真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第九十九話  雛との出会い

 豊潤沃野の冀州において、なおその豊かさを押し隠すこともない大都市こそ、まさに(ギョウ)と云う。半里四方を超す巨大な城塞であるが、それさえも所狭しと城内には人がひしめき、未だ流れこむ人の数も引きも切らない。巷間にて流れる大改築の噂もあながち嘘ではないだろう。

 その大いなる栄華をここに見よとばかりにそびえ立つは、朱柱に白壁、誉れも高き鳳陽門。地から数えて三十丈、二頭の黄金鳳凰を冠に戴いた五層の楼閣は、城から遙か八里を離れても未だ望めると謳われる。

 

 ――朝の開門を待ち、李岳は商人の列に紛れて入城した。

 

 にわかに緊張していたのは、永家の者たちがことごとく情報収集にしくじってきたのがこの冀州だからである。が、都尉の審問もおざなりなもので、李岳は滞りなく城内に足を踏み入れた。そのあっけなさがまた、太平要術の書の実在を予感させ、李岳の胸に暗い怖気を催させた。

「これは……」

 李岳は我が目を疑いながらも目立たぬように人波に流されながら進んだ。物売りの声は合唱となって轟き、そしてそれを凌ぐほどに買い求める者たちの声も大きい。まるで街全体が巨大な市場かのように錯覚する。洛陽さえ上回る活気だった。いや、街の巨大さでは洛陽には無論及ばないが、密度と熱では明らかに鄴が優っていた。例えるなら老境に達さんとする巨躯の王と、今こそ天下に名を轟かせんとする若武者であろうか。

 やはり異様に映るのは街を覆い尽くす黄色い布であった。建物、人、馬や牛にいたるまで黄色いひたひれを身にまとってないものは皆無にさえ思える。李岳は気圧されまいと、たたらを踏みそうになるのをこらえて、目の前の軒下にぶら下がっていた布をくすねた。それを頭巾として一層街に溶け込もうとする。

 兗州の生まれ、農家の次男。出稼ぎに洛陽に出たものの立身出世はならず、郷里に戻ったものの野盗に襲撃されて着の身着のまま旅をしてきた――それが李岳が自らに課した設定であった。名はまだ決めてないが、適当に思いつくだろう。

 小雲雀を引き連れていると目立つので、貸し小屋に預けると肩に下げた荷と帯に刺した二振りの剣だけという格好で袁紹の居城に向かった。

 城内は活気に満ちているが、同時に武装した兵士の往来も多く、不穏な空気は隠しようがない。戦争の気配がする。ならば必要なのは武器と、糧と、人だった。故郷を失った男が手っ取り早く飯にありつくなら、軍に付くのは妥当な選択だろう。だが何も兵士になるつもりはない。軍が移動するには兵士だけでは不十分だ。山程の雑務をこなす労役が欠かせないのである。そこならば軍に同行することも出来、身分がうわ滑ることもなく、何かしらの好機が巡ってくる可能性もある。方策さえ満足に立てられていない現状であるならば、まずは敵の懐で情報収集が上策だと考えた。

 果たして募兵募役の場は李岳の思惑通りに黒山の人だかりであった。思惑から外れたなと思ったのは、ふと目をやった路地裏に、不自然な騒動が巻き起こっていたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――姓は鳳、名は統。字は士元。荊州襄陽郡の人。

 

 彼女がその才が認められて水鏡先生こと司馬徽の門弟となったのは八つの頃であった。

 飢えもしないが富裕でもない家の娘にとって、草廬とはいえ著名な水鏡の学び舎は敷居が高かった。また生来の引っ込み思案も相まり、目深に被った帽子で表情を隠し、出入りする門下生を眺めながら竹林の影で様子を伺うだけの日々をどれほど過ごしただろう? やはり引っ込み思案で臆病な、けれど好奇心にあふれた少女が目の前に立ったあの日、鳳統の人生は始まった。

