「何で、こんな……ことに!」
私は注目を集めるのも構わず、人混みを掻き分けて走る。 二階はフードコートや雑貨屋と家族向けの出店多いためか人が多い。
最悪だわ!と内心で悪態を吐かずにいられなかった。
私はメリーほど運動神経がないわけじゃない。けれど普段から運動をしていないツケが今に回ってきていた。息が切れる、太腿に乳酸が溜まって来てるのがありありとわかる。そんな私の様子を気遣ってか、前を走る北斗がスピードダウンして隣に並ぶ。
「大丈夫か? 駐車場まであと少しだ、少しくらい歩いても……」
「そうは、言って、られないわ……! このオカルトは、立ち止まっ、たら……」
私の途切れ途切れの台詞に割り込むように、スマホが鳴り出す。さっきはすぐに電話に出たから分からなかったけれど、着信相手は非通知になっていた。
けれどこの電話が誰からのものか既に分かっていた。できるものなら取りたくないけれど、自分の身を守るためには電話に出るしかなかった。
「ッ……!」
私が覚悟を決めてペン型のスマホを耳に当てようとしたその時、ちょうどよく駐車場のある地下へ通じるエレベーターが目の前で開くのが見える。
私と北斗は飛び込むようにそれに乗った。そしてドアが閉まったのを確認してから荒い息のまま、未だ鳴り続ける通話着信に出る。
『わたし、メリーさん。いまデパートの二階にいるの』
耳元で聞こえる小さな女の子の声に、私は背筋を凍らせた。
最初に掛かってきたデパートの入り口。その次は一階にあった携帯ショップにいると言っていた。やっぱり私達を追いかけている。
最初は悪戯だと決めつけていたのだけれど、電源を切っても、着信拒否をしても掛かってきたりしたら超常現象だと認めずにはいられない。
そしてメリーという知り合いによく似た名前の女の子からの電話。間違いない、信じたくないけどこれは……
「ねえ、北斗。こんな都市伝説を、知ってるかしら……?」
「悪いけど、多分知ってると思う。知り合いにそれの真似していた子がいたからよく覚えてるよ」
「悪趣味な遊びをする知り合いもいた者ね……」
「ははっ、まったくだ」
壁にもたれかかりながら、北斗は乾いた笑い声を上げる。横目で盗み見た顔は一切笑っていなかったけれど。
休憩はほぼ一瞬、情もなさけもなく金属の扉が開かれる。息がまだ整いきってない、足はガクガクだ。もううずくまって横になりたい。そんな衝動を叩き潰して、私は足を動かす。
メリーさんとの命懸けの鬼ごっこから逃げ切るために。
北斗がいてくれて助かった。私より断然冷静だし、車も運転できる。対して何もできない自分を思うと悔しいけれど、頼りになるわ。
私が乗用車の助手席に乗り込むや汗を拭う暇もなく否や隣からスマホが放り投げられる。先程買った北斗のだ。どうしたのか聞こうとするけれど、その前に北斗が切羽詰まったように口を開く。
「それで連絡を取ってみてくれ。あとシートベルト忘れずに、飛ばすから舌噛まないようにね!」
「え、ちょ、待って!」
私が急ぎシートベルトを締めると、それを確認した北斗が軽快な手付きでレバーを操作する。
タイヤの擦れる音とエンジンの唸り声が上がる。突然、急激なGが私の体にのしかかった。急発進した車はまるで洋画のワンシーンのような派手な動きで、駐車場を駆け抜けていく。
電話なんて掛けられるはずもない。悲鳴を上げることもできず、ただ歯を食いしばりながら座席にしがみつくことしかできなかった。
