真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第百三十一話 三度死ぬ男

 まぁ機嫌がいいわけがないわな――袁紹の本営幕舎に召し出された張郃は直立不動で査問に答えていた。整合性は取れているはずだが周りの将の視線の痛いこと痛いこと。即刻の処刑を言い出す者がいないだけマシと考えるべきだろうか?

「言いたいことはわかりました」

 張郃の説明を聞き終えて顔良が言う。袁紹は頬杖をついたまま沈黙を守っている。張郃の言葉に対して何か判断を下すのかと思っていたが、なんとそのまま一言も発さずに詮議はおざなりのまま赦免となった。袁紹はもはやこの戦役に興味を持っていないのだ。

 顔良が続けて言う。

「今は幽州軍追撃が優先されます。張郃さんには追撃戦での働きぶりも鑑み、追って沙汰をお伝えいたします」

 そんなところだろう、と張郃は頭を下げながら顔良たちの思惑を測った。幽州への降伏が本当か嘘かなどどちらでも構わない、使い潰してしまっても問題のない駒が一つ増えた、程度に考えているのだ。それ自体は当然と言える。だが甘いな、とも思う。使い潰すのであればせめてその気にさせるという最低限の世話が必要だ、そうでなければ犬も走らない。

(人のやる気を転がすのは殿の方が上手ですな)

 末席に座すと続けて始まった会議に耳をそばだてる。袁紹らは冀州戦役が己らの勝利で終わったことを確認している。そしてそのまま幽州への併呑に乗り出すつもりだと言う。

「明朝より公孫賛軍追撃、そして幽州への侵攻作戦を展開します。南方の守備は万全、南皮の回復も時間の問題です。第一目標は公孫賛の捕殺、次に琢郡の攻略です。ですがこれらは問題ないでしょう、既に易京要塞が陥落していることは申し伝えている通りです。第二軍は西側から北上、黒山を包囲してください」

 張郃は耳を疑った。易京要塞が陥落? ここまで冀州を蹂躙されて兵を回せるはずもない、となれば内応のために間諜を送り込む『埋伏の毒』か、と張郃は読む。そうであれば確かに公孫賛の命運は儚い。絶望的と言っていいだろう。

 幽州全域の併呑も視野に入れて既に動いていることも驚きだった。確かにそれをなすだけの兵力もあれば継戦能力もある。公孫賛との戦いで袁紹本隊の被害はさほど大きくはないのだ。

 しかし反攻の計画が綿密に過ぎる。袁紹の意欲の低さに比べてこの緻密さには違和感がある。それほど袁紹軍には余裕があったということか? あるいは智者の献策か――それとも裏で糸を引く者がいるとでもいうのだろうか。

 軍議が終わると張郃は自陣の兵たちの元に戻った。後回しにされてはいるが食事は与えられている、昔日の功績を鑑みてのことだろうが、破格の待遇といっていいのかもしれない。

「張郃殿」

 名を呼ばれ振り返った。麴義が立っていた。張郃に従って本営を出たのだろう。旧知の男の囁きに張郃は小さく頷いた。

「笑いにでも来たか、麴義殿?」

「侮ってもらっては困る」

 張郃は自らの幕舎に誘った。張郃に酒があてがわれるわけもない、水を酌み交わしながら話した。

「いい時に戻ってきた。生きて舞い戻ったことは恥だが、なに、ここから雪げばよい。勝つことが決まっている戦だ」

 麴義の話ぶりに張郃は違和感を覚えた。この男はこんな軽薄に笑うやつだっただろうか?

「勝つことが決まっている?」

「そうだ、貴様も思ったであろう? 袁紹軍の配置、機動、攻勢」

「確かに手強いと感じた。俺が抜けてから急に強大になったのではないか?」

 皮肉のつもりだったが、麴義は真面目な顔で頷いた。

「袁紹軍は智者を得た。貴様も知っているだろう。諸葛亮殿に、田疇殿だ」

「なるほど、反攻作戦の手際があまりにも良すぎる。あれは二人の描いた絵だな? しかし勝つことが決まっているとは大言壮語だな。勝負は時の運だ、なにが起こるかはわからんぞ」

