五線譜にラブソングを ~ Story of Maki   作:Kohya S.

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8. 告白

 真姫はビルのエントランスから共有スペースへ入って、店に通じる扉の前で待った。壁に寄りかかる。

 蛍光灯が天井に白く輝いていた。その寒々しい光とは裏腹に、真姫の心は熱かった。

 

 しばらくして扉がかちゃりと音を立てた。

 真姫が顔を上げると、扉が開いて大久保があらわれた。

「先生!」

 真姫は体を起こし、すこし背伸びをする。

「お待たせしました、西木野さん」

「あの、今日の演奏、よかったです」

「ありがとうございます。花束も、わざわざすみません」

 彼はぺこりと頭を下げる。

「それで……どうか、されましたか」

 首をかしげる。

 

「えっと……」

 真姫は言葉に詰まった。顔を赤らめて目をそらす。彼はなにもいわず見守っていた。

 

 飛び込む勇気……そうよ、真姫、勇気出さなきゃ……。

 

 真姫は彼をまっすぐに見つめた。彼と目があう。

 

「先生! わたし……わたし、先生のことが、好きなんです!」

 真姫は一息にいった。

 

 彼の顔に驚きが浮かんだ。やがてそれは悲しみを帯びたものに変わっていった。

「西木野さん……」

 彼はぽつりと漏らした。そして――。

「すみません」

 大きく頭を下げた。

 

 その言葉はゆっくりと真姫の心に染みこんでいった。急にいたたまれなくなる。

 

「わ、私こそ、急に、すみませんでした。……それだけです」

 真姫は一礼して(きびす)を返した。速足で歩き出す。

 

「西木野さん!」

 真姫の右手を彼がつかんだ。

「すこし、話しませんか……?」

 真姫は振り返った。彼女の瞳に光るものがあった。

 彼と目があう。真姫がこくりとうなずくと、彼は安心したように手を離した。

 

 彼の案内で近くの喫茶店に入った。隅のほうの席に座る。

 

 やってきた店員に彼はコーヒーを頼んだ。

「西木野さんは?」

「……同じで、いいです」

「じゃ、コーヒー、ふたつで」

 

 店員が下がると彼が話し始めた。

「ごめんなさい、呼び止めてしまって……。ただ、急なことで、びっくりしました」

 彼はどこか寂しそうに笑った。

「私こそ……すみませんでした」

「あの……ああいっていただいて、本当に嬉しく思います、ただ……」

 彼は言葉を(にご)した。

「いえ、いいんです」

 真姫は消え入りそうな声でこたえた。

 

「本当にすみません。いろいろと……その、誤解されるようなことを……」

「違います。私が勝手に……」

 真姫はさえぎるようにいった。思いのほか強い調子になってしまい真姫は口をつぐんだ。

 

 そう、私が、先生のことを、誤解しちゃっただけ、なんだから……。

 

「……ほんと、講師なんて、がらじゃなかったんです」

 彼は小声でつぶやいた。

 ふたりともしばらく黙り込んだ。

 

 真姫は目をそらす。

「私が、こんな年だから……高校生だから、ですか……?」

「もちろん違いますよ。西木野さんは、素敵な女性です」

 真姫は彼に視線を戻した。

「じゃあ、どうして……」

 

 真姫は、自分が無茶なことをいっていると思った。彼を苦しめているのかもしれない。それでも聞かずにはいられなかった。

 

 彼は心苦しそうに視線を落とす。

「……今度、結婚、するんです」

「そう、なんですね……」

 

 店内のBGMだけが静かに流れた。店員がコーヒーを持ってきてふたりの前に置いた。

 

 真姫は砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜた。手が震えて、かたかたと小さい音を立てた。

 真姫はカップをじっと見つめて、しばらくの間かき混ぜ続けていた。

 

 相手はだれなのか、気になったが――真姫は聞く気にはなれなかった。もし、想像が当たっていたなら、さらに戸惑いが大きくなりそうだったから――。

 

 彼はカップを口に運んだ。

「西木野さんを、傷付けてしまいましたね……」

 悲しそうな表情でつぶやく。

「そんなこと、いわないでください」

 真姫は首を振った。

「私、先生と知りあえて……嬉しかったんです。いろいろお話しできて、曲のことも聞けて……。こんなに嬉しいことはなくって……」真姫は下を向いてしゃくりあげた。「だから、そんなこと……」

「西木野さん……」

 

 また沈黙が流れる。今度は長かった。

 

