「一つ駅を乗り継ぐだけで街並みはかなり変わるんだな…………こっちまで来た事ないから初めてだ」
「そうなんですか?」
「ああ。興味も大してなかったからな」
既に日は落ち、辺りはすっかり暗くなっている。街灯と星の光だけが俺達を照らしているだけだ。織斑と一緒に帰る事になり、気がつけば織斑の自宅の方にまで来てしまっていた。俺はこの時初めて電車に乗った。あまり乗り心地はいいものでなかったが…………それでも歩くよりは何倍も楽だ。織斑は毎日電車を使って学校に最寄りの駅まで来ているそうだ。
「だが、ここまで違うのは驚きだな。俺たちの住んでいるところは夜遅くまで明かりがついているものだが、ここら辺はもう明かりを消しているんだな」
そして織斑の住んでいる街を見て再び驚いた。俺たちの住んでいる街はこの時間帯、目に優しくない明かりが煌々としているようなところだ。暗くなったから寝る、という事はまず出来そうにない。だが、この街はそんな事はなく、既に明かりも落とされ静けさだけが残っていた。人間がどう思うか知らないが、俺にはこっちの方が心地よく思える。
「そうですね。学校がある方は繁華街とかがありますから、自然とああなっちゃうんですよ。でも、こっちには商店街くらいしかありませんからね。近辺にはコンビニなんて一軒くらいしかないんです」
織斑はそう言って俺の驚愕に答えてくれた。なるほど、俺たちの住んでいるところは人が多いからあんな風にいつでも明るいような街並みになっているわけか。逆にこっちはあまり人がいないから、そこまで派手やかにならなかったと考えて良さそうだ。
「だが、不便じゃないのか?お前だって便利な方がいいはずだろ?」
しかし、人とは常に便利さを求めるものだって聞いている。おそらく織斑だってその例に漏れず該当するだろう。
「確かに不便さは少しはありますよ。でも、この街の人はみんな優しくて、私を受け入れてくれましたから…………他のところだと私は嫌われ者ですからね」
俺の疑問にまるでなんでもないかのように答える織斑。だが、その顔は口調とは裏腹にどこか悲しげなものだった。その顔を見た俺は、何か嫌な事でも思い出させてしまったと思い、そんな事になる言動をした自分に腹が立っていた。くそっ…………何をしているんだ俺は…………。
「…………すまない、嫌な事を思い出させてしまったな」
「い、いいんです!気にしないでください。あ、そ、それよりも、もうすぐ私の家に着きます」
織斑はどうやら自分の言った事で俺に迷惑をかけてしまったとでも思ったのか、急に話題を変えてきた。駅からそれなりの時間を歩いてきたわけだが、ようやく織斑の自宅まで来たようだ。大体歩いて二十分といったところか。そこに電車で五分、さらにそこから十五分とかなり距離がある。毎日よくこれだけの距離を移動できるなと心から思う。
「折角ですし、家に寄って行きませんか?多分、千冬お姉ちゃんもいませんし、今日のお礼もしたいので、どうでしょうか?」
織斑はそう唐突に言ってきた。お礼をしたいから寄って行ってくれと言われたのだが、既に日は落ちており時間も遅い。本当ならここで断るべきなのだろうが…………期待の眼差しを彼女から向けられている俺に断るという選択肢は残っていなかった。はぁ…………いつから俺はこんな丸い性格になったんだろうか…………。
「…………わかった。だが、時間も遅い。少しだけだぞ?」
「わかりました!」
俺はやれやれといった感じで返答したが、織斑は満面の笑みで喜んでいた。何がそんなに嬉しいのかは俺にはわからない。だが、あのとき見せられた悲しげな表情より何倍もマシだって事はわかる。
「それじゃ、上がってください」
織斑はそう言って家の扉を開けた。その時だった。
「ああ、一夏。帰ってきたのか。おかえり」
「お、お姉ちゃん…………た、ただいま」
どうやら織斑には姉がいるようだ。だが、今日は帰ってこないと言っていたはずだぞ。予定でも変わったのだろうか?
