五線譜にラブソングを ~ Story of Maki   作:Kohya S.

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3. 街中にて

「きゃーっ!」

 屋上に絵里の叫びがこだました。一瞬ののち、とどろく雷鳴。絵里は屋上の階段室へ駆け込んだ。

 

 しばらく前に西の空に浮かんだ入道雲は、みるみるうちに全天をおおっていた。稲光と雷鳴も近付いてきている。絵里が驚いた雷はすぐ近くに落ちたようだった。

 

「もう、絵里ったら怖がりなんだから」

 にこが腕組みをしていった。

「わっ、冷たい」

 花陽が飛び上がる。雨粒が落ちてきたようだった。

「でも、そろそろ危ないですよ」

 ことりの言葉にメンバー全員で階段室へ避難した。

 

 雨はたちまち強くなった。雷鳴の頻度も増してきていた。

「あちゃー、本格的に降ってきよったね」

 希が、濡れていく屋上を見ながらいった。

「しばらく練習は中断ですね」と海未。

「きっとすぐに止むよ」

 穂乃果が笑う。

「……それならいいんだけど」まだすこし怖そうな絵里。

「涼しくなるなら、凛は大歓迎だニャ」

 

 真姫はみなと一緒に外を眺めたが雷雨はとりあえず、おさまる気配を見せなかった。メンバーたちは雑談に興じている。

 

 真姫はひとり階段へ向かった。

「真姫、どこにいくの?」と、にこがたずねるが、「ちょっとね」とだけこたえる。

 きっとトイレにでも行くのだと思ってくれるだろう。

 

        ・

 

 真姫は下の階につくと廊下を右に曲がった。トイレの前を通り過ぎてそのまま進む。そして音楽室の扉を開けた。今日は吹奏楽部の練習は休みらしかった。

 

 海未と話してから数日が過ぎたが、曲作りは思うように進まなかった。さすがに五曲目ともなると――海未のほかに、ことりが作詞した曲もある――プレッシャーになっているのは否めなかった。

 

 ピアノの前に座り(ふた)を開いた。キーカバーをわきによける。

 まずサビの部分を弾いてみた。曲をイメージしたときすんなりと浮かんできたメロディーだ。

 

 うん、これは悪くない、と思うのよね。でも、サビまでどう展開していくか……。

 

 コード進行とBメロはある程度は固まってきていたのだが、Aメロが悩ましかった。わかりやすくて盛り上がるメロディーが欲しかった。

 真姫は冒頭の部分からコードを流してみた。鼻歌を歌ってみるが――なかなかしっくりこなかった。

 

 何度か繰り返して――。

「はあ」

 真姫はため息をついた。

 

 入口の扉が開く音がした。真姫は顔を上げた。

「やっぱりここね」

 にこだった。ピアノのところまで歩いてくる。

「練習、再開するわよ」

 窓の外を見るといつの間にか雨は上がり日がさしてきていた。

 

「新曲、悩んでるのね」

「べ、別にそんなことないわよ」

「また、素直じゃないわね。……あまり根つめても、よくないわよ」

「それは、わかってるけど……」

 真姫は口ごもった。

「ちょっと頭、冷やしてみたら」

 にこは優しく微笑む。

「……そうね」

 真姫はうなずいた。キーカバーを元のようにかけて蓋を閉めた。椅子をおりる。

 

「ま、私には具体的なアドバイス、できないんだけどね」

「ううん、それはいいの」

 真姫は首を振った。

「ありがと、ニコちゃん」

 

 ふたりは音楽室を出て屋上に向かって歩いた。

 

 アドバイス、か……と真姫は思う。

 

 たしかにメンバーに相談できそうな人……いないのよね。ニコちゃんや花陽はアイドルの曲には詳しくて、インスピレーションは与えてくれるけど、やっぱり専門的なことは難しいし……。海未も、同じよね。

 ん……そうね、先生なら……。

 

 廊下を考えながら歩く真姫に、にこが話しかける。

「そういえば、明日、練習、休みよね。真姫はあいてる?」

「特に予定はないけど……」

 塾も入れていなかった。

「それじゃ、どこか買い物でも行かない?」

「……ん、いいわよ」

 一瞬だけ悩んだが真姫は了解した。

 

        ・

 

