真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第百五十二話 白秋の陽炎

 豪雨の後の強い風。それを感じた時、曹操は秋が来たことを悟った。

 瞬く間に過ぎ去った夏。李岳を倒すためだけに全てを捧げた。時というものに鍬を入れて耕したという、妙な感覚がある。そしてその刈り入れのための秋が来た。李岳を倒す――いや、超えるのだ、と曹操は大げさに首を振って考えをあらためた。ここには絶影と二人きり。先程からの粗野な仕草を見咎める者など誰もいない。

 姓は李、名は岳。字は信達。生涯の敵でありながら、曹操が最も信望を置く男。

 初めは嫌悪感だった。気に食わない男。それが李岳に抱いた最初の感情だった。

 次は憎悪に違い敵愾心。自らの覇道に立ち塞がる障害物として明確に認識し、打倒を決心した。

 それが今は敬意を含む不思議な感情に取って代わっていた。彼を超えたい、と思う。李岳との戦いは歴史を作る共同作業なのだとすら思う。傲慢だろうか? いや、いつかの自分に比べれば謙虚にも程があるだろう――生ぬるさの面影を残す風の中、絶影にまたがったまま曹操は想いを巡らせた。

 曹操は持てる全ての力を使って挑むと決めた。空前の大戦になるだろう。それはもはや相互の感情を超えたものである。もっと言うならば占われるのは今この時代の趨勢ですらない。百年先の未来さえ決めうる戦いなのだ。

 李岳の示す法で強く権力を規制する政の府か、曹操が目指す時代の強者による先導か……維持か改革か。

「我が心、海闊天空」

 世界を賭けて戦う覚悟を得た今、曹操はどこまでも自由であった。空を飛ぶ鳥や水を泳ぐ魚と同じように、時代を行く者は何かに縛られることはない。

 やがて馬蹄の音に気づいて振り返れば朱塗りされた鎧の軍勢が迫ってきていた。呉の孫権。百騎程度の供廻りで移動してくるのは信頼の表明か、自信の表れか。胆力があるのは確かだった。束の間の遠乗りを切り上げ、下邳城に戻って曹操は幕僚の全員を招集した。

 

 ――孫権は周瑜の他に甘寧、周泰という女武将も引き連れていた。夏侯惇と夏侯淵が警戒を解かずに控えている様子を見るに、相当の手練であることは間違いなさそうであった。

 

「よく来たわね孫権」

「曹操」

 腰まで流れる長い薄紫紺の髪に、よく日に焼けているがつややかな肌。会うのはもちろん初めてではない。李岳との戦に備えた新兵器、新戦術の考案と試験の現場で何度も顔を合わせている。だがこの最後の意思決定の場で向き合うとこれまでにない感慨が浮かんできた。

 孫策と同じ色だ、と曹操はふと昔のことを思い出す。犬歯を剥いて獰猛に微笑む江東の虎。あまりにも早くに翼を得てしまった英雄。 

 似ているが似ていない。ふと口を出かけた言葉を曹操は飲み込んだ。孫権はきっと侮辱と受け取るだろう。

 挨拶もそこそこに曹操は議場に案内した。対李岳のための同盟である。茶飲み話をするために集まったわけではない。

「まずはっきりさせておきたいことがある」

 周瑜が着座もせずに開口一番に言った。

「軍の指揮権について、我が孫権軍はそれを明け渡すつもりはない。あくまで作戦を同じくして共同歩調は取るが、最終的な決定権まで渡すつもりはない」

「それでいいわ」

 さぁ、と曹操は椅子を勧めたが周瑜も孫権も怪訝な表情のまままごまごしている。

「……」

「貴方たちが何を心配しているかはわかっているつもりよ。それについて言い争う気はない。時が惜しいわ」

「……曹操、我々は」

「やめなさい冥琳――時が惜しいのはこちらも同じ。始めよう」

 言葉を続けようとする周瑜を諌め、孫権がまずは腰を下ろした。それを見て孫権の幕僚たちもそれに続く。やはり、王者の風格。孫権は間違いなく孫策の妹であった。

 曹操は思う。李岳を前にして指揮権がどうだと争う余地など微塵もない。油断すれば陣を抜かれ、過てば背後にいる。あわやと思った時には首と胴が離れているだろう。気を揉まなくても必死になる。まとまらなければ、所詮死ぬだけだ。

