【キツネの時間】   作:KUIR

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【12】 さよならの音

 

 特別棟には相変わらず冬の寒風が襲い掛かっている。

 奉仕部部室の窓はがたぴしと声を上げ、冷気をわずかに漂わせる。

 一方で内側は、いつも通りの湯気に包まれ、暖かく保たれていた。

 

「葉山くんの様子は相変わらず?」

 

 三人分の紅茶を淹れ、いつもの席に着いた後、雪ノ下が尋ねてくる。

 

「ああ、教えてくれそうな気配もねえな」

「そうだねー。あたしや優美子たちへの態度も変わってないよ。でね、さっきヒッキーと話したんだけど、別の方法を考え直した方が良さそうって」

 

 由比ヶ浜が紅茶にふーふー息を吹きかけながら説明する。色々説明する手間が省けて助かったと思いながら紅茶を啜る。あ、これ人に働かせてる感あって新感覚だわ。専業主夫っていつもこんな感じなのかしら。

 雪ノ下は顎に手を当てて思案顔になる。

 

「別の方法ね。今比企谷くんが試してる方法も効果はなさそうなのかしら?」

「そうだな。とても解決の目途は立ってない。別で考えた方が効率的だろうな」

「うーん、何か良い方法あるかな……」

 

 それじゃあブレインストーミングからやっていこうか。議題はイベントのコンセプトと内容面のアイデア出しから。……おっとまずい、つい内なる意識高い系の俺が……。いやこれまんま玉縄だな。なんならあの時あいつの言った台詞と殆ど変らないんじゃねえか。今回のイベントのコンセプトっていったいなんだよ。

 

「あ、先生に直接聞いちゃうってのはどう?」

「さすがに個人情報を教えてくれるとは思えないのだけれど……」

 

 ガハマさんはもっとロジカルシンキングで論理的に考えるべきだよ。お客様目線でカスタマーサイドに立つって言うかさ。…………やべぇ、内なる玉縄が張り切っている……。くっ、早く議論を終わらせてしまえ……我が内なる玉縄を抑えている内に……! ……いや待て今の材木座だな。うわあ……。

 

「そっかあ」

 

 雪ノ下に正論を返され、由比ヶ浜は少し悲しげな表情をする。すでに俺も平塚先生に聞こうとしたってことは、言わなくても良いな、うん。たぶん俺が同じことを言ったら正論に罵詈雑言が混じって返ってくることは火を見るより明らかだし。ところで雪ノ下知ってたか? ブレインストーミングは人の意見を否定しちゃダメなんだぜ。だから、君の意見は、ダメだよ(ドヤ顔)。

 

「比企谷くん?」

「な、なんだ、別に何も悪いことは考えてないぞ」

「いえ、葉山くんがなぜ進路を誰にも教えないかについてどう考えるか聞きたかっただけなのだけれど……」

 

 あまりに的確なタイミングで声をかけてくるから心の声が漏れてるのかと思ってしまった。でも実際悪いこと考えてないしね。雪ノ下に対して心の中でドヤ顔してただけだからね!

 雪ノ下は俺の反応から怪しいと思ったのかじろりと睨みつけてくる。が、今それを追及する気はないのか、小さくため息を一つついた。

 

「それで、どう思うのかしら」

「ああ、葉山がなんで人に教えないかの理由か」

 

 以前少し考えはしたことだが、確かに、その理由さえ知ることが出来れば進路そのものの予想もしやすいかもしれない。

 問題はどう探るか、だが。

 

「現状じゃちょっとわかんねえな。何か知られると不都合があると考えるのが普通だが」

 

 しかし、進路なんて文理で別れてしまった後ならば嫌でも周囲に知られてしまう。であれば、この短い期間にだけ知られてはいけない理由があると考えるのが妥当だろう。

 期間限定の理由。この時期には何がある? 見当がつかなかった。

 

「私も、知っている範囲で家庭の事情から考えてはいるのだけれど」

「そうだねー。なんで隼人くん、教えてくれないんだろ……」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜のの口ぶりを聞くに、彼女たちははすでに考えている。俺が思いつかない葉山については、彼女たちがおおむねカバーしてくれているはず。とくに家関係から考えることが出来る雪ノ下が思いつかないとなると、正直なところお手上げと言っても良かった。

 

 会話はそのまま並行線を辿り、結局、結論はつかなかった。

 

 

