清水谷竜華「園城寺怜とのこと」
園城寺怜と、清水谷竜華。最初はなんてことのない、普通の友だちとして二人は出会った。それなりに仲良くなって、それなりに日常をめいいっぱい楽しんだ。
「怜ー、一緒に帰らへん?」
サラサラと、春にそよぐ風のような透き通る糸を思わせる黒い長髪の少女。当時は少しばかり幼さが残る顔は、しかし後の美少女然とした風貌をその隙間にのぞかせていた。
「ええで? せっかくやし、ウチよってかへん?」
何処か線の細いか弱さをのぞかせる顔に、それでも子供らしく愛らしい笑みを浮かべさせた少女。高嶺の花、凛としたそれこそ百合のような美しさも、垣間見せるような少女。
「お、なんやなんや? オレもまぜてーな」
ツンとした勝気さが少年らしさを思わせる友人、江口セーラを交えた三人で、子供らしい日常を送っていたのだ。
「えー、セーラって男子っぽくてなんかいややわー」
「噂とか立つかもしれへんな」
「なんでや、オレかて普通の女の子やん」
他愛のない言葉で冗談を交わし、からかって、からかわれ、一日一日を噛み締めるように音を紡いで。さえずるように、語らった。
「なーなー怜ィ、これ、どういうことなん? さっぱり解らへん」
「私に聞かんといてな、私、病弱であんまり勉強できへんし」
「それやめ! ……あーもう、セーラも怜もよく聞き?」
苦手な勉強に、いやいやながらも勤しんで。三人で頭を悩ませて宿題を進めるのが、たまらないほど楽しくて仕方がなかった。
「怜ー! ボールそっち行ったでー!」
「ちょ、ま、まって、ほ、ほわ、わふ!」
「ちょセーラ、怜になにさせとんねん! 怜? が、顔面はセーフやで?」
外で遊びまわることも、中でコントローラーを握っていることも、時間を忘れるほどに熱中した。それだけで、過ごしていけた。
やがて、三人は一緒に大きくなって、そして同じように小学校を卒業した。退場に流れるホタルの光に、思わずセーラが泣きだしたり、担任の言葉に竜華と怜がなんとはなしにしんみりしたり。楽しい思い出をたくさん残したまま、彼女たちは中学校に進んだ。
そうして三人は、麻雀を始めた。
元は、セーラが個人的にプレイしていた麻雀に竜華と怜を誘ったことが始まりだった。三人で千里山中――当時、そこはそれなりに名のしれた中学だった――の麻雀部に足を踏み入れ、麻雀漬けの生活が、始まった。
最初は全員、牌を握ることが楽しくて仕方なかった。ポンと鳴いてチーと鳴き、カンをしては嶺上牌に思いを馳せる。リーチをしては追っかけに振り込み、オーラス直前のまくりあいを楽しんだ。
だれもがまっすぐに麻雀に打ち込んで。三人は、麻雀を通じて一つになっているかのように感じていた。
一日の成果を家族に報告することや。成長をコーチにほめられること。三人で卓を囲む事やそれぞれがじぶんの限界を目指すこと。
あらゆる場面で衝突しながらも追従し、追いかけ、追い越し、練磨を競った。
それまでのような、一つ一つの会話をかみしめて、一つ一つの出来事を永遠の思い出として記憶の中に保存する。これはその延長線上にあった。
清水谷竜華も。
園城寺怜も。
江口セーラも。
疑わなかった。疑いようがなかった。三人はそんな風にして、大きくなってもいつまでも、いつまでだって幸せに過ごしていくのだと。
三人の中に在る幸せを、確かめ合うようにして生きていく。そんな生き方を、誰もが疑うことなく否定することもなかった。
しかし、いつからだろう。
そんな三人の思いに、小さなズレが生まれてきたのだ。
きっかけは、それぞれの麻雀における実力差がはっきりしてきてしまったことだろう。最初の内は同じように成長していた怜と竜華とセーラであったが、やがてセーラが突出した才能を発揮すると、ぐんぐんと成長。全国にまでその名を轟かせるようになった。
しかしそれが、怜と竜華そしてセーラの間に、ある一定の距離感を設けてしまったことは間違い用のない事実であった。
別にそれが、三人の中を引き裂いたわけではない。不和を生んだことにより、喧嘩が発生したわけでもない。言葉にも出さなかったし、だれも自覚しなかったことだ。
三人の中が崩れることなど、そもそも想像すら出来なかった。だからこそ、セーラが二人から少しだけ距離を置かざるをえない状況に至った時、それを自覚するものは誰もいなかった。
