暫くして雨は止んだ。それを見た織斑は一言だけ挨拶をして足早に帰っていった。見送り届けようかとクロウが提案していたらしいが、織斑はここから電車で一駅分移動しなければならないらしい。それを聞いた俺達は見送り届ける事なく、織斑も普通に店から出ていった。だが、俺の頭にはそんな事を考えているような余裕など残っていない。織斑の言葉がいやに頭の中に印象強く残り、それが何度も脳裏をよぎっていく。
(世界が…………俺たちのいた世界は、なんなんだ…………)
織斑は俺たちの住む世界がゲームの中の世界であるといった。つまり、俺達は本来存在し得ない世界からやって来たという事になる。だが、その世界にも織斑はハンターとして存在している。俺から見れば、織斑はどちらの世界にも存在している事になる。…………ダメだ、ただでさえバカな頭で考えるとこんがらがってくる。
「急に黙り込んでどうした、ルオン。何か考え事か?」
「あぁ…………少し、な」
喫茶店としての営業が終わり、普段着に戻ったジンが俺の真向かいに座った。厨房から水を流す音が聞こえているから、他の連中は食器でも洗っているのだろう。それに、この時間になればジョウは帰っているからな。実質、この場にいるのは俺とジンだけだ。
「まぁ、お前にもそんな時があるんだな」
「意外か?」
「まさか、誰だって悩む時くらいあるさ」
ジンはそう言って自分で淹れてきたコーヒーを一口飲む。誰だって悩む時がある、か…………俺もそうなんだろうが、実際俺の考えている事は、おそらく皆も同じように思っているかもしれない。
「ほら、お前の分も持ってきたぞ」
「悪いな…………」
俺はジンからコーヒーを受け取り、一口含んだ。ジンには悪いが、俺は熱いものが苦手だ。コーヒーは淹れたてが美味いというらしいが、そんな事俺にはわからない。それをわかっているのかわかっていないのかは知らないが、ジンは決まって俺に冷たいコーヒーを出してくれる。それが少し嬉しかった。
苦味が口の中を支配するがそれも一瞬の事だ。あとは全て胃の中に流れ込んでいく。カップをテーブルに置き俺は一息ついた。
「あの言葉でも引っかかっているのか?『ハンター』という言葉に」
ジンは俺の目を見てそう言ってくる。全く…………人の心を読む事に関してはこいつに勝てそうにない。
「まぁ、な…………それに、あの後考えていたらな、俺達は本来存在し得ないものじゃないのかって、考えてしまってさ…………よくわからないんだ」
俺の口から零れた言葉は今の心境そのものだ。世界が違う、なのに俺達はここに存在している。そして、今もこうして生きている。それがどうしてなのか、俺には全くわからなかった。それを事実として受け止めたいのか、それとも否定したいのか…………それもよくわからない。俺達は何者なんだ…………?どこから来て、どこへたどり着こうとしているんだ…………?考える度に容量の少ない俺の頭は混乱してくる。
「確かに…………俺も言われた直後は戸惑ったよ。それに、お前が彼女の話を聞いていたかどうかはわからないが、俺達がゲームの中の敵みたいな感じらしいぞ。ゲームの中でしか存在しないはずなのかもしれないが…………今の俺達からはなんとも言えないな」
ジンはそうなんともないように言うが、実際俺と同じように相当考え込んでいるのかもしれない。俺より頭の良いジンがこの事に真剣に考えないはずがない。それでも、結果は俺と同じようで、まだ答えに至ってないようだ。
「そうだよな…………」
「けど、だ」
ジンは少し間をおいてから口を開いた。
「そんな事を考えていたって仕方のない話だ。俺たちにできるのは、今まで通りに生きていく事だけだろう。それが最善策だ、きっと」
結局のところ、深く考えるなって事か…………ジンがそう決断を下すあたり、あまり考えすぎると俺たちの負担になると考えているようだ。だが、寧ろそう言ってもらえただけ、俺は少し助かったような気がする。
「ははっ、きっちりと決めるお前にしては少し曖昧な答えじゃないか?」
「よせ。俺だって全てを知っているわけじゃないんだ、決められない事だってある…………もう、過ちを繰り返したくないからな」
そう言うジンの顔には曇りがあった。こいつがこの顔をするのは初めてではないが、滅多に見せるものでもない。見ているのは辛いが、かと言って俺に何ができると言われたら何もできないから情けない。理由はわかっているからこそ、俺は無粋な詮索はしない。それに、ジンを含め俺の周りにいる奴らは何かと抱えているのが殆どだ。その理由も俺は知っているし、俺の理由も皆が知っている。誰も哀しみは背負いたくないしな。
「そうか…………なんか済まなかったな。嫌な事思い出させちまったか?」
