そして世界は華ひらく   作:中嶋リョク

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[13]ミルキ・ゾルディックの場合(5)

 ミルキは立ち尽くす。

 

 ここは何処。……知らない場所だ。

 執事邸の内部までは行ったことがないから分からないけれど、少なくとも本邸(うち)ではない。

 

 池の対岸には高く煉瓦(れんが)積みの塀が続き、庭をぐるりと囲っている。塀の向こう側には更に緑が続いているが、それは場所を特定するヒントにはならなかった。

 

 池をフォーカルポイントに、意匠を凝らした植栽が目を引く。薔薇もツル性のものから木立性のものまで幅広い品種が咲き誇り、薔薇の足元は白と青の花を中心にカラーリーフでシックに(まと)められていた。こんな場合でもなければ、ミルキも喜んで散策しただろう。

 

 ……でも、ここは変だ。

 

 今は夏。

 春にしか咲かない一季咲きの薔薇が咲いている。薔薇に絡み付くクレマチスも春のもの。でもその足元にはパンジーや球根植物に混じって、冬に咲くニゲルが白い花を(うつむ)かせていた。ホスタの花は、確か夏だった筈。一見調和しているように見せて……その実、植生を無視した無秩序さだ。

 

 ここはおかしい。

 

 先程まで、自分は確かに橘 涼子自身だった。その橘 涼子が――目の前にいる。

 病魔に冒された面影すらなく、頬は丸く健康的な肌色だ。学校の制服姿で此方(こちら)を見詰める姿に、私は一歩後退(あとずさ)った。

 肩に、サンルームの扉がぶつかる。

 

 そう――そうだ、私は肩にイルミ兄さまの(びょう)を受けた。何で忘れていたんだろう。

 

 そっと触れた左肩には、痛みも違和感もない。――馬鹿な。あの衝撃、間違いなく(びょう)には念が込められていた。事実、兄さまの(びょう)を受けたエギナさんは、私の眼前で頭部が弾けた。糸が切れた操り人形のように床にくずおれた姿をありありと思い出す。

 

「そんな所に突っ立ってないで、此方(こっち)に座ったら?」

 

 橘 涼子が微笑する。

 私は反射的に首を振り、彼女を()め付けた。この空間はおかしい。この少女は更におかしい。

 

「お前は何? 何故、その姿をしている!」

 

「わあ、怖いなあ」

 

 橘 涼子の形をした少女は、目を丸くした後実に可笑しそうにくすくすと笑った。いつの間にか、私のすぐ側にやって来て片手をとる。

 

「え?」

 

 信じられない。私は少女の手を避けることも振り払うことも出来なかった。そっと握られた手を凝視する。視線を感じて顔をあげると、にこにこと笑う少女の瞳とぶつかった。不躾なくらいまじまじと見詰めてきて「うん」とひとつ頷く。

 

「ミルキってばかっわいー、うん、これは可愛いわ」

 

「は?」

 

 今、何て言った? 幻聴だろうか。

 

 自分の中の橘 涼子のイメージにピシリと亀裂が入る。

 

「ずっと待っていたの。というか、正直待ちくたびれちゃった。もー、待つのが苦にならない日本人とはいえ、半年以上待たせるかなー」

 

「半年?」

 

「まあ、半年ってのは言葉の綾ね。いーから此方(こっち)よ、此方(こっち)

 

 少女にぐいぐい引っ張られるまま、飛び石を渡る。

 

 四阿(あずまや)にはすっかりアフタヌーンティーの用意が整っていた。白い大理石のテーブルには庭摘みの花が飾られている。二客のカップアンドソーサにポットとジャグ。三段重ねのケーキスタンドにはサンドイッチやスコーン、小さなケーキまで盛られていた。

 

「さあ、二人だけのお茶会(A Mad Tea-Party)を始めよっか」

 

お茶会(A Mad Tea-Party)って…」

 

 私は咄嗟にポットを見る。

 

 “A Mad Tea-Party”は、『不思議の国のアリス』に出てくる三月ウサギの庭園で開かれるお茶会の事だ。

 

