Glory of battery   作:グレイスターリング

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第四十一話 橘聖名子

 

「はぁ〜……どうっすかなー」

 

 放課後の誰もいない部室で、俺は1人頭を抱えていた。

 大会は順調に勝ち進み、無事にベスト8まで辿り着いた。そして明日は帝王実業との試合を控え、オーダーを考えているのだが−–−–−

 

「……悩ましい」

 

 俺をここまで悩ましているのは、大島の打順と先発投手だ。

 大島は三船戦以降も執拗な変化球攻めを受けるが、勝ち進むのと比例するように打ち、3日前の試合ではタイムリー2つを含む3安打猛打賞を記録している。

 つい最近まで110キロのカーブの前に扇風機と化していた男とは思えない活躍ぶりなのだ。

 

(うーん、確かにここ最近の大島の成長は凄いけど、次の相手は山口と香取だ。これまでの中堅レベルの投手とは次元が違う)

 

 140キロに迫る高速スライダーと、プロ顔負けの落差とキレを誇るフォーク。大島がこの怪物2人をいきなり攻略できるのか、はっきり言って分からん。

 それに前回は唐沢の捕球問題もあったおかげでヤマを張って当てれたが、もうそれも通用しないだろう。相手も万全の状態で挑んでくるはずだ。

 

(……賭けてみるか)

 

 白紙のオーダー用紙にスラスラと記入していく。

 書き終えた後でその用紙を見返すと、たまらず俺は笑ってしまった。

 

「ははっ。アイツら、どんな反応するかな」

 

 打順はこれで良し。

 あとは先発投手だが、ポイントは涼子を使うか使わないかだ。

 4試合全てに先発登板し、完封2つを含んで全勝。失点数もまだ3つのみと安定感だってある。

 成績面は良いとして、問題は投げすぎている点だ。

 

 1試合目が121球、2試合目は83球、3試合目は宇津と半分ずつで投げたため64球、そして4試合目は完封勝利を挙げて119球。

 合計すると4試合で400球弱、平均90球前後投げている計算になる。

 男子選手でもこの球数は投げすぎな部類、しかも涼子は女子だ。

 

(−–−–−休ませた方がいいな)

 

 酷使による故障だけは絶対に避けなければならない。

 調子は良いが、涼子の登板はやはり回避が無難か。

 

「となると投げさせるなら−–−–−」

 

 ガチャ。

 部室の扉が開く音が聞こえ、視線をその先に向ける。

 入ってきたのは数冊の本を片手に持った聖名子先生だ。

 

「お疲れ様です一ノ瀬さん。まだいらしてたんですね」

「はい。オーダーがなかなか決まらないものですから」

「そうですか……試合、明日ですからね」

 

 夜の7時過ぎなのに先生が来るなんて珍しいな。もう俺以外とっくに帰ってるんだけど何か用でもあるのか……?

 すると聖名子先生は持っていた本を机に置くと、鞄からノートと筆記用具を取り出し、これから勉強をするかのような態勢をとった。

 気になった俺は数冊あるうちの一冊に目を向けた。

 

「……食トレ?」

 

 本のタイトルは『0から学ぶ食トレ講座』と書かれていた。

 

「ええ、最近勉強し始めたんですが結構面白いんですよ。日頃の鍛錬も重要ですが、それと同じくらいに食事の管理も大切なんです。身体を強く・大きくしたり、トーナメントを勝ち抜くためのスタミナも付けたりと、様々な役目を果たしてくれるんです」

「へぇ〜、そうなんですね」

 

 そういや週間パワスポでもプロ野球選手の栄養管理に関する特集とかたまにやってたな。トレーニング内容と照らし合わせながら科学的な数値やデータに基づいて食事を作り、効率よく自分の目指す身体作りを行えるそうだ。

 ちなみに俺はここまでの食事管理はしていないが、それでも最低限の栄養バランスは考えて摂っている。お菓子とジュースは高校に入ってからは完全に封印し、昼も自分で弁当を作って食べている。

 

「食トレかぁ。俺と八木沼はまだしも、女性陣は甘党が多いですからね」

「そうなんですよ!! 特にみずきったら『お昼はプリンさえあればいい』って言うんです!! だから最近は私が無理に弁当を持たせて食べさせてるんですよ!」

「は、はは……」

 

