真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第六十八話 最強の騎馬隊

 火を焚いた。パチパチと音を立てて熾き火は弾けている。

 歩哨はぬかりなく立たせている。持ち回りだが、今宵は曹操軍の担当となっている。眠れない夜だった。

 新城を抜き二日、明日には陽人に辿り着けるだろう。李岳の動向はようとしてしれない。祀水関からは別働隊が出撃した半日後には追手を差し向けたと報告が届いている。相当に早い対応だ。別働隊が動くことは予測していたと考えて然るべきだろう。

 自分が李岳ならどう動く、と曹操は何度目か数えることも出来ないくらい繰り返している想定に埋没した。

 陽人を放棄するか否か。黄河をはさんで対峙し、渡河を防ぐという戦略もありうる。南方に展開している皇甫嵩の軍勢を動員すれば陽人からの洛陽急襲を防ぐことが可能かもしれない。長期戦になれば、兵糧における連合側の不利はさらに深刻化していくだろう。

 だが防衛側も厳しい。劉表軍の台頭と影響力は歯止めが効かなくなり、さらなる増派があれば孟津などから渡河を試みる二面作戦を取られる可能性もある。何より祀水関の防衛が保たないだろう。

 やはり、短期決戦しかない――奪われた陽人城を奪還し、糧道を断てば別働隊は撤退を余儀なくされる。そして返す刀で関に戻り再び耐え凌ぐ。二度目の別部隊を組織できる程連合の団結力は強くはない。

 李岳がここまで読んでいるとしたら、何らかの備えを作った可能性もある――いや、と曹操は首を振った。山で三方を塞がれた平野、その真ん中にポツンとある小都市が陽人城である。防御にも籠城にも向かない、補強したとしてその効果は雀の涙だ。攻めにくいし守りにくい。双方ともに大軍を用いるには適さず、とても主戦場には相応しくないのだ。祀水関防衛の兵力を割いてまでも常駐兵力を増やすだろうか?

 李岳にも無限の兵力があるわけではない。寡兵をやりくりしながらどうにかこちらを食い止めようとしている。相手も苦しいのだ。曹操は自分に言い聞かせるようにして心中呟いた。

 陽人へは明朝到着するだろう。李岳が半日後に出撃したとして、どれほどの距離にあるか。常識的に考えれば一日半はこちらが先行しているはずだった。祀水関から陽人への最短行程は峻厳な峠を幾度も上り下りしなくてはならない、輜重隊の輸送は難を極めるだろう。

 だが、それは真実だろうか。曹操の願望を反映しただけの憶測なのではないだろうか――そこまで考えたとき、不意に曹操の視界を影が遮った。曹操はむっとして顔を上げた。

「隣、いいかしら」

 答えが返ってくる前に孫策は曹操の隣に座り込んだ。

「……貴女ね」

「うっふふ。一献やりましょうよ」

 曹操が文句を言おうとするその機先を制する用に、孫策はとっくりを持ち出して手酌を始めた。呆れてものも言えず、どうしてやろうかと思った時、酒の匂いがしないことに曹操は気付いた。孫策は水を酒に模し、酔った振りをしていた。孫策は強引に曹操に猪口を渡すと、やはり強引に注いで無理やり乾杯した。

 曹操は孫策の戦いぶりを思い起こした。戦場においても、この女は強引なやり口を好んだ。だというのにその穂先は全て敵の急所を抉り貫いた。新城突破の功績はこの南からやってきた肌の浅黒い女が第一に相違ないだろう。普段は流麗華美だが、殺し合いに直面した時の獰猛さは獣とさして変わらぬ激しさだった。

「楽しいわね」

「楽しい?」

「そう、楽しいわ。新城の攻略もとても楽しかった」

 孫策は不思議そうに曹操を見た。

「貴女は楽しくないの?」

「私は」

 楽しい――その言葉を曹操は口から出すことはなく飲み込んだ。戦を楽しむという気持ちはある。敵を蹂躙する快感を否定する気もない。だが今、曹操が感じている楽しさはそれらの上位に位置するもので、中々に認め難かった。

