そして世界は華ひらく   作:中嶋リョク

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子どもに対する過激な暴力表現があります。
かなり対外的にソフトになるよう心掛けましたが
それでも気分を害する恐れがあります。


[6]ジン・フリークスの場合(3)

「私が自宅からあの男に拉致されたのは、7月7日の午前中のことです。その日は弟の3歳の誕生日で、朝からみんな忙しくしてましたし、来客も大勢いましたからいつもよりセキュリティが甘かったかもしれません――いえ、外部に対しては機能していましたが、内部に対しては脆弱だったと言うべきでしょうか」

 

 淡々と少女は語り出す。

 ああ、ちゃんと家族がいたのか、という思いと、なぜ捜索願いも出されていないのかという思いが同時に起こる。それに……。

 

「――内部?」

 

「彼は、家の使用人なんです。……多分」

 

「多分?」

 

「全員の顔を覚えている訳じゃありませんから。一度でも見ていれば思い出せますが、少なくとも私は見たことがありませんでした。家の使用人の制服は特注ですから、外部の人間が簡単に手に入れられるとは思えません」

 

 『ちゃんとしたとこのお嬢さん』だと断言していたエギナの言葉を思い出す。確かにエギナの言う通り使用人を大勢抱える資産家の娘らしい。少女は内部の人間だと言うが、どうだろう。奴は念能力者だ。気取られないように屋敷に侵入するのも、使用人の制服を手に入れるのも造作もないはずだ。

 

「関係のない子どもが4人死にました。これは、我が家の不始末なんです――もっと言えば私のせいです」

 

 少女の顔色は優れない。きゅっと噛み締めた唇から色が失われる。

 

「あんたは被害者だ」

 

 俺の言葉に、少女は目を伏せて少し笑った。次いで首を横に振る。

 

「違います」

 

「被害者だ」

 

 俺の強い口調に顔を上げ、少女は目を丸くする。

 

「意外と……優しい方なんですね。ああ、ごめんなさい。でも、もっと型破りな人物だと。私の想像より、随分と常識的です。――気を悪くされましたか?」

 

「子どもの前で怒鳴り散らすほど自制心がないとは思わん」

 

 憮然と言う俺に、少女は可笑しそうに笑った。大人びた仕草が消えて酷くあどけない。

 

「被害者。そういうことにしてしまえたら楽なんでしょうね。ジン……さんの考えていることは分かります。念能力者のあの男なら、家への侵入も制服の入手も私の誘拐も容易だった。使用人でさえなかった可能性もある。よしんば使用人だったとしても、死んだ子どもへの責任は私にはない、といった所でしょうか」

 

「実際、その通りだろう」

 

 そう言いながらも、俺の言葉が少女に届かないことはなんとなく分かっていた。明らかに念能力者ではないこの少女は、念の存在を知っている。にもかかわらず、『自分のせいだ』と結論を出したのだ。俺は得たいの知れない生き物に出会ったような気持ちに戸惑う。高揚感などではない、もっとこう……ひやりとした陰湿なものに触れた時の気持ちだ。簡単に言えば、理解できないものに対する不快感や畏れに近い。

 

「あんたは念能力者でないのに、念を知っているんだな」

 

「ええ、――でも、念能力者であることと、人を殺すことはまた次元の違う話です」

 

 少女はそう言うと、右手に巻かれた包帯を口でほどき始めた。ほどくというより、食いちぎるといった表現に近い。

 

「っ、おい!」

 

 慌てて掴んだ右手は半ば以上包帯が解かれ、爪が剥がれた指が剥き出しになっていた。目の前で、指が……いや、残った爪の形がビキビキと音を立てて変形する。細い指に青白い血管が浮き出て爪が猛禽類のように鋭利になる様を、俺は眉間に皺を寄せて眺めた。

 

「私が殺したんです。4人とも」

 

 俺の手の中で、少女の右手の浮き出た血管は潮が引くように元に戻り、爪が桜貝を思わせる小さなものに変化する。

 

「離して貰えますか……少し、痛い」

 

 力が入っていた腕を弛緩して、俺はゆっくり指を緩めた。するりと少女の手が抜かれ、白いシーツの上に無造作に投げられる。

 

「殺しただと? 一体、何の比喩だ?」

 