 プンスカと怒る聖名子先生、可愛いな。

 確かにみずきちゃんのプリン好きは明日の試合のオーダーよりも頭を悩ませるかもしれないな。練習後にもよく聖ちゃんや涼子とパワ堂で甘いもの巡りしてる話だし。

 しかし、妹の栄養面も考えてくれるとはいいお姉さんだぜ。俺は一人っ子だからこういう兄弟がいるのは普通に羨ましいぞ。

 

「……先生」

「なんですか?」

「もしかして……ここ最近遅くまで残って食トレの勉強をしてたんですか?」

「あー……そう、ですね。本当は図書館でやりたかったんですが、業務を終えてからだとこの時間になってしまいますからね。一応校長から許可を貰って11時まではここを使わせてもらってます」

「そんな遅くまで……大変じゃないですか?」

「ええ、確かにハードです。でも私も顧問として少しでも皆さんのお役に何か立ちたくて始めたんで、そこまで苦に感じてはいませんよ」

 

 とは言うも、先生は野球部の顧問の他に2年生の数学も担当している。相当な覚悟と根気が無ければとてもこなせるスケジュールじゃない。

 

「それに……私よりもみずきの方がよっぽど頑張ってますよ」

 

 先生は鉛筆を置くと、鞄から一枚の写真を取り出して俺に渡した。

 

「これは……みずきちゃん?」

 

 写真には熊のぬいぐるみを持つ小さなみずきちゃんと、両肩に手を置いて優しく微笑んでいる先生が写っていた。

 

「私が12で、みずきがまだ5歳の頃ですね」

 

 どちらも幼くてとても可愛いなぁ。

 もうこの頃から良家のお嬢様だったんだな、2人共。着てる服や雰囲気が庶民とはかけ離れてる気がするぜ。

 

「でもね一ノ瀬君、みずきって昔から今みたいな性格じゃないの。どちらかと言えば引っ込み思案で口数も少ない、おとなしい子だったの」

「え、ええー!?」

 

 引っ込み思案って……みずきちゃんが?

 俺はてっきり昔から大勢の男子を尻に敷く小悪魔的なキャラだと思ってたんだが、マジか……。

 

「ウチは両親も祖父母も会社の経営が忙しくて殆ど構ってもらえなくってね……私は割り切って幼少期を過ごせたけど、みずきはそうもいかなかった」

 

 

 橘財閥は日本で有数の大グループだ。

 財閥のトップに君臨するのは2人の祖父で、両親も複数の会社を手に持つ役員だった。

 その仕事っぷりは2人を産んだ後も変わることはなかった。幼少期から2人はずっと家政婦に育てられ、両親から愛を受けることも無かったのだ。

 

 

『ぐすっ……おねえちゃん……』

『あら、どうしたのみずき』

『お人形さんの腕が取れちゃったの……うぅ、どうしよう……』

『大丈夫、あとでお姉ちゃんが直してあげるから。もう泣かないの』

『うん……ありがとう、おねえちゃん大好き♪』

 

 

 幼少期の橘みずきにとって、姉の聖名子は唯一心を開けた人物だった。両親から愛情をあまり貰えなかった反動か、みずきはその分を聖名子に甘えながら生きてきた。

 

 やがて、みずきは姉以外を求めようとしなくなった。

 幼稚園に入っても誰とも話さず、友達も作らなかった。向こうから話を振られたとしても、姉以外の愛を知らない少女は、どう接すればいいかさえ分からなかったのだ。

 

 

 −–−–−そう、あの転機が訪れるまでは。

 

 

 それはみずきが小学校に上がって間もない頃に遡る。

 

「ぷろやきゅう?」

「そ、ボールとグローブとバットを使ってするスポーツのことよ。しかもプロ野球選手の試合だからすっごく面白いわよ」

 

 父親が仕事の取引先から偶然にもプロ野球チーム、『頑張パワフルズ』と『猪狩カイザーズ』の観戦チケットを貰い、珍しく子供達と野球を観に行こうと提案したのだ。

 

「どう、観に行く?」

「おねえちゃんといっしょならいくー!」

 

 でもこの時は野球を観に行くより、姉と一緒に出掛けられる方がみずきにとっては遥かに嬉しかった。

 

 

「ほらみずき、そろそろ試合が始まるよ」

 

 試合は両軍の先発が譲らぬ投手戦となった。

 スコアボードには0の文字がひたすら並び、イニングが進む度に応援するファンは緊張感を増しながら応援を続ける。

 

(……………)

 

 その熱気は次第に少女の心を動かしていった。

 野球というスポーツの面白さ、熱さ、そして観る者さえも魅了する楽しさを−–−–−

 試合前はずっと聖名子とお喋りをしていたみずきだったが、気が付けば試合の他へ釘付けになっていたのだ。

 

