「はい。ゲージ屋です」
携帯に表示された非通知の文字を認識した瞬間、ワンコールで俺は通話ボタンを押した。電話に出ながら、俺は愛車を道路脇に急停止させる。俺のやや乱暴な運転に、隣に居たチャーリーは何事か文句を言ったが、俺は「うるせーよ」と緩く笑う。
ハンター試験を奇跡の合格で突破した後、紆余曲折を経て俺は協専ハンターとなっていた。この仕事が軌道に乗ってから今年で早5年が過ぎた。3千万Jあった借金も、4年目には完済した。協専ハンターは一般的なハンターと比べ、実入りは少ないと言われている。まあそれは事実だ。正直俺も協会からの斡旋料にあまり期待していなかった。
だが、4年強で3千万Jを返済出来たのだ。協専ハンターだからと、そこまで卑下するものではないだろう。
とはいえ協専ハンターは、ハンター内においても蔑視の対象だ。
仕事で派遣された先で、同じハンターと知り合ったことがある。彼はハンター協会から紹介されたのとは別口……つまりは雇い主が協会を通さずに募集したプロハンターだった。俺が協専ハンターだと名乗ると「ああ、それっぽいね」と明らかに馬鹿にした態度をとられた。
まあ、名乗る前から携帯をピコピコ
だが、俺はそんなことで腹を立てるような狭量な人間ではない。世の中は不平等に出来ている。小さい頃から一座と共に各地を渡り歩いてきた俺には世の中のそういった仕組みについて息をするように理解していた。そもそも、最初に出会ったプロハンターがビスケお嬢さんだったのだ。いくら若かろうと、年齢的にアレを超える人間はそうそういない。自分より格上の人間が成人を迎えていないくらい、どうということもない。要は嫉妬しなければいいだけの話だ。
しかも、そのイケメンプロハンターは恐らく今頃生きてはいまい。俺が雇い主の依頼を遂行するために屋敷を離れていた間、とある盗賊団の襲撃があったのだ。襲撃した犯罪グループの名前はなんと言ったか……そこは思い出せないが、屋敷は壊滅状態で生存者はいなかったと言う。全くもってイイ気味……いや、惜しい人材を亡くした。彼の意志は協専ハンターである俺がしっかりと引き継いでやろう。
『仕事です』
携帯から、爽やかな青年の声が聞こえる。いつ聞いても高原を駆け抜ける風のように涼やかな声をされている。
“捨てる神あれば拾う神あり”
これは俺のためにあるような言葉だ。
俺には恩人が二人いる。一人はまあ……ビスケお嬢さんにしておこうか。もうお
ハンター証を得た当時、莫大な借金を抱えていた俺はその返済のため迷わず協専ハンターに登録した。しかし仕事はさっぱり回って来なかった。これといった“発”もない、戦闘が強いわけでもない、学識もない。ないない尽くしの俺に仕事を回しようがなかったのだろう。
登録のための『特技』欄に、俺は『腹話術』と書くより他はなかった。登録用紙を受付に提出した際、女性職員に「これは冗談ですよね?」と聞かれ「いや、大真面目です」と返した時のお姉さんのあの顔。
きっと俺は、あの色気むんむんお姉さんの恋愛対象から永遠に追放されたんだろうな。うん、間違いなくそんな顔をしていた。
焦るばかりで無為の3ケ月を過ごしていた俺に、一本の電話が掛かってくる。
『こんにちは。ぼく、パリストンと言います。エドガー・ハーケンさんでいらっしゃいますね?』
最初、彼の声を聞いた時、「うさんくさい」とか「こいつは嘘つきの声だ」などと思った自分を殴り飛ばしてやりたい。彼ほど誠実な人間はいないというのに。
彼から電話を貰った翌日、ハンター協会にほど近い喫茶店で俺たちは落ち会った。パリストンさんは終始笑顔を絶やさない爽やかなイケメンで、高級そうなスーツをぱりっと着こなしていた。やはりその笑顔が「偽物っぽい」などと思ったことを俺は恥じる。
彼は俺の生い立ちや境遇を親身になって聞いてくれたばかりか、俺の“発”について多大なアドバイスをしてくれた。曰く「器用貧乏より、特化型の“発”の方が需要がある」だの「貴方には『腹話術』という他の追随を許さない立派な特技がある」だの「腹話術という特技を活かして、制約と誓約で能力を底上げすれば一流になれる」だの、目から鱗の情報ばかりだった。
