五線譜にラブソングを ~ Story of Maki   作:Kohya S.

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5. 友人たち

「新しいライブ、決まったよ!」

 穂乃果が屋上に駆け出してきた。練習に集まっていたメンバーが迎える。

「ライブ?」希がたずねた。

「うん!」

 穂乃果が興奮したようすで続けた。

「いま、理事長と話してきたんだけど、デパートでファッションショーだよ!」

「ええっ、私たち、ファッションショーやるんですか?」

 花陽がうろたえる。

「そうじゃなくて、ライブだよ!」

「穂乃果、すこし落ち着いてください」

 みかねて海未がたしなめた。

「あっ、ごめん、海未ちゃん」

 穂乃果は舌を出した。

 

 穂乃果の話をまとめると、数週間後に開催されるデパートのファッションショーに参加依頼があったのだそうだ。ショーのイベントのひとつとして、μ'sにライブをおこなってほしい、ということらしい。

 

「衣装は、提供してもらえるのかな」

 ことりが嬉しそうにいった。

「ラブライブに向けて、知名度アップにはちょうどいいわね」

 にこは不敵に微笑んだ。

「楽しみだね」と凛。

「でも、あまり時間がないわよ」

 絵里は心配そうに漏らす。

 

 そんなメンバーのわきで真姫と海未は視線を交わした。今度はみんなに注目される前にふたりのほうから切り出す。

「新曲の作詞は任せてください」

「まあ、仕方ないわね」

 

「おおっ、さすが、海未ちゃん、真姫ちゃん」

 穂乃果が満面の笑みを浮かべた。

 

 真姫はメンバーの期待のこもった視線にプレッシャーを感じたが――真姫の心には活動休止のときに抱いた、アイドルへの想いがよみがえった。

 あの想いがあれば、きっと今度もうまくいくはずだわ、そう思うのだった。

 

        ・

 

 その後、ファッションショーの詳細が伝えられた。ブランドの宣伝のために、ウェディングドレス風の衣装で歌ってほしいとのことだった。

 練習のあとの部室に真姫と海未はふたりきりで残り、新曲について話しあった。

 

「ということは、やはり……それらしい歌詞にしないと、まずいでしょうね」

 海未が困惑したように漏らす。

「そうね。ウェディングドレスだから……ふさわしい歌がいいわね」

「私には……荷が重いですね。あまり……その、そういうことに、経験がありませんので……」

 海未は頬を染めてうつむいた。真姫はそんな海未をほほえましく思った。

「でも、いままでの歌詞も、海未っぽくなかったけど」

 すこし茶化すようにいう。

「そ、それはそうですが……」

 海未はますます顔を赤らめた。

 

 海未はやがて顔を上げて切り出す。

「あの、申し訳ないのですが……先に詞を作ってもよいでしょうか」

 海未がそういったのは曲をあとから作る難しさを考えてだろう。

「もちろんいいわよ」

 真姫は微笑んだ。

「ありがとうございます」海未はほっとしたように笑みを浮かべた。「がんばりますね」

「ええ、期待してるわ」

 

 真姫は余裕を見せてそういったものの――海未と同じく、恋愛経験はないのだった。大丈夫かしら……すこし不安になるのは否めなかった。

 

        ・

 

 その週、塾に行ったとき、真姫はカフェで練習を聴かせてもらった礼を大久保に伝えた。

「いえ、とんでもない」

 彼はまた照れたように笑った。

 

 数日後、学院から帰宅した真姫は、食事と入浴をすませてからピアノの前に座った。譜面台には新曲の歌詞が書かれたレポート用紙。今日、海未から受け取ったものだ。

 曲名は「Love wing bell」で、運命の日を迎えて変わろうとする女の子の心を(つづ)ったものだった。

 海未は先日、荷が重いといっていたが、その歌詞には女の子らしい素直な想いが簡潔な言葉で、しかし愛らしく表現されていた。

 