 真姫はコーヒーを一口、飲んだ。甘く、そして苦かった。

「これから、どうされるんですか」

 真姫はぽつりといった。

「就職が決まったので……。東京近郊ですけど、たぶん職場の近くに、引っ越すことになると思います」

 真姫は彼の住んでいるところは知らなかったが、彼との距離が遠くなってしまうような気がした。

 

 彼は残りのコーヒーを一気に飲み干し、伝票を手に立ち上がった。真姫もあとに続いた。

 

 真姫は先に喫茶店の外に出て待った。外はすっかり暗くなり路上の喫茶店の看板が黄色く光っていた。

 

「すみません、これからまだ、ライブがあるのに。こんなに時間、取っていただいて……」

 出てきた大久保に真姫はそういって頭を下げる。

「いえ、ちょうど時間がありましたから……」

 

 ふたりは無言のままゆっくりと歩いた。

 

 ラミリーズのビルの前で立ち止まる。

 真姫は鞄を、体の前で両手で持った。

「あの、もしよかったら、これからもμ'sのこと、応援してくれますか」

「はい……。あなたの曲、楽しみにしています」

 彼は目を細めた。

 

 真姫は一礼して向きを変え、大通りに向けて歩き始めた。今日は振り返らなかった。

 

        ・

 

 真姫はその夜、にこにメールを送信した。「ふられちゃった」とだけ書いた。

 にこからの返信には「お疲れさま、ゆっくり休んでね」と書かれていた。同情の言葉も、なぐさめの言葉もなかったが、真姫にはとても温かく感じられた。

 

 それからの試験期間中、練習が休みなのは真姫にはありがたかった。なにをするのも辛くて――練習にも影響が出ていただろうと思う。

 真姫は勉強と作曲に打ち込んだ。にこにも会わず、花陽、凛とも遊びに行かなかった。

 

 ただ、試験期間中も塾はあって――真姫は悩んだが、出席することにした。大久保はなにもいわずいつも通りに接してくれて――真姫は心がすこしだけ落ち着くのを感じた。

 

 期末試験の最後の日。μ'sの練習もこの日から再開される予定だった。

 最後の科目とホームルームが終わり、真姫は部室ではなく音楽室へ向かった。

 

 音楽室には誰もいなかった。

 真姫はピアノの前に座った。鍵盤蓋(けんばんぶた)を開けてキーカバーを外し、椅子の高さを調整する。

 

 透き通った高音が音楽室に響いた。真姫は右手で旋律を、左手でコードを弾いていった。真姫の心に彼の面影がよみがえった。

 

 ワンコーラス弾き終えて真姫は座り直し、もう一度、背を伸ばして鍵盤に触れた。

 

『♪~♫~』

 真姫は同じ旋律を歌い始めた。海未から受け取った「Snow halation」だった。

 

 音楽室の扉のガラスから顔がのぞいた。にこだった。音楽室に入ると後ろ手で扉を閉め、ピアノまで歩いてくる。

 真姫はにこに気付いたがそのまま歌い続けた。

 

 静かなAメロからBメロへと緊張感が高まっていく。そして印象的なグリッサンドをはさんで訴えかけるようなサビヘ。真姫は途中から目を閉じて、自分の感情に身を任せる。

『♫~♩~♪~』

 そのまま間奏から二番へと続けた。そして最後にイントロと同じモチーフを繰り返して――余韻を残して曲は終わった。

 

 にこの拍手に真姫は目を開けた。

「すごく、よかったわよ」

「ありがと、ニコちゃん」

「最後、歌詞、変えたのね。『悲しいけど好きって』のところ」

「うん、思いついて、海未に話して、変えてもらったの」

「悔しいけど――」にこは歌詞をつぶやく。「こっちのほうが、いいわね」

 にこは微笑んだ。そしてピアノに寄りかかる。

「ねえ、真姫。いろいろあったみたいだけど……」

「……もう、いいの」

 真姫は首を振った。

「そっか……」

 にこは嘆息して顔をふせた。真姫も鍵盤を見つめる。

 

 私は、だめだったけど……。この曲が、この曲を聴いた女の子に、勇気を与えてくれるといいな……。

 

 やがてにこは顔をあげた。

「ねえ、真姫。私、今度の曲、いままでのなかで、一番、好きかも」

「……ありがとう」

 真姫はようやく表情をゆるめた。にこは、ほっとしたように笑みを返した。

「食事、まだでしょ。一緒に食べましょ」

「うん」

 真姫はキーカバーをかけて、蓋を閉じた。

 

 この曲が、いつか先生に届いて……先生が、すこしでも、私のことを思い出してくれたら、嬉しいな……。真姫はそう願うのだった。

 




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