 麴義は張郃の肩を叩いて笑う。

「波乱はない。河北はすでに袁紹様のものだ。お前にも見せてやりたかったわ、敵の挙動を全て読み切り絶対の自信を持って配置させる伏兵の妙を」

 張郃は麴義の話を聞きながら顔をしかめた。話の内容ではなく、男の話しぶりに嫌悪を催していた。

「必ず勝てるのだ。必ず勝てるのだぞ? これほど素晴らしいことがあるか。我が家門は栄達の道を約束されたであろう」

「苦戦を強いられた将の意見とは思えないな。勝ったとはいえ冀州は公孫賛にズタズタにやられたようなものだ。敵将も逃している」

「貴様のせいだ、張郃」

 いや責めるつもりはないのだが、と言葉を挟んで麴義は続けた。

「磐河での戦、寝返りはいいのだが少し早すぎたのだ。あと一呼吸待ってもらえれば公孫賛は進路を変えなかった。きっと正面から射殺できたろう」

 張郃は思う。李岳の策が当たった、運が一つずれたのだ。運否天賦だろうが、重要なのは結果である。博打であればなおさらそうだろう。

 笑みを浮かべながら張郃は懐に忍ばせていた二巻目を開いた。麴義は疑問にも思わないのか陶酔したように言葉を続ける。

「あのまま行けばきっと討ち取れた、俺は歴史により一層輝かしい名を残せたはずだった。その恨み言を聞かせるくらい良かろう? 田疇殿の策がピタリとはまったのだが、彼にも貴殿の寝返りは読めなかったと見た」

「そうか、あれは田疇の策だったか」

「おい、言葉に気をつけろ。田疇殿はこれからこの冀州の中枢に行かれる方だ」

「戦場にも立たぬ書生風情の風下に立って何が面白い?」

「何を甘っちょろいことを……言うことを聞いていれば史に名将として名を残せるのだぞ? ま、言いたいことはわかる。だがそれも今だけよ、勝利の美酒を呷れば気も変わる」

「そうか、それで満足というのであれば、それもよかろう」

「……先程から何を読んでいる?」

 張郃は微笑みを浮かべて手にしていたものを胸にしまい直した。

「ん? これは命令書よ。今夜読めと言われた。我が主君は人使いが荒くてな、全く死ぬに生きるに忙しい。だがどんな無茶な指示でも嫌な気がしないのは何故だろうな? 多分、誰よりもしんどいことは己が担っているからだろう。そして共に戦って欲しいと願われていることがはっきり伝わるからだ」

「……何を言っている?」

 張郃は胡床から立ち上がると麴義を見下ろす形で()めつけた。

「死ねば路傍の土くれとなる。後世どう語られるか、そのようなことは知ったことではない。大事なことは一つ。誰のためにどう戦うか、だと思う。俺は従うのであれば、共に血を流せる情け深い人と歩みたい」

「待て。お前、まさかこの裏切りは」

 張郃は抜剣しながら言った。

「……確かに軍人は主君へ勝利を捧げること、兵を死なせず家に戻してやることが仕事だ。だが麴義よ、貴様は勝利の栄誉という財を(まいない)に、武人の誇りを手放した。お前は堕落した。もはやこれ以上捨て置くのは我慢ならん」

 麴義も気配を察したか、胡床を蹴り飛ばして立ち上がった。

「敵に降った敗残が偉そうに何を抜かすか! 武人の誇りとはなんだ、答えてみろ!?」

「命を賭けること」

 張郃はそれ以上語らずただ長剣を振り上げた。望天吼。それが張郃の愛剣の名であった。天地の間で天意人心を仲介するとされる神獣は、長剣の形を借りて敵に天変地異の裁きを下す。剣に彫られた銘文を胸中で唱えた――若有疾風迅雷甚雨 則必須変――怒りの天変地異を前にして、抗えるものなら抗ってみせるがよい!