 いままでの曲の歌詞とはまったく違う雰囲気で――真姫は受け取ったとき、この歌詞を海未が作ったのかと思うと、くすりと笑ってしまい、彼女は傷ついたような顔をしたのだった。

 

「なにがおかしいのですか?」

「ごめんなさい、いい歌詞だと思うわよ」

「本当ですか?」

「本当よ、本当」

「ならいいのですが……」

 真姫があわててなだめると海未はようやく安心したように笑みを浮かべた。

 

 歌詞にあうような、可愛い曲を作らなくちゃね、と真姫は思った。

 真姫はピアノと向きあって曲想を練り始めた。

 

        ・

 

 それから数日でいちおう旋律の作曲は終わったものの――真姫はいまひとつ納得していなかった。

 夜の自室。ノートパソコンとキーボードを前に真姫は目を閉じていた。真姫のつけたヘッドホンからは、コードにあわせて自分で歌った仮歌が流れている。

 

 つながりも、盛り上がりも、悪くないと思うんだけど、なんとなく……訴えてくる感じが欠けるような、気がするのよね。

 

 真姫はヘッドホンを外して、ため息をついた。

 

 もしかして……。海未は「経験がありませんので」って、いってたけど。私も、そうだから作曲できないのかな……。でも、海未はこんな歌詞を作れるんだから、あまり関係ないのかも。

 いえ、海未はあんなことをいってたけど、実は恋愛経験とか、あるのかもしれないわ……。

 

 ふと真姫の心に大久保のことが浮かんだ。真姫はなぜ彼のことを思い出したのか自分でも戸惑った。

 

 べ、別に先生のことが、どうってわけじゃないけど……。でも、なにかアドバイスとか、もらえるかな……。演奏を聴いてもらうのは、ちょっと恥ずかしいけど……。

 

 真姫は遠くを見るような目でそう考えた。その頬はすこし上気していた。

 

        ・

 

 翌日の放課後、ちょうど塾の予定が入っていた。

 いつの間にか塾への道のりで暑さを感じくなっていた。真姫の制服も冬服に変わっていた。

 

 真姫は教室へ入り自席へついた。隣の席には田波が来ていた。彼と同席するのは話しかけられて以来、初めてだったが、彼は真姫のほうをちらっと見ただけでなにもいわなかった。真姫はそれに安堵した。

 

 授業道具を用意する。鞄には仮歌を入れた音楽プレイヤーが入っていた。

 

 先生に聴いてほしいけど……どうしようかしら。

 

 いきなり持ち掛けるのは隣の席に田波がいることもあって、はばかられた。真姫が悩んでいると声がかかった。

「こんばんは、田波君、西木野さん」

 

 授業が始まった。

 授業中も真姫は考え続けたが、ついに心を決めた。

 

「それでは、今日はこのくらいにしましょうか」

 チャイムが鳴り、大久保はそういって辞書やテキストを音符柄のエコバッグにしまっていく。

「先生!」

 真姫は立ち上がった彼を呼び止める。

「はい?」

「あの、このあと、お時間、ありますか。授業のことで、相談したいことがあるんですが……」『授業のことで』を強調するようにいう。

 

 ほ、本当に相談したいんだから、うそじゃないわよね……。

 

「ええ、大丈夫ですよ。それじゃ、相談室に行きましょうか」

「はい!」

 

 彼の案内で相談室へ向かった。彼が扉を開けて支えた。椅子を示す。真姫は「失礼します」といって座った。

 彼も机をはさんで反対側に腰を下ろした。

「それで、相談は……」

「えっと……」真姫はいいよどむ。「……あの、わ、私の学習の進みかた、遅くないでしょうか」

「ええ、十分だと思いますよ」彼ははげますようにいった。「むしろ、よくやっていると思います」

「あ、ありがとうございます。……学習計画はこのままで、よさそうですか」

「そうですね……。受験英語をもっと増やしてもいいと思いますが……西木野さんは、基本的には基礎学力、重視ですよね」

「はい」

「もうすこし手ごたえがあったほうが、いいですか?」

 

