五線譜にラブソングを ~ Story of Maki 作:Kohya S.
真姫はビルのエントランスから共有スペースへ入って、店に通じる扉の前で待った。壁に寄りかかる。
蛍光灯が天井に白く輝いていた。その寒々しい光とは裏腹に、真姫の心は熱かった。
しばらくして扉がかちゃりと音を立てた。
真姫が顔を上げると、扉が開いて大久保があらわれた。
「先生!」
真姫は体を起こし、すこし背伸びをする。
「お待たせしました、西木野さん」
「あの、今日の演奏、よかったです」
「ありがとうございます。花束も、わざわざすみません」
彼はぺこりと頭を下げる。
「それで……どうか、されましたか」
首をかしげる。
「えっと……」
真姫は言葉に詰まった。顔を赤らめて目をそらす。彼はなにもいわず見守っていた。
飛び込む勇気……そうよ、真姫、勇気出さなきゃ……。
真姫は彼をまっすぐに見つめた。彼と目があう。
「先生! わたし……わたし、先生のことが、好きなんです!」
真姫は一息にいった。
彼の顔に驚きが浮かんだ。やがてそれは悲しみを帯びたものに変わっていった。
「西木野さん……」
彼はぽつりと漏らした。そして――。
「すみません」
大きく頭を下げた。
その言葉はゆっくりと真姫の心に染みこんでいった。急にいたたまれなくなる。
「わ、私こそ、急に、すみませんでした。……それだけです」
真姫は一礼して
「西木野さん!」
真姫の右手を彼がつかんだ。
「すこし、話しませんか……?」
真姫は振り返った。彼女の瞳に光るものがあった。
彼と目があう。真姫がこくりとうなずくと、彼は安心したように手を離した。
彼の案内で近くの喫茶店に入った。隅のほうの席に座る。
やってきた店員に彼はコーヒーを頼んだ。
「西木野さんは?」
「……同じで、いいです」
「じゃ、コーヒー、ふたつで」
店員が下がると彼が話し始めた。
「ごめんなさい、呼び止めてしまって……。ただ、急なことで、びっくりしました」
彼はどこか寂しそうに笑った。
「私こそ……すみませんでした」
「あの……ああいっていただいて、本当に嬉しく思います、ただ……」
彼は言葉を
「いえ、いいんです」
真姫は消え入りそうな声でこたえた。
「本当にすみません。いろいろと……その、誤解されるようなことを……」
「違います。私が勝手に……」
真姫はさえぎるようにいった。思いのほか強い調子になってしまい真姫は口をつぐんだ。
そう、私が、先生のことを、誤解しちゃっただけ、なんだから……。
「……ほんと、講師なんて、がらじゃなかったんです」
彼は小声でつぶやいた。
ふたりともしばらく黙り込んだ。
真姫は目をそらす。
「私が、こんな年だから……高校生だから、ですか……?」
「もちろん違いますよ。西木野さんは、素敵な女性です」
真姫は彼に視線を戻した。
「じゃあ、どうして……」
真姫は、自分が無茶なことをいっていると思った。彼を苦しめているのかもしれない。それでも聞かずにはいられなかった。
彼は心苦しそうに視線を落とす。
「……今度、結婚、するんです」
「そう、なんですね……」
店内のBGMだけが静かに流れた。店員がコーヒーを持ってきてふたりの前に置いた。
真姫は砂糖とミルクを入れてスプーンでかき混ぜた。手が震えて、かたかたと小さい音を立てた。
真姫はカップをじっと見つめて、しばらくの間かき混ぜ続けていた。
相手はだれなのか、気になったが――真姫は聞く気にはなれなかった。もし、想像が当たっていたなら、さらに戸惑いが大きくなりそうだったから――。
彼はカップを口に運んだ。
「西木野さんを、傷付けてしまいましたね……」
悲しそうな表情でつぶやく。
「そんなこと、いわないでください」
真姫は首を振った。
「私、先生と知りあえて……嬉しかったんです。いろいろお話しできて、曲のことも聞けて……。こんなに嬉しいことはなくって……」真姫は下を向いてしゃくりあげた。「だから、そんなこと……」
「西木野さん……」
また沈黙が流れる。今度は長かった。
真姫はコーヒーを一口、飲んだ。甘く、そして苦かった。
「これから、どうされるんですか」
