「ねえ、メリー」
「何かしら?」
私の真横を夜の景色が流れていく。等間隔に弛む架線を目で追うのも飽きたところで、私はボックス席の向かい側でつまらなそうに小説を読むメリーに笑いかける。
「星が綺麗ね」
「口説き文句かしら?」
打てば響く。そんな反応に私は思わず吹き出してしまう。
メリーを秘封倶楽部に勧誘して本当によかった。自分の慧眼と勘に酔いしれてしまいそうだ。まあ、誘ったのは一人だけなのだけれど。
「ふふ……」
私は一人優越感に浸りながら、窓枠に肘を突く。薄ら闇に浮かぶ山々、その間から夏の夜空が見え隠れしていた。列車はスピードを落とすことなく山間部を走り続けている。
今や重要文化財にまで登録されたレトロな列車だが、乗り心地は案外悪くない。むしろこの揺れが、旅をしているという感覚をひしひしと伝えてくれていた。
闇の中に薄っすらと浮かび上がる光景と列車の振動を堪能していると、読書に飽きたのか唐突にメリーが本を閉じる。そして私をジト目で睨みつけてきた。
「何よニヤニヤしちゃって……この際だからはっきり言っておくけれど、こんな時間になったのは蓮子の遅刻が原因じゃない! 貴女の立てた予定では、今頃ホテルのベッドでウトウトしている筈でしょ? もうチェックインの時間に間に合うかすらわからないじゃない!」
どうやら溜まっていた鬱憤に火がついてしまったみたいだ。それからというもの遅刻の事から普段の習慣、食事の好き嫌い、その他諸々細かい事象を、目くじらを立てて怒り始めた。読んでいた小説が相当つまらなかったのかしら?
私は適当に相槌を打って聞いているフリをしながら、星と月を見つめる。時刻は22時42分。終点の駅に辿り着くまで、もう幾許もなかった。
「やっと着いたわ七代市! 魅惑のオカルト都市!」
私はビルの並び立つ街並みに向けて拳を突き出す。
冷静になれば人目を気にしない恥ずかしい行為だけれど、今の私はそんな些細なことに囚われるようなつまらない気分ではなかった。それに真夜中の駅は人がまばらで、光源に寄ってくる虫の方がまだ賑やかだ。気にする人の目がなければ自重する必要もない。
列車の長旅で疲れた身体を伸ばしていると、隣でメリーがため息を吐いた。どうやら怒り疲れたみたいね。短気は損気だ。メリーはしばらく気怠そうにスーツケースへ腰掛けていたが……少し待つと緩慢な動きで立ち上がる。
「……疲れたわ。早くホテルに行きましょう」
「あ、メリー! そっちじゃないわ!」
私はヨロヨロとゾンビのように歩き出すメリーを呼び止める。すると、メリーが街灯の薄明かりでも分かるほどむくれた顔で振り向いた。
「蓮子。いくらなんでも駅前のホテルまでの道のりは間違えないわよ」
「そうじゃなくて……まだチェックインまで時間があるから、ちょっと寄り道しない?」
そう提案すると、メリーは露骨に嫌な顔を浮かべる。そしていそいそとポケットから金メッキの懐中時計を取り出し、私に向かって突きつけてきた。
時計を見なくても星の位置でわかる。時間は23時03分。私達が予約したホテルのチェックインは日付が変わるまで。つまり……
「あと一時間も余裕があるじゃない」
「こういうときはあと一時間切ってるって言うの! どうして星を見るだけで時刻が分かるのに、そんなに時間にルーズなのかしら!?」
「時間がよくわかるからこそ、時間に振り回されないのよ。大丈夫、すぐ近くだから!」
私は強引にメリーの手を取って引っ張る。すると渋々といった様子で付いて来てくれる。何だかんだで付き合いがいいところも、私がメリーを気に入っている要因の一つだ。
夜はまだまだ長い。せっかく気分が乗っているのだ。目が覚めているうちは余すことなく楽しまないとね。
この七代市は片田舎の町としては異常な発展している。街の中には無人バスの路線が張り巡らされており、街中はどこも綺麗。町の中心には高層ビル街があり、港には豪華客船が止まることもある、とのこと。ま、噂で聞いただけで本当かどうかはわからないけれど。
そのせいで街全体で脱税している、とか近海でレアメタルやらメタンハイドレートが取れる、とかマフィアの街だとかいろんな噂を耳にする。けれど一番面白そうだったのは『妖怪が発展に関わっている』というものだ。
詳しくは割愛するけれど、はっきり言って時代錯誤で突拍子、馬鹿げた噂だ。けれど、だからこそ確かめてみたかった。せっかくの夏季休暇を丸々使ったんだ。何か面白いものが見つかればいいのだけれど……
