真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第十一話 子龍の旅

 西涼で巻き起こった韓遂(カンスイ)を首魁とする羌族の反乱は、車騎将軍を拝命した司空・張温を総大将とした十万を超える朝廷軍の攻撃により一定の鎮圧が見られた。慣れぬ土地で糧道がしばしば断たれ、朝廷軍は一時混乱の後に敗退するかと思われたが、破虜将軍を任じられていた董卓の活躍、および『白馬将軍』公孫賛の武勇により西方へ押し込むことを成した。

 公孫賛の名は最も激戦となった『楡中の戦い』において轟いた。朝廷軍は長征の不自由さに着目した敵の策にはまり、糧道を完全に断たれた上に待ち伏せに遭いあわや全滅の危機かと思われたが、公孫賛は後背を扼さんとした反乱軍に対して馬を用いた迅速な機動力でその出鼻を叩き潰した。

 総勢千あまりの『白馬義従』を自ら率いて横合いから急襲、猛烈な逆撃により朝廷軍の危難を救った。退路すら一顧だにしない騎馬隊の突撃は馬の扱いに長けた涼州兵さえ息を呑むほどの凄まじさで、反乱軍は決定的な好機を逃して後退を余儀なくされた。さらには敵将・李文侯(リブンコウ)に重傷を負わせた戦果はまさに勇名と言ってよく、公孫賛は戦後の洛陽における評価の場で勲功第二位を得た。

 勲功第一位の董卓は将軍位を獲得したまま中央に招聘された。公孫賛も一挙に中央へと進出するかと思われたが、それを固辞し、代わりに『護烏桓校尉』の位を任されることとなった。対烏桓の防衛政策を一手に任されることを表すその地位は秩石年間二千石の堂々たるもので、その影響力は当然ながら直轄地である琢郡だけでは足らず、代、上谷の両郡も支配下に治めることとなった。その際以前に兼任していた中山郡を返上したが、それを以って人々は清廉潔白であり慎ましく為人も見事と喝采を上げた。後任の中山郡太守は領内の治安の高さに舌を巻いたという。

 公孫賛はこれにて幽州の西半分を完全に自領として切り取りその影響力を行使することになったが、北平以東こそが公孫一族の本拠地であることを考えると、河北勢力としては幽州牧劉虞のそれに匹敵、あるいは凌駕し得るとして世人は『北方の雄』として注目した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くのか」

 背中からかけられた声に、趙雲は不覚を取ったと苦笑した。

「これは……私も修行が足らないな」

「そろそろかと思ったんだ」

「お見事、白蓮殿」

 趙雲は苦笑を浮かべて振り返った。朝靄の色濃い夜明け前、東の空に朝日が滲み始めている。趙雲はいつも身に纏っている白い着流しのような軽装に、一心同体とも言える直刀槍の『龍牙』を携えそこに一抱えの荷物を括りつけただけの出で立ちで西の門を出ようとしていた。

「戦場を共にしたんだ。さよならの言葉くらいあっても罰は当たらないと思うけどな」

 笑い混じりの呆れ顔で公孫賛は肩をすくめた。

 司空張温の召集令により、公孫賛は約二千の兵をまとめて西涼へと向かった。千の徒に千の馬で、寡兵とはいえ他に類を見ない騎馬の比率にほとんどの将軍は「戦を知らぬ北の田舎者め」と肩をいからせ嘲笑ったが、孫堅や陶謙、董卓配下の賈駆といった目端の利くものはその英断に内心唸っていた。

 戦いは糧道を断とうとする西涼兵十万と、それを守り押し包もうとするやはり十万からなる朝廷軍六個師団との間で激戦が繰り返された。趙雲も公孫賛麾下として参軍し、次席指揮官として位を得ていた。朝廷軍は威を着て嵩に懸かって攻めるには強かったが、一旦背後を取られると脆く、敵将韓遂の巧みな用兵によって鎮圧は手間取っていた。唯一董卓軍だけが戦果をあげていたが、伝え聞くところによると配下の賈駆という参謀の智謀、さらに并州刺史からの援軍として幕僚に加わった張遼という武者の突撃力を頼みにするところ大だったという。

