真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第百五十六話 開戦

 予期したように快晴であった。

 全軍を率い、曹操は平野を進んだ。およそ三里先に李岳軍が布陣を済ませている。土煙が異常に多く見えるのは騎馬が主体だからだろう。迫、圧とも頬を叩くようだった。

「華琳様、なんだか、その…….ご機嫌ですね」

 典韋に言われて曹操はキョトンとした。

「……どうしてそう思うのかしら」

「えっ。だって先程から、ずっと鼻歌を歌ってらっしゃるじゃないですか」

 無意識だったので曹操は面食らった。フッと笑って気を引き締めた。楽しみであることは確かだ。しかし浮かれているようでは立つ瀬がない。

「流琉、貴女は? 表情が晴れないようだけれど」

 図星を突かれて傷ついたように典韋は表情を曇らせる。

「これから戦うのは……李岳さん、なんですよね」

「怖いの?」

 なじったわけでも責めたわけでもない。典韋にもそれは伝わったようで、躊躇いながらも小さく首肯した。

「少し、怖いです」

「私もよ」

「華琳様も?」

「怖いわ。克服しようとしているだけ」

「そんな、嘘です。だって華琳様なのに」

「本当よ。無茶な作戦ばかり立ててしまったのだもの。だから少し力を分けてくれるかしら」

 馬を寄せ、典韋の頭を撫でた。柔らかい手触り。典韋は照れたように俯いて小さくえへへ、と声を漏らした。

 反董卓連合戦で親友である許褚を失った典韋は、周囲が言葉もかけづらく思えるほどに落ち込んだ。暗く淀んだ、と言っていいかもしれない。姉のように慕っていた夏侯淵からの言葉さえ満足に受け止めないほどだった。

 変化の兆しが見えたのは、酸棗で李岳との会談に立ち会ってからだった。徐々に本来の明るさを取り戻していった。曹操でも出来ないことだった。

 李岳。確かに許褚の仇ではある。だが不思議と恨みを抱かせるような男ではなかった。まさか典韋の心を解きほぐすことになるとは思ってもみなかった。

 その李岳との最終局面において、未だ戸惑いを抱え続けている典韋を、曹操は責める気にもならなかった。己でさえある種の迷いを抱えているのだから。それを何倍も上回る戦意と高揚が同居しているに過ぎない。

 戦いが始まれば惑うこともない。勝利を得れば全ては過去になる。

 それに今、曹操は八万の軍勢を率いている。青州の臧覇に五万、兗州の別働隊に二万を預けていることを考えれば、総勢十五万の大軍といえる。

 いつかこうして大軍を率い、天下の趨勢を決する戦に臨むことを子どもの頃から夢に見ていた。それは(こいねが)うからゆえ夢で見たという(たぐい)ではなく、いずれ必ずそうなるのだという確信のもと、やがて訪れるその時に備えて眠りの中で演習を繰り広げていたという方が正しい。

 そしてとうとうその時が来た。漠然と想定していた敵は、今や李岳という青年の姿かたちとなって眼前にいる――并州、涼州、幽州、そして匈奴の騎馬隊までをも含む最強の機動部隊を率いて。

 夢よりもなお面白いではないか。鼻歌など! 踊り出したい程である。

 

 ――曹操は馬腹を蹴り、心地よい遠乗りに出るように陣を離れた。

 

 原野に揺らめくかすかな陽炎は、草原の雫が日に照らされて起こるものだろう。まるで幻影のように全てをおぼつかなく見せる。今から始まるは血で血を洗う戦である。夢や幻ではないが、しかしまさにそのように消え行く命も無数にあろう。

「華琳様! 華琳様ぁ!」

 荀彧と典韋が慌てて随行してきた。他の兵までついてこようとすることを、曹操は禁じた。前方にも人影が見えたから警護に着こうと言うのだろうが無粋は無用である。

 両軍を隔てる三里ほどの距離の向こう、遠く李岳の姿が見えた。隣にいるのは呂布。後ろにいるのは司馬懿だろうか。

 それはまるであの雪の日の酸棗での会合の続きをやり直すかのようだった。違いは雪が降らないことと、これから降るのは血飛沫だということ。そして酒が酌み交わされることも言葉が交わされることもなく、剣閃のみが交差する。

 曹操は神を信じない。しかし天地の狭間に運命があることは信じる。この巡り合わせに曹操は儀礼の反故を誓った。李岳が己に屈しない時、曹操はこの手で李岳を殺すだろう。誰よりも別れを惜しみ手厚く弔う。曹操は一人そこで涙する。

 そして本人の赦しを得ぬまま李岳の真名を叫ぶのだ。この世界の真理とも言うべき、許しを得ぬまま真名を呼ぶべからずという誓約を墓前で引き裂く。この結末を迎えることしか出来なかったやる瀬なさに全身を震わせて。