 塾に通い始めてからというもの英語の実力はかなり上がった――というか、以前のようにすっきりとすべてが見通せる感じを、真姫は抱いていた。学院の授業もまったく問題ない。

 これ以上、カリキュラムを増やしても忙しくなるだけよね、と思う。

 

「いえ、いまのままで十分です」

「わかりました」

 彼はうなずいた。しばらく沈黙が流れる。

 

「……それだけですか?」と彼。

「とりあえず、それだけです……」

 むりやり相談しちゃったけど、わざとらしくなかったわよね、と思う。

 

「そうですか」

 彼はいたずらっぽく目を輝かせた。

 真姫は目をふせた。

「……あの、授業と関係ないんですけど……」

「はい」彼は優しくいう。

 その口調に背中を押されて、真姫は顔を上げた。

「……曲を、聴いてもらえますか」

「新曲ですか」

 真姫は首を縦に振る。

「ええ、よろこんで」と彼。

 

「ちょっと、悩んでるんです……」

 真姫は鞄から音楽プレイヤーを取り出し机の上に置いた。

「失礼します」

 彼はそういってイヤホンを耳につけた。真姫はそれを確認して再生ボタンを押した。

 

 彼は目を閉じた。そのまま聞き入っているようだった。

 真姫はそんな彼を見守った。胸の鼓動が速くなる。

 

 やがて曲が終わった。彼はイヤホンを外した。

「……いい曲ですね」と真姫に微笑みかける。

「ありがとうございます」

 真姫はほっとしながら一礼した。

「でも……。なにか、物足りない気がするんです……。それで……アドバイスが、いただけたらなって」

「なるほど。難しいですね」

「……先生の曲、すごく素敵でした。……私も、あんな曲が作りたくて……」

 真姫はじっと彼を見つめた。

「いや、そういわれると、困りますが……」

 彼は笑顔と困惑が入り混じった複雑な表情を浮かべた。

「でも、そうですね……」と首をかしげる。

 

 やがて彼は言葉を選ぶようにいった。

「うーん、……Aメロ、いい感じなんですが……リズムが単調かもしれませんね。ちょっとタメを作ってみると、どうでしょうかね」

「タメ、ですか」

「はい、たとえばこんな感じで……」

 彼はリズムを刻んでみせた。真姫はうなずく。

 

「そして、Bメロは……最後の『変身』のところ、やっぱり魅せたいですよね」

「私も、そう思います」

「サビの直前まで、引っ張るのはどうでしょうか……」

「たしかに、そのほうがドラマチックかも……」

 

 真姫は顎に手をあてて考え込んだ。

 

「……すみません、いろいろいっちゃって」

 真姫は我に返った。

「あ、あの、ありがとうございました」

「いえ、お役に立てば、いいんですが」

 彼はバッグからウェットティッシュを取り出しイヤホンを丁寧に()いた。真姫は彼の心遣いが嬉しくなる。

 彼はイヤホンを真姫の手元に置くと立ち上がった。真姫もプレイヤーをしまい席を立つ。

 

 彼は扉のほうへ歩きかけて振り返る。

「そうそう、曲もいいですけど、歌詞も素敵でした」

「ありがとうございます。お友達が、作ってるんです」

「そうなんですね。それに、西木野さんの声も魅力的ですね」

「えっ、あ……はい」

 突然の称賛に真姫は動揺しながら頭を下げた。

 

 彼は扉を開き真姫を通した。

「気を付けて」

「はい、失礼します」

 真姫は彼と目をあわせることができないまま、もう一度、礼をして相談室を出た。真姫の顔は赤く染まっていた。

 

 ビルの外に出てようやく一息ついた。

 

 もう、先生、いきなりあんなこというんだから……。でも、嬉しかった、かも。曲も、悪くなかったみたいね。具体的なお話もできたし、相談して、よかったな……。

 

