ぼくと、衣ちゃんは、そんなふうに疑問を抱えながらも、今日も一日を、過ごしていくのだ。
{①}
二人っきりの室内、ぼくは衣ちゃんをいわゆる充電スタイルで乗っけていて、衣ちゃんは前かがみになりながら楽しそうにぼくのプレイするゲームを覗いている。
夕方、日が傾いて来たかという休日の、ぼくと衣ちゃん――天江衣の――いつものスタイルだ。
現在やっているのは息抜きに始めた麻雀ゲーム。オンラインで打つことが出来て、現在は見知らぬ誰かとモニター越しの麻雀の最中だ。
相手/打{發}
お、役牌。
「鳴かないのか?」
ふと、不思議そうに衣ちゃんがこっちを見ている。衣ちゃんのもっちり肌が、どことなく疑問を抱えた胡乱げな目つきとあいまって、なんとも言えない愛くるしさが漂ってくる。
思わず蕩けそうになる頬を緩めながら、ぼくはモニターに視線を向けつつ返答する。
こーいうのはスルースルー、どうせこのあと自摸れるしね。
「それもそうだな」
至極当然といった様子で、衣ちゃんの顔はモニターの方へと戻っていった。ぼくもそれをさして気にすることはなく、つづくツモにおっ、と声を上げる。
ぼく/ツモ{發}
「ドンピシャだな!」
そう、衣ちゃんがいかにも楽しげにいうように、今このツモで、ぼくはテンパイなのである。とはいえこの状況、すでにトップは明らかで、そのトップであるところのぼくがわざわざリーチをかける必要はないのだけど。というよりむしろ、こんなトコロでリーチをかけるのは愚策もいいところ、わざわざリーチ一つで自分を凡夫に変える位なら、ぼくは孤高の天才を貫いてみせる――っ!
と、そんなことを考えていたら、衣ちゃんがこっちをもう一度見上げていた。
……たっぷり、三秒の沈黙。衣ちゃんと目があった。かわいい。衣ちゃんがなにかそわそわして、ぼくに何かを求めている。眼を潤ませるようにして何かをうったえかけて、可愛らしい口は、小さなまんまるお月様を作っている。
まるで頭を撫でてもらいたがっている小動物みたいな――あぁもう、辛坊たまらん!
ようし、リーチだ!
「封殺だー」
どことなく間延びした、のんきな猫なで声を伴って、今、ぼくは万感の思いとともに、リーチを掛ける――――ッ!
――すでに三万点差をつけた他家三人に対し、一発ツモで親倍を和了る、大人気のない高校生二人が、そこにいた。
{②}
んー、ひどい勝負だった! こんなのの相手をさせられる人たちがホント不便だね!
「そうか? 衣はいつもあんな感じだが」
え? そうだっけ?
「んー、いや? そうでもなかったな」
だよね。
さて、と。
「む?」
それじゃぁねー、
「むむ?」
夕食にしようか!
「おー!」
衣ちゃんの顔が、なんだか難しそうなものになって、更に難しそうなものになって、それから晴れやかな笑みへと変わる。両手を高々と振り上げて、ぼくの膝から衣ちゃんはぬくもりをのこして消えてしまった。
立ち上がった衣ちゃんは、振り上げた両手を横に突き出して、楽しげにくるりと回りながらステップを踏む。
ぼくはその間に電源の入ったままになっているゲーム機を片付けて、両手を軽く叩いて払いながら、肩に溜まったチカラを嘆息で吐き出す。
「それで! 今日はどんなものがでてくるんだ!?」
ふふん、今日はなんと、ハギヨシさん直伝のタコスですよー!
「タコスか! ゆうきの好きな食べ物だったな!」
タコスちゃんのタコスが美味しそうだったもので、せっかくなので習ってみました。衣ちゃんも一緒に作ってみる?
「いいのか?」
先程以上に目をキラキラと輝かせ、衣ちゃんが即座にぼくの言葉を確かめてくる。膝下でこちらを見上げる衣ちゃん、ぼくはそれをたっぷり味わったあと、なんでもない風に応える。
うん、やってもらうことは学校の調理実習みたいなものだし、料理はレシピ通りに作れば、とりあえず形にはなるんだよ。
「それは、なんだか世界中の料理人に喧嘩を売っている気がするぞ?」
いやいや、料理を趣味とするぼくがこうして言うんだ、決して何も間違ってはいない!
