Glory of battery   作:グレイスターリング

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第三十四話 最強の編入生

「吾郎、本当に大丈夫? 母さん学校まで送ってくよ?」

「大丈夫だっての。 これからはバスと歩きで帰らなきゃならねーしな。 じゃ、行ってきやーす」

「吾郎兄ちゃん気を付けてねー!」

「おーう。 サンキュ」

 

 白のポロシャツと紺色のズボン、そして学校指定の鞄に野球用具が一式入ったエナメルバッグを肩に掛け、家の扉を開けた。

 今日から恋恋高校の一員か……。 思えばこの一ヶ月半、色んなことがあったぜ。 母さんに怒鳴られて学費を稼ぐ為にバイトしたり、編入試験に向けて嫌だったが中学以来に勉強もし、その合間を縫って自主トレに励んだりと、ある意味濃密な日々を過ごしたぜ。

 無事編入試験も合格して夏休み明けから晴れて登校できるが、1つ疑問に思ってることがある。

 

(アイツら……ちゃんと練習してんのかよ)

 

 そう、肝心の恋恋野球部の姿を最近見ないことだ。

 編入する前に野球部の連中に挨拶をしようと何度もグラウンドを訪れるも、一度も野球部はグラウンドに現れなかった。

 まさか敗戦のショックで練習をする気が失せたとかは無いとは思うが、どちらにせよアイツらがいなきゃ俺は恋恋を選んだ意味がねぇ。 とりあえず着いたら野球部の連中に声をかけてみるとするか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私にとって、朝の通学の時間は1日の中で1番憂鬱な時間でもあった。眠い目を擦りながら通学するのが苦痛だから? はたまたソフトの荷物を持ちながらの通学が大変だから? そんな単純な理由じゃない。

 

「おーす! っはよー薫ちゃん!」

 

 憂鬱な原因、それは朝の通学時間に決まってこの男がいるからだ。

 名前は藤井康太。 赤毛が特徴の私と同じ恋恋高校に通う2年生。 偶然にも同じ通学路を使っていたこともあり、こうして藤井から一方的に私の後をついてきているのだが、私はこの男が好きじゃない。

 

「ちょっとー、夏休み明けで久しぶりに会えたってのに冷たいじゃーん?」

「……うるさい。 そして近づくな」

 

 鞄に入れていたバットを藤井に突き立て、私はバスに乗り込む。

 

「えー……あ、待ってよー!」

 

 ちょっとやそっとの脅しじゃ諦めないことは知っていたが。

 

「ねーねー、17歳にもなってソフトボール一筋ってのもなんだか寂しくない? こんなにもカッコよくてギャグの冴えてる男が目の前にいるんだからさー、もっと青春しようよー。 あ、それとも他に好きな人がいるとか? 、……ってまさかそんな人は−–−–−」

「いるよ」

「ははー、そうだよね。 薫ちゃんにだって好きな人はいる……ってええっ!?」

 

 他に乗っていたお客さんも注目するほどの声量で驚く藤井。 そんなに驚くことでもないと思うけど彼にとっては一大事のようだった。

 

「ちなみに言っとくけど、私はアンタみたいな暇を持て余すほど退屈な男は好きじゃないから。 少なくともそいつはアンタなんかよりもずっとカッコやすくて野球に命かけるくらいに頑張ってる奴なんだ。 今は海堂で甲子園を目指してるから会えないけど……でも−–−–−」

 

 目を見開いた。

 そんなはずがない。 彼はつい数秒前自分が言っていた通り、海堂の野球部で甲子園を目指しているはずだからだ。

 じゃあなんで……なんで…………

 

 

「ん……あっ、もしかして清水か?」

 

 

 なんで本田が私と同じバスに乗ってるんだ!!?

 

 

「よー、朝から随分とアツアツじゃねーか。 久しぶりだな」

「ほ、ほほ、本田か!? どうしてここに?」

「どうしてって……決まってんだろ? 海堂を辞めて恋恋高校に編入したからさ。 そんで今日からここで打倒海堂を目指すつもりだ」

「え……ええっ!?」

 

 海堂を……辞めた?

 なんで。 なんであんなに行きたかった海堂を辞めちゃったんだ? それは同じ学校に本田が編入するのはむしろ嬉しい事ではあるけど、理由がイマイチ分からない。 海堂の強さなら間違いなく安定して甲子園や全国制覇も狙えるはずなのに。それに今ウチの野球部って……。

 

(え、薫ちゃん。 コイツがまさか……?!)