 翌日の午後。あれから行き先は御茶ノ水から神保町にしよう、ということになり、御茶ノ水駅からほど近い商業施設の中庭で待ち合わせた。

 やはり暑い日だった。天気予報では昨日に続いて雷雨の可能性もあるということだった。

 真姫は、白基調の襟の大きなセーラー服風のシャツに、プリーツの入ったネイビーのミニスカート、ブラウンのニーハイソックスという服装だった。ピンクのリボンがアクセントになっている。

 

 真姫がそこにつくと、にこはまだ来ていないようだった。中庭の一角、日陰のベンチで待つ。

 

 にこは基本的には明るい性格で、三年生ながらどことなく子供っぽいところがあり、花陽や凛とは仲がよかった。ただ、それだけではなく先輩らしい面倒見のよさも持っていた。

 今日もきっと彼女は真姫が悩んでいるのをみかねて、気晴らしに誘ってくれたのだと思う。

 

 でも、そんなこというと……ニコちゃんは否定するんでしょうね。「私が行きたかっただけよ」って。

 

 素直になれないところが自分に似ているようで、真姫は彼女に親近感を覚えていた。

 

「お待たせ、真姫」

 にこの声に真姫は顔を上げた。

「ニコちゃん。ううん、いま来たところ」

 

 にこは小柄で華奢な体形だった。つややかな黒い髪をリボンでふたつに結び、いわゆるツインテールにしている。

 にこはクリーム色のオフショルダーのサマーニットに、ワイン色のショートパンツを合わせていた。肩からのぞくTシャツはピンク色で、リボンと同系色だった。

 海未とは雰囲気は異なるがやはり器量はよくて――海未が清楚なら、にこには愛らしいという形容が似合うだろう。

 

 ふたりは中庭を出て歩きはじめた。

 

「どこに行くの?」

 真姫は聞いてみる。

「とりあえず、真姫の行きたいところでいいわよ」

「そうね。……CD屋さんかな」

「もう、真姫ったら、作曲から離れなさいよ」

 にこはあきれたように首を振った。

「でも、なにか思いつくかもしれないし……」

「はあ、仕方ないわね」

 

 真姫の案内で駅のそばのCDショップへ向かった。

 さまざまなコーナーを眺めたり、いくつか試聴したりてみたものの、あまりピンとこなかった。

 にこにいって店を出る。

 

「どうだった?」とにこ。

「なかなか、難しいわね……」

 真姫は軽くため息をつく。

「ほら、ちょっと忘れましょ」

「……うん。今度は、ニコちゃん、どこに行きたい?」

「私? アイドルショップ、かしらね。近くにあるのよ」

 やっぱりアイドル関係なのね、と真姫は思った。

 

 ふたりは明大通りに出て坂を下っていった。途中、いくつかの楽器店の前を通る。

 

「あ、これ……」

 真姫は店頭のポスターに目をとめた。大久保の持っていた楽器のポスターだった。

「ニコちゃん、ちょっと寄っていいかしら」

「もちろんよ」

 

 階段で楽器店の地階へ下りる。そこは管楽器専門のフロアのようだった。

「あら、ピアノじゃないのね」とにこ。

 にこは物珍しそうに並んだ金管や木管を眺めている。真姫はフロアをゆっくりと歩いた。

「あ、これだわ……」

 一角にウインドシンセサイザーが何種類か並んでいた。

「へえ、面白いわね」

 にこは手に取って、ためつすがめつしている。

 

 値札には五桁後半の価格が書かれていた。以前、大久保がいっていたように小遣いで買うには厳しい金額だ。ただサックスよりは現実的かもしれない、と真姫は思った。

 店員にいえば試奏もできるようだが真姫はやめておいた。

 

 店を出てふたたび歩きはじめる。

「真姫、新しい楽器でも始めるの?」

「ううん、ちょっと興味があっただけよ」

「ふーん」

 

 駿河台下の交差点を渡った先に、にこの目当てのアイドルショップがあった。

 さほど広くない店内には所狭しとアイドルグッズやパンフレット、写真集などが並んでいて真姫は圧倒された。

 にこは楽しそうに店内をうろうろしている。

 しばらくして彼女はなにかを買っていた。

 

