Glory of battery   作:グレイスターリング

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第四十八話 たった一言のすれ違い

 

「−–−–−えー、以上で本日の定例会議を終えます」

 

 午後18時半。

 今日最後の仕事であるキャットハンズスカウト陣営の定例会議も終わり、オフィスではそれぞれが帰宅の路へつくために帰り支度の準備を始めようとしていた。

 

「はぁ……」

 

 今日の会議は来年度のドラフト候補生、すなわち猪狩君や眉村君の世代のドラフトを見据えた会議だった。今年のドラフト会議は明々後日に始まり、指名選手の洗い出しもとっくに終えていたからそれはそうなのたが……正直、今日の私にはこれっぽっちも会議の内容が頭に入らなかった。

 

「……まさかあんな結末になるとはな」

 

 数時間前まで行われていた海堂対聖タチバナによる秋季大会準決勝。

 9回の表終了時点でタチバナが2-1と一点差で逃げ続け、残りアウト3つの所まで海堂を追い詰めていた。

 

 しかしその裏−–−–−野球の神が微笑んだのは海堂へだった。

 

 眉村くんを抑えるも、1番の草野君がセンター前ヒットで出塁。それでも続く2番の渡嘉敷君を三振で抑えたが3番の猪狩進君への打席−–−–−

 

 

  粘られた末の8球目−–−–−ボールは彼の右手首へ直撃するデットボールだった。

 

 

 彼は苦悶の表情を見せながらその場へ倒れ込み、右手首を抑えながらうずくまった。

 当たり方・ボールの落ち方・進君の表情からして、ただの軽い怪我にはあのシーンからは見えなかった。

 結局あの死球を受けて動揺したのか、4番の薬師寺が甘く入ったストレートを振り抜き、サヨナラホームラン。海堂ベンチが感情を爆発させて喜んでいる一方で、タチバナはただ呆然とその様子を見つめるしか出来なかった。

 

「…………」

 

 敗因はあまり言いたくはないが……強いて言うなら川瀬投手の最後の失投と投手交代をしなかったことだろう。

 あそこで薬師寺君への失投がなかったら、それ以前に交代に踏み切っていたら、結果論に過ぎないが試合に勝てた可能性はあった。

 

「悔しすぎる敗北だろうな……」

 

 どんな内容であれ、ちょっとのミスを見逃さずに最後に決め切った海堂はやはりさすがだ。無論、タチバナも素晴らしいチームであるが、野球である以上、どんな内容であっても最後に相手チームよりも点を多く取ればそのチームが勝ちだ。

 今回の試合は最後の最後で精神的な……気持ちの差が出てしまった試合だろう。

 

「……私も帰るか」

 

 タチバナが試合に負けたとしても、私のこの胸のワクワクが消えることはない。

 最後の夏に、彼らがこの悔しさをバネにして大旋風を巻き起こせると信じているからだ。今回の大会での活躍で他球団のスカウト達も注目し始めるすればこの程度の活躍で満足してもらっては困る。

 

 来年は海堂、そして甲子園へ出場し、歴代でも最強と謳われているあかつき大附属を−–−–−。

 

 

 

 

 

 −–−–−私のせいで負けだ。

 

 みずきちゃん、宇津君、東出君は私を信じて最終回のマウンドを譲ってくれた。

 

 友沢君と大島君は貴重な勝ち越し点を実力でもぎ取ってくれた。

 

 他のメンバーだって、打撃が奮わなくても守備で私達バッテリーを幾度も助けてくれた。

 

 

 そして大地は−–−–−こんな私のために約束を果たしてくれた。

 

 

 

 なのに私は……果たせなかった。

 

 

 絶対に抑える。

 これ以上、向こうに点は与えない。

 エースとして、皆の為に最後まで投げきってみせる。

 

 

 あれだけ綺麗事を沢山並べて、何一つ約束を果たせなかった。

 しかも負けた原因は相手の実力で打たれたんじゃなく、己の心の弱さが露呈して負けたんだ。

 

 プレッシャーに負け、進君を傷つけ、その上動揺して最後の最後に逆転サヨナラホームランを献上して−–−–−

 

「何が……エースだ−–−–−」

 

 あの時のシーンがフラッシュバックする度に涙が溢れ出てきてしまう。

 

