吹き付ける寒風。何もしていなくてもここは極端に冷える。俺の翼がはためく度、氷の塊が空から地上へと降り注ぐ。だが、それは仕方のないことだ。この極低温の世界では汗を少しでもかいてしまえば、それらはたちまち凍りつき、自らの命すらをも凍りつかせる。そんな世界に俺は生きていた。
——ケオス島、ゼーキューレ半島。
様々な自然が乱立する混沌の島。あるところで火山が躍動していれば、こんな風に極寒の土地だって存在している。土地もそれなりに広大であり、多種多様な生命がそこに根付いている。ゼーキューレ半島は名前こそ半島とついているが、その実態は巨大な氷河である。そのため、ここには殆ど生命が存在していない。生きていくにはあまりにも過酷な世界であるからだ。獲物を取れないものから命を散らし、自分の身を守る強さがなければ餌食をとなる…………火山よりも生きていくのは遥かに辛い事だろう。
俺はその氷河の一角に降り立った。爪が氷に突き刺さり、そのまま少しだけ抉れていく。この氷上で生きていく上では滑るなどという事は出来る限り避けなければならない。自ら隙を晒すというのは自殺行為だ。まぁ、自分から滑る事でそれを攻撃に転じる奴らもいるんだが、それは一部の奴だけだ。俺を含めた殆どの奴らは氷上を自由に動けるように身体に棘を持っているか、俺のように強靭な脚力で力任せに制御しているかのどちらかだ。
俺はそのまま歩みを進めていく。ここまで来たら、後は飛ばなくても目的の場所には到着する。…………一ヶ月ぶりってところだな、ここに帰ってきたのは。どんなに過酷な場所であろうとも、俺が育った場所はこの氷河であり、そして俺の故郷である。暫く離れていれば、少し懐かしい思いにも浸ってしまう。どんなに強い陽射しが当たろうとも、表面が軽く溶ける程度にしかならない永久の氷海。嘗てはここが俺と彼奴が過ごした場所だった。…………あと、ジョウも。
色々と物思いにふけっていると目的の場所へと着いた。なんの変哲もない、氷の洞窟。ただ、その大きさは俺が入っても尚、余裕が少しあるくらい広い。その入り口には白い甲殻を纏った竜がいる。そいつは俺に気がつくなり声をかけてきた。
「おお、ルオンか。久しぶりだな」
「こっちこそだ…………ヴェリス。ここの守りをしてくれてて助かった」
俺もこいつと会うのは久しぶりとなる。最後に会ったのが一ヶ月前であるわけだし、こいつが居たからここを一ヶ月も離れる事ができたようなものだ。
——氷牙竜ベリオロス。彼の名前はヴェリスという。白く輝く甲殻と毛並みに両翼の棘、そして口からはみ出るほど巨大な琥珀色の牙が特徴だ。こいつも俺と同じようにこの氷上で生きていくためにこの姿となった。人間の間では騎士だとかそんな風に言われているようだが、まさにこいつこそそうであるのかもしれない。こいつがこの洞窟を守り続けていてくれた。この中には俺が失いたくないものがある。それを守り続けていたんだ。
——暫く留守にするだと?——
——…………ああ、どうしようもない事だ。俺はジン達やジョウと行動する事にする。一ヶ月は帰ってこれないな…………——
——ならば私がここにいるとしよう。気にするな。私がここにいればお前の大事な物も守れるだろう——
——…………すまない——
それから何ヶ月と経ってはいるが、こいつは未だにこの洞窟を守り続けている。忠誠心の高さはおそらく竜の中でも随一だろう。
「気にするな。私が好きで引き受けたんだ。お前が気にやむ必要はない」
「そうか…………そう言ってもらえると、俺も助かる。また頼むから、俺がいる間は自由にしていてくれ」
「承知した。夜明け前までには戻ってこよう」
ヴェリスはそう言うと空へと飛び上がり、俺が来た方向とは反対の方向へと向かった。ゼーキューレ半島の奥には凍土地帯が広がっている。そこにはまだ獲物となる生命が多数存在している。おそらくそこへ向かったのだと思う。
ヴェリスが去った後、俺は洞窟の中へと入っていった。暫く見ない内に中には氷柱ができており、それが俺の尖った甲殻や鑢状の翼膜によって削られていく。そして、一段と開けた場所に着いた。そこには一体の竜が眠っている。それも、永遠の眠りに…………。