 うんうん唸っていた由比ヶ浜が突然、あ、と声を上げたのは、葉山に関して三人ともアイデアを出しつくしてしまった時だった。

 何か良い案でも出たのかと俺と雪ノ下が彼女に注目を注ぐと、それに気付いた由比ヶ浜はばつが悪そうに頭のお団子に手を伸ばした。

 

「……あたし、今日、サブレのお散歩とご飯当番だった……」

 

 なんだそっちかよ、思わずあの由比ヶ浜から名案でも出たのかと思っちゃったぜ……。いや出てくれた方が良いんだけども。

 サブレといえば、いつぞやうちで預かっていた由比ヶ浜の家の飼い犬だ。しかし、当時由比ヶ浜から聞いていたサブレの餌やりの時刻はそろそろである。帰宅に使う時間を考えると、もう帰っていなければならないのではないだろうか。

 

「帰らなくて良いのかよ、あんまり時間ないんじゃないのか?」

 

 別に必ずその時間に間に合わせなければならないわけではないが、待たせた分お腹は空く。人間と違って勝手に食べられるわけでもない以上、それは酷だろう。ついでに散歩もできないとストレスを貯める原因にもなりかねない。犬って飼われている限り養ってもらえるしストレスもケアしてもらえるのマジ羨ましいな。人間のストレスは貯まる一方だぜ……。

 

「うん、今日はママがいないからあたしが帰んないと。ごめんね、ゆきのん、ヒッキー」

「いいよ、そんなこと気にしないで」

「ええ、あまり待たせてはかわいそうだものね、早く帰ってあげたら?」

 

 俺たちの言葉にありがとうと返し、由比ヶ浜はいそいそと帰り支度を始める。

 バッグのファスナーを閉じ、コートを着ると、そのまま扉に向かった。

 

「片付けとか手伝えなくてごめんね、ゆきのん。ヒッキーも、また明日ね!」

 

 バイバイ、と手を振って部室の扉を開けて行く由比ヶ浜に二人で手を振りかえす。扉が閉められたところで、かたり、とティーカップをソーサーに置く音がした。

 

「由比ヶ浜さんも帰ったことだし、今日はここまでにしておきましょうか」

「そうだな」

 

 雪ノ下に続き、俺も湯呑みに手を伸ばした。今日の会話で口をつけるタイミングを損ない続けたことで、ぬるいとも言えないほどに冷めている紅茶を一気に飲み干す。

 湯呑みを持ったまま立ち上がろうとすると、雪ノ下に止められた。

 

「手のついた雑菌で洗っては湯呑みが汚れてしまうわ」

「雑菌のついた手の間違いだよね? いや間違ってなくても心配されるほど雑菌ついてねえよ」

 

 たぶんね? さすがに正体不明の比企谷菌とかはついてないと思う……たぶん。

 ティーカップやマグカップと一緒に洗ってくれるらしいので、雪ノ下に湯呑みを任せる。

 

 雪ノ下が紅茶を淹れてくれて、こうして湯呑みを任せて後片付けをする光景にも慣れてきた。

 最初は自分で洗うつもりで立ち上がろうとしていたのだが、今では半分ポーズでやっている。ほとんどの場合雪ノ下が洗ってくれるのだが、任せきりというのも他人に甘えているようで、自分で洗う気があるということだけは一応示している。まあ実際やることないから任せきりではあるんですけどね! ちなみに由比ヶ浜は時々一緒に洗いに行っているが、二人がゆるゆりしているせいでその場合でも俺の出番はない。

 

 戸塚の言葉が思い出された。

 俺は由比ヶ浜のサブレの餌やりの時間を知っているし、雪ノ下に湯呑みを渡すことにも慣れた。

 たかだか一年ないくらいの付き合いとはいえ、時間を重ねていることは確かだ。

 

 あの問いの答え合わせは、ここでならできるのではないだろうか。と、不意に思いついた。

 紅茶が香る暖かなこの空間は、きっと、俺にとってはこれ以上ない確かな場所だからだ。

 

 雪ノ下が戻ってきたら、何を話そうか。

 答え合わせと言ってもここ最近俺に起きたことをつまびらかに語ったところで、下手したらただの自分語りになりかねない。そんなことは「本物が欲しい」と言ってしまったことに続く黒歴史になることが確定する。オラもう家で悶えるのは嫌だゾ……。

 

 うーんうーんと考えるもいまいち答えがでない。今日は考えても答えが出てこないことばかりだ。

 そうこうしているうちに部室の扉ががらりと開き、雪ノ下が帰ってきた。

 

「あら、こんなところに汚れが」

「ねえそれ俺のことじゃないよね、ティーカップの洗い残しのことだよね?」

 

 彼女は入ってくるなり不穏なことを言い放つ。ちゃんと風呂も入ってるし歯も磨いてるからはちまん汚れてないよ? 人間社会の醜い部分に汚されてしまった感はあるけど!