「ところでお前ら、付き合ってんのか?」

「は、はぁっ!? んなわけないでしょーが!! 誰がこんなつまらない男と付き合うか!」

「ぐはっ!?」

「おいおい……この赤毛、精神的に大ダメージ食らったぞ」

「赤毛じゃねぇ……藤井だよぉ……」

 

 全く。冗談もほどほどにしてほしい。

 

「ところで本田、さっきうちの野球部で海堂を倒すとかって言ったよな?」

「ん、ああ。 そうだが何か?」

「今さ、野球部がどういう状況かってのは知ってる?」

「状況? そういや何回か顔出しにグラウンドに行ったけど誰もいなかったな。 それと何か関係してんのか?」

 

 あちゃー。 これは何も知らないやつだ。

 

「それが……今野球部の人数が9人未満で試合に出れる状況じゃないらしいよ」

「………………へ?」

 

 次の瞬間、私と藤井の鼓膜を破壊するかのように絶望の声を上げる本田がいたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……まいったなぁ」

 

 夏休みも終わり、いよいよ新学期が始まった今日。 それぞれが新たな学期の始まりと共に心機一転頑張ろうと張り切る時期であるのだが、新学期早々から僕の心はかなり落ち込んでいた。

 

「おはよ、春見くん」

 

 両手で鞄を持ちながら金髪の美少女、雅ちゃんが僕の前の席へ座る。 今はまだホームルーム前ということもあり、教室は仲の良い友達同士で固まって話をしたりしている。 相変わらず元女子校の影響力は強く、教室を見渡しても大半が女子生徒だ。 その中でも雅ちゃんみたいに気軽に話ができる女の子がいるのは非常にありがたかった。

 

「どう? やっぱりまだ新しい人は……」

「うん。 女子は野球よりもソフトボールに行っちゃうし、数少ない男子は既に他の部活に入ってる人が大半だね。 一応声をかけてはいるけど一筋縄じゃいかないかな」

 

 今、恋恋高校野球部は非常に重大な問題を抱えていた。

 それは部員が公式戦の試合出場条件である9人に満たしていないのだ。 実は僕と矢部君、あおいちゃん、雅ちゃん、田代君、1年生で唯一入部してくれた手塚君以外の部員が夏の大会を機に退部してしまった。 でもこの退部は元々知っていたものでもあった。 彼らは野球部に入部した際、こんな条件を提示してきた。

 『どんな結果であれ、僕たちは来年の夏までしか部活はできない。それでもいいなら大丈夫だ』と。

 恋恋高校が男女共学になった理由の1つに、聖タチバナにも負けない県内きっての進学校にするという、理事長の考えがあった。 彼らも最初、より良い大学に進学する為に恋恋高校を選んだらしい。 つまり、もともと部活をする気は無かったんだ。 それでも、僕たちの熱い説得もあり、断腸の思いではあったもののこの条件で入部してくれた。

 正直、罪悪感はあった。 でも彼らは夏の大会後、こんなことを口にしてくれた。

 

「葛西。 俺、野球部に入って良かったよ」

「野球部は辞めちまうけどお前らのことはこれからも応援するぜ。 今まで本当にありがとな!」

 

 誰1人、野球部に入部したことを後悔していなかったのだ。僕はその言葉を聞けただけで充分嬉しかった。 今まで本当にありがとう。 そしてワガママに付き合ってくれて感謝している。涙ながらに頭を下げたのを覚えている。

 その後新しい部員を獲得すべく、日々校内の生徒を勧誘しているものの−–−–−

 

 

 やはり現実は甘くなった。

 

 

「でもっ、今日は夏休み明けだしほとんどの子が学校にいるからチャンスだよ! 午前中で授業も終わるし皆で野球部に入ってくれる人を探そう!」

「……そうだね。ありがとう、雅ちゃん」

 

 いつまでも落ち込んでじゃダメだ。 辞めてった彼らの分まで、もう一度野球部を復活させないと。 よしっ、頑張るか!!

 

「たったたた大変でヤンスよ〜!!!」

 

 特徴ある丸底メガネとヤンス口調。 野球部創設時から外野手として活躍している俊足巧打のリードオフマン、矢部君だ。

 突然教室の扉を勢いよく開けて、僕と雅ちゃんの前へ華麗な滑り込みを決めてみせた。 凄いな、まるで試合ばりの走りだよ。

 

「はぁっ、はあっ、た、大変、で、ヤンス……」

「どうしたんだ矢部君? まるで討ち死に直前のザクガンダーロボのパイロットみたいだよ」

「ザクとは違うんだよ……ザクと、ってオイラはあんな噛ませ犬じゃないでヤンス!! まぁ葛西君がガンダーロボに詳しくなってるのは嬉しいでヤンスが……」

 

 そりゃ、休み時間や練習終わり、オフの日とかに矢部君が家に招待してガンダーロボのゲームやアニメ鑑賞をこれでもかっ!てほど勧めてきたからね。 嫌でも頭が記憶してるよ。

 

「それで、大変なことって……?」

「あぁ、そうでヤンス! へ、編入生が……あの茂野吾郎君がここに編入してきたでヤンス!!!」

「え…………?」

「嘘……?」

 

 茂野って……あの茂野君!?