 結果は2-0でパワフルズがサヨナラ勝ちと、劇的な幕切れで終わった。試合後になってもパワフルズ側の観客席は大いに盛り上がり、中には嬉しさのあまりに泣いてしまう者も現れる程の歓喜に満ち溢れていた。

 

「……おねえちゃん」

「ん、どうしたの?」

「わたし、きめた」

 

 

 

「わたし、やきゅうやる!!」

 

 

 

 そう、これが橘みずきが野球を始めた全てのキッカケだった。

 

 

 

 

「それ以来、みずきは変わりました。お父さんに頼んでグローブとボールを買ってもらい、私とキャッチボールをする所から始めて、四年生でリトルリーグに入って本格的に野球をするようになった。私の後ろしかついてこなかったみずきが、自分の意思でやりたい事を見つけて、それに向けて頑張るようになってくれたんです」

「………………」

 

 どんなに興味を持ったことでさえ、新しい事を始めるのは相当な勇気と覚悟が必要だ。

 野球はチームプレーでもある。先生以外の人とはコミュニケーションを取るのが苦手だったみずきちゃんにとって、きっとその船出は多難だったと思う。

 

 みずきちゃんが入ったリトルは『おてんばピンキーズ』。

 あのチームにはあおいちゃん、聖ちゃん、雅ちゃんと、他にも女性選手が沢山いた。それぞれが全く異なる性格をしているが、みずきちゃん同様、野球が大好きなのはなんら変わらなかった。

 

 こうした仲間達と最初に野球ができたのが、きっと今のみずきちゃんを形成した大きな要因なんだろうな。

 

 

「−–−–−私ね、みずきが羨ましくてたまらなかった」

 

 楽しそうに妹を語っていた矢先、先生は下へ俯くと両拳をギュッと握りしめながら続けて語る。

 

「あの子は自分でやりたい事を見つけて、お爺様の反対を押し切ってまで高校でも野球を始めた。誰から敷かれたレールの上を歩かず、自分の信じた道を進んで……」

 

 

 

『お爺様。私……高校では運動部に入りたいんです! なのでどうか−–−–−』

『ダメじゃ。お前は次期タチバナの跡取り。高校の部活にうつつを抜かす暇があったら勉学に励むのじゃ』

『っ……はい…』 

 

 私はずっと、お爺様の仰った通りの道を歩んできた。

 ピアノの習い事をしろと言えば習い、英語力をもっと身に付けろと言われれば英会話の勉強をし、学校さえお爺様の指定された私立に通い続けた。

 私は貴重な学生生活の大半を、お爺様の為に費やしてきたのだ。

 

『ただいまー。あ、お姉ちゃん! 今日ね、私が先発で投げて勝ったんだよ!! 』

『そう、なんだ……おめでとう、みずき』

『ありがとう! 私、野球始めて本当に良かったよ!』

(!…………)

 

 胸がチクリと痛くなる。

 何故……?

 妹が毎日楽しく野球をやっている。それは昔の妹を知る姉として喜ばしいはずなのに……

 

  今は−–−–−心から祝福できない自分がそこにいた。

 

 みずきは中学に進学してからも『お元気ボンバーズ』というシニアのチームで野球を続けた。

 反対に私は、お爺様の言われた名門の大学に入り、橘財閥のトップに立つために必要な知識をひたすら身につける日々を過ごしていた。

 

 もう嫌だった。

 私もみずきのように自分で進みたい道を選びたかった。

 毎日が機械的に生きている私は、その頃何のためにか生きているのかさえ分からなくなっていたのだ。

 

 

「そんな私だったんだけど、ある日転機が訪れてね」

「転機?」

「そう。私が今こうして教師の職に就くキッカケとも言える転機が−–−–−」

 

 

 

⭐︎

 

 私が20歳、みずきが14歳の時。

 その日も大学での講義を終えた私は、寄り道もせずに真っ直ぐ帰路についていた。

 これも全てお爺様からの命令だ。家に帰ったらお父様が経営する会社のオンラインミーティングに参加、終わったら大学の講義で出されたレポートの作成、夕食後はTOEICの試験に向けての勉強と、やらなければならない事がてんこ盛りだからだ。

 

「はぁ……」

 

 通い慣れた道をトボトボと歩く。

 本当なら私も誰かと遊びに出かけたり、勉強だって自分のやりたい分野を学びたい。大学生という時期はある意味、全ての学生の中で1番様々なことに挑戦できる貴重な時なのだから。