「言葉の通りです。4人とも死因は頸動脈断絶による失血死。私がしたことです」

 

 病室を沈黙が支配する。年端もいかないこの子どもが、人を殺す。俄には信じがたい事だった。頸動脈は、首の表面にあるわけではない。側面から3センチ程奥まった所に存在し、それを断絶するには力も技術もいる。だが、先程の少女の右手の変化――鋭利な爪の()が脳裡をちらつく。

 

 

「4人の写真はありますか?」

 

 少女の言葉が病室に横たわっていた沈黙を破る。俺は無言でエギナから預かった写真を並べた。

 

「拐われた順番ですね?」

 

 俺が頷くと、少女は1番目と2番目の被害者の写真を入れ替える。

 

「殺した順番です」

 

 少女は2番目の写真の少女を指差して言葉を続けた。最初にレストランで誘拐されたとされる、ベネ・ラドリフクだ。

 

「彼女が連れて来られたのは、私が拐われた翌日でした。あの男は一晩中私に『愛してる』とか『運命だ』などと囁きながら、身体中撫で回して来ましたが私が何も喋らないことに腹を立てたようでした。十数時間消えて、再び現れた時には彼女を連れていました。『貴女の中の迷いを無くす』と言って、彼女を拷問しだしたんです」

 

「何を……したんだ」

 

「彼女を()いだんです。小さなナイフで少しずつ。大腿部や臀部……肉付きのいい処から削いでいきました。あの男が動脈を切らないように……間違って獲物を殺してしまわないように気をつけているのはすぐに分かりました。何の為にそんなことをするのかも」

 

 少女の口調は平坦で滑らかだったが、顔色はとてもそうとは言えなかった。青褪めて額には汗が浮かんでいる。

 

「あの男は、私の為に私の獲物を用意したんです。私が獲物の命を狩る瞬間を見るために」

 

「殺人を強要されたのか……」

 

 俺の言葉に少女は弱々しく視線を寄越す。

 

「あの男――あいつは、言葉では何も言わなかった。『殺せ』と命令されたわけじゃない。――そして、私は殺せなかった。自分の手で人間を殺したくなかったから、殺せなかった。殺さない私に苛立って、あいつは私の指を一本ずつ折った。痛みを上手くコントロール出来なくて……私が痛がっていることを知ると、あいつは酷く喜んだ」

 

 どう理解していいのか、いや理解出来る類いの話ではないのか。思想的なものか、宗教的なものか分からないが、犯人が自分の中の一定の価値観に基づいて行動している事は分かった。そして、その価値観の中心にいるのがこの少女だ。

 

「結局、殺せないまま一晩経って、あいつは、次の少女を連れてきた」

 

 病院の待合室で消えた、サラ・ディーラを指差す。

 

「彼女は狂ったように泣き叫んでた。最初の少女より年が上みたいだったから、室内の異様な状況が怖くて仕方なかったんだと思う。…あいつはバーナーで少女を炙り始めた。最初の少女と同じように少しずつ。左手が炭化した所までははっきり覚えてるけど――私は気がついたら彼女の首を掻き切ってた。見下ろした少女は、両手と左足首まで焼けただれていて――右手と左足を炙っていた間の出来事は……良く思い出せない」

 

 再びベネ・ラドリフクを指差す。

 

「それから、部屋の隅に転がしてあった最初に連れて来られた少女の元に向かいました。彼女はまだ意識があった。すぐに頸動脈を切りました。あいつは歓喜していました。『醜い肉体から魂を解放した』だの、『貴女は女神だ』などと言って興奮してた。――それからマスターベーションを始めたんです」

 

「何だって?」

 

 少女は嫌悪感からかぶるりとひとつ身震いした。俺は聞き返した事を後悔したが、後の祭りだ。

 

「マスターベーションですよ。意味、分からないでしょう? 私だって呆然としました。兎に角、私が人を殺した事はあいつにとって快楽的な出来事だった訳です。……あいつは私に向かって射精すると部屋を出て行きました」

 

 殺人が性的興奮に直結する人間は、シリアルキラーの中には頻繁に見られる傾向だが、今回の犯人の性衝動は随分と特殊だ。あくまで対象はここにいる少女であり、少女に殺させた子ども達ではない。

 