「李岳の恐ろしさは」

 孫権初め呉の陣営は気にも留めなかったが、曹操の幕僚たちは目を剥いた。曹操が誰かを恐れるなど、ましてやそれを口に出すことなどこれまで一度もなかったことだ。

「あの男の恐ろしさは、未来を読むところにある」

「未来を読む? ハッ! 曹孟徳殿はいつから邪教の信奉者となられた?」

 周瑜の言葉に曹操は肩をすくめる。

「下手な比喩であることは自覚しているわ。けれどそうとしか思えないことが多々ある。そう思わせるに足る情報力なのか、洞察力なのか……この表現について馬鹿だと笑う気持ちは理解するが、議論するつもりもない。敵が神であれ戦う理由があるのならば挑み、そして勝つ。その覚悟がないのであれば退いた方が良いと思う――これは全員に向けた言葉よ。去るのであれば今だ」

 曹操は時の中を行く者の言葉を言った。答えられる者は、同じく次元を歩ける者に限られるのは道理だった。

 孫権は何の迷いもなく言った。

「曹操殿。私は神殺しの物語に参与したつもりはない。李岳は人であり、私の姉の仇にあたる。それだけよ」

「議論はしないと言った。だからその気持ちに異を挟むつもりもないわ」

「では――以後、蓮華と。議論は無用なのでしょう、ならば真名を受けるべきだわ」

 周瑜に甘寧、周泰だけではなく、荀彧までも驚いていた。平然と受け止めたのは曹操と、そして孫権自身だけだろう。

「華琳よ」

「冥琳に聞いたのだけれど……貴方は姉上とも真名を交わしていたと。であるならば妹の私が惜しむわけもなく」

「……雪連はまさしく英雄だったわ」

 曹操は孫権の頬に右手を伸ばした。手の平で左の頬、手の甲で右の頬と順に触れる。孫策の面影と、恐らく母である孫堅の面影もある。だが孫権でもあった。曹操は、少し悋気を覚えた。なぜ彼女らが『孫呉』と呼び倣うのかわかった気がした。

「蓮華。私たちが李岳に勝てるかはわからない。しかし李岳を倒す者がいるのなら、それは私たちを措いて他にはないはずよ」

「ええ。そして私は長江流域の全てを手に入れる」

「それだけ?」

「え?」

「思い出したのだけれど、雪連は李岳の子種を欲していたわ。倒して、またがってやると豪語していた。てっきり貴方もそうかと」

「なっ!? ねっ、姉様ったら!」

「あら、色恋に関しては初心(うぶ)なご様子ね」

 顔を真っ赤にした孫権に笑い、さぁ始めましょうかと曹操は笑った。運命に挑むにはこれ以上ない同盟だろうと、なぜか心から思えた。

 曹操の目配せを察し、荀彧が前に立つ。頬をこけさせ、目の下に濃い隈を浮かべているが爛々と光る瞳には闘志が漲っている。ある種、病的なまでのものを感じさせた。

「野戦です」

 李岳を破る策を講じよ――曹操が命じた指示への回答であった。

「李岳を破る唯一の方法……それは野戦でございます」

 繰り返した荀彧に、唖然とした様子の周瑜が反論を試みた。

「……だが、李岳軍は野戦を得手としているだろう。あの騎馬隊の威力を知らないとは言わせんぞ」

「勘違いなのよ」

「なに?」

「騎馬隊の強さは李岳軍の強さの本質ではない」

 荀彧は卓の下から何束もの竹簡を取り出しては広げ始めた。いずれにもわかりやすく題目が書かれていた。対匈奴戦、反董卓連合戦、荊州攻略戦、袁紹討伐戦……荀彧による膨大なまでの研究成果である。

「李岳軍の恐ろしさは直接的な打撃力ではない。戦略的な機動力にあるの。いずれの場合も敵方の急所を騎馬隊の高速機動で急襲して勝利を収めているわ……被害を最小限に、短期で、敵将を討つことを第一優先としている」