要するに彼女たちはそこにいたっても昔と同じような付き合いをしたし、関係が変質したなど意識することも想像することもできなかった。いつもどおりの三人であった。
そも、更に少し経てば竜華も才能を開花、セーラだけが孤立することもなく、怜だけが孤立するようなこともない立ち位置で、それぞれは落ち着くのだが。
――ただ、その間セーラが練習などに時間を取られ、怜と竜華がふたりきりで過ごす時間が多くなったことは、紛れも無い事実である。
やがて、落ち着いた三人の関係において、セーラは竜華に、『少し大人びた?』と問いかけたことがある。ふたりきりで過ごした怜と竜華の時間。――清水谷竜華にとっての確かな変化は、その時に起こった。
二人で過ごし始めてから、竜華は怜を意識するようになった。――――当時は、それが女の子として怜が好きなのか、竜華として怜が好きなのか、結局判断もつかなかったけれど。
竜華の想いは……悩みに悩んで、迷い戸惑い苦しみ続けた、竜華だけの想い出はその時から始まっていた。――それはある夏の日のこと。暑さに倒れた怜を、看病することになった話だ。
♪
「ん……」
竜華の膝下で眠っていた怜が、少し呻きながら眼を空ける。……なんとなくだが、こうやってぼんやりと眼を開けて周囲を確かめる怜のそれはお姫様っぽくて嫌いじゃない。本当の怜は、よく笑い、冗談だって言う面白い女の子ではあるけれど、端から見る分には病弱っぽいのか、とも竜華は思う。
そんな怜を、竜華は思わずといった感じで頭を撫でながら、見守っていた。
「怜ー、大丈夫ー?」
努めて優しい声で、なんとはなしに問いかける。ぼんやりと焦点の合っていない様子であった怜も、やがては眼をパチクリさせてこちらを見つめ返してきた。
「あ、竜華……まだここ、お外なんや、あっついなぁ」
「でもここ日陰やで? さっきよりは涼しいはずなんやけど」
セーラが部活で居残りすることになり、二人きりでの下校途中、怜が暑さにやられてしまい丁度あった公園のベンチで怜を休めているところだった。
日陰は、暑い夏の日差しを遮ってついでに竜華も影になれば、怜はそれなりに快適じゃないのかと思っていたのだけど、やはりこの蒸し暑さは怜には厳しいようだ。
「せやなぁ……そや、ちょっとカバンからペットボトルとってーな。水、飲みたいわ」
「ええで? 水分補給は大切やからな」
もともとそれは、竜華だって考えていた。こうやって怜に膝枕をして、すぐに寝入ってしまうのでなければ、水を飲んでもらっていたところだ。
すでに横においていたそれを怜に手渡すと一度起き上がり、飲んでからさらにもう一度竜華の膝に倒れてきた。怜の体重はとても軽い。すこし心配になってしまうくらいだ。
竜華はすこし肩をすくめながら、怜に一つ問いかけた。
「んもう、もうすぐウチなんやから、後ちょっと頑張ればええのに」
「がんばるで? でも、もうちょっとだけこうさせてーな。……気持ちええねん、こうやってると」
そんな風に怜は満足気に嘆息し、竜華から目線をずらすと心地よさに身を委ねるように眼を細めた。
「……昔な? 本当に保育園のころやったんやけど、倒れたことがあってん。そんときにおかーさんがこうやって膝枕してくれたんよ。それがまた不思議でな? すっご気持ちええねん。膝の枕がやっこくて、すっごく安心できたんよ」
やがて怜は、なつかしそうに思いを馳せる。かつての想い出、そしてそこから浮かび上がる情景と感情の塊。
そうやって語る怜の声音に、竜華はなんとなく、うれしさと気恥ずかしさで頬を染めて何とはいえない心地で心の鐘を鳴らしているようだった。
「あぁ、この人は私を愛してくれとるんやなって、そう思えて。……私の髪を撫でて、それから優しく大丈夫? って声かけてくれたん。嬉しかったわ、有難かったわ」
なんとなく、竜華はそれは、怜が竜華のことを言ってくれているのだと、そうすんなり思うことができた。そうして同時に今でも思う。こんなことを恥ずかしげもなく語る彼女は、やっぱりすごいのだな、と。
「……なぁ竜華」
顔を軽く転がして、怜は竜華に目を向けた。
――それは、
「――ありがとーな?」