 難敵を攻略する喜び。今、歴史の只中にいるという快感――それを自覚しているものは、およそ英雄と呼ばれる人種だろう。

 答えが返ってこなかったというそのことに返事を見抜いた孫策は、嬉しそうにくつくつと笑った。

「なに、貴女もやっぱり好きものじゃないの」

 孫策が酔ったふりをして体を寄せてきた。二人の膝がしらだけがそっと触れ合った。なぜだか嫌ではなかった。

「そういう下品な物言いはやめて欲しいのだけれど」

「あらやだ、都育ちは上品なのね。野趣溢れる南方の冗談はお気に召さないのかしら?」

「私はもっと詩的な表現が好みなの」

「ふうん?」

 孫策は面白がり、曹操の顔を舐めまわすように見た。普通の者ならばその場で斬り捨ててもおかしくなかったが、曹操は不満に耐えている不思議な己を新たに発見した。

 孫策はしばらく水をさも美味そうに飲んだ。曹操は薪を足した。夜鷹が鳴いた。歩哨が交代する掛け声が聞こえる。奇妙で静かな時間が過ぎ去った。

 今ここにいる兵は総勢四万強である。新城はじめ道中の拠点に兵を残してきた。孫策軍が兵糧を担当している以上仕方がなかった。馬超軍に内政を担当できる官吏は望むべくもなかった。李典、于禁、楽進を残している。

 自分の小ささが嫌になる。自由に動かせる兵が五万あれば、戦略の幅は無数に広がる。李岳を討つための策略はさらに緻密で大胆なものになったはずだ。しかし現実には精々が三万であり、それも純粋な曹操兵ではなく、屈辱を代価にして劉岱から借り受けた兵がほとんどだ。

 飛躍する。そのためには勝つしかない。惰弱極まる劉岱の兵も、行軍の間に徹底的に叩き直した。死ぬための兵ではなく、生きるための戦いを教えこんだつもりだ。攻城戦ではその実感を得られただろう。兵たちの心は既に劉岱への恐怖から曹操への信頼と変化しつつある。

「そういえば、一つ聞いておきたかったのだけど」

 水を飲み干した孫策が、おもむろに切り出した。

「何よ」

「欲しいの?」

「何が?」

 これは詩的な表現よ、と孫策は前置きしてから言った。

「李岳の子種」

 まずかったのは、曹操がちょうど水を口に含んでいたことだった。

「ぶっ!」

 吹き出した水が薪にかかり、ジュッ、と馬鹿馬鹿しい音を立てた。曹操は照れでもなく怒りでもなく、呆れが極まったがために大声を思わず出してしまった。

「なにを、馬鹿な! 馬鹿? 馬鹿なの!? 李岳は倒すべき敵よ!」

「そうよね。でも子種は別でしょう?」

 孫策は、曹操の意とは異なり真面目に応答しているようだった。どこか遠い目をしたまま、炎を見つめて続けた。

「貴女……李岳の子を産みたいの?」

 孫策はケラケラと笑った。冗談を本気で捉えてしまったような気恥ずかしさに襲われ、曹操は怒りを持て余した。

「あはは……うん、まぁ孫呉がより強力なものに育つのなら、私は別に躊躇わないわよ。我が家運を高める種を欲するのは、一族の当主の責務だとも思う。それに李岳、遠目に見たけど可愛かったし。ただ当然戦争中よ――種は欲しい。けどねだるつもりはない。屈服させる。叩き伏せ、粉砕した後にまだ生きていて、この孫伯符の情熱を滾らせる口上でも述べたのなら、またがって上げてもいいわね」

 曹操は孫策の言葉に、彼女の戦いぶりを思い出した。自らが陣頭指揮に立ち、新城の城壁を駆け上がっては切り結んだのだ。奇兵を持ち入らせれば並ぶ者はいないだろう。さらに大兵を扱わせる素養がないわけではない。この雄々しき気位は決して一指揮官の枠に収まるものではないはずだ。