 あの時、デットボールなんてしていなかったら−–−–−。

 

 何度もこのたらればを考えた、考えてしまう。

 もう2度とあの瞬間には戻らないと分かっていても、未だに試合が終わったと認められないでいた。

 

 

 周りの皆は涙一つ浮かべていなかった。

 大地はマウンド上で膝をついてうずくまる私を優しく支え、一言だけ−–−–−声をかけてくれた。

 

 

 

 『お前に無理させすぎた。今日の試合は全て俺の責任だ。悪かったな–−–−』

 

 

 

「何……言ってんだろう、ね……」

 

 悪いのは全部私なのに。

 私が全てをぶち壊して皆の夢を潰えさせたのに。

 

 大地な性格ならきっと本心でこのセリフをかけてくれたんだろうけど、それが逆に私の心に深く突き刺さった。

 

 

「ごめんねっ……本当に……ごめんなさい…っ……!」

 

 

 布団に顔を埋め、家族に漏れないように声を殺して私は泣いた。

 

 あれだけ大好きだった野球が、今は大っ嫌いになっていた。

 

 

 

 

『最後の土壇場で4番のこの一振り! 試合は劇的なサヨナラホームランで海堂学園が決勝へ進出! これで春の選抜への出場権はパワフル高校と海堂学園に決まりました!』

『いや〜、聖タチバナも惜しかったんですけどねぇ。最後まで何が起こるか分からない、それが野球の面白さでもあり、怖さでしょうね』

『そうですね、来年夏の活躍に期待しましょう。では、本日はここで終わります。以上、パワフルスポーツでした!』

 

 番組の終了と共に、俺は部室に設置されたテレビを消す。

 

「……来年夏、か」

 

 あの試合から3日が経った。

 それでも未だに皆、心の整理がつかないでいた。

 

 俺もこうして何度も試合のハイライトを見返し、反省点を洗い出していた。

 もっと俺が打ち、リードでも涼子に楽させてやれたら−–−–−。

 挙げればキリがないしその度に悔しくてたまらなかったが、このアナウンサーの言った通り、負けてしまった以上、残された道は来年の夏のみだ。

 

 いつもならそろそろ切り替えてまた練習を再開する頃合いなのだが、ただ1人だけ、あの試合以降まともな会話すらできないでいた。

 

「一ノ瀬、もう来てたのか」

「……友沢。と、それに−–−–−」

「うむ。また今日からよろしく頼むぞ、大地」

 

 友沢と聖ちゃんがエナメルバックを肩にかけて部室へ入ってくる。

 休養も終え、一応今日から練習を再開する予定だから他のメンツも追々やってくるだろう。

 

 ……俺もそろそろ準備するか。

 

「大地。まだあの試合のリプレイを見ていたのか?」

「……ダメか?」

「ダメじゃない。振り返って反省する事は大事だからな。でも大地の場合は反省の為に観てるとは思えない。まるで……まだ自分達が負けたことを認められていない、そんな気がしてな……」

「…………」

 

 認められない……か。

 はは……聖ちゃんの言う通りかもしれないな。

 

「そうかもね。だってこれまでの試合の負け方とは訳が違うんだから。実力差は確かにあった。ヒット数なんて向こうの方がウチの3倍以上も打ってんだ。でも最終回に……俺があのデットボールのタイミングで交代していれば勝ててたかもしれない。俺の判断のせいで試合が−–−–−」

 

「−–−–−今、なんて言った?」

 

「え?」

 

「俺の判断のせいだと? ふざけるのもいい加減にしろっ!!」

 

 部室に響き渡る聖ちゃんの怒号。

 彼女がここまで声を荒げた所を見たのは、初めてだった。

 

「なぜ大地も涼子も自分だけを責めて周り庇い続けるんだ!! 私からすれば2人の活躍があったからこそあれだけ良い試合ができたのにっ…!」

「…………」

 

 だって……本当の事じゃないか。

 

「なら私はなんなんだ!? ノーヒットに終わって、守備でも大した活躍はしてない! 足を引っ張ってるのは大地や涼子より私の方じゃないのか!?」

「違う。聖ちゃんは帝王戦であれだけ活躍−–−–−」

「−–−–−違うものかっ!! 大地のバカっ!! この分からずや!!」

「……なんだよ。じゃあこう言ってほしいのか!? お前がちっとも打たないから負けたんだよって!! 涼子があんな死球と失投さえしなければ勝てたんだって!!それで満足かよ!!」