「気にしないでくれ…………寧ろ、普通に接してくれる方が有難いからな」
「そいつはいえている。俺もそうしてもらいたいくらいだからな」
だからこそ、哀しみは心の奥底に秘めたまま決して表に出さないようにしている。誰かに慰めてもらうわけでもない。俺達はそれぞれが抱えているものと常に向き合って生きていかなきゃいけないんだからな。それが、性を受けた時に決められていた事なのかもしれない。
「おーい、飯の用意ができたぞー」
「ジン、ルオン、準備を手伝ってくれ」
「その方が早く用意できるでしょ?」
「わかった。すぐにいく」
「ああ、少し待っていろ」
どうやら飯の準備ができたようだ。後片付けだけしていたわけではなかったようだ。大方、クロウの奴が早いところ飯を食って寝たいだけなんだろうが、別にそれも悪くはないと思う俺がいる。クロウ達の呼びかけに応じた俺とジンは奥のダイニングに向かい、飯の準備の手伝いをする事にした。とはいえ、俺たちのする事なんて殆どないと思うんだがな。
◇
翌日。結局のところ、昨日の事もあって俺は不安定にでもなるのかと思ったが、俺の心境には大きな変化などなく、今まで通りに過ごしていた。いつものように授業を適当に流し、適当にジョウやジン達と駄弁って、そしていつものように適当に昼休みを過ごす。…………はずだった。
「…………」
「…………」
「…………」
なぜか敵対視されるような視線を受けている俺。どうしてこうなったのか、少々このバカな俺にも考える時間が欲しいぞ。一人は赤味がかった茶髪をバンダナで纏めている男、一人は普通のどこにでもいそうな感じの男、もう一人はツインテール(で、良かったのか?)が特徴的な小柄の女。最後の奴はどこかで会った気がする。
「え、えーっと…………」
そんな視線を一手に受けている俺の横では、凡そこの事態に俺を巻き込みやがったといっても過言ではない、事の元凶ともいえる織斑が慌てていた。俺は別に睨んでいるつもりなどないのだが、織斑に視線を向けると、すぐに逸らされてしまう。それを見た目の前の三人はより一層警戒の目を強めてくる。…………待て、俺がいつ何をしたというんだ?第一、面識の無い奴らに文句を言われる筋合いも無いぞ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
だが、俺としても警戒の目を向けられてしまっては、此方も威嚇行動に出るしかない。ゼーキューレ半島ではこんな事が日常茶飯事であり、俺達が生き残っていく上では非常に重要な事でもある。無駄な体力を使わずに物事を解決するにはこれが手っ取り早い。しかし、三人は依然として引き下がる様子はない。
「そ、そのー…………そろそろ、お昼にしないかな?」
そんな膠着した状況の中、織斑が何か話題を変えようと、昼飯にしようと提案してくる。それで話が済むのなら俺はその案に乗っても構わない。だが、
「いや一夏、それはまだ早い…………」
「え…………?」
「そうだな、もう少し見極めよう…………」
「えっ、えっ…………?」
「そうね…………警戒するに越した事はないわ」
織斑の案には乗らない様子の三人。これは一体どういう状況なのか説明を頼みたいくらいだ。というか、そもそもで俺は何かをしたのか?全くと言っていいほど心当たりがない。だが、これ以上こんな状態が続くと、俺の昼休みが全くなくなる上に、苛々が蓄積されて龍雷が出てしまう恐れがある。現に今、喉の奥で何かが弾ける音が断続して鳴っている。幸いにもまだ外には漏れてないようだ。しかし、この状況を変えなければならない事に変わりはない。
「…………で、お前らは俺に何の用があってきたんだ?」
状況を煩わしく思った俺は仕方なく口火を切ることにした。正直、授業以上に面倒臭い。今までこんな事にあった事がないということもあるだろうが、睨み合いを十分近く続けていられるほど、俺はじっとしていられるものでもない。
「な、何の用って…………決まっているじゃない!一夏の事よ!」
「一夏…………?ああ、織斑の事か。どうかしたのか?」
ツインテールの女がつかみ掛かってくるように言ってくるが、俺はどこ吹く風といった形で受け流す。しかし、何故に織斑の事なのだろうか?——ああ、思い出した。こいつ、俺が織斑を保健室に置いて出て行った後、廊下でぶつかって綺麗な礼を決めてきたやつだ。
「どうかしたのかって…………なんでお前が一夏を助けたんだよ!?お前に何か理由があるのか!?」
「それともなんだ!?助けた代わりに、一夏に何かを求めたんじゃないだろうな!?」
「もしそうだったら、あんたを殺すわ!!」