「それでだ…………お前の後ろにいる男は誰だ?」
「そ、その…………え、えっと…………」
一夏の姉は俺を指差してそう言ってきた。しかも、凰の時のように敵を見るかのような目をしている。それどころか殺気も感じる。
「そうか…………答えられない、か」
織斑が何か言葉を濁らせて言い淀んでいると、織斑の姉は何かを悟ったようで、奥の方へと消えていった。そして、何故か殺気が先程よりも強くなってきている。背中に嫌な汗が流れた。俺の本能が危険だ、殺されると訴えてきている。ゼーキューレ半島にいた頃は滅多にそう思う事はなかったが、ここに来てまでこの恐怖を味わう事になるとは思ってもいなかった。何かが来る、そう身構えた瞬間だった。
「貴様っ!一夏に何をした!」
「はあっ!?ちょ、待ってくれ!」
織斑の姉はどこから持ち出してきたのかわからないが、俺に向かって木刀を勢いよく振り下ろしてきた。元の身体ならこの程度意に介さないが、今の身体では完全に命を刈り取られてしまう。咄嗟に両手で振り下ろされる木刀を掴み、その勢いを殺した。
「待つものか!貴様のような不良が一夏に手を出さないわけがないだろうが!さぁ、正直に言え!一夏に手を出したのか!?」
「お、俺は何一つとして織斑に危害を加えていねえ!」
「そ、そうだよ、お姉ちゃん!ルオンさんはそんな悪い人じゃないよ!」
「一夏が庇っただと…………ならば、貴様!一夏と交際でもしているのか!もしそうならば——」
俺はこの時、織斑の姉がいかに織斑の事を大切に思っているかがわかったような気がする。木刀が次第に俺に押し込まれてくる切羽詰った状況でそんな事が思えてくる。既に切っ先は俺の顔の一歩手前というところまで迫ってきている。このままでは本当に怪我をしかねん。それに、聞く耳も持ってくれなさそうだ。こっちの言い分を聞き入れてもらえない事が原因なのか、苛々が募っていく。そのせいで木刀を掴む手と腕に力が異常なほど入っていき、木刀はミシミシと音を立てていた。
「少しは俺の話も聞けよ、おい!」
苛々がある一点を超えた瞬間、力が入りすぎて木刀をへし折ってしまった。喉の奥で龍雷が鳴っている音が聞こえる。幸いにも鱗は顕現してないようで、本当の姿を知られる事はなかった。だがそれでも木刀を正面から受け止め、剰えへし折ってしまったのだから、人ではないと思われてしまっているだろう。
「ちょっと、千冬お姉ちゃん!いきなり殴りかかるってどういうことなの?」
「いや…………その、だな…………」
そう俺は思っていたのだが、何やら織斑の姉が織斑に叱られているという光景が広がっていて、俺の心配など他所に、なんとも言えない混沌とした空間が広がっていたのだった。
◇
「…………」
「…………」
織斑の姉と向かい合って座っている俺だが、その間に会話など存在していない。あるのはただの沈黙、そして互いを敵として見ている目だけだ。
「あの…………お茶、どうぞ」
織斑が場の空気を変えようと茶を出してきたが、それでも織斑の姉の様子は変わることなく俺を敵視している。だが、ここで食い下がってしまうと、かつて頂点に立っていた者としての誇りや矜持を失ってしまうと思い、俺も敵を見る目でいる。
「はぁ…………ねぇ、千冬お姉ちゃん、そこまでにしたら?このままだと何も解決しないよ」
「んなっ!?そ、それでは私が一番悪いみたいじゃないか!?」
「一番悪いのは千冬お姉ちゃんだよ!第一、なんで木刀で殴りかかったの!?すぐに手が出るのはお姉ちゃんの悪い癖だよ!」
やはり織斑に逆らえない様子の織斑の姉。普通ならば立場が逆なんだろうが、何故か織斑の方が姉のように思えてきてならない。というか俺が蚊帳の外だ。
「そ、それは…………お前に悪い虫がつかないようにと思ってだな…………それにだ!そこの不良がお前に何も手を出さないわけがないだろう!」
「ルオンさんはそんな悪い人じゃないよ!確かに見た目は不良みたいだけど…………」
…………織斑、その言葉、割と心にぐさっと刺さってくるんだが。お前も俺のことをそんな風に思っていたのか…………自分の見た目がかなり怖いということは随分前から自覚していたが、こうもきっぱりと言われるのは辛い。
「でも、本当は心の温かい優しい人なんだから…………だから、そんな事は絶対ないよ!」
だが、次に織斑の口から出てきた言葉は俺の予想をはるかに超えたものだった。俺が、心の温かい優しい人間、だと…………わからない、どうしてそう言われるのかがわからない。
——ルオンは見かけによらず優しいからね〜。私だけじゃなくて、ジョウもヴェリスもそう言っているよ——
そういえば、彼奴も俺の事をそう言っていたな…………脳裏に浮かんだアリシアが今の織斑の姿と重なって見えてしまう。だが、俺自身どうしてそう言われるのかが今ひとつわからない。俺はジョウと同じく頂点に立つ者だ。生きるために仕方なかったとはいえ、これまでしてきた事は残虐非道の一言に尽きる。だから俺にはそんな優しいなどという言葉は似合わないんだ。
「…………本当にそうなのか?」
織斑の姉は俺に向かって先程までの敵対するような目ではなく、何か探りを入れるような目をしてきた。どうにも織斑の言っていることをあまり信じてないようだが…………実際、俺がどんな奴なのかなんてわからないからな。