 一方、公孫賛軍の配された張温率いる中央一個師団は楡中において敵の陽動にからめとられ、とうとう背後からの急襲を許した。事前の軍議において公孫賛は軽々な行動は糧道の寸断に遭うと諫言していたが、功を焦った張温は聞く耳を持たなかった。勝手知ったる西涼の地とばかりに、朝廷軍を巧妙に隘路にはめ込んだ敵将李文侯は勝利の確信にせせら笑っていたことだろう。

 それを阻んだのは公孫賛軍騎馬一千であった。趙雲と相談の上、独断専行ではあったが敵の挟撃を危険視し一つ上の丘から進軍していたのであるが、地から湧いたような敵軍の出現に公孫賛はためらうことなく突撃命令を出した。

 奇襲の成功を確信した軍ほど奇襲には弱い。その証左のように敵軍は一千の突撃に大混乱に陥り、不審を察知した朝廷軍が取って返したことにより攻防は一進一退となった。

 敵軍を切り裂いた功の多くが、趙雲の力に依るものと公孫賛は思っていた。

 借り受けた白馬にまたがり、雷光のごとき槍捌きで血路を切り開き、一千の突撃をまるで三千にも四千にも思わせる程の威力に昇華させたのである。

 だが戦後の評定の場で、趙雲はらしくない神妙な顔で控えており、結果として公孫賛の名は多くに知れ渡ったが、趙雲の名はその功に比してささやかと言わざるを得ない評判しか獲得しなかった。

 そして今また、趙雲は白蓮の元を挨拶の一つもなく辞そうとしている。

「置き手紙は書きましたぞ。ただ湿っぽいのは苦手でしてな」

「……どうしても行くのか」

 公孫賛は慰留の言葉を喉元までせり上がらせていた。戦の後、公孫賛の位は上がった。治めるべき領地も増えた。人手は足りず、ましてや『常山の子龍』の力があればどれほど助かることだろう。望むだけの地位も禄も与えることが今ならできる――だが照れ隠しのように頬をかく趙雲を見て、公孫賛は諦めた。この人を物品で押しとどめようなどと浅はかにすぎるのだ。公孫賛は未練を手放すことにした。

「……ふん! あーもー! わかったよ! ただ、餞別もないまま送り出してはこの『白馬将軍』の名がすたる」

 涼州における趙雲の槍に、十分に報いることが出来たと思ってはいない。だが趙雲に一体何を与えることができるのか――『白馬将軍』の名前を広めてくれたのだ、もらっていただくならその分け前以外何があるだろう。

「これは……」

 公孫賛が物陰から曳いてきたのは涼州征伐において趙雲が跨っていた白馬であった。

 小柄な馬体でありながらすらりとした長い首、足。李岳が運んできた馬の中から最も俊敏で長く走り頭のよい馬だった。趙雲は出征の際に公孫賛からその白馬を借り受けたが、密かに『白龍』と名づけ愛していたことを公孫賛は知っていた。白龍は我が主人を取り戻したとばかりに鼻先を趙雲にこすりつけ、趙雲もまたくすぐったそうにした。

「白龍……」

「連れてってくれ。二人の仲を裂くのは忍びない」

「感謝!」

 趙雲はひらりと白龍にまたがると、いとおしそうにその首を何度も撫でた。

「行く先は?」

「さて。どうしてもある男の正体が気になってしまって」

「ある男?」

「この白龍を届けた、小柄な商人」

 途端、公孫賛の脳裏に鮮烈に一人の男の姿が思い浮かんだ。見た目は取り立てて特徴のない、強いて言えば小柄であることとちぢれたくせっ毛が印象に残る程度。だというのに幽州をあわや大混乱に陥れかねなかった陰謀を未然に阻止し、鮮やかな決着をもたらした恩人でもあった。

