朝方だけれど、思った以上に日差しが強い。
私はアスファルトに舗装された道の端を歩きながら、鞄の中に入れておいた折り畳みの日傘を取り出して開く。その横で蓮子はネクタイを緩めながら溜息を吐いている。自分が誘った癖に気怠そうに道端を歩いていた。
「あっつ……」
基本的に朝が弱い蓮子が早朝の散歩に誘ってくるなんて珍しい……というか、らしくない。普段ならもう一度寝てそうなのにね。まあ、私も本当のことをいえば今日くらいはもう少し寝たかったのだけれど。
しばらく歩いていると、公園にたどり着いた。ブランコと滑り台、そして幾つかのベンチに砂場ぐらいしかない小さな公園だ。
それでも夏休みの子供達が目一杯の広さを使って元気よく鬼ごっこをしている。蝉の声に混じって子供達のはしゃぐ声が住宅地に響いていた。私は公園の入り口で子供達の様子を微笑ましく眺める。
だが蓮子はそちらには興味ないようで、公園を囲むように植えられた木々を見つめていた。そしてしみじみと呟く。
「こんな住宅街でも蝉が鳴くのねえ……もう蝉の声も幻想入りしてしまったのかと思ったわ」
「そう簡単に絶滅しないわ。夏の風物詩じゃない」
「私は風鈴の五月蠅くない音の方が好きだわ」
「そっちこそ幻想入り間近だと思うけれど……どうなのかしら?」
北斗曰く幻想入りは忘れ去られたものが行きつくものだと言っていたけれど……妖怪のような存在以外の物も幻想入りするのかしら?人間は幻想入りするみたいだけれど。
神隠し。私はその原因を、境界に呑まれた、あるいは自ら境界に跳び込んでしまったからだと考えていたけれど……
もしかしたら幻想入りしたという考え方もあるのかもしれない。あるいは境界の向こうの一つが幻想卿なのかも……
「幻想入りねぇ……まるで世界が忘れ去られたものを、不要なものを隔離してるみたいね」
ふと蓮子が帽子を直しながら呟く。捻くれた考えね、と呟いた言おうとするが私達の後ろをバスが通り過ぎていきタイミングを失ってしまう。
蓮子は公園の中に入るのではなく生垣を沿う様に進んでいく。その後ろを追いかけると……背中越しに言葉が飛んでくる。
「科学は有無を、白黒をはっきりつけてしまう。だから文化が発展していくにつれて不必要なものは簡単に淘汰されていく。幻想の存在は容赦なく否定されてしまう。そんな世界は……」
「優しくない、かしら?」
「つまらない、よ。世界は元から優しくないわ」
台詞を予測してみたのだけれど……案外擦れた考えで外れてしまった。
けれど、前を歩く蓮子の表情は見えないから断言は出来ないけれど……
蓮子の擦れた答えはきっと後出しだ。世界は各々の主観の中にしかない。だから世界が優しくないと思う蓮子は、きっと……誰より優しいんだと思う。
公園から程なくして、私達は川の土手に出る。
土手言ってもコンクリートで固められたものでそぞろ歩くには情緒がない。河川敷も草が殆ど生えていなかった。ランニングをするために作られたような道があるだけ。とは言っても散歩をするには都合のいい道には違いない。
「降りてみる?」
「別にいいでしょ。それよりコンビニに寄っていかない? アイスでも食べないとこの暑さは耐えきれないわ」
蓮子は川に幾つか架かった橋の中の北側……下流方向の一番近い橋の入り口を指差す。
大きな橋の手前には確かにコンビニが見えている。この暑さに氷菓子が欲しくなるのはわかるけれど……
「もう、さっき朝ごはん食べたじゃない。太るわよ」
「じゃあ太らないために頭を使いましょうか」
「謎々でもするのかしら?」
「言葉遊びよりもっと楽しい謎よ」
そう言いながら蓮子は指をピンと立てながら土手を進んでいく。どうせ大した謎じゃないでしょうけれど、付き合ってあげますか。
私達は山側から流れてくる風に蓮子は背中を、私は日傘を押されるように土手を歩いていく。
ふと隣に歩く蓮子が胸ポケットからペン型のスマホを取り出した。
「お題はそうねぇ……『何でこいしは幻想入りしなかったか』にしましょうか」
「それは『こいしがメリーさんになることで存在を維持していたから』でしょう? 何度も話したじゃない」
呆れ気味にそう言い返すが……蓮子は首を振って否定してくる。そして手の中でスマホを回しながら不服そうにブツブツ呟き始めた。
「そうじゃなくて……『何でこいしがメリーさんにならざるおえなかったか』を考えたいのよ。普通なら放っておいても幻想郷に帰れるはずなのに、そうできなかった理由を知りたいの」