 ハートの女王の怒りにより時を止められてしまったいかれ帽子屋(The Mad Hatter)が、三月ウサギとヤマネと共に永遠に終わらないお茶会を催すのだ。困惑したアリスが立ち去る間際、ヤマネはいかれ帽子屋(The Mad Hatter)と三月ウサギによってポットの中に捩じ込まれるというシーンがある。

 

「心配しなくても、ヤマネなんかポットに入れないわよ――ね、座ってミルキ」

 

 私は戸惑いながらも慎重に席に着く。状況が分からない以上、相手の出方を待つしかない。この状況がもし――念能力によるものだとしたら、分はこちらに悪過ぎる。

 

「私のことは――そうね、リョウコでいいわ、便宜上」

 

 先ほどから、少女の発言は引っ掛かる事ばかりだ。「ずっと待っていた」とか「便宜上」とか。まるで試すような事を言う。それに……私が知っている橘 涼子の印象と何だか違う。病院での彼女はもっとこう……ストイックなイメージだ。私に対峙する今の彼女は、表情がころころと変わる年相応の少女にしか見えない。

 

「無理もないけど、随分警戒されちゃってるなあ。そんなに見られたら穴が開いちゃいそう。でも、必要ないわ。――私は貴女で、貴女は私よ。私の手を振りほどけなかったでしょ?」

 

 「だって、自分だもんね」と少女は笑う。ティーコジーから蒸らしておいたポットを取り出すと、ティースプーンで中をひと掻きする。リョウコは慣れた手つきで紅茶をカップに注いだ。差し出された紅茶は見た所まともそうだ。ダージリンの香気が顎を(くすぐ)る。

 

「さあ、この状況からミルキが導き出す答えは?」

 

 カップを持ち上げて片目を瞑ると、リョウコは私を挑発した。私は視線を落とし、カップの中のオレンジがかった水色(すいしょく)をじっと見る。

 

「私が最初に考えたのはーー貴女(リョウコ)が敵である可能性。この空間は念能力により形成されたもので、何らかの目的で私は拘束されている。貴女(リョウコ)は、私の動揺と油断を誘うために、最も効果的な姿が選ばれた結果」

 

「あらら……まあ、そう考えるのも無理もないかー」

 

 がくり、と大袈裟なほど肩を落としたリョウコに、私は(かぶり)を振った。

 

「違う?」

 

「違う。私が覚えている限り、近くには兄さまとジンさんが居た。他に能力者が居たとしても、あの二人がいて出し抜かれる訳がない」

 

 私はイルミ兄さまの攻撃を受けた。エギナさんを殺すために放たれたものだ。念を習得していない私が「悪意ある念」の攻撃を生身で受けたのだ。ただで済む筈もない。単純に考えると――。

 

「私は悪くて死んでいる」

 

「なるほど、あの状況ならねぇ……。ふふっ……じゃあ、ここは天国かな。――他は?」

 

「これはただの夢」

 

「うん、それから?」

 

「これは現実の再現」

 

 リョウコは目の前で紅茶を飲む。私もひとくち飲んでみた。――美味しい。ダージリンは久しぶりだ。最近はキーマンばかりだったけれど、ちゃんと茶葉の味も香も水色(すいしょく)も覚えていたらしい。

 これは、ゴトーの淹れてくれる紅茶の味だ。それが再現されている。そう、“再現”だ。

 紅茶だけじゃない。日の光、緑や土の匂い、頬にあたる風――全てが信じられない程の緻密さで再現されていた。

 

「で、結論は?」

 

「私は死にかけちゃいるけど、まだ死んではいない。全ては私のここで起こっている」

 

 私は人差し指で自分の額を指差した。ここは、私の脳内世界だ。現実の私は恐らく昏睡状態に陥っている。今の私は夢の中の登場人物みたいなもの。だから髪も長く、肩に異変もない。

 

 目の前のリョウコは、私の脳が持つ情報から形成されたもうひとりの私。私の中の「橘 涼子」だ。性格が多少違うように思うが、私が思い出せていないだけで本来溌剌とした少女なのかもしれない。いや、そもそも夢だ。庭の植生が現実ではあり得ないように、全てに整合性を求めてはいけない。

 

 どういう理由か分からないが、私は自分の過去の記憶に囚われてさ迷っていたことになる。私はずっと彼女の最期の時間をトレースしていた。それこそ自分が橘 涼子自身だと思い込むほどに。