        ・

 

 真姫はそれから数日かけて曲を見直した。海未にも曲を聴いてもらい、ようやく納得するものに仕上がった。

 

 真姫は練習にCDを持参してメンバーへ披露した。

「す、素敵です」「ハラショー!」「すごいよ、真姫ちゃん、海未ちゃん」「ええやん」

 評判は上々だった。真姫と海未は微笑みを交わした。

 

 数週間後、デパートでのライブ。

 当日は穂乃果、海未、ことりの三人が、台風のため修学旅行から帰ってこられなくなる、というアクシデントに見舞われた。ライブは残りの六人でおこなわれた。

 急遽(きゅうきょ)凛がセンターをつとめたが、凛は無事に大役をこなし、ライブは大成功だった。

 

        ・

 

 ライブが終わり音ノ木坂学院は中間試験の期間に入った。

 真姫は試験期間中も塾へ通っていた。

 

 いつものように授業を受けて――隣はいつかの女生徒だった――チャイムが鳴ったあとで真姫は大久保に話しかけた。

 作曲についての礼は先日、伝えていたが今日はライブの成功について話したかった。

 

「先生、あの……おかげさまで、ライブ、うまく行きました」

「それは、よかったです」

 彼はいつものように人懐っこい笑みを見せた。

「あの、あとで、動画、見てください」

「はい、わかりました。……あの曲、歌詞もメロディも、いかにも女の子って感じで、素敵でしたね」

「あ、ありがとうございます」

「やっぱり、女の子って、ああいうのに、あこがれるんですか?」

 彼はごく自然にそう口にした。

「えっと……」

 真姫は真っ赤になった。

 

 先生、ここでそれを聞くの。たしかに私も、海未に歌詞をもらったときには、素敵だなって思ったけど……。あこがれなんて……どうなんだろう……現実感、ないわ。

 

「そう、かも知れません……」とだけいう。

 

 真姫がうつむいてしまったのを見て、大久保はあわてて続けた。

「ああ、すみません。余計なお世話でしたね」

 そういって頭をかく。

「いえ……」

 真姫はしばらく目をふせていたが意を決して顔を上げた。

「あの、なにか、お礼、させてもらえませんか」

「えっ、いやあ……なにも、いりませんよ」彼は笑って首を振る。

「でも……」

「……うーん、それじゃ……今度の日曜日に、あそこのお店で演奏しますので、よかったら来てください」

「あ、はい。必ず行きます」

 真姫は時刻を教えてもらった。

 

 彼は椅子から立ち上がり「それでは」といって去っていった。

 

 彼がいなくなってから真姫は授業道具を片付け始めたが――演奏を聴きにいくのって、お礼になるのかな、と真姫は気付いた。

 

 私、先生にあしらわれちゃっただけ、なんじゃないかな……。

 

 ただそれでも演奏に誘ってもらったことは素直に嬉しかった。

 

        ・

 

 いよいよ中間試験が始まった。大久保が演奏する日曜日はあいにく試験の真っただ中だった。

 真姫は躊躇(ちゅうちょ)したものの思い切ってにこを誘うことにした。真姫の誘いに、にこは乗り気だった。

「やっぱり息抜きは必要よね」

 御茶ノ水駅の西口で待ち合わせることになった。

 

 日曜日の午後、真姫は自宅から出た。

 十月もなかばになると秋は深まってきていた。空はよく晴れ、うろこ雲が浮かんでいた。吹き抜ける風も心地よかった。

 真姫は紺色のワンピースに薄いオリーブ色のジャケットを選んだ。ワンピースは上から下に、明るい色から暗い色へとグラデーションになっている。スカート部分のフリルがアクセントになっていた。

 

 御茶ノ水駅につく。ニコちゃんは……と思って探すと角を曲がって、にこが歩いてくるところだった。

「こんにちは、ニコちゃん」

「こんにちは、真姫。久しぶりね。待たせちゃった?」

 試験期間中はμ'sの練習は休みだった。

「ううん、ちょうどいま、ついたところ」

 