「一体どこに行くの?」
踏切を渡り終えた所で、メリーが私の背中越しに問いかけてくる。私はアスファルトの上でくるりと一回転してから、メリーに微笑んだ。
「着いてからのお楽しみ」
「……本当に楽しめるのかしら?」
メリーは茶化されたのが不服だったのか、呆れたように肩を落とす。
駅の裏手は随分と閑散としていた。表側は背の高いビルがこれでもかと並び建っているのに、こちら側は住宅街が点在する程度で少し歩くと鬱蒼とした山にぶち当たってしまう。これだから噂話は当てにならない。
が、それにしても奇妙な土地だ。真っ先に開発されていそうなのに、北側は全く手付かずになっている。随分ノスタルジーを感じる景色が残ったままだ。
気になる、けれどまあ、時間はある。それもおいおい調査していくことにしましょう。
虫の声を聞きながら木々に沿うよう歩いていくと、お目当てのものはすぐ見つかる。暗がりに浮かび上がる石の鳥居と階段を見て、メリーは訝しげに眉をひそめた。
「……肝試しかしら? 時期は合ってるけれど、今やらないといけない?」
「メリーの肝が据わってることくらい知ってるわよ。それより怪しいと思わない? この神社」
私は短いが急な階段を登りながら、メリーに問いかける。けれどスーツケースを持ち上げて登るのに必死の様で、聞いてそうになかった。
せっかく色々調べたのに……とは言っても、どんなに調べても名前すら分からなかったんだけれど。祀っている神様も管理者もわからない。いつ朽ちるかわからない神社。そこが妖怪の世界への入り口だなんて、ありそうな話だ。是非メリーに見てもらわなくちゃ!
「よっ、と!」
私は早る気持ちを抑えきれず、スキップするように階段を駆け上がる。こんなこともあろうかと、荷物はスポーツバックに詰められる程度しか持ってきていない。旅は身軽なのが一番だ。必要なものは必要になったら探せばいいのよ。
「とう、ちゃくっ!」
私は仁王立ちで鳥居の前に立って、辺りの様子を伺う。境内には小さくぼろっちい本殿とそれに寄り添うように植えられた立派な桜があった。脇には絵馬掛けが置かれいるが、新しいものは見当たらない。参拝客はほとんどいないらしい。
ごく普通のさびれた神社だ。つまらない。そんな身も蓋もない感想を抱いていると、メリーがようやく階段を登りきった。
「はぁ、はぁ……もしかしたら『入口』かもってこと? 蓮子は外れもいっぱい引くからねぇ。期待はしていないわ」
「可能性を逐一検討していくことで科学は進歩していくものよ。失敗するのは当然。そこから何を得られたかが大事なの」
「科学とは真逆のことをしてるんだけどねぇ、私達」
メリーは苦笑しながら、ジッと神社を見据える。その瞳は闇の中でも僅かな星と月の光を吸い込んで輝いていた。メリー曰く世界の結界、境目が見える特別な瞳だ。
……そういえば、一度メリーに片目を交換しない?って冗談で聞いてみたことがあった。その時は、私のように星と月を見るだけで時間と場所がわかるようになるなら考えなくもない、って返されたんだけど……
「今思えば馬鹿馬鹿しい話ね」
「ん、何か言った?」
「独り言よ。気にしないで」
私はつい口を突いた言葉を誤魔化しながら、境内から夜空を見上げる。列車の内よりも何倍も多い星が私の目に映る。
現代の医療技術なら拒絶反応もなく片目を交換することぐらい訳ない。けれど私の目に地図と時間が表示されるわけじゃない。逆もしかり、きっと私がメリーの眼を得てもきっと境目は見えないだろう。
私は私だ。そして……メリーはメリーだからこそ結界を見ることができるのだろう。ま、もし出来たとしても絶対しないけどね。
だって……私に『何もないこと』こそ意味があるのだから。
「どうメリー? 見えた?」
「……ええ、久しぶりの当たりよ」
そう言うとメリーは鳥居をくぐり、本殿の方じゃなく桜の木の下へ向かっていく。その背を追いかけると、メリーは緑の桜の前でおもむろに振り返る。
「蓮子、この桜はどう見える?」
「どう、って……ただの葉桜よ」
「やっぱり? 私には満開に咲き誇っているように見えるわよ。地面も花びらでカーペットみたいになってる。今すぐ花見が出来そうよ」
そう言ってメリーは両手を広げクルリと一回転してから、再び桜と向き合う。そのやけに遠く見える背中から目を離せなくなる。
何もわからない人間からしたら、ただの妄言だ。一度サナトリウムに連行されて隔絶治療させられたけれど、それも仕方がない。