その言葉と同時に浮かべた“笑顔”は、竜華の声を詰まらせた。まるで竜華の中に、“清水谷竜華”以外の竜華が生まれてしまったのではないかという、感覚。
激しく響き渡る竜華の鼓動に、竜華自身が怜に心惹かれているのだと気がついたのはそれから数年たった後の事になる。
♪
――清水谷竜華が、始めて園城寺怜に惹かれてから、少しずつ彼女は怜に魅力を感じるようになっていた。
ぼんやりと、物憂げにしている時の、今にも消えてなくなってしまいそうなはかなげな様子。
楽しそうに笑って冗談を言って、周囲を和ませるやさしい姿。
あれ以来すっかり膝枕にハマってしまい、その度に近くで感じる怜の匂い。
数を上げれば、きりがない。
それだけ竜華にとって怜はかけがえのない存在であり、確かに心を占める力を持った、唯一無二の少女であった。
しかし、それでも竜華にとって、怜はセーラとならぶ大切な親友であった。自分の中にある感情を、正しく認識する事ができないでいた。
それは怜が余りにも近くにいすぎたこと。長く隣にありすぎたために、好意と友情の境目があやふやになってしまったため。
そして何より、怜と竜華は同性であった。竜華は自分を普通の女の子だと思っていたし疑うことはしなかった。
当時は竜華自身、それでもいいと思っていた。
判別の付かない感情なら、そのままにしておいたほうがいい。女の子が女の子を好きになる。普通なら、あってはならないこと。そんな忌諱感で怜に迷惑をかけてしまうくらいなら、ずっとそれを抱え続けたまま、自分は生きていけばいい。
そう、思っていた。
思おうと、していたのだ。
それに変化が訪れたのは高校二年生の事だ。その夏、怜が倒れた。あとに残るものではないが、死者が出ることもある危険な病にかかり、病院で寝たきりになったのだそうだ。
それを聞かされた時、竜華は初めて失うことを知った。
当時、竜華は麻雀で全国の舞台、インターハイに進んでいた。全国屈指の強豪校に入り一軍の、それもレギュラーとして闘っていた。
そんな青春の最中に、怜は自身の死と闘っていたのである。
竜華にとって、怜の病はどこか遠くにあるような気がしてならなかった。例えばそれは、画面の向こうに映るドキュメンタリーを家族と食事を摂りながら見るような、そんな感覚でいたのだ。
それもそうだろう。ただ体が弱いだけ、今まで平然と自分達に付き合ってきた少女がまさか死ぬなんて、誰も考えたことはない。
竜華にとって、それだけ怜の病とは実態の知れないものだった。
それが、高校二年生の夏に変貌した。
自分たちが遠い所に居る時に、親友すらも失うことが起きうるのだと、竜華は初めて認識した。
初めて、恐怖を覚えたのだ。
そう思ってしまえばもうだめだった。竜華は自覚する他になかった。
失ってしまうかもしれない、失いたくない。絶対に、自分の膝枕で眠る親友を。楽しげに破顔して、ともに時間を過ごしてきた親友を、――清水谷竜華が、もっとも愛する親友を。
失いたくない。そう、思ってしまった。
気がついてしまえば、もう心の堰を止めることは不可能である。竜華は自身に浮かんだ愛という言葉の形を認識することになる。
気がついてしまった。
――清水谷竜華は、園城寺怜が好きだ。愛している。――一人の少女として、同じ少女である怜を、竜華は恋してしまったのだ。
♪
園城寺怜を愛している。
最初はそれを、心の奥にひめようと思った。なにせそれは普通の恋ではない。認められないことだ、同性同士の恋など。
だから、ずっと胸の内に秘めて恋に恋したまま、竜華はそれを終えようと思った。なにせ恋は相手がいなければできない。そして竜華にとってその相手とは親友である怜である。
何年も、ともに歩いてきた過去がある。今でも、隣に居るのは怜のままだ。だからもし、告白し拒否でもされればかつてのようには暮らせなくなる。
大切だった想い出も、壊れて消えてなくなってしまう。
それだけは耐えられなかったから、ずっと秘密にしておいてそのまま済ませてしまおうと思っていたのだ。それでいいだろう、とも思っていた。
それが崩れるのは、そう思った少し後の事。怜がそれなりに回復し、ようやくお見舞いに行けるということがわかった時だ。