「出来なかった、ねえ……こっちに残りたかったからそうした、じゃ駄目なの?」
「うーん、ありえなくはないけれど……だったらさっき起きた時にメリーさんとして私達を攻撃すると思うわ。だって私達はこいしを幻想郷に強制的に送り返してしまうかもしれないのに」
「……そこなんだけれど、今のこいしってメリーさんなのかしら? それとも元の状態、覚妖怪?」
私は今朝から疑問に思っていた事を蓮子にぶつけ返すと、蓮子は足を止め、右手の甲を口に当て目を瞑った。前にも見た思考のポーズだ。
明らかにこいしは私の名前……メリーさんという単語に反応していた。
もし突発的に都市伝説のメリーさんに戻ってしまったら、また蓮子が襲われてしまうかもしれない。本来なら北斗か紫に確認を取った方がいいのかもしれないけれど……先に蓮子の考えも聞いてみたかった。
暇つぶしに日傘をクルクル回しながら答えを待つ。足を止めていたのは数秒、すぐさま蓮子は目を開いて肩を竦めた。
「そこらへんはこいし当人か北斗に聞かないとわからないわね。けれど、北斗の能力が本当ならこいしは本来のこいし……覚妖怪に戻ってるはずよ」
「そうねぇ……結局、こいしがメリーさんになった理由も本人から聞かないとわからないわよね。で、これって謎になるの?」
「……あー、頭を使ったから甘いもの食べたいわー! コンビニに急ぎましょ!」
「あ、こら! 誤魔化すな!」
私は誤魔化すように駆け出した蓮子を慌てて追いかけた。
追いかけっこの末、すっかり汗をかいてしまった。
私は橋の欄干に背を預けコンビニで買ったペットボトルのお茶を首元にくっつける。冷たさが血の巡りと共に身体に広がっていく。けれどその程度ではこの暑さを紛らわすことはできなかった。
まったく、偶に見せる子供っぽい行動はどうにかならないのかしらね。
私は恨めしく思いながら隣で欄干に肘を突き、アイスキャンディを齧る蓮子を睨むが……まったく気に留めた様子はない。アイスに夢中のようだ。
私はため息を吐いてから、道路に上がる陽炎を見つめながら呟く。
「はぁ……それにしても暑いわねぇ。コンクリートとアスファルトで固められた土地だから仕方ないけれど」
「住宅街はまだ緑が残ってる方よ。商業区に比べたらね。けれど本当に不自然なほど発達した街よねぇ……大した産業もなさそうなのに」
確かに蓮子の言う通りだ。七代市は元々観光地でもベッドタウンでもない。ましてや農畜産業、工業が盛んなわけでもない。
だが七代市はある時期を境に急激に物流が盛んになり、瞬く間に貿易の一大拠点へと変貌した。
海岸線には巨大な船がひっきりなしに出入りする大きな港がある。私達が乗ってきた列車とは別の、貨物専用のリニアレールの車線も引かれた。
今や『ネット通販で物探すくらいなら七代市に行く方が早い』なんて言われるほどの店舗が商業区には並んでいた。
「そういえばここに来たのってそれを暴く為だったわね。色々ありすぎて忘れかけていたわ。3泊4日の予定だったから、今頃は帰りの電車に乗り込んでるはずだったのに……」
「あら、メリー……まさか目の前にこんな秘密の山があるのに、まさかこのまま帰るなんて言わないわよね?」
蓮子が挑発的に問いかけてくる。まさに愚問ね。私がこのままおめおめと帰るわけないじゃない。大学サボってでも……というのは流石に無理だけれど、時間が許す限りあの二人について行ってやるわ。
それに……紫はきっと私について何か知っている。私が何者なのか、私の力はなんなのかを……知りたい。私は貪るようにペットボトルのお茶を飲み干してから、一息吐く。
「全て知るまで私は……諦めないわ」
「全て、ねぇ……随分大きく出たじゃない。確かに夏季休暇の予定全部潰す価値のある秘密よね。この町も、あの二人も」
蓮子は崩れかけたアイスキャンディをギリギリのとこで口に放り込む。そして口の中を空けると残った木の棒を眺めがらポツリポツリと、川に石を投げ込むように喋り始める。
「ホントあの二人は一番近くにいるのに謎だらけだわ。北斗は何か隠しているようで怪しいし、紫は……存在自体が怪しいわ。私達をまだ信用していないのか、それとも話せない理由があるのか……まあ、出会って一週間も経ってないし、がっつき過ぎなのかもしれないけれど……」
「信用っていうより、私達をどれくらい巻き込んでいいものかわからない、って感じだけれどね……」