パリストンさんと会話しているうち、俺が今まで悩んでいたことは馬鹿みたいなことだったのだと気付かされた。不思議に自信が漲って、何でも出来るような気分になり酷く高揚したことを覚えている。まるで自分が自分でなくなったかのような……兎に角不思議な感覚だった。
そこからの俺は我ながら凄かった。自分でも信じられないくらいの集中力と情熱で、自分の“発”の開発に取り組んだ。特化型……腹話術……そして俺は操作系だ。方向性は決まっている。あとはそれをどう具体化するかだ。心もとないオーラの練度については、制約と誓約で爆上げすれば何とかなるだろう。
来る日も来る日も、俺は“発”の事だけを考え、開発する為だけの日々を過ごした。その甲斐あって、パリストンさんとの会合から実に4ケ月後――俺の“発”は完成した。
俺は喜びの余り、教えられていたパリストンさんの携帯に電話した。「拘束力に特化した“発”が完成しました」と言うと、彼は我が事のように喜んでくれた。「偶然にも、今そういう能力を持ったハンターが不足していましてね。とても助かります」とお礼まで言われた。何て腰が低いのだろう。彼はダブルハンターだ。本来なら、協専ハンターにも成り切れていない俺が、まともに口をきける相手ではないのに。俺はただ感激した。
この人のために、俺の能力の範囲で出来るだけお役に立とう。
そう誓った5年前。
懐かしく思い出しながら、俺はパリストンさんの次なる言葉を待った。
『エドガーさんは、確かお住まいはパドキアでしたね?』
「え? ……ええ。カサブランですが……それが何か?」
俺の言葉にしばし沈黙が降りる。
いつもと少し勝手の違う会話に、俺は神妙になった。兎に角彼は多忙だ。いつもなら、すぐに仕事の内容に入るのだが。
『次の仕事ですが、そのカサブランの警察署にいる被疑者の拘束をお願いしたいのですよ』
特殊な仕事なのだろうか、と構えていた俺は安堵で息を吐き出した。何てことはない。よくある仕事だ。逃亡の恐れのある人間や、他者へ危害を加える恐れのある人間を一定期間拘束するのが俺の主な仕事内容だ。あのザバン市史上最悪のシリアルキラーと言われる
「へえ、カサブラン市警ですか? 近いですね。今から30分もあれば現場に行けます」
俺の言葉にパリストンさんはくすりと笑ったようだった。
『――いいえ。出来れば4時間後くらいに行って貰えませんか?』
「は? ……4時間後、ですか? 勿論構いませんが」
『ええ、お願いします。詳細は、いつものように端末に送ります。――4時間後、ですよ?』
含みのある科白を最後に、通話は切れた。……よく、分からないが兎に角仕事だ。俺は助手席のチャーリーを確認する。心なしか不機嫌そうだ。
「おい、相棒。仕事だってよ」
『何ガ相棒ダヨ! サッキノ運転デ首ガモゲルカト思ッタゼ!!』
「まあ、そう言うなよ。いつもの、パリストンさんからの紹介だ。さくっとこなして家に戻ったら、久し振りに新しい服でも買ってやるから」
『フン! アイツカ!! 俺ハアイツガ嫌イダネ。信用シチャイケナイ男ダ』
「お前ねえ、あのお方は俺達の恩人じゃないか。何でもかんでも疑うのはお前さんの悪い癖ってヤツだ」
『オ前ハ何デモカンデモ信用スルノガ悪イ癖ダ。――ソレカラ、服ハ3着ダゾ!』
「へえ、へえ。分かりました」
俺はチャーリーの言葉に頷くと、車を発進させる。仕事まで少し時間が出来た。ヘソを曲げているチャーリーに先に服を買ってやるか。
元来た道をUターンして市街地へと向かう。チャーリーは、俺の意図が伝わったのか何となく嬉しそうだ。無機質なガラス玉の瞳ではあるが、怒気も少し和らいだような気がする。俺は、助手席の相棒を「現金だな、おい」と少し小突く。小突いたせいで、チャーリーの首がかくりと右に傾いだ。ナイロン製の黄色い頭髪が、ばさりと頬を覆う。