「李岳……仕える気なのか?」

「いや。ただ見極めてみたいと、見極めなければならぬと思ったのですよ」

「勘ってやつ?」

「そんなもの」

「あては」

「常山一帯を支配する黒山賊の頭目、張燕とよしみがあると言っていたので」

「そっか。寂しくなるな」

「……白蓮殿の元で客将として居られてよかった。最初は路銀目当てだったのが嘘のようだ」

「……くっ、くくくく」

 耐えられなくなった公孫賛が吹き出し、趙雲もその笑いに釣られるように腹を抱えた。いや、やはり別れはこうでなければいかん――ひとしきり笑ったあと、趙雲は手を上げた。白龍が軽快に馬蹄を響かせた。

「達者で! 星!」

 公孫賛の声が趙雲の背中を暖かく押した。

 未練がないというと嘘になるが趙雲は行かねばならぬという何か言い知れぬ衝動に突き動かされていた。

 恩賞も階位も足かせになるならいらない。自らの『雲』が本当に落ち着く場所を見つけたいだけ。この槍を捧げるにふさわしい主を。李岳という男がその主にふさわしいかどうかはわからないが、あの夜からどこか脳裏に引っかかり続けている。このもどかしさを解きほぐせぬままどこかに落ち着くことはできそうもない――趙雲は納得のために旅立った。

 白龍は主の悩みを聞き及んだかのように、それを吹っ切るように疾駆する。背後の町が霞み行くが、趙雲は決して振り返ることなく一路山を目指した。白龍はまさに翔ぶが如く走り、初夏の雨の中でも気持ち良いとばかりに飛んだ。龍と雲、これ以上の相性はあるまいと趙雲は愉快極まりなかった。旅はそのことごとくが軽快に進み、道中村や町に厄介になりながら西へ西へ駆けた。どの村も馴染みの者がおり、特に兵卒の詰める屯所などでは豪勢にすぎる待遇を受けた。

 数日後、趙雲は幽州を脱しいよいよ并州常山郡へさしかかろうとしていた。懐かしき生誕の地、真定県――生まれ故郷を貫くのは膨大な雨を集めて流れる呼沱河である。その勢い急にして激。趙雲の記憶の中のそれと全く変わらずに雄大であった。白龍は流れの中に身を浸すのを好むようで、休憩の折には喜んで飛沫をあげていた。本当にいつか龍となって空に飛び立っていくのではないかと趙雲は笑った。

(さて、何年前だったかな……)

 趙雲は『飛燕』との出会いを反芻していた。 

 何年前か、趙雲の中でも最早定かではないが、槍をもって世に出ようと志したばかりの頃。はびこり始めた野盗や賊を片端から倒し、貫き、弱きを守る者として四方八方を駆け回っていた。幼く直情だったと今では笑い話だが、必ず最強の武人となり世を変えて見せるのだ、と日々気炎を吐いていた。信念だけはいまだ変わってはいない。

 そんな若かりし趙雲にとって最も許しがたかったのは、当時常山郡を荒らしまわっていた名高き盗賊、その名も『黒山賊』である。その郎党の数は数万に及び、あこぎな外道働きや火付けはしなくとも、民が収めた税を官よりさらうは趙雲の目には同じ穴の狢としか思えず、単身黒山へ殴りこんだのである。並み居る敵を叩き伏せ、野山を疾駆し趙雲はとうとう単身にて黒山の大本営とも言える町に到達した。周囲を囲む数千の賊――だが彼らは数をたのんで趙雲に跳びかかろうとはせず『飛燕』――黒山賊の頭目である張燕との一騎打ちを演じることとなった。趙雲は張燕が同じ真定県の生まれ育ちということもあり、なおさらその所業が許しがたく必ずや討ち果たして見せんと意気込んでいた。

 