人は自分が知覚できないもの、理解できないものを恐れる。自分の世界に、環境に異物が入ることを嫌う。さながらアレルギー反応のように。本来無害なはずの成分も身体が否定すれば毒物になる。
特に異邦人であり異質でもある彼女のような、目に見えた劇薬は触ることすら躊躇われてしまう。誰もその正体を確かめることをせず、頭ごなしにメリーを信じようとしなかった。
けれど……いや、だからこそ私はメリーを信じたかった。
彼女一人の世界でしかない夢の出来事を現実にするためには、客観的な視点が必要になる。共有し、観測する誰かがいなければならない。
きっと私が彼女の手を掴んでいないといけないんだ。そうしないといつか彼女は自分の夢の中へ、結界の向こうへ行ったまま戻ってこなくなる気がするから。
気付いたときには、私は隣に立つメリーの手を取っていた。突然手を取られて驚いたのか、透き通るような目と目が合う。
「……蓮子?」
「私にも見せてよ」
私はメリーの右手を自分の両目に当てる。こうすることによって、私はメリーの見る景色を共有することが出来るのだ。
完全な闇の中、手探りでメリーの左手を捕まえ、無理握る。すると、メリーはクスクスと笑い声を上げた。なんだか馬鹿にされたような、子供扱いされたような笑い方だ。カチンときた私は文句の一つでも言ってやろうとする。が、その前にメリーが耳元で囁いてきた。
「そんな急かさなくても、桜は散らないわ」
その瞬間、視界に幽玄に咲き誇った季節外れの桜が広がった。
地面には桜色の絨毯、はらはらと絶え間なく花びらが降り注いでいる。夜で月と星しかまともな明かりはないというのに、その桜は妖しい光を帯びているようで、暗闇でもくっきりと浮かび上がっていた。
張り付くような湿気とじんわりと身体を蝕んでいく熱気が、確かに季節を教えてくれている。真夏に咲き狂う夜桜、確かにそれはあった。
「……何なのかしらね、この桜?」
「さあ、もしかしたら霊樹ってやつかもね。根元に死体が埋まってるかも」
メリーの問いに適当に答えると、ふーんと興味なさそうな音が返ってくる。そもそも事前に調べた時も御神木があるなんて、どこにも書いていなかった。ま、これから調べるのに的が絞れた、と思っておこうかしら。
私が妖艶な景色を眺めていると、おもむろにメリーが桜の幹に触れる。そこに視線をやると幹の一部に穿ったような穴が空いており、そこから緑色の光が零れていた。
「これは……」
「まさか、それが『入口』? 流石にこの間には入れないんじゃない?」
「そうだけれど、これくらいしか、それらしいものは……」
ブツブツと呟きながら、メリーがその光に触れようとする。その瞬間、境内にカツーン、カツーンと何かを叩く音が響いた。
「な、何!?」
メリーが声を上げ、辺りを見回す。その拍子にメリーの手が私の顔から離れ、視界が真っ暗闇に戻る。けれど、その音は止まない。メリーの感覚を介して聞こえていたんじゃない。私の耳にも聞こえているみたいだ。
私も目を開けて辺りを見回すが、音のなるようなものはない。もしかしたら周囲の山林の中で、誰かが牛の刻参りでもしているんじゃないかと思ったのだけれど……流石に確かめる勇気は持ち合わせていなかった。
「れ、蓮子……」
「………………」
メリーの呼びかけに答える余裕すらない。
しばらくすると不規則なテンポで繰り返される音は、段々とくぐもったものになっていく。そして、突然ピタリと音が止んだ。
気付けば虫の声もまったく聞こえない。痛いと感じるほどの静寂に包みこまれていた。自分の鼓動が、呼吸音がメリーに聞こえてしまうのではないか、と考えてしまうほど静かだ。
どれくらい時間が経っただろうか? 結局何も起こらなかった。私は額の冷や汗を拭い、何気なくいつもの癖で時間を確認しようと空の星を見上げる。
赤い複眼と目が合った。
びっしりとした細かい体毛に覆われた巨大な腹部が小刻みに動く。闇の中をよく見ると鳥居の柱ほどの太さの長い八本足が私達を取り囲むように広がっていた。まるで鳥カゴのように。数えきれないほどひっ付いている赤い目の下には死神の鎌のような鋏角。その奥には、奇怪に動く、牙だらけの口が……
「ヒッ……」
冷静に確認できたのはそこまでだった。今私達の真上に巨大な蜘蛛がいた。しかも、メリーの眼を介してではなく、私の、境目どころか幽霊も見えない目が、それを確認したのだ。紛れもない、本物、現実、リアル……?