「お目当てのもの、あった?」

 店を出て真姫は聞いた。

「ええ。去年のA-RISEのライブ限定グッズが出てたわ。掘り出し物よ」

「よかったわね」

 真姫は微笑む。

「……真姫、退屈じゃなかった?」

「平気よ」

「ならいいけど」

 

 真姫は、にこほどアイドルに興味はなかったが、夢中になっているにこを見ているのは楽しかった。

 

 大型書店の前を通りがかった。教材などに力を入れている書店なのか、通りに面したガラス張りの陳列ケースには参考書や辞書が並んでいる。

 

「はあ、そろそろ新学期ね」

 にこは大げさに嘆息した。

「……参考書でも見ていく?」

「ううっ、そうね……。期末テスト、相当やばかったしね……」

 

 重そうな足取りで、にこは入口をくぐった。真姫もあとに続いた。参考書などを扱っているフロアまで上がる。

 

「なにを選んでいいのか、まずわからないのよね……」

 にこは書棚の前で立ちつくしていた。

「ニコちゃん、どの科目が苦手なのかしら」

「まずは数学よね。なんなのよ、あの公式とかいう謎の呪文は」

「そのレベルなのね……」

「ま、まあちょっと大げさにいってみただけ、だけど」

 にこは腕組みをしてあさってのほうを向いた。真姫はくすりと笑った。

「あっ、あんたいま笑ったわね」

「わ、笑ってないわよ」

 真姫はにこを懸命になだめた。

 

 結局、真姫がアドバイスして何冊か選んだ。

「一年生に相談に乗ってもらうって、いろいろだめよね……」

 レジに並びながら、にこは小声でつぶやいていた。

 

「真姫、あんたはいいの。期末テスト、たいへんだったみたいじゃない」

 レジから戻り、にこが聞いた。脱退騒動を思い出しているのだろう。

「ああ、あれね。……私は塾に行ってるから」

「あら、初耳だわ。へえ、真姫が塾ね」

 そういえば塾に通っていることは花陽と凛にすこし話しただけだった。

「週二日、英語だけ、ね」

「ふーん、がんばってるじゃない」

 にこが微笑んだ。

「べ、別にたいしたことじゃないわ……。その、また成績が下がって、みんなに迷惑かけられないし」

 真姫は目をそらした。そんな真姫をにこは優しく見つめていた。

 

 通りに出てから、にこが聞いた。

「それで、何点、取ったんだっけ?」

「68点よ」

「……世界が違うわね」

 

 ふたりは書店街を歩く。

「で、ほかにどこか行きたいところ、ある?」とにこ。

「特にないけど……。でも、ちょっとおなか、すいたかな」

「そうね。適当に歩いてみましょうか」

 

 交差点で道の反対側に渡った。一本、裏の通りに入ってみる。

 そこは住宅や小さい料理屋、雑居ビルなどが並んでいて、大通りの喧騒(けんそう)が嘘のように静かだった。

 

「あれ、このお店……」

 あるカフェの前で真姫は立ち止まった。看板には「ラミリーズ」とあった。

 

 先生がいってたお店だわ……。こんなところにあったのね。

 

 その店は雑居ビルの一階にあり、通りに面した部分は一面が引き戸で開け放てるようになっていた。その右には木製の片開きの扉がある。この暑さのせいか引き戸は閉められていたが、それぞれの戸にはめられた大きなガラスから、なかのようすが見えた。

 引き戸の前はウッドデッキで、椅子とテーブル、それに宣伝用の黒板が並んでいた。いまは誰もいない。

 扉のさらに右横には店のロゴが掲げられていた。また引き戸の上、ビルの壁面は帯状に緑地に塗られ、そこに白色で店名に加えて「ダイニングカフェ」とあった。

 

「真姫、来たことあるの?」

「来たことはないんだけど……名前は、聞いたことがあるわ」

「へえ」にこは黒板を眺める。「よさそうじゃない、ここにしましょ」

 真姫はうなずいた。

 

「いらっしゃいませ」

 カウンターにいた初老の男性から声がかかった。別の女性店員が窓際の席に案内してくれる。

 

 店内はすいていた。ダークブラウンの調度で統一され落ち着いた雰囲気だった。入って右手にカウンターがあり左手がホールだった。それほど広くはなくニ、三十席というところだろうか。

