三話目は、今日明日に
談話室。赤い絨毯が敷き詰められ、壁を背にして本棚が敷き詰められている。中央にはガラス製の机と、それを挟む形で、三人は座れそうなソファが二台、対面する形でおかれていた。
そんなソファに、館の主である少女と、青葉親子が対面し座っていた。ただ、少女のほうは寝そべっているが。
後ろへと控える銀髪の女性が、落ち着かずチラチラと少女を見ている。「やめてほしくはあるが、ハッキリとは言えない」そんな心境がありありと感じさせる様子だった。
主、と呼ばれたのだから、瑞希はどこかで成人した人物を思い描いていたが、父が礼を言いたいと言い出してから通されたこの部屋に居た、この館の主は小さな女の子であった。
年齢は小学校高学年と言ったところだろうか。まず間違いなく日本でも高校生だとは思えない体躯である。
ただ――
「ほう、真に黒き髪をしておられる」
面白いものを見つけた子供のような無邪気な笑顔とは裏腹に、声は老婆のようだった。芯は少女の声ではあるが、ザラつきがあった。
父は戸惑った様子だが、すぐに自己紹介をはじめた。
「私の名前は、青葉和人です。こちらは息子の瑞希です」
父は恩人に年齢は関係なく、恩にはできるだけ礼節をもって答えようとする人である。
促されて、瑞希は頭を下げた。それから父は今までのことを話し始め、困っていたところを助けてくれたことに礼を言った。
少女は笑みを浮かべた。子供らしくない意地の悪そうな笑顔だ。
「アルティナ・メシス・アルガナックだ。あえて光栄だ黒の民よ。そして礼を尽くした言葉に礼を返そう。不思議だな、貴殿らの子――いや、貴殿らの同種族の子々孫々は我らを愚者と嘲笑い、痛めつけようとも心痛むことはなく、それどころか殴りつけた手が痛くなったではないかと罪に問う始末だ。だというのに彼らが崇める神たるぬしらは、化け物にして侮蔑すべき亜人にして吸血鬼の一族の姫君たる私に、これほどに優しく言葉を交わしてくださる」
「は、はぁ」父の困惑した声が室内に響いた。
瑞希はよくわからんイベントに生真面目に耳を傾けなくともいいだろうと思いつつ、大真面目に、目の前の少女の名前は本名なのか偽名なのか考えていた。見た目はどうみても外国人だ。
昔のローマでは、名前が三つにわかれていた――はずだ。よくアホみたいに長い名前をもつ人物が世界史にはでる。戦国武将だって長かったらしい。
「私は個人的に貴殿ら黒の民にはなにを言うこともない、この世界に現れ、人類に魔力をもたらした。白の民であったこの大陸の人間は、亜人の支配に抗うことに決めた。それは人が人になったということだと私は思う。面白いものを作り出してくれてありがたく思っているよ。面白く思っていない種族は多くに存在し、君らが目の前に現れれば、際限ない苦痛を合わせて殺してやろうと殺意に満ち溢れているがね」
父は怒涛に繰り広げられる言葉に、涙目になった。
瑞希は適当に聞き流すか程度で聞いていたが、ハッと気づいた。これは町おこしのイベントのチュートリアル的なものなのではないか、と。
世界観を説明してくれるのだ。普段ゲームをやらない父は、ゲーム設定のような説明に困惑している様子だが、瑞希は慣れていた。
つまり俺たちは――神なのだ!という聞かれれば黄色い救急車を呼ばれそうな解釈をしていた。
「――まぁくだらない忠告はこれまでにして、食事はどうするかね、風呂は。一応いつでも入れるようにしているが」
「え、本当ですか?」瑞希は思わず食いついた。
「うむ、まぁ蛮族たる私の食事には、なにが入っているのかわからないと思われるかもしれないが?もしかしたら人が入っているかもしれないからな?」
嘲笑うかのような口調だ。
「あ、いただけるならいただきます。ありがとうございます」
ただ返ってきたのは、瑞希の嬉しそうな笑顔での返答である。思わず少女はきょとんとした。
「む……そ、そうか。忌避感はないのかね」
「え?忌避感?」
「こら瑞希」父が瑞希の肩を叩いた。
それを見て少女が「お?」と期待する表情を見せる。
「一度面倒ではないか訊くべきだろう?彼女の言う通り、たしかにおなかは空ているが、ちゃんと相手のことを考えないと。がめついのに忌避感を持てと」
「いや、違うのだ」遮る形で少女は言った。
笑みが消えた。頭が痛そうに目頭を押さえ始めた。
「……うむ、違うのだ。吸血鬼の一族の館の食事とか風呂とか、使うのは嫌ではないかと訊いているんだ」
「え?」瑞希は不思議そうに首を傾げた。