「は、はわわ……あ、あのぅ……い、い、一緒に……お勉強しませんか……?」

 後に伏龍の号を戴く天下の才、諸葛孔明。この時、龍鳳とともに齢は十に満たなかった。

 後に徐庶を加え、司馬徽門下を代表する三人才女として名を馳せるのだが、彼女たちがそれぞれ得意とする分野がわずかずつ異なることを、はじめに見抜いたのもやはり司馬徽であった。

 伏龍・諸葛亮は政治、経済、法を含めた広範な思想と制度への理解に天禀を示した。睡虎・徐庶は局地戦と陣形、戦術およびかかる一切の実務において他の追随を許さなかった。そして鳳雛の号を冠することになる鳳統。彼女が最も如実に適正を示したのは、謀略と人心掌握まで含めた聖域なき軍略面であった。

 日々闘志剥き出しで挑む徐庶と、それをあしらいながらも満更ではない諸葛亮。それを微笑ましく眺めながら、鳳統はいつまでもこの時間が続けばいいと思っていた――鳳統は、二人を相手に碁石を置いたことは未だない。

 

 ――そして今、鳳統は冀州正規軍十万の編成に劉備軍参謀として関与している。

 

 その齢と容姿がために、侮り嘲る者は後を絶たなかった。引っ込み思案の性格も合わさり、参謀会議の場においても活躍する機会は、はじめほとんどなかった。

 彼女に対する評価が一変したのは兗州方面軍の再編成においてであった。冀州には現在、対公孫賛に向き合う幽州方面軍、黄河を境に洛陽を睨む司隷方面軍、南方に当たる兗州方面軍、そして冀州領内を監督する常駐軍の四軍に分かれている。

 目下急務となったのは兗州を平定したのち、すかさず徐州を併呑した曹操への対処であった。急速な台頭に冀州はどよめいたのである。青州は黄巾の影響力が浸透しており、二州からの同時出兵で徐州をまずは伐り獲る算段であった。それが少し目を離した隙に攫われてしまったのである。

 急戦論、慎重論が入り乱れる中、試しにとばかりに水を向けられた鳳統。彼女は人前で話すことによる狼狽を抑えきれないまま、しかし朗々と数字を並べ立てていった。

 仮想敵勢力と定めた曹操の動員兵力、領内の状態、補給の状況、治安、交戦する場合の地形と、同時行動を起こしうる他勢力――彼我戦力の比較論だけで一刻を過ぎ、さらに冀州の各城塞の防備の度合いに話が及んだ時、ようやく場に居合わせた田豊が発言を遮った。

 鳳統の軍略は全て情報による。全ては数字。人の選択は物資の過多によりその行動を規定される、というのが彼女の揺るぎなき行動理念であった。

 それからというもの、鳳統に一目を置かない官吏はいなくなった。既に政策面で非凡さを遺憾なく発揮していた諸葛亮と合わせ、伏龍鳳雛の異名は確実に知れ渡り始めている。そしてその二人を従える劉備の名声もまた、確実に全土に轟き始めていた。

 

 ――その劉備は今、日課となっている袁紹との昼の会食の最中であった。

 

 部屋の外、劉備と袁紹のやり取りを、鳳統は諸葛亮、関羽と共に聞いていた。立ち聞きをするために潜んでいるのではない。単に劉備の用事が終わるのを待っているだけなのだが、袁紹と劉備のあっけらかんとした声量のために会話は嫌でも筒抜けなのである。

 会談の内容は北方への派兵についてであった。新たな帝位を宣言した劉虞に対し、公孫賛は公然と批判をしているという。衝突は間近だという推理は衆目の一致するところで、龍鳳共にその分析に異論はない。

 それを食い止めようと名乗りを上げたのが劉備であった。争いを止めるために最低限の兵力を伴に、説得のために公孫賛の元へ向かいたいという直訴である。

 この案に諸葛亮は賛成し、鳳統は消極的同意を示した。差し迫った判断が必要なとき、諸葛亮は大局的な情勢に依拠した思考を選択し、鳳統は純軍事的な思考をなぞる。それを加味して関羽と相談し、劉備の意向を汲むというのが劉備軍の判断の大まかな流れとなっていた。

