真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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外伝 強き人

 東からの冷風にトラマナは目を細めた。

 果てしなく遠い、影さえない先にある天の山。己の部族の起源と聞くその山は慈悲深くも故郷を捨てざるを得なかった(ともがら)にさえ清冽な水と風を届けてくれる。

 いつか故郷の地を取り戻したいと心に思うも、所詮百人程度の部族を率いる器でしかない己を顧みて嘆くことを繰り返している。近しい部族集団は三十を超える上、周囲は大国に取り囲まれてもいる。

 女だてらに、と言われることもあったがトラマナは遠乗りをしようが相撲をしようが矢比べをしようが、誰にも負けることはなかった。文句を言う奴らを片っ端から投げ飛ばした後、あらためて反対する者は誰もいなかった。今ではこの一体の遊牧の民の中ではかなり顔が利くようにもなっていた。

 ただそれでも、どこか寂しい風が吹く。トラマナはいつもこうして一人になると、遠く東の天山を求めて深い息を吸うのだった。

「頭領!」

 声をかけられトラマナは振り向いた。遠くから手を振っているのは弟のイステミだった。何か変事でもあったのだろうかと目をこらすと、見慣れぬ馬が三頭ばかり近づいてきている。トラマナは愛馬に声をかけると村に向けて疾駆した。

「敵か?」

 イステミは首をひねった。

「いや、数も少ないし……旅人ですかね」

 旅をするには時期が悪いが、イステミの予想は当たった。手を振ってやってくる先頭の男にはトラマナは見覚えがあった。

 近頃ではすっかり数を減らした隊商(キャラバン)だが完全に消滅することはどんな時代が来てもないだろう。目の前の腰の低い男を見るとあらためてそう思う。

「こりゃ、頭領。ご無沙汰しております」

「ウマルか」

 イスファハーンからサマルカンドの間を隊商として動いている男だった。右手がすっかり引っ付いているかのようにしきりにあごひげを触っている。買う物も売る物もないが、情報をよく仕入れてくれるので立ち寄る度に食事と寝床を分け与えていた。なにせ話が面白いので部族でもウマルの顔と名前は知られている。

「なんだ、しばらくぶりじゃないか。東からの帰りか?」

「ええ、そりゃ、もう……」

 珍しく端切れの悪い様子だった。こういう時は何か厄介ごとが持ち込まれるのが相場である。

「どうした、馬でも無くしたのか」

「いいえ……いいえでもないか。そりゃ無くしかけたんですが、助けてもらったといいますか」

「はっきりしろ」

「……お客人がおりまして」

 ウマルが右に体を寄せると、見知らぬ二人が立っていた。背の低い男に背の高い女。二人とも長旅の旅装である。男はニコニコと笑みを浮かべており、女は浅黒い頬をこちらに向けて目線さえ合わせようとしない。女は布に包んだかなりの長物を持っている。

 トラマナは男よりも女を警戒した。無警戒に見えるが底知れない迫力がある。部族で一番背が高く、力も強いトラマナでさえ気圧されるような不気味さがあった。

「こいつらは?」

「ビシュケクから隊商に混ざった二人なんですが、どうもさらに東の方からやってきたようでして」

 ビシュケクからさらに東方といえばもはや匈奴の土地だ。この辺りでは穏やかな名前ではない。

「匈奴か?」

「漢人とのことですが、匈奴にゆかりもあるらしいです」

 近年、匈奴はかなり異様な変遷を経て勢力を盛衰させていた。元より鮮卑に押され、漢に朝貢しながら勢力維持に努めていた匈奴は、しばらく前に於夫羅を先頭に大規模な挑戦を漢に仕掛けたとトラマナは聞いている。於夫羅は東の風に伝わる勇者である。相当な規模で押し迫った匈奴は漢の隙を突いて首都に押し迫るかと思えたが、あえなく撃破されたという。