「冥琳が言ったことと何が違うのかわからない」

 孫権が少し苛立ったように聞いた。

「いずれも野戦であり、騎馬隊の力を頼んでいる」

 荀彧はにべもなく首を振った。

「李岳にとって正面からの衝突は決して望む内容ではないの。もう少し厳密に言うならば、野戦のうちでも会戦――彼我両軍が互いに正面から激突する局面を李岳は避けている。李岳軍……いえ、李岳はできれば大規模会戦を避けたいと考えている」

「だが荊州の劉表軍には野戦で破っているではないか。見事な手並みに見える」

「周瑜、それは弱兵だからよ」

「そうかもしれんが……にわかには……」

「根拠もあるわ」

 将らから主である曹操に向き直ると、荀彧は頭を下げながら言った。

「証明したのは我々です。華琳様」

「反董卓連合戦での撤退ね」

 曹操の明察に拱手し敬意を表する荀彧。

 

 ――反董卓連合戦において、匈奴を呼び寄せた李岳は十万を超える騎馬隊を率いて追撃戦を演じ、曹操軍を散々に撃破した。李岳からすれば大勝利であり、曹操から見れば膨大な被害を出した敗戦であったが、荀彧はそこに間隙を見出したと言う。

 

「まさに華琳様の仰せの通りです。我々が苦汁をなめたあの反董卓連合戦の最後の局面……我々を追い詰めた李岳の決断にこそ、あの男の根本とも言えるものが隠れているのです」

「李岳は突撃をためらった」

「いかにも! 李岳は、自軍の損耗に耐えられないのです!」

 

 ――瞬間、曹操の胸に去来したのは寂しげに笑う李岳の横顔だった。淡雪で湿った前髪。手にした酒杯にしたたる雫。それは酸棗の冬。

 

 人を死なせたくないという人として当たり前の心を弱点と呼ぶ我々が救われることなどあるのだろうか。その曹操の疑念を振り払うように荀彧は叫ぶ。

「会戦を興すのです……大会戦を! まずは広く南北離れた数カ所で同時に戦闘を展開し、李岳本人を戦場に引きずり出します! 伏兵も奇襲もなき原野での会戦を催し、正面から勝利するのです! 李岳軍と我が軍を比べて確実に優れている一点に賭けるのです……すなわち、将帥の差です! 華琳様の臨機応変の才覚をもってすればこそ、李岳を正面より打倒できるのです!」

 異論は出なかった。まるで血を吐くような荀彧の叫びを遮ることは道理に反することかのようだった。

 

 

 

 

 深夜、曹操は寝付けぬままに月を求めて欄干に出た。

 涼風吹き抜ける初秋の闇で待っていたのは程昱だった。まるで曹操がこの時刻に目を覚ませ、ここに出てくることを知っていたかのようだった。だが曹操はもう程昱のこのような振る舞いに驚くことはなくなっていた。

 とはいえスヤスヤと眠っているのではあるが。

「起きなさい、風」

「……ふふぇ? ああぁ……華琳様、おはようございますぅ」

「戻っていたのね」

「ふぁい、先程ですがぁ」

 程昱の主な任務は防諜である。すなわち李岳が率いる永家の者たちへの対処なのであるが、端的に言えば全てを防ぐことは不可能だった。それほどに力の差がある。ゆえに程昱の打ち立てた方針は与える情報の取捨選択であった。与えても構わない情報や後で操作できるものは時機を見ながら与える。しかし死守すべき情報は何としてでも守り抜く――曹操に全てを打ち明けることはないが、これもまた時に血生臭い死闘を伴う。

 そして敵情入手ももちろん主任務の一つであった。程昱はその風貌から疑われることも少なく、度々洛陽に出入りしている。

「洛陽の様子は?」

「李岳さんは上手くまとめられましたねぇ。出師表なるものを奏上して、国家一致団結を訴え出てましたが、涙ちょちょぎれる美文でございましたよぉ」

 おいおいおい、と涙を流すふりをする程昱と『下手な泣き真似だな』と茶化す頭上に据えた人形の宝譿。曹操は程昱と宝譿の頭を順番に撫でてから報告の続きを求めた。

「軍備は順調のようですね、ただし糧秣がいかにも苦しいです。まぁいつも苦労してらっしゃいますがぁ……もし風が李岳さんの兵糧調達を担当するとしたら、きっと二日で逃げ出しています〜。陳宮さんはよくやっていますね〜」