 どうして……だって彼は海堂にいるはずじゃ?

 

「矢部君、それは本当かい?」

「本当でヤンスよ! さっきソフト部の薫ちゃんと藤井君と3人で歩いてたでヤンスから! 嘘と思うなら直接本人達に聞いてみるといいでヤンス!」

 

 たまに矢部君って変な嘘つくからなぁ……。 ここまでムキになって言うのもどこか引っかかるけど……確かにここは直接行って確かめた方が良いかもしれない。

 

「雅ちゃん、行ってみよう」

「うん、分かったよ」

 

 ソフト部の朝練はもう終わりのはず。 1番近い1組の清水さんに聞いてみよう。

 

 

 

 

 

「本当よ。 あのマヌケな顔と無駄に高い身長は間違いなく本田だよ」

「本当にぃ? また薫の見間違いなんじゃないの?」

「見間違いなわけないでしょーが。 私の方が本田との付き合いが長いんだよ」

「付き合い? へぇ〜薫と茂野君ってそんな関係なんだー」

「んなわけないでしょ!! ただの幼馴染よ……ただの……」

(どう考えても気になってるじゃないの……分かりやすい)

 

 ……来てみたのはいいものの、どう反応すればいいのか…?

 

「でもま、野球部からすれば良かった話じゃない。 海堂で野球部在籍していた肩書きにあの茂野英樹選手の息子となれば申し分ない戦力よ。 野球部がなかったらソフト部に来てもらいたいわ」

 

 ウィダーで軽食を取りながら高木さんが羨ましそうに言う。

 高木さんは恋恋高校ソフトボール部の主力選手であり、ポジションはキャッチャーで4番も任されているほど。 清水さんとの強力バッテリーも有名で、今年の総体の全国大会出場も決めている。

 

「噂では3組に1つ席が空いてるらしいから本田はそこのクラスになる可能性が高いよ。 時間がある時に一度顔を出してみるといいんじゃない?」

「そう……だね。 ありがとう清水さん、高木さん」

 

 3組となるとあおいちゃん・七瀬さん・田代君のいるクラスになるのか。 だったら先に2人が接触してるかもしれない。

 時計見ると、あと2分ほどでホームルーム開始のチャイムが鳴る。 一度教室に戻って後で確認してみようか。

 

 

 

 

 

 

「おいっ、離れろって言ってんだろ! 暑苦しいんだよ!!」

「え〜、いいでしょダーリン♡ 私も野球部に入部してあげるから〜」

「早川と小山は経験者だからできるんだよ! お前はやったことないんだろ?! だったらダメだ! 怪我するぞ!!」

「もう、ダーリンの意地悪。 ならしょうがない、マネージャーで妥協してあ・げ・る」

「もう勘弁してくれえええええ!」

 

 夏休み明け初日ということもあり、この日の授業は昼で終わった。

 早速、雅ちゃん・矢部くん・手塚君と共に3組を訪れてみたけど、いきなり修羅場になっていてただただ困惑するばかりだった。

 

「いい加減にしなさいってば! 茂野君困ってるでしょ!」

「うるさいわねー、外野は黙ってなさいよ。 私とダーリンのロマンチックなひと時を奪わないでちょうだい」

「もーう!! 離れろってのよ!!!」

「バカっお前ら、ここで喧嘩はやめろって!!」

「あおい! 喧嘩はダメだってば!」

 

 田代君の七瀬さんが慌てて仲裁に入り、30秒後に喧嘩は無事鎮火した。 どうやらあおいちゃん達と同じクラスの中村美保さんが茂野君を気に入ったらしく、話をしようとするもベタベタとくっついてキリがなかったので強硬手段に出てしまったらしい。 隣で矢部君が「リア充爆発しやがれ」を小声で連呼しているのもかなり怖いんだけど……。

 

「やっと静まりましたね……」

「あおい、美保さん。 喧嘩はダメですよ」

「全くだ。 早川、お前の拳は相手を殴るためあるのか? 違うだろ。 せめて殴るなら矢部の眼鏡だけにしておけ」

「そうだね……ごめんね美保ちゃん」

「ううん。 私も取り乱しちゃったから……ごめんなさい」

「あれ? さりげなくオイラ酷いこと言われてないでヤンスか?」

「「「「「「気のせいだ(よ)」」」」」」

「そうでヤンスか。 なら安心でヤンスね」

 