 にこは赤系統のチェック地のワンピースにブラウンのベストをあわせ、ピンクのパーカーを羽織っていた。その組み合わせは、いつものチェリーピンクのリボンとよくあっていた。やっぱりニコちゃんて可愛いわ、と思う。

 

 ふたりは連れ立って歩きはじめた。

「塾の先生、なんだっけ」

 道すがら、にこが話す。

「ええ、音楽が趣味みたいなの」

「ふーん、意外な縁よね」

 たしかにそうかもしれない、と真姫は思う。

 

 たまたま通い始めた塾で、たまたま担当した先生と話があうなんて……ラッキーなのかしら。でも、出会いってそんなものよね……。

 

「このへんで、曲がるんだっけ?」とにこ。

「ええと、こっちね」

 大通りから細い通りへ入った。昼間通ると、夜とはまた違った雰囲気だった。

 

「あら、ここ、あそこの公園の近くなのね」

 にこはなにかに気付いたようにいう。

「公園?」

「えーと、私が昔、μ'sに入る前に練習してたのよ」

「ふーん」

 にこはなぜか顔を赤らめた。

 

 雑居ビルや住宅がならぶ道をさらに進むと、ラミリーズがあった。

 今日は店の前の引き戸は開け放たれていた。ウッドデッキの席にも数人の客がいた。

 

 ふたりは店内に入った。かなりの席がうまっている。マスターは忙しそうにしていて真姫には気付かなかった。ちらりとホールの一角、ピアノのあたりを見ると、機材が準備してあるようだった。

 女性店員に席に案内される。

 

「あの、今日はおごるわね」

 真姫はお冷を飲んでいう。

「別に、いいわよ」

「でも、私からさそったんだし……。ここは任せて」

「仕方ないわね……。わかったわ。ありがと」

 にこは微笑んだ。

 

 ライブは別料金というわけではなく、メニューをオーダーすればいいらしい。ふたりとも飲み物とデザートを注文した。

 注文した品物が届き、しばらく食べながら雑談する。

 

 やがてカウンターを通って数人の男女があらわれた。そのなかには大久保と奈緒美もいた。ほかには三人、エレキギターとエレキベース、ドラムらしい。ピアノの周辺でスタンバイする。

 

 マスターがそのわきに立ちアナウンスした。

「えー、本日はご来店いただき、ありがとうございます」

 店内の客が注目する。

「ただいまより、有志による恒例のサンデーライブを開催させていただきます」

 マスターはいったん言葉を切ってメンバーへ向きなおった。

「本日のメンバーは、ピアノが染谷、シンセサイザーが大久保、ベースは――」

 メンバーはひとりずつ、あいさつした。

「午後のひとときをごゆっくりお過ごしいただけば幸いです。では、よろしくお願いします」

 ぱらぱらと拍手が上がる。真姫とにこも拍手した。マスターは下がっていった。

 

 ドラムがリズムを刻むとすぐにピアノが続いた。他の楽器も加わる。真姫も知っているアニメ主題歌のジャズアレンジバージョンだった。

 

「へえ、なかなか、いいじゃない」とにこ。「で、誰が先生なの?」

「あの、管楽器の人よ」

「ふーん」

 

 ウッドデッキにいた数人の客がドリンクを手にホールへやってくる。

 

 一曲目が終わった。真姫は大久保と目があい、彼はにこりと笑った。

 

 次の曲はいつかのランチタイムコンサートで聴いたバラードだった。ピアノとシンセサイザーが美しいハーモニーを奏でる。大久保は体を揺らしながら、気持ちよさそうに演奏した。

 そしてジャズの定番曲。奈緒美が歌い始める。英語の歌詞は、恋人と別れたことを悲しみながらも、あなたとの思い出があるから先へ進める、と(つづ)っていて――彼女の声によくあっていた。

 