 この者もまた、英雄だった。思わず曹操は聞いていた。

「貴女は何のために戦う?」

「家族のため」

 孫策は即答した。

「だから、家族を傷つける者は絶対に許さないわ」

「そう」

「貴女は?」

「知れたこと。この世界の覇者となるため。この大地の全てを統べ、王道楽土を築く」

「じゃあ、いずれ戦うことになるわね。私は江南の地を、孫呉の楽土として守るつもりだもの」

「そうね。それじゃあ天下統一の最後の仕上げとして、存分に叩き潰して上げるわ」

「その大口が泣きべそでひしゃげる心配をした方がよくってよ?」

 火花が散ったような気がした。稚気だが、本気でもあった。それはお互いによく伝わった。

「楽しみだわ、やっぱり」

 孫策は笑うと、雪蓮、と名乗った。曹操も自らの真名を告げた。殺し合いを約束したから、真名を交わすのも当然だった。孫策は未練も残さずその場を立ち去った。曹操はようやく眠れる気がして、熾火に背を向けてそっと目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未明に出発した。

 陽人へは丘を越えることになる。踏破は容易だった。孫策は再び連絡のための斥候を走らせた。南陽からの兵糧がこの別働隊の生命線だ。袁術が遅配させればそれだけで戦況はガラリと変わる。今のところ予定通り補給は行われている。今も南陽から李岳軍の影響を受けないよう東回りでやってきた輜重隊と合流した。陽人城を陥落させることが出来れば南陽から遠回りをせずに輸送が叶う。

 全て予定通りだ。今のところは。

「でも、遅れるのね?」

「そういうつもりで動け、ということだ」

 周瑜は袁術の人となりを毛ほども信用していないようだった。よくできた参謀だと思う。気が合う。

「袁術が不当に兵糧を滞らせるということは、敗績を一手に引き受けるということでもある。戦況を見極めつつ、小出しにするだろう」

 孫策は袁術軍の一部を成すに過ぎない。周囲の兵は、しかし直属五千で固めた。袁術の影響力をなるべく拒否し、生きているつもりだった。呉を孫家によって切り取るために飲み干す苦杯にも限界がある。

 曹操はその点、劉岱の兵を借り受け戦に臨んでいるようだった。生き方の違いだろう。土地に根付いている孫家に対し、養子を拒まぬ宦官の家系で育った曹操にとって、血や土地などどうというものでもないのだろう。

 昨夜話せてよかった、と孫策は思った。あの小さい体のどこにこれほど傲慢な野望が潜んでいるのかと思える程、曹操の大きさは桁違いであった。しかしそれでも孫策は己が劣っているとは思わなかった。江南の地に深く根ざしているだけ、孫家の強靭さが生きてくる局面もあるだろう。曹操の強さには一代限りの怖さがあるのだ。才智の限界はそこだろう。血は、永劫に練磨され続けるのだ。

 孫策の目的は既に明確なものになった。李岳を殺す。孫家の独立に李岳という男は不要だった。戦乱が必要だというのは、曹操との一致を見ている。漢王朝は打倒されるべき存在だった。この広大な領土を単一の血族が支配し続けるなど馬鹿げている。

 土に命があり、地に脈がある。それをないがしろにして単一の国家などありえない。地方の豪族が各個に己の土地をより良くしていくことが現実的だ、と孫策は確信していた。無理な統一や制覇などを考えるから巨大な戦乱が起きるのだ。巨大な一枚板の方が割れやすい、細かな破片が寄り集まった方が柔軟であり、しぶといだろう。

 周瑜にさえ伝えていない、自分の真意だった。

 お互いの意志を突き詰めれば、曹操とはいずれぶつかるだろう。戦場に身を置く者として、その対決を心待ちにしたいという欲もあった。曹操は英雄だった。それに並び立てる器がこの孫策にもあるのなら、いずれ世界は二人を歴史の土壇場で再び邂逅させるだろう。

 孫策はそんな思いを弄びながら、朝陽が顔を出さんとゆるやかに光を滲ませ始めた前方に目を細めた。

「あの丘を越えれば陽人が見えるはずだ。守兵が三千を超えることはないだろう。そこを補給線の拠点にし、洛陽を攻略する」

 周瑜が寝言を言っていた。孫策は笑いをこぼしながら馬を急かした。なぜだか話は耳に入ってこなかった。期待に胸が膨らんでいた。いつでもこの感覚を信じて生きてきた。昨夜の曹操との話が思い起こされる。孫策は自分の下腹部が熱くなるのを感じていた。戦の予感に、何よりもまず身体が鋭敏な反応を示していた。

「雪蓮、聞いてるのか」

 主君であろうと遠慮なく説教する辣腕の参謀が、またのんびりしているものだと孫策は内心笑った――正気を失ったように駆け戻ってくるあの斥候の顔が見えないのだろうか?