 矢部君がアホで助かったよ。 普通気付くと思うんだけどね。

 

「おい、茶番はその辺でいいか? お前らから聞きたいことがあるんだけどよ」

「分かってる、僕たちも茂野君に話さなきゃと思ってたからね」

 

 恋恋野球部の人数が9人に達していないこと、このままでは試合に出場できないこと、その影響で練習時間を削って部員を探していたこと、現在置かれている状況を全て説明した。 中村さんだけイマイチ理解できずにいたけど他のメンバーは勿論、肝心の茂野君も頷きながら聞いてくれた。

 

「マジかよ……じゃあ秋はどうすんだよ! このままだと来年夏まで公式戦はお預けじゃねーか! それじゃあ俺は−–−–−」

「茂野君、落ち着いて。 仮に秋までに人数を揃えて試合に出れたとしても、茂野君は編入生だから来年の夏の大会しか参加はできないよ」

「そんなの分かってるって! 問題はそこじゃねぇ、お前らに少しでも試合に出て強くなってほしいからだよ!」

「強く……?」

「ああ。 俺はなんとしてでも海堂をぶっ倒してやりたい。 その為にこの恋恋高校へ編入してきたんだ。 だったらその仲間には強くなってほしいと思うに決まってんだろ? 練習の手伝いや部員集め、できる範囲でなら何でも協力する!」

「茂野君……」

 

 海堂で全国制覇を目指すとてっきり思っていた。 まさか海堂を逆に倒したいだなんて……そんな考え誰がするだろうか。 おそらく全国を見渡しても茂野君しかいない。 それに海堂に勝つなら恋恋よりもあかつきや帝王、パワフル高校、大地達がいる聖タチバナの方が可能性は高い。 わざわざなぜウチを選んだんだろうか……?

 

「夏の県予選−–−–−俺はタチバナと恋恋の試合を観戦したよ。 どっちも燃えるようなすげぇ試合してたし、素直に感動した。 そして俺が編入したいと思ったのは恋恋だった。あの厳しい状況でも諦めず、強者に立ち向かおうとする姿勢、俺はそういうのが大好きなんだ。 それで思った、コイツらとなら必ず海堂をぶっ倒せる。 いや、それだけじゃねぇ、その先の甲子園だって制覇できる、そんな力を秘めているチームだってな。 だから−–−–−俺はこのチームを選んだ」

 

 きっぱりと、茂野君はそう言い切った。

 甲子園だって制覇できる……そう思ってくれてたのは少なからず嬉しい。 こちら側としても茂野君が野球部に入ってくれるのは百人力を通り越して千人力だし、あおいちゃんと手塚君の負担もかなり減る。 断る理由がまるで見つからない。

 

「……皆はどう思う?」

「オイラは大賛成でヤンス! こんな天才が入部するなんて願ったり叶ったりの展開でヤンスよ!!」

「俺も賛成だ。 海堂にいただけでもすげぇのにましてや一軍も倒して茂野選手の子供となると期待が持てる。 絶対入部させるべきだ」

「自分も田代先輩と同意見っス!」

「私も良いと思う」

「………………」

「あおいちゃん?」

「へ? あっ、うん、ボクも良いとは思う。今のところは……」

 

 若干あおいちゃんの反応が引っかかるけど、とりあえず皆が概ね賛成だし、後は山田先生が入部を認めてくれれば大丈夫そうだ。

 

「なら決定だね。 茂野君、これから短い間だけどよろしく!」

「よろしくお願いします。 中村さんも私と一緒に頑張りましょうね」

「えっ、頑張るってなにを?」

 

 ズコーッと盛大にこける野球部一同。 息ピッタリすぎて心の中で爆笑しちゃったよ。

 

「お前さっきマネージャーやるとか言ってたろ? まさか嘘だったのか?」

「えー!? 本当にいいの!? てっきり冗談のつもりかと思ってたんだけど……まぁダーリンも入部するし、なら私も人肌脱いじゃうわ!」

 

 ……大丈夫か不安だけど中村さんには七瀬さんがついてくれそうだし、問題ないだろう。逆にあれだけ元気な女子がマネージャーをやってくれれば七瀬さんの負担も減るだろうしありがたい。

 

「茂野君、まずは入部届を書いて先生に出しに行くから俺について来てくれ。 他の皆は先にお昼を済ませちゃってていいよ」

「了解っス!」

「あおい、今日はおにぎりを握ってきたんだけど食べる?」

「本当に? 食べる食べるー!」

「ならオイラも−–−–−」

「眼鏡の分は無いッ!!」

「グブオアッ!?」

「おい……大丈夫か?」

「気にするな、いつものことだ。 早く出しに行ってこい」

「お、おお……」(矢部の奴はいつもあんな目にあってんのか……?)