「なっ……!?」

「おい一ノ瀬! お前いくら何でも−–−–−」

 

 

 バタン。

 

 

 ふと唐突に部室のドアが開いた。

 よりにもよって−–−–−今一番いてほしくない人物がそこに立っていた。

 

「…………」

「りょう、こ……」

 

 最悪だ。

 なんでよりにもよってこのタイミングで……。

 

「涼子……今のは、その……」

「いいよ。大地の言う通りだから。そう、私が悪いの。調子に乗って最終回も投げたいなんて志願して勝手に自滅して負けたんだから」

「違うっ! 涼子だけの責任じゃない!! 私だって−–−–−」

「あのね聖ちゃん、別に無理して庇わなくて良いんだよ。そこにいるキャッチャーさんだって本心ではそう思ってるんだから。どうもすいませんでした」

「だから違うって言ってるだろ!! あれは会話の流れつい言っちまっただけで本心とは−–−–−」

 

 

 

「うるさいっ!!!」

 

 

 

「善意のつもりで私を庇ってるんだろうけど逆に迷惑なのよ!! どれだけ周りが傷を舐めてくれたって最後に私がやらかしたことに変わりはないの!! 」

「私は…ううっ、そんなつもりで言ったのでは…っ…」

「おい、ちょっと言い過ぎなんじゃないのか? 聖ちゃんはお前の為を思って気を遣ってくれたんだぞ? そのセリフはいくらなんでも自分勝手すぎるだ−–−–−っ!?」

 

 痛っつ……!?

 胸ぐらを両腕で掴まれ、俺は背後にあった自分のロッカーへ思いっきり叩きつけられた。

 

「いってぇな! 急に何すんだ……よ……」

「っ……うっ……ぐすっ……」

 

 涼子は何も語らず、俺の胸ぐらを掴んだまま目に涙を浮かべていた。

 

 一瞬の静寂後。

 右腕で強引に涙を拭くと、涼子は悲しげに一言だけこう呟いた−–−–−。

 

 

 −–−–−ごめんね皆。私……もう帰るね。

 

 

「っ!、川瀬っ−–−–−!」

 

 友沢が呼び止めようとするが、涼子は荷物を持って出て行った。

 完全にやらかした。

 アイツに押し付けられてから頭に登っていた血が引き、我に帰ったが、もう遅かった。

 

 なんであんな事を言ってしまったんだろう−–−–−。

 普段の俺なら絶対に言ってなかった。もっとアイツの気持ちを汲み取れてたはずなのに……なんで……。

 

 

 

 

「確かこの辺だと思うんだけど……」

 

 放課後。

 普段ならとっとと家に帰って勉強漬けの時間であったが、今日は違う。

 私の唯一無二の親友、川星ほむらちゃんと一緒にある場所を目指していたからだ。

 

「あ、あそこっスね!!」

「うわぁ、すっごく豪華な校舎……。こんな所にお兄ちゃん通ってたんだ」

 

 洋風造りの豪華な校舎、広大な敷地に置かれる様々な設備。

 県内でもNo.1と噂されている超お金持ちの学園−–−–−ここが聖タチバナ学園だ。

 もちろん、お金持ちしか入れないのかと言われるとそんな事はない。

 スポーツの特待生枠での入学や単純に学業の優秀な生徒も多く、トータルで見れば優秀な生徒が多く集っているらしい。

 

「うう、なんだか入るのが怖いッスよ。ほむら達、明らかに場違いじゃないッスか……?」

「もう決めたんだから怖気つかないの! お兄ちゃんには話通してもらってるんだだから、行こっ!」

「……分かったッス。ほむらも野球好きの女の子ッス。覚悟を決めて入るッスよ!」

 

 別にそれは関係ないと思うんだけど……ま、いっか。

 

「にしても、今日は天気があまり良くないね」

 

 ここ最近にしてはちょっぴり肌寒いなと感じ、空を見上げると完全な曇り模様で今にも雨が降りそうな気配だ。

 

「そういえばそうッスね。確か予報だと夕方頃から降るらしいッスよ」

「えー、そうなんだ……」

 