 漏れ聞こえてくる袁紹とのやり取りを聞きながら、諸葛亮は満足そうに頷いていた。袁紹は公孫賛との和解を前提とした派兵に同意したのである。劉備と袁紹の関係はどう贔屓目に見ても良好だった。劉備は袁紹に誠実に接し、袁紹は劉備に信頼と好意を寄せている。この状態が続く限り劉備の安全は盤石だろう。

「はわぁ、本当によかった……ね、雛里ちゃん」

「う、うん。朱里ちゃん」

 諸葛亮の心底の安堵に対し、一抹の不安を隠しきれないのが鳳統。軍事的な仕事をより担っているだけ、もしも衝突した時のことをどうしても考えてしまう。だがそれがほとんど杞憂だということもまた理屈では理解していた。

 諸葛亮と鳳統、関羽は盗み聞きしている場面を見つかると具合が悪いので、談笑の合間に部屋の前を離れた。劉備がいつものように無邪気な失敗談を話し、袁紹が大笑いするため身じろぎが察知されることはない。

 

 ――袁紹と劉虞と張角、その三人を頂点においた冀州の政治体制に対し、劉備が完全な形で賛意を示したのは実はごく最近である。きっかけは田疇との対談からであった。

 

 それまで陰謀に淫する謀略家という先入観がどうしても田疇を遠ざけていたのである。諸葛亮も鳳統も、痩せっぽちの青白い文官に対し、敵意とは言わずとも警戒心は解かないままであった。

 だが、控えめに言っても田疇は献身的であった。いや、それ以上に破滅的なほどに仕事をする男であった。よくよく見てみれば袁紹、劉虞、張角の三人が頂点を成す冀州三頭政治の中枢で、ほとんどの差配、切り盛りをしているのは田疇なのである。三人の連合は田疇という個人を軸に成り立っていると言っても良い。あまりにも自己主張がなく黒子に徹しているがために見えないが、冀州の頂点三角形の中心は彼だった。

 その田疇に、劉備は今や全幅の信頼を置いている。彼が掲げる理想は不思議なほどに劉備のそれと合致した。身分や地位によらない平等な社会――誰もが笑って暮らせる世界、という劉備の幾分曖昧な理想に、明確な筋道をつけたと言える。

 田疇は教育と政治制度の改革によってその社会を実現しようとしていた。諸葛亮、鳳統ともに教え諭される面も大きかった、蒙を啓かれたと言っていい。特に諸葛亮は表には出さないが、鳳統以上に大きな衝撃を受けているらしかった。帝位の廃止にまで田疇が言及しているからである。

 三人は連れ立って宮殿の外へと出た。派兵の内示が出たとなれば仕事は山積みである。名目は野盗からの警備と各都市の慰撫となるだろうが、兵力が二千を下回ることはない。独立経理ではない劉備軍にとって、物資の獲得には十分な根回しが必要なのである。

 喧々諤々と諸葛亮と鳳統がこれからの仕事の打合せを始めたが、やがて二人共に、異様な雰囲気を察した。関羽。劉備の派兵が決まっても眉は寄せられたままである。街路に出たところで関羽はとうとう声を震わせた。

「なぁ、朱里、雛里」

「は、はい」

「……はい」

「こんなものなのか?」

 その声は龍鳳の予想を超える暗さで、二人は顔を見合わせた。関羽の呻きは、蝉の鳴き声にかき消されながら、白雲の真下で空虚に流れ出る。

「私たちはこんなものなのか? 確かに出世した……私は今や数万の兵力を指揮しているし、桃香様はこの冀州の有力者に成り上がった。たった三人で始まった頃から思えば雲泥の差といえるだろう。流浪の旅で飢えることもない」

 言うまでもなく、言葉とは裏腹に関羽の表情は沈んでいくばかり。陰鬱といってもよかった。強く拳を握りしめながら言葉を続ける。鳳統は関羽の苦悩をすぐさま受け止められない。息が詰まった。諸葛亮も明らかに狼狽していた。

「だが、納得ができない。これが本当に私たちがあの桃園で誓った願いだったのか? なぜだか、私にはそうは思えないんだ」

「あ、愛紗さん……私たちは争いを最大限に避けるという理想を守るために」

「本当に私たちの理想なのか?」

 諸葛亮の言葉さえ遮った関羽の声は、半ば怒気さえこもっていた。怯え、後ずさる鳳統の表情を見て我に返り、バツが悪そうに関羽は続けた。稚気のような怒りでさえ、関羽のそれは常人には耐え難い。