そう、チャーリーは愛用の腹話術人形だ。別にオーラで人形を操っている訳じゃないし、人形自体を具現化している訳でもない。そもそも具現化系でもないのにそんなオーラの無駄遣いを俺がするワケがないだろう? さっきまでの会話は、当然全て俺一人でこなしている。完全な一人芝居状態だ。これが俺にとっての制約と誓約のひとつ目となる。
腹話術師にとって相棒である
これは家族の前だろうが、他人の目があろうが決して破ってはならないルールだ。お陰で、家族は俺と出掛けることを断固拒否するようになった。理由は簡単だ。道行けば、必ず職質されるほど怪しいからだ。俺がチャーリーと『会話』をしながら外を歩けば、まるでモーゼの十戒のように人混みが割れる。授業参観にまで連れて行ったら、娘には泣かれた。以来、学校行事は全て嫁の仕事となっている。入学式は仕事で行けなかったから、卒業式にはせめて出たいのだが……。やっぱりダメだろうな……。
車を運転しながら、俺は仕事用とは違う携帯を胸ポケットから取り出す。
嫁に、営業が入ってしばらく留守になると告げるためだ。家族には俺がハンターであることは教えていない。
これがもうひとつの制約と誓約で、『2親等までの親族に俺がハンターであることを決して知られてはならない』というものだ。
実はこっちの方がなかなかにしてキツイ。俺が腹話術師としてメディアに取り上げられている所など見たこともない嫁に、「それで営業が入るのか」と一度問い質されたことがある。その時は、メディアに取り上げられるような腹話術師は実は二流以下なんだとか、一流どころは、セレブ相手のパーティーやイベントにしか出ないものなんだと言って誤魔化した。
実際、俺は毎月きちんとそれなりの生活費を渡している。嫁は溜め息をつくと「よく分からない世界ね」と言って最後には笑ってくれた。あの時ほど肝の冷えたことはない。
『もしもし?』
数コールの後、嫁が出る。俺は明るい声で「営業が入ったよ~」と告げたのだった。
――――――――
俺がこの仕事を引き受けて6日目の夜だった。
「さあ、チャーリー。次の演目までお休み」
俺がそう告げると、男がだらりと四肢を弛緩させた。糸の切れた操り人形のように椅子に腰かけたまま机の上に突っ伏す。机に顔面から落ちたせいで男の掛けていた眼鏡が
この留置所は午後10時には消灯だから、その頃に守衛の警察官がこの男を寝床まで運ぶだろう。
俺? 運ぶ訳がない。
俺は鉄格子の扉を潜ると、部屋の隅に置かれたソファーにどかりと腰を降ろした。次いで、男を連行してきた警察官二人が鉄格子の扉を閉める。カシャン、と電子ロックの音が響いた。
因みに、俺はハンター協会から派遣されてきた催眠術のスペシャリストとして紹介されている。いつ聞いても笑える設定だ。まあ、念自体が秘匿事項である以上仕様がない。
「では、我々は夜勤と交代します。ゲージさんはいつも通りで?」
「うん、俺は消灯時間まで居るから。お疲れ様~」
この部屋の中は鉄格子で仕切られている。格子越しに見えているのは、被疑者の灰色の髪だ。“発”の間、この男が俺にとってのチャーリーとなる。
とはいえ、本物のチャーリーをホテルのクロークに預けてしまうような度胸は俺にはない。破損や盗難も怖いが、“発”を解除する時はチャーリーが必要だ。被疑者の護送が前倒しになることもあるから、何時でも解除できるよう今もトランクに仕舞ってソファーの下に置いてある。
先にも述べたように俺の“発”は、特化型だ。正確に言うと、相手を無力化することのみに重点が置かれている。ただし、無力化できる人数は一度にひとりな上、コントロールが効くのは身体的なものだけだ。心の内を吐露させるとか、偽りなく自白させるといったオプションは一切ない。それでもパリストンさんが俺の“発”を重宝してくれるのには訳がある。