 於夫羅、その弟の呼廚泉も混乱の中で死んだと聞いた。匈奴の衰亡ここに極まったと誰しもが思ったが、意外にも漢の強力な支援を得て勢力を盛り返し始めた。漢は匈奴にとどめを刺すのではなく支援に乗り出したのである。これによって匈奴の力は膨張した。正確に言うのであれば、匈奴を吸収した漢の力が東西に膨れ上がることになった。

 結果、烏孫(アシヴィン)亀茲(クチャ)于闐(ホータン)楼蘭(クロライナ)といった砂漠(ゴビ)の諸国も匈奴にあらためて服属し、その仲介を経て漢に朝貢するようになったという。だがどうしたって軋轢がなくなることはない。匈奴が原因の揉め事は年に何度か耳にする。トラマナもいい印象を持っているとは言えなかった。

「ですが、頭領。この二人は私の恩人なんでさ! 野盗に襲われたところをすっかり助けてもらった! 他のやつらは一目散に逃げちまったのに、この二人は馬も荷物もあっしの命も守ってくれたんでさ」

「で、報いたいというわけか?」

「そりゃそうでしょう。せめて何か返さんと、商人としての沽券に関わる」

 再び目線を後ろに向けた。男は相変わらずニコニコしており、女に至っては後ろを向いてジロジロと辺りを見回して警戒も何もない。

 トラマナも張っていた気を解いた。

「……で、どうしろってんだい。確かにあんたぁ馴染みだが」

「いえね、次の隊が通るまでこの二人を置いてくれりゃいいんでさ。腕っぷしも立つし仕事もする。困るこたぁないですよ。ここいらの言葉には不便なようですが、旦那の方が物覚えがよくて放っときゃすぐに話せるようになるかと」

「お前はどうするのさ」

「一度マリまで戻るつもりでおります。旅するにゃ落とし物が多すぎた」

 しばらく迷った後、トラマナはいった。

「飯と水は持っていきな。マリまでは人も付けてやる」

「頭領! そりゃありがたいが」

「いずれ返してくれりゃいい。あの二人も……まぁしばらくで良いなら面倒を見てやろう」

 ありがてぇ、ありがてぇとウマルは繰り返した。どうやら心の底から恩に感じているらしい。交渉がうまくいったのを理解したのか、小男も不慣れな発音であれ感謝の言葉を並べた。

「この二人はどこまで行くつもりだ?」

「クテシフォンに行かれたいとのことなので、まずはサマルカンドからニサへ」

 オアシスの諸都市を経由してカスピを南回りに進む道程だった。この地を通るほとんどの人間が同じ道で東西を行き来している。

 トラマナは首を振った。

「そりゃあ無理だね」

 怪訝そうに眉根を寄せたウマルだったが、さすがに察するところがあったのか声を潜めた。

「揉め事ですかい」

 うなずき、トラマナはかいつまんで説明した。

 

 ――パルティアが西方に警戒を厳としている。服属していたはずの西方のペルシスが新たに戴いた(シャー)であるアルダシールの指揮のもと、今にもパルティアを討ち滅ぼす勢いだともっぱらの噂だった。カスピ南方のエーラーンは激動しているのだ。

 元々はパルティアの支配下にあったペルシスだったが、王を名乗ったパーパクによって独立がなされた。パーパクの死後は長男のシャープールが後を継いだがそれもすぐに死んだ。今は次男のアルダシールが支配者となっているが、パーパクもシャープールもアルダシールが始末したのだとまことしやかに囁かれている。そもそもパーパクに反乱をそそのかしたのもアルダシールであるらしい。それが事実なら稀代の野心家だろう。

 梟雄とさえ言われるアルダシールは、(シャー)にとどまらず、諸王の王(シャーハン・シャー)を名乗りながら自らの支配地域である自領周辺を踏み潰すように統合している。見ず知らずの者はすぐ首を刎ねられるとも言われ、人の往来は厳しく制限されていた。

 それを抑えるべき宗主国であったはずのパルティアも今は力がなく、王であるヴォロガセスとその即位を認めない弟のアルタバヌスとの間で血で血を洗うような跡目争いに終始している。