すでにセーラは先を越して怜のお見舞いに行っていた。その時は少しジェラシーを覚えたものだが、あとになって考えてみれば、もしかしたらセーラは竜華に気を使っていたのかもしれない。
部長として忙しく動きまわる竜華に迷惑をかけないよう、そして怜と竜華を二人っきりで邂逅させるよう気を使っていたのかも、しれない。
結果として怜と竜華は、他に邪魔するものもいない病室で二人っきりになったのだ。
――その日は、カラッカラによく晴れた夏らしい一日の終わり、黄昏を思わせる黄金色の夕日が室内を照らす日だった。
たった一人の個室に、園城寺怜が眠っていた。
睡眠中だったら申し訳ない、と静かに空けた扉に、しかし怜はすぐさま反応した。まるで待ちかねていたかのように、怜はそれに応えたのだ。
「……りゅーか?」
眠っていたのだろう。とぼけたようなまどろみの声。竜華はそれを、始めて膝枕をした時に見た怜の姿と重ねてしまった。嫌になるほど、胸の鼓動が高まって、感情が溢れて耐えられなくなりそうになる。
それでも、努めてこらえて竜華はそれに返答する。
「そやで? 怜ー、元気にしとる?」
「……うん、おかげさまで、なんとか今日も生きてるで?」
冗談じゃない、そうは思った。しかしそれでも言葉にするのは自分でこらえた。怜は気を使ってくれているのだ。心配しないでいい、私のことは気にしないでいい、と。
「……っ。あ、あのな? えっとな? その……大丈夫やった?」
そうやって浮かべる怜の気遣いを交えた顔は、竜華の心を締め付けているかのようだった。怜そのものが、竜華にそこまで染み込んでいるのだと、少しのうれしさと少しの苦しさで竜華は吐息を漏らす。
ほんのちょっとだけ、苦しげに顔を歪めた竜華に気づいてか気づかずか、怜は竜華の問いに笑んで返す。
「まぁ、その、倒れてからずっと、眠りっぱなしやったんよ、それでな? そん時のこと全然覚えてへんねん。苦しいはずなのに、たいへんやったはずなのに、全然、覚えてへんねん」
「……そっか」
ぽつりと吐き出すように息をこぼす怜は、いつもの怜だ。それは竜華の好きな時であり、いつもどおりの特に気負いもない怜だった。
嘘、ということはないだろう。安堵して竜華は少しずつ怜に近づく。個室はさほど広くもないが、入り口から怜までの距離はそれなりにあった。
「なんやその、インターハイお疲れ様。うちはほとんど中身見れへんかったんやけど……すごかったで? 竜華も、セーラも」
「あはは、最後にはまぁその、お疲れ様です。って感じやったけど」
「すごかった、いっつも隣に居るはずの人らがな、テレビの向こうにおんねん。なんか、うん、なんかすごかった」
キラキラと目を輝かせるようにして、怜は溢れ出る感情を語った。語りきれずにこぼれてそれでも、竜華に必死に伝えようとしていた。
竜華はそれを嬉しくも思うが、けれども同時にどこか寂しさを覚えていた。
「……怜も、一緒に行けるやろ?」
思わず、せき止めることのできなかった心。もしかしたら怜を傷つけてしまうかもしれないのに、それでも飛び出たそれはきっと竜華の唯一無二の、本音なのだろうと思った。
「私は……無理やわ、竜華かて知ってるやろ? 私、三軍のだめ部員やし、幽霊部員やもん。無理やって、無理、無理」
「……怜」
――あぁ、そうか。
寂しいと思って、それでも竜華はそれを確かなものとは感じ取れなかった。けれども、怜が申し訳なさそうにするその声に、自覚せざるを得なかった。
空元気のように笑う怜。
そうだ、それがいけないのだ。昔から、怜はあまり他人に弱音を吐くようなタイプではなかった。病気のことも、麻雀のことも。
辛くないと怜は言った。今は確かにそうかもしれない。しかし、体が疲れを覚えてどうしようもなかったことはあったかもしれない。ダメ部員だと怜は嘯くのだ。しかし、それを何とかしようと頑張ってきたのは、竜華だってよく知っている。
怜はすぐに、気丈にこちらへ振舞おうとする。どれだけ無茶をしようとも、そのために、どんな犠牲を払おうとも、怜は、いつでも竜華を安心させようとするのだ。
(……私は、清水谷竜華は、そんな怜を好きになってもうたんや。こうして笑う怜は、どうしても眩しくて、きれいやって思ってまう……せやけどそれを、受け入れられない自分がいるんや)
本来であれば気遣われる側であるはずの、怜がゆっくりと起き上がろうとしている。