 麴義もまた得物を抜き放ったが、初動、そして気構えにはるかな差があった。張郃が振り下ろした時、望天吼は麴義の頭蓋を得物ごとひしゃげさせていた。麴義は声もなく絶命したが、返す刀でその首を跳ね飛ばしていた。

 剣を納めて首を掴むと幕舎を出た。張郃は兵たちの前に立ち、腹の底から声を張り上げた。

「貴様ら、聞け!」

 背を丸め、敗残のように座り込んでいた兵たちが一斉にこちらを見た。兵たちは裏切り者の汚名を二度に渡ってかぶった憐れな男女たちである。その健気さに全霊で報いる義務がある、と張郃は思った。

「俺は死んだ身だ。俺は高陽で破れた時に一度死んだと思っている。あの時助命された恩義を忘れたことなど一度もない」

 張郃の言葉は空疎に響いたかもしれない。その恩義に背いて矛を翻したのはつい先程のことだからである。

 張郃は向けられる疑心を笑うように続けた。

「貴様らの戸惑いはもっともである。安心しろ、此度は心よりの翻身ではない。貴様らの将は命惜しさに身を売る男ではない! 全ては深謀遠慮、袁紹軍を打ち破るための策である! 証を見よ、これは麴義将軍の首である!」

 張郃は手にしていた麴義の首を兵に向けて投げた。どよめきが静かに広がり始めると熱になって立ち昇り始めた。兵たちの目に光が戻ったように感じた。立ち上がる者まで現れ始める。

「今日、公孫賛軍より寝返り冀州に付いたことを二度目の武人の死と心得る。俺は一度ならず、すでに二度死んだ身である。戦場に散る日もいずれ来よう――張儁乂は三度死ぬ! だがそれは今宵ではない。貴様ら武器を持て、我らはこれより袁紹軍を内より食い破る!」

 元よりここまで付き従うは張郃子飼いの兵たちだった。待つこともなく気勢は天を突いた。誰も張郃が命惜しさに敵に降ったとは思っていなかった。張郃は高陽においてでさえ、自らの首を差し出して兵の助命を願ったのである。公孫賛軍の提示した降伏の条件が張郃含む全員の投降だったため、それを飲んだまでである。

 公孫賛軍に降伏後、冀州よりも幽州に理があると張郃が考えていることを兵らも感じていた。そして主君を得たことも。今回の袁紹軍への寝返りは不可解極まったが、それが氷解して兵からは悩みも惑いも失せていた。

 引かれてきた馬にまたがると、張郃は駆け出した。武器庫の襲撃、兵糧への火付けを命じる。さすがに巨大な袁紹軍の全物資を焼くことは難しかろうが、相応の混乱はすぐに引き起こせた。なにせ勝利の美酒に酔っている将兵さえいるのだ。

「さあて、あとはあんたを迎えるだけだが、御大将?」

 第二の書には以下のようにだけ書かれていた。袁紹軍に反旗を翻し脱出を試みよ、俺は田疇を斬る、と。

 ならば主君を救うは俺の意志だ、と張郃は思った。人形のようにではなく、戦士として生きて死ぬのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かがおかしい――張梁は幕舎から外を覗き見ながら不安に苛まれていた。

 初めは勝利を祝う酒宴が盛り上がっているのかと思い捨て置いていた。しかしやがて松明ではない、明らかに異様な火が増え始めると悲鳴が叫ばれたのである。覗き見た先では兵たちが慌てて装備をまとって走り出しているのが見える。裏切りがあったのだろうか、それとも内乱?

 耳をそばだててみても、憶測と不安が飛び交うばかりで正確なところはまるでわからなかった。

 

 ――張郃が裏切ったぞ!

 ――裏切ったのは麴義だ!

 ――公孫賛軍が外から飛び込んできている!

 ――袁紹様はいずこ!

 

「一体何が本当なの……?」

 混乱と動揺は時を追うごとに増していく一方だった。この事態も読むのが『太平要術の書』の力のはず、であれば田疇の策の一環だろうか、けれどこれはあまりにも……

 不安が怯えに変わり始めた時、一人の兵が駆け込んできた。

「張梁様……! お、お逃げ下さい……!」

「きゃっ!」

 張梁が思わず悲鳴を上げたのは兵が全身に血を浴びていたからだった。

「あ、貴方怪我は」

「これは返り血です! それより早くお逃げ頂かなければ!」

「何が起こっているのですか」

「詳細はわかりませんが、寝返りが起きたようです……火の手も上がっております。まずは避難を!」

 頷き、幕舎から出ようとした張梁はふと足を止めた。

「待って、奥にもう一人いるのよ」

「私が背負います!」

「え、ええ……ありがとう」

 幕舎を出ると猛烈な火炎に頬が焼かれるかと思った。火の手は思った以上に上がっている。油が焼ける匂いもする。確実にこれは事故ではない、公孫賛の秘策だろうか? それとも李岳?