「すまない。雛里と朱里を責めるつもりじゃない。もちろん桃香さまを責めるつもりもない。自分たちの理想を疑うつもりもない。ただ、ふと……」

 言葉が途切れる。突如夏が終わって生き絶えたかのように、蝉まで鎮まり、束の間嘘のような静寂(しじま)があった。

「ふと、虚しくなっただけだ。私たちが抱いた夢は、もっと……」

 関羽は天を見上げた。太陽が輝いていた。熱い夏の太陽はどこまでも高く、深い蒼天の中で輝きを滲ませている。

「そう、もっと頼りなく、不確かで、とらえどころがなくて、遠くて……けれど熱くて、燃えるような、そのためなら何でも出来ると思えるような、そんながむしゃらなものだったはずなんだ――!」

 関羽の伸ばした手。傷だらけの右手。躊躇や怯懦を置き去りにしてきた掌が、答えを求めて天に捧げられている。もどかしさは涙よりも悲痛であった。

 だがしかし、悲嘆も後悔もすぐに切り捨てる強さを持つのが関羽である。間もなく我に返り、拳を握って微笑んだ強さもまた、龍鳳に痛みをくれた。

「すまん、愚かなことを言った。私は軍人だ。兵を率い、戦うのが仕事」

「あ、愛紗さん……あ、あの、あぅ」

「出発は明日の正午。遅れるなよ雛里」

 そう言い残し、関羽は手を上げ背を向けて去った。鳳統の耳に関羽の言葉が響く。こんなものだったのか、という言葉が延々と睨めつけてくる蛇のように、つかず離れずしがみつく。

「雛里ちゃん、大丈夫?」

 諸葛亮の顔を見て、鳳統は無理に笑って首を振った。嫌な汗が滲んでいた。荒い呼吸を繰り返しながら、諸葛亮が羽扇で送ってくる涼風に頬を預ける。

「……派兵の軍師、代わる? 雛里ちゃん、具合が悪いんじゃ」

「う、ううん……大丈夫。大丈夫だから……」

 鳳統は気を引き締めた。いま自分がすべきことは争いなく公孫賛との和睦を結ぶことなのだ。諸葛亮には彼女にしかできない仕事を任されている。気分の良し悪しで任を変えることは出来ない。

 鳳統の笑顔を見ると、諸葛亮もまた羽扇の陰で微笑み、そして二人は道を違えて歩き出た。

 しかし、鳳統の脳裏には関羽の言葉がへばりついて離れなかった。

 関羽の叫びは鳳統に一つの自覚を芽生えさせていた。

 

 ――本当にこんなものなのか。

 

 鳳統もまた違和感を抱く日々であった。毎日寝る間を惜しんで考え、諸葛亮と相談し、劉備の理想を叶えるために邁進してきたつもりだ。その努力にいささかの悔いもないし自信もある。未だ失策という失策もない。

 しかし、本当にこんなものなのか? 有力者となることはこんなにも簡単なことなのか? 全ては鳳統と諸葛亮の思うままに動いている。力をつけ、人を見つけ、地位を得て……理想が叶い始めている。考えた通りのほとんど全てが実現したのだ、何の苦難もなく。

 それはまるで、あれほど考えこんで決めたはずの道が、あらかじめ誰かに舗装されていたかのような感覚であった。耕そうと思えば既にたわわに実り、狩ろうと思えばさばかれており、行こうと思えば馬が控えているような、お膳立てをされている感覚。あるいは巨人の手のひらでもがいているだけかのような――

 どす黒い予感は鳳統の胸を苛み、次第に苦しませた。しかし妙な手応えもあった。この苦しみは予感だ。呻きながら、鳳統は心の手を伸ばして核心を掴もうとした。何か、邪悪なものが私たちを取り巻いている。それは人知を超えた、人心さえ操らんとする未知の敵。劉備が本当に対決しなくてはならないのはきっと、そのおぞましき――

