真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第百三十八話 潼関の戦い

 一万五千の援軍が到着するとの知らせを受けたのは、夏も終わり秋に差し掛かろうという頃だった。

 これで兵力はなんとか三万を超えることになる。李岳が追加で派遣してくれた張遼、高順、徐庶、楊奉、徐晃たちの兵力を合算してようやくである。荊州再平定が速やかになされたためその余剰兵力を回してもらった、という形だが寡兵であることに変わりはない。荊州の豪族がいつ何時再反乱を起こすかわかったものではないので抑えは必要である。がら空きにするわけには行かないのだ。

 赫昭は援軍の到着を城門の楼台で待った。張の旗が先頭で揺れている。羽織を風に翻しながら先頭を走る長髪が見えたところで赫昭は開門を命じた。

「相変わらず用心深いやっちゃでほんま」

「そう言うな」

 張遼の姿が見えるまで門を固く閉じていたことを張遼は皮肉っているのだ。偽報を用いた敵の罠を疑った赫昭にやれやれと肩をすくめる。

「まぁさすがは『盾』っちゅー感じやけどな」

「褒め言葉として受け取っておくよ……『槍』」

 何が嬉しいのか、にっしっしー、と笑うと張遼はデレデレと赫昭の肩を小突く。

 間を置かずに張遼の後から姿を現したのは高順と徐庶。赫昭はじゃれつく張遼を押しのけて拱手し出迎えた。

「お久しぶりです桂様、それに珠悠も」

「お久しぶりです、沙羅様!」

 徐庶が元気に返礼する。高順は少し呆れたようにため息を吐く。

「久しいな沙羅。だがそうかしこまるな、やりにくい。お前が先任で指揮官なのだ」

「はっ。いえ、ですが……いえ、そうですね。ですが個人的な敬意は別です」

「相変わらずだな貴様も」

 二人は祀水関の戦いの後で真名を交わしていた。真名の交換を高順から言い出してくれたことを赫昭は内心大きな誇りにしていた。一人の武人としての己を認めてくれたのだと思うことにしていた。

 続いて楊奉、徐晃の姿が見えた。かなりの強行軍できたことはその憔悴ぶりから見て取れる。楊奉と徐晃は息も絶え絶えになりながら挨拶を終えると兵に指示するために戻っていった。

 赫昭はふと周りを見回してから聞いた。

「華雄殿は待機か」

 張遼が大口を開けた。

「詠が止めよった! なにしでかすかわからん、言うてな!」

「……荒れたろう?」

「どえらい剣幕やったで。せやけど詠と月の迫力勝ちやったな。その分っちゅーわけやないけど子飼いの歩兵隊をしごき倒す言うて息巻いとったわ。最強は騎馬隊やのうて重装歩兵であることを証明する、らしいで」

 赫昭は物足りなさと安堵を同時に覚えた。この潼関は李岳が考案した仕掛けをこしらえている。それに敵をはめてしまえるかどうかが肝、繊細な引き際が求められる戦場になる。仮にここに華雄がいて血気横溢し飛び出したとして、赫昭の力量で止められるかというと怪しいところだ。華雄が頼もしい武人であることに変わりはないが、使いどころが難しいことも事実。指揮官の立場になってみて赫昭にはそれが初めてわかった。

 逆に言えば華雄ほどの難物を使いこなしている李岳が指揮官として傑出しすぎているのだ、と赫昭は思う。人を見い出し力を引き出すことに関して李岳は他の者の追随を許さない。李岳自身は謙遜するだろうが、赫昭はその眼力こそが李岳をこの国で最も恐るべき者に押し上げた力の根幹だと確信していた。

「華雄殿には悪いが、冬至様の下でぶつぶつ言いながら暴れてもらう方がいいだろう。私には荷が重い」

「……冬至のことやけどな」

 言いにくそうにする張遼を赫昭は手で止めた。

「話は後で聞こう。こんなところでも茶の一杯くらいは出せる」

 むずがゆそうに頭をかく張遼の手を引いて、赫昭は自室としている部屋に誘った。

 