 うーん。

 初めての顔合わせだから楽しみにしてたんだけどなぁ……。

 今日は挨拶だけして帰るだけかな。

 

「……ん?」

「どうしたんスか?」

「あれって……涼子先輩?」

 

 前方からこちらへ向かって歩いてくる1人の生徒。

 見慣れない制服姿だから初めは戸惑ったけど、あのスタイルの良さに聖タチバナ野球部のエナメルバックは紛れもなく、先輩だ。

 

「かっ、川瀬先輩っ!」

「え……あっ………」

「?、えっと……お久しぶりです! 今日は−–−–−」

「ごめんね。今日は話す気分じゃないの。また今度ね」

「えっ、ちょっと先輩っ?」

 

 先輩は一瞬だけ私と目を合わせるも、すぐに視線をそらしてそそくさと帰ってしまった。

 

「なんだか様子が変じゃないッスか?」

「うん。それに顔色も悪かったというか……」

 

 見間違えだろうか。

 川瀬先輩……今泣いていたような−–−–−。

 

 

 

 それから程なくして、他のメンバーも続々と部室へ向かっていた頃だった。

 

「やーっと今日から練習再開ね!」

「そうだな。負けはしたけど帝王にリベンジは果たせたし、海堂とも互角にやり合えたんだ。俺達だいぶ強くなったよな!」

「今宮、あんまり調子に乗りすぎるな。良い試合はしても負けは負けだ。今日からより一層ビシバシ行くからな」

「俺のバッティングもまだ課題だらけだしな。先輩方、今日からまた頼みますよ!)

(……大島の奴、ここ最近格上相手にきっちり結果を残してきている。俺もアイツには絶対負けん!)

 

 こちらは各々が来年に向け、早くも気持ちを切り替えていた。

 立ち止まっている時間はない。もう自分達2年生に残されている大会はこれで来年の夏を残すのみとなったからだ。

 

 次に戦う時、今度流す涙が悔し涙ではなく嬉し涙になるよう、また今日から皆で練習をする−–−–−はずだった。

 

「あ、あのっ……もしかして野球部の方ですか?」

 

 グラウンドへ向かうまでの道中で見知らぬ女の子2人に声をかけられた。自分達より一回り小さく、制服も聖タチバナの格好ではない。

 橘や今宮達は「誰だ?」と言わんばかり首を傾げていると、唯一この2人の素性を知っていた八木沼が呆れながら口を開いた。

 

「お前らな……今日来るなら来るで事前に伝えといてくれよ。まだ一ノ瀬にしか話してないんだぞ?」

「だって、お兄ちゃんとみなさんを驚かせたかったんだもん」

 

「「「−–−–−お兄ちゃん?」」」

 

 3人の声が綺麗にシンクロした。

 

「……はぁ、まずはこの説明からか」

 

 八木沼は簡単に妹達の事情を3人に話した。

 実は自分に妹がいたこと。そして来年、この2人が選手とマネージャーとして入部を希望すること。

 反応は案の定−–−–−大好評だった。

 

 

「いや〜、いつも口うるさい八木沼にこんな可愛い妹さんがいたなんて衝撃だぜ! あ、俺は今宮蓮太って言うんだ。よろしくな!」

「私は橘みずき。この学園の理事長の孫だから裏工作して入学させてあげたいけど最近はこういった悪事を働くとすぐバレちゃうからねー……でも八木沼君の妹と友達なら大歓迎よ、よろしく♪」

「俺は東出俊。ピッチャーと外野をやってる。先輩の妹さんだからって特別扱いはしないからな。よろしく頼むぞ」

「あっ、はいっ!こちらこそよろしくお願いします!」

「よろしくッス!!」

 

 お互いに自己紹介を交わす中で1人、フリーズしたロボットのように機能停止した男がいた。

 

「………………」

「ん、どうした大島?」

 

 大島が衝撃を受けていた理由。それは−–−–−

 

(嘘だろ……八木沼先輩の妹さん、めちゃくちゃ可愛いじゃねぇか!!)