…………俺のなんでもないかのようにした返答が起爆剤とでもなったのか、一斉に噛み付いてくるような勢いで俺に問答してくる三人。というか、なんだか非常に誤解を招いているような気がするのだが…………それに、根も葉もない話まで上がっている。女に至っては俺を殺す気でいるぞ。何故わかるかって?あの目は本気の目だったからな。生きていれば自然にそういうのがわかってくる。
しかし、俺には全くと言っていいほどそんな事はない。見返りを求めたかといえば、そんな事はしていない。理由があるとしても、最初は偶然、次はアリシアに言われてからだからな…………最初のはいいとして、アリシアはどう説明したらいいのかわからない。ここでしっかりと誤解を解く必要があるな…………そう思った俺は説明をしようかと口を開こうとしたのだが、
「ちょっと!?ルオンさんはそんな事してないよ!!変な言いがかりはやめてって!!」
その前に織斑がそう言ってきた。俺が今まで見ていた臆病そうな織斑ではなく、今回に限ってはどこか強気な感じがする。そんな様子を周りの奴らは「とうとう熱愛発覚かー?」とか「ルオンに春が来たー!」とか騒いでいる。何のことを言っているのか俺には全くと言っていいほどわからないのだが…………だが、俺が小馬鹿にされていることだけはわかる。あいつらの頭上に氷柱を降らせてやりたいと思ったが、少し抑えるようにしよう。
「で、でもよ…………それもお前が脅されて言わされているんじゃ…………」
「違うから!ルオンさんは私を脅したりなんてしてないよ!」
「け、けどさ…………どう見てもこいつ不良みたいだし…………」
「ルオンさんはそんな悪い人じゃないよ!」
「で、でも…………どこかアノルパティスみたいに暴れていそうな感じがするし…………」
「どうやってもあの動きだけは無理でしょ!?」
女の言ったアノルパティスという単語——その言葉に俺はつい反応してしまった。織斑と三人の口喧嘩みたいな状態を一旦放置し、俺は思考の海に沈んだ。本来ならその単語は誰も知らないものなのだが…………この世界でその単語があるという事は、やはり俺達は彼らがやっているかもしれないゲームの中にいるのだろう。最早、そう決めつけるしかない。
「…………一旦黙ろうか?」
さっきの単語のせいか苛々が少々溢れ出て、言葉に怒りが混じってしまっているような気もするが、それは仕方のないこととして割り切るか。一方、俺からそう言われた三人はというと、
「ごめんなさい!調子乗りました!」
「い、命だけはご勘弁を!」
「許してください!お願いします!」
…………何がどう転じてこうなったのかわからないほど綺麗な礼を決めてきた。しかも全員必死なようで、歯と肩をカタカタと震わせ、額からは汗が吹き出ている。汗については今が夏だから追加して辛いだろうな。ついでに隣からも謎の震える音が聞こえたから、そちらにも視線を向けた。
「…………」
少し目尻に涙を浮かべて、怖がっている織斑の姿があった。え、そこまで怖かったか?アリシアやジョウによくやっていたんだが、彼奴らはどこ吹く風といった形で流していたぞ。しかし、こんな風に怖がられてしまうと俺の調子も狂う。仕方なく、頭を掻きながら言葉を紡いだ。
「…………怖がらせて悪かったな。だが、これだけは言っておく。俺は織斑に手を出してはいねえし、危害を加えるつもりもない。その点は心配するな」
「だ、だけどな…………な、なんでお前が一夏を助けたんだよ…………関係なんてないだろ?」
茶髪の奴が言う事はもっともなことだ。俺と織斑には大した関係があるどころか、そもそもで面識すら殆どないような状態だ。ここ最近出会ったようなものだぞ。だが、きっと今の俺にはそんなことは関係ないんだろう。
「そんなの関係ないだろ。俺の気分が偶々そうなっただけだ。他意はない。それとも、助けるのに理由がいるのか?」
俺がそう言うと三人は先ほどのやかましさはどこへ行ったという勢いで黙り込んで俯いてしまった。俺はそんなにキツく言ったのか?別にそこまでキツく言ったつもりはないんだが。
「…………なんだか、私達の方がバカみたいね…………」
「…………一夏の恩人の事をどこか疑っていたようだな…………」
「…………一夏を助ける奴に悪い奴がいないってのは、俺達がよく知っているはずなのに…………」
三人はそう小さな声で呟くと、急に顔を上げてきた。その突然のことに驚く俺。急にどうしたと思いつつも、ひとまず平常を装って応対する事にした。
「「「すみませんでした!」」」
「…………はい?」
だが、俺の口から出たのはその間の抜けた返事だけだ。三人から来たのは謝罪の言葉。何に対する謝罪なのか、俺にはわからないんだが…………というか、どんな流れでそうなったんだ?