竜華は、前に踏みでようとする足を、止められなかった。
湧き上がる感情を留めなければ、どこかで遮る壁が決壊を始める。耐えなくてはいけない所で、踏みとどまれないことくらい、竜華はよくよくわかっているはずなのに、止められなかったのか、それとも止めたいと思えなかったのか、自然と両手で、起き上がる怜を押しとどめていた。
「ん、もう、何すんの? りゅーか」
「無理しようたってそうはいかへんで、怜。ほら、ベットにもどる」
「せやかて、竜華なんや寂しそうやし、ちょっと心配やで? ウチ」
そうやって、誰かのことばかり気にするのは、怜の悪い癖であると竜華は思う。大切な人のことを、大切に思うのは間違いではない。けれども、今心配されるべきなのは、大切にされるべきなのは怜なのだ。だから、そうやって無理をするのは、竜華にはどうしても受け入れられない。
「アカン、アカンて怜。またそうやって自分のこと軽く見るんやから。怜は昔っからこっちのために無茶をして、そのたびにウチ等がどれだけ苦労したてきたか、解らんとは言わせへんで?」
「う、それはいつも悪い思ってます。ちょっとだけ、私にもできること、したいと思ってまうだけなんや。それに、竜華はインターハイで負けてもうて、それから部長になって頑張ってるんやろ?」
怜のそれは、どこまでも裏のない、心の底から飛び出した本音であった。少しだけ、しょうがないなぁと嘆息気味に、少しだけ、しょうがないじゃないかと申し訳なさそうに。
「――心配なのは、私も同じや」
そう、言った。
それが竜華の心の堰を本当の本当に、崩壊させてしまうとも、気づかずに。
「…………ッ! それが、それがァ!」
気がつけば、
竜華は、思わず声を荒げて表情を険しくさせる。怜は慌てたようにして、宥めるように竜華へと軽く微笑んでみせた。
「ちょ、りゅうか、ここ病室、病室やで?」
だがそれを遮るように、竜華は勢い任せに顔を伏せた。
「――それが、その態度が、ウチをどれだけ締め付けるか、解らへんやろッッ!」
怜の言葉を聞き止めていたからだろうか、体中からあらゆる吐息とともに放たれたそれは、しかし怜の体をびくりと震わせるにとどまった。
それでも思わず驚きを持った表情でのけぞった怜に、その勢いのまま竜華がまくし立てる。
「怜が何か無茶するたびに、それで怜が倒れそうになるたびに、ハラハラ見てるのは私等や! 今までやったら、それも怜の中の怜なんやろなって、納得して受け入れてきた。せやけど、それは本当の意味で、怜が無茶してこーへんかったからや! ……今はそれでええかもしれへん。けど、怜がもし、死にそうなほど無茶したら、私、どうしたらええの!?」
――寂しいのは嫌だ。
――喪うのは嫌だ。
――置いて行かれるのは嫌だ。
いなくなってしまうのは、嫌だ。――そう、考える竜華の心は果たして間違っているのだろうか。否、そんなことはない。大切に思うからこそ、いつまでも一緒にいたいからこそ、気遣うのが人間だ。心配するのが、人の生き方だ。
「そうやって、自分の命が、一番大切なはずやのに、なんで私らの青春を心配するねん!」
いよいよ持って、竜華の心は箍を外した。止められるものは、何もない。それは、竜華の頬から流れた、雫からも見て取ることは、十分だった。
怜は、驚いたまま、竜華に応えようとした。しかし、できなかったから。――口をついて出る言葉が、怜には何一つ、存在していなかったのだ。
「私らの一年と、怜の一生になる命――どっちが大事か、測るまでも、ないやずやの、に」
――少しずつ、はっきりとした声音は何処かへと消え、怜の両肩に置かれた手は、だんだんとそのチカラを、緩ませているようだった。
「もし、それが……ッ、怜の一生と怜の一年やッたら、ウチラかて、ッ応援する。怜の選んだ一年やったら、一生よりも、ずっと、ずっと大きな一年にしたる!」
溢れ出るのは、果たして涙か、それとも心か。
たまり続けてきたよどみのようなもの。気がついてしまった自分のこころと、溜め続けてしまった自分の想い。それを今、この一瞬でもって力に変える。
竜華は、もう――止まれないところまで、来てしまった。
「だから、お願いや、――お願いや、怜。そうでないと……」