 

 単純に見惚れていたからであった。

 

「……まぁこのよく分からん奴は放っておいて、とにかく部室へ行こう。皆が待ってる」

「あ、お兄ちゃん!待って!」

「ん、まだなんかあるのか?」

「さっきね、校門の近くで川瀬先輩とすれ違ったんだけど……」

「川瀬と?」

 

 変な話だ。

 今日から全体練習を再開すると事前に伝えているはずだ。それに川瀬は理由もなく練習をサボることなんてこれまで一度もしたことはない。

 何かあったのかと、八木沼達が少し心配する。

 

「もしかしたら一ノ瀬ならなんか聞いてるかもしれないな」

「ここで悩んでてもしょうがないし、早く行こっか」

 

 歓迎ムードから一転、不穏な空気が一瞬流れつつも6人は部室へと急いで向かった。

 

 

 

 

 

「はぁ、少し遅れてしまいましたね……」

 

 またさらに遅れて、聖タチバナ野球部の顧問を担当している橘聖名子が早足でグラウンドへ赴いていた。

 

 本当なら16時前には部室に着く予定だったが、その前にある場所を訪れていた関係で少し時間が遅れてしまったのだ。

 

「しかしこの話……どうしましょうか」

 

 先生が途中で学園を抜け出して訪れていた場所は−–−–−海堂学園だった。

 先日の試合の最終回、ツーアウトランナー一塁の場面で右手首に死球を受けて途中交代となった猪狩進と野球部の元へ改めて謝罪しに訪れていた。

 当てた日の試合終了直後にバッテリーと先生が謝り、海堂側と猪狩本人も謝罪を受け入れたためその日はそこで済んだが怪我の経過の確認と、一顧問として改めてお詫びをしに行くべきだと考えたからだった。

 

『この度は猪狩選手に大きな怪我を負わせてしまい、本当に申し訳ありませんでした』

『あまり気になさらないで下さい。伊沢一軍監督もあの件は不運な事故だと納得していますし、進選手本人も気にしていませんから』

『そう……ですか』

 

 一軍の監督である伊沢が本日は急用の為学園におらず、代わりに2軍の監督を務めている早乙女静香が対応してくれた。

 

『しかし当てた側の投手……えっと、川瀬選手でしたっけ。彼女の方は大丈夫……ですか?』

『正直、数日経った今も当てた事を気にしていますね。後で一ノ瀬君から聞いたんですが……川瀬さん、昔デッドボールの事で忘れらない出来事があったらしくて……』

『忘れられない出来事……』

 

 彼女がまだ5歳と幼かったころまで遡る。

 自分の1番大好きなとある選手がたった1つのデットボールで国内外から猛烈に非難された。

 憧れていた選手が執拗以上に叩かれ、不満が貯まらないはずがなかった。

 それから少し時が経ち、偶然知り合ったある男の子にこんな言葉を言った。

 

 −–−–−あんなの、避けられない方が悪いのにね。

 

 しかし、その時側にいた男の子こそ、そのデッドボールを受けて亡くなった父親の息子だったのだ。

 すぐに事情を知った川瀬はその男の子にあわてて謝ったが、彼を深く傷つけてしまった事に変わりはない。

 

 だから一ノ瀬は川瀬とバッテリーを組む際に一つだけ約束をしていた。

 たとえ打者を抑える目的であっても露骨なインハイ攻めだけはしないと。

 それが周りからどれだけ甘いなどと言われても、これは揺るぎない川瀬の信念なのだ。

 

『そんな事が……だからあれほどの制球力を持って……』

 

 川瀬選手が後半になっても制球力が衰えない理由が、今の話でなんとなく分かった気がした。

 

『……すみません。話が変わりますが、猪狩選手のその後の容態は……』

『ああ、そう言えばまだお伝えしていませんでしたね。実は−–−–−』

 

 

「右手首の骨折……」

 

 どれだけ時間が過ぎても腫れが全く引かず、手首もあまりの激痛で全く曲げられず、病院ですぐさまレントゲンを撮ると、やはり骨折と判明した。

 不幸中の幸い、折れた箇所が複雑化していなかったため、手術の心配はないそうだが、完全復帰までは最短でも3ヶ月かかり、遅くなれば半年にも及ぶそうだ。

 

 帰り際、早乙女は先生へ猪狩から預かっていた伝言を伝えた。

 

 

『僕は全く気にしていませんから。あのデッドボールは真剣勝負の末に起きた事故なので、どうかあまり気を落とさないでください。来年また、熱い勝負ができるよう、僕もより一層頑張ります』、と。

 

 

 しかしいくら当てられた側が許したとしても、人一倍デッドボールに敏感な川瀬に気を落とすなとお願いするのも難しい話だ。

 正直に全て伝えるべきだが、その後のケアはどうするべきか−–−–−

 様々な考えが頭の中をグルグルとしている間に、とうとう部室の前までついてしまった。

 

「……覚悟を決めよう」

 

 ふぅ、と一呼吸し、部室のドアノブに手をかける。

 

 

 −–−–−バッカじゃないの!?