 それが曹操に出来る、これ以上ない慚愧と敬意の表し方に他ならないのだから。

 しかしその結末は曹操にとって敗北の一種である。避ける手立ては一つしかない。

「私は必ず、お前を屈服させて我が生涯の道連れとする」

 それこそが最上の勝利である。あるいは天下を取るより至難であろうが。

 曹操は惜別をいずれ来たる勝利の果てに先送りし、背を向けて陣に戻った。手を振り上げ、天に手刀を切る。途端に銅羅と太鼓が鳴り響き、土煙を上げて兵が、騎馬が駆け始めた。荀彧の指示のもと、軍全体が一頭の巨大な獣のように身じろぎする。

 夢は始まり、同時に終焉を迎え、今や現実として大地を揺るがした。軍靴の地鳴りに我が身さえ揺らしながら、曹操は殺意を含んだ微笑を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 一方の李岳。

「曹操でしたね」

「目立つよな、あの金髪」

 司馬懿に頷きながら、李岳は陽光を照り返しながら遠ざかっていく金の巻き毛を見送った。生きて再び会おうと約束するには、少々事態が複雑を極めている。李岳は雑念を振り払い、友と家族と仲間への想いを胸の中で確かめた。

「孫権軍はどうか」

「おかしな動きはありません。真っ直ぐ曹操軍との合流に動いています。袁術と黄忠殿の軍には目もくれませんが、隙ありと見るや飛びかかって来るでしょう。そしてやはり連弩と鐙を装備しているようです」

 曹操の元にも孫権の元にもかなりの数の間者を放っている。張燕、廖化ともに大車輪の活躍であるとも聞いている。彼女らが引き連れる『永家の者』たちが掴んだ情報となれば確度は高い。曹操も孫権も李岳が編み出した新兵器の導入を完了している。

 聞くところによる曹操軍の中でも李典が兵器工作に抜群の才能を持っているらしい。現物があるのだ、大した苦労はなかっただろう。李岳は他にも新兵器があると睨んでいた。

「さて、どうするか。何事も定石通り進むだけならこれほど楽なことはないけれど」

「まさか、(けん)ですか?」

 ニヤリと笑う司馬懿。彼女もすっかり李岳軍の作法が身についてしまっていた。

「わかっているだろ? 先制攻撃は李岳軍の信条だ。初手で思いっきり出鼻をくじくのが大好きなのさ! あいつらにこれから相手するのは、いつどこで何しでかすかわからない行儀の悪い野蛮な軍団だってことを思い出させてやろう……例のアレをやるぞ、如月」

 李岳が何を企んでいるのか司馬懿には瞬時に理解できた。

「伝令その他、諸事万端抜かりなく」

「よろしい」

「冬至様。今こそ号令を!」

 李岳はその場で剣を抜き、天高く振り回した。反射された輝きが開戦を知らせる。打ち鳴らされる太鼓、銅羅。踏み鳴らされる人の足と馬の蹄。そして鬨の声。気づけば李岳も雄叫びを上げていた。隣に控える司馬懿までも、あらん限りの声を張り上げている。

 間もなく、覚悟を決めたように左翼が動き出した。先頭をいく香留靼が弓を手にしたままぐるぐると腕を回した。それが自分に向けた気合いと自信の表明なのだと、李岳だけは気付いた。

 まるで統率などないかのように走り出した匈奴兵は、やがて四つに分かたれ蛇行しながら曹操軍に迫った。すかさず射撃。たちまち反転するとそのまま再び一斉射。曹操軍の備えに警戒せよという李岳の指示に従い、常よりもまだ遠い間合いであったが、馬上から繰り返される曲芸のような集団射撃は味方であればこれほど頼りになるものないと、既に友軍から歓声が上るほど。

 匈奴は馬を踊るように操る。李岳が開発した鐙など一顧だにせず裸馬を駆る。だというのにあれほど軽快、自由気ままに扱えるものなのだろうか--答えは無論。それこそ匈奴の誇りゆえ。

 だが今回ばかりはそのまま踏みにじれる相手ではない。必ず用意がある。

「見せてみろ、曹操」

 言葉は思わず口から溢れていた。

 李岳は決して見逃すまいと目を凝らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開戦直後、曹操は大声を張り上げた。

「半里後退! 陣形八番!」

 ぎょっとした周囲の反応も束の間、全軍はただちに行動を開始した。八番の陣形は対匈奴兵への対応である。敵軍左翼が猛然と土煙を上げているのだ。李岳は初手で匈奴兵の投入を決断した。曹操は犬歯を剥き出しにして我ながら獣のようだと思える笑みを浮かべた――李岳! 人生最高の楽しみをくれるつもりね!

