荷物を適当な部屋に置いてから居間に戻ると、そこには北斗の姿しかなかった。メリーはどうせ荷物整理で忙しいのだろうけれど、紫はどうしたのかしら? 不審に思いながら皮のソファに腰を下ろすと、目の前にアイスコーヒーが置かれる。顔を上げると北斗がお菓子やミルクの入ったバケットを持って立っていた。
「はい、インスタントのやつがあったから入れてみたんだけど、コーヒーは大丈夫? それとも暖かい方が良かった?」
「コーヒーは好きよ。熱いのも冷たいのも……インスタントもね」
「そりゃよかった。泥水なんて飲めない、なんて言われたらどうしようかと思ってたよ」
苦笑いを浮かべながら北斗はバケットを机に置く。そして机を挟んだ反対側のソファに座り、テーブルに紙の地図を広げた。
……七代市は南は山、北は海に挟まれた土地だ。南から中央に掛けては市街地、北は工事港があって、東と西に住宅地が広がっている。この家は街の東側に位置していて、市街地からさほど離れていない。
立地的な便利は良さそうだ。車がなくても、バスなら五分で中心へ行けるのはありがたい。
コーヒーをチビチビと戴きながら地図を眺めていると、北斗はおもむろに水性ペンで地図に印を入れ始めた。街の南の端、線路を越えた少し向こうの方だ。そこで察しがつく。
「……これって、昨日の神社の位置?」
「正解、とりあえず何か異常があったところをメモしておこうと思ってね。あと、家の周りに何があるのかも知っておきたいし」
「ふーん、小まめねぇ。疲れそうな性格だわ」
私ははっきりと思ったことをそのまま口にするけれど、北斗は気分を害した様子もなくペンの蓋を閉めた。
しばらく北斗の淹れてくれたアイスコーヒーの安っぽい味を堪能していると、メリーが二階から降りてくる。すると北斗はわざわざメリーの分のコーヒーを入れ直して渡していた。本当に小まめだ。むしろ人に気を使い過ぎだと思うわ。
「はいどうぞ」
「あ、ありがとう……」
メリーは戸惑いながらもコーヒーを受け取ると、コーヒーじゃなくなるでしょ!?とツッコミたくなるほどふんだんにミルクとガムシロップを入れ、スプーンでかき混ぜ始めた。そしてやや恐々とした様子で北斗に話かける。
「あの、一つ聞きたいのだけれど、北斗は人間、なんだよね?」
「ん? あぁ、人間だよ。少し変わった力は持ってるけどね」
「変わった力……?」
メリーがコーヒーだったものを混ぜる手を止めて、首を傾げる。そりゃあ普通の人間が妖怪と戦える訳ないけれど……もしかしたら、メリーみたいな特別な能力でもあるのかしら?
詳しく聞いてみようかと思ったんだけど北斗の表情を見て、止めた。どこか暗い、影のある表情。前にも見たことがある。
確かメリーも同じような表情をすることがあったような……結局、思い出そうとしている内に会話は流れてしまった。仕切り直すように咳払いを一つ、北斗は私達に向かって笑いかけてくる。
「本来なら紫さんから色々話すべきなんだけど、代わりに俺が答えられることは何でも答えるよ。車内じゃちゃんと聞けなかったからね」
優しい声音で言われた言葉に、私とメリーは互いに目配せする。
ホテルのチェックアウトする前、私達は彼女達に対する疑問をある程度共有していた。その中で、私が一番気になっていたものを聞くことにした。
私はコーヒーカップをコースターの上に乗せてから、北斗の目をしっかり見据えながら問いかける。
「じゃあ、まず北斗と紫が何者か教えてよ」
「単刀直入だなぁ……」
「回りくどく聞く意味がないじゃない。それとも、これも聞かれては困る質問だったかしら?」
ワザとらしく勘ぐってみたつもりなのだけれど、北斗は特に面白い反応をしてくれなかった。ただ腕を組みながら首を傾げるだけだ。
「いや、そんなことないんだけど、どう答えていいかわからないんだよ」
「……どういうこと?」