 

 

「わわっ!? ええっ!?」

 

 不意に響き渡る妹、みずきの怒り声。

 突然のことにビックリしながらもハッと我に戻り、急いでドアを開けるとそこには見たこともない光景が広がっていた。

 

 

 

 

 

「どうしてそんなこと言ったのよ!! アイツがどれだけ責任感じてたと思ってるのよ!!」

 

 

 気がつけば、涼子に続いて今度はみずきちゃんに胸ぐらを掴まれるていた。

 ……そりゃそうだよな。失言だったとは言え、アイツを責めるような発言をしちまったんだから。

 みずきちゃんだって涼子と同じピッチャーなんだから、気持ちは痛い程分かるはずだ。尚更、怒るのも無理ないさ。

 

「ばっ!、やめろみずきちゃん!!」

「みずきさん! 暴力は堪忍してください!」

 

 慌てて原と今宮が止めに入ろうとするが、みずきちゃんは2人の制止を強引に振り払って俺を睨みつける。

 

「待ってくれみずき!! 元を辿れば私が悪いんだ!! 大地の口からそのようなセリフを吐かせてしまったのは私が−–−–−」

「聖のせいであったとしても今回ばかりは一ノ瀬君が悪いっ!! あの子の気持ちを鑑みないでよくもっ……よくもっ……!!」

「みずきっ!? 何してるの!! 一ノ瀬君を離しなさいっ!!」

「うるさいっ! 離してよお姉ちゃん!!」

 

 後ろから聖名子先生がみずきちゃんをひっぺがそうとするが、想像以上の暴れっぷりにもはや収拾がつかない状況になっていた。

 

 

「−–−–−やってられんな」

 

 吐き捨てるような声が間に割って入る。

 友沢はカバンを肩にかけ、部室を出て行こうとする。

 

「おい待て友沢っ! 練習は−–−–−」

「こんな雰囲気で練習なんてできるか。1人で自主練してた方がよっぽどマシだ」

「友沢っ!アンタね−–−–−っ!!」

 

「−–−–−一ノ瀬。果たして声をかけてやるだけが川瀬にとっての助けになるのか? バッテリーとして……いや、1人の人間として気にかけているなのなら、本当にやるべき事はそれじゃないだろ?」

 

 本当に……やるべきこと?

 

「橘もそれくらいにしてやれ。あとはこのキャプテンが何とかしてくれるだろうからな」

 

 ふ、とクールに微笑みながら、友沢は部室から出ていった。

 

「……先生。俺が代わりに訳を説明しますから、場所を変えましょう。愛美達も今日はいったん帰れ。事情が事情だ、また日を改めてくれ」

「うん……」

「申し訳なかったッス……」

「一ノ瀬。今日は休みにしよう。友沢の言った通り、こんな雰囲気じゃ集中もできんし意味がない。川瀬のことは……お前がなんとかするんだ」

「…………ああ。みんな、ごめん」

 

 八木沼が気を利かせ、皆を帰らせてくれた。

 俺なんかよりよっぽど周りが見えてんじゃねぇか……あの2人は。

 

「……一ノ瀬君。さっきはごめん、言いすぎたわ」

「構わないさ。みずきちゃんの言ったことは全部正しいし、怒らない方が逆におかしいくらいだから」

「もちろん、全て一ノ瀬君が悪いわけじゃないのはちゃんと分かってるわ。涼子も涼子で頑固すぎると思うし……まぁとにかく、早めに仲直りすること。聖も頑張りなさいよ」

「私も……?」

「そ、じゃあ私も先に帰るから。また明日ね」

 

 みずきちゃんも意味深な言葉を残し、先に帰ってしまったのだった。

 

 

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