 ――李岳失踪の知らせは赫昭の元にも届いていた。長安方面へ向かった可能性も捨てきれないためだ。捜索に協力を求める永家の者たちがひっきりなしに赫昭の元に現れては消えていった。

 

 最初に話を聞いた当初赫昭は驚いた。李岳が消えたことにではなく、そのことに全く動揺しなかった自分に驚いたのだ。

 あの人がこんなところで死ぬはずがない、という漠然とだが確固たる自信もあった。そしてあの男の考えをすべて推し量れるはずもない、という線引きも働いた。

 何より自分には打ち込むべき仕事がある。考えることは自分の仕事ではない。いかに洛陽を守り長安を奪還するか。

 自分を信じて任せてくれた李岳の言葉がある――懸命に任務に就いている限り、彼は隣にいると思うことが出来た。

「続報があるのです」

 徐庶が言う。赫昭ははっとして耳をそばだてた。

「どうやら幽州にいる、ということで洛陽では結論づけました」

「確かか?」

「あの張燕と如月が太鼓判を押したんや、それに……恋もな」

 徐庶を遮って言う張遼の言葉に、呂布の無表情ながら切ない横顔が脳裏に浮かんだ。

「せやから実はここに来る前、恋と如月だけでも冀州に送り込もういうて、へ〜んな戦いしてきたわ。曹操と組んで」

 さすがに武人である、張遼と高順が語る自らを囮にして敢行した河水の渡河作戦についての説明はとてもわかりやすかった。

 公孫賛が幽州から冀州に雪崩れ込んだことまでは赫昭も知っていた。しかしそれが李岳の手引きだとはさすがに想像の埒外だった。赫昭は身震いして茶を口にした。あの人の隣にいないのがなぜこんなにも悔しいのだろう? きっと隣にいる者たちは、先を読む力、そして自らを信じてくれるあの眼差しを前にして震えているに違いないのだ。