特に北斗は私達への接し方が慎重に思えてならない。
私達との距離感を維持することで自分の秘密を守っているんじゃないか?そんな勘繰りをしてしまう。
事実私達は彼の能力も、こいしとの関係も完全に聞き出せていない。私達も踏み込めていない。
味方だけれど、なんとも微妙な関係だわ。こういうまどろっこしい距離感の駆け引きは苦手だ。
「ま、私達にはあの二人を調べる術はないし、今のところは向こうから教えてくれるのを待つしかないわよ。ところで、当たり? 外れ?」
私は無理やり話を切るためにアイスキャンディの当たり外れを尋ねてみる。すると蓮子はムスッとした顔で棒だけ突き出してくる。板状の木の棒の中程にはハズレの文字が刻まれていた。
蓮子はこういうどうでもいい時の運は悪いのよねぇ……悪い、というより平凡って言った方がしっくりくるけれど。
「私、これで当たりを引いたも見たことないのよねぇ……当たりなんて都市伝説じゃないの?」
「私は当たったことあるわよ。自分のくじ運の悪さを都市伝説なんかにしないの」
くだらないことを言い出した蓮子をたしなめながら、懐中時計で時間を確かめる。足を止めながらの散策だったせいか、思ったより時間が経っていた。そろそろ戻らないと北斗の作る昼食に間に合わないかもしれない。
そろそろ帰りましょうか。そう声を掛けようとしたつもりだったのだけれど……ふと私は蓮子に聞いておきたいことを思い出す。帰り道で話してもいいけれど……なんとなく今聞いておきたかった。
「そういえば蓮子、昨日こいしの攻撃が当たらなかったのって何でなの?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「言われてない。蓮子が思いつきってことしか知らないわよ。一体どうやったの?」
「んー、ちょっとした情報操作、かしら?」
勿体振ったように言った言葉に、私は首を捻った。そういえば一昨日……蓮子は作戦実行の前日、スキマの中で紫が用意したノートPCで何やら作業していたわね。いつの間に蓮子は天才ハッカー様になったのかしら? それに情報操作してこいしの攻撃を防ぐなんてこと……弱味を握るぐらいしか思いつかないのだけれど……
「一体どういうことなのかしら?」
「そうねぇ……メリー、都市伝説のメリーさんを作ったのは誰かわかるかしら?」
「誰って、そんなのわからないわよ。誰かの作り話が独り歩きしていつの間にか広まってるものじゃないの? あえて答えを上げるなら……『大衆』かしら?」
「流石メリー。作り話から始まったのか、はたまた本当の話なのかはともかくとして……メリーさんは噂が生んだってことは確かね」
そう語りながら蓮子はアイスの棒をコンビニの袋に突っ込んでからペン型スマホを取り出し、空間投影された画面をタッチして何やら調べ始める。
さっきの話……蓮子は都市伝説のメリーさんと言っていたけれど、そもそも妖怪も噂から生まれた存在だ。人間の恐怖心が生み出した虚像とも言えるかもしれない。
まあ、紫達のせいで、『噂が妖怪を作ったのか』『妖怪の存在が噂を生み出したのか』わからなくなったわけだけれど。いずれそれについても調べなくっちゃ。
「けれど、それがどうしてメリーさんの攻撃を防げる理由になるのかしら?」
「そこでもう一つ質問するわ。都市伝説と言えば口裂け女も有名よね。口裂け女の弱点と言えば?」
「弱点って……ポマードだったわよね」
「正解」
蓮子はスマホを弄りながら首を縦に振った。
確か口が裂ける原因になった手術の執刀医がポマードを付けていたから苦手になったらしいわね。まあ、ポマードと三回唱えたり投げつけたりと対処法がハッキリしていないあたり有効かどうかはあやしいけれど。
あとはべっこう飴が好物だったり苦手だったりと割と弱点が多い。こいしもメリーさんじゃなくてこっちになってくれたら楽だったのにね。
なんて身も蓋もないことを思っていると、蓮子がスマホを弄る手を止めて私に視線を送ってくる。
「けれど私はその弱点って信憑性を高めるための後付設定みたいなものだと思うわ。対処法がないと口裂け女に出会っても生き残る人がいなくなる。噂も広がりようがなくなるもの」
「私は化け物と対峙してポマード三回唱えて撃退しようとした被害者の行動こそ信じられないけれどね」
「念仏と間違えたんでしょ。まあ、何はともあれ……都市伝説には大抵対処法があるのよ。それもあくまで噂だけれどね」
