恋姫らしいほのぼのとした、いわゆる拠点話もたまには書けたらと思い入れてみました。総花的なモノですけど。
ラストにいきなり「城塞陥落!」とかでやらないんでご安心下さい。本編の展開とはほとんど関係ないです。
文句なくぐっすり寝た。寝過ぎたために、まともに起き上がった時にはとっくに昼を過ぎていた。
疲れが相当溜まっているようで、昨日はいくつか報告を受けた後に少し酒を飲んで早めに床に就いたのだがこの有り様である。久方ぶりの休日、という感じだった。信じられないことにこんなにぐっすり寝たのは一年ぶりくらいのような気もする。
今日は普段着なのでほとんどの人が李岳だと気づかず、邪魔だちょっとどいてくれるかね、すみません、というようなやり取りさえあった。市場に出て肉饅頭を買って食べ歩きながら買い物を楽しんだりした。強引な物売りに李岳将軍の戦勝祝いの札を買わされたりもした。
さて、と李岳は足を北に向けた。なんと洛陽に家を建てることになったのでその場所を見てみようと思った。
そんなもの必要ない、というのが李岳の主張だったが張燕の一声で完全に意見は封殺された。執金吾の身分の時に住んでいた屋敷は全く警護に向いていない、ということである。
反董卓連合を撃破し、その名声を高め続けている李岳にとって最も恐るべきは暗殺である。特に今回の匈奴の誘引に関しては李岳の個人的なつながりに依る所が大きい。警戒してしすぎることはない、との論には確かに反論できなかった。今も一人で歩いているつもりだが、周囲には警護がいるだろう。永家の者が李岳の気を害さない程度に何人か張り付いているはずだった。
屋敷の建つ場所にはもうかなりの人がいて、縄張りを行っているようであった。壮大な屋敷になりそうだ。しかし李岳に思う所がないわけではなかった。
「お、どうしたんだね軍神様」
嬉しそうによって来た張燕に李岳はため息混じりに言った。
「よりによってここか」
「ま、便利でしょう」
「通勤一分って感じだよな」
あてがわれたのは宮殿の目の前の土地である。それも広大な場所であった。元は宦官の屋敷だったのだが、例の事件で既に亡き者となっており、しかも二龍が放った火で焼け落ちてしまいそのままなのだ。ここを活用するべきだろうということである。
「ただ、でかすぎるよなあ。もっと小さくていいんだよ」
「ダメ」
「なんでさ、落ち着かないんだよ」
「対外的な目があるだろう?」
「その通りです」
張燕の言葉を次いだのは緑と青で染め上げた袍を、さらに各所を帯で締めて動きやすくしたものをまとった少女であった。帯には短剣を差していた。
姓は徐、名は庶。『睡虎』の異名を授かった司馬徽の秘蔵っ子であり、そして李岳の義理の妹である。
「あ、兄上には……立派な屋敷に住んでいただかなくてはなりません! 先ず隗より始めよという言葉の通り、国に仕える者に褒賞が行き届かなければ決して繁栄はありません。ましてやあれだけの大功を上げた将軍がみすぼらしい家にしか住んでいないとなれば、決して天下の英才は集まらないでしょう」
「あ、うん……わかったよ、珠悠」
「は、はい……お分かりいただければよいのです……あ、兄上……」
紆余曲折を経て兄と妹になった二人のやり取りはかなりぎこちないもので、どうにも落ち着かなかった。張燕がニヤニヤと笑っているのが煩わしい。
「やっぱり『お兄ちゃん』の方がええんと違うか?」
「なに急に言葉なまって変なおっさんみたいになってるんだよ」
「だってぇん、そんなウブなやり取りを見せられたらぁん、からかいたくて仕方ないじゃなぁい」
「うっとしぃ」
チッ、と舌打ちしたがこの女に口喧嘩や争いごとで勝てた試しはない。李岳はあらためて屋敷に話を戻した。
「大きいよ、この辺りは大きい家ばかりだけど、中でも巨大になるんじゃないか」
「まあね」
「傲慢と見られないかな」
「そう見てくるやつはその程度、だろう? なんだい坊や、自分の気がのらないからっていい加減なこといっちゃいけないさ」
張燕には嘘もつけそうにない。