 見れば袁紹兵同士が斬り合っているようにも見える。張梁は途端に恐怖に駆られた。

「お早く!」

 兵に言われるがままに走るしかなかった。諸葛孔明はまだ目を覚まさないままのようだが、兵の背中でかすかに身じろぎしている。騒乱が刺激になっているのだろうか。

 やがて袁紹の本陣が見えてきた。さすがに真っ先に守護しようとしたのだろう、阻塞を組んで兵が守備陣形を組んでいた。張梁の全身に一気に安堵が押し寄せた。

「そのままお進み下さい。真っ直ぐ行かれれば兵がいます。あそこまで行けば安全でしょう」

 そうね、と答えようとして張梁は足を止めた。張梁にそう言ったというのに、兵は諸葛孔明を背負ったまま本陣に向かおうとしない。

「貴方は逃げないの?」

「仲間がいますので」

 その瞬間張梁は異変を察知した。兵は諸葛亮が目当てだったのだと気づく。

「しょ、諸葛亮をどうするつもり!?」

「ただ、元の居場所へ」

 顔に浴びた血の奥に光る瞳がある。それは一介の兵にしてはあまりにも強い輝きを放っていた。

「あなた、黄巾の者ではないわね。そして袁紹軍でもない……私が知らない田疇の手の者?」

「……さらば」

 答えることもなく、小柄な雑兵は諸葛亮を背負ったまま再び火炎渦巻く戦乱の中に姿を消していった。

 張梁は駆け寄ってきた兵に包まれて安全地帯に運び入れられながら、その背中を見つめ続けていた。

 本当は叫び声の一つでも上げるべきなのに、なぜだろうか、張梁は諸葛亮と同じくその兵の無事を願う自分に驚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――袁紹軍本陣から南南西に呂布と司馬懿はいた。

 

 二人は麾下を従え袁紹軍まで三里の距離を守って位置取りしていた。場所は南から磐河を見下ろす丘の上である。

 界橋から磐河へ急行した二人と一団は、戦いが開始された直後から袁紹軍の背後を急襲することを企てた。一泡吹かして混乱を招く事ができれば公孫賛軍に万に一つの勝機が巡ると感じたからである。

 しかしただの一矢を放つこともなく騎馬隊は指をくわえて戦況を見守ることしか出来なかった。

 まるで一千の騎馬隊に対して蓋をするように、袁紹軍は二万もの兵を後方に配置したまま戦に臨んだのである。

 確かに二万を除いても袁紹軍は公孫賛軍より数的優位にあり、いずれ予備として投入する主旨であれば納得の一つも出来る。しかし配置から見える思惑は後方への備え以外の何物でもなかった――そんな馬鹿な話があるかと思いたくなるが、事実二万の兵は主戦場に投入されないまま微動だにしなかった。

 その上、司馬懿の目から見て戦局の推移は異常だった。まるで敵がそこに来るのがわかっているかのように配置された弩兵が、一方的に騎馬隊を殲滅したのである。さらに部隊の一部が寝返り公孫賛軍は物の見事に崩壊した。

 超常的な力さえ感じる、と言えばあまりにも表現が仰々しいだろうか? しかし司馬懿にはそうとしか思えない不気味さを感じた。こんな思いをするのは二度目である。反董卓連合を撃退した時に李岳から感じたあの不気味さとひどく似た……

 呂布も同じような違和感を覚えたのだろう、がらにもなく司馬懿と意見を同じにして麾下に待機を命じた。さすがに二十対一の戦力差で勝てるとは言えない。牙を立てるにも機というものがある。司馬懿も呂布も、何かを期待するようにじっと袁紹軍の後背から動かなかった。

 二人が考えることはただ一つ。李岳がこのような顛末を黙って受け入れるだろうか? 立ち向かった以上何か策を催しているはず。負けたのなら、その隙を突こうと企ての一つは抱えているはず。

 李岳の悪辣さをよく知る二人の共通見解だった。

 

 ――そして戦が終わりその夜、身を潜めていた司馬懿らにその時は来た。

 

「動いた」

 呂布の声に司馬懿は腰を上げた。目をこらす。司馬懿には何も見えないが呂布とその麾下は素早く配置についた。小高い丘から見やると、一里先の二万の軍勢に動きはない。呂布が気配を感じたのは奥に陣取る袁紹軍本隊だった。司馬懿はその背丈からさらに背伸びして様子を伺おうとする。