 

 そんな私の意思とは反対に、家へ着いてミーティングをし、大学の講義レポートを片付けていく。自室の机の前に座る私は一度ため息を溢し、大きく背伸びをした。

 

「ん〜……」

 

 さて。

 レポートも丁度片付け、時刻は気づけば夕方の17時半。

 夕食まではまだ時間もあるしどうしようかと悩んでいた時−–−–−

 

『ピコン!』

 

 携帯から響いたメールの着信音。

 確認すると、送信者はお父様からだった。

 

 

 『聖名子へ

 突然ですまないが私の会社主催のレセプションに参加してくれ。

 時間は今日の19時からで、18時半に迎えの車が来る。

 失礼のないように頼むぞ』

 

「はぁ……」

 

 こうした突然の予にもすっかり慣れたが、よりにもよってパーティーか……。

 正直、全く行きたくなかった。

 2週間前にも別件で参加したが、別の会社のお偉い方々からお酒を半分強制で勧められ、酔い潰れた記憶が新しいからだ。

 

 しかし私に拒否する選択肢はなく、正装に着替えて会場へ向かったのだった。

 

 そこで私の人生を変えてくれた1人の男性と出会うことを、まだ私は知らなかった−–−–−。

 

 

 

 

「すみません、少し遅れました」

 

 会場に着いたのは19時8分。

 帰宅の時間帯もあり、道が少し混んでいたせいで少し遅れての到着となった。

 

「いや、俺が急に来いと言ったんだ。すまんな聖名子」

 

 車に同乗していた間に執事から軽くパーティーの概要聞いていたが、今日のパーティーはお父様が最近立ち上げた新規の会社と野球の大手メーカー・『ミゾットスポーツ』とのレセプションパーティーらしい。

 ここ最近の野球人気の向上と、みずきが野球に熱中になっていることで野球用品を主に扱うスポーツメーカー・『Lightning』を設立し、今回はミゾットとのコラボ製品の開発記念としてこうした催しが開かれたのだ。

 

 ちなみに余談であるが、この当時はまだLightningは無名の新参メーカーであったが、今では高価であるものの高い品質と独自の開発技術が多くの支持を受け、多くのプロ野球選手とアドバイザリープロスタッフ契約を締結している大企業へと躍進している。

 

「ああ、君が社長の娘さんの−–−–−」

「橘聖名子です。この度は−–−–−」

 

 慣れた様子で社交辞令を交わし、パーティーは淡々と進んでいく。

 正直、私が参加しなくてもいいのだが、お爺様曰く、「将来、会社を背負って立つ人間なら早めに人との付き合いに慣れておけ」と念を押され、大学生になった一年ほど前から参加し始めた。

 

 早く終わらないかなと、心の中でため息を溢しつつ、私は会場の隅で1人ジュースが入ったグラスを片手にぼーっとしていると、1人の男性が私に声をかけてきた。

 

 

「こんにちは。えっと……橘聖名子さん、でしたっけ?」

「あ、あなたは確か……」

「初めまして。"神童 裕二郎"と言います」

 

 神童 裕二郎。

 野球をあまり知らない私でさえ聞いたことある名前だ。

 確か私と4つしか変わらない24歳の若さながら、シャイニングバスターズのピッチャーとして大活躍している選手で、球界の大エース・茂野英毅との二枚看板で有名だったはず。

 そっか。今回の新製品にあたって、イメージCMを神童さんにオファーしたから必然的に呼ばれたってことかな。

 

「同年代の方が橘さんしかいなかったのでお話できてとても嬉しいです。どうしても緊張してしまって食事が喉を通らなくて……」

「ふふっ、分かります。私も初めてレセプションに呼ばれた時は緊張し過ぎて声が裏返ってしまいましたから」

「そうなんですか。橘さんの振る舞いがとても慣れたご様子でしたからてっきり最初から余裕があったと思いましたよ」

「そんなことないですよー」

 

 話は思いのほか弾み、気づけば残りの時間はずっと神童さんとの話に費やしてしまっていた。

 お互いの学生生活の話や、妹のみずきが野球をやっていること、プロ野球選手のちょっとした裏話など、少なくとも私自身は神童さんとの雑談はとても楽しい時間だった。

 

「あの、橘さん。もし良かったらまたお話しませんか? 今度は2人きりで……」

「えっ……」

 