 ホールの一角、カウンターの近くには同じくダークブラウンのアップライトピアノと、ドラムセットが置かれていた。

 

 先生、ここで演奏してるのかな……。真姫の心をそんな思いがよぎった。

 

 まずはお冷でのどを潤した。メニューから真姫は日替りのデザート――洋梨のタルトだった――とアイスコーヒーを、にこはクリームブリュレとアイスティーを注文した。

 

 にこは店内を見渡す。

「へえ、ピアノがあるのね。生演奏とか、やってるのかしら」

「そうみたいよ」

「ふーん」

 

 ほどなくしてデザートがやってきた。

「うん、おいしいわね」とにこ。

 真姫の頼んだタルトもシロップがしみ込んだ洋梨と、ビスケット生地がよくあっていた。コーヒーとの相性も悪くなかった。

 

「真姫、どうして知ってたの?」

 デザートを食べ終えたにこが聞いた。

「えっと……」

 真姫はしばらくためらった。

 

 どうしようかしら……。そうね、ニコちゃんなら、教えてもいいかな……。

 

「塾の先生が、ここで演奏してるって、いってたの」

「意外なつながりね……。ていうか、先生とそんな話するのね」

「うん、学校と違って……みんな雑談とか、してるのよ」

 

 真姫はピアノのほうにちらっと目をやった。

「ちょっと弾かせてもらったら?」

 にこがいたずらっぽく笑った。

「そ、それはさすがに……」

 真姫は首を振った。ただ、興味がないといえば、うそになる。

「……見てみるだけ、だから」

 真姫は席を立ってピアノのところへ行ってみた。

 

 ピアノは真姫の背よりもやや低かった。直線が主体のシンプルなデザインで、決して新しいものではないようだが、つや消しのマホガニー色が上品で木目も美しかった。

 

 カウンターのなかにいた男性が真姫に気付いて顔を上げた。白髪交じりで、白いシャツに、胸から下をおおう黒のロングエプロンをつけている。

 マスターかしら、と真姫は思った。

 

 彼は真姫に微笑んだ。

「あの……生演奏とか、してるんですか?」

 真姫は聞いてみる。

「そうですね、週に一、二日、かな。夜がほとんどですけど」

 彼は真姫の姿を見て続ける。

「お嬢ちゃん、高校生?」

 真姫はうなずいた。

「それだと、夜は……親御さんと一緒に、来てもらった方がいいですね」

 

 やっぱりそうよね、と真姫は思った。そして、うちの両親を説得するのは難しいでしょうね、と心のなかでため息をついた。

 

「たまに、日曜日の午後とかにもやるので……予定はポスターに書いてあるから、もし気付いたら来てください」

 彼は入口のわき、引き戸のガラスに貼ってあるポスターを示した。

「はい」

 真姫はもう一度うなずいた。

 

 真姫はピアノに向き直る。

「……きれいなピアノですね」

「……弾いてみますか?」

 真姫が驚いて男性のほうを見ると彼は微笑んだ。

「もう、お客さんもいませんし……」

 気付けば店内の客はふたりだけになっていた。おそらくいったん店を閉めて、夜にまた開くのだろう。

「あ、すみません……すぐ出ます」

 真姫はぺこりと頭を下げた。

「いえ、大丈夫ですよ」

 

「いいじゃない、弾いてみなさいよ」

 背後から声がした。

「ニコちゃん……」

「私も、聞きたいわ」

 にこは目を輝かせている。

 カウンターの男性に目をやると彼もうなずいた。

 

「し、仕方ないわね……」

 真姫は「はあっ」とため息をついて椅子に座った。鍵盤蓋(けんばんぶた)を開けてキーカバーを外す。軽く鍵盤に両手を置いてみてから、椅子の高さをレバーで調整した。

 

 まずはアルペジオを弾いてみた。思いのほか音が前に広がってくるように感じる。低音から高音まで試すが音は整い、バランスが取れていた。

 

 アップライトは久しぶりだけど、思ったより弾きやすいわね……。なににしようかしら……。

 

 真姫はすこし考えて、弾き慣れたあの曲にした。

 

 真姫が演奏を始めると、にこが隣までやってきて見つめた。にこはやがてハミングを始める。

 真姫も楽しくなってきて――小声で歌い始めていた。にこもそれに合わせる。

 