「はあ……けれど、私はメリーさんの弱点なんて知らないわよ?」
精々壁に背を向けたままにするとか電話に出ないとか電話を破壊するとかしか知らないわね。
まさか蓮子は一日掛けてメリーさんの弱点を探していた……わけないわよね?と、蓮子はスマホを弄っていた手を止め、私を手招きしてくる。私は誘われるがままスマホの横から覗き見る、すると、そこにはオカルト掲示板のWebページが表示されていた。
「弱点が無ければ作ればいい。メリーさんの正体がただの噂なら……その噂を操作すれば、彼女の性質も操作できそうじゃない?」
「まさか……」
「そのまさか。私は一日掛けて『私が作ったメリーさんの弱点』をネットに広げ回ったのよ」
その掲示板には……『誰かと手を繋いでいれば殺されない』といった書き込みがしてあった。
蓮子はこれを広げ回って、メリーさんの噂に新たな内容を継ぎ足したのか。
それが都市伝説のメリーと化していたこいしにも影響を与え、攻撃を防ぐ形になったというわけね。
そういえば……あの夜蓮子に手を繋ぐ様に頼まれたけれど、あれは恐怖を紛らわすためだと思っていた。まさかこんな意味があるなんて……
「ちなみに信憑性を高めるために、『二人の時は電話が鳴らない』『手を繋いでたら手を切り来る』とかダミーの噂も混ぜたりもして、それっぽく偽装したのよ。さながら伝言ゲームで内容が狂ってくるようにね。もちろんID諸々の偽装もばっちり……紫がしてくれたわ」
「本当に博打みたいな作戦ねえ……しかも人任せだし。よくもまあ、こんな思い付きに身を任せられたわね」
「まあ、保険のつもりだったのだけれど……やっておくものねえ」
もしかしたら死んでいたかもしれないのに随分呑気な言い草だ。呆れも通り越して感心してしまうわ。まったくやっぱり蓮子はこういう時だけ運がいい。こういうのは悪運が強いっていうのかしらね。
「それにしてもよくもまあ一日で噂を広げられたわね。私だったら信じないのだけれど……」
「それなんだけど……私もびっくりするくらいあっさり広まったのよ。私、こういうのに才能があるのかも」
「……ふーん」
そういうところも運が強いのかしら?なんだかそれとは違う気もするけれど……まあ、終わったことだし今になってはわからないことよね。
とにかく気になっていたこと一つが分かってすっきりしていると、唐突に蓮子のスマホが鳴動する。私達は情けないことにその音に一瞬身を固めてしまう。この事件のせいでしばらくは電話の音にビクビクしてしまいそうだわ……
蓮子は胸に手を当て深呼吸する。それからようやく電話を取った。
「もしもし、どうしたの急に? ……あぁ、そんな時間? わかったわ……えっ、いいわよそんな……いや、橋の前のコンビニだけど……はぁ、そういうことなら。うん、うん、じゃあ……」
「誰から?」
「北斗から。車で迎えに来るからコンビニ前で待ってろって。そこまでしなくてもいいのにねぇ……」
まったくだわ。お節介が過ぎるというか……まるで母親かのような世話焼きよねぇ……ま、歩かずに帰れるならそれはそれでいいか。それにしても昨日今日で車を買い直すなんて、どうやったら出来るのかしらね?
何はともあれ私達は北斗の車を待つためにコンビニに戻ろうとする。けれど、私はもうひとつ気になることを思い出して、足を止める。
「蓮子、そういえば聞きそびれてたのだけれど……私の呼び名の由来、結局何だったの?」
私は昨日の夜から有耶無耶になっていた約束を問いかける。はっきり言ってそこまで興味のある事柄でもないのだけれど……蓮子に秘密にされっぱなしなのも癪だもの。
私の言葉を聞いた蓮子は数歩前に歩いてから……帽子を押さえながらくるりと身体をターンさせて振り返る。そして、悪戯っぽく笑った。
「メリーさんの羊、よ。あの時の貴女、迷える子羊の様だったもの」
蓮子はニカッと歯を見せると、スキップをしながらコンビニに戻っていく。私は唖然としてしまう。
迷える子羊って……そんなふうに見えてたの、私? しかもそれを初対面の相手の呼び名にする神経が信じられない。これは文句の一つは言ってやらないと!
腹が立った私は日傘を畳み、蓮子の背中を走って追いかける。
確かにあの時……滞ったような時間の中から救い出してくれて、ずっと手を引いて導いてくれたかもしれない。けれど、それはあの時だけだ。今はもう違う。
私は蓮子の後ろじゃなくて、隣にいたいから。