これがずっと続いたら、身体は保つのかしら? ふと不安が頭を過るけれど、駐車場へ飛び出て広い道路に出ると北斗は激しい運転をやめてくれた。それでも速度は怖いくらい出ているけれど。
「ふぅ……」
「ごめん、急いでデパートから離れた方がいいと思ってね。大丈夫だった?」
シートに身体を預け一息吐いていると、北斗が前を見据えながら申し訳なさそうに訪ねてくる。私はそれに帽子を被り直しながら応じる。
「まあ、なんとか。それにしてもよくあんな運転出来るわね。私には一生かかっても無理だわ」
「スピード出すだけなら誰でも出来るよ。命が惜しくなかったらね。俺は何とか制御できてるだけさ」
なんて北斗が簡単にのたまうけれど、それでもあんな運転できるようになる気がしないわ。私はクーラーから出る暴力的に冷たい冷気にあたりながら、汗を拭った。
デパートからかなりの距離遠ざかって緊張が緩んだところに例の着信が掛かってくる。メリーさんから逃げ切れたと確信し、幾分か心に余裕が出てきた私はすんなりと着信に応じることができた。
『わたし、メリーさん。今駐車場にいるの』
「私、蓮子さん。今ドライブ中なの。付いて来られるものなら付いて来なさいな」
私は幼い女の子の声に大人気なく挑発を仕掛ける。けれど反応は返ってくることはなく、また一方的に電話を切られてしまった。
もう少し悔しがるような声を上げてくれたっていいのにね。さて、流石にオカルトとはいえ車で逃げる私に追いつくことはないだろう。
一応無断で車で逃げちゃったわけだし、メリー達にも連絡しとかないと。私は自分のスマホをしまうと、北斗のスマホでメリーの番号に掛ける。別に意識して記憶した訳じゃないけれどメリーの電話番号だけはなぜかはっきり憶えていた。
『はい、メリーですけど……』
コール三回半、おっかなびっくりといった声でメリーが電話に出る。そういえば北斗のスマホから掛けてるから、向こうからしたら突然見知らぬ番号の呼び出しが掛かってるように見えるのよね。この反応も当然か。
ふと私の中で遊び心が芽生える。
「もしもし私、蓮子さん。今貴方の後ろにいるの」
『しょうもない冗談を言ってる場合じゃないでしょう! 蓮子、今どこにいるの?』
メリーはいやに真剣な口調で私を咎める。らしくなく心配してくれてるのかしら? 私は座席にもたれ掛かりながら、つい口の端から笑みを漏らしてしまう。
「ふふ、ごめん。ちょっと貴方の名前によく似た女の子にストーカーされてたの。今は車で市内を走ってるわ」
「よく似た名前って……」
「貴方も知ってるでしょ都市伝説のメリーさん。電話が掛かってくるやつ」
そこまで言うと、電話の向こうのメリーが黙り込む。きっと苦虫を噛み潰したような顔をしているんでしょうね、目に浮かぶようだわ。予想通りメリーは大きなため息を一つ吐いた。
「何か起こってるとは思っていたけれど……北斗も一緒なのよね」
「そうじゃないと車を動かせないじゃない。今も北斗のケータイ借りて電話してるわけだし」
「まあ、一応の確認よ。何はともあれ連絡で来てよかったわ。で、これからどうする予定なの?」
「どうするって……」
答えに窮した私は隣の北斗を見遣る。運転に集中しているのか、私の視線にまったく気づいていない。
そういえば、北斗はデパートから離れてもずっと車を走らせ続けている。表情もまだ固い。もしかして、北斗はまだ逃げ切れたと思っていないのかしら……?