俺の“発”は、相手が俺より格上であろうと一切影響を受けない。しかも、一度発動すると解除するまで何日でも継続して自由を奪うことができる。その間一定のルールを順守すれば、俺は相手をコントロール下に置いたまま休息や睡眠をとることも可能だ。ただし、俺が対象者から離れていられる時間には制約があり、一日10時間までが限界だけれど。
そしてこれが一番の売りなのだが、“発”を解除した後の後遺症が全くない。オーラを無機物や生物に送り込んで操作するという性質上、操作系能力者が人間を操作すると大なり小なり後遺症が出る。念を習得していない人間相手ならほぼ間違いなく操作後に死ぬし、念能力者であっても身体の不調や記憶障害が生じることがある。……とか言いつつ、他の操作系能力者の“発”を見たことがないから「へえ、そうなんだ」としか言いようがないが。
それもこれも、この能力のためだけにオーラを全振りしていることと、日常生活を犠牲にした制約と誓約の賜物だ。後遺症の有無については実は結果論であって、俺が意図したことじゃない。愛着あるチャーリーに『見立て』ていることが何らかの安全装置となっているのかもしれない。“念”は実に奥深い。
俺が今拘束している男は、カサブランで非公開捜査となっていた連続幼児誘拐・殺人事件の犯人だ。非公開となっていたのは、観光都市であるカサブランの経済を
端末に送られてきた情報を見る限り、殺された子ども達は皆惨い状態で見つかっている。同じ子どもを持つ父親として、絶対に許せない種類の人間だ。
だが、どうやら生き残った子どももいるらしい。助け出したのは、あのダブルハンターのジン・フリークスさんだ。ジョセ・ヴァーシの引き渡しの際に少し会話をしたが、野性味があってさばさばとした人物だった。パリストンさんといい、ジンさんといい、星持ちのハンターは本当に素晴らしい。
そんなことを思いながら、俺はソファーにごろりと横になる。消灯の時間まで少し寝ていよう。長くもない足をソファーの肘掛に乗せた俺は、そこでぎくりと身を
髪も服も全身真っ黒な人間が、俺の足先にいつの間にか立っていたからだ。悲鳴を上げなかった分俺は自分を褒めてもいいだろう。実際は、驚き過ぎてフリーズしただけだが。
――足音どころか、今の今まで気配ひとつしなかった。
動揺しながら警察官が出て行った扉を見る。……しっかりと閉まっている。俺がこの部屋にひとりになってソファーに寝転ぶまで、扉の開閉音は聞こえなかった筈だ。
ぐりん、と唐突に向けられた瞳は艶消しの黒だ。そいつが動いたことで、初めて部屋の空気が揺らぐ。
「操作系だよね。少ないオーラを全振りしてるみたいだけど、それでどうやって自分の身を守るの?」
その言葉を聞いて、どっと汗が噴き出る。
多分こいつは
それも、とびきりヤバい。身に纏うオーラの威圧感がこう……いろいろとオカシイ。それを差し引いたとしても、感情を拾えない無表情さは話が通じる相手とは到底思えなかった。
「ああ、答えなくていいよ。使い捨てのハンターなら仕方ないよね」
今、何か気になることを言われた気がするが、心臓の鼓動が煩くてどうにも思考が横滑りする。
闇の申し子のようなそいつは、正面を向くと黒い瞳を被疑者に固定した。
「解除」
「……えっ?」
「“発”さえ解除すれば、あんたの命までは取らない。――今ひとりでも殺ったら、歯止めが効かなくなりそうで困るんだよね」
最後の方は独り言に近かった。“発”を解除しろ? この少年は拘束している男の仲間だろうか。ジョセ・ヴァーシを助けに来た?
端末に送られて来た情報では、ジョセ・ヴァーシは単独犯だった筈だ。協力者がいたとは聞いていない。
少年の言動を確認するまでもなく、俺の臆病な本能が『こいつは危険だ』と告げている。解除したとして、その後どうなる? 命までは取らない? ダメだ全く信用できない!
だが、何れにしろ俺に選択肢はない。
俺は乾いた喉を無理やり嚥下すると、こくこくと頷く。
そうして“発”を解除するべく、ソファー下のトランクを引っ張り出したのだった。