 パーティーもお開きとなり、その別れ際に神童さんから携帯の電話番号が書かれたメモを私に渡してきたのだ。

 私は咄嗟の出来事に戸惑うものの、彼の人柄なら大丈夫だろうと安心したのか、「はい」とだけ返事をし、そのメモを受け取って会場を後にしたのだった。

 

 

 

 それから、私と神童さんはたまに時間を合わせては喫茶店などでお話をするようになった。

 普段からお爺様に行動を制限されていた分、神童さんとのたわいもない会話が心から楽しく、久しぶりに自分がしたい事をできた気がして嬉しかった。

 

 そんなある日の事。

 私はふと、神童さんにこんな事を尋ねた。

 

「あの、神童さんはどうして私に声をかけたんですか?」

 

 それは素朴な疑問だった。

 神童さんのような有名な野球選手なら私のような大学生でなく、もっと綺麗で有名な女性と会った方がよっぽど楽しいのではないかと思ったからだ。

 野球選手といっても神童さんのように優しい人柄の方もいれば、遊びが酷い選手もいるとたまに聞く。もちろん、プロ野球という過酷な舞台に立つ者ならそのストレスから遊びにかまけてしまうのも多少は仕方ないが、神童さんは私とたまにあってはこうして1時間ほど会話をして解散を繰り返しているだけだ。

 私はそれでも楽しいと感じているが、神童さんはもしかして私の為に無理に合わせているのではないかと、どうしてもそう考えてしまう自分がいたのだった。

 

「それは……少し恥ずかしくて言いにくいんですが−–−–

 

 

 −–−–−初めてお会いした時、橘さんが凄い方だと感じたからですよ」

 

 

 え……私が……凄、い?

 

 

「僕は今こそプロ野球選手になれましたけど、その代わりに家族という大切な物を全て捨てたんです。僕の両親も橘さんの会社ほどではありませんけどとある会社を経営していまして、僕が小さい頃から両親は僕を次期跡取りとして育ててきました」

「神童さんが……?」

「ええ。でも僕は真っ向からその考えを押し切って野球の道を進みました。そのせいで高校時代に父親と大喧嘩をして、その末に……家族と縁を切ったんだです」

「え、縁を……」

 

 唐突な告白に私は頭が真っ白になった。

 神童さんは一呼吸置いて、話を続ける。

 

「僕は家族の会社よりも自分のやりたいことをとにかくやりたかった。残された弟と妹には申し訳なかったけど、野球が大好きだったから。両親とは何度も話し合いをしましたが、結局納得してもらえず、最終的にバスターズから契約を貰ったタイミングで僕は家から追い出されてしまいました」

「………………」

「それから今に至るまで、僕は家族と一度も会っていません。結果的に会社は弟達が代わりに引き継ぐ役目を負い、僕だけが好きな事に逃げてしまったんです。本当の僕は自分勝手で我儘で最低な奴なんですよ」

 

 自分勝手で我儘……。

 確かにそうした捉え方もできる。

 でも……でも、私からしたらそれは決して悪いことなんかじゃ−–−–−

 

 

「いいえ、私は神童さんの選んだ道こそ正解だと思います」

「橘、さん……」

「私だって本当は自分のやりたい事をしたい。もっと学生時代にしか出来なかったことを沢山したかった。でも私は神童さんのように大切な家族を敵に回してまで自分の意思を貫く度胸もないですし、妹に重い役目を負わせたくないと考えてしまいました」

 

 けど人生はたった一度きりの自分だけのものなのだ。

 だから今なら、言える−–−–−

 

 

「神童さん、私はちっとも凄くありません。私は小さい頃から自分の本心を言えずにずっと気持ちを押し殺して生きてきた空っぽな人間ですから。私からしたら神童さんの方がよっぽど凄い方なんです」

 

 すると神童さんは少し気まずそうに口を閉じてしまった。

 当然だ。こんなネガティブな事をキッパリと言ってしまっては、そんな雰囲気になるのも無理はない。

 それでも私は構わず話を続けた。

 

「私だってみずきのように自分の好きな運動がしたかった。もっと自由に友人と遊びに出掛けたり、好きな勉強をして、たくさん思い出を作って、とにかく自分の好奇心のままに色んな事に挑戦したかった。でも私は……」

 

 そうだ。家族に遠慮し続けた結果、一度も自分らしさを曝け出せなかったのだ。

 

「私−–−–−神童さんの話を聞いて決めました。家族に自分の気持ちをちゃんと話そうと思います。これまではみずきが野球に集中できるように私がお爺様の言う通りにしてきましたけど、このまま後悔をし続けてはダメですから」