 声はほどなくして響いた。

「敵軍、前方八里に布陣しております――李の軍旗!」

 声を失った周瑜が面白く、ハハハ、と笑って孫策は馬首を返した。慌てて周瑜が続いてくる。総大将と参謀が突如中座した軍の統率は愚痴交じりに黄蓋がまとめるだろう。

 中軍で備える曹操の陣営に孫策は駆け込んだ。最後尾を進む馬超軍には既に伝令を飛ばしている。

 孫策の高笑いを見るだけで、曹操は事態を察したようだった。夏侯淵に耳打ちをしている。自軍の斥候で事態を再度確認しようというのだろう、手堅いことだ。

「間違いないのね」

 主語さえ欠いた曹操の言葉に、孫策は頷いた。隣にいる荀彧(ジュンイク)は、想定の一つだというような顔をしている。李岳軍の布陣を第二、第三の続報が伝えた。中央本隊に李岳、左右に張遼、華雄である。それぞれ副将が付き従っている。総勢三万というところだ。陽人城の前面に三段で待ち構えている。堂々たるものだ。当然城の掌握は済んでいるだろう。

 陽人拠点にして補給線を伸張させるという計画は瓦解した。李岳軍の本隊三万。それを叩き潰さねばならなくなった。決戦だった。

「予定では今日の内に城を陥落させるはずだった」

 周瑜は暗に曹操を非難する色を見せた。だが曹操は、孫策と同じように面白がって頬をゆがめるだけだった。一日半の距離の差を李岳は逆転した。備えていたのだ、この別働隊は読まれていた。曹操は金色の巻き髪を細かく揺らしながらしばらく口を開かなかった。瞳は一点を見つめて動かない。孫策には思いもつかぬ智の光線が瞳の中を往復しているのだろうと思えた。現場の空気で来迎する勘働きに身を委ねる己とは多くの差があるな、と孫策は考えた。

 ほどなくして馬超が現れた。意気軒昂、涼州の英雄は鼻息を鳴らして喜んだ。

「涼州兵が先鋒を務めるぞ! 絶対に譲らないんだからな、曹操! 孫策!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬超ッスね」

 李確の声に岳は頷きを返した。曹操、孫策は陣地から出てこないように見える。

「予想通りだな」

 無傷の馬超軍が出てくる、とは李確の読みだった。曹操軍も孫策軍も疲弊があるだろうが、遅れて参戦した馬超軍はほとんど戦という戦を行っていない。ここで先鋒を務めなくては居る意味がないだろう。

 陽人城を先に制圧された。そのことも布石になっているはずだ。伏兵や罠を警戒しているのだろう。相当に慎重になるはずだった。実際にはあるだけの兵を揃えているだけである。

 そして孤高の涼州兵は、おそらく連携を嫌う。元より戦場を縦横無尽に使いたがる騎馬民族が、歩兵との連携を(たの)むとも思えなかった。ならばとこちらも騎馬隊だけを出した。全軍を出せば曹操と孫策も動くだろう、兵力で劣っている以上、混戦は避けたかった。

 

 ――夜っぴて駆け通し、半日前に陽人に辿り着くことが出来た。駅を設けていなければ、逆に城を制圧され強固な補給線を保持した相手に、無防備な野戦陣のみで相手をしなければならないところだった。微かな差が、決定的な違いを生んでいた。

 