「その…………一夏の事を助けてもらったとは本人から聞いていたんですけど…………」
「その人が四組の人だと知って、何か裏があるんじゃないかって思いまして…………」
「てっきり、一夏を脅したりしていたのかと思っていたんですけど…………話を聞くと普通にいい人で…………俺たちの誤解でした…………」
「「「疑ってすみませんでした!」」」
そう言って再び綺麗な礼を決めてくる三人。最早なんと言葉をかけたらいいのかわからないんだが…………誰でもいい、この状況をなんとかしてくれ。だが、これで誤解を解けたのであればそれでよしとするか。あまり面倒ごとに逢いたくない。
「誤解が解けたらそれでいいさ。で、他に用件はあるのか?」
ひとまず謎の膠着した状態が解け、一息ついた俺は他に何かないのかと三人に問う。おそらく、さっきの理由だけで来たのではないだろう。
「その…………まだ昨日のお礼も、この間のお礼もしてませんでしたので…………お昼作ってきたんですけど…………もしよかったら一緒にどう、ですか?」
今度は織斑がそう言ってきた。その手には少々彼女にしては大きめの弁当箱が持たれていた。
「お礼?」
「はい…………あ、気に障ってしまったのなら謝ります!で、でも…………恩返しはしたいんです…………」
そんな風に言う彼女はどこか焦れったいように感じてくる。はぁ…………まぁ、悪い気はしないからその話に乗ってやるとするか。だが、これだけ言わせろ。俺から離れたところで見ている、ジン、クロウ、リオ、レイ、ジョウ…………その目はなんだ?何か面白そうなものを見るような目で俺を見るんじゃない。
「わかったよ…………付き合ってやる」
「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!!」
そう喜ぶ彼女はとても嬉しそうだった。まるでアリシアが喜んでいるようにも見えてくる。もっとも、アリシアよりは幾分か大人しめではあるがな。それでも、俺にはその光景がどこか懐かしく、どこか微笑ましく思えて、思わず顔を緩めてしまった。
「それじゃ、みんなでお昼ご飯にしましょうか!あ、私は凰鈴音よ、よろしく!」
「俺は五反田弾だ。弾でいいぜ!」
「俺は御手洗数馬、数馬でよろしくな」
「帝鋸ルオンだ、好きに呼べ」
「ルオンさんの事もみんなに紹介できたみたいだし、それじゃ、頂きます!」
織斑は弁当の包みを広げた。そこにはおおよそ一人で作ったのかとは思えない程の量があった。もとより織斑を含めた四人で昼飯にする予定だったのだろうか?すでに五反田と御手洗は弁当に手をつけている。だがそれを一夏が「あっ!ルオンさんに先に食べてもらおうと思ったのに〜!」と言っている。…………騒がしいが、どこか懐かしい感じがする。
「ほらほら、あんたも食べなさいよ。一夏の手料理は本当に美味しいんだから」
「そうなのか?」
凰にそう言われ、俺は目に付いた握飯に手を伸ばした。元は肉しか食ってないような俺だが、この体になってからは雑食みたいな感じになっている。だから、別に穀物を取ろうが身体には関係ない。俺は握飯に食らいついた。クロウもたまに作ることがある握飯だが、この握飯はクロウのとは違っていた。何故なんだろうか…………ただ、米を丸めて作っただけのものなのに、何処か優しい味がしたんだ。
「美味いな…………」
「本当ですか!?よかった〜!」
俺のふとした呟きを聞いた織斑はこれまた飛び跳ねるような勢いで喜んでいた。そして俺もまた、こうやって誰かにいいことをして、恩返しをされた事が少し嬉しかった。今まではそんな事もなく、恩を仇で返されることの方がザラだったから尚更だ。
(アリシア…………誰かに良いことをすると、自分にも返ってくるって、本当だったんだな…………)
心の内で俺はそう思った。彼奴に言われたことが本当になるとは夢にも思っていなかったからな。
——そうだよ。でも、誰かを助けるのはそれが本当の目的じゃないからね——
そんな時、俺の脳裏には彼奴の声が聞こえた。ふと、周りを見渡してみるがやはりいない。代わりに、織斑達に怪しまれてしまったがな。だが、その声は俺には確かに聞こえた。…………それもそのはずか。彼奴はまだ、俺が忘れない限りは生き続けているんだもんな…………。そう思うと、何処か寂しい思いが出てきたが、今はこの賑やかな空間にいたいという俺がいる。そう思える自分がいたのが、俺にとっては大きく一歩を踏み出したなと考えさせられるのだった。
最近思う事。
この小説のMH要素、ほぼ無くね…………?