 悔しさを飲み込むように赫昭は茶を嚥下した。

「しかし幽州の公孫賛の元に、ですか。いかにもらしいといえばらしいけれど」

「らしいって沙羅、あんたなぁ。どんだけとんでもないことを冬至がやらかした思てんねん! 自分の立場っちゅーもんをなぁんもわかっとらん」

「霞、お前そんなに真面目だったのか」

「……へっ? あれ?」

「そうか、冬至様がそんなに心配か……お前も思っていたより乙女だな」

 へっ? へっ? いやちゃうんねん! と慌てる張遼が面白くて赫昭は笑った。李岳は本当にすごい。姿を消すだけで張遼をこんなにもまともにしてしまうのだから。

「さ、沙羅かて心配ちゃうんかい!? なぁんか平気なふりしよってからに!」

「ああ、だって冬至様だからな」

「どういう意味や」

「きっとどこかで悪巧みをしているに違いない、と」

 張遼が腹を抱えて笑い、徐庶がうんうんと頷き、高順が珍しく困ったように頭を傾げた。

「愚息が迷惑をかける」

「義妹としても陳謝いたします……」

「ほんまやであんたら! ……ってね、言うてまいますけど桂様。おかんとしてはどないですのん? 帰ってきたらシバキ入れたりますか」

「それについて私は立場がないからな。消息を絶ってしまったのは私が先だ」

 懐かしい話を持ち出してきた。高順は丁原という名であった頃、勅命を受けて宦官の蹇碩を討った。その時負った怪我が元で長らく戻ってくることが出来なかった。

 確かにあれも失踪といえば失踪だろう。つまりはこの親にしてあの子あり、ということを高順は言いたかったのだと見える。

「母上が帰ってきたのですから、長子が帰ってくるのも道理というものです」

 徐庶が言うと高順は――丁原は小さく頷いた。

 茶のおかわりを入れながら赫昭は自分の中の確信を何度も確かめた。信じていることに揺らぎはない。だから勝利への確信も微塵も傷つかない。

 しかしこの潼関は洛陽から遙か遠い。赫昭は李岳の情報を、乾きに苦しんでいたように求めていたことに気づいた。茶ごときで乾きはしないものだ。

「冀州戦線の勝算はあるのでしょうか」

「五分、は言いすぎだろうな」

 高順は不利だと読んでいる。張遼は悔しそうに口を結んだ。

「ウチらもそのまま冀州に突っ込めればよかったんやけどなぁ!」

「そうなると騎馬隊の半数は失ってたな。得をするのは誰だ?」

「……もちろん袁紹と、曹操でしょうね」

 赫昭が答えると張遼はいよいよ口を尖らせた。

「わぁかっとりますぁ! せやけどもぉ、悔しいですやん? 結局あの戦場も曹操に任せなあかんかったし」

「だからここに来れたのだろう」

「さいでした」

 河水で任務を果たしたあと、そのまま洛陽に駆け戻り徐晃らと合流、そのまま長安に駆けてきたようである。無茶な道程だがそれを成し遂げてしまうのがこの張遼と高順、そして李岳が鍛えた騎馬隊なのだった。

「そういえば一人紹介しなければな」

 高順が戸の向こうに声をかけると、しずしずと一人の女性が入室してきた。

 藤色の流れるようなつややかな長髪、豊満な胸、潤んだ瞳がいずれも艶めかしい色気をたたえている。だが瞳の強さにはどこか一本気な気っ風も見て取れた。女が拱手したので赫昭も立ち上がり礼をした。

「姓は黄、名は忠と申します」

「赫昭です」

 兵は率いていないこと、荊州からの降将であることを黄忠は述べた。

 赫昭ももちろんその名は知っていた。反董卓連合軍に参加し、南から攻め寄せて来た荊州軍の一角を担っていた将である。陽人の戦いで一度、そして荊州攻略戦で合わせて二度李岳に打ち破られた。二度目の敗北で帰順を誓ったということなのだろう。その弓の腕は大陸随一とも聞いている。

「ここに帯同されたということは、何か任があってのことでしょうか」

 赫昭の言葉には高順が答えた。

「ああ。敵将厳顔とは旧知の仲とのことだ」

「厳顔と」

「ええ……真名も交わしていますわ。お役に立てると思います」

「……いざというときは降伏に応じると?」

「いえ、討つならばこの手で、と思いやってきました。皇甫嵩将軍の分まで荷を負ってきたつもりでいます」

 赫昭の所属は第二軍団の将である。第二軍団の長は皇甫嵩であり、旧友である朱儁を討たれたことに対する思いは人一倍強いだろう。だがここは李岳の策に従って自らは弘農に控え、前線を赫昭に任せた。怨恨の情が人の目をくらませることは、李岳自身がそれを用いて孫策を仕留めたことを考えると当然のことだった。

 その皇甫嵩が後事を任せたのだ、黄忠を信じるには十分だった。

 続いて黄忠は厳顔の情報について述べ始めた。それは鍾繇と張既が朱儁の元で得てきた情報をさらに補足するものだった。益州が打倒長安のために秘密裡に作り上げた兵器・轟天砲。

「……打つ手はあるのでしょうか?」

 心配そうな黄忠に赫昭は肩をすくめた。

「冬至様より既に対策は授かっています。何ほどのこともない、ということを今の話を聞いたらより一層思えてきました」

 赫昭の言葉に黄忠は少し寂しそうに笑った。

 轟天砲への対策については李岳から指示が来ている。だからわざわざ守りやすい天険の要害である函谷関からこの潼関まで進出してきているのだ。ここの守備を破られれば函谷関まで一気に取られ、弘農まで益州勢力の手中に堕するだろう。そうなれば洛陽はもう目と鼻の先だ。李岳による必中の策。その成功を赫昭は欠片も疑っていない。