 李岳は目を細めると、旗を振らせた。張遼隊が動き始めた。数は一万五千。全てが騎馬である。并州兵を主体とした、全土最強を自負する騎馬隊。指揮官は張遼、副将に呂布。その二人にほとんど全てを任せた。二人が、ほとんど同時にこちらに振り向いた。視力に秀でた李岳にも、もう彼女たちの表情は読み取れなかった。

「并州と涼州の対決ともいえるな」

 李確は白々しく答えた。

「こう見えても、俺は涼州の出だから、そう聞くとあっちに肩入れしたくなるっス」

「頼むよ軍師殿」

 李確は不貞腐れたように口を尖らせた。

「……その呼び方だけは勘弁っス」

 自分に嘘を吐いていたことをそうそう許すつもりはない。李岳はまだしばらくこの呼び名を使ってやろうと思った。李確は勘弁してくれとばかりに肩をすくめた。

 気楽そうに見えるだろうか――実際気楽だった。負ければ終わりである。張遼隊が馬超に蹴散らされた時点で陽人城の放棄は決定的だ。ここに滞陣している残りの軍勢も全て撤退せざるを得なくなる。それほどに重要な戦を、李岳は張遼と呂布に任せた。これで負けても悔いはない。李岳軍最強の布陣で挑むのだ、悔いはない。

 そこまで考えて、今まで負ければ終わりな戦いばかりだな、と思い返して李岳は苦笑した。当たり前だ、戦争をしているのだから。

 張遼隊が進んだ。二列縦隊である。それに対して馬超は二段に構えて横に広がりを見せた。同じく縦に揃えればその分陣列が長くなる。分断の危険が高まるのだ、それを警戒して包囲の構えを見せている。ただの猪武者ではない。

 張遼の背中が見えた。李岳は行け、と呟いた。その声に応えるように、張遼は紫紺の髪を揺らせて造作なく前進した。偃月刀が翻った。二列の騎馬隊は弧を描いて馬超軍の左翼に殺到していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬超は十字槍を翻すと、張遼隊の中腹目がけて突進した。馬超は陣列の中央に位置していた。先頭に踊りでた大将に従い、全軍が速やかに縦隊を形成した。まるで押し狭められた水がせり上がるように、錐が如く滑らかに尖鋭する。張遼が狙った左翼もまた、錐の一部となるべく中央に合流している。張遼からすれば獲物は逃げ、横っ腹を急襲されているように感じるだろう。

 断ち割れる、と馬超は確信し突撃を敢行した。二万の涼州兵はまるで手足のように馬超に付き従った。

 次の瞬間、張遼隊は真っ二つに割れた。馬超は舌打ちを漏らした。十文字槍はまるで手応えなく空を切っている。馬超軍との接触を前に、張遼隊は自ら二手に分かれたのだ。

「たんぽぽ!」

「あいさー!」

 そのまま突き抜けると、馬超は馬岱の真名を叫んだ。馬超軍もまた竹を割ったように二隊に分裂した。馬岱を先頭にした第二隊は、張遼隊の尻尾を追い、馬超は『張』の旗を追った。馬岱ならうまくやるだろう、兵の統率指揮は馬超のそれより手練手管に長けている。

「黄鵬!」

 愛馬の名を叫んだ。枷を外された黄鵬は選りすぐりである僚騎の追随さえ許さなかった。見る見るうちに並走する張遼隊の先頭に近づいた。騎射が届いた。ぬるかった。馬超は自分の心臓が沸騰していることを知った。単騎だったが躊躇わなかった。張遼の背中はもはや間近だった。槍の柄を握りしめ、馬超は雄叫びを上げた。

「その首もらった――!」

 剣閃が交差する。白銀が目を焼く程だった。翻った偃月刀。反り返るその刃紋が首筋をひやりと掠めたのが嬉しかった。丁字のまま直交し、馬超は体勢を整えた。張遼もまた停止していた。目が合う。見えずともわかっていたが、やはり張遼も笑っていた。