「ま、広い家をつくろうが何しようが使わなきゃいいだけの話さね。テキトウにやれや。坊や、今さら見世物になる覚悟がないとは言わないわよね?」
「わーかったわかった」
「間取りに希望はあるかい?」
「全然全くなし。普通で」
「つまんないねえ。それでいいのかい?」
「それでいいって。なにがいけないんだよ」
「フン、相変わらずそういうところは鈍いねえ……ま、おいおいわかるさ。あ、そういえば董卓の嬢ちゃんが呼んでたよ。皇帝が会いたいんだとさ、すぐに来てくれって。徐庶の嬢ちゃんと二人で」
「わーかったわか……」
――絶叫と共に二人は宮廷に向けて走りだした。
私的な呼び出しはほとんど後宮での会談である。
未だ婚儀を執り行なっていないので、後宮とは名ばかりで帝の私的な空間にしかなっていない。李岳と徐庶は汗だくになりながらその中の一室に通された。
「お、お呼びと伺い参上仕りました……」
「徐元直、畏れながら参りました!」
「朕を待たせるとは兄と妹揃って大した度胸じゃ、のう将軍?」
「は、はっ……」
「まぁよい」
促されて李岳は面を上げた。皇帝劉弁は慌ててやってきた二人が面白おかしいようで満面の笑みである。最近この皇帝は李岳をやり込めるのが楽しくて仕方ないようで、些細な悪戯を仕掛けてくることが多い。地位と身分を考えれば、どのような他愛のない悪戯だとて、李岳にとっては千の矢を向けられて上手に躱せと言われているのに等しかった。
「そちも面を上げよ、徐元直よ」
「は、はっ! し、しかし……はばかりながら、臣は一介の民に過ぎず……畏れ多くも」
「なんと? 未だ官位はないのか。李岳よ。この者は不埒を働こうとした者共を見事鎮圧したのであろうが、ならば相応の処遇を与えねばこの劉弁の名折れぞ。のう李岳?」
「はっ」
「よし決めた、今からそちは将軍じゃ。なに将軍が良い? なぁに朕の言葉があればどうとでもなるぞよ」
「あ、あわわ! お、お戯れを!」
汗をかいて平伏した徐庶に、帝はわざわざ手をとって立たせた。よほどおかしかったらしく声を上げて笑っている。
「冗談じゃ。皇帝の権威とやらを使いすぎると目の前の李岳将軍に怒られるからの……しかも結構本気で。知っておるか? この者は皇帝にさえ意見してはばからぬ不届き者なのじゃぞ。あの目を見よ、こわいのぅ?」
「人聞きの悪い」
「目が笑っておらぬではないか」
天上人のやり取りにまず徐庶が完全に参ってしまい、過呼吸のように、はひぃ、と声を上げながら顔を真っ赤にしてしまったのを見て、からかいすぎたか、と劉弁は頭をかいた。
「陛下、お戯れが過ぎます」
「すまぬことをした。ま、用件に入るか。実はそちらに頼み事があるのじゃ。ついて参れ」
帝に促されて李岳と徐庶は後宮の中を進んだ。官女が侍り、かしこまっているだけでガランとした部屋だけが続く。
「先帝は……母上はここにたくさんの人を囲っておった」
後宮に囲うということは当然妾である。いや、妾として扱いを受けなくても帝が気に入った男、女が集められたに違いない。劉弁が思い出したくないことを、しかしその思い出の中にひそむかすかな喜びを懸命に探しだそうとして、繊細に自分の意識を手さぐりしているのが李岳にはわかった。
「朕もいずれはそうすることになるのかの」
「全ては帝のご意志に従いまして……ですが、まずは正統な婚儀からですね」
「婚儀か」
気が進まない話だろう、まだ幼いのだから。しかし帝が子をもうけるのは最早それ自体が一つの事業と言ってもいい。逃れられない運命でもある。せめてその意志を最大限尊重することだけが臣下に出来ることだろう。
「とはいえ李岳、まずは貴様が嫁を取るのが先じゃな。もう話が決まっているのであろ?」
「まさか、そんな話も暇もありません」
「ん? 家を建てると聞いたが、嫁を取るのではなかったのか?」
「家だけが建てられてます、臣の全く関知せぬところでです。困ったものです」
「そうか、婚儀は先、か」
それきり話は進まず、帝はさらに先に進み、やがて最も日当たりの良さそうな、もっとも小さな部屋に入っていった。
中には劉協、そして太史慈がいた。