 補給は李岳にとって最大の弱点と言えた。その弱点を突くのであればあえて攻めさせるという誘引の計も選択の候補に上がるが、先手を譲るという点は端的に不愉快である。

「治安についてはどうかしら」

「だいぶ苦労なさっているようですよ〜。栄陽付近では叛乱必至と噂されていますねぇ……洛陽から目と鼻の先なんですから、いざとなれば鎮圧の目処は立たないでしょうねぇ」

「そう。今頃必死ね」

 曹操は他人事のように言った。黄巾の者たちを受け入れた李岳だったが、劉虞を処断した彼に人々は決して従順にはならない。また移住先の住民の反発も強く、対立が先鋭化し始めているという。土地の民は黄巾を巻いていた者たちを侮蔑し、黄巾の者たちはそれに強く抵抗する。そして李岳はその双方から否定的な評価を受けている。

 洛陽周辺は過てば一挙に崩落しそうな危うい岩盤の積み重ねの上にあるかのようだった。

 そして李岳は、その叛乱を強く押さえ込むことは出来ないだろう。

 李岳は権力を毛嫌いしているとしか思えない。曹操にはそれが理解できなかった。優れた者が巨大な権力を得てこそ世は正しい方向に進む。おためごかしのように力に制限をかけるなど愚の骨頂。求めるに足る報酬を得ることの何が悪だというのか。腐敗したのなら取り除かれれば良い。戦う覚悟のある者だけが闘争に臨めば良い。

 それでこそ本当に弱き者を守ることに繋がるのだと曹操は考える。

 しかしどちらが正解などということはないのだろう。両者の思想に正解はない。結局どう運用するかの問題であり、次代の保証など出来ない。生き様の問題。魂の葛藤としか言いようがない。

「だから戦うのね、私たちは」

 曹操は息が吸えなくなるほど勝利を欲し、同時に喉が乾いてひりつくほどに敗北も望んでいた。不思議な心境だったが、やることははっきりしていた。時代の結末を望んでいる。そのためなら全てを賭すことが出来るだろう。仲間の命でさえ。

 気づくともう目の前に程昱はいなかった。曹操は少しの間だけ星をながめ、やがて寝た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洛陽城内の北西の一角に白い塔がある。

 それはしばらく前に落成した、戦に殉じた兵を祀る慰霊碑であった。

 帝の(びょう)には劣るとはいえ壮麗な意匠が故人と遺族を慰める。静かに、時には少し騒がしい参列が途切れる日はない。

 建立以来、李岳も許される限りここに足を運ぶようになった。誰かを伴うことなどほとんどないので素性を見抜かれたことはない。一人立ち尽くす李岳を哀れんで――身内を亡くして途方に暮れていると思ったのだろう――声をかける者さえいた。

 出師表の奏上と同時にこの慰霊碑に参るのはどうかという案もあったが李岳はそれを厳しく戒めた。慰霊碑は死んだ者を慰めるためにあるのであり、戦意を鼓舞するために持ち出されては決してならない。ここにあるのはあくまで悲劇であり、英雄譚であってはならないのだと。