 それにこれまでかいくぐってきた死地に比べれば何ほどのこともない、とも思う。

「出来ることは一つ。任された仕事をこなすことだけです。私はここで益州軍を討ち、洛陽と冬至様を守る所存です」

 その静かだが燃えるような言葉に面々は大きく頷いた。寡兵で西部戦線をほとんど独力で維持してきたその貢献を疑う者は一人もいない。指揮権について議論しようという気さえ起きなかった。

「さて、ほなまずはどないする?」

「雲母からは細々と報告が届いている。魔族千年の超絶悪夢の秘法が長安を暗黒で飲み込む、とのことだ」

「うまいこといってるらしい、ということだけはわかりますね」

 徐庶の言葉に、顔面に走った深い刀傷をなでながら高順が小さく笑う。

「ああ。もう少しわかりよければ文句はないのだが」

 李儒の策がはまったということであれば、厳顔らはのこのこと長安からおびき出されたということになる。洛陽にとって一番恐ろしいのは益州勢力が長安を長い目で安定させようと腰を据えてしまうことだった。人の心は移ろいやすい。突如押し寄せてきた益州の人間に長安に住む人々も今は戸惑っているだろうが、やがて民心は安定する。間をおいてしまえば長安奪還に動こうとする洛陽の勢力こそ自らの生活を脅かす敵となってしまうだろう。

 だから内から乱す。悪辣な手法だ。だが同時に効果的であり、そしてもちろん危険な策でもある。益州兵は大した損害もなく長安を落としてしまっている。連戦続きの洛陽の董卓軍に疲弊がないとは言えない。

「せやかて、まだましやけどな」

 張遼のあっけらかんとした言葉に赫昭はうなずいた。

「二十万の敵軍に囲まれたりしてないのだから大丈夫だろう」

「だからこそ敵が気の毒です。あの兄上の性格の悪さをあの程度の兵力で浴びなければいけないのですから……」

「存分に泣いてもらおう。冬至様の嫌な笑顔が楽しみだ」

 李岳は勝つために最善の手を打っている。そして最適な人選を行っている。そのことだけは絶対に間違いがない。

 赫昭は李岳と李儒の策に合わせて整えた己の腹案を述べた。これを叩き台にして徐庶、高順、張遼の意見を交えながら、益州を絡め取る策を練り上げていくことになる。

 中華の大地はどこまでも地続きだ、ここで戦う限り、どこかで戦う李岳はすぐそこにいるのと変わりはないのだと――赫昭は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六万五千。大軍を率いているというのに厳顔の顔は晴れない。

 渭水の流れに沿うようにして東に向かってきた。道程は極めて順調だったといっていい。

 六万の軍勢を率いてきた馬騰が、後詰として長安に二万を残したことが気にかかっている。長安がその気になれば邪魔になった西涼兵を背後から討てる、と邪推したのだろう、それに対する備えだろうということは口に出さなくてもわかった。逆に言えば長安の防備を手薄にしすぎれば西涼の欲を煽ることにもなる。馬騰、馬超、馬岱、馬休、馬鉄などの主だった将はここにいるのだから軽々に動きはしないだろうが、結局純粋な益州兵から連れてきた兵力は二万五千に抑えた。合わせて四万五千。薄氷の同盟であることに変わりはない。

「どうかしましたか桔梗様」

 魏延が居心地悪そうに聞いてきた。いかんいかん、と厳顔は不安が顔を覗かせていたことを戒めた。

「……ああ、お前の指揮が不安でな。腹が痛くなってきた。気分も悪い」

「ちょっと!」

「わはは」

 魏延を適当にはぐらかしながらさて、と厳顔は考える。

 厳顔の抱く気持ち悪さはまるでお膳立てさせられているようなこの状況にあった。率いているのではなく率いることを強いられていると感じている。おびき出されたとはっきり言い切ってもいい。