劉協は李岳を見て、小さく微笑みながらペコリと頭を下げた。彼女にとって李岳は数十万の敵を向こうに回して自らの身柄を救い出してくれた英雄に他ならない。きっと救い出してくれると信じて毒まで飲む程に彼女は李岳に賭けたのだった。
太史慈は直立不動のまま李岳に小さく目礼した。
劉岱、劉遙と共にこの宮殿から劉協を誘拐した実行犯の一人である。が、それも全ては実母が人質に取られていたために為す術なく従わされたということで恩赦が内々にくだった。二心なし、ということで今では劉弁、劉協二人の護衛を務める近衛である。
「実はの、この部屋の主を見つけて欲しいのじゃ」
「主、でございますか?」
李岳は部屋を見回した。ガランとした部屋で、まるで荷物置きか何かではないかと思えるような部屋である。こんな部屋に主とは……しかし劉弁、劉協の二人は決して冗談を言っている風ではなかった。
「さて、どうしたもんかな」
目抜き通りをぼんやりと歩きながら李岳はボヤッと呟いた。徐庶が眉根に深いシワを寄せながら思案顔で頷く。
――ネコを探してくれ。
あの部屋は元々侍女たちが使う物置部屋で、特にこれといって大した部屋ではなかったが、劉弁と劉協の姉妹が隠れて遊ぶ大事な部屋だったのだという。先帝健在の時は二人は両家の権力争いがまだ完全に顕在化する前だったので、お忍びであればある程度遊ぶことが出来た。その待ち合わせ場所があの部屋なのだ。
そしてそこにはどこから忍び込んだか、ノラのネコがいたのだという。
二人は待ち合わせをしてそのネコを愛でていた。権謀術数渦巻く宮廷内でその時間だけが二人の心を慰めたのだ。
だが宦官や二龍、そして李岳の起こした騒乱の中でネコの姿は消え、あれきりさっぱりと姿を見せなくなったという。洛陽に戻ってきた劉協がそのネコをひと目見ようとしたが行方が知れないと聞きかなり落ち込んでいる様子で、帝は大層気にかかっているようだ。
そのネコを探してくれ、というのが二人の願いだった。
「ネコを探す、と言っても……こんな大きな洛陽で」
「陛下もダメ元で頼んでる風だったな。けど、本当にもう一度会いたいんだろう。色々お二人で頑張ってたみたいだしな」
「こっそりネコが出入りするための戸を作っていた、とおっしゃった時は驚きました」
「俺は笑ったよ。十二箇所もだなんてな」
たかがネコ、ではないのだろう。二人にとっては。いつかまた、小さな友人がその背丈に合わせて作られた扉を、前足でカリカリと叩いて開けてくれ開けてくれ、とねだるのを心待ちにしているのだ。
「主命だ、頑張る他ないね」
「兄上は心当たりが?」
「当然ない。珠悠は?」
「ないです……」
「ま、こういう時に頼るのは何人かに限られる」
きょとん、と首を傾げた徐庶をともなって李岳はまず張燕の元へと戻った。
李岳の策略で潜入作戦まで行った黒山賊の息のかかったものが、今や宮殿内の防備を担当してもいるのだ、聞くものが聞けば卒倒するだろう。
あらましを聞いた張燕は、あっさり心当たりがない、と肩をすくめた。
「永家の者を動かすかい?」
「いや、それほどのことは……ま、いいや。自分で探すよ。珠悠もいるし」
「ふーん、早速頼りにされてるね、嬢ちゃん?」
「じょ、嬢ちゃんって呼ばないでください、張燕どの! 貴方のことは嫌いなのです! この、嘘つき……!」
張燕はケタケタと笑い声を我慢しなかった。
「嘘つきは泥棒の始まりというが、この大盗賊張燕相手にそれを言うとは褒め言葉にしかならないね、フフフ」
「ぐ、ぐぬぬ」
李岳のわからぬ所で二人にはどうやら因縁があるようだった。知り合い? と聞くと、
『知らないねぇ』
『こんな人知りません!』
と二人同時に迫ってくる始末であった。
「……ま、油売ってる暇なんかないからな、次に行こう」
「あっ! おい、ちょいと! あんた自分の立場わかってんだろうね!」
わぁってるよー、と答えが返ってきたが、わかっている者ならばそんな呑気な言葉を返すことはあるまいと張燕は呆れた。
――続いて訪ねたのは董卓邸である。