——氷獰竜ギアオルグ。それが彼奴の種族名だ。正直この名称も人間の間で呼ばれているものであり、俺たちが普段呼んでいるものとは違う。こいつもまた俺やジョウと同じくこの氷河の頂点にいるような奴だった。だが、もうそれは過去の話だ…………今ここにいるのは魂が存在していない、唯の
俺はその亡骸の側に花を置いた。だがその大きさは普通の花とは比べ物にならないほど大きい。こいつはドスビスカスといい、温暖な方にしか咲かない、この辺りではまず見られない花だ。その花をいつも俺はここに手向けている。彼奴が一度見て、それからずっとこの花が好きだったからな…………。
「ただいま…………アリシア。一ヶ月ぶりだな」
このギアオルグの名はアリシア…………そう、嘗て俺やジョウと共に過ごした仲間だ。彼奴は本当に人懐っこく、お人好しで優しい性格だった。本当に氷獰竜の異名を持つ獣竜種なのかと思うくらいだ。確かに食物を得る為に獲物を殺める事はしていた。だがそれ以上に命を奪う事などはせず、むしろ怪我をしていたギアノスに薬草をすりこんでやったり、子供のポカラの面倒を見てやったり、ある時に至っては倒れていたハンターをベースキャンプの直前まで運んでやったりと、いつも誰かの為になるようなことをしていた。人間の奴らもそれをわかってなのか、アリシアを狩りにくるような奴らはいなかった。…………あの時までは。いや、今は思い出したくなどない。せめてアリシアの前にいる時だけでも、俺は前のような自分でいなければならない。今のようにやさぐれているような俺では、彼奴も天国で浮かばない顔をしているに違いない。
——ほらー、笑ってよルオン。折角ヴェリスが私達の絵を描くって言っているのに——
——そ、そう言われてもな…………どんな風に笑えばいいのかわからないんだが…………——
——自分の思うように笑うといい。私も少し人間の真似事をしてみたくてな。絵師というのはこんな気分なのだな。ああ、アリシア、ルオン、少しばかりだが後でポポノタンをあげよう。被写体になってくれたお礼だ——
——やったー!ヴェリス、ありがと!——
——ははっ、いい笑顔だ——
——…………アリシア、餌付けされてないか、お前——
ふと奥に飾られている絵に目を向けた。ヴェリスが人の真似事をしたくて、それで描いた絵だ。被写体は俺とアリシア。初めて挑戦するというヴェリスだったが、描かれた絵は俺から見てもとても綺麗なものだ。その色はまだ褪せてない。絵の中には人の姿となっているアリシアと俺が共にいる。氷のような透き通る青い髪に琥珀色よりも赤味の強い目、人懐っこい顔…………その絵の中でアリシアは未だに生きている。そう考えれば哀しみも幾許か薄くなるが…………もう、こんな形でしか会えないとなると一層哀しみが強くなってしまう。
「暫くの間、会えなくてすまん…………中々俺も会いに来れなかったから。お前が大好きだったドスビスカスもそばに置いてるぞ」
返事が返ってこない事は分かっている。だが、それでも俺はアリシアと言葉を交わしたかった。いくら死んだ身だとしても、こんな氷河の中に一人きりにしておくのは俺だって辛い。長い間待たせてしまったんだから、俺が話したって何も問題はあるまい。
——ほら、ドスビスカス取ってきたぞ——
——わーい!本当、綺麗な花だよね——
——あの山を越えてお前を連れて行くのは中々辛いからな。こんなものしか土産を持ってこれなくてすまん…………——
——いーよ、いーよ。この花を貰えるだけでも嬉しいから!どう?似合ってるかな?——
——ああ、似合ってるさ——
昔はこんなやり取りを幾つもしていた。俺が戻って来ればアリシアが大手を振って出迎えてくれる、それが俺の日常だった。そんな日常がもう戻ってこないって事は、この半島に帰ってきた時からわかっていた。わかっていたのに…………何処かでまた彼奴が出迎えてくれると思っている俺がいるんだ…………。何を考えているんだろうな、俺は…………彼奴が生き返るなんてことあるわけないのにな。
「そういえば、お前とよく似た奴に会ったんだよな…………。本当によく似ていた。髪とか目とかの色は流石に違うが…………雰囲気とか本当にお前そっくりだったぞ」