 赫昭には策がある。それがいつどのようなものか。自分で打ち破れる程度のものなのか。

「戦だのう」

「……まだご気分が?」

「いや、だんだん上向いてきた」

 不貞腐れたような魏延の肩を厳顔は強く叩いた。

 斥候は四六時中出入りしている。赫昭の動きも洛陽からの援軍の動きも掴んでいる。李岳の右腕とも言える騎馬隊の指揮官である張遼、荊州攻略戦で采配を振るったという軍師徐庶。主だったところで警戒すべきはこの二人だろうと思える。そして固く閉ざされた潼関。この潼関と、李岳が誇る精強な騎馬隊が赫昭の切り札というのであれば、勝ち目は依然こちらにある、と厳顔は考える。問題はそれで終わりなのか、他に何かがあるのか、だろう。

 それから厳顔は行軍速度を上げ、二日後には潼関を視野に収めた。

「涼州の荒武者としてはどう思うかね」

 厳顔の問いに馬騰はフンと鼻を鳴らした。

「戦に来たのだから蹴倒すか斬るしかない」

「……まぁ、ああも堂々とされるとな」

 驚いたことに赫昭は籠城を選ばなかった。潼関の手前二里の地点に布陣している。兵数は三万程度だろう。

 倍する相手に堅牢な城にこもる選択肢を捨て、野戦を選択することなど通常ありえない。何より城塞守備にその名を馳せる赫昭が選んだとはとても考えられない。赫昭は苦肉の策として城を捨てたのか、それとも城外でのぶつかり合いを望んだ張遼を抑えきれなかったか?

 しかしその理由は知れたこと、まさに厳顔自身にあることは容易に考えついた。

「……少し派手にやり過ぎたかの?」

 馬車で牽かせている轟天砲を見ながら厳顔は見当をつけた。赫昭は大散関と長安の陥落の顛末についての情報を手に入れたのだろう。どこまで正確かはわからないが、城を一撃で開門させる秘密兵器がある、くらいは当たりをつけているのかもしれない。結果籠城は無駄と悟った、野戦しかないと考え城を出たのだ。

 確かにそれは有効な対策だろうと思う。城門を一撃で破る兵器がある以上、籠城は下策。それを使わせる前に撃破するしかないと考えるのは自然だ。

 だがこちらには関中最強の騎馬隊が揃っていることを赫昭は理解しているのだろうか? そして己等が寡兵であるということを。

 厳顔が何を言うまでもなく、馬超が手勢と共に後方からやってきては大声を上げた。

「先鋒はもらうぞ!」

 馬超が鼻息荒く詰め寄ってくる前に、厳顔は馬騰に顎をしゃくった。

「いちいち止めるつもりはない。好きにやってくれたらよい」

「だ、そうだ。翠、張遼との因縁、ここで断ち切ってこい」

「よっしゃあ! そう来なくっちゃなあ!」

 

  ――馬超は『陽人の戦い』からこちら、深く誇りを傷つけられていた。

 

 己の最強を証明するために参戦した戦いで無様に敗北した。手負いの張遼を倒すこともできず、あわや妹の馬岱を討ち取られかけもした。ほうほうの体で涼州に逃げ帰ったというのが事実だ。涼州に戻った時、馬騰と韓遂、妹たちに無事を労われたことが何よりの屈辱だった。故郷に錦を飾ってこその錦馬超! 命あっての物種と慰められるために戦いに出向いたのではない!