来客であることを告げると、侍女はニコニコと屋敷の中に案内した。実は面会希望の者は引きも切らず毎日相当数いて、董卓の日々の仕事の大半は彼や彼女らに愛想笑いを振りまくことであるのだが、李岳だけは順番など関係なく会わせてもらえる特別待遇を得ていた。
「
「あ、冬至くん」
ふぅ、とお茶をすすっていた董卓が、ぱっ、と顔を明るくさせた。
「お邪魔したかな」
「ううん、全然!」
座って座って、とせがまれるままに董卓の向かいに腰を下ろした。やはりキョロキョロと落ち着かなさげな徐庶を促し、李岳は茶を頂いた。
「って、もしかして二人ってちゃんと会ったことなかったっけ」
「あ、うん。そうかも」
「あ、兄上! 董卓さまは司空という高位なのですよ……そんなおいそれと会えるわけないじゃないですか」
そういえばそうだった、と李岳は頭をかいた。ここしばらく自分の影響力が上がるに従って人の地位や官位があまり気にならなくなってしまっているが、確かに前段階もなしに会わせるのは並みの人なら心臓に悪い。
「ええと、じゃああらためて……こちら義妹の徐庶、です」
「は、はじめまして……徐庶、字は元直です」
「姓は董、名は卓。字は仲穎。真名は月です、睡虎先生」
「あ」
徐庶は顔を真っ赤にすると、立ち上がり手を組み合わせて礼をした。
「真名は、真名は珠悠です! よ、よろしくお願いします――月さま!」
「はい、よろしく、珠悠ちゃん」
董卓にもなんだか貫禄出てきたなあ、と思う李岳。初めの頃のやり取りや、半ば自分が脅しをかけていたことなどを思い返して感慨深くなる。ああやって堂々と人と話せるようになったこと一つとっても立派に成長したんだなぁ、と思った。ましてや真名を自分から交換するなど。見た目はあんまり変わらないけれど。
――結論から言って、皇帝の側近中の側近である董卓にも思い当たるふしはないということだった。
皇帝姉妹が時折ネコの世話をして心を慰めていたということは知っていたが、董卓がそこに付き合ったこともないし、いまそのネコがどこにいるのかどうかはやはりわからないとのこと。
「でも、市場に行けば誰かわかるかも……ネコちゃんもきっとご飯食べなきゃいけないだろうから、市場の方が……」
「なるほどね、市場か。次はそっちに行ってみるか」
「また遊びに来てね、お二人とも」
「月もあまり無理するなよ。無理して全員と会う必要はないんだからな」
「うん……でも特に出歩く用事もないし、家にいると訪ねてこられるし」
「……そうか」
「でも、今日はもう、休もうかな、って。冬至くんも帰って来たばかりだから、無理しないでね」
「ああ」
李岳は手を上げて、屋敷を後にした。徐庶が嬉しそうにフワフワ歩いている。彼女にとって董卓は会いたい者のうちの一人だったのだろう。満足気に足を運んでいた。
さて市場を目指そう、と思って歩いていたが角を曲がったところで見知った顔に出くわした。
「お」
「あ」
「ん」
「うぇ」
四者四様の声である。前から歩いてきたのは李確と郭祀であった。
ふうん、と笑いながら李岳は面白おかしく笑った。この李確と郭祀が徐庶の手引きによって李岳の軍勢に参加したというのは既に割れている。当然それを黙っていたこともである。戦争のゴタゴタの中で今の今まですっかりそのことを忘れていたが、この李岳をだまくらかした罪は重い――
「あ、これは、将軍、ご、ごきげん麗しゅうッス……」
「やあ、いい天気だね李確くん」
「は、はいッス」
「珠悠も挨拶しなよ、仲良しなんだろ?」
「そ、それほどのことは……」
「手紙のやり取りをするくらいにはね」
「あうう」
ま、それほど怒ることではない、と知りつつ李岳は釘を刺す必要を感じていた。
情報の統制は重要である、それが例え戦場での手引きや籠城戦で必要な知識を書き込んだものだとしてもである。どこから情報がもれるかわかったものではないのだ、良かれと思って滅びを招くことがよくある。
「気をつけるように」
「だべ」
「わかりましたッス」
「はい、兄上……」
と、頭を下げたところで李確が逃げ出すように駆け出していった。