ふと彼女——織斑の事を口にしていた。似ている奴がいたって事を俺は思わず伝えたくなってしまったのだろう。それほどまでに織斑はアリシアに似ていた。つい、重ね合わせて、その影にいるアリシアを見てしまうほどに。その行為がいかに失礼なものであるのかはわかっている。それは織斑にもアリシアにも失礼な事だ。
「そろそろ俺は行く。またそのうち戻ってくるからな。その時もドスビスカス、持ってきてやるよ。じゃ、またな」
話したい事は十分に話せた。これ以上ここにいたら、離れたくなくなってしまう。過去には戻れないというのに、俺は未だにその過去から離れる事ができていない。…………情けない限りだ。こんなのでアリシアに顔向けなどできるものか…………少々急ぎ足で俺は洞窟を抜ける事にした。そして洞窟を出た時、俺は——ハンターと、奴らと出会ってしまった。
◇◇◇
「リン、そっちは準備いい?」
「こっちは大丈夫よ。ナツこそ準備万端?」
「私はいつも通りだからね。大丈夫だよ」
私はそう言うとツインテールの人と一緒に集会所と呼ばれる場所へと向かった。ツインテールの人——というか、鈴なんだけどね。でも、鈴は普通の服は着ていない。何処か鎧のような格好をしている。それもそのはず、この世界自体がゲームの中にあるんだから。
——モンスターハンターVRF。略称はMHVRF。意識をゲームの中にダイブさせる、電脳ダイブという技術を用いた、ゲーム史上初のVRハンティングアクション。従来であれば固定されていた各モーションも、今ではその人の意識によって操作されるため、これといった操作の制限はない。そして使用するキャラは自分の顔や身体的特徴を機械がトレースして、勝手に作ってくれる。自分で作る事もできるけど、私と鈴は機械がトレースする方向でやる事にした。そして、何より凄いのが今まで登場したモンスター、その全てが登場するという事だ。モンスターハンターの集大成とまで世間では言われている。さらに、自分達でフィールドを探索し、狩猟地を増やしてくというゲームでもある。基本的にハンターランクによる制限もあったりするけど、それでも十分楽しめるゲームだ。
そんなリンの装備はザザミSシリーズ一式にデザートストーム。上位ガンナー装備だ。ライトボウガンをリンは中心として使う事が多い。それ以外じゃ双剣か弓。
「それにしても、よくその大剣を作る気になったわね…………私からすれば防具を強化しなさいよって思うけど」
「うーん…………でも、この武器が本当に欲しかったから、いいでしょ?それに防具も私のお気に入りだし、上位ならまだまだ現役でいけるよ」
リンの装備はいかにもハンターといった雰囲気だけど、私はそういうのとは少し違う。私の装備はセイラーシリーズ一式にブート・クリンゲ。上位剣士装備である。このゲームを始めて、この大剣を装備している人がいて、それを見てこの武器を使ってみたいと思ってみたくなったんだ。極長リーチという特殊な武器で、他の大剣とは一線を画す攻撃範囲を持っている。このために死ぬ気でアビオルグを狩ったんだっけ…………。
——リン!そっちに行ったよ!——
——無理無理!ザザミは火に弱いのに!——
主にリンが死にかけていたんだけど…………あと、このセイラーシリーズの為にも
——フルフル!?死ぬって!ザザミ、雷に弱いから!!——
——それを言ったらアシラで乗り切っている私もそうだよ…………——
フルフルの素材が必要で結構狩っていたってけ…………。そう考えたらリンにすごく申し訳ない事をしたという思いと、いい加減ザザミじゃない装備を使ったらという思いがでてきた。
「それよりリンこそ別な装備を使ったりしないの?折角だしガルルガ装備とか」
「あー…………でもガルルガって狩るのが面倒なのよね。それに、ザザミの方がなんか可愛いし」
「まぁ、確かにザザミ装備は可愛いけどね」
「セイラーシリーズのあんたが言うと嫌味ったらしく聞こえるわ。という事で、縞パン見せなさい!」
「なんでそうなるの!?」
と、リンにスカートをめくられそうになった。た、確かにこの下には縞パン穿いてるけど!それはあくまで装備がそういうものだったから仕方ないの!しかも、広場のところでめくろうとするんだから…………恥ずかしいよ!