 さらにこの地の大勢力であるクシャナ王ヴァースデーヴァは南方のガンダーラから持ち込んだ仏陀などというよくわからない神の名のもと、従わない者たちに対しての弾圧を繰り返している。西方のローマから仕入れた武器で身を鎧ったクシャナは、遊牧を行う草原の民たちを蛮族と罵り片端から追い立てているのだ。

 

 そしてトラマナの氏族もまたその被害に遭っている。吹けば飛ぶような弱小の部族だと周囲から侮られ続けていることもまたわかっていた。

 この二人がこれからどこに向かうにしろ、どの勢力に出会うにしろ、東方からやってきたという不審な人間はまず首を刎ねられたあとに荷を奪われるのがおちだろう。ウマルを助けたような幸運がそうそう続くとは思えない。

 トラマナの言葉をウマルが懇切丁寧に旅人に翻訳するのをしばらく待った。旅人の男の返事は訳されるまでもなく明瞭だった。

「どうしても行くというのならチャーチュまで戻って北へ行け」

 アラル海を回ってカスピを北に巡る道になる。ただしオアシスを通らないので時間もかかればこれから冬でもある。北回りは冷えて雪も多いので足止めも長くなるが、しかし長い目でみれば南よりは危険が少ないとトラマナは考える。

 カスピの北、という言葉は理解できたのだろう。男は困ったように笑いながら首を振った。

 トラマナは額に青筋を立てながら聞いた。

「それほどまでにして何しに行く。何を見たい」

 男の回答は今度は翻訳を通して戻ってきた。

 にこにこと笑う小男の前で、申し訳なさそうにウマルは言った。

「世界、とのこと……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 男と女を置いたままウマルが去り、瞬く間に日が経った。

 仕事をするので置いてほしいというので折れることにしたが、口にするだけあってよく働いた。男は弓が得手で鹿や鳥を射ては部族の尊敬を集めるほどになった。手先も器用で何でもよくこしらえた。女は並外れた力を持っており、木を掘り出したり羊を担いだりといった力仕事で皆を瞠目させるほどだった。そして二人とも舌を巻くほどに馬の扱いが上手く、あっという間に集落に馴染んでしまった。

 言葉を覚えたいという男の頼みもあり、トラマナは食事を共にすることにした。ゲルは二十人から入る大きなものであるが、満員というわけではない。狩りを任されている連中も居残りの女連中も、新参者二人を招くのに大賛成であった。

 男は名をリガク、女はリョフというらしい。匈奴の東の漢の名前らしく聞き慣れないが、年に一度はその手の一団が通過するので初耳ではなかった。二人の目的はどうやらローマらしい。ペルシスの西、イスカンダルがいたマケドニアのさらに西、つまりアナトリアからポスポラス海峡を超えてビザンティオン、そしてギリシアを超えてさらに西である。さすがにトラマナも旅人の噂話でしか知らない地名だった。独自の書き文字を使わないトラマナの部族が、ギリシャ文字を使うと聞くとリガクは飛び上がって喜び教えてくれとせがんだ。

 リガクはともかく、トラマナはリョフに目が行って仕方なかった。赤い髪に浅黒い肌はスキタイからパルティアに多い風貌である。そしてトラマナはじめこの部族の者たちも似たような肌の色だ。この地から東に流れていった者たちの末裔かと思ったが、リョフに聞いても要領を得ることはなかった。どうやら幼い頃から家族とは離れ離れらしい。珍しくもない話であるのでそれ以上は触れなかった。

 そして二人は馬を大切に扱う。連れている犬も含めて家族のように過ごすのだ。遊牧の民にとってはそれは共有する美点だった。

 率直に言うなら、トラマナはこの二人を気に入り始めていた。西に向かう隊商はやはり一向に訪れない。それ自体が情勢の不安さを静かに、確実にトラマナに伝えていた。

 それが余計に二人への心配につながり、無為に死ぬくらいなら村で暮らせば良いのにとさえ思うようになった。トラマナは二人に村に居付くつもりはないかと聞いたが、しかしリガクは困ったように首を振るだけだった。トラマナもしつこく繰り返そうとは思わなかった。