西洋文明を楽しもうというイベントであろうか。嫌がったほうがイベント進行に役立つのだろうか、ただ瑞希はパンフレットもなにも持っていないために、ハッキリとは言えなかった。
ただハッキリと言えるのは、風呂入りたい、飯食いたいということだけである。
嫌だ嫌だと言って「はい、それでは風呂も食事もありません」と言われるほうが嫌であった。ならば、全力で得ようとするまでである。絶対に嫌がらない。
少女は瑞希の顔を見て、「いや……まぁ、いいんだ」と言葉を濁した。小さな声なので二人には聞こえなかった。
「あの、迷惑では?一泊だけでも十分迷惑をかけているのではないでしょうか、これ以上なんて……」
父は申し訳なさそうに言った。瑞希は、何でそういうことを言っちゃうかなと心の中で頭をかかえていた。
「いや――面倒なのは後ろのアイリスだけだ。私は敷地を貸すだけで、面倒も迷惑もない」
そう言って少女は背後を指さした。控えていた女性が、恐縮そうに一礼した。
アイリスって名前なんだ、と瑞希は記憶した。
「あー面倒ではないでしょうか?」
「面倒などと、とても思いません。光栄なことでございます」
「そ、そうですか」
断固とした口調に、父は口を噤んだ。光栄だと言われて、不思議そうではあるが、なにも言わずに引き下がった。
「……まぁ、いいだろう。アイリス、案内してやってくれ」
「はい」
「食事についてはアイリスにいってくれ」
そこで話は終了した。青葉父子は談話室から外へとでて、アイリスに案内されていった。静まり返った室内で、アルティナは再びぽすんと横になった。
「奇妙な男たちだ」気だるげな声で少女は言った。
「しかし――おもしろいことになりそうだ」
少女は人差し指を立てて、くるりと回した。するとどうだろうか、ひとりでに本が舞い、待ち構えて開いていた、少女の手のひらへと収まった。
瑞希はメイドのアイリスに案内され、廊下を歩く。石造りの建物のため、非常に足音がよく響いている。
壁に掛けられた照明の炎が、廊下を淡く照らしている。
父の姿はそこには無かった、風呂用品と服を車へと取りに行ったためである。美女と二人になると、少しドキドキした。
「ひとつ――お聞きしてもよろしいでしょうか」
不意にかけられた言葉に、驚きつつも「はい、なんですか?」と平静な声色で返せた。
瑞希は心からほっと安堵する。
「黒の民とは、あなた方のような人なのでしょうか」
「……へ?」
「銀色の私を蔑むことはないのでしょうか?」
「はぁ、銀髪が綺麗だって言われると思いますよ」
「皮肉でもなんでもなく?」
「えぇまぁ」
暫し足音だけが周囲を響かせた。
アイリスの背後で、瑞希は地雷を踏んだのかと視線を泳がせ、動きが挙動不審である。どうしたものか、どうすればいいのか、困り果てていた。
「そう、ですか」
返された言葉はそれだけである。アイリスの表情は、瑞希からは見えることはない。
声色からは感情が読み取ることはできず、不安だけが増幅していく。
部屋へと通されたとき、瑞希はちらりと彼女の表情を見た。顔は真顔で、なんの感情も見せてはいなかった。逆に怖くなってきた。
「――食事が出来次第、この部屋に持ってきます」
「えっと、はい。お願いします」
嫌われてしまったのだろうか、と瑞希は落胆していた。
が、そうではなかったようだ。
「――あの、アイリス・ベルです」
「え?あ、あぁ俺の名前は」
「ミズキ様でよろしいでしょうか」
「いやミズキでいいですけど」
「い、いえそんな、そんなことはできません」
アイリスは胸の前でぶんぶんと両手を振った。
「いや、かしこまる必要はないですし……様付けってなんていうか、慣れてませんし。年上ですし……」
青葉一家は、様付けや高級そうな場所とはとんと縁がない。
さっきから異世界にいる気分なんだよなぁ、と瑞希は思った。気分ではなく現実に異世界である。
「えっとアイリスさん、できれば様はやめてほしいんですが……」
「あ、あ……そんな私にさん付けなんて」
「いや、そこは年上ですし」
「そ、そうですか……。えっと、ミズキさん?」
アイリスは少し恥ずかしそうに頬を染めながら言った。
「はい、それではこちらもアイリスさんでよろしいでしょうか」
やったぜ、と達成感を得ながら、瑞希はそう返した。アイリスは桜の小さなつぼみが花開くかのような、淡く、美しく、愛らしい笑顔で小さくうなずいた。
彼女は一礼をして、部屋の外へと出ていった。
