断された人の手足が何本も無造作に転がっていた。竹内はすぐに気が付いた。ここは、手術室などではない。捕えた者を拷問、そして、処分するための部屋なのだ、と。
部屋の奥に、屍人がいた。
背を向けている。ナース服を着ているようだ。竹内は銃口を向け、近づいていく。竹内に気付いた屍人は、眼鏡を置き、こちらに顔を向けた。誰かは判らない。額からいくつもの長いこぶがぶら下がっており、顔は、こぶの中に埋もれていた。唯一見えている口元が、にやりと笑みを浮かべた。そして、そばに立てかけていたシャベルを取り、竹内に向かって来る。
この屍人が誰なのかは判らないが、背格好からして、少なくとも安野ではないだろう。ならば、遠慮などしない。竹内は屍人を十分にひきつけ、銃を撃った。二発の銃弾が屍人の身体に命中する。ふらふらと後退りする屍人。そのまま倒れると思ったが、屍人はもう一度シャベルを振り上げ、向かって来た。さらに二発の銃弾を撃ちこむ。それでも屍人は倒れない。残る銃弾は二発。これでも倒せなければ、拳銃しか武器を持っていない竹内は圧倒的に不利だ。竹内は、引き金を引いた。さらに二発の銃弾を受けた屍人は、悲鳴を上げながら後ずさりし、そして、ようやく倒れ、動かなくなった。
大きく息を吐き出す竹内。危ない所だった。これまでの屍人は二、三発の銃弾で倒すことができたが、タフな屍人もいるようだ。銃以外の武器も持ち歩いた方がいいかもしれない。
竹内は部屋の奥へ行き、眼鏡を取った。見慣れた黒縁の眼鏡だ。安野の物で間違いないだろう。屍人がなぜこの眼鏡を持っていたのかは判らないが、安野がここに来たのは確かなようだ。だが、いったいどこへ行ったのだろう?