「うーん、例えば『俺達は政府に雇われた秘密組織だ!』とか、『代々妖怪を退治する一族の末裔だ!』みたいなそれらしい名乗り方がない、って感じ。強いて言うなら紫さんがすごい妖怪だってことくらいかなぁ……」
「本当かしら? 何か隠してるんじゃないの?」
自分でもしつこいと思うほど尋ねる。すると北斗は一瞬言葉を詰まらせてから、さながら自白した犯人のように弱々しい笑みを浮かべた。そして傍に置いていた北斗の分のアイスコーヒーを口にしてから、再び喋り始める。
「……わかった、話すよ」
「やっぱり何か隠しているんじゃない」
「秘密にしていたわけじゃないさ。ただ、突然話しても信じてもらえないかもしれないと思ったんだよ。それで、少し長くなるんだけど、もう一杯コーヒー、いる?」
北斗は勿体つけるように私に尋ねてくる。そしてアイスコーヒーを淹れ直してくれた後、彼は思い出話をするように話し始めた。
ここではない世界、幻想郷のことを。
幻想郷。忘れ去られた者達が辿り着く場所。
科学の発展により存在を否定された……こちらの世界では『死んでしまった』妖怪、妖精、神々が生き残る最後の楽園。
妖怪や神が生きるためには彼等を信じる人間が必要で、彼等は外界の情報から隔絶した人間に自分達の存在を信じさせた。ある者は畏れさせることで、ある者は信仰させることで。
「……まるで動物園で生きる動物園と飼育員のような関係ね」
珍獣達は人間から餌を貰わなければ生きていない。けれど、飼育員達も動物園がいなくなれば、職を失ってしまう。ま、幻想郷で飼われているのは人間の方みたいだけれど。
見方によっては歪に見える共存だわ。けれど妖怪や神が生き残るためには無理やりねじ曲げ作り上げたジオラマが必要なのかもしれない。
「まあ、原理だけ聞いたらね。実際は妖怪も人間も共存できてるよ」
「ふーん……まぁ、確かに信じられないような話だわ」
一通り話を聞いた私はそんな感想を呟いてから、三杯目のコーヒーを飲み干した。時刻は正午前。話し始めたのが確か11時くらいだったから、おおよそ1時間ほど話していたみたいだ。
講義一つ受けたような疲労感を覚えてしまう。ただ退屈な教授の長話と違って中々面白い話だったし、私やメリーも横槍を入れながらの会話だったのもあって、時間が過ぎるのはあっという間だったけれど。
「あー、疲れた」
私が伸びをしている傍ら、メリーはいつの間にかメモを取り出しペンを走らせていた。本当に講義受けてるみたいじゃない。呆れる私をよそに、勤勉な学生のメリーさんはまるで授業後に質問する生徒のように北斗へ尋ねた。
「つまりその幻想郷で起こっている『異変』っていうものを解決するために、わざわざ世界を渡って来た、ってことかしら?」
「そうなるな。今のところ大した異変じゃないけど、これからどうなるか分からない。早く原因を突き止めないといけないんだ」
「……私達にはその原因を突き止める手掛かりを探して欲しい、ってことかしら?」
「察しが良くって助かる。荒事になったら俺に任せてもらっていいから、この街で起こってる異変を調査して欲しい。紫さんはそう言っていたよ」
なるほどね、そういうことなら私達でも出来そうである。むしろ秘封倶楽部の本領を発揮出来るだろう。本来この街で起こってるオカルト現象を調査するのが目的だったのだから、むしろ好都合だ。私は胸をポンと叩いて、ウインクして見せた。
「任せなさい、この秘封倶楽部にね」
「あぁ、よろしく頼む」
北斗は律儀に頭を下げてから、真剣な眼差しで地図に視線を落とす。自然に釣られるように私も地図に目を向けた。
私の立てた予定では七代市を一泊二日で回りきるはずだった。けれど、まさかこんな豪邸でしばらく暮らすことになるなんて、夢にも思っていなかった。
一体何の根拠があるのかわからないけれど、北斗達はこの街で何か起こると確信している。この街の噂の噂を聞きつけてやってきたのか、はたまた別の確証があるのかは分からないけれど……現に私達は絡新婦を目撃している。