 ――果たしてどれほどの数の火花が迸ったか。

 

 流れるような双刀の舞いは攻めに守りに柔軟で、繚乱の如く乱れ打った趙雲の豪槍を余すことなくいなし続けた。まさに燕が如く軽やかに飛び、幾度と無く趙雲の首元に刃は迫った――『龍牙』の胴で斬撃を幾度弾いたか見当もつかぬ。趙雲も度重なる連突きによりあわや張燕の心臓を貫き通すかと思われたのもひとたびではない。双方一歩も引かず、打ち、突き、斬り合い……とうとう決闘は二刻を超えて、固唾を飲んで見守っていた周囲の舌さえ乾ききった。

 決闘の記憶はおぼろげだった。手のしびれ、首筋の悪寒、死の恐怖、勝利への渇望――その全てがないまぜとなって、ただの印象として残っているばかり。気づいた時には肩を抱いて酒を飲み、夜っぴて騒ぎ通したのだから全く前後不覚である。

(あの頃は未熟な故に遅れを取りかねなかったが……)

 愉快ではあったが、勝てなかったことが趙雲の胸にさらなる飢えを与えた。強くなりたい――黒山への襲撃の後、趙雲はさらに苛烈な修行を自らに課した。常山を問わず諸国放浪、強さを求め、険しきを求め……やがて気づいた頃には『常山の趙子龍』とあだ名された。

(さて、今は……)

 水しぶきを散らして白龍が戻ってくる。趙雲はその豊かなたてがみを撫でると、彼方の山を目指して馬上に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 折角よく眠っていたところを叩き起こされ張燕は機嫌が悪かった。昨日の酒も残っているので昼を過ぎるまで横になっていたかったというのに、どこのどいつが安眠を妨げたかと眉間には深刻なしわが寄っていた。官軍が襲ってくるようなわけでもあるまい、間者は全土に散ってわずかな気配さえ漏らさず届く。急襲されるなどありえない。またぞろ馬鹿が横恋慕して取っ組み合いでも始めたか――寝乱れた髪を乱雑にかき上げると、張燕は得物を携え寝所を出た。寝間着のままで胸元は大きくはだけ足も露わだが、着替えた所で似たような装いでしかなく刺繍が豪奢か無地かといった違いしかない。

 表へ出ると数千もの郎党が地を踏み鳴らし喝采をあげ、喧騒は耳を叩くほどの大きさ。だが不思議なことに降って湧いたお祭り騒ぎのような明るいものだった。近くにいた者の頭を小突くと、男は早くいかせてくれとばかりに慌てて叫んだ。

 

 ――やつが来たんでさ! 趙子龍のやつが!

 

「早く言わんかこのばっかども!」

 ついでのようにもう一発頭を小突いて、張燕は人垣に向かって走りだした。

(やつがきた! また殴りこんで来やがった!)

 朝っぱらだというのに既に酒が出まわり歌に賭けにと宴もたけなわ、出遅れたと張燕は歯噛みして立ち塞がる子分を手当たり次第に投げ飛ばしてとうとう中心へ躍り出た。そこでは既に剣戟が繰り広げられており、叩きのめされた男どもが息も絶え絶えな様子で山となっていた。全くだらしない、と張燕は鼻を鳴らしたが、いま目の前で繰り広げられている武闘は相当に見応えのあるものだった。賭けの親元を務めるやつの声が響く。

「――さあさあ! 張った張った! 『常山の趙子龍』と『虎狼の廖化』の一戦、率は四分六! 四分六で趙子龍!」

 身内びいきもなんのその、現金な野盗上がりには勝ち目の方がなにより大事ということか、半分以上が趙雲の勝ちに賭けていた。

 だがしかし廖化もさるもの。目にも留まらぬ連突を紙一重でいなしながら逆転の横薙ぎを放ち、趙雲の突進を巧みにいなしていた。

 やがて趙雲は宙を舞い、上空から裂帛の一撃を放った。『神槍』の二言は伊達ではない。後ずさりがもう少し遅ければ、地を真綿を切り裂くかのように断ち割った槍の穂先が、廖化の体を刺身にしていたことだろう。