 中軍から声を張り上げ、于禁が手勢を率いて飛び出した。

「野郎どもー! 訓練通り八番なの! 馬防柵はクソまじめに丁寧に組み上げる必要はないの! とにかく数を積み上げるの! そうすれば味方がケツから援護を突っ込んでくれるの!」

 全軍の最前衛で于禁の歩兵隊が、訓練通りの手はずで盾を並べ、素早く防御陣地を構築していく。たちまち折り重ねられていく無数の馬防柵。そこに地鳴りのような響きを立てて匈奴の騎馬隊が近づいてくる。迫りくる砂塵はまるで地面それ自体がめくれ上がっているかのようだ。

「真桜!」

「はいな! 八番でっしゃろ、合点承知でっせ! いっくで弩砲隊!」

 新兵器の一つである弩砲は馬車に据え付けた移動式のものである。これまでの地面に据え置く形式のものでは李岳軍の機動力と変幻自在な運用に対処出来ないとして曹操は李典に改良を命じた。

 新式のそれは馬車に設置するが使用時は馬が曳く荷台ごと地に下ろす形になる。軽量でありながら下ろした時点で安定するような形状。ただちに狙いを定められるように、仰角と回転の二軸調整機構を持つという架台の設計が難題だったが、李典はそれを解決した。

 今の曹操軍には高速で運搬でき、通常よりも強力で長射程、そしてただちに敵方に大量の矢を降らせられる砲台が何百とあるのだ。

「勝利~目指せ~! おぉ~曹操軍! わっしょいわっしょい! わっしょいわっしょい! オラー! 射て射てーい! 射ちまくったらんかーい!」

 味方を鼓舞するために節をつけて歌う李典。合いの手の度に矢が聞き慣れない音を立てて飛んでいく。弩砲は数人がかりで引き絞る強力なもので、通常の人の引くそれとは破壊力に雲泥の差がある。馬上の騎射に対応する策を、曹操は長射程と看破したのである。

 しかし全てが想定通りにはいくわけもない。襲いくる匈奴の騎馬隊は巧みに散開、方向転換を繰り返しながら全く被害を生じさせない。あちらも矢避けの訓練は相当に積んでいるようだった。 

「これでも躱すか……ほんと厄介な」

「華琳様〜! あきまへん! やっぱ思ったより速いっすわ!」

 義手をグルグルと回しながら李典が泣き言をいうが、曹操は李典とは異なりその働きを評価した。確かに騎馬隊を捕捉出来ているとは言い難いが、それは敵が回避運動を取っているからだ。匈奴を警戒させる程度には役立っている。

 匈奴兵は獲物を諦められない狼の群れのように、射程外を付かず離れずたむろする。ここで騎馬隊を追撃させようものなら、騎乗しながらの反転射撃の餌食になるだろう。片手で射撃できる携帯式の連弩の射程は、それに遠く及ばないからだ。

「桂花。機を見て本隊を当てるぞ。対処できるか」

「片翼だけでも陣形を押し上げて頂きたい。隙を見て騎馬隊を投入します。半里頂ければいけます」

「拒馬槍、よいな!」

 攻め込み、引いたところで追っ手を拒馬槍の罠に誘う。血の訓練を課して習得した対李岳軍の基本戦術である。まずはこれを徹底する。李岳軍が嫌がった後の行動が、次の展開となるだろう。

 華琳様、と典韋が声をかけてきた。また鼻歌が漏れていたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ拒馬槍を仕掛けてくるでしょう」

 司馬懿が本隊を揺り動かし始めた曹操軍を見て言う。

「あれには痛い目を見た。同じ轍は踏みたくない。対策は?」

「いくつか。前線指揮官が見抜く、怪しげな地点には踏み込まない、射撃戦に徹する」

「……苦しいな」

「はい。実質対処はないと考えてよいでしょう」

 兵器を携行できるように小型化することに関して、曹操――正確に言えば李典の手腕は大陸一だろう。行軍の途中でさえ敷設できる罠など、見抜けるはずもない。

 方策はやはり一つしかない。

「とにかく使わせまくり、大きく移動する。一度敷設したあとにもう一度持ち運ぶことは大変な労力だ」

「持久戦になりますね」

 しかしそうはならない。双方兵糧と物資に不安を抱えている。どこかでは必ず激突する。それを読み合っているようなものだ。

「やはりアレしかないな」

「今が適時かと。伝令、走らせますか?」

「やってくれ」

 李岳の頷きを待って、司馬懿が慌ただしく下知を始めた。直後に無数の伝令が駆け出し始め、旗と太鼓が動いた。

 ここに至るまでいくつ仕掛けを作ったか、それをどの機に動かすか――それが勝負の分かれ目になる。

(出し惜しみはなしだ、曹操。俺の記憶も、俺の悪辣さも全部くれてやる)

 李岳は札を選び、めくった。

 匈奴兵に続き李岳が選んだのは、神速と称えられる一番槍――張遼の札である。

 

 

 

 

 

 

 

 




2θ調整のできる移動式弩砲なんて、恋姫の世界では別に普通っスね。忌憚のない意見ってやつっス。
あと李典が口ずさんでいる歌は某球団のヒッティングマーチに似ていますが偶然っス。

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