「はぁ……」
私は溜息を吐いて思い出してしまった恐怖を押さえつける。あの時は本当に怖かった。当たり前だ、死ぬかと思ったのだから。今でもあの時の感覚を思い出すと、足が震えてくる。心臓の鼓動が跳ね上がってしまう。
けれど、私達はその危険に会えて立ち向かうことを選んだ。紫に提案された時は迷ってしまったけれど、もう決めたことだ。私とメリーで決めたんだ。だから覚悟を決めないと……決め、ないと……いけない。
「さて、そろそろお昼にしようか。さっき冷蔵庫の中を見る限り、パスタぐらいしか作れなさそうなんだけど、二人とも大丈夫?」
北斗は立ち上がり、カウンターキッチンに回り込みながら尋ねてくる。まるで自分が昼食後を作るのがさも当然のような口振りに、私は反応に困ってしまう。
そもそも北斗は料理が出来るのかしら? 自信満々に暗黒物質を作られてもフォロー出来る自信は無いんだけれど……
「黙って北斗に任せなさい。家事に関してはプロもスカウトに来る程の超一流よ」
「わっ!?」
「きゃっ!?」
突然、対面のソファに落ちるように紫が現れ、私達は声を上げて驚いてしまう。変な声を上げてしまった恥ずかしさに顔を伏せていると、カウンターキッチンの向こうから呆れ混じりの言葉が飛んだ。
「紫さん、二人は慣れてないんですから普通に出てきてください。あと、その誇大広告もやめてください。スカウトなんて一度も来たことありませんよ」
北斗は鍋に水を張りながら言う。どうやら彼女の神出鬼没っぷりは普段からのようだ。流石妖怪、常識が通じないわ。紫は笑って誤魔化しながら、北斗に手を挙げる。
「私、ペペロンチーノ食べたいわ。アルデンテじゃなくて、ちょうど良くお願いね」
「そのちょうど良いがどれくらいかを知りたいんですけどね。で、二人のご注文は?」
「えっ……じゃあ、ナポリタンで」
「あの、その……クリームソースを」
まるでファミレスの店員のように違和感なく聞いてくるものだから、ついバラバラのソースを言ってしまう。
けれど北斗は文句一つ言わず、鍋に火を掛け始めた。陽気な鼻歌を口ずさみながら軽快な手つきで料理する姿を見て、メリーがガラスのような瞳を丸くしながら呟いた。
「……彼、何者?」
何者かは分からないけれど、少なくとも料理の腕は確かのようだった。高級フランス料理店のパスタに匹敵する……とまで言わないけれど、文句のつけようがない程度には美味かった。まあ、お店にして待たされたけれど。
「……ところで、北斗は幻想郷の住人なのよね? それなのに結構こっちの世界に馴染んでるように思えるんだけど」
食事の途中、ふと隣のメリーが北斗に向けて尋ねる。そういえば幻想郷は文明が停滞した世界だと北斗は言っていた。
けれどその当人が自動車を運転したり、現代のキッチンでパスタを作っている。こっちの世界に順応し過ぎている。私達の視線が集まり、北斗はフォークを置いてからバツが悪そうに頬を掻いた。
「あー、うん。俺は元々外の世界の人間だからね。幻想郷で生まれた訳じゃないんだよ」
「幻想郷って、外部から隔絶された世界なんでしょ? それなのにどうやって入れるのよ?」
私は怪しさを感じて、語気を強めながら追い詰めようとする。
メリーはどうか分からないけれど……少なくとも私は、彼女達を信用していなかった。かといって常に疑っているわけじゃない。まだ、私はこの二人のことを判断しかねていた。
「蓮子……」
メリーが心配そうに私の名前を呼ぶ。重苦しい空気の中、私の問いに答えたのは斜向かいに座る紫だった。
「何も完全に遮断されている訳じゃないわ。偶然境目に迷い込んで来る者もいれば、妖怪や神々のように忘れ去られ幻想郷に流れ着く者もいる」
「……北斗もそうやって流れ着いた、ってこと?」