瑞希は静かにガッツポーズを取った。そして、彼は転校を心の中で盛大に祝った。
呪い殺してやろうかと思った高校を、よくやった!よく編入試験を行った!と称えてやりたかった。すさまじい手のひらの返しようである。
それから食事とちょっと扱いづらかった風呂をすませ、明日への希望を胸に秘め、ベッドに入った。
携帯のアラームを設定した。
時間は十時とかなり早い時刻ではあるが、やることもなく、テレビもないようなので、寝るしかなかったのだ。
そのためか、起きる時刻はかなり早かった。
朝の六時前である。寝ぼけ眼ではなく、かなりスッキリとした目覚めだった。
ベッドから這うように外に出ると、靴を履き、室内から外に出た。
朝の空気は、夏でも涼しかった。冷涼な空気が、歩く彼を身震いするほどに冷やしていく。
かなり早い時刻だし、外でも散歩しようかな、と彼は思った。恐らくは全員が寝ていることだろうと予想していたが、大きく外れた。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
廊下を抜け、玄関ホールへと到着すると、アイリスが立っていた。笑顔で出迎えてくれ、驚きつつも挨拶を返した。
「朝食になさいますか?」
「え、出来ているんですか……?」
時刻は六時にもなっていない早朝のはずだ。
「はい、ミズキ様のお父様がすでに起きられて朝食をとっておられます」
「父さんが?」
どうやら父も早く起きてしまったようだ。変なところで似る父子だなぁと思いつつも、アイリスについていくと、食堂らしき場所に到着した。
ドラマでみるような、白いテーブルクロスのかけられた、長い机が置かれている。
「食堂、あったんですね」
「えぇ、一応ではありますが。使われることはほぼありません」
「へぇそうなん――父さん、なにをやってるの?」
足を踏み入れると、目の前に父が現れた。お皿を手に周囲を見回している。
「い、いや、お皿どうしようかなぁと」父は困った様子で言った。
「おかわりでしょうか?」アイリスが問う。
「いや、どこに片付ければいいかなぁと」
「それでしたらこちらで下ろさせていただきますが――」
「よ、よろしくお願いします」
申し訳なさそうに、父は皿を差し出した。それを笑顔でアイリスは受け取った。
昨日よりも緊張がほぐれているようだ、と瑞希は少しうれしかった。
そういえば、と父は尋ねた。
「すいません。聞きたいんですけど、ガソリンスタンドってどこですか?」
「……がそりん、すたんど?」
疑問符付きの返答に、沈黙が訪れた。
「あ、いや、大丈夫です」と父は返した。アイリスの困惑顔と口調からは、本気度がうかがえた。
「……ガソリンがヤバいんだが」瑞希へと近づき、小さな声で父は言った。
「歩きでいけないの?」
瑞希の言葉に、父は少し考えるそぶりをみせた。
「あーいける、そこまでこの町大きくないし……けど、家探しが満足にできそうにない。車があれば見つかるってわけではないけど」
「今日は学校いって、編入試験について聞いてくるだけだから、午前もそこそこ、午後はまるまるあるし、俺が探すよ」
「すまん、お願いできるか?」
瑞希が頷くと、父はポケットから車のキーを取り出し、瑞希へと渡した。
「とりあえず必要なものがあれば、車からだしてくれ。それじゃ俺は着替えたら早々に外に出るから」
「え、この場所ってどこかわかるの?」
「昨日の門番にきくよ」
そういって父は歩き出した。部屋の外へと出ていったのを見送ると、ちょうどアイリスが片づけを終えて戻ってきた。周囲を見回し、申し訳なさそうに瑞希へと問う。
「その、がそりんすたんどは大丈夫でしょうか」
「あー大丈夫です」
ここで大丈夫じゃないと言えば、困らせるので、適当に返事をする。
閑静な住宅街を思い出し、人がいそうなのだから、ガソリンスタンドがないということはないだろう、と思った。
「では朝食をお持ちいたしますので、少々お待ちください」とアイリスは言い残して去っていった。
瑞希は椅子へと適当に座り、周囲を見回す。調味料置きが机の絵に置いている。見慣れたもので、自分の家のものだとすぐに気が付いた。
父が残していったのだろうか――と、醤油・塩・酢・マヨネーズ・ケチャップ・ソースと適当に置かれたそれを眺めていると、扉が開く音が聞こえた。
音の主は、昨日の少女であった。
「おはようございます」
「あぁ、ミズキ……だったな。おはよう」
眠そうな瞳で、よたよたと入ってくる少女。