『♪~♫~』

 

 ワンコーラスを歌い終える。男性が小さく拍手した。

「さすがね、真姫」

「うちで演奏してもらいたいくらいですね」と男性もいう。

 真姫は顔を赤らめて下を向いた。

「あ、ありがとうございます」

 真姫はキーカバーと蓋を元に戻した。

 

 男性に弾かせてもらったことの礼をいってから、席に戻る。飲み物を飲み終えて会計をすませ店を出た。

「またどうぞ」と男性はいってくれた。

 扉には「CLOSED」の札がかかっていた。

 真姫はポスターを確認したが、そこに書かれていた日程は夜のものだけだった。

 

 気付けば日はかなり傾いて夕方の気配が漂い始めていた。

 

 ふたりは裏通りをゆっくりと歩いた。

「長居して、迷惑かけちゃったわ」と真姫。

「あまり気にすることないわよ。入ったときには開いてたんだし」

「それならいいけど……」

「それより、まさか真姫の演奏が聴けるとは思わなかったわ。……いつもなら、外でなんか、ぜったい弾かないでしょ」

「それは……ニコちゃんしか、いなかったし」

 真姫は右手の指で髪をくるくるといじった。

「まあ、貴重な体験ができたわ。ありがと、真姫」

 にこは微笑んだ。

「ど、どういたしまして……」

 

 そうね、私……思わず弾いてみちゃったけど、どうしてかしら。不思議ね……。

 

 ふたりは駅のほうへしばらく歩き、駅近くの交差点で別れた。

 

        ・

 

 翌日の夕方、μ'sの練習のあとで真姫は塾へ向かった。

 昨日は、にこと一緒に街へ出てリフレッシュできたものの、新曲はまだ形になっていなかった。

 

 教室へ入り指定されたパーティションへ行く。隣の生徒は来ていなかった。席に座り授業道具を準備する。

 ちらりと壁の時計を見るとまだすこし時間があったので、真姫は鞄から音楽プレイヤーを取り出した。イヤホンを耳につけて再生ボタンを押す。

 真姫が再生したのは昨晩、新曲のコード進行を録音したものだった。真姫は目を閉じてメロディーを探っていった。

 

 しばらくして隣の席に田波が座ったが真姫は気付かなかった。

 

 ぽんぽんと肩を叩かれて、真姫は我に返った。

 肩越しに振り向くと、大久保が困ったように笑っていた。あわててイヤホンを外す。

「す、すみません」

 真姫は赤くなって頭を下げた。

「西木野さん、珍しいですね。時間、始まってますよ」

 彼はさとすようにいった。

「はい、すみません。作曲、してたので……」

 真姫は縮こまるようにしながら小声でこたえた。大久保はちらりと面白そうな表情を浮かべたが、そのまま真姫の隣を離れた。

「それじゃ、あらためて、よろしくお願いします。まず、田波君から……」

 

 真姫は音楽プレイヤーを鞄に戻した。

 

 つい、夢中になっちゃったわ……。こんなことじゃ、ダメよね。それに、作曲してた、なんていっちゃったし……。

 

 意識を切り替えてテキストに集中した。授業はいつも通り進んだが――それでも真姫はふと曲のことを考えてしまうのだった。

 

「では、今日はここまでにしましょう。お疲れさまでした」

 終了を告げるチャイムが鳴った。

 

「はあ」

 真姫は軽くためいきをついて授業道具をしまい始めた。

「西木野さん」

 背中から大久保が声をかけた。

「はい」

 真姫はなにか注意されるのかしらと身構えて振り返った。立っている彼を見上げる。

 彼はそんな真姫を見てか、安心させるように笑みを浮かべた。すこし前かがみになる。

「作曲、してるんですか」

「……はい」

 真姫は顔を赤らめて視線を落とした。

 柑橘系の香りがした。そういえば今日は私、まっすぐ教室に来ちゃったわ、と思う。

 

「すごいですね」と彼。

「いえ……そんなこと、ないですけど」

「私、あまり作曲とかしないんですけど……たいへんですよね」

 真姫は顔を上げた。

「先生も、作曲するんですか?」

「ほんと、たまにですね。お遊びみたいなもので」

 彼は頭をかく。

 

