村に、サイレンが鳴り響く――。
決壊したダムから流れ出した赤い濁流が、屍人どもの巣を飲み込んでいく。雨はほとんど上がっていた。時折、雲の切れ間から陽が差すこともある。
ダムを破壊した牧野慶は、はるか眼下に広がる村を見下ろしていた。濁流は流れ続ける。眞魚川に沿って膨れ上がっていた屍人どもの巣は、すぐに流れ去るだろう。そうなれば、『神』に隠れる場所は無い。
牧野はずっと疑問に思っていた。屍人は、なぜあのような巣を造ったのだろう? 村が怪異に襲われた直後から、屍人どもはいたるところで釘を打っていた。窓を塞ぎ、屋根を作り、さらにその上に屋根を作る……巣の中枢は何重もの層になり、陽の光が決して届かないようになっていた。何のためにそんなことをしているのか? ずっと考えていた牧野は、ひとつの結論を導き出した。『神』は、太陽の光に弱いのではないか? 確証は無かったが、やってみる価値はあった。仮に牧野の考えがはずれだったとしても、巣を倒壊させるだけで、屍人たちには大きな痛手となるだろう。
水は、少しずつ勢いが弱まっていった。水が減るにつれ、ダムの底があらわになっていく。泥にまみれた地面が見えてきた。
――うん?
牧野は、ダムの底にうごめくものを見た。
最初は魚か何かの小動物かと思った。だが、それにしては大きい。牧野の背丈と変わらないほどの大きさだ。二本足で歩いており、頭と手足もある。身体中泥にまみれていて、泥をこねて作った人形のようだが、どうやら人のようである。それが、一人や二人ではなく、何十人も。屍人だろうか? なぜ、こんな所に?
泥人形のような屍人は、耳を押さえ、苦しそうにもがき始めた。南の海からはサイレンが聞こえる。ここから遠く離れているのでかなり小さいが、その音に反応しているのだろう。
――――。
牧野は、全てを悟った。
サイレンは南の海から聞こえて来る。村の最も北に位置するこの眞魚川水門は、村で、最もサイレンが聞こえにくい場所なのだ。
その、ダムの底に身を沈めれば、サイレンの音は聞こえない。
人は赤い水を大量に体内に取り入れ、サイレンの音を聞くと、屍人になる。
屍人となって、さらに赤い水を取り入れ、サイレンの音を聞くことで、さらに屍人化が進む。
逆に言えば。
どんなに赤い水が体内に入ろうとも、サイレンの音さえ聞かなければ、屍人にはならない。屍人化は進まない。
何ということだろう。
彼らは、屍人になる前、あるいは、屍人となってもまだ人の意思が残っている間に、ダムの底に身を沈め、サイレンの音を聞かないようにしていたのだ。
何十年もの
赤い水を取り込めば、少々のことでは死ななくなる。屍人となれば、決して、死ぬことはなくなる。永遠に、生き続ける。
だが、これでは。
永遠に生きることは、永遠に苦しむことと同じだ。
村人たちが苦しんでいる。これまでも、ずっと苦しんできたのだ。そして、このままではずっと苦しむことになる。
彼らの苦しみを、解き放ってあげなければ。
それが、私が、求導師として成すべき、最期のことだ。
「……先生……」
愛する美奈の声がした。鉱山から追いかけてきたのだろう。そばには、理沙もいる。
だが、牧野を襲おうとはしない。ただ、じっと、待っている。
牧野は、宇理炎を握りしめた。
銃は撃ち尽くした。手榴弾も使いきった。屍人どもを殴り続けたハンマーとスパナも、もう折れてしまった。残されたものは、神から授かったこの武器だけだ。
――終わらせよう、全部。
牧野は、ダムの底へ下りて行った。