「そういうことよ。幻想郷ではそんな外の世界から迷い込んだ人間を外来人と呼んでいるわ」
「外来人……」
メリーはためらいがちにに北斗の方を向く。彼は何も言わずに、黙々とバター醤油味のパスタを食べていた。さっき特別な能力を持った人間だと言った時のような、暗い表情だ。
「あ……」
その時、私はどこでその表情を見たのか思い出した。初めてメリーが私に自分の能力について打ち明けてくれた時だ。あの時私は、言葉では信用しているような口振りをしていたけれど、内心では疑っていたのが記憶に残っている。
ううん、今でも時々疑ってしまう。本当は何かのトリックなんじゃないのかって。私は騙されいるんじゃないかって考えてしまう時がある。
目の前の北斗、そして疑る私。同じような構図に薄気味悪さを感じてしまう。何よりも隣にいる親友すら、未だ信じきれない自分に反吐が出そうだった。
食事を終えた私達四人は今後の生活、活動に必要なものを買いに市街地中央にある大型デパートに行くことになった。
真っ先に行ったのは携帯ショップだ。まさかと思ったのだけれど、北斗も紫もスマホを持っていないらしい。まあ、幻想郷では電話なんてないらしいし、無理はないけれど。
「北斗、そんなのでいいの? 旧式のスマートフォンなんて選んで」
私は新しく買ったスマホの設定を弄っている北斗に向けて問いかける。
北斗の買ったのは四、五年前の型落ちギリギリ前の掌大の端末型だ。今や時計型やペン型なんて小型のものだっていっぱいあるのに、どうしてわざわざそんなかさばるものを選んだのかしら? 純粋な興味で聞いた問いに、北斗は小さな画面を見つめながら答える。
「だってあんな小さいのって使いづらそうじゃないか。それに耐衝撃耐性に防水機能も付いてるらしいから、俺にはうってつけなんだよ」
「あー、まあ、あんな動きをしていたら対衝撃は必要かもね」
「そういうこと。あぁ、そうだ。連絡先教えるから入れといてくれ。異変に巻き込まれたら、すぐに俺か紫さんを呼ぶようにしてくれ」
そう言うと北斗はスマートフォンの番号を口頭で伝えてくる。慌てて私はそれを自分のスマホに登録した。
因みに私のはペン型だ。通話はもちろんレーザー投影型のキーボードにエアディスプレイを搭載しているので調べ物だってできるわ。何よりかさばらないっていうのが一番気に入ってるところだけれどね。
「ん、できたわ」
「そうか。えっと……メリーさんにも教えとかないとな」
「呼び捨てでいいと思うわよ。もちろん私もね。ちゃん付けなんてされたら鳥肌が立ちそうだわ」
「わ、わかった……けどその、メリー、はどこにいるんだ?」
北斗はスマホを片手に当たりを見回す。
確か紫が先に契約を終えていたけれど、もしかして二人で服でも見に行ったのかしら? 電話を掛けた方が手っ取り早いと思った私は、メリーの番号に掛けようとする。
そう思いたった瞬間、ペン型のスマホから着信音が流れ始める。きっとメリーからだろう。そう思った私は番号も見ず、すぐに電話に出る。
「もしもしメリー? 一体どこにいるの!?」
「わたし、メリーさん。いまデパートの入り口にいるの』
しかし、スピーカーから聞こえてきたのは聞いたことのない声だった。少したどたどしい、小さな女の子の声。
変声機を使ったイタズラだろうか?なんて考えている間に電話が切れてしまう。不思議に思った私はしばらく待ってからメリーに掛け直す。けれど電話は通話中で繋がらなかった。
一体どういうことかしら……? 私はつい眉間にシワが寄る。一連の様子を見ていた北斗も訝しそうに私を眺めていた。
「どうした?」
「ううん、ちょっと通話が繋がりにくいみたい。私達は私達でデパートを回りましょ。そうすればすぐに見つかるわ」
私はスマホを仕舞いながら首を振る。さっきは少し変だったけれど、きっと何かの間違い電話かイタズラね。
そう決め付けた私は、何も考えずに婦人服売り場へ向かっていった。