 

 実は私にも夢がある。

 貴重な学生生活をお爺様と会社の跡継ぎのために費やした私が唯一また青春を謳歌し、その経験を活かせられるかもしれない職業、それは−–−–−

 

 

 

 

 

「それで教師を目指したんですか」

「ええ。同じ学舎で学生たちと青春を分かち合い、自分の夢があるのならその夢へと突き進む、そんな先生になりたいなってずっと思ってまして……あ、勿論、お爺様には今でも反対されていますけどね」

 

 ははは、と苦笑いを浮かべる先生。

 しっかし先生があの神童選手と面識があったとは衝撃の事実だぜ……割と週刊誌にネタ提供できるレベルの話じゃないかこれ? まぁする気は一切ないけど……。

 

「その後、神童さんとはまだお会いしているんですか?」

「それが……その日を最後に神童さんとは一度もお会いしていないんですよ」

「えっ……?」

 

 これだけ仲良さげな雰囲気だと結構良い関係になってるんじゃないかと勝手に想像してたけど、やはりメジャーリーガーと財閥の長女兼教師だと時間も中々取れないのか。

 

「実は……お恥ずかしいんですが……その日の帰り間際に神童さんからこっ、告白されまして……」

「へぇ〜告白ですかって、告白ぅぅ!?」

 

 なんだそのラブコメみたいな急展開は!?

 ていうか神童さん、意外に積極的なんだなおい!

 

「そっ、それで返事はどう返したんですか?」

「それがですね−–−–−」

 

 

 

 

 

「−–−–−すみません。今はまだお付き合いできません」

 

 私からの返事はNoだった。

 ただ、これにはちゃんとした理由があり、

 

「私の夢が納得できる形で実現できるまで、待っていてほしいんです。私も正直、神童さんのことを異性として気にしてはいます。ただ、今のままお付き合いしても私は神童さんの隣に立てる人間として相応しくありません」

 

 私も−–−–−神童さんが好きだ。

 でもその言葉を本人に伝える資格を、今の私は持っていない。

 自分の事さえまともに出来ていなかった人間が相手を想ったとしても、その人を幸せになんか決してできない。

 神童さんがどんな反応を見せたとしても、私は私なりに筋を通した上でその先に進みたかったのだ。

 

「ははっ。ますます橘さんのことを好きになりました。なら僕も橘さんに負けないために、誰もが認める一流の野球選手になります。そして……もしお互いに夢を叶えたその時に−–−–−」

「−–−–−はいっ、是非!」

 

 

 その後は家族、特にお爺様と正面からぶつかって説得を続けた。なんなら今でさえ教職員になったことを反対され続けているけど、私は何一つ後悔はしていない。

 初めてお爺様に自分の意思を伝えた日の夜、私はみずきにこんな事を話した。

 

 

「みずき。あなたも自分の夢を決して諦めないで。今までお爺様の顔色を伺い、あなたに気を遣ってきたけど、人生はまず自分の為にあるの。勿論、大切な人を想っての行動も素晴らしいけれど、最終的に自分が後悔しない道をみずきにも進んで欲しいの」

 

 

 みずきは目に涙を浮ばせながら「うん」と頷いてくれた。

 自分が足枷となっているせいで姉が苦しんでいたと初めて知ったからだろうか。確かに私は自分を縛ってこれまで生き、良い思い出はの方があまり無かったくらいだ。

 それでも……これだけは絶対に言えるセリフがある。

 

 

「−–−–−みずき。私にあなたはかけがえのない大切な妹なの。あなたがただ毎日を幸せに楽しく生きていてくれるだけで、私はとっても嬉しいから」

 

 あなたが幸せそうに野球をやっていたからここまでお姉ちゃんは頑張れたんだぞ、と。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 先生が学園長とちょっとしたいざこざがあるとはうっすら聞いていたが、これはちょっとで終わる話ではなかった。

 俺たちは何気なく好きな野球を続けていたが、果たして大切な家族のために野球を犠牲にし、ここまで自分を抑え込めただろうか?