 

 雪ノ下は洗い終えた三人分のカップとセットを丁寧に片し、帰り支度を始めた。

 本をバッグに戻し、ファスナーを閉めたところで、彼女は椅子に座ったままの俺に怪訝な視線を向けてくる。とりあえず何か言わなければと、俺は先ほどまでの話題を口にした。

 

「葉山は、なんで誰にも教えないんだと思う?」

 

 その話は先ほどもしたじゃないか、と雪ノ下の怪訝な表情が険しさを増す。

 

「いや、人に教えられないってことは、もしかしたらこの学校には葉山の進路を聞けるほど親しい人間がいないんじゃないかと思ってな」

 

 補足をすると、ああ、と得心したように雪ノ下が顎に手をやる。

 

「なるほど、ただ単純に、葉山くんが誰にも進路を教えないのは、誰にもそれを教えたくないからというだけの理由なのかもしれないということね」

 

 俺はこくりと頷いた。有り体に言えばそういうことだ。

 俺も含めて、人は人を拒絶する。拒絶するラインは個々人によるだろうが、それ自体はここ最近の俺の身に起きた出来事からきっと間違ったことではない。

 三浦や戸部を含む葉山のグループは、きっと俺が忌み嫌ったようなうわべだけの関係というわけではない。三浦は葉山のことを真摯に知りたがっている。他人に歩み寄ろうとするその姿がただの偽物のようには俺には見えなかった。

 にも関わらず、葉山はかたくなに口を閉ざしている。

 

「もしかしたら、葉山が他人を拒絶するラインは、人よりも外側に引かれているのかもしれない」

 

 思いついたことを口にすると、一瞬考えた様子を見せて、雪ノ下が頭を振った。

 

「いえ、人よりも内側、と見るべきかもしれないわ。なぜなら三浦さんが葉山くんのことを深く知りたがっているからこそ人に進路を知られることを拒否している可能性を否定できないのだから」

 

 言われて気付く。確かにその通りだ。葉山は特定の誰かと恋人の関係になることを拒否しているし、きっと告白などもされないように注意して人付き合いをしているのだろう。

 三浦もその例外でないとするのであれば、告白をされないための人付き合いの一環であるという可能性もまた浮上する。

 

 そもそもが葉山隼人は他人の期待に応えようとする人物なのだ。

 連覇のかかったマラソン大会では全力を尽くそうとしているし、修学旅行では戸部と海老名さんの相反する期待に挟みこまれていた。

 俺だったら総毛立ってしまうような恐ろしい無理解の期待でもだ。無関係の人間からの期待を受け入れる人間の拒絶のラインはきっと外側に引かれてはいない。むしろ内側、自分を理解しようとする人間に対してこそ拒絶するとしてもおかしくはない。

 

「なるほどな、そうかもしれん。でも、だとしたら」

「ええ、結局本人から聞き出せる可能性は薄いわね」

 

 もしも拒絶に理由があるのであれば、理由を解きほぐして答えを聞くことが出来たかもしれない。

 しかし理由がないただの拒絶であれば難しい。あくまで仮説でしかないが、これが万が一本当ならば葉山隼人はこれ以上この学校の誰にも自分を理解されたくないと思っているのだろう。そして、その拒絶を解きほぐすにはきっと大変な時間が要る。

 

 一瞬の沈黙が訪れた。

 少し光明が見えた気がして、やっぱり振り出しに戻る、そんながっかりとした空気が流れた。

 

 

 

 しかし、やはり雪ノ下は俺よりも葉山隼人のことを知っているのだろう。

 拒絶のラインの話はもちろんだが、彼女たちの間に過去があることはすでにこの目で見てきた。

 

 最近では、雪ノ下が葉山のことを口にするときには、常に彼女たちの過去がちらつく。

 雪ノ下の過去。いまだ彼女が自ら語らぬそれについて、俺は踏み込んでも良いのだろうか。

 

「……雪ノ下は?」

 

 逡巡しているうち、自然と声になってしまっていた。

 気付いた時にはもう遅かった。彼女の過去に足先が入り込んでいる。

 

「私?」

 