 

「病院で見ていたのは――(ミルキ)の姿を借りた貴女(リョウコ)だったのね」

 

 リョウコは「ご名答」と満足そうに微笑む。パチパチと拍手までしてみせた。

 

「ただ、言っておきますけどね。私の闘病生活の大筋はあの通りだけれど、あの「橘 涼子」はミルキバージョンだから」

 

「ミルキバージョン?」

 

 リョウコは頷く。カップをソーサに戻すと「あれはあくまで私の記憶を基にした、ミルキの疑似体験だから」と口を尖らせた。

 

「私はもっと考え方は子どもだったし、あんなに全てを受け入れて死んだ訳じゃない。両親には絶望したし恨みもした。なんで自分がこんな病気に、って世の中を呪ったわよ。勿論、私の側に“死神”の貴女(ミルキ)なんて現れなかったわ。悔しくて悲しくて、恨んで呪って独りで死んだの。ーーだから、ミルキに私の最期を辿って貰ってーー何だか慰められちゃった。私の死を穏やかなものにしてくれて、ありがとう……」

 

 ミルキは瞠目する。

 本当に、ここは私の脳内なんだろうか。自分で言っておいて疑うなんてどうかと思うが、目の前のリョウコは余りに自分と違い過ぎる。

自分である筈の彼女からもたらされる情報は知らない事が多すぎて戸惑うばかりだ。

 

「どうしたの? 変な顔して」

 

「私とリョウコは同じ筈よね? 貴女が喋る内容は、私が思いもしない事ばかりだわ。正直、驚いてる」

 

「うーん……そう感じるのは、より橘 涼子に近しい私と、よりミルキ・ゾルディックに近しい貴女との会話だからかな。――私も貴女も、ミルキ・ゾルディックの脳内におけるひとつの解釈の姿。そういう役割なの。ミルキ・ゾルディックは――あの子は優しいから……私の願いを叶えようとしてくれている」

 

「それは、どういう……」

 

 そこまで言って私は口をつぐんだ。何故かこの先を聞きたくないと思ったからだ。リョウコは、病院で私に見せた物憂げな表情に変わる。次いで、私の後方に視線を外すと「時間だね」と呟いた。

 

 四阿(あずまや)の屋根にパラパラとあたる音に私は顔を上げた。

 

「雨……?」

 

 池にも、池を取り囲む緑にも静かに雨が降り注ぐ。空は晴れているのに、雨滴が水面に波紋を作り緑を揺らした。太陽を受けて雨がきらきらと光る。いや――雨じゃない。

 落ちてくるのは、小さな何かだ。無数の小さな欠片がこの空間を満たしていく。欠片は地面に落ちると一瞬で弾けて消えた。

 私は思わず立ち上がる。

 これは何? 何が起きている?

 

「ここは、もうすぐ閉じるわ」

 

 リョウコも席を立つと、空に向かって手を伸ばす。降り注ぐ欠片が彼女の手にあたると光の粒子を煌めかせながら消えていった。

 

「この空間は長くはもたない。上から崩れはじめたの」

 

 リョウコの言葉に冷や汗が背中を伝う。空間が閉じる? ここにいる私達はどうなる? リョウコは私の両手を握りしめると「大丈夫よ」と笑う。次いでふんわりと私を抱き締めた。私は身動(みじろ)ぎしたが、リョウコの腕が引き留める。

 

「……ミルキ、ごめんね。ここまでミルキを呼んだのは私。どうしても貴女に会いたかったから。深く潜り過ぎて一時期貴女は私の最期に囚われてしまったけれど、あの記憶は見せるつもりじゃなかったの。何度も止めさせようとしたけど、ミルキと記憶のリンクが強すぎて、貴女(ミルキ)の姿で時々干渉するのが精一杯だった」

 

 リョウコはもう一度「ごめんね」と言うと、私から離れた。ゆっくりと後退(あとずさ)る彼女を複雑な気持ちで見送る。

 

 私は転生者であることを自覚していたが、死に様までは記憶していなかった。数ある欠落した記憶のひとつと捉えていて別段気にしていなかったのだ。彼女の言葉は、わざと思い出さないようにコントロールされていた事を示唆している。

