そして世界は華ひらく   作:中嶋リョク

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あと数話でシャウエン事件編の収束です。


[19]イルミ・ゾルディックの場合(4)

 空には少しばかり欠けた月が浮かんでいて、窓を介してイルミの(おもて)を青白く照らしていた。能面のよう、と評される顔は、人工的な光を受けた時よりも月明かりの下でより真価を発揮する。暗殺家業は大抵夜に行うものだ。月光に照らされた自分を見ると、ターゲット達は大概腰を抜かす。どうやらこの世ならざる者にでも見えるらしい。尤も、悲鳴を上げる前に始末してしまうから、確認したことなどないが。

 

 イルミは長く続く廊下の半ばで突如歩を止めた。

 今から向かう先に、複数の人間の気配がする。馴染みのある気配が3つ。それ以外がひとつ。携帯をポケットから取り出して時刻を確認し、眉を顰める。それから速やかに自分の気配を消した。

 

 目的の部屋に入ると、寝室の扉が僅かに開いていた。隙間からは照明の灯りと笑い声が漏れている。幼児特有の舌っ足らずの喋り方と高い声。キルアとアルカの声だ。

 

 モローク地区からの帰路。本邸(うち)まであと1時間ほどの上空で、ボクはミルキの意識が戻ったことをゼノ祖父(じい)さんからの電話で知った。とはいえ、纏もまだ不安定で身体の衰弱も激しかったからか、ミルキはすぐに寝てしまったと聞く。当然まだ寝ているだろうから、今は顔を見るだけにしようとここまでやってきたが――蓋を開けてみればこれだ。

 

 中の様子を窺う。ミルキの腕の中にはアルカが。すぐ傍にはキルアがベッドの上に座り、しきりにミルキに話し掛けていた。ミルキはにこにこしながらそれを聞いて、時折アルカの頭を撫でる。控えている執事もミルキ達の様子に目を細めていた。確か、あれはアルカの世話係のミツバだ。

 

 

「さあ、ミルキさまもお目を覚ましたばかりですからね、もうお部屋に戻りましょうか」

 

 ミツバから掛けられた言葉にキルアがむくれる。ぷう、と不満そうに頬を膨らませると、ミルキにしがみ付いた。

 

「やだ。オレ、みるねえちゃといっしょにねる」

 

「あーかも! あーかも!!」

 

「ええ~っ 困りますよぉ。ちょっとお顔を見るだけって約束だったじゃないですかぁー」

 

 ミツバが慌てるが、あまり本気で(たしな)めている様子ではない。

 

 ……何だか無性に腹が立つ。家族に対してあまりマイナスの感情を持たないボクが、眼前の光景に苛立ちを覚える。人の気も知らないで、とか呑気なものだ、といった呆れからだけじゃない。名前のつかない感情に自分でも首を傾げる。

 (いず)れにしろ、キルアもアルカもこの部屋から出て行ってもらう。時間は深夜3時を過ぎたばかり。いくらゾルディック家の子女といえども、子どもが起きるにはまだ早い時間だった。どうせミルキの意識が戻ったことに執事達が騒いで、その騒ぎでキルア達も目を覚ましたのだろう。アルカと二人で御しやすいミツバに面会をせがんだか。

 ボクは気配を断つのを止めて、樫の扉を開ける。全員が一斉にボクを見た。

 

「ミツバ、ミルキは意識が戻ったばかりなんだけど」

 

「イ、イルミさま!!」

 

「夜明けくらい待てなかった訳?」

 

 不機嫌なままミツバを睨み付ける。ミツバは慌てて「申し訳ありませんでした!」と一礼した。

 

「キルア、アルカ、部屋に戻れ」

 

「やだよ」「やっ」

 

 反論されて、ボクはギロリと二人を睨んだ。つい殺気が漏れて、キルアが咄嗟に部屋の隅まで跳