 虚を突かれたように雪ノ下は聞き返す。この状況で彼女に話を聞くことが依頼達成につながるのかどうかと聞かれたら、きっと答えに詰まっただろう。

 

「……雪ノ下は、そういう、他人を拒絶するラインはどこにあるのかと思っただけだ」

 

 言葉はどんどん小さくしぼんでいく。

 つい口にしてしまったが、質問が直截にすぎた。

 

 以前平塚先生に言われたことでもあるし、何度か自分で思ったことでもあるのだ。俺にいつか、雪ノ下に踏み込むべき時がくるかもしれない。

 今がその時だとは思わない。だが、もしも聞けるならとふと思ってしまったことが口に出た。言ってから後悔する。これでは小町の時と同じだ。口にすることを迷う質問を、より直截な形でしてしまう。あの時は相手が小町だったから良かったものの、今の相手は雪ノ下だ。

 

 雪ノ下は答えにくそうに眉間にしわを寄せる。

 彼女の目に俺はどう映っているだろうか。彼女からの見え方を気にする、醜い、何かの化け物に見えてはいないだろうか。

 

「そうね、きっと私にも、そういう拒絶はあると思うのだけれど」

 

 考えたことがないからすぐには出てこないのだろう。雪ノ下は一人しか部員がいないころから奉仕部として他人の悩みを聞こうとしていた。であるならば彼女自身の拒絶のラインは、俺よりは内側にあるのかもしれない。

 

「でも、少なくとも最近は、拒絶はしていないわね」

 

 ふっと息を吐くように雪ノ下は微笑んだ。

 最近は、という言葉がある一つの意味を持っているように感じた。

 奉仕部を取り囲んだあの空気。由比ヶ浜が必死でつなぎとめていた、俺たちの取り繕った空気。

 紅茶の香りもせず、どこかうすら寒かったあの部室。つい最近、それが暖かく変化した。

 

 人は人を拒絶する。しかしそれはその関係によるものだ。

 積み上げた時間が溝となれば拒絶が発生するし、あるいは何も積み上げてなければこれもまたそのラインに触れかねない。

 だが、もしも積み上げた時間が峰となるならば、そこに拒絶は発生しないのだろう。

 

 あ、と声が出た。

「大丈夫だよ」という戸塚の一言を思い出す。

 雪ノ下は、もしかして。

 

 俺は座ったまま呆けていたが、一方の雪ノ下は、「なにかしら」と言わんばかりに微笑みを絶やさない。

 

「……いや、なんでもねえよ」

「そう、なんでもないのね」

 

 これは小町の時と同じ、そういうことなのかもしれない。

 

「帰りましょう」

 

 雪ノ下はマフラーを巻いてコートを羽織った。

 同じように、俺もマフラーを巻いて、コートを羽織った。

 

 今がその時だとは思わない。だけど……。

 

 

 奉仕部の扉をがらりと開けながら、ところで、と雪ノ下は切り出した。

 開いた戸の向こうからは冷気が滑り込んでくる。部室の暖気との温度差に身震いした。

 

「なんだよ」

 

 いつも通りにこう答える。あれ、さっき奉仕部に向かうときにもこんなやり取りがありましたね……。

 

「由比ヶ浜さんとはもう何もないのかしら?」

 

 寒気に固められたかのように体が硬直する。

 一方で雪ノ下は微笑みを絶やさないままだ。

 

「何も、って、どういう何も、だよ」

「あら、私は何があるかなんて知らないわよ」

 

 雪ノ下はくすりと笑う。余裕を見せる表情は陽乃さんを思い起こさせるようだ。

 

 なんだこいつ、鎌をかけたのか。

 いや、それにしても鎌をかけようと思うほどには俺と由比ヶ浜の関係が不自然に見えていたということの方が重要なんだよなあ。別に何もないんだけども。一色にも勘違いされてたけど、あのたった一回がそんなにわかりやすかったのだろうか。

 

「さっき拒絶の話が出たけれど、そんなに気にする必要はないと思うわ」

 

 雪ノ下は部室から一歩踏み出しながら言う。背を向ける形となったため、もう顔は見えない。

 揺れた黒髪の向こうで小さく、だって、という言葉が聞こえてきたが、そこから先は聞こえなかった。あるいは何も言っていないのかもしれない。

 彼女にならって足を踏み出す。戸を閉めた音が、紅茶の香りと暖気に包まれた部室に名残を惜しんだ、「また明日」に聞こえた。

 




次回、最終話です。

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