一度、外れてしまった防波堤は、竜華の心を顕にする。そうなってしまえばもう、おしまいだ。後にはもう、たったひとつの、秘めようと決めた、たったひとつの――
「そうでないと…………ウチが怜を好きになった気持ちが、ダメになってしまうかもしれへん」
――恋心、しかないのだ。
「……え?」
そうして飛び出た言葉に、怜はすぐさま反応した。ぽかんと、呆然とするように竜華を見たのだ。そんな怜の表情に、竜華もまた我に返る。
「あ、いや、えっとこれはその、ちがくて……いや、ちがくな、でも、あ、――う」
今の自分は、どんな顔をしているだろう。
竜華はそれすらもわからなくなって、狼狽える感情を顕にしながら、やがて、何かを爆発させるようにかけ出してゆく。逃げ出して、行く。
「きょ、今日はここらへんで、ほなな――!」
「あ、ちょ、竜華ぁー!」
呼び止める怜を振りきって、竜華は怜の顔を顧みることすらせず個室を飛び出した。外に飛び出て少し冷静さを取り戻し、足早にさろうとするその表情は、白のやわらかい肌を、すべて赤く塗り替えているのだった――
――そして、その頃。
ひとしきり呆然として、ようやく状況を怜は飲み込んだ。竜華が、自分のことを好きだということも、そしてそれに、明らかなほど、恋という感情が絡んでいることも、理解した。
そうして怜が最初にしたことは、病室の横に備え付けられた戸棚から、一つの手鏡を取り出すことだった。
♪
それから、一日。竜華は完全に引きこもっていた。食事の時だけ台所に降り、無言でおにぎりを作って、部屋に戻った。もはや虚無しか自分にはないといった様子でそれを食べ、それからベットの上で、丸くなる。
時折漏れるのは、深く、重苦しいため息だけだった。
一日中そんな様子だった。気落ちした様子で、しかし何もしない訳にはいかない。そんな様子であったのは、今はマダ、怜を思わなくても良いからかもしれない。加えて、怜にあの時の叫びを、間違って認識されることを希望していたのかもしれない。
このままずっと、そうやって過ごしていくのかと、なんとなくそう思っていた時に、一本の電話がかかってきた。――それは、まるで謀ったかのように、もう一人の親友、江口セーラのものだった。
「もしもし?」
『おー、竜華か? 練習はないし、今日も怜のお見舞いイカへん?』
「んー、今日はやめとくわ。ちょっと行ける気せーへん」
電話の向こうには、元気そうないつものセーラの声音があった。当たり前だ。怜とセーラは今、実際に顔を合わせなければ連絡を取れないし、竜華はセーラに、あの告白からこれまで、一度も会話を交わしていない。
『なんでーや、別に二人っきりで会う必要もあらへんし、具合悪そうでもないやん。……なんや、怜と会えへん理由でもあるん? それともまた二人っきりになりたいとか?』
「あ、うん、……そうかも」
――失礼だったかな。そんな風に思いながら、ぽつり、と竜華は自嘲じみた感情を漏らした。それからセーラの言葉を待って、沈黙する。
『……もしかして』
何かにいきあたったかのように、少しだけもったいぶってセーラは少しだけ楽しげな声音を晒す。それは、竜華の心胆を、思い切り野槌で揺らすかのような衝撃だった。
『――怜に、愛してるって告白してもうたんか?』
心の臓が、暑さに蝕まれていた体の芯が、一瞬にして真冬の氷上に置き去りにされたかのようだった。手に持っていたケータイを取り落としそうになり、慌てて支えて両手で握る。力がこもるのを、機械越しに感じた。
「な、なんで知って……」
――その返しは失言である。そう気がついても、遅かった。いやそもそも、セーラは確信を持って竜華に問いかけているのだ。竜華は怜を愛している。それも恋愛感情を向ける相手として好きだ、ということを。
『んー? インハイ終わって帰ってきて、怜が倒れたー、って知ってから自分、ずっと上の空やったやん。部長引き継いで、仕事全部完璧にこなしとった辺り、ごまかしたつもりやったかもしれへんけど、オレの眼は誤魔化されへんで?』
「い、いやその、そもそも私も怜も女の子どうしやっちゅう話、なんやけど」
思わず、というような様子で竜華はそれを口にする。実際に好きになってしまった本人がそれを言うのだから、セーラは思わず吹き出してしまった。それからケータイの向こうで、転げまわるセーラの音が聞こえてくる。