 

「ミルキ、“念”って不思議よね。一見何でもアリに見えるけど、決してそうじゃないわ。“念”を習得するのに何故時間がかかると思う?」

 

 突然、矛先の変わった話に私はパシりと瞬きした。リョウコが言っているのは、瞑想でゆっくり起こす時のことを言っているのだろうか。

 

「それは……体内のオーラの流れを感じとるのが困難だからよ。例えば、体内に血液が循環していることを私達は知識として知っている。けれど、実際に血液の流れを感じ取れるかというと難しいわ。血液は、激しい運動をした時の拍動や脈の動きでまだ想像する手掛かりはあるけれど……オーラなんて掴み所のない概念だもの。まずオーラの存在を信じる所から始める必要もある。本人の資質に左右されるのはその為ね。精孔を開くなら尚のこと難しいわ」

 

 リョウコは、「そうね」と肯定した。人差し指を立てると、悪戯っぽく口角を上げる。

 

「私、時間だけはあったからミルキ・ゾルディックの目を通してずっとあの世界を見ていたの。そこでひとつ気付いたわ。“念”ってとっても天則的だ、って」

 

「天則的?」

 

「何かを得るには、何かを差し出さないといけない、ってこと。自然の摂理よね。要は等価交換。誓約と制約なんて正にそうじゃない。自由を差し出す代わりに力を得るのよ」

 

 “念”を習得するのに時間が掛かるのは、時間を差し出すことが代償になるからと言いたいのか。つまり、習得する時間に個人差があるのは、「天才の1日と凡人の1日は価値が違うから」ということにもなる。天則的、というか……実も蓋もない話だ。

 

「無理矢理起こす場合、やっぱりその代償は大きくなる。命をチップに力を得るのよ。払いきれない場合は、本当に自分の命で購う事になるし、悪意ある念で起こされる場合、リスクは更に跳ね上がる。運良く生き残れても、手足の欠損や脳へのダメージなんかでツケを払う羽目にもなるのよ」

 

 リョウコの後方で、この世界の崩壊が加速する。降り注ぐ欠片の密度は明らかに高まっていた。

 

「だから、代償を払わなくちゃ」

 

 リョウコの後方がぐにゃりと歪む。空間が捻れて小さな子どもが現れた。私は咄嗟に悲鳴を飲み込む。

 

 子どもはイルミ兄さまの形をしていた。だが、別人だ。目が違う。――あれは、悪いモノだ。悪意そのものだ。

 

 濁った目がぎろりと私を捉える。子どもを中心にドロリとした黒い渦がこの空間を急速に歪ませているのが分かった。渦に触れた部分からパキパキと音を立てて崩落していく。子どもが一歩、二歩……と私に向かおうとした所で、リョウコが子どもを抱き締めた。

 

「あの人はダメだよ。代わりに私をあげるから」

 

 イルミ兄さまの形をした子どもがピタリと歩みを止める。にたり、と口角を上げたかと思うと、「チョウダイ」とガサガサした声を発した。

 

「うん……、いいよ」

 

「リョウコ! 駄目!!」

 

 足が地面から動かない。

 助けに行きたいのに、私は一歩も動けなかった。

 

 目の前でリョウコが渦に飲み込まれる。健やかだった肌の色がどす黒く染め上げられて、パラパラと崩れていくのを呆然と見た。

 

「ミルキ、私のこと忘れないでね」

 

 黒く染め上げられた血管の浮いた顔で、リョウコはにっこりと微笑んだ。

 

「貴女が忘れない限り、私は――橘 涼子は貴女の中で生き続けるの。だから、私は本当の意味で消える訳じゃない。きっと覚えていてね。約束よ」

 

 剥離の激しくなった顔で、リョウコは優しくミルキを見詰める。子どもはリョウコの体に半ばめり込む形で嬉々としてリョウコを浸食していた。あんなの――あれは、絶対にイルミ兄さまじゃない。兄さまの形をしている事に、悪意の悪意たる所以(ゆえん)を突きつけられる。

 

「やめてよ、やめて!」

 

 今、自分が死んでいく。もうひとりの私が。

 