 演奏が終わり客から拍手が上がった。

「ありがとうございました」

 奈緒美が代表してあいさつした。メンバーは一礼してカウンターから奥へ消えた。

 

 店内に静かなざわめきが戻ってきた。

「はあっ」

 にこはため息をして頬杖をつく。

「素敵だったわね。とくに、最後の曲、すっごくロマンチックだったわ」

 にこはそういって目を閉じる。

「そうね……」

 

 どの曲もよかったけど……。やっぱり彼女のボーカルが入ると、すごく雰囲気が出る感じがするわ……。

 

「奈緒美さん、きれいな声よね」と真姫。

「……うっとりしたわね」

 にこはそういってから、ぱちりと目を開けた。

「あんた、なんで名前、知ってんの?」

「あっ。……えっと……この前、紹介してもらって……」

 真姫は練習を見せてもらったことを話した。

「そういうことね」

 にこは口角を上げた。そして続ける。

「でも、彼女の声、すこし真姫に似てるわね。低めのところとか……」

「私、あんなに透き通ってないと思うわ」

「あら、でも、ちょっぴり甘い感じとか、似てるわよ」

「そうかしら……」

 真姫は指先で髪の毛をくるくるといじった。

 

 ふたりはデザートを食べ終えた。会計のためにカウンターへ行く。

 真姫はカウンターの反対側の隅に、大久保と奈緒美がいるのに気付いた。なにか会話を交わしているようで、ふたりとも笑顔だった。先生と奈緒美さん、どういう関係なのかな……真姫はまた気になった。

 

 真姫は会計をすませて店を出た。

 

        ・

 

「ありがと、真姫。楽しかったわ。それに、おごってもらっちゃって」

 歩きながら、にこはいった。

「いいえ、私こそ試験中につきあってもらって、ごめんね」

「まあ、家にいても勉強、してないしね」

「……それはまずいと思うわ、ニコちゃん」

 真姫は心配そうに、にこの顔をのぞき込む。

「こ、今回は、赤点は、さすがに大丈夫よ」

 にこは胸を張って、しかし明後日(あさって)のほうを見ていった。

「ならいいけど……」

 

 夏よりもだいぶ短くなったすでに日は傾いて、オレンジの色彩を帯び始めていた。

 大通りを渡って、真姫の自宅のあるほうへ裏通りを歩いていく。

 

「あの先生の使ってた楽器、ずいぶん前に、真姫が気にしてたやつよね」

「ええ、そうよ」

 ニコちゃん、よく覚えてるわね、と思う。

「あの人と、いろいろ話してるのね」

「そうね……」

 真姫は、ニコちゃんになら打ち明けてもいいかしら、と思う。

「実は、この前の曲も……作曲の相談に乗ってもらったの」

「へえ、そんなに親しくしてるんだ」

 にこはなにを思ったのか、にやりと笑った。

「真姫は、ああいう人が好みなのね」

「……ああいう、ってどういうこと」

「ふふん、別に深い意味はないわよ。……ま、あの人、演奏してるところは、かっこよかったじゃない」

「……演奏してるところは、って……。いつも、かっこいいわよ」

「ふーん」

 にこは笑みを深くした。真姫は目をそらした。

 

 そうね、先生、あまりスマートとはいえないけど……。でも、別にそんなの、関係ないわよね。それに、いろいろ相談に乗ってくれるし、かっこいいんだから。

 ……あれ、私、なに弁解してるのかしら……。

 

 真姫の頬は赤く染まっていた。にこはそんな真姫を面白そうに見つめていた。

 

「それじゃ、ここで」

 真姫の家の近くの交差点で、にこは別れを告げた。

「気を付けてね、ニコちゃん」

「ええ、またね」

「勉強、きちんとやってよね」

「はいはい、わかったわ」

 にこは肩をすくめてから「じゃあね」と真姫に笑いかけて、道を歩いていった。

 

 真姫も自宅に向けて歩みを再開した。

 

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