 飛び出した、息を溜め込んだ張遼の頬の張りまでもが見て取れた。地を這うほどに低く構えられていた偃月刀が、馬体ごと両断する勢いで突き上げられた。黄鵬が首をはすに倒した。十文字槍の腹で受けた。金属は刹那に赤熱し、飛び散った火花が頬を焼く。馳せ違ったまま勢いを殺さず、馬超は突っ込んできた雑兵を突き殺した。二人、三人と叩き落としていく。槍は冴えた。赤熱を喜びにかえて、一子相伝の十文字槍が血道を作り上げていく。

 混戦から脱すると、馬超は後ろを振り返った。全軍が突入し、束の間の乱戦になっていた。荒くれ者の涼州兵に、張遼の手勢は一歩も引かずに戦っている。一軍が丸々交錯したので、短時間だが激戦を繰り広げた。被害は同数だろう。馬超は返り血を拭うと呵々と笑った。

「やるな、張遼! 倒しがいがあるぜ!」

 声が聞こえたのだろう、張遼もまた笑いを返してきた。

「さすがやな、馬孟起! 錦馬超と呼ばれるだけあるわ!」

「戦いたかった……お前と戦いたかった! 先の戦で会えなかったのを残念に思ってたんだ、ようやくあの時の決着が付けられるぜ!」

「奇遇やな! うちもあん時、あんたの首を手土産にでけへんかったんが心残りやったんや!」

「抜かしやがれ!」

 返答の代わりとでも言うように、張遼は偃月刀を真横に構えた。馬超は喜びの中にいた。自分は今こそ生きているぞ、と思った。風邪を引き、発熱した時のように全身が火照っていた。

 馬超は飛び出し、迎撃に曳光した偃月刀を真正面から受けた。思わず息を飲むほどに張遼の一撃は鋭く、滅多に鳴かない黄鵬がいななくほどだった。

 馬体ごと二人の体は弾け飛んだが、きびすを返すもまた同時。馬超は考えるのをやめ、体に委ねた。張遼の斬撃が重く、胴を狙ってきた。十文字槍『銀閃』が、まるで生き物のようにクルリと回転し張遼の一撃を逃した。気づいた時には交差し、上半身に強い手応えが残っていた。天地を逆向き回転した石突きが、張遼の腹をしたたかに打ちのめしていたのだ。

 気丈にも、張遼は未だ武器を構え切っ先を向けていた。だが馬超にはわかっていた。石突きの一撃が張遼の肋骨をへし折っていること。そして元より彼女の腕には、先の関羽との一騎討ちで裂かれた傷が未だ残っていることに。

「手心を加えるつもりはないぜ」

 それが礼儀だろう、と馬超は理解していた。大将が深手を負っては最早その軍に先はない。ここで華々しく散るのが武に生きるものの務めだろう。

 お前は強かったと語り継いでやるぜ、張遼――馬超がそう念じて突進を開始しようとした時だった。伝令の絶叫が、馬超の耳をつんざいた。

「頭領、まずい! 副頭領が死んじまう!」

 ハッとして馬超は振り返った。蒲公英――馬岱の姿を探した。馬超の目は従妹までの距離を正確に測った。半里。粉砕され、断ち割られ木っ端微塵に崩壊した自軍の半数と、敵に背を向け逃げ惑う馬岱の姿がはっきりと見えた――馬超は自分の目を疑った。

 馬岱は幼いが、馬超に比べれば甘いというだけで間違いなく指折りの手だれだった。そしてこと用兵に関してははっきりと馬超の上を行く。韓遂の手ほどきを受け、先の乱でも見事に戦い切った。馬超が一騎討ちを好み、敵の大将目掛けて突進する剛毅の将であれば、馬岱は一軍を繊細に率いて敵兵を罠にはめ削る巧緻の将である。

 それがあのように大敗するなんて――

「へっへっへ。油断したんか?」

 振り向くと、張遼は既に半身となっていた。相変わらず苦痛に耐えているその顔色は蒼白なものだったが、その笑みもまた本物だった。

「最初から蒲公英が狙いだったのか!」

「うちが隊長やからって、副長が格下って誰が決めたんや?」 

「なんだって……」

 馬超は再び見た。馬岱が率いる部隊が、兵力では優っているというのにまるで嘘のように蹴散らされている。その先頭の女に見覚えがあった。赤く、返り血に染まりきったような紅い女だった。