(また速くなってるな……男子三日会わざれば刮目して見よ、女子なら目玉を引っこ抜け、だな……いや、もう少し上手い言い回しがあるかしら……)

 張燕が二日酔いの頭でくだらないことを考えている間に、次は廖化が攻めた。大きな熊手のような鉤爪に、石突には半月を模した月牙を備えた一振り『虎口狼眼』――その奇抜な形状から繰り出される、死角を付け狙うかのような技の数々は張燕でさえおいそれと勝てるとは言えない。さらに――

 『虎口』が大きく薙がれ、趙雲の槍の胴を捉えた。それは問題なく防いだかのように思えるが、次の瞬間『虎口』の鈎ががちりと噛み合い捕らえると、胴の節々が折れ曲がりいびつに跳ねた。仕込み三節。石突『狼眼』は梃子に従い廖化の背後から円を描いて趙雲を襲う――廖化の『虎口狼眼』は繰り出す全てが不慮の一撃である。見事に虚を突き技は決まった――と、三名を除いたその場の全員が確信するほどであった。目を見張る張燕、驚愕する廖化――不敵に笑う趙雲を除いて。

 趙雲の後頭部を襲った『狼眼』だが、まるで後ろに目が付いているかのようにわずかに首を傾げてかわすと、くわえて離さない『虎口』を逆手に取り、くるりと回転させるやものの見事に廖化を投げ飛ばした。そして握り直した槍の穂先を突きつけ――

「……参った」

 廖化の降参を皮切りに、興奮に飲まれた郎党が一斉に叫び声を上げた――賭けの勝ち負けに従って、四分六で喜びの歓声であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁた強くなったな、常山の」

「お前は相手をしてくれないのか、飛燕?」

「アタシは二日酔いなんだ。今日は都合が悪い。日を改めて出なおしてくれ」

 結局昼さえ待たずに酒宴に入った。趙雲は酒をぐいぐい飲みながら再戦を何度もねだってきたが、張燕はひらひらと手を振って断った。

 おそらくもう勝てないだろう、と張燕は確信していた。いい勝負はできるかもしれない、だが本気の勝負になれば勝ち目はない。先ほどの廖化との戦いを見ても、軽くあしらうように勝ってしまった。

 あのおぼこ娘がこんなにも見事になって帰ってきた喜び、気持ちの良いままいさせてくれてもバチはあたらないだろう。だからもう戦うまい。いいだろう? アタシはこう見えてお頭ってやつなのさ、見栄を張るくらい許してもらわなきゃさ――されど張燕の心に敗北感はなく、英雄を目にしたという確信の中で晴れ晴れとしていた。

「うむ。酒がうまい!」

「二日酔いじゃなかったのか?」

「だからさ!」

 趙雲の背中を荒々しく叩きながら、近くにいた子分に酒をありったけ並べろと怒鳴った。

 やがて壺が持って来られたのだが、運んできた一人は廖化であった。恥ずかしそうに頭をかいては苦笑いをしている。

「いや、お見事。こりゃかなわねえ」

「あなたもお強かった。あわやでしたな」

「謙遜も過ぎると、失礼ですぜ」

「そのような。さて、あらためて名を。趙、雲。字は子龍」

「廖化、字は元倹」

 趙雲と廖化が笑って握手を交わす。確かに趙雲が一枚上手であったが廖化も見事その技を披露した。お互い認めうところがあった。握手も終わり、二人の手が離れようとしたとき、いきなり趙雲がさらに強く握って廖化を離すまいとした。そして囁くように話す。