色々あったけど、目的の集会所に到着した。ここには多くのプレイヤーが集まっている。それこそ男も女も、どっちもいる。基本的にはみんな仲良くやっているけど、偶に変な女性プレイヤーとかがいるんだよね…………。『男は私の盾になりなさい!』とかとんでもない事を言っている。多分、そういうのは女性権利団体のプレイヤーかも。
世界にISというものが登場して大体十年くらい経つのかな?ISによって世界は大きく変わってきてしまっていた。正式にはインフィニット・ストラトスというマルチフォームパワードスーツ。宇宙空間での活動を視野に入れて開発されたらしいけど、現行のありとあらゆる兵器を凌駕し、今じゃ専らスポーツとしての側面が強い。ただ、女性にしか反応しないっていうとんでもない欠点がある。そのせいで世界は女性優遇制度を立てて、そして女性権利団体っていう過激団体まで出てきちゃった。お陰で男の人は女の人にこき使われるようになり、世界は色々と世紀末みたいな事になっているんだ。唯一、このゲームの中ではそんな事はないんだけどね。したら永久追放されるわけだし。訴えようにも利用規約に書いてあるわけだから警察のお世話になる事もない。
私達は早速クエストを受けるためにギルドカウンターの方に向かった。私達はこうやって依頼を受けてそれをこなし、そして報酬を得るという事をしている。
「ねぇナツ、どれを受ける?私は何でもいいんだけど」
「そうだねぇ…………」
私はクエストの一覧を見ていく。でも、まだハンターランク昇格試験クエストはこの間やったばかりだから出てないし、かといって特に作りたい装備もないからね…………。おまけにブート・クリンゲを作って、殆どクエストを契約できるほどお金ないし…………どうしようかな?因みに私達のハンターランクは七十五。上位中堅クラスだ。それなのにどうして金欠になっているのか、私が知りたいよ…………。
そんな中、一つのクエストに目がいった。フィールド調査クエストだ。クエストには幾つか種類があって、小型モンスターや古龍種の討伐を主眼とした討伐クエスト、中・大型モンスターの狩猟を目的とした狩猟クエスト、キノコ等のアイテムを集める採取クエスト、そして自分達の狩猟地を広げるためのクエストであるフィールド調査クエスト。私達が拠点としているサーバ群ケオス島は私達がまだ開拓していないフィールドが幾つか残っている。自分達で開拓しなければ、その狩猟地には行けない。勿論、誰かが開拓してもだ。
「へぇ、新しいフィールドでも見つかったの?」
「わからないけど、行ってみる価値はありそうだよ」
「そうね——って、げげっ…………マジでここに行くの?」
リンがそう言って顔を顰めるのも無理はない。だって、依頼地は——氷に覆われた極寒の世界、ゼーキューレ半島。
◇
「って、寒っ!?ほ、ホットドリンク飲んでも寒いんだけど!?」
リンはそう言ってガタガタと震えている。確かに寒いよ、ここ。ゼーキューレ半島は半島と名が付いているけど、その大半を巨大な氷河が形成している。でもわかっているのはそれだけ。それ以外はまだ未知の領域。何が採取できるか、何が生息しているのか、未だにわからない事を調べるのがフィールド調査クエストだ。
「それにしても、寒い…………」
「あ、あんたはそんな格好で寒くないの!?」
「背中に火属性武器背負ってるからそこまでじゃないかも…………いや、やっぱり寒いよ!!」
仮拠点のベースキャンプですら、物凄く寒いんだけど!?なんでここも猛吹雪が吹き荒れているの!?おかしいよね!?前に行った凍土ですらこんな事はなかったのに…………。
「と、とりあえず前に進もうよ。ネコタクチケットは持った?」
「そ、それは大丈夫よ。マッピングは任せるわ」
それぞれ役割を決めた私達はベースキャンプを離れ、私達がまだ知らないフィールドへと足を踏み入れた。のはいいんだけど…………
「「な、何もない…………」」
冗談抜きで何も見つかりそうにない。氷河の上にあるフィールドだから仕方のないことではあるんだけど、植物はおろか、生き物の死骸すらない。それがいかに過酷な環境であるのかという事を伝えてくる。
「やっぱり噂通りの場所みたいね…………」
隣を歩くリンはボソッとそんな事を呟いた。
「どういう事?」
「ゼーキューレ半島は氷の大地。そこには目ぼしいものなんてない。モンスターもポカラとか他の極海エリアでも見れるものしかいないって」
確かに、その噂はだいたい合っているような気がする。さっきから何も見つけられそうにないし、採取ポイントも釣り場だけ、モンスターも精々ポカラがその辺にいるくらい。ギルドの方で極海エリアに含まれているのはこのゼーキューレ半島とオケアーノス半島の二つ。だが、こことは違い凍土とそれに面した海洋からなるオケアーノス半島の方がまだ色々あると思う。