 

 矢部君……ドンマイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 海堂を倒すため−–−–−か。

 とても普通の凡人には考えつかない思考だ。 苦労して海堂に入学して、今年の一軍チームにも勝った選手がわざわざ自主退学してこんな実績の無い新設チームで古巣を倒す。確かにその目標はとてもハードルが高く、達成した時の喜びや感動は彼にとって計り知れないものかもしれない。

 けど−–−–−それはボク達にも同じと言えるのだろうか?

 

「佐藤寿也はあかつき大付属、茂野は恋恋高校に編入、か。 去年の夏に合宿した時からはまるで想像できなかったよな」

「どちらも海堂に残ってたら歴代最強クラスのバッテリーが組めてたのに……やっぱり人って時間が経つとどう変わるか分からないよね」

「佐藤寿也は私でも聞いたことあるわ。 確か今年の甲子園にも出て、猪狩守とのイケメンバッテリーで一世を風靡したとかなんとか……」

「今年は帝王が優勝したでヤンスが、それでも猪狩君は化け物じみた成績を残してたでヤンスね」

「2回戦と決勝を除く3試合に登板して2完封と1つのノーヒットノーラン。 防御率はもちろん0.00で奪三振数は驚異の58個。 さらにノーヒットノーランはあの甲子園常連校のアンドロメダ学園相手に達成。四死球はたったの1つとコントロールもスタミナも申し分ない。 対する佐藤寿也選手は序盤こそ代打での出場が多かったものの3回戦で初めてスタメンマスクを被ると二打席連続ホームランの活躍を見せ、決勝でもあの山口選手から同点スリーランを放つなどバッティングでチームに貢献……と言った感じでしょうか?」

「うわぁ、流石っスね七瀬先輩!」

「チームきってのデータマン、いや、データウーマンだったか。 対戦相手以外の情報も細かく集めてるからキャッチャーの俺としても有難い限りだぜ」

「私はこれくらいしか皆さんのお役に立てないですから……直接戦ってらっしゃる皆さんに比べたら全然ですよ」

「そんなことないよ! はるかちゃんだって立派に戦ってるよ!」

「そうそう、小山の言う通りだ。データ収集だってある意味バトルしてるようなもんだ。 特にキャッチャーにとって最後にモノを言うのはデータ量と分析だからな。 七瀬のような存在はチームにとって欠かせないぜ。 なぁ早川?」

「………………」

「早……川?」

「……ん、あっ、ゴメン。 えっと……」

「どうしたんスか? さっきからずっと様子が変スけど……」

「あおい、どこか具合でも悪いの?」

「ううん。 全然大丈夫だよ。 ちょっと考え事してただけだから」

 

 あはは、と笑って誤魔化す。

 けど、どこか心の中にある納得のいかない部分が引っかかる。 茂野君が入部してエースの座を奪われるから? それとも途中参戦した選手を認めたくないから? 色々と思いつく限り頭でグルグルと出してみるも、違和感の理由はそんな安っぽいものじゃなかった。

 もしかしたら葛西君だけは気づいているのかもしれないけど、ここにいる皆はまだ誰も気づいていない。

 このままの状態で試合に挑んだても、海堂を倒すどころかそこへ辿り着くことすらできないんじゃないか、と。

 今の茂野君には、" 何か " が欠けてしまっている気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Oh、皆さんお揃いですね」

 

 教室に戻るとちょうど昼食を食べ終えて適当に雑談していたところだった。 グッドタイミングて良かったよ。

 

「あ、山田先生。 こんにちはー」

「はは、こんにちは。 それでは急でありますが今後の予定を皆さんにお伝えしましょう」

 

 さっきまで和気藹々と楽しんでいた雰囲気から一転、ピリッとした緊張感が走る。 こういう切り替えができる点は本当に良いチームだ。

 

「まず、茂野君の入部届は私が受理しました。 後で生徒会の方に提出しておきます。それと……1番の問題である部員の件ですが、実は茂野君に1人心当たりがいるという話を聞きました」

「ええっ!? 茂野先輩、それは本当っスか!?」

「ん、ああ。 朝1人男子生徒とあってよ、たまたま一緒だったソフト部の知り合いに聞いてみたらどうやらそいつ帰宅部らしいし悪い奴じゃなさそうだから誘ってみたらいいんじゃねーかと思ってさ」

 

 朝に会っていた男子生徒−–−–−そう、赤毛がトレードマークの藤井君だ。

 

「朝一緒にいた男子生徒って……藤井君?」

「なんだ、小山知ってんのか?」

「知ってるも何も、私と春見君と同じクラスだからね。 いつも明るくてクラスのムードメーカー的な存在だよ」

「ムードメーカー、か。 野球センスは置いとくとして明るい奴なら悪くないな」

「ふっふっふ。 ならオイラの美しい口説きテクでその藤井っ男を野球部に引きずり込んでやるで−–−–−」

「そのことですが、勧誘の方はノゴロー君と葛西君に任せることにしました。 絡みのある2人なら警戒される心配はないですからね」

「そ、そうでヤンスか……」

 

 矢部君に任せたら間違いなくガンターロボ系の話題に逸れる恐れがあるからちょっと……ということで納得してほしいです。

 

「ノゴロー君と春見君以外は練習をしていて結構です。念の為、秋の大会は出場する方向で行きますのでね」

 

 人数は揃っていないものの、残りは茂野君を除いてあと3人。 上手くいけば数日で集まるかもしれない上に大会まであと一か月とちょっと。 部員集めも大事だけど練習の方もしておかないとまずい。 僕とノゴロー……じゃなくて茂野君も藤井君に入部の意思を聞いてきたらすぐに交流するつもりだ。

 あらかた今後の予定を伝え終わったその時、ピンポンと放送のチャイムが校舎に響いた。

 

『……山田先生、山田先生。 理事長室までお越しください』

「今の……倉橋理事長の声だよね?」

「まさか、山田先生が何かやらかしたとか?」

「はは、特に心当たりはないんですがね……、私は先に席を外しますが後は各自で伝えた通りにお願いします」

『はい!』

 

 山田先生が悪い話で理事長から呼ばれるとは考えにくいし、とりあえずは心配ないだろう。

 藤井君はもう帰ってるはずだから茂野君と一緒に自宅へと向かうつもりだ。 この学校では数少ない帰宅部の生徒で、しかも男子。 このチャンスは何としてでも逃すわけにはいかない。 長期戦になることを覚悟をし、教室を出て行った。

 

(なんで……なんでよりにもよってアイツを誘うのよ……)

 

 

 

 

 

 

 

「よー、待ってたぜ」

 

 と、家に行く手間が省けた。

 まさかの犯人が玄関前で待っていてくれたのだ。

 

「藤井君……どうして?」

「いやぁ、ちょっとお前らに用があってな……っ!?」

「ん……うえっ!? なんで中村まで来てんだよ!! 七瀬と一緒じゃなかったのか?」

「邪魔はしないから安心して。 ただ見に来ただけだから」

 

 なんだ……中村さんの表情がいつになく冷淡な気が……? 藤井君もどこか気まずそうに視線を逸らしているのも妙だし、まさかこの2人、昔に何かあったのか……?

 

「……まぁいい。とにかくそこの薫ちゃんの幼馴染のお前、俺と勝負しろ!」

「は? 俺?」

「そう、お前だ。 互いに10球ずつ投げてそれをヒットさせた回数を競うんだ。 それでもし俺が勝ったらエースで4番として俺が入部してやる」

 

 ………………ん? 今何と……?

 

「ちょっ、ちょっと待て。 エースで4番て正気か?」

「あぁ。 俺は至って正気さ。 野球の醍醐味はエースで4番だろ? それ以外じゃなきゃ俺は入部しねぇ。 お前が勝っても同じだ」

 

 つまり、藤井君が勝つ以外、野球部への入部はしないってこと!? しかもエースで4番とは……茂野君が海堂から編入してきた話、聞いてなかったのか?

 

(ど、どうすんだよ! これじゃあ入部なんてできねぇじゃねぇか!)

(……仕方ない。 茂野君、君がちょ〜う手を抜いて負けるんだ。 それしか手はない)

(でもよ、アイツエースで4番じゃなきゃやらないって言い張ってるぞ? あんな初心者に本気でやらせるつもりか?)

(それは終わった後に皆で説得しよう。 今は彼の勝負に乗っかってあげた方が良い)

(くそっ……なんで俺がこんなこと……)

 

 藤井の考えはこうだ。

 茂野は薫ちゃんの大切な幼馴染

 →その茂野が野球部に入部

 →だったら自分が野球で茂野に勝てば薫ちゃんは俺を認め直す

 →エースで4番になれば間違いなく惚れる

 こんな安直な計画であった。

 

「チッ、分かったよ。 やりゃいいんだろ」

「うぉっしゃ! 男に二言はねぇからな! 俺はこれでも子供会の野球チームでピッチャーやってたんだからな! 藤井様のスーパー魔球を見せてやるぜ! ハッハッハッハー!」

 

 大丈夫かなぁ……これ。 負けたショックで入部なんてするか! とか言わなきゃいいけど……不安だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

 茶色の高級そうな扉をコンコンとノックし、部屋の主から「どうぞ」と了承の声を確認してから理事長室へと入室する。

 山田先生と倉橋理事長の他にも、セーラー服をまとった端正な顔立ちの女子生徒と、30後半から40前半の見知らぬ男性もいた。

 

「すみませんね、わざわざお呼びして」

「いいえとんでもない。 理事長のお呼びなら断れませんよ。 何か大事な話でも……?」

「ええ、話は話なのですが……とりあえず腰をかけて楽になってください。 桂木さんと彩乃も座っていただいて結構ですよ」

「すみません倉橋さん、ではお言葉に甘えて失礼します」

「あ、ありがとうございます。お婆様」

 

 若干硬く、緊張した様子の中で4人が黒のソファーへと座り込む。

 

「まずは紹介させてもらいますね。 この方は桂木和義さん。 プロ野球、シャイニングバスターズのスカウトを任されている方です」

「プロ野球の……スカウト?」

「はい。 紹介を倉橋さんからさせてもらった通り、わたしはシャイニングバスターズで主に関東地区のスカウトを任されています、桂木です。 今日は倉橋さんにお願いをしまして野球部の顧問の方とお話がしたくて急遽、恋恋高校にお邪魔しました」

 

 ?と内心疑問に思う山田先生。

 プロのスカウトなら他に帝王実業や海堂学園、それに甲子園優勝チームと善戦をした聖タチバナ学園など、もっと有力で知名度の高い学校に訪れたほうが良いのでは? と普通なら考えるはず。 ウチの野球部に一体何の用があって来たのか理由が掴めなかった。

 

「私は恋恋高校野球部の顧問を任されています、山田一郎です」

「山田……さん。 申し訳ないです、外見が外国の方だったのでつい驚いてしまいました」

「いいえ、気にしてないですよ。 それで話というのは……?」

「ああ、そうでしたね。 はい……実は私、去年の秋の大会以降、恋恋高校の野球部さんに非常に興味を持ちまして、今年の夏の大会も仕事としてではなく、個人的なプライベートとして観戦しにも行きました。 主将であり、あのあかつき中で3番セカンドを任されていた葛西君を始め、アンダースローから魅力的なシンカーを投じる早川さん。力あるバッティングと技術力の高いキャッチングを持つ田代君、葛西君との卓越した守備に確実性の高いミート力がある小山さん、バッティングにムラがあるも足のスピードと守備範囲は素晴らしいモノを持っている矢部君……その彼らが葛西君を中心に1から野球部を創設し、女性選手出場問題をも乗り越え、公式戦で躍動する姿を見て、私は1人の野球好きのオッサンとして感動しました」

「そう、ですか……、それは私としても嬉しい限りです」

 

 隣に座る倉橋彩乃もうんうん、と納得した表情で話を聞いている。

 倉橋彩乃は倉橋理事長のお孫さんでもあり、容姿端麗・才色兼備、そして生徒会長としても敏腕ぶりを発揮し、いわば学校イチの人気者でもある。 葛西春見とは小学校時代に互いの両親を通じて知り合い、密かに想いを寄せている人物でもある。 その甲斐もあって野球部への部費や備品にかけてもらえる金額はソフト部よりも多く、倉橋彩乃自身も試合の日は観戦に行くほどらしい。

 

「そして今日、あの茂野英樹の息子である茂野吾郎君がここに編入してきたと聞いた時、私はビックリしましたよ。 彼の父とは現役時代からの同僚で、よく話は聞いてました。 小学生の時はあの神奈川の強豪・横浜リトルを倒し、中学では最後の軟式大会で地区優勝を決め、海堂に入学後は並み居る強者を退け、ついに最強と名高い一軍をも倒してしまうと……もう話を聞くだけで興奮しますよ!」

「そ、そうですか……」

「あ、すみません! 自分としたことがつい取り乱してしまいました」

 

 だが、桂木という男の茂野に向ける目は本物であった。

 あの茂野英樹の息子という部分もあるが、エピソードを聞くだけで彼にとって茂野吾郎は野球選手として魅力の塊といっても良かった。しかも彼はとんでもないボールを投げ込むと風の噂で聞いたこともあり、期待値もかなり高い。 もしシャイニングバスターズに入団が決まれば『茂野2世』の肩書で鳴り物入りのプロデビューだって夢じゃない。 そこで桂木は早い段階でもっと茂野について知りたかったのだ。

 

「単刀直入に申しまして……山田先生から見て茂野君はどうですか?」

 

 うーん……と口篭る山田先生。

 さすがにまだ彼が編入して今日が初日で、初めて顔合わせをしたのも入部届を職員室で貰った時だ。 それをプロのスカウトから見てどう?と聞かれては安易な答えは出しにくかった。

 

「……私は恥ずかしい話、あまり野球は詳しくありません。 それをご承知で答えるなら、彼は確かに只者ではないと目を合わせた瞬間に分かりました。 抽象的になってしまうんですが、他の選手とは違うオーラと言いますか、雰囲気のようなものを身にまとってましたね。 きっとこういう子が後にチームの中心選手として活躍できるんだと、私自身素直にそう感じました。ただ……

 

 

 彼の精神面はまだまだだと思います。 私は入部届けをノゴ……茂野君から受け取った際、こんな質問をしました。

 

 

 −–−–−君はこの野球部で最終的に何を成し遂げたい?

 

 

 すると彼は迷いなく、こう答えたんです。

 

 

 −–−–−決まってんだろ。 海堂をぶっ倒す為ことだ。

 

 

 海堂を倒せば自然に甲子園への道も拓け、チームとしても嬉しい限りだと。確かに彼の言っていることには一理あるのですが……でも……」

「それでは" 何か "寂しくないか? ということですかな?」

「さび……しい?」

「はい。 倉橋理事長の仰った通り、彼の心は寂しいんです。 表面上では仲間と練習で基礎能力を高め、練習試合を通じて経験を増やそうとするでしょう。 しかし核心に迫る部分はまだ、彼は1人で野球をしようとしている。 海堂を倒したいという気持ちが前に出すぎているんですよ」

 

 用意されていたお茶をすすり、こう続けた。

 

「私は顧問として、彼らに少しでもチームが良い方向に傾くよう助力しなければなりません。 ただ、あくまで主人公は部員達であって私ではない。私は彼らにキッカケを与えるに過ぎない立場ですから。 これから茂野君を始め、キャプテンの葛西君がどうチームをまとめ、同じポジション同士の早川さんが茂野君とどう切磋琢磨していくのか、それを残りの皆がどう感じ、どのように行動するのか、私は時々助けながら見守ろうと思います」

 

 桂木は真剣な表情でこの話を聞いた。

 この人は野球に対する専門知識は他校の監督に比べたら薄いかもしれない。 それでも、この方ならきっと恋恋高校野球部を素晴らしいチームにしてくれるかもしれない。 そんな予感があってたまらなかった。

 

「私たちスカウト陣とは異なる視点で選手を見ていると知れて、私自身も勉強になりました。 山田先生、それと倉橋理事長とお孫さんも、今日は本当にありがとうございました」

「いえいえ。しかしもう帰られてしまうんですか?」

「はい。 これから10月末のドラフト会議に向けてリストアップしている選手の確認をしなければなりませんので。 それに……山田先生から素晴らしい事も聞けましたし、満足です」

「そうですか……またよろしければいつでもいらしてくださいね」

「ありがとうございます。 私はこれからも1人の野球ファンとして恋恋高校を応援しています。 秋の大会は出場が危うい伺ってますが、彼らならきっと大丈夫でしょう。 では失礼します」

 

 深々とお辞儀をし、桂木は静かに退室した。

 

「大丈夫でしょうか……葛西様達は……」

「彼らなら心配ないでしょう。 桂木さんもああ仰ってましたしね。山田先生」

「はい?」

「どうか……彼らのことをよろしくお願いします。 あなたならきっと甲子園へ我々を導いてくれるでしょう」

 

 理事長の目はどこまでも純粋であった。

 今は倉橋コーポレーションと呼ばれる大企業の社長である自分の夫も、かつては高校球児として甲子園の大舞台で躍動し、自分も手に汗を握りながら応援していた。 野球は、それくらい熱い魅力的なスポーツなのだ。 だからこそ、どんな無理難題やお金がかかろうとも、理事長は彼らの目に見えない闘志とその夢への可能性に賭けたかったのだった。

 

(どうか……私の目が黒いうちにもう一度あの舞台へ……)

 

 理事長室の窓からグラウンドで練習をしている球児に向け、そんな思い浮かばせていたのであった。

 

 

 


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