「お久しぶりですな」

「……ちっ。やっぱり覚えてたか」

 廖化があっさりと認めて頭をかいたので、趙雲は手を離した。張燕も聞き及んでいる話なのだが、知らず存ぜずを装って聞いた。

「どこかで会ってたのかい?」

「しらばっくれんでもよかろう」

 張燕は廖化の報告を思い返した。

 先だって、李岳という男が馬を届けに公孫賛の元へ向かった。黒山とも塩をめぐって一つの取引があったのだが、無事幽州へたどりつけるよう廖化を筆頭に腕利きを護衛につけた。道中、烏桓の姫がかどわかされそうになる現場に遭遇し、李岳の判断で救出、さらに公孫賛の没落を狙った陰謀だったということも判明し、ただ馬を届けるだけで済むはずの旅がとんでもない大事となってしまった。

 廖化はくだんのあらましを微に入り細を穿ち張燕に報告していた、もちろん趙雲がいたことも知っている。それでも張燕は素知らぬ振りをしたが、その振りは当然ながら露見していた。張燕が自らの勢力範囲で知らぬことなどないという話は有名だ。無数の間者、諜報の者があらゆるところに忍び入り知らせを届ける。その中でも廖化は目立って腕利きだ。忠誠も厚いだろう。自らが付き従った旅の詳細を伝えていないはずがなかった。

「いやしかし廖化殿。まさか黒山の者だとは。あのときは全く気づかなんだ」

「その他大勢の一人でさ。無理もない。こっちはしっかりと覚えてましたが。あんときゃ気が気じゃなかった。李岳殿の足を引っ張るんじゃないかとひやひやでね」

 単身黒山に殴りこみ、張燕と一騎打ちを演じた話はことに印象に深い。あの決闘を目撃した取り巻きの一人に廖化もいた。

「邪魔せずによかった。お陰で良いものも拝めた。烏桓の姫、相当な使い手だった」

 武勇に優れ不可思議な力にも近いと噂される烏桓族である、仇討ちの決闘を見て趙雲の血が騒がないはずがなかった。

「いずれ機会があれば、刃を交えてみたいものだ」

「決闘中毒め。さて、西涼じゃあ大活躍だったようだねえ」

「耳ざといな」

「アタシの知らないことはないよ」

 

 ――韓遂という男を頭に据えて、羌族が蜂起した。討伐するため出兵した朝廷軍に公孫賛と目の前の趙雲が従軍することは、召集令状が幽州に届いた次の日には張燕の耳に届いていた。張燕は五分五分の戦になる、と思っていた。朝廷軍は羌族や西涼兵を侮っているが、やつらは精強であり韓遂の手練手管も侮れない。さらに朝廷軍は討伐とはいえ敵地に攻め入るという形になる、よほど上手くしなければ鎮圧は難しいだろう、と張燕は考えていた――

 

 予想通り朝廷軍は苦戦を強いられ、糧道を狙われてはあわやという場面に何度も出くわした。最終的に勝利を収めることが出来たのは運否天賦によるところも大きいが、公孫賛率いる白馬の騎馬隊『白馬義従』の槍のような突撃により敵の伏兵の出鼻をくじき、危機的な状況を回避したことが勝敗の分かれ目だったろう。そしてその槍の穂先こそ、目の前にいる趙子龍なのだった。

 その功でもって公孫賛は一気に幽州での地盤を築き『北方の雄』として君臨した。勢力が隣り合わせる張燕は人ごとではない。公孫賛への間者の数を『涼州の乱』以後は二倍に増やしている。

 しかし、張燕が本当に警戒しているのは公孫賛ではなかった。武者上がりは戦になると強いが、動き方が読みやすく、であれば躱し方もある。本当に厄介なのは自分は矢面には立たずに裏で糸を引くもの――公孫賛の足元で動乱を目論み、企みを仕掛けた劉虞のような手合いである。間者の数は元々多かったが、さらに三倍の人員を投入している。