 

 思考の渦に飲まれたまま、鳳統は虚ろな気持ちで街路を進んだ。それが過ちであった。鳳統はいつの間にやら城内の日陰の通りを歩んでいたのである。

 冀州は急速に勢力を伸ばしたがために、各地の無頼者も集まっていた。城内での巡回や取り締まりも頻繁に行われたものの、利を求めて流入する野盗や人買いを全て捕らえることは到底難しかった。

 鳳統が紛れ込んだのは、そんな無頼者たちが根城とする、不穏な一画……

「お嬢ちゃん、ここに何の用だい?」

「えっ」

気付いた時には遅かった。鳳統はすっかり周りを取り囲まれてしまっていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風体の冴えない男が三人がかりで、涙目の少女を囲んでいる。

 考えるまでもない。李岳は走り込むと少女を庇うように立ちはだかった。

「いやぁ、はは!うちの妹がすみません!」

 自分で言うのも白々しい。しかし他に何も思いつかなかった。

「なんだお前は」

「こいつの兄です! まったくどこほっつき歩いてんだ、これ以上困らせるな!ほら帰るぞ珠悠!」

「え、えっ、あ」

 無理やり少女の手を引いて歩き出そうとした李岳だが、その行く手を遮るように二人目が回り込んできた。

「いやいや、待ちな。俺たちはその嬢ちゃんに用があるんだ。勝手に引き上げてもらっちゃ困るな」

「道を間違って入り込んだだけですよ、大袈裟でしょう」

「それは俺たちが決める。なかなか器量良しの娘だものな、お近づきにならせてくれよ」

 耐えろ、来たばかりの街で騒動なんて以ての外だ……李岳は自分で自分を褒めてやりたいほどの忍耐を発揮し、頭を下げた。

「妹はまだ幼いのです。許しちゃくれませんか」

「生憎、そのあたりのお年頃に目がない御仁ってのもいらっしゃってね。お友達になってくれそうな子は紹介してくれと頼まれてんだ、無碍には断れまい?」

「ほら!その娘を置いて失せろ!なに、半日もすれば帰ってくるさ!」

 李岳の忍耐はそこで両手を挙げた。

 下衆が、という呟きは幸いにも聞かれなかっただろう。笑顔を浮かべた。男が不自然に、応えるように笑う。笑顔のまま無造作に一歩踏み出し、頭を下げた。そしてそのまままともにぶつかっていった。

「ぐぅぇ」

 頭部で顎を砕いた感触がはっきりと伝わってきた。失神した男が倒れきる前に、二人目の懐に飛び込み、血乾剣を鞘のまま脇腹を突き上げた。肋骨を粉砕したのが分かる。二人目が白眼を剥いて尻餅をつくのと同時に、抜刀して三人目の鼻先に切っ先を突きつけた。

「……は?」

 何が起こったのかわからないまま、男は下卑た笑顔を奇妙に固めて立ち尽くしている。不躾な静けさの中、李岳は張り付けていた笑顔を剥がして言った。

「失せろ」

「へ? へ?」

「見えないか? もう抜いてるぞ」

 切っ先で小男の額を軽く突いた。血がたらりと鼻筋に沿って流れた。顔面を蒼白にし、男は悲鳴を上げて駆け去って行った。先に叩きのめした二人に目をやったが、死んでいないということだけ確かめると李岳は興味を失った。

 そこまでしてようやく、李岳は剣を納めてため息を吐いた。この手の輩に我慢は無理な性分である。

「……やってしまった」

 目立たぬつもりでいたというのにこの有り様。どこでも騒動に首を突っ込むこの性分はいつになったら治るのだろうか?

「ま、仕方ないか。さて、逃げようか。このままじゃ他のゴロツキやら衛兵やらが集まって来かねない。これ以上の面倒はごめんなんだ。ほら」

 振り向いた先、李岳が手を伸ばしても、少女はへたりこんだまま首を振るだけだった。どうやら腰を抜かしたらしい。

 李岳は嘆息し、少女を力任せに抱き上げると背中に負ぶって走り出した。




連載は滅びぬ!何度でも蘇るさ!

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