 

 ――夏に入り秋を控え、馬の草を求めて移動する季節になった。

 

 数日の準備を終え、本隊の移動を開始しようとしたその矢先だった。先発していたイステミが大慌てで戻ってきた。

 聞けば荷物も馬も全て奪われ、同行していた他の二人は殺されたという。テミルもカハルも子供の頃から知っている。トラマナは乾いた薪が弾けるような怒りで顔を真っ赤にした。下手人が誰かは聞くまでもなかった。

「クシャナどもめ……!」

 まだ朝、飛ばせば昼までには着く。連中の動きが遅ければ追いつけるはずだ。トラマナは怒りのまま戦士の招集をかけた。イステミの話ではクシャナは二十ほどの数だったという。戦える者は五十はいる。負けるはずがない。

 飛び出した。付き従う者の中にリガクとリョフもいた。リガクは弓を、リョフは例の巨大な長物をかついでいる。いずれも腕に覚えがあると見た。トラマナは来いとも来るなとも言わないことにした。

 しばらく走るとイステミの説明通りの場所に馬と人影が見えた。すでに馬上である。こちらを見ると遠間から矢を射込んできた。こちらが応じると躊躇いなく背を向けて逃げ出した。そしてさらに遠間から当たりもしない矢を射込んでくる。

 トラマナの頭に血が上ったその時だった。

「トラマナ、待って」

 リガクだった。馬を寄せて並走しながらリガクは言う。

「戦い。勝つがない」

「勝てない? 負けるというのか」

「勝てない。負ける」

 リガクの瞳には普段の穏やかさとは似ても似つかない厳しさが宿っており、そのおかげでトラマナは冷静さを幾分取り戻す事ができた。

「少ないは逃げる。来るは勝つ」

 敵方が少ないまま挑んできているのが不自然だということだろうか。来る以上何かしらの勝算があるはずだと。

「だが敵が愚かでこちらを侮っているかもしれない」

「馬鹿な敵は、もっと来る」

 トラマナはあらためて相手の動きを見た。確かに距離を保ちながら引き射ちを繰り返している。どこかトラマナたちを誘導しようという動きにも見え始めてきた。

「確かに貴様の言う通りだ……」

「思う。敵は待つ。森にたくさん」

 指をさした先には小高い丘があり、その先には森である。

「あそこに潜んでいるというのか? 私たちを誘導しようとしている?」

 さすがに全ては聞き取れなかったのか、リガクは少しまごつきながら頷いた。そして言う。

「勝つやり方ある。けど帰るのも良い。トラマナが選ぶ」

「勝たせてくれ」

 迷いはなかった。リガクは一瞬、こちらの心を推し量るようにじっと見つめてきた。やがて馬を止めると、地面に指先で絵図を描き始めた。迷いなく動く指先はまるで予言した未来を伝えるように両軍の軌跡を表していく。

 トラマナは背中にびっしりと汗が走るのを感じていた。

「貴様……何者だ」

 男ははにかんで答えた。

「まず勝つ。そして話す」

 

 

 

 

 

 

 

 リョフへの称賛の声で村は大騒ぎになった。

 長物を引き抜いて伏兵に向かって単騎で駆け、たった一人で三十以上もの敵を屠ったのだ。そんな活躍は遠くギリシアの英雄譚でしか聞いたことがない。まさに百人力の英雄の力だと、皆がこぞって騒ぎ立てた。

 トラマナも己が感じていたリョフに対する恐れにも似た迫力は、決して勘違いではなかったのだと思った。しかし自分の眼力を評価することはとてもできなかった。

 トラマナが真に恐れたのは隣で静かに微笑んでいるリガクだった。全ては彼の思うがまま、想定のままに事態は進行したのである。

 