「……相変わらず、玄妙なところで自信家だな」
なにやら難しそうに言葉を選ぶ衣ちゃん、まぁ普段の衣ちゃんが使う言葉に比べれば、だいぶわかりやすい言葉遣いなんだけど――
衣ちゃん! またぼくの事子供っぽいとか思ってるでしょ!
「な、そ、そんな訳はないではないか! ただ、少なくともお前と衣では、衣のほうが大人だと思っているだけだ!」
なにをう!? 衣ちゃんみたいな可愛い子が、大人なわけないじゃないか!
「か、かわ!? い、いやしかし、世の中には可愛い大人の一人や二人……」
……あの、何を思い浮かべたのかは知らないし、多分そんな大人も一人か二人くらいなら普通にいるだろうけど、多分衣ちゃんの思ってる人は、かわいいっていうんじゃなくて、きついっていうんだよ?
三十路近くになってあんな格好……
「むむむー! なんだか納得が行かんーー!」
いや、それをぼくにいわれても、それはそれで困るよ……
「それもこれも、全部お前が子供っぽいのが悪いんだ!」
……ころもっぽい?
「怒るぞ!」
うわっと。
{③}
「ごちそうさま、だ」
ごちそうさまー。
「ふぅ、美味しかったぞ、いやまったく」
手塩にかけたとはまさしくこのことだからね、苦労は世界に一つしかない最高のスパイスなのさ。
「おー、なんだか知らないがかっこいいぞ」
ふふん。
さて、それじゃあお風呂に入って、今日はもう寝ようか。
「そうだな、それになんだか、今日は二人で寝る前に話がしたい気分なんだ」
楽しげな衣ちゃんの表情が、しかしどこか憂いのあるものへと変わる。それは例えば日常を過ごす中で漠然と感じる不安のようなものだろう。誰にだってあるもので、それに答えを出せた人が、おとなになっていけるものだと、ぼくは思っている。
とはいえ、ぼくはそんな答え、出すことなんてできないし、それにそんな未来のことを思うよりも、今、衣ちゃんが笑っていないことのほうがずっと嫌だ。
衣ちゃんは一人ぼっちなんかじゃ決してない、だから、寂しさで、小さな不安を抱く時、ぼくは隣に居たいと思う。
それはきっと、決しておかしな感情じゃ、ないよね?
「それじゃあ行ってくるよ、着替えは……もう用意してあったな」
少しだけ顔を伏せて笑って、どこか寂しそうだった自分の表情を、衣ちゃんはかき消した。
ぼくと衣ちゃんは、一般的なお家によくあるような少し大きめのテーブルに、向い合って座っている。だから、どっちかが目をそらさなければ、ずっとぼくたちは向き合ったままだ。
そんな両方向のつながりは、衣ちゃんの方から途切れて、衣ちゃんは席をたった。
自分の使った食器を持って、ぼくの座る席の更に奥にある、ダイニングへとそれを運んだ。
「あぁ、それとも」
その後、衣ちゃんはすれ違いざま、流し目でぼくを見る。――光に照らされた月の女の子。衣ちゃんは小学生くらいの小さな体だというのに、そうして語るその一瞬は、驚くほど艶やかだった。
「――ともに、湯に浸かったほうが、いいかな?」
ぼくたちの食卓を照らす照明は、やがて闇に溶けて消えていく。その中心に、衣ちゃんは立っていて、――そうして浮かび上がる、天江衣のシルエットは――まるでお伽話から飛び出たお姫様のように、ぼくの眼にはうつるのだった――
{④}
湯船にゆったり使って、体は随分とさっぱりした、それでも抜け切らない蒸気は未だ体中を伝っているものの、ぼくたちは全くの別世界から帰還して、寝室のベットに腰掛けていた。
広い室内に、並べられた二つのベット。透華さんが、衣ちゃんがここでお泊りするために、わざわざ用意してくれたもの。
その端と端、少ししかないベットとベットの隙間に足を埋めて、ぼくたちは向かい合い、言葉を交わし合う。
その内容はごくごくいつもどおりの世間話から、馬鹿話、麻雀の話にまで及んだ。衣ちゃんは終始楽しそうに、ぼくも同じようにはしゃいで笑った。
楽しい時間だ。――それはいつの間にか、気づかぬうちに、終わりを告げていたのだけど。
やがて、衣ちゃんはそれまでとは全く別の話題をぼくにふってきた。とても真剣な声で、それ以上に、どこか視点の定まらない、意識の群れを伴って。
「なぁ…………大人になるって、どういうことだろうな」
それはきっと、たとえ大人でも、答えることはできないんじゃないかな?