呆然とする竜華を置き去りにしてひとしきり笑った後、明る気な声で会話が再開された。
『オレはな? 十年近く怜と竜華のこと見てきとんねん。それに男のいない女子校やとな、たまに自分の憧れ勘違いして、同性に告る阿呆がおるねん、オレも何度か告白されたし、別にそういうのに疎いわけやないで?』
竜華は某か、返答しようと口を開くが、間髪入れずのセーラの言葉に、それは遮られ、消えていった。
『まぁ、竜華のそれは昔っからやし、勘違いとは違うみたいやけど。恋心抱えるとか、めんどいことはやめといたほうがええで? そういうん、すっごい辛いのは、他人みててなんとなくわかるし、正直昨日までの竜華、見てられへんかった』
「……そんなに、酷かったの? ウチ」
『そりゃあもう、他の奴らはわからへんかったみたいやけど、オレの眼は誤魔化せないんや。いつ何かとんでもないミスするんやないかって、ヒヤヒヤしとった』
「そうなんや……」
諭されるようにして、思い返してみればその時の自分が、いかに自分がふらふらと、危ない橋の上でバランスを崩しかけていたか、よくわかった。とんでもないミスにつながりかねない行動は、これまでの中でいくつかあった。
――事実、秘めておこうと思った思いを秘められず、怜に告白してしまったのだ。
『それでな? 女同士とか、普通じゃないとか、そういうこともどうでもええねん。好きになった気持ちを否定するのは倫理でもないし、周りの人間でもない、本人同士だけやねん。せやからな? 竜華』
聞き入っていた。止まれないほど。竜華はセーラの言葉に、すべての意識をいつのまにやら傾けていた。
『心は、留めておくべきやない。たとえそれが叶わなくたって、勘違いだからって、躊躇うこたあない。こういうのは、秘めたままってのが、一番辛いもんなんやで?』
気がつけば、セーラに手を引かれるようにして、竜華は立ち上がり、室内を見回していた。一言いって、セーラからの電話を切る。
それからすぐさま活動を始めた。向かう先を、定めたのだ。
そんな竜華を押し出すようにして、電話を切る直前、セーラは更に一つだけ、竜華へと激励を投げかけた。大切な親友を、導くように。
『――行ってこい、竜華。告白、したんやろ? それやったらその後、返事を聞かな、告白にはならへんで?』
そう、言った。
♪
装いを整えるのもそこそこに、竜華は勢い任せに飛び出した。飾るものはない、服装も、色気のないといえば色気のないシロモノだ。
今はもう、すぐにでも怜の元へと向かいたかった。そんなもの、気にするだけムダだった。
家から飛び出す直前に、何とか掴んだ財布を使って、それでも急いだものだから、体中暑さで参ってしまいそうになって。
――これではまったく怜のことを怒れない。
本当に、そんな自分に嫌になってしまいそうだ。
セーラは語った、心は、押し留めておくほうがよっぽどつらい、と。それは、恋心というものを自覚してからこれまで、ずっと感じてきたから分かる。全くもってその通りのこと。
結局のところ竜華自身、怜と同じように、どこか無茶をするきらいがあったのだろう。“誰かを慮る”という事を優先し、“自分をないがしろにする”。それではきっとダメなのだ。
竜華が怜に望んだこと、怜の一生と、竜華の一年では、全くもって釣り合いが取れない。同じ事だ、誰かを思いやるこころと、自分を守ろうとする心、それが釣り合うことなど、ありえない。
人は好きになって欲しいから、愛を紡ぐ。それはきっと、誰かのために、何かを抑える心とは、決して等価にならないことだ。
怜が無茶をするのも、同じ事。――憧れが自分の中で生まれているから、それに追いつこうと努力する。がむしゃらに、前に進もうとするのだろう。
――きっとそれを否定するのは、誰かの諌める言葉ではなく、誰かがその無茶で悲しんでしまう涙なのだ。もしかしたら怜のそれは、誰かの涙でも治らない筋金入りのものなのかもしれないけれど。
だとしたら、だ。竜華がするべきことはなんだ? 竜華が恋した怜は一体、どんな怜だ? 心配をかけても軽く笑って悪びれもせず、自分を確かに持つことで、誰かを安心させる、園城寺怜ではなかったか?