「今度またちゃんと謝るッス! 今日は董卓さまに会いにいくっつー大事な用事があるんッス! これに優る用事は無し……!」
「らしいべ。すまんこったす。へばな」
駆け出していった二人を見て、李岳はやれやれと溜め息を吐いた。李確が軍に参加した理由は、自分の命を救ってくれた董卓に忠誠を尽くすためだというのは聞いている。時間が許す限り足繁く通っているようだが、迷惑になっているんじゃないか? と疑心暗鬼になる。
ま、今日はこれくらいで勘弁してやろう。とりあえず董卓がもう今日は面会謝絶になっているということは黙っててやる、小さな仕返しである。
市場の中で魚屋と肉屋の方を目指して歩いているところであった。目の前からまたしてもよく知った二人が歩いてきた。
「やあ、今日はよく人と会うな」
「冬至……」
「冬至どの! 奇遇なのです!」
呂布と陳宮である。それぞれ手には紐が握られており、その先には愛犬のセキトと張々がいた。
「散歩?」
「お散歩なのです!」
「散歩」
会って数日というところなのに、二人の仲の良さは運命的といえるほどだった。史実を知っている李岳にとっては、まぁ相性はいいだろう、程度の気分だったが仲睦まじい二人を見ていると、いいことしたな、と清々しくなる。二人共動物好きであることが幸いしたのだろう。
「珠悠どのもごきげんようなのです!」
「音々音さまも、恋さまもごきげんようです」
「ん」
こいつ思ったより人見知りだな、と李岳は徐庶を見て思った。徐庶の挙動が途端カチコチと固まっているのだ。まあ時間の問題だろうが。
「で、二人はどこ行くんだ?」
「城外から帰って来たのです!」
「またなんで?」
「洛陽の街の中では、中々、セキトと張々が満足に遊べるところってありませんので。でも仕方ないことなのですよ……ところでお二人は?」
李岳はあらましをかいつまんで話した。そんなことならなぜ自分に真っ先に相談しない、と憤慨を見せたのは呂布である。
「いやだって、恋、ここ来てまだ数日だろ?」
「……もう、このあたりのネコや犬たちとは顔合わせは済ませた……だいたいわかる」
いやまぁ確かにこの人、野山で動物たち束ねていたけども――と思った先から呂布が早足で動き出したので李岳は慌てて後を追った。洛陽中心の目抜き通りなのでとてつもない人だかりであり、陳宮と徐庶の二人がはぐれないように手をつなぎながら進んだのだが、動物のことになると我を失う呂布が脇目もふらず進んでしまうので危うくはぐれかけてしまった。
呂布は魚屋と肉屋が軒を連ねる間の路地に忍び込むと、さらに小さな道とも言えぬ道を進んでいった。
「あ、あいつ……! いつの間にこんな道見つけたんだよ……!」
「こ、ここで本当に合ってるんですか兄上!?」
「知らないよ!」
「恋どのならきっとだいじょうぶなのです!」
「そうであることを願うよ……あ! セキトお前俺の背中にしがみついてるな!? 楽しやがって!」
「文句はいいっこなしなのですよ」
「ねね! お前は張々の背中にしがみついてるだけだろ!」
「ふ、ふふふ……あはは!」
「笑うなよ珠悠! くそー」
這いつくばって、屋根を飛び越え、たどり着いた先は四方を家に囲まれながらも、日差しのよく当たる不思議な一角だった。
「うわ、これもしかして全部」
「すごいのです……」
「ふ、わ……」
数十匹にもなるネコたちがところ狭しと座っており、その中心に呂布が座り、そして――
「にゃぁぅ」
と声をあげていた。
帰り道を歩いている時はもう夕暮れだった。
音をだすならトボトボ、である。
『宮廷に出入りしていたネコはいたけど、もう死んじゃったって』
呂布の言葉が正しいならそうなる。ネコの言葉がわかるなんて頭がおかしいと思うだろうか。李岳はそう思わなかった。自分だって飼ってた山羊の点の気持ちは手に取るようにわかる。呂布が人一倍、尋常でなく鋭いだけなのだ。ちなみに呂布も陳宮もまだノラたちに囲まれてゆったり時間を過ごしている。
「残念だな」
「兄上……」
「ま、本当のことを言うしかないよな」
「異論はないのですが……」