「そうだろうな、衣にはよくわからないし、多分これからも、きっとわからないことだと思う」
うつむくようにして、しかし気負うようすはない。衣ちゃんの言葉に、一切の嘘はないのだから、何も躊躇う必要はない。
「気づかないうちに大人になって、気づかないうちにそれすらも、大人であったということすらも忘れていく。それなら、大きくなるって、どういうことなんだろうな」
……さぁ、ぼくはそんなこと、考えたこともなかったな。
「だろうな、答えを期待などしていないさ」
あはは、酷いの。
――でも、決してなにも語れないわけじゃあ、ないよ?
「……ほう?」
ぼくは、一つだけ知ってる。これはぼくと衣ちゃんだけが知ってることで、ううん、だれでも知ってることだけど、多分、ぼくだけがそれを語ることを許されてるっていうこと。
「――自負、か。相変わらず、おまえの自信は一体どこから来るのかわからないな」
――これでも、ぼくは天江衣ちゃんに、真っ向から向き合える人間のウチの一人なんだよ? 衣ちゃんが寂しがってた麻雀にしたって、衣ちゃんとこうして、一緒に過ごすことだって。
「…………、」
衣ちゃんは、かわいい。たとえそれはどれだけの時間がたとうと、衣ちゃんがどれだけ大人になろうと、ずっと変わらないことだ。それだけは、胸を張って、躊躇うことなくぼくは語れる。
「――あ、」
――ぼくの右手が、衣ちゃんの髪に触れる。小さな小さな、ぼくと衣ちゃんの間の隙間は、ぼくが手を伸ばすだけで、すぐに埋まってなくなった。
衣ちゃんの髪は透き通っていて、寝室を灯す、ちいさなランプの明かりが、乱反射して衣ちゃんの髪をきらきらと光らせている。きっと、まだ完全にお風呂の時の水気が乾いていないのだろう。――さっき、髪をドライヤーで乾かして、櫛を通した時も思ったけれど、やっぱり衣ちゃんの髪はすごい、極上の生糸のように、さらさらだ。
「…………えっと、あの」
そうしていると、衣ちゃんの顔が真っ赤な林檎のように赤くなっていった。
頬にさした赤味は、まさしく果実のように、甘くて、愛おしい。
――ん? どうしたの?
「その、な? こんな時、衣はどうすればいいのだろうな。最近の高校生は進んでいるとも言うし、思い切って抱きついてみるべきなのか、それとも楚々に、初夜を待つべきなのだろうか、と思ってな」
あぁそんなの。
ぼくはどっちでもいいと思うよ。
「……ふぇ?」
――だって、ぼくが衣ちゃんを永遠に幸せにすれば、それがいつだって構わないじゃない?
「な――」
語らせてもらうよ。
衣ちゃん。
――いや。
衣。好きだ、愛してる。
たっぷり、ぼくの想いと、それから沈黙と。あらゆるものを詰め込んだ一瞬は、――衣ちゃんの涙で、終わりを告げる。
そう、衣ちゃんは、泣いていた。
わけもわからない、というような呆然とした顔で。けれどもその顔を、困惑気味な笑みへと変えながら。
「……なん、だろうな。なぜだろう、衣は何も、悲しくない。――悲しくないのに、涙がどうしても止まらないよ」
わかっているはずだ。
衣は、嬉しくて泣いているはずだ。ぼくもそれはわかってる。だからぼくは笑って語るのだ。ぼくの想いと、ほんの少しのわがままを。
――そうやって、子供みたいに、ただ悲しいからなくんじゃなくて、さ。
――――悲しみ以外で泣けるのが、おとなになるって、ことじゃないかな?
そう言うと、衣ちゃんはごしごしと手で溢れ出る涙をこすりとって、
「――そうか、……そうだといいな。そうだったら、衣もきっと、――――嬉しいな」
はにかむ衣ちゃんの顔は、きっとぼくの、永遠の宝ものになるのだろうと、ぼくは、思った。
そういうわけで、衣編です。今回はサクッと仕上げてみました。
別案として、竜華視点で『園城寺怜とのこと』なんていう案もありましたが、VIPでやればいいのでこちらになりました。
ちなみに主人公の雀力は相手の子と真っ向からやりあえるけど一歩足りない、というのがデフォルトです。もしもマホっち編なんか書くことになっても、それは準拠すると思います。