 そういえばコンサートのときの曲……。二曲とも素敵だったけど、もしかして先生が作曲してたり、するのかしら……。

 

「あ、あの……この前、コンサートのときの曲は、どうなんですか?」

「あれは、違いますね」彼は曲名を挙げた。「あんなのができたら、いいんですけどね」

 彼は首を振る。

「いい曲ができるといいですね」

 そういって真姫に笑いかけた。真姫は優しいその笑顔に勇気付けられる思いがした。

「はい。あの、今日はすみませんでした」

 真姫は頭を下げた。

「そうですね、切り替えは大事ですね」

 彼はうなずくと「気を付けて」といって教室から出て行った。

 

 真姫は片付けを再開した。そして思い出す。

 

 私、昨日お店に行ったこと、話さなかったわ。演奏させてもらった、っていったら、先生がなんていうか、ちょっと聞いてみたかったのに……。

 

 ただ大久保と作曲について会話できて――なんとなくだがヒントがもらえたような、そんな気がしたのだった。

 

        ・

 

 その日の晩。塾から帰宅し、夕食と入浴をすませて真姫は自室に戻った。

 

 真姫の部屋はかなり広く、シングルベッドと上置きのついた大きな机、ハイチェストを入れてもまだ余裕があった。白と濃茶を基調としたインテリアに花柄のカーテンが(いろど)りを添えていた。

 机のわきには、カバーの掛けられた61鍵のキーボードが置かれていた。コンパクトなスピーカーセットも並んでいる。

 

 真姫は机上のピンク色のノートパソコンを開いて大久保が口にした曲を――真姫はどちらも初めて耳にした曲だ――検索サイトで入力した。何本かの動画がヒットした。

 真姫は動画をひとつずつ再生してみた。

 いろいろな楽器で演奏されていたが、やはりウインドシンセサイザーが多いようだった。

 どちらも真姫には心地よかったが、とくに一曲目は軽快で、目の前に晴れ間が広がっていくようで――真姫は想像が拡散していくのを感じた。

 動画の再生が終わった。真姫は目を閉じてしばらく心を泳がせた。

 

 そうね、こんな感じ、かしら。

 

 パソコンの横のキーボードからカバーを外し、左手でコードを弾きながら右手で音階を追ってみた。

 何度か繰り返すうちにゆっくりと心象が姿をあらわしてきた。

 真姫は夜がふけるまで作業を続けた。

 

        ・

 

 翌日の朝、真姫は海未にメールを送った。曲ができたことを伝えるメールだった。練習にすこしだけ早く来てほしいことも書き加えた。

 真姫は朝食をとり身支度をして学院へ向かった。

 ほんのわずかの時間差しかないのに、いつもより涼しい朝が新鮮だった。

 

 部室へつくと、ほどなくして海未があらわれた。

「おはようございます」

 海未は端正なふるまいで頭を下げた。丁寧に部室の扉を閉める。

「おはよう、海未」

「曲が、できたそうですね」

「ええ。……遅くなっちゃって、ごめんなさい」

 真姫は鞄からCDを取り出した。昨晩のうちに録音してCDに書き込んだものだ。

「いいえ、ありがとうございます」

 海未は貴重なものを扱うように両手で受け取った。

 

「それで……よかったら、ここで聞いてもらえるかしら」

 真姫は、はにかみながらたずねる。

「はい、喜んで」

 海未は真姫が差し出した音楽プレイヤーのイヤホンを耳につけた。

 真姫は再生ボタンを押した。ピアノの伴奏にメロディーは真姫がラララで歌っている。

 海未は目を閉じて聴き入った。真姫はそのようすを落ち着かない気持ちで見守った。海未の表情はすこしずつ明るくなっていく気がした。

 

 やがて曲が終わり、海未は片方ずつイヤホンを外した。笑みを浮かべる。

「……真姫。素晴らしいです」

 真姫はいつの間にか息を止めていた。ふーっと吐き出す。

「あ、ありがと」

「これなら……すぐに歌詞が浮かびそうですよ」

「ならいいけど……」

 海未のまっすぐな瞳がくすぐったくて真姫は視線を外した。海未はそんな真姫を見てか笑みを深くした。

 