 それから馬超の意識はずっと洛陽に向いていた。最強を証明するために倒すべき敵が明確に定められていた。張遼、呂布、そして李岳。この三人が自分の宿敵なのだ。それまでにさらに強くなるのだ、と。

 再戦の機会がこれほど早く訪れるとは思ってもいなかった。長安出兵と馬騰に告げられた後から期待していた通りにすべての物事が運んでいる。洛陽に向かうこと、宿敵の誰かが立ちはだかってくることが望みだった。

 そして今まさに張遼がいる。汚辱を晴らすことをまた今度と我慢できる器が己にないことを、馬超自身が最もよく理解していた。ごちそうはいつだって最初に平らげたいと思う性質(たち)なのだ。

 

「張遼ぉ!」

「お、聞き覚えのある声やなぁ」

 陣羽織を翻し、いつかの時のようにその女は飄々と笑って眼前に立った。馬超は興奮を抑えようともせずに叫ぶ。 

「……張遼、お前よくここまで来たな!」

「別にアンタに会いに来たわけとちゃうねんけどな」

「呂布はどこだ、呂布は来ていないのか!?」

「あいつぁお留守番や、っていうか……おいおい」

 なんでやねん、と張遼は頬をぽりぽりとかきながら言う。

「なぁんか勘違いしとるようやけど……」

 次の瞬間、酷薄な表情に変貌させて張遼は笑った。

「うちとの格付けは、まだ済んでへんやろがい?」

「あたしは何度やってもお前に勝つぜ」

「いいや、ウチは絶対に負けへん。はっきりした理由もある」

「なんだそれは!」

「んなもん、一個しかあらへんやん――しょんべんくさいアンタとちごて、ウチのがええ女やろ!」

 いくで、と叫んで張遼が駆け出す。一瞬遅れて馬超の愛馬も棹立ちになって駆け始めた。何か途轍もない侮辱を浴びた気がして怒りで血が沸いた。示し合わせたように相互の数千の騎馬隊が列をなして駆け出していく。お転婆な姫のお守りをしようと我先に追っているかのようだ。

 

 ――これが一気に開戦の合図となった。後世に云う『潼関の戦い』であった。

 

 馬騰が声を上げると残る西涼兵たちも動き始めた。それぞれの将が子飼いの騎馬隊を持っており、基本的には独自の判断で動くのが西涼流である。馬騰自身は本陣に構え、馬岱、馬休、馬鉄らがそれぞれ馬超の周囲を固めるように陣構えを整えていく。

 潼関の守備軍も動き始める。徐、高、楊の旗が揺れる。張遼を除けば騎馬隊は高順という将のみのようだ、と厳顔と馬騰は判断する。

 戦場の中央では、張遼と馬超が正面からぶつかり合っていた。

 高速で駆ける騎馬を一切制止せず、ためらうことなく交差した二騎の奏でた剣戟音は、潼関が据えられた谷間ごと打ち鳴らしたように響いた。馬超は手にしびれを覚えながら笑った。前よりも強い! 関羽から受けた傷は完全に治っているようだ。だが自分もあの敗戦を経てからこちら鍛錬を欠かしてはいない、負ける気はしない!

 二度、三度と交差する。双方の騎馬隊も激しく激突し、常を上回る損耗が出始めたが馬超は構わなかった。この張遼さえ斬れば大勢は決するのだから。

 張遼も馬超と同じように戦を楽しんでいるように笑っている。馬超はそれが嬉しかった。自分の力が敵を喜ばせていると感じるのは、武人にしかわからない歪な歓喜だろう。

 しかし張遼はその馬超の喜びに砂をかけた。

「馬超あんたは強い。けどな、それだけやな」

 何かに打たれたように馬超は一度馬足を停めた。

「なんだと、どういう意味だ!」

「錦馬超は確かに強い。せやけど()が為だけの強さや……怖くはないな」

「お前たちは……違うのか。違う強さがあるのかよ」

「せやな、例えばアレを見てみたらどや?」

 張遼が得物である偃月刀で右方を指した。その先には『高』の旗があった。張遼と同道してきた、確か高順という将……

 次の瞬間、馬超はうめき声を上げた。高順の指揮する騎馬隊は、寡兵でありながら涼州兵の陣を次から次へと叩き潰していた。張遼ほど速いわけでも呂布ほど力任せでもない。一本のほつれから布全体をほころばせるような安易さで陣を他愛もなく陥落させている。放っておけば軍全体が崩されてしまうのではないかと思うほどだった。