 その点、この白亜の塔はあまりにも美しい。不当に美しすぎるほどだった。

 一人でも多く兵を生きて帰す。兵を率いる将からその覚悟が微塵たりとも損なわれてはならないと、そのとき李岳は自らにも言い聞かせるように繰り返した。

「ここにいらっしゃいましたか」

「……如月か」

「はい」

 李岳は振り向かずに言った。背後から伸びる影が李岳の膝のあたりに頭を寄せている。 

「来たか?」

「はい。おそらく確定と存じます。今は続報を待っております」

「みんなは?」

「今しばらくかと」

 それきり黙った李岳に司馬懿は焦れたように言った。

「行かれますか?」

「いや」

 李岳の目は白の尖塔に向いたままだった。

 躊躇ったわけでも疎んだわけでもない。ただ足が動かなかった。そこに縫い付けられたように李岳の足は一寸たりとも地から離れようとはしなかった。

 李岳は苦笑いを浮かべながら言った。

「もう少しここにいたいんだ。続報を待とう。それにみんなも」

「……かしこまりました。それではお(やしき)でお待ちしております」

 言葉の潔さとは裏腹に、李岳の膝元にいた影は後ろ髪引かれるように何度も躊躇いながらやがて離れていった。

 司馬懿がいくつかの言葉を飲み込み、言い淀んでいた理由が李岳にはよくわかった。

 洛陽は平穏だがその周囲では不穏な空気が流れている。叛乱の気配である――それも李岳に対する叛乱だった。

 冀州での劉虞処断を決行したことが今もまだ尾を引いているのだ。黄巾に従っていた者たちの反発は予想を超えた激烈さを伴い、李岳を声高に否定し始めた。

 あの決断について李岳に後悔はない。ああしなければ劉虞への信仰が消えることはなかったろう。今その信心の熱が全て李岳への憎悪に変わっているということになる。張角ら三姉妹たちも事を穏便に収めようと奔走しているが、黄巾の者たちの怒りは冷めそうもない。それは生活が安定しないことも一因だった。国庫から補助を増やしてはいるものの十分とは言えず、戦を前に税を極端に軽くも出来ない。黄巾の民たちが李岳という存在を悪鬼羅刹になぞらえ語っているらしいということを聞いた時、李岳は笑いながら同意を示した――その鬼はきっと血も涙もなかろう、と。

 そして黄巾とは関わりのない民たちもまた、帝に直訴してまで戦を企てようとしているとして非難を強めていた。戦がなくなってしまえば己の権力を失ってしまうと恐れた李岳は、争う必要もないのに曹操と孫権を攻撃しようとしている――そのような不自然なまでの悪評が出回っている背景には、恐らく曹操の情報工作もあるだろうが。

 しかしそのどちらの反応も李岳自身が納得ずくのものであった。劉虞処断の恨みが己だけに集まることも、平和を求める民の訴えが地を覆うことも李岳の願うところなのである。

 全てのことに納得している。ただ少し寂しく、前に踏み出す足がひどく重いだけ。

 

 ――何もかもわかっている。先の歴史を知るという他の誰にもない有利はもはや形骸と化しているというのに、戦う理由だけがなくならない。最強の敵を討つためにそれでも剣を取らなければならない。もはや人一人分の視野しかないただの男が、手探りの中で前に進むことを恐れるのは当たり前のことなのだ。わかっていることはただ一つ。ここで立ち止まることだけは許されないということ。

 

 やがて夕暮れが塔を染め上げ、空が藍色の気配を漂わせはじめた頃、再び人影が李岳に寄り添った。

 その人は何一つ言葉を発さず、ただ李岳の隣に立ち尽くすだけだった。

 ゆえに、李岳は声をかけることが出来た。

「涼しくなってきたね、恋。もう夏も終わりだな」

「うん」

 呂布はいつも極端に短い。けれど李岳はそれで満ち足りた。深みを増していく青、そして黒。影はやがて李岳のそれと溶け合うように消え去り、灯された焔に煽られる陽炎として再び立ち現れ寄り添う。

 李岳が振り返ると、いつものように優しい無表情のままの呂布がそこにいてくれた。

「行こうか」

「もういい?」

「ああ、いいんだ」

 縫い付けられていた足はほどかれ、戒めから解き放たれた李岳はようやく歩き出すことが出来た。呂布の手を握りながら夜道を戻る。優しく、弱々しい力を込めて呂布が握り返してくる。その儚さが、李岳の闘志に火をつけた。

 いざ望まぬ戦場へと。再び白き塔を立てるために。

 

 

 

 

 

 

 

 




世の中がウィルスで大変なことになっている中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
まさかこんな世相になるとは予想もしていませんでしたんで、毎日驚いています。
どうか万全のご注意と、そしてどうぞご自愛ください。
この作品がステイホームの一助になればと思います(テレワークをいいことに物書きしながら)

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