そんな怜を思う竜華の心は、揺れて、動いて、絶え間ない。だからこそ、怜の側に居たいと思う。怜をどうしようもなく、愛おしく思う。
その心に、一体どんな間違いが在る?
無い、在るわけ無い。あっていいはずがない。
ようやくたどり着いた怜の病室。白く、閉ざされたドアはどことなく堅固に思えて、思わず竜華は息を呑む。しかし、怯えるものの正体は、この先にいる怜ではなく自分自身の心なのだと思い直し、意を決して堅い扉へ手を掛ける。
ガララと勢い良く音が空き、その先に怜がいた。
――おそらくは、竜華がやってくることなど、予想もしていなかったことなのだろう。怜は、驚いたようにして、そして同時に、隠しようがないほど、顔を真っ赤にしてみせた。
「――怜!」
思わず、漏れだした感情の群れ。自覚する。清水谷竜華は、どうしようもなく園城寺怜のことが好きだ。愛していると言い換えて、良い。
「……りゅー、か?」
気恥ずかしさから来るのだろう、顔中に浮かび上がった朱色は、怜の感情をとてもよく表していた。園城寺怜もまた、溢れだして止まらない、感情を己に有していたのだ。
「――怜」
「…………なに?」
ぼんやりと、怜はなんとか言葉を返した。その直後、勢い任せに竜華は一歩前に足を踏み出した。躊躇うことなく想いに変えた。
「――好きや。愛してる。親友としてやなくて、たった一人の、清水谷竜華として」
――――江口セーラが竜華を自信満々な物言いとともに送り出したのは、何も後悔だけを思ってのことではない。清水谷竜華と園城寺怜、両名のことを最もよく知る親友は、竜華のことだけではなく、怜の感情までもを、正確に理解していた。
故に、思ったのだ。園城寺怜から清水谷竜華へと向かう感情も、ただの友人同士のそれではない、と。
本当にそうであるかは、まったくもって賭けであったが、セーラはそのかけに、何のためらいもなくすべてをベットし、そして勝利した。
「――あんな? 竜華が一人で勝手に好きやっていって帰ってったあとな? 私、ちょっと鏡だして自分の顔、見てみたんよ、そしたらな?」
少しだけ恥ずかしさを残した笑みを浮かべて、嬉しそうに顔を赤らめる少女。怜は、楽しげに竜華へと視線を向けていた。
「今の竜華……あの時の竜華みたいな顔、してたんよ」
それは、たった今竜華が浮かべているような表情と、ほとんど同じようなもの。ちょっとだけ、怜のうれしさが勝っているだろうか。無理もない、竜華は未だ、緊張で体中がガチガチになっているのだから。
「そんとき、気がついたんや。恋するって、こんな気持ちになるんやって、――竜華も、こんな気持ちなんやって」
だから、と怜は続ける。
一拍もって、それを告げた。
「私も、園城寺怜も、竜華のことが――――大好きですッ!」
もう、それが限界だったのだろう。怜はそのまま顔を伏せてしまった。たとえそのままだったとしても、怜の顔を覗き見ることは、竜華には不可能ではあったが。
――そこには、二人の少女がいた。
清水台竜華と、園城寺怜。お互いに、気恥ずかしさに顔を伏せ、黙りこくって時間を過ごす。会話はない。しかしそれだからこそ満足の行く、
――初々しい恋人同士の姿、そこにはあった。
ちょっと百合SSが書きたかったので、自分の咲における百合の原点、怜竜で一本書いてみました。
いろいろいつもより気合が入ってるとか、そんなことは……あるんでしょうか?
ちなみに、これ以外のSSは今のところ主人公の性別は不明です。
もしも主人公が男の子確定の場合、それはそれで別枠にすると思います。