「な、なんだあれは! あんなの聞いてないぞ!」

「おんなじ手に二度もひっかかりおって。チョロいのぉ」

 馬超は陽人の戦いを思い出した。あのときは張遼は己を囮にして呂布を存分に暴れさせる作戦を取っていた。

「呂布は来ていないんじゃなかったのか!?」

「それは嘘とちゃう。手強いんはあいつだけちゃうっつーのがミソや……ある意味、恋よりもっともっと恐ろしいお人やで」

 そしてまたいつか見たように、張遼は馬蹄を返すとあっさりと駆け去って行った。張遼を追うか、高順を止めるか。馬超の脳裏にはあわや両断されかけた馬岱の泣き顔が浮かんだ。くそっ、と吐き捨てて高順を目指すべく部隊全体に号令をかける。

(高順だなんて聞いたことがない! イッパツで斬り捨ててもう一度張遼に突っ込んでやる!)

 馬超が先頭でそのまま高順の騎馬隊の横っ腹に食いつこうとした。だが高順の指揮はやはり巧妙で、馬超の突撃を二手に分かれて躱すと気づいた時には先頭同士が接近する形になっていた――高順は馬超との一騎打ちをためらっていないのだ。

 顔面を斜めに走る深い傷跡の将がいた。あれが高順だろう。馬騰と同じ年格好のように見えた。

「錦馬超と見受ける」

 その声は静かに強く、重く響いた。

「おう、あたしが馬超だ! てめえも名乗りやがれ!」

「高順」

 高順は槍の使い手らしい。一瞬で殺す。馬超は意気を上げて十字槍を頭上で回転させ始めた。回転は速さを増して、やがて砂煙を巻き上げながらその軌道を見失わせる。この旋廻槍撃は馬超の奥義の一つである。このまま敵を断ち切ることもできれば、出処の見えない突きで刺し殺すことも出来る、馬超が最も得意とする型の一つである。

「高順……この一撃を受けてみろ!」

 人馬一体の機動から馬超は目を見張るほどの速さで突っ込んだ。油断はない。高順の動きは見えている。十字槍は唸りを上げて高順の左肩目掛けて飛び込んでいった。

「はぁっ!」

「――」

 馬超の一撃は、しかしすんでのところでいなされた。馬超は馬上ですれ違いながら正直に驚いた。最小限の力で技を防がれたのは初めてだった。小賢しい、と思う。しかし手応えもあった。馬首を返して見てみれば、高順が手にしていた槍は柄のところで真っ二つになっていた。

「どうだ! これが錦馬超の力だ!」

「ああ、見事だ。槍の柄くらいは切れるらしい」

 馬超はさらに気を吐く。強がりにしても言葉を選べ! 確かに躱し技は得意のようだが得物は断った。次の一撃が防げるか?

 馬超は今度はまっすぐ突っ込むと十字槍を高速で突いた。高順は馬超が読んだ通り体を傾けて躱しにかかる。かかった。十字槍は押すだけではなく引き斬ることも出来る。引き手で首を飛ばす!

 だがまるで後ろに目でもついているかのように高順は折れた槍を背後に回して十字槍を受けると、さらに馬超の引き手に合わせて馬体ごとぶつけてきた。(たい)を崩され地に投げ出された馬超はとんぼを切って着地する。構えを取って備えたが追撃はない。前を見ると高順も下馬していた。地上の斬り合いなら分があると見たか? 馬超の血がさらに熱くなる。甘い! 槍は潰したのだ。得物を失ってこの馬孟起の攻めを受けきれるか。

 だが闘志と裏腹に馬超は身震いした。高順が腰の剣を抜いて構えたのである。水晶のように透き通った見事な刀身の剣。高順がそれを構えた途端に馬超は呂布と向き合った時を彷彿とした。