「……火の手が上がっている」

 食事の時間は過ぎている。篝火を無為に焚く意味もない。火の手は決して大きくはないが、常ならぬ炎上であることに疑いはない。宵闇の中で赤朱の輝きがまさに燎原の火として広がり始めている。

「冬至だ」

 呂布が言う。そうではないと疑うことは容易かった。しかし司馬懿は首を縦に振った。

 疑念に倍する期待が、司馬懿の背中を押していたのである。

「同意します。行きましょう」

「指示をよこせ」

「まずは行きましょう! 走りながらで!」

 赤兎馬に飛び乗った呂布に引き上げられた司馬懿がしがみつくと、呂布は馬腹を蹴った。高鳴った鼓動は鎧越しで呂布にも聞こえているだろうか。多分聞こえていないだろう。呂布の鼓動もまた司馬懿に聞こえてこないからだ。でもきっと、二人して同じくらいドキドキしているという事実だけは疑いようもない。

 前方二万の軍勢も慌てて動き始めた。驚いたことに呂布と司馬懿らの軍勢がいるとは思ってもいなかったようだ。万一の備えとしているだけだったのか? 袁紹軍の対策は周到なのか粗雑なのか判断が難しい。

 いずれにしろ動きは鈍い。司馬懿は右を指した。

「回避を。右からすり抜けて本陣へ!」

 呂布はうなずく代わりに馬体を傾けた。身体が吹き飛ぶような力の巡りを感じながらも、司馬懿は敵本陣から目を離さなかった。火はより強まり始めている。そしてにわかに騒乱が起きているようだった。敵が割れたのだ。寝返り、あるいは反乱が起こったと考える他ない。そこに李岳が絡んでいないと考える方が、非合理的だと司馬懿は思った。

 備えの二万は突如現れた騎馬隊に動揺し、さらに本隊に起きた混乱をどう判断すべきか定まらず、急ぎ守りを固めるという選択を取ったようだ。この状態で本隊に戻れば混乱は大きくなるので愚かな判断とは言えない。だが同時にその判断は呂布と司馬懿には有利に働いた。

 突如の事変の空隙を穿つ矢のように、騎馬隊は鋭さを増す。

 本隊に差し迫った頃、さすがに異変を察知した前方に立ちふさがってきた。内応に対して外からの攻撃を予測して動くとは悪くない判断である。数は三千といったところだろう。

 呂布が問う。

「どうする?」

 司馬懿は叫ぶ。

「力を示せ! 押し通られよ!」

 呂布は獰猛な笑みを浮かべて方天画戟を振り上げる。振り下ろした時、すでに立ちはだかる者はいなかった。

 騎馬隊は守兵と柵を薙ぎ倒し、陣中に踊り込んだ。陣は外から見る以上の混乱の坩堝であった。

「まずは謀反を起こした兵に合流いたしましょう。真っ直ぐ向かえば最短距離のはず」

「違う」

「えっ?」

「こっち」

 まるで不思議な力が働いたように、導きに従うように呂布は一点を目指して駆け始めた。火を飛び兵を斬り、司馬懿の疑問にも耳さえ貸さずに呂布は行く。やがて司馬懿にも前方に人影が見えてきた。炎を背にした影絵の兵が、ただ一人で複数の敵に対峙しているように見えた。

 呂布は馬上からためらわずに宙を舞うとその只中に躍り出た。戟を一振りすれば人が舞う。全員を蹴散らすことなど訳なかった。

 満身創痍の人だけが残り、肩で息をする彼の前に呂布は立つ。

「何度でも」

 身近な人だけにわかる声の震えだった。

「何度でも、迎えに来るから」

 (ほむら)踊る戦場の夜――抱きしめ合う二つの影を、司馬懿はただ取り残された馬上で見つめているしかなかった。




張郃が三回死んで何が悪いってんだい?
あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。今年で完結できたらいいね…
白蓮さんは放っておけば磐河で死んでた、田疇が(書が)なぜ意味もなく2万の兵を後背に置いたか、誰の記憶にも残らない地味な伏線(小ネタ)を回収しました。


全然関係ない話ですけど、今回の話を書く時のbgmがずっと「董卓討つべし(byおもしろ三国志)」でした。
董卓討つべし! 董卓討つべし!(でも俺の目が黒いうちは討たせない

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