車内の空気がじっとりと重くなる。忘れようとしていた緊張感が戻ってきて、私を苛む。今まで調子に乗っていた反動も相待って、一気に血の気が引いていく。
『……蓮子?』
「大丈夫よ、大丈夫……」
スマホ越しのメリーの呼びかけに私は強がることしかできない。
そんな時、崩れかけの心中にトドメの楔を穿たれた。左の胸ポケットに入れていたスマホが鳴動し始めたのだ。
まるで心臓の鼓動がバイブレーションにつられて早くなっていく。耳元でメリーが心配げに色々言っているけれど、答えるどころか耳に入れる余裕すらなかった。
さっきは駐車場と言っていた。なら次は……どこに彼女は現れる? どう、する? どうすればいいの……? 緊張で思考も身体の動きも停止してしまう。そんなとき、運転席から声を掛けられる。
「……頼みがある。蓮子、運転変わってくれ」
「え……?」
北斗から突拍子な無茶ぶりに、私は呆けてしまう。冗談かと思って振り向くが、北斗の顔は笑っていない。真っ直ぐ前を見つめながら私に向けて右手を突き出していた。
「俺が電話に出る。代わりにハンドル操作してくれ。ハンドルを真っ直ぐ保つだけでいい。何か起こっても俺が何とかするから」
「無理よ! そんなの……できるわけない……!」
「なら電話に出てくれ。今、蓮子にしかそれはできない」
「………………」
絶句してしまう。私は北斗の性格を誤解していたようだ。
一言で言い表すなら生粋のお人好し。困っているなら誰にでも手を差し伸べるような、甘い人だと思っていた。今だって、北斗が運転しながら電話に出てくれると期待していた。けれど……
北斗は今、私の覚悟を再び問いかけているんだ。敢えて危険が突き付けられているこの状態で。わざわざ自分もリスクを背負うことになるこの場面で。きっとどちらも拒めば、北斗はその通りにしてくれるでしょう。けれど、私はここにいられなくなる。
北斗と紫の目的は幻想郷で、この町で起こっている異変の解明だ。荒事はともかく、異変から目を背けてしまえば足手まといの烙印を押されることになる。
そんなことになったらまたメリーとの距離が離れてしまう。逃げちゃいけない。逃げれば次に何が起ころうとまた逃げてしまう。なら、私は……
「……逃げたくない」
もうメリーに突き放されたくない。
私は北斗のスマホを切ると突き出された手の平にそれを乗せる。その意図を察したのか、北斗は何も言わなかった。自分でも吹き出してしまいそうなほど分かりやすく震える指先で、ペン型スマホを手に取る。そして……通話ボタンを押した。
耳に当てたスピーカーから女の子の声が聞こえる。それは妙にはっきりとした声だった。
「わたし、メリーさん。いまあなたの後ろにいるの」
「……えっ?」
「なっ……!」
背後からの声に私は反射的に振り向いてしまう。そして後悔した。
後部座席の小柄な女の子と目が合ってしまったのだ。翡翠のような妖艶な光を放つ丸く大きな瞳と。
鴉羽色の帽子を被った淡い緑色のセミロングヘアーの少女。彼女は満面の笑みを浮かべながら、右手に握ったナイフを振り下ろしてくる。反応する間もなかった。鋭い銀の切っ先が首筋に触れようとしたその瞬間……
「伏せて!」
その言葉と甲高い摩擦音が聞こえたと同時に世界がグルリと回った。遠心力で身体が窓側に押し付けられる。
そんな緊急事態に、突然隣の北斗が私に覆いかぶさるように抱き着いてくる。けれど文句を言うこともできない。
次の瞬間、突き上げるような凄まじい衝撃が身体に叩きつけられた。
「大丈夫か、蓮子」
肩を叩く音と男性の声で目が覚める。身体中……特に腰元辺りが痛い。一体何があったのかしら? ストーカーの方のメリーはどうなった?私は頭を抱えながら固いコンクリートから身体を半身だけ起こす。
「よかった、怪我はなさそうだ」
そこには頭から血を流しながら、ほっと安堵の笑みを浮かべる北斗の姿があった。私は思わず飛び起きて、片膝を突く北斗の首根っこを掴んだ。