 リガクの策はこうだった――まず敵の想定に従いこのまま追撃を続ける。敵が潜んでいるであろう森の手前に小さな岩山があり、そこに兵を伏せる。さらに本隊は森に追い立てるように一度南から迂回するように進む。この時点で逆方向に兵を走らせ森の後背を突くというものだった。

 兵力は優位とはいえ余裕はない。それをこの時点で三つにわける大胆さにトラマナは一瞬息を呑んだ。さらに驚いたのは、森にすすめる兵はリョフ一人で十分だという。トラマナはさすがに断ろうとしたが、気づいた時にはリョフは準備を進めており隊を離れていた。

 もはや止める段階は過ぎていた。ええい、と肚を決めてトラマナは作戦通りすすめることを決断した。ただしリョフには一族からも三人付けることをトラマナは絶対に譲らなかった。

 岩山を迂回して敵の追撃を続ける。横にいたリガクも自らの弓で驚くほど正確な射撃を繰り返し始めた。速度を上げる。敵はきっとこちらが森に追い込んで叩いてしまおうと目論んでいる、と考えているだろう。挟撃を上手くはめるためにしきりに森に背を向けさせようと隊を右に左に曲げようとしているのがいかにも不自然だった。

「騙されよう」

 リガクの言わんとするところはわかった。計画どおりならばすでにリョフが森に突入している頃合いだから、敵の思惑はすっかり外れてこちらの優位がさらにはっきりするはずだ、と。

 その信頼はどこから出てくるのか、この二人にこれまで何があったのか、いずれしっかり聞かねばならないとトラマナは思った。

 敵との距離が近づいていく。森に背を向けた。人の気配がするのが感じ取れた。敵か、味方なのか。眼前の騎馬隊は勝利を確信したように下卑た笑みを浮かべている。トラマナは後ろを振り返らないことにした。小癪にも誰よりも早く、トラマナよりも早く抜剣したリガクが単騎で突っこんでいくのが見えたからだ。

 背後から声が響いたのはその直後だった。敵の歓声、ではない。あまりにも無残な悲鳴だった。敵を前にしているというのに振り返りたいという欲望にトラマナは抗えなかった。見れば赤い髪、赤い刃を振りかざしたリョフがまさに蹴散らすという風に敵をなで斬りにしながら飛び出してきていた。そばに付けたはずの一族の者たちは顔を真っ青にしながら付いていくのがやっとのようだった。

 トラマナは爆笑し、自らも腰の剣を抜いた。唖然としている眼前の敵に向かって斬りかかる。散々に押すと、敵は馬首を巡らせて逃げ始めたが、その逃げる先はリガクが兵を伏せろと指示したまさにその岩山だった。成り行きを見守っていた伏兵たちは、ただの一人も逃がすことなく全員を捕虜にしてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦勝と弔いを兼ねた宴もことごとく楽しんだ頃、トラマナはリガクを呼んだ。

「見事だった」

「皆強い。だから勝った」

 リガクの瞳にはどこか憂いがあった。リョフもそうだが、この程度の勝利には飽いているようにと見えた。

「お前はどこかで軍を率いていたのか。見事な戦いぶりじゃないか」

「軍。漢で」

 それ以上の説明をリガクはしなかった。言葉を覚えていないからか、それとも話せない理由でもあるのか。しかし恩人に対して尋問するようなことはしたくなく、トラマナはいつか再び聞くこともあるだろうと思うまでだった。

 リガクは言った。

「次、たくさんのクシャナ来る」

「それも勝つ」

「次、たくさんたくさんのクシャナ来る」

 リガクの憂いとはそのことを指していたのか、とトラマナは気づいた。

 今回斬ったクシャナの者は三十人以上、そして捕虜は十人。先に仕掛けられた戦いだったがクシャナにとっては面白くないだろう。この手の話はすぐに周囲に伝わる、クシャナの支配を快く思っていない部族たちは快哉を上げるはずだ。