……以前、衛星『トリフネ』の中でキマイラに出会った時は何ともなかったのに、背中に怖気が走る。絶叫したい、慌てふためき、逃げ出してしまいたい。本能から来る恐怖が生きるための欲求を駆り立てていた。
けれど動けない。赤く光る複眼から目を離すことができない。蛇に睨まれた蛙だ。
ただ、発狂せずにいられたのはメリーと繋いだ手のお陰だった。伝わってくる体温が、私になけなしの勇気を与えてくれる。
逃げ、ないと……! 逃げないと、逃げないと逃げないと!
「メリー!」
私はメリーの手を引いて、鳥居に向かって駆けだす。その瞬間、目の前に巨大蜘蛛の鋭い足が降ってきた。
咄嗟に、メリーに覆いかぶさるようにして避ける。ただの反射、無我夢中で身体が勝手にそうしていた。メリーと抱き合いながら地面を転がる。素肌を晒していた腕に小石が刺さる。口の中に土の味が広がって不快だ。
「蓮子……!」
メリーが震える声で話掛けられるが返事することは出来ない。あぁ、これは、駄目だわ。逃げられない。私は起き上がることも諦め、ただ横たわったままメリーを抱きしめ、身体を強張らせた。
怖い……怖い! メリーの襟元に首を埋めて、目を閉じる。もう何も見たくない。
頭の上で湿ったような気色の悪い音が鳴っている。耳も塞いでしまいたかった。
……私、どうなるのかな? あの足で串刺しにされてあの口で食われるのかな。それとも、糸でグルグル巻きにされるのかな。どっちも嫌だな。
最後の瞬間に備えながらも私の頭は至極冷静に、いや至極呑気な思考を転がしていた。その中でふと私と運命共同体となってしてしまったメリーのことを想う。
……私の事恨んでるかな。私がここに来なかったらこんなことにならなかっただろうし、恨まれても仕方がないよね。
「ごめんね、メリー」
私は耳元で囁いた。そして意識を手放そうとする。もう何も見たくない。何も考えたくない。何も……
「蓮子……蓮子!」
……気付けばメリーが私の名前を呼びながら背中を叩いていた。結構な強さだ、痛い。仕方なく私は片目を開ける。するとメリーが茫然と私の後ろの方を見ていた。
その視線に釣られ、私も起き上がってそちらを振り向く。石畳に巨大な蜘蛛の足が横たわっていた。それも根元からすっぱり切り取られたものだ。切断面は……見ないようにしておこう。
そして、その足の奥に一人の男性が立っていた。夏だというのに派手な黒のコートを着込んでおり、右手に持つ大振りの刀が月明かりを弾いている。パッと見、ただの痛い人だけれど化け蜘蛛と対峙するその背は頼もしく映った。
「下がれ!」
私達に言ったのか、化け蜘蛛に言ったのかわからないけれど、男性が叫ぶ。すると、蜘蛛は臆したように口からギチギチと嫌な音を発しながら、後退していく。
平均的な身長に、細めの体躯。顔は暗闇ではっきり見えなかったが、さほど特徴的な顔をしていないのはなんとなくわかった。やけに大きな刀を持っているけれど、まさか彼があの化け蜘蛛の足を斬った……訳ないわよね?
「どういう……こと?」
何が何だかわからない。縋り付いてくるメリーも困惑しきっていた。この人はいつの間にここへ来たんだろうか、そもそも味方なのだろうか?
まるで天使が通ったかのように神社に僅かな静寂が戻ってくる。瞬きするほどの時間の安堵はいとも簡単に奪われる。すぐさま化け蜘蛛が男性に向けて複数の足を振り上げた。
「紫さん、そこの二人を頼みます!」
男性が振り向かずに、肩越しに叫んだ。その刹那、地面に巨大な足が連続で突き刺さり、それで巻き上げられた砂埃で彼の姿が見えなくなってしまう。粉塵は私達のところまで飛び散ってくる。それに耐えられず私は目を閉じてしまう。
「ええ、任されたわ」
閉ざされた視界の中、女性の声が聞こえる。何処かで聞いたことのある様な声だ。
薄目で辺りを見回すと、いつの間にか隣に誰かが立っていることに気付く。どうやら背の高い女性のようだった。
砂埃が晴れて段々と姿が露わになってくる。金髪の髪、派手な紫のドレス。そして……メリーと瓜二つの、顔。
「え……?」
メリーの方から、気の抜けた声が上がる。フラフラと立ち上がり、ドレスを着た女性と向き合う。背の高さや瞳の色。細部は違うけれど、まるで合わせ鏡のようだった。
私も歯を食縛りながら立ち上がり……
「何が、なんなのよ……」
私は次々と起こる理解不能の出来事を処理できずに、ただ茫然と呟くことしかできなかった。
その日私達は初めてメリーの力に頼らずに、不思議を共有した。けれど、私は……それを楽しむどころか受け入れる事すらまともに出来なかった。