「ちょ、そういうアンタが無事じゃないじゃない! 一体何がどうなったのよ!?」
「いや、これは頭の傷だから酷く見えてるだけだって。で、どうなったかは説明しにくいんだよね……」
北斗は私の背後の方を指差す。さっきの出来事の後に振り向くのはなんとなく恐いのだけれど……
そこには電柱に横からぶつかって後部座席部分が潰れてしまった黒の自動車があった。ガラスはことごとく割れ、元の形はほとんど残っていない。さっきまで乗っていたはずのものが完全な鉄くずと化していた。
「えっと、車体を水平に滑らせて、扇状に半回転させたんだ。本当は塀にでもぶつけるつもりだったんだが電柱の位置が悪かったら死んでたな」
「死んでた、じゃないわよ! こんな無茶苦茶な……」
「こい……メリーさんの攻撃を止めるのにはこの方法しか思いつかなかったんだよ。お陰でせっかくの新車が一日でお釈迦だ。紫さんにネチネチ嫌味を言われそうだよ」
北斗はまるで汗のように額の血を腕で拭ってから立ち上がり、傍らに置いていた刀を手に取る。あれだけの大事故だったのに後部座席に置いていたはずの刀は曲がってすらなかった。
……あの少女はどうなったのだろうか?私を刺そうとしていたけれど……潰れて死んだのかしら。
「……そもそもアイツ、どうやって車に乗り込んだのかしらね?」
「オカルトはあり得ないことが起こるからオカルトなんだよ。物理法則で考えてたら一生理解できないぞ」
突然口を突いた疑問に、北斗が半笑いで答える。超統一物理学が専攻の私に喧嘩を売ってるわね。
とにかく、今のところ危機は去ったみたいだ。私は安堵の溜息を吐いて、隣に並び立つ北斗をまじまじと見つめる。
止血をしてさっきまでの凄惨な姿よりマシになったけれど、それでも見た目痛々しい。それにどこか表情が優れていない。なにかジッと考えているようだ。
もしも、仮定の話だけれど……私が北斗のように妖怪と戦える力を持っていても、私は彼のようになれないでしょう。咄嗟の判断、行動力、そして何より覚悟が足りていないのだから。
元は同じ世界の人間なのに、一体彼は幻想郷で何を体験したのだろうか。そんな私の疑問を知る由もなく、北斗は自分のTシャツの袖を破いて自分の頭に巻き始めた。
「病院に行かないの?」
「そんな余裕なんてないよ。まずはここから離れないと……立てる?」
「え、えぇ……」
私はふらつきながらも立ち上がる。辺りを探すけれど、残念ながらお気に入りだった帽子が見当たらない。私のために身代わりになってくれたと思いましょうか。
そして皮肉なことにスマホだけは傷一つ付いていなかった。ま、壊れてないのに越したことはないけれど。今まで疲れがドッとぶり返してくる。ひと眠りしたい気分だ。
けれど、せめてメリーに連絡くらいしないと……帰ったら説教されるわ。そう思った私は電話を掛けようとする。その時、唐突に背後から耳打ちされる。
「わたし、メリーさん。いま、あなたの後ろにいるの」
先程と同じ声、同じ口調の声が響く。それが耳に届くが速いか、私の横を疾風が駆け抜ける。慌てて振り向くと、北斗とメリーさんを名乗る女の子が鞘に入ったままの大刀とナイフで鍔迫り合いをしていた。女の子は短い得物に関わらず平然と片手で刀を受け止めると、可愛らしく首を傾げた。
「もー、また邪魔するの、お兄さん?」
「当たり前だ。俺がいる限り手出しはさせない。それに……」
北斗はそう言いながら身体を一瞬だけ引き、少女のナイフを空振りさせる。そして瞬く間に斬撃を放つけれど、それは当たらない。
当然だ、なんたって……その少女は空に逃げたのだから。少女はふわりとスカートを翻しながら車のぶつかった電柱の先に立って、私達を見つめている。対して北斗は猛禽のような鋭い瞳で少女を見上げながら、微かな声で呟いた。
「どういう事情か知らないけど、こいしに人殺しをさせるわけにはいかないから」
意味のよく分からない台詞だったけれど、北斗のその言葉にはどこか決意めいた感情が込められているように思えた。