 クシャナの報復は確かにあるだろう。リガクはそれを踏まえてトラマナに戦うか帰るかを選ばせたのだ。

「どうすればいい」

「トラマナもたくさんたくさんになる」

 大声で笑った。リガクの冗談はトラマナのツボに入った。腹を抱えて盛大に笑い転げるほどだった。

 だが当のリガクは怪訝そうに首をかしげている。どうやら冗談を言ったのではないらしい。

「……す、すまん。私がたくさんになるのではなくて、たくさんの兵を揃えるということか?」

 リガクは大きく頷いた。

「うん。たくさんの兵作る。トラマナ、兵と戦う」

「だがどうやって」

「トラマナ、王になる」

 リガクは今度こそ笑った。だが先程とは違いトラマナは笑えなかった。心臓をえぐり出され、強く握りつぶされたような気になった。

 それこそ自分の心の中にあった野望だったから!

 多くの遊牧の民たちをひとまとめにし、クシャナを食い破り、パルティアに負けず、そして攻め寄せるであろうパルシスに抗うにはそれしかないと思っていた。だが決断ができず、方法もなかった。だから天山に向けて祈るようなことばかりを繰り返していた。

「……私が王になるのか。その器か?」

「なる。他はない」

「なら、なろう。助けてくれるか?」

 リガクは小さくうなずいた。

「言葉覚えるまで」

「なら私はそれまでに強くなろう。お前やリョフのような、強い人になろう」

 宴の中心では火が焚かれている。炎が踊るのを前にして、酒に酔った連中が相撲を取っていた。どうやらリョフが十人抜きをしているらしい。トラマナは上着を脱ぎ捨てるとリョフにぶつかっていった。押し切ってやる、と思ったがリョフの体はびくともせず、次の瞬間には地面に叩きつけられていた。

 仰向けになり、星を見ながらトラマナは笑った。

 

 

 

 

 

 

 バクトリア、トハリスタンと呼ばれるこの地は多くの民族が住み、そして争い盛衰を繰り返していった。そのうち、遊牧民を束ねて広く東西に支配領域を作り上げた部族が現れた。大月氏の末裔とも、さらに北東の天山から下ってきたとも言われた旅の一族は風のように早い騎馬隊を率い、立ち向かう敵とは果敢に戦ったという。彼らはこの地で大国に抗い、独特の秩序を作ることになる。

 周囲の人々は彼らを恐れ様々な名で呼んだ。

 しかし彼ら自身は自らをただ『エフタル』と呼んだ。

 この地の言葉で『強き人』という意味である。

 

 

 

 

 

 

 

 




skeb納品第二作目になります。ご依頼ありがとうございました…!
依頼内容は「ローマに到達する前。中央アジア辺りのどこかでテュルク系民族、カザフステップあたりの騎馬民族的な部族との交流、もしくは、そういった部族間での争いにかち合って頭角を現しちゃう李岳と恋」
「テュルク人の大ジュズで、有力部族の族長(褐色筋肉系デカ女)に絡まれる李岳」
ということでしたが……ご希望に沿えられましたでしょうか。

中国史における西域、つまりカシュガル付近から西の中央アジア地帯について知識が乏しく、今回あらためて勉強いたしましたけどとてもおもしろかったです。世界は繋がってるんだなぁ。そしてそこに現れた胡散臭いチビとバカ強い無口の女。
エフタルは実在した民族集団、国ですが、史実では巨大化するのはもう少し後。バタフライエフェクトを感じて仕方ありません。
李岳たちは二年ほどここに滞在し、ペルシス(ペルシャ)に向かうわけですが、そこでも当然一波乱あるんだろうなと思います。

本編最終話で現れた謎の騎馬隊はこの部族なのか、それとも別なのか。想像してみると楽しい感じでした。


参考文献
「アジア遊牧民族史(上・下)」ルネ・グルセ(著)後藤冨男(訳)
「岩波講座 世界歴史〈2〉オリエント世界―7世紀」樺山 紘一 (著)他
Wikipedia、手当り次第

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