真姫はぽつりといった。
「就職が決まったので……。東京近郊ですけど、たぶん職場の近くに、引っ越すことになると思います」
真姫は彼の住んでいるところは知らなかったが、彼との距離が遠くなってしまうような気がした。
彼は残りのコーヒーを一気に飲み干し、伝票を手に立ち上がった。真姫もあとに続いた。
真姫は先に喫茶店の外に出て待った。外はすっかり暗くなり路上の喫茶店の看板が黄色く光っていた。
「すみません、これからまだ、ライブがあるのに。こんなに時間、取っていただいて……」
出てきた大久保に真姫はそういって頭を下げる。
「いえ、ちょうど時間がありましたから……」
ふたりは無言のままゆっくりと歩いた。
ラミリーズのビルの前で立ち止まる。
真姫は鞄を、体の前で両手で持った。
「あの、もしよかったら、これからもμ'sのこと、応援してくれますか」
「はい……。あなたの曲、楽しみにしています」
彼は目を細めた。
真姫は一礼して向きを変え、大通りに向けて歩き始めた。今日は振り返らなかった。
・
真姫はその夜、にこにメールを送信した。「ふられちゃった」とだけ書いた。
にこからの返信には「お疲れさま、ゆっくり休んでね」と書かれていた。同情の言葉も、なぐさめの言葉もなかったが、真姫にはとても温かく感じられた。
それからの試験期間中、練習が休みなのは真姫にはありがたかった。なにをするのも辛くて――練習にも影響が出ていただろうと思う。
真姫は勉強と作曲に打ち込んだ。にこにも会わず、花陽、凛とも遊びに行かなかった。
ただ、試験期間中も塾はあって――真姫は悩んだが、出席することにした。大久保はなにもいわずいつも通りに接してくれて――真姫は心がすこしだけ落ち着くのを感じた。
期末試験の最後の日。μ'sの練習もこの日から再開される予定だった。
最後の科目とホームルームが終わり、真姫は部室ではなく音楽室へ向かった。
音楽室には誰もいなかった。
真姫はピアノの前に座った。
透き通った高音が音楽室に響いた。真姫は右手で旋律を、左手でコードを弾いていった。真姫の心に彼の面影がよみがえった。
ワンコーラス弾き終えて真姫は座り直し、もう一度、背を伸ばして鍵盤に触れた。
『♪~♫~』
真姫は同じ旋律を歌い始めた。海未から受け取った「Snow halation」だった。
音楽室の扉のガラスから顔がのぞいた。にこだった。音楽室に入ると後ろ手で扉を閉め、ピアノまで歩いてくる。
真姫はにこに気付いたがそのまま歌い続けた。
静かなAメロからBメロへと緊張感が高まっていく。そして印象的なグリッサンドをはさんで訴えかけるようなサビヘ。真姫は途中から目を閉じて、自分の感情に身を任せる。
『♫~♩~♪~』
そのまま間奏から二番へと続けた。そして最後にイントロと同じモチーフを繰り返して――余韻を残して曲は終わった。
にこの拍手に真姫は目を開けた。
「すごく、よかったわよ」
「ありがと、ニコちゃん」
「最後、歌詞、変えたのね。『悲しいけど好きって』のところ」
「うん、思いついて、海未に話して、変えてもらったの」
「悔しいけど――」にこは歌詞をつぶやく。「こっちのほうが、いいわね」
にこは微笑んだ。そしてピアノに寄りかかる。
「ねえ、真姫。いろいろあったみたいだけど……」
「……もう、いいの」
真姫は首を振った。
「そっか……」
にこは嘆息して顔をふせた。真姫も鍵盤を見つめる。
私は、だめだったけど……。この曲が、この曲を聴いた女の子に、勇気を与えてくれるといいな……。
やがてにこは顔をあげた。
「ねえ、真姫。私、今度の曲、いままでのなかで、一番、好きかも」
「……ありがとう」
真姫はようやく表情をゆるめた。にこは、ほっとしたように笑みを返した。
「食事、まだでしょ。一緒に食べましょ」
「うん」
真姫はキーカバーをかけて、蓋を閉じた。
この曲が、いつか先生に届いて……先生が、すこしでも、私のことを思い出してくれたら、嬉しいな……。真姫はそう願うのだった。
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