 仮にできたとしても、俺ならいつか耐えきれず、どこかで不満を爆発させていただろう。

 

「あっ、ごめなさい! こんな個人的な話を夜遅くにグダグダとしちゃって……」

「……いえ。とても貴重なお話を聞かせてもらいました。ありがとうございます」

「そんな……あ、でも−–−–−」

「はは、わかってます。皆には内緒にしておきますよ」

 

 裏を返せば、そこまで大切な人を想えた人だからこそ、こうして自分の夢を叶えられたのだろう。

 もしかしたら先生が夢を叶えられたのは必然だったかもしれないな。だって今の先生がいるのってみずきちゃんの存在があったからこその話だからさ。

 最後に神童さんという後押しもあり、今こうして俺たちの前なら立っていてくれてるんだ。

 

「先生。時間があったらでいいんで、僕にも食トレの極意をご教示してもらってもいいですか?」

「ええ、もちろんです♪ でも一ノ瀬君の場合は自分の為ってよりも川瀬さんのためなのかな?」

「んなっ!?、べっ、別にアイツの為にって訳じゃ……!」

「もう、照れちゃって。 じゃあこうして時間を取って一緒に勉強しましょうか。私も教えることによって学べる点もありますから」

「うぅ……とにかく、お願いします……」

 

 と、そんなこんなで昔話に花を咲かせたところでお開きにし、俺と先生は部室を閉め、帰ることに。

 

「あー、やっと出てきた!遅い遅い遅ーい!」

 

 校門の陰から飛び出してくるやいなや、見覚え等のある少女が飛び出してきた。

 噂をすれば、とよく言うが、こんな早くにご登場とはな。

 

「みずき? どうしてここに?」

「あんまりにも帰りが遅いから迎えに来たの! なによー、2人とも意中の人がいるってのに放課後の部室で2人きりになっちゃってさ」

「誤解を招く言い方はやめてくれませんかねぇ……」

「はいはい。2人にそんな甲斐性がないのは分かってるからだいじょーぶ。それよりもお姉ちゃんにお客さんだよ」

「お客さん?」

「はるばる遠い国からの来訪者なんだから丁重に迎えてあげてね。はい、"神童さん" 」

 

 

「お久しぶりです、橘さん」

 

 

 はにかんだ表情でそう一言発しながら現れる1人の男性。

 一年目ながらスペース・レッドエンジェルスのエースにして、18勝と防御率2.04で初年度から2つのタイトルを獲得、サイヤング賞の最有力候補の1人と挙げられている最強投手−–−–−

 

 

「神童さんっ!? どっ、どどどどうしてここに!? なんで日本に帰ってきて!?」

 

 嘘、だろ……現日本人最強投手を初めて生で見たぞ……。

 てかちょっと待て。神童さんってメジャーリーガーだよな?確かに今って10月だからシーズンオフとはいえ、遥々アメリカから先生に会いに来たってのか?

 

「数日前にシーズンを終えたので球団から特別に許可を頂いて一時帰国しました。その……どうしても貴方に会いたくて……」

「っ……!?」

 

 お、結構良い雰囲気じゃないか。

 こりゃ高校生の俺たちは邪魔者だな。よし、ここは退散するとするか。

 

「先生、みずきちゃんと先に帰ってます。今日はありがとうございました」

「あ、え、うん……今日つけて帰って、ね……」

 

 みずきちゃんも察した様子でそそくさと帰ろうとする。

 なんせ数年ぶりに両思いの異性同士が再会したんだならな。邪魔する方が野暮な話だぜ。

 

「あ、ちょっと待ってくれ」

「えっ?」

 

 神童さんに呼び止められて振り向くと、ニコッと爽やかな笑みを見せながら近づいてきた。

 

「話は橘さんからたまに聞いていてね、君が一ノ瀬大地君だね?」

「まさか球界の大エースに名前を覚えてもらってたなんて……光栄です」

 

 挨拶代わりの握手を交わすと、今度はマジマジと俺を見つめながらまた一言こう告げた。

 

「うん、やっぱり橘さんがあれだけ絶賛してたのも分かる気がする。近い将来、もしかしたら僕をも超える存在になるかもしれないな……」

「え……それってどういう……?」

「あーごめん、こっちの話だから気にしないでいいよ。 僕のことより、君ももうすぐ大切な試合があるんだろ? 頑張ってね、応援しているよ」

「いや、さっきのは−–−–−」

「一ノ瀬君いくよ! せっかく2人がラブラブムード全開になってきたんだから邪魔しないの!」

「あーはいはい! 分かりましたよ!」

 

 くっそ〜、神童さんは俺に何を伝えたかったんだ?