 呂布。

「勝負は預けるで!」

 ハハハ、と笑って張遼は反転した。追おうとした馬超を、無数の矢が食い止める。張遼隊はいつの間にか横隊となり、猛烈な騎射を繰り返してきた。槍で弾き飛ばしながら、馬超はたまらず後退した。

 張遼はもう追えない、迷っている暇はなかった。馬超は馬岱の元へ走った。約一万の馬岱の手勢は既に散々に粉砕されて統率さえ失っていた。凄まじきは呂布。二人や三人、まとめて薙ぎ払っては一向に速度を落とさないまま馬岱の背だけを追っている。まずい、と馬超の直感が告げた。追いつかれる、呂布のまたがるあの赤い汗血馬は普通の速さではない!

 涙ながらに逃げ惑う馬岱をかばうように、十人ほどの小部隊が決死となって呂布一人に飛びかかっていった。それに対する呂布の動きは人馬一体であった。

 その無体な戟は、まず先頭の隊長を両断した。返す刀で右の二人を吹き飛ばした。その隙を狙って飛び込んできた一人を、汗血馬が見計らったかのように蹴り上げた。瞬く間に四人が死んだ。その動揺を見過ごすことなく呂布は包囲戦を突破し駆け抜ける。一度抜けだされれば追いつくことなど叶わない――いや、後続の部隊の追撃がその背を切り裂いていた。

 呂布が走る。その背を追うだけで陣形となり、作戦となっていた。一方、将を失った涼州兵は方々で包囲され斬り捨てられている。あまりに無残な有り様だった。

 己の責任だ――が、それを一度捨て置いて馬超は駆け出した。馬超は愛馬の名を叫んだ。部隊が一丸となって馬岱の元へむかった。

「たんぽぽ! こっちへ来い!」

 馬超の姿を認めた馬岱が、とうとう馬の首にしがみついたまま泣きだした。

「お、お姉様! お姉様ぁ!」

 あの快速を誇った黄鵬のなんと遅いこと! もどかしさに馬超は絶叫した。呂布が迫っている。馬岱のあどけない顔が無残にも死相を浮かべていた。あと五つほどの呼吸で呂布は従妹の首を泣き顔のまま宙に跳ね飛ばすだろう。

「やらせるかよ――!」

 馬超は腰に結わえた弓を取り出し、構えた。既に時はない。呼吸三つ。呂布がゆらりと振りかぶった。馬超にはその先に繰り出される剣筋が見えるようだった。残忍にも、呂布は馬岱の肩から腰までを一挙に馬ごと両断しようとしている。

 馬超は息を止めた。呂布の刃が走りだすのが見えた。その瞬間を狙いすまし矢を放った。尾羽根が空気を切り裂く音さえ聞こえないまま、矢は馬の眉間に突き立った――馬岱の愛馬に。

「あ!」

 雷に撃たれたように痙攣した馬は、瞬時に膝を負ってその背の主を宙に放り出した。呂布の刃は、馬岱の肉体を捉えず死んだ馬の胴体を真っ二つに両断した。空中に投げ出された馬岱が、二回三回と地を転がる。

「たんぽぽ!」

 馬超は逆さに持ち直した槍の柄で馬岱の首元の襟を引っ掛け放り投げると、しっかりその腕で抱きとめた。あの悪戯好きで人に弱みを滅多に見せない馬岱が、馬超にしがみついたままガタガタと震えている。

 馬超は距離を取ると、呂布に正面から相対した。飛び散った馬の血肉を全身に浴びた女。鬼神である。馬超は気圧されるのをやっとの思いで堪えた。手勢が追いつき、すかさず陣形を組んで矢を構えた。

「……逃した」

 呂布はそれをつまらないものでも見るように一瞥した後、クルリと反転して戻っていった。李岳軍の後退の銅鑼が鳴っていた。馬超は、その背中が陽人城の前面に布陣している李岳軍本隊の中に消えていくまで、身動ぎせずに見つめ続けていた。




たんぽぽはこのあと俺が滅茶苦茶に慰めた。

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