「それと、前に五十人くらいで何かを狩りにここへ来たらしいけど…………全員帰って来なかったなんて話も——」
「不吉な事言わないでよ!?思わずちびりそうになったでしょ!?」
リンがその後で冗談冗談と、カラカラ笑い流すけど、やけに現実味を帯びた話に聞こえてきて、本当に怖くなってきた。そんなものただの噂であって欲しい。そうじゃなかったら、どんな凶暴なモンスターがいるのやら。
だが、あくまで目的は採取ポイントのチェックと生息モンスターの調査。今回の成果はほとんど何もなかった、って事になるのかな…………。それはそれでどこか物寂しいな。
「期待はずれ、だったの…………?」
「まぁ、そんな時もあるっしょ。じゃあ引き返すとしますか」
リンはそう言って私に引き返す事を提案してきた。少し期待していた分、何もないのはかなり辛い。さっきまでの猛吹雪が嘘のように収まり、また月明かりがかなり明るいため、周りの景色が見えるようになった、その時だった。
「あれ…………?」
氷の上に何かあるのを見つけた。思わず手に取ったそれは、花弁のようなものだった。それもかなり大きい。
「どうしたの?」
「いや、なんでここにドスビスカスの花弁があるのかな、って…………」
「確かに、あれって温暖なとこでしか育たない花よね」
そう、本来ならここにあるはずのないドスビスカスの花弁があったのだ。そう不思議に思っている時だった。私の後ろから何やら不吉な声がする。
「な、なななナツ…………う、うう、ううううしっ、後ろ!!ややややばいの、やばいのいるっ!!」
リンの明らかに怯えたような声。何かが氷をしっかりと踏みしめる音が聞こえてくる。背中からビンビンと伝わってくる何かの気配。思わず私は後ろを振り返り、何が私達に迫っているのかをこの目で確かめようとした。そして、私たちの目の前にいたのは、全身を蒼い甲殻に包み、大きな翼を持ち、尻尾には飛行機みたいな鰭と背中に大きな背鰭を持っており、特徴的なその頭からはまるで鋸のような角が生えている。私達を見つめる目は赤く、そして冷たいものだった。
——暴鋸竜アノルパティス。極海エリアでは帝王とも呼ばれている、凶暴な飛竜種だ。その戦闘能力はリオスとディアブロスを足したような、もしかしてフィールドを破壊するんじゃないかとも言われている。また、空・陸・地中の三つの領域を自在に動けるというとんでもないモンスターなのだ。そんなモンスターに見つめられた私達は腰が抜けてしまい、武器を手に取る事など出来ず、地面にへたり込んでしまった。ど、どうしよう…………調査クエストは一回力尽きたら失敗なのに…………アノルパティスの攻撃なんて殆ど即死攻撃じゃん…………しかも、残ったお金でなんとか契約できたクエストだから、失敗したら破産確定だよぉ…………。
『おい』
そんな時、誰からか声をかけられた。男の人の声だ。でも、周りにいるのはリンだけだし…………。
『お前、俺の声が聞こえるのか?』
「あはは…………ナツ、なんだかね、絶望の淵に立っているせいか、モンスターの声まで聞こえてきちゃったわよ…………」
「それ、私もなんだけど…………」
『お前達、俺の声が聞こえるのかと聞いているんだ』
アノルパティスが足踏みをし、氷河を揺らす。それで、どこかファンタジーな世界に意識を飛ばしかけていた私達はこの現実に引き戻された。
「ほ、本当に喋っているの…………?」
『ああ。だが、これだけ言っておく。ここには何もなかったと言え。此処はお前達が安易に踏み入れてはいけないところだ。さっさと此処を去れ』
確かにこのことは誰にも言えなさそうだ。というか、リンはなんか気絶しちゃったようだし…………引き返すしかないみたいだね。それに、喋るモンスターの事は当面私とリンだけの秘密にしておこう。
「わかったよ…………約束する。もう来ないから」
『それでいい。…………彼奴の墓場を静かにさせてくれ』
そうとだけ言い残してアノルパティスは何処かへと飛び去っていってしまった。最後に何かを言っていたようだけど、私には聞き取れなかった。何を言っていたんだろうか…………。
とりあえず、リンを引きずりながら私はベースキャンプへと戻っていた。収穫があったとはいえ、全部あのアノルパティスに口止めされてしまったからね…………報酬どうなるのかな。
(でも、喋るモンスターなんてびっくりしたよ…………)
アイルーが人の言葉を話すことはよくあるけど、まさか飛竜までもがそんな事をできるようになるなんて、思いもしなかった。それにしても
(あの目…………何処かで見た気がする…………)
そんな風に感じてしまうことがあった。どこで見たんだっけ…………最近だったような気がするんだけど。
ベースキャンプに着き、ネコタクチケットを納品した私達は帰りの竜車が来るのを待っていた。その時、私の耳には確かに聞こえたものがある。
——暴鋸竜の哀しみに満ちた咆哮が。