大丈夫ですかと瑞希が問えば、帰ってくる言葉はしっかりとしたものではなく、寝ぼけたようなものであった。
「手を貸しますか?」
「いや、問題はない」といって、少女はぽすんと瑞希の前方の席に収まった。
「そういえば――吸血鬼にとってはおはようはおはようとして使っていいのだろうか」
「え?」
「おはようとは早い時間という意味だろう?しかし、私はもうまもなく眠る時間だ。そうなると、おそようが正解ではないかね?」
「……まぁ、たしかに」
「夜の挨拶は、夜だから使えるが、朝の挨拶は言葉の色合いが少し違うだろう?」
「一日がはじまったばかりだから……」
「それならば深夜にもうおはようとは言えることになるだろう?しかし、普通は使わない。となると、朝起きたときからだろうか、朝がはじまる時刻から考えてだろうか。そうなると何時だろうか、起きてからだとすると、吸血鬼たる私には当てはまらないのではないか、考えられることは複数あるな?」
たしかにそうである――何気なく使ってきたおはようという言葉、これはどういう定義がなされているのだろうか――。
大真面目に瑞希が考えていると、吹き出す音に我に返った。瑞希がそちらへと視線を向けると、楽しそうにニヤニヤする少女がいた。
からかわれたのだ、と理解するには時間は必要なかった。
「ミズキ、君はすごくお人よしだということがよくわかった」
「……そうですか」
拗ねた口調の瑞希に、少女はクククと笑った。
「それで、この調味料はなにかね。塩と酢とマヨネーズはわかるのだが、この黒い液体と赤いものはなにかね。容器も奇妙なものだ」
「なにって、醤油とケチャップですよ」
「ふむ、材料はなにかね?」
「醤油が大豆で、ケチャップはトマトです」
といったところで、再び扉が開いた。今度はアイリスが、サービスワゴンを引いて室内へと入ってきた。
アイリスはアルティナの姿に驚きつつ、不思議そうに訊いた。
「主様。お食事はもうとられたハズでは?」
「眠いが眠れなかったので散歩をしていた。なあミズキよ。この調味料はなににかければ美味い?」
「目玉焼きとスクランブルエッグです」
「卵だな」
「卵です。特に目玉焼きは無限の可能性があります」
「そうなのか?」
「そうなのです」
アイリスは朝食を瑞希の前へと並べた。パンとスクランブルエッグ、カリカリに焼かれたベーコン、サラダに野菜スープ。
「目玉焼きには塩こしょう派と醤油派、ソース派、ケチャップ派、マヨネーズ派と、派閥が多いです」
「奇妙なやつらだな」
「派閥が違えば罵り合います。『えーなにそれ頭おかしいんじゃね?』と言われたことは記憶に新しいです」
「頭おかしいのはそいつの派閥じゃなくて、派閥を形成する全体だと思うのだが」
先ほどのアルティナのからかいにより、緊張がほぐれたのか、瑞希は冗談を言えるほどに気安い会話をしながら、食事を始めた。
アルティナはものは試しだ、とアイリスへと目玉焼きを注文し、三つ分を持ってこさせていた。
瑞希の食事が終わり、手を合わせると、アルティナは「ふむ、醤油は癖になる味わいだった」と感想を述べた。製造者に変わって、瑞希はお礼を述べておいた。
「それでミズキ、今日はどうするのかね?」
「午前中に学校へ行き、あとは家探しです」
「学校、か。丘の上にそういえばあったな」
「え、ここからどうやっていけばいいんですか?」
問えば詳しく答えてくれた。手書きの地図すら書いてくれ、やはり良い人たちなんだなぁと心から思った。
「では……私は寝るぞ」
ふああと大あくびをして、アルティナはその場を去っていった。瑞希が礼をいうと、彼女は手をひらひらとさせ、振り向かずに扉の向こうに消えていった。
皿を回収しに来たアイリスへと、ごちそうさまと言い残し、屋敷の外へと出た。昨夜止めた車の扉をあけて、エナメルのバックと、着替えるための服を手に取った。
屋敷へと戻り、洗面所で髪を整えると、外へと出る。時刻はいまだ七時。学校があるときでも、これほどの時間に外にでることはないが、やることはない。
携帯はいまだ圏外だ。
エナメルのバッグを肩にかけ、外に飛び出した。
門番の男に挨拶すると、非常に恐縮され、若干引きながらも門から外に出た。
――最初に迷ったときにはどうかと思うが、万事うまくいくだろう、と瑞希は思っていた。
家も見つかるだろうし、ガソリンスタンドもすぐに見つかる、昨日よりは良い日になるだろうな、と。
その予想が半日もせずに崩れ去るとは、ひとかけらも思ってはいなかった。