「後は、この繰り返しです。あいつが連れてきた子どもをいたぶって私が殺す。殺した後は、あいつがマスターベーションをする。マスターベーションをしながら私を痛めつけた方がより興奮することに気付いてからは、私に対する拷問もエスカレートして行きました」

 

 少女は3番目の被害者ケナフ・サジタルと4番目の被害者レジーナ・ココの写真を指差す。

 

「彼が連れて来られた時、私は早く彼を殺さなければとそればかり考えていました。それまでは、あいつが部屋を空ける時だけ拘束されていましたが、彼以降私の拘束は必要な時だけ解かれました。解かれると、私は迷わず殺しました。あいつは、この男の子を壁に張り付けていた。五寸釘を身体に打ち付けて、『我が家のタペストリーだよ』と笑ったんです。エギナ・ココさんの娘は、生きたまま背中の皮を剥がされた。その皮で、私の髪を飾る装飾品を作るのだとあいつは嬉しそうに教えてくれた。――痛みから解放してやりたいとか、楽にしてやりたいなんていう気持ちから殺した訳じゃない。泣き叫ぶ声も、悶え苦しむ姿も……もう聞くのも見るのも嫌だった。ただの死体になれば私も楽になれる。私は自分の為に必要だから殺したんです。私が殺さなければ、今も全員生きていたかもしれない。あいつは、苦痛は与えても致命傷になる事はひとつもしなかった」

 

 少女の様子は明らかにおかしい。息切れ、発汗、蒼白な顔。少女の身体がぐらりと傾いで、俺は思わず抱き留めた。医師に、少女には絶対に接触しないように注意されたことが頭をよぎる。

 腕の中の少女の肩は細い。見える首筋は尚細い。まだ、ほんの子どもなんだと再認識した。少女が語った事は子どもが体験していい内容じゃない。

 

「もういい。もう喋らなくていい」

 

 俺の腕の中で、少女は息を整えようとしていたが、うまくいってるようには見えなかった。それでも少女は話すのを止めない。

 

「二度は、話せない、気がする。貴方に、聞いて欲しい……」

 

 忙しない息遣いが徐々に整い、震えながら息を吐いた時、俺は少女の身体を離そうとした。小さな右手がそれを制するように動いて俺の服を掴む。

 

「最後に、あの男は赤ん坊を胸に抱いてきた。今までで一番最悪だと思った。予想通り、あいつは『この子は私達の子どもとして生まれ変わる』と言い出した。狂っているとは思っていたけど、完全に脳が涌いてるでしょう? 『貴女の魂を肉体から解放し、私と貴方はひとつになろう。この子は貴女の子宮に戻してあげよう』って、うっとりしながら言ってきた。言葉通りに解釈するなら、私は殺されて死姦されて腹を裂かれて子宮に赤ん坊を詰め込まれるって事です。私は『こんな大きな赤ん坊が、私の子宮に入るわけない』と言いました。あいつは『分かってる。今から少し小さくするね』と……ずっとあいつを見ていたから、私は赤ん坊の手足をもぎ取るんだって直感した。だから言ったんです『最後に、罪深い我が子を罪深い私が抱きましょう』と。あいつは『やっと分かって下さった』と泣いて喜んだ。私の拘束を解いて私に赤ん坊を託した瞬間――私はその子を抱いて逃げようとしたんです。結局失敗して、私はあいつの逆鱗に触れた。貴方が現れたのはその直後でした」

 

 俺は、少女を抱き留めながら額の汗を拭ってやった。こんな時でも、少女の目には涙がない。泣かない――いや、泣けない(たち)なのかもしれない。まだ、子どもなのに、だ。そこまで考えて、肝心なことを聞いていない事に気付く。

 

「お前、いくつだ」

 

「……10歳です」

 

 小さく囁くような声だった。

 

「本当に、ガキじゃねぇか……」

 

 俺は、深く息を吐く。

 

「名前は? 家はどこだ?」

 

 腕の中で、少女はびくりと身体を震わせる。ゆっくり胸を押されて俺から身体を離すと、酷く真剣な表情でこう告げた。

 

「私の名前は、ミルキ。ミルキ・ゾルディックといいます。――デントラ地区ククルーマウンテンのゾルディック家に連絡して下さい」


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