 数日後、夏休みも終わりに近付いたある日。やはり練習前に真姫は海未から歌詞を受け取った。

 

「うまくできていれば、よいのですが……」

 おずおずと海未が差し出したレポート用紙には整った文字が並んでいた。さすがに毛筆ではなかったが――。

 

 曲名は「No brand girls」だった。真姫は読み進める。その題名の通りまだまだ無名な少女たちが立ちはだかる壁を乗り越えてみせる、という内容だった。

 真姫はちらっと海未を見た。まだ恥ずかしさが残っているのか、わずかに頬を染めていた。

 いままでの曲と同じく、やはりその歌詞は前向きで明るかった。

 

 一度読み終えて今度は小声で歌ってみる。歌いやすかった。

 

「うん、いいんじゃない」

 真姫は海未に笑顔を向けた。海未は肩の力を抜いたようだった。

「真姫の曲が、いいからですよ」といって笑う。

「ずいぶん早くできたのね……ありがと、海未」

「どういたしまして」

 真姫と海未はもう一度、微笑みあった。

 

        ・

 

 それから真姫は編曲を進めた。難しい仕事だったがいままでのように立ち止まることはなかった。

 

 夏休みが明けて始業式の日。よく晴れて残暑が厳しかった。

 

 放課後、すこし遅れて真姫は屋上に上がった。真姫は完成した曲を入れたCDを持参してきていた。

 扉を開く前に深呼吸する。いつもこの瞬間は緊張するわ、と思う。

 

「昨日はたいへんだったよー」

 扉をわずかに開くと穂乃果の声が聞こえてきた。

「まったく、最後まで宿題を放置しておくからです」

「毎年、海未ちゃんとわたしが手伝ってるよね」

 これは海未とことりだ。

 

 真姫は背中に回した左手にCDを持って扉を押し開けた。

「あっ、真姫ちゃん、久しぶり!」

 穂乃果がいつものように明るく迎える。

「久しぶりって……昨日、休みだっただけじゃない」

 にこがつっこむ。

 

「あの……新曲ができたわ」

 真姫は背後からCDを取り出して片手で示してみせた。あくまでも、たいしたことはない風を装いながら――。

「おおっ!」「やったニャ!」「すごいです!」

 メンバーは色めき立った。

 にこがCDを受け取ってプレイヤーを準備する。

 

「その……遅くなってごめんなさい」

 そういう真姫の背中を希がぽんと叩いた。

「気にしすぎやん」

 

 CDプレイヤーのまわりにメンバーが集まった。イントロが流れ始める。

 真姫がひとりで歌った仮歌だ。しばらく全員が無言で聴き入った。凛は片足でリズムを取っている。

 そんなみんなのわきで真姫は海未に視線を送った。海未は優しくうなずいた。真姫も笑みを返した。

 

「かっこいい! すごいよ、真姫ちゃん。天才だよ!」

 曲が終わるなり、穂乃果が目を輝かせて真姫の両手を握りしめた。

「そ、そんなことないけど……」

 真姫は目をそらした。

「また、照れちゃって」

 希が真姫をからかう。

 

「海未ちゃんの歌詞も、すごくわたしたちっぽいね」とことり。「っていうか、穂乃果ちゃんっぽいかな♪」小声で海未の耳元にささやく。

「うふふ、そうですね」

 海未はいたずらっぽく微笑んだ。

 

「いつになくアップテンポね。いいじゃない、気に入ったわ」

 腕組みをするにこ。

「わ、私、こんな曲、踊れるでしょうか……」

 花陽は両手を胸の前で握りしめて、ふるふると震えている。

「大丈夫だよ、かよちん!」

 凛が花陽の肩を抱いてはげました。

 

「さあ、新曲ができて嬉しいのはわかるけど、そのくらいにして……。あまり時間がないから、これから忙しくなるわよ」

 絵里が呼びかけた。

「はーい!」「振り付け、考えなきゃね」「がんばるニャ」「衣装もですね♪」

 みなが口々にこたえた。

 

 穂乃果から解放された真姫は新曲の評価に胸をなでおろした。

 

 ずいぶんたいへんだったけど……なんとかなって、よかったわ。ニコちゃんにも助けてもらっちゃったし。それに……。

 

 真姫の心に大久保のことが浮かぶのだった。

 

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