「……高順、お前。剣が本当に得意な武器か」

「覚えがある程度、だがな」

 馬超は槍の頭を寝かせて石突を立てた。重心は後ろで手の力は抜く。この構えから最速で下段から切り上げる。馬超は冷静さを取り戻していた。これこそ剣に相対した時の十字槍最良の構えである。十字槍の下段からの跳ね上げに対し、剣を持つ側は受け間違えば脛は断たれ、押し切られば腹が割かれる。そして止めたところで槍を回転させれば剣を巻き上げ跳ね飛ばすことが出来るという寸法だ。

 対する高順の構えはどこまでも静かだった。正眼のまま腰を落としている。湖面に向き合っているような錯覚を馬超は覚えた。馬超は燃えた。水なら水を斬るまでだ。斬れないならば火になるまでだ。西涼の大地で鍛え上げた灼熱の槍、沸騰させるには十分な熱だと味わって思い知るがいい。

 馬超は踏み込み槍を跳ね上げた。つむじのように十字槍の諸刃がきりもみ二重の螺旋を描く。しかし高順は合わせた。槍に合わせて巻き取るように剣を回転させ受け流したのだ。頼りない手応えで槍が天に突き上げられる。気づいた時には馬超と高順の位置は入れ替わっていた。馬超は初めて汗をかき、大きく息を吐いた。脇腹に手を当てた。斬られていた。飾り布がはらりと垂れ下がり、身につけていた鎧の下地が露出している。

「お前……!」

「浅かったか。だが次はないぞ」

 間合い一つ分だけ助かった。そうでなければあの透明な剣は透き通るようにこの胴を両断していたに違いない。長尺の有利が命を救った。

「ふぅ――」

 大きく息を吐いて馬超は再び同じ構えを取った。先程よりさらに重心を落として軽い手触りで槍を握る。脇腹にしびれるような痛みがあるが、心地よいくらいだ。大丈夫だ、と自分に声をかけた。闘志はあるが冷静だ。高順は強い。間合いで勝っていることを卑怯だと思うな、それぞれが得意な武器を選んでいるに過ぎない。次は斬る。高順と出会ったことで、自分はもっと大きな力を出せる。

 馬超の攻めを受け流して隙を作り斬る。高順の戦法を馬超がそう読んだ時、既に高順は間合いを詰めていた。まるで思考の空白を見知っていたように狙い澄ました静かな接近だった。光が横薙ぎに走る。馬超は十字槍を寝かせて受けたが、光は重ねて走った。飛び退(すさ)りながら防戦に徹する馬超に、貼り付いたように間合いを手放さない高順。

「くそっ!」

「錦馬超、まだ青いな」

 思惑を外された馬超が苛立ったように逆襲の突きを放つ。後退から前進へと跳ね跳んだその速さはそれだけで敵の意表を突く必殺の挙動である。高順の剣が陽光を照り返して逆袈裟に走った。

 甲高い金属音がやがて静まった時、初手と同じように二人の位置は交差していた。異なることはただ一つ。馬超の持つ十字槍から白銀の刃が失われ、両者の間に突き刺さっていたことであった。

 

 ――師である蹇碩から受け継ぎ、息子李岳に伝えた撃剣。そのうちでも奥義の一つである筒を舐め回すように剣を滑らせ寸断する絶技、蜉蝣回し。

 

 まるで勝敗が決したことを知らせるように銅鑼が鳴らされた。馬騰、赫昭両陣営から同時であった。高順は馬超の方を一度だけ見やり、何一つ惜しむことなく騎乗し馬首を返して行った。

 馬超は断たれた穂先を拾うこともなく、ただの柄だけとなった槍を構えたまま微動だにできなかった。




旋廻槍撃は格闘ゲーム『恋姫†演武 』の馬超(翠)の技です。
自分は呂布(恋)使いです。クソよわで毎回泣かされてます。

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