徐庶が控えめに胸元に視線を落とした。その腕の中には三匹のネコがニャアニャアと声をあげていた。
呂布が言うには、皇帝に可愛がられていたネコは出産のために洛陽市内にいたけれど、この子たちを産んだ時に力を使い果たして世を去ったという。忘れ形見のネコたちはまだまだ幼く、忍びなくて呂布と徐庶がどうしても連れて帰ると言って頑として聞かなかった。特に徐庶は理路整然と李岳を論破する勢いで、控えめにねだってくる呂布に比して凄まじい迫力であった。
「うーん」
改めて見るとやはり決定的に幼い。毎日ノラネコに餌を上げる奇特な人が、この乱世の世の中でいるとは思えない。しかし宮殿で飼うというわけにも行かないだろう。劉弁や劉協が面倒を見れたのは、あくまで大人で自立しているネコが出入りしている間というだけなのである。二人に子猫の世話が務まるとは李岳には思えなかったし、暇もないように思えた。
「いや、頑張れば面倒みれるかな? けどな、ネコは不吉を呼ぶって信じる者もいるからな……」
吉凶は真実であるとして多くの人が信じている。国の頂点である皇帝がそれを無視して生きていくことはできないのだ。
「あの、私たちの家で……飼うのは……」
「うん? いや、でも今の家じゃあなあ」
「あ、そ、そうですよね……」
あからさまにシュン、と肩を落とした徐庶を見て、李岳はたまらず頭に手をやり撫でた。
「あ、兄上! なにをなさります」
「飼いたいんだろ?」
「……いえ、別に」
「そうか? じゃあ仕方ない、戻してくるか」
「けど、兄上が! どうしてもと言うのなら! わ、私が世話をしてあげてもよいのです!」
李岳はたまらず声を上げて笑った。顔を真っ赤にして徐庶は怒ったが、李岳は我慢できずに笑い続けた。
そうか、こういうところが母さんも気に入ったんだな――どうしても捨て置けない、素直じゃないけれど、弱いものを見てると放ってはおけないのだ。
今日一日で、この徐庶という史上においても類まれなる智謀を発揮した軍師――そして新しく出来た妹を少しだけだが、理解出来た気がした。
「珠悠、これから忙しくなる。お前にもこの天下の仕事を手伝ってもらうことになる。ネコの世話をする時間なんてほとんどなくなるだろう」
「……は、承知しております」
「だから、家族みんなで頑張ろう」
徐庶の目がパッ、と明るくなった。そして李岳は聞いた――ところで珠悠、どんな家に住みたい?
新築された李岳の屋敷は話題となった。
宮殿のすぐ側に広大な敷地を誇り、馬が自由に行き交いできる巨大な門扉、そして小川と小さな丘陵さえも備えた庭は当代一番の規模だと言われた。
庭をあまりに広くあつらえたがために屋敷自体はこじんまりとしているが、その作りには大層なこだわりが込められたということだ。屋敷には高順、徐庶、そして呂布や陳宮といった志を同じくする高官たちが住んだが、それぞれの望みを最大限に取り入れられ、書斎や武具の置き場が完備された。皆が一緒に食事を取れるように日当たりのよいところに食卓が設けられ、一日中身辺を警護する者たちの部屋なども手抜かりなく整えられた。
また広い庭には犬やネコたちがいつも満足に走り回れるよう気遣いが施され、住む者たちだけではなく通り過ぎる人たちの心も和ませたという。呂布がたえず連れ帰ってくる犬やネコ、鳥たちは数えることも大変であったが、李岳の屋敷があまりに居心地が良いということで争いもなく無駄な吠え声もなく、まるで歌曲のような鳴き声で人々を慰めたという。
ある者は李岳の行いを贅を極めた不遜だと批判し、ある者はさすが山から降りてきた蛮族の血を交えていると笑うものもいたが、李岳は一向に気にせず友や仲間を招き動物たちと一緒にささやかな休日を過ごしたという。職務に疲れた重鎮もここでは誰にも遠慮せずくつろぐことが出来たと言い、その中には時の重鎮・董卓の姿もあったという。
そしてこれは定か成らぬ話ではあるが、ひときわ宮殿に近い所に建てられたために、さる高貴な方々も時折お忍びで訪れ、ネコや犬たちを愛でていた、とも。
洛陽ワクワクアニマルランド。