「わたし……ね、ミルキの、家族……好き、だ……た。ちょっ……と、変わっ……て、る、けど……。それ、か……ら」

 

 大好きよ、ミルキ。

 

 最期の言葉はリョウコと一緒に空気に融けて、ぱちんと消えた。

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

……ピッ……、ピッ、ピッ、ピッ……。

 

 まず耳に入ったのは、規則的な電子音だった。

 次いで、アイボリーの天井と黄色を基調とした明るい壁紙が目に入る。ベッドルームというには無駄に広い。

 キングサイズのベッドの周りを大仰な医療機器達がぐるりと囲っていた。

 

 近くに人の気配がして、視線を動かす。メイド服に似た白いスカートを履いた女が居た。咄嗟に声を出そうとしたが、掠れた吐息しか漏れなかった。だが、それで充分だったようだ。

 女は目を見開くと「意識がお戻りになられた」と呟いて急ぎ足で部屋を辞した。

 

 ああ、何だっけ。駄目だ、混乱してる。

 先程から頭痛が酷い。身体も重く、左肩には突き刺すような痛みと痺れがあった。全身を支配しているのは、恐ろしい程の倦怠感。指を動かすのも億劫(おっくう)で、自発的な呼吸さえ苦労する。

 

 女が消えてから程なく、部屋の扉が静かに開かれた。

 

「目が覚めたか」

 

 私を覗き込む初老の顔に見覚えはあったが、すぐに名前が出てこない。懐かしさだけは確かで、私は顔を歪ませた。

 

「まだ、纏が不安定じゃな――いや、纏というには語弊があるレベルか。どれ、わしが少しコツを教授してやろうて」

 

「お祖父(じい)……さ、ま」

 

 思い出した。この人は私の祖父――私のお祖父(じい)さま。ゼノ、お祖父(じい)さま。

 私はミルキ。ミルキ・ゾルディック。

 

 私はモローク地区の病院で、イルミ兄さまの(びょう)を受けた。ここは、ククルーマウンテンのゾルディック家。本邸の……私の私室。大丈夫、覚えてる。思い出せる。

 

 瞬きすると、するりと涙が目尻から零れた。

 ただただ、喪失感が胸に去来する。

 この喪失感は――橘 涼子だ。

 

 あれは只の夢じゃない。多分――いや、間違いなく持って行かれた。でないと、この飢餓感を説明出来ない。記憶はある。だがそれは今までより随分余所余所しくて、実感の伴わない記録のようだ。

 

「みん……な、は?」

 

「今は夜中でな、キルア以下は皆寝ている。他は仕事じゃ。ミルキの意識が戻った旨の連絡はしておる。わしも今回ばかりは駄目かと思うた。帰ってきたら大目玉を覚悟しておくことだ。――特にイルミからのな」

 

 ゼノお祖父(じい)さまが片手で目を塞ぐ。

 

「目を閉じて。呼吸は出来るだけゆっくりがいい。意識は内側に……感覚は外に。身体の内側を巡るオーラを感じるじゃろう?」

 

 波のない湖畔を思わせる静かな声を聞きながら、私は小さく頷いた。

 

「その流れは例えるなら何じゃ?」

 

 例えるなら? 例えるなら――そう、水だ。流れる水。

 

「水……」

 

 呟くと、「ほう、水か」とゼノが声を返した。

 

「では、その水の流れが内側を巡り……徐々に大きな奔流となって身体を包み込むイメージ。あるいは、身体を囲う透明な入れ物に注ぎ込むイメージ。一番自分にしっくりくるイメージを思い浮かべてみるといい」

 

 私は頷くと 、水の流れが螺旋状にぐるぐると巡るイメージをしてみた。繰り返し思い描くと、ほんの少しだけ身体が軽くなる。でも、このイメージを維持するのは存外疲れる。

 

「うむ、先程よりかは幾分マシじゃ。精度はまだまだじゃから、励むといい。身に付けば、回復も早い。おや……寝たか?」

 

 眠い。眠くて、眠くて。

 願わくば、夢さえ見ない深い眠りでありますように。

 

 お祖父(じい)さまの声を遠くに聞きながら、私は再び意識を手放したのだった。


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