「…………俺は自分がどんな奴なのかなんてわからない。織斑がそう思っているのならそうなのかもしれないし、そうで無いのかもしれない。だがこいつだけは言っておく。俺は織斑に何一つやましい事などしてないからな」
俺はそう答えるしかなかった。だが、何一つ嘘をついてはいない。事実、俺は織斑にやましい事をした覚えは無い。織斑の姉は少し考えるかのような顔をしてから表情を柔らかくした。
「ははっ…………自分の事がわからない、か。だが、その目は嘘をついてないようだ。わかった…………どうやら早とちりしてしまったようだな。すまなかった」
そう言って織斑の姉は俺に向かって頭を下げてきた。なんとか俺が何もしてないって事を信じてもらえたようだ。
「信じてもらえたならそれで十分だ。にしても、何故急に殴りかかってきたんだ?」
「そ、それはだな…………てっきりお前が一夏に手を出したのかと思っていたのと…………てっきり一夏が彼氏でも連れてきたのかと思ってだな…………つい、やってしまった…………」
…………最初の理由は聞いていたから理解できたが、もう一つの理由は全くと言っていいほど想像できていなかった。つまり俺が織斑の彼氏だと思っていたとの事。というか、彼氏ってレイに対するリオみたいな感じの認識でいいんだろう?そうだとしたらそれはお門違いだ。第一、俺は織斑の彼氏などでは無いし、さらに俺は誰ともそういう深い関係をまだ築きたくないと思っている。以前ほど拒絶はしなくなったものの、それでも関わりのある奴を失う事が未だに怖い。だから俺にはそんな関係を作る事なんて無理なんだ。
「べ、別に、る、ルオンさんとはそういう関係じゃないから!そ、そう!友達!友達だから!」
どうも織斑も俺の事をただの友達であると思っていてくれているようだ。それなら問題はないだろう。…………だが、何故顔を赤らめているのか、俺には全く理解できていないが。
「ああ、こいつの通り。俺と織斑はただの友達だ」
ここで俺も言っておかなければならないと思い、俺と織斑がただの友達である事を織斑の姉に告げた。それはいいのだが…………織斑、どうしてそんな不満そうな目を俺に向けてくるんだ?何が不満だったんだ?
「一夏」
「あぁ?」
「私の事は一夏って呼んでください。織斑じゃ、千冬お姉ちゃんと紛らわしいですから」
「それもそうだな。ならば私の事も名前で構わない。人見知りで引っ込み思案の一夏が名前呼びにしてくれと言うくらいだ。そこまで仲がいいのなら問題あるまい。それに、一夏の友人達には私の事も名前で呼んでもらっているからな。ああ、それと私の名前は織斑千冬、一夏の姉だ」
とは言われても、俺としてはそこまで長い間いたわけでもない相手を名前でいきなり呼ぶという事に抵抗がある。ジョウ達はそれ以外に呼ぶ名前などない上に長い付き合いがあるから名前呼びしているだけだ。
「い、一夏…………ち、千冬…………」
しかし、この二人の目が名前で呼べと俺に圧力をかけてきているような気がしてやまない。その空気に気圧されてしまい、結局名前で呼んだわけだが…………やはりぎこちないものだった。
「年上の者には『さん』を付けろ——と言いたいところだが、お前に言われると変な気しかしないから、それで構わん。…………そういえばお前の名前を聞いていなかったな」
「…………その機会を潰したの、お姉ちゃんだよ?」
どうやら俺が名前で呼んだ事で空気がまた少し和んだようだが、俺としては今までのように織斑と呼んでいる方がしっくりしていいんだよな。そして、ここまで来て俺が自己紹介していなかった事に気がついた織斑の姉。織斑に痛いところを突かれたのか渋い顔をしていた。
「でも、ちゃんとルオンさんの事紹介しないとね。ね、ルオンさん?」
「そ、そうかもしれないな…………」
急に織斑から話題を振られ少々戸惑った俺だが、どうやら自己紹介をしてくれと彼女から暗に言われた。まあ、仕方ない、やるだけのことはやっておくとするか。一呼吸おいた後、俺は口を開いた。
「帝鋸ルオン、織斑の友達だ。それなりによろしく頼む」
「あーっ!また名字で呼んでる!もぅ、名前で呼んでって言ったのに…………」
「い、いや、別にどう呼ぼうが俺の勝手だろ?」
どうも自己紹介の時に織斑の友達と言ったのはいいが、名字で呼ばれた事に不服な様子の織斑。おそらく俺が彼女の事を名前で呼ぶのは当分先になりそうな気がする。
「ははっ、もう大分仲が良くなったようじゃないか。帝鋸と言ったな?これからも一夏をよろしく頼むぞ」
そう言って俺に向かって満足そうな顔を俺に向けてくる織斑の姉。いや、何をしたらそんな満足気な表情を出すんだろうか…………今の俺にはまだよくわからないところがある。それでも、この二人との距離は確実に近づいたと思う。だからこそ、俺はこれ以上の深い関係を持ちたくない。失った時の哀しみから俺はただ逃げているだけなのかもしれないが、俺はそうするしかない。大切なものは自分の手の中にあると人は言う。だが俺は——その手の中にある
リアルが忙しくて中々執筆できていません。
今後、受験に向けての勉強もしなければいけないので、さらにペースは落ちると思います。
それでも、失踪だけはならないように気をつけるので、これからも生温い目でよろしくお願いします。