「あと、これは今日のお礼だよ」
と言って戸塚は、先ほどの本屋の紙袋から、文庫本を一冊取り出した。俺がおすすめした作家の新刊だった。
突然のことにハンドルを握る手が伸びなかった。
「え、お礼って」
「今日、いきなり呼び出して付き合わせちゃったし」
そう言って戸塚は本を差し出した。ハンドルに張り付いたように手が伸びない。
「本を選んだだけで、そんなこと」
俺はそれしかしていない。文庫本だってそんなに高くはないとはいえ、その程度でもらっても良いのだろうか。そもそも俺は、人に手助けをした程度で人からお礼をもらえるような人間だったのだろうか。少し卑屈すぎる気もしたが、これまでの経験上、そう思わずにはいられなかった。
戸塚はそんな俺の反応を予想していたかのようにくすりと笑う。
「いいんだよ、僕がお礼したいだけなんだから。受け取ってよ。僕は受け取ってもらえるとうれしいんだけどな」
ぐい、ともう一歩踏み出して本を差し出してくる。受け取ってもらえるとうれしいんだけどな、の一言は卑怯だと思います。でもその一言、例えば陽乃さんから言われたら背筋凍るな。これが大天使と大魔王の違いか……。
俺は本を受け取って言った。
「……わかった、もらう。ありがとうな、戸塚」
「うん。どういたしまして」
「でも、この本、俺がもう買ってたらどうするつもりだったんだ?」
鞄は家に置いてきてしまったので、ページを折らないように慎重に上着のポケットにしまい込む。
この新刊は、確かに俺はまだ読んでない。いただけるならありがたいことこの上ないが、もしも俺がすでに買っていた場合気まずさしかない。戸塚と気まずくなるくらいなら俺は死を選ぶ。踏絵をさせられるキリスト教徒の気持ちがわかった気がした。ちょうど戸塚も天使だからキリスト教と無関係ではないし。
「さっきの八幡の言い方でわかったよ。たぶん、新刊が出てることもあの本屋で知ったでしょ?」
確かにその通りだった。「お、こっちはその作者の新刊だな」という言葉は戸塚に新刊が出ていることを伝えたかったというよりも、俺がそれを認識したことを口に出しただけの、いわゆる独り言のようなものだった。だから戸塚の言うことは正解に違いないのだが、俺は彼がその一言だけで推測を当てたことに驚いていた。見た目は戸塚。頭脳は戸塚。それもう戸塚だな。名探偵天使。
「そうだけど、よくあんな言い方でわかったな。あれだけじゃ俺が買ってないとは限らないのに」
「そこはほら、八幡のことならいままで見てきたからね!」
えへへと笑いながら戸塚が言った。かわいすぎて抱きしめたい。歌詞パクリも辞さない。二人だけの夢を胸に歩いて行こう。
「八幡は」と戸塚は続けた。
「たぶん、自分で思っているよりも、みんなとは繋がっているから」
「繋がっている?」
言われたことの意味がわからず聞き返すと、戸塚はおどけて、そらんじるように言った。
「“ずいぶん忘れられてしまってることだ”」
聞き覚えのある一節、さきほど本屋で開いた文庫本の中のキツネの台詞だった。
最後に読んだのはいつだったか、もう曖昧になっている。
「“それはね、『絆を結ぶ』ということだよ……”」
記憶とは違うその言葉は、きっと戸塚が自分で買った方の『星の王子さま』の言葉だろう。
同じシーンでも、「なつく」と「飼いならす」のように、訳が違うだけでこんなにも印象が違う。確か「飼いならす」と訳した翻訳者は、日本語では元の言葉に完全に対応するものがないと言及していたんだったか。
表紙どころか本体まで擦り切れるほどに読んだ本でも、訳が違ったり、あるいは読む年齢が違ったりすれば、読み取れる意味合いは変わってくるだろうか。もしくはそれは本人の変化かもしれない。人間はそもそも見たいものしか見ないものだ。であるならば、それは本人が変わって、見たいと思うものが変わっただけなのかもしれない。
変わることは必ずしも良いこととは思わない。他ならぬ過去の自分を否定し、未だ知らぬ未来の自分を肯定する「成長」という言葉は、文化祭の時に相模が口にしていた。
でも、と戸塚を見ながら思った。
確か家の近くに、小さな本屋があったっけな。
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