 ところが成果ははかばかしくない。手練が何人も食い込めずに敗退しては戻ってくる。こと劉虞本人に接近しようとした者はまさに忽然としか表現できないような消え方をする。張燕はまだまだ火種は残っているものとして、警戒を緩める気にはなれなかった――しかし予断を許さぬ話でもある、どこで漏れるかもわからない。この張燕の考えを知っているものは黒山でも一握りしかいない。趙雲のことは気に入っていたが、やはりおいそれと話せる類のものではなかった。

「んで、その公孫賛の客将閣下が一体何しにきたんだい?」

「――李岳という男について知りたい」

 意外な言葉に張燕は愉快になった。口にした酒を一気に干して、おかわりを注ぐ。それもまた口にしながら、さて、どうしたものかと思案した。

「琢郡で会った時、おかしいと思ったのだ。あのように上等な馬の群を『飛燕』が安々と通すはずがない。よしみだとしてもただの知り合いというわけではあるまい。知り合っている、それだけで黒山の通過を認めるはずがない。何をもって取引をしたのだ」

「ん? 塩よ。一緒に密売するの」

 張燕は喝采を上げた。

 

 ――そう、そういう顔が見たかったのだ!

 

 呆気に取られた趙雲の顔が愉快でたまらぬと、張燕はさらに興が乗って酒を飲み干し、おかわりを注ぎ、趙雲の盃にも注いだ。隣では廖化が複雑な表情で蒸米を口に運んでいる。

「……そんなにあっさり吐いていいのか」

「別に構わん。密告しようってわけじゃあないんだろう?」

「……ふてぶてしいやつだ、お前もそうだがあいつもそうだ。私は覚えているぞ。世に憚られる類のものはやり取りしておりません、とな」

「フフフ。口が回るやつね。身分証も服もアタシのこしらえさ。よく似合ってたろう?」

 確か并州晋陽永家の使いと言っていたが、それすらも嘘だということなのか――趙雲はますます李岳という男が気になった。あの慧眼、確かにどこぞの勢力で辣腕を奮っていてもおかしくはない。だが、だというのならわざわざ馬を運びに使い走りをする必然性が欠ける。やはり間者か、あるいはその他の工作を行いに幽州へ来たか。塩の密売、一体何を考えている――

 趙雲は単刀直入に聞いた。

「何者なんだ?」

「……ま、今は狩人ってところかね。ほとんど匈奴みたいな暮らしをしてるが」

「漢人じゃないのか」

「両方の血を受け継いでいる」

 嘘は言ってないようだが人物像が浮かび上がらない。匈奴の狩人がなぜあのように振る舞える? それにどうして公孫賛を守るが如き活躍を見せるのだろうか。

 趙雲の葛藤を察した張燕は、ひょっとするとこの二人を引きあわせれば面白いことになるのでは、といたずら心が鎌首をもたげた。李岳の情報を売ることになるが、この内心に巣食ったたちの悪い蛇に、張燕はいまだかつて勝てたことはなかった。

「……并州は最北端、長城の北。多分そこに暮らす匈奴の集落を訪ねるほうが早いだろう。恒山の麓の小さな山に父と二人で住んでいる。父の名は弁。匈奴とも漢人とも付き合いはあるが、その両方から距離をおくように暮らしている。気になるなら直接訪ねて見る他ないね」

「会ってみよう」

「面白いやつさ、アタシは気に入ってる。しっかりしていて隙もなさそうだが、その実ウブで油断だらけだ。いずれ大物になると踏んでいたが、ま、それはこれから次第かしらね」

 趙雲の目にもいたずらっ気に満ちた光が宿った。知らぬ間に外連の甘さに味をしめたか、と張燕はことさら愉快で、ならばこの度李岳をいじめる役はこの趙子龍に任せよう、と思った。だが条件がある。まずはここに並べた酒を全て飲み干していくことだ――だが張燕が何を言う前に、不敵な笑みで趙雲は盃に酒を手酌で注ぎ始めていた。何も言うな全てわかっている、とばかりに。


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