 結局あのセリフの真意を聞けず、俺はみずきちゃんに引っ張られながら強引に帰路へ着かれたのだった。

 

 

 

 

 

「いいんですか? "期待してる" ってちゃんと伝えなくて」

「大丈夫ですよ。彼とはまた必ず会う気がしますから。それももっと大きな舞台で−–−–−」

 

 プロ野球、もしくは海を跨いで大リーグの舞台か−–−–−

 神童 裕二郎の真意は果たして……。

 

「橘さん、遅くなってすみませんでした。今日は橘さんに大切なお話があって帰ってきたんです」

「お話し……ですか?」

 

 ドクン、と心臓の鼓動が一段早まる。

 陽が落ちた人気の殆どない夜の校門前。学校前の街灯のみが2人を照らしているこの場所から大切な話、と強調されれば、だいたい察しはつくからだ。

 

 ふぅ……と深呼吸をし、神童は真剣な眼差しでこう呟いた。

 

 

 

「聖名子さん。来シーズン、僕のチームがワールドシリーズを制覇したら、僕と結婚していただけませんか?」

 

 

 

 男から告げられたのはありったけの勇気を振り絞ったまっすぐなプロポーズだった。

 今シーズン、神童は一年目ながらキャラハイとも言えるレベルのハイレコードを叩き出しながら、ポストシーズン出場を叶えていない。

 いくら自分が大活躍し、タイトルを獲得したところで、結局チームを世界一に導かなくては彼の目指す、真の今での一流の野球選手にはまだなれていないのだ。

 そう、彼は彼なりにあの日立てた約束のケジメをつけに、無理をしてまで日本に帰ってきたのだ。

 

 聖名子は彼からの真っ直ぐで誠実なプロポーズを受けて、目に涙を浮かべていたが、必死にそれを押さえ込み、彼にこう返答した。

 

 

 

「私も−–−–−来年、あの子達を甲子園に出場……ううん、絶対に日本一にさせます。だからお互いの目標を達成できた時にしん…いえ、裕二郎さんと……」

 

 −–−–−結婚しましょう。

 

 お互いの気持ちは恐ろしいほどに一致していた。

 神童は聖名子の返答を受けると、優しく彼女を抱きしめた。

 

「ありがとう……ありがとう………」

 

 その抱擁は10月中旬の夜であっても温かく、2人を幸福にさせた愛の証だった。

 その後、彼は来年度に23勝2敗・防御率1.82と更に異次元の成績を残し、満場一致でサイ・ヤング賞を受賞。チームも快進撃を続け、ワールドシリーズを見事制したのだった。

 

 が、聖名子が掲げた『日本一』という目標が達成できたかどうかは、これから明らかになってくるだろう。

 

 

 

 

「ねぇ、今頃お姉ちゃん達どうしてると思う?」

「そりゃ、あの年頃の2人が数年の時を経て再開したんだ。良い感じになってるんだろうさ」

 

 でもま、いきなり神童さんを連れてくるとは恐れ入ったぜ。

 先生にサプライズがしたくて聖タチバナ学園まで来て、妹のみずきちゃんが学校から出てくるまで学校から少し離れたところでずっと待ち、出てきたところで事情を話して協力してもらったんだからさ。

 これ、神童さんだから良かったけど、普通に成人男性が女子高生が出てくるのを待ってるって犯罪に片足入れてるかもしれんからあんまりやらん方が良いけど、みずきちゃんも先生から神童さんの話は聞いていたらしいから大きなトラブルも起こらずサプライズ大成功、ってな訳らしい。

 

「お姉ちゃん……あんなに嬉しそうに笑っててさ、私、本当に嬉しかった。ずっと私のために我慢し続けたお姉ちゃんが、ようやく自分の為に笑ってくれて……本当に……本当に…っ……」

「みずきちゃん……」

 

 この姉妹は今日何度俺を泣かせようとするんだよ。

 ここまで温かい姉妹愛を見せられちゃ、俺ももらい泣きしちまうって。

 

「今の俺たちにできる恩返しは大会に勝ち進み、まずは甲子園出場を目指す所じゃないか? そうすれば先生もきっと喜ぶだろうしさ」

「ぐすっ……うん……そう、だよね。泣くのは試合に負けた時だけでいいもん。明日の帝王戦……絶対勝とうね!!」

「当然だ。それに明日の先発なんだけど、涼子じゃなくてみずきちゃんに決定したから頼んだぞ」

「うん、私が先発ね。まっかせなさ……え…先発ゥ!?」

 

 今日のみずきちゃんは喜怒哀楽が凄いなぁと、心の中で俺はそう思いながら歩みを続ける。

 でもなみずきちゃん、君を先発にしたのはまだ序の口だぜ。

 明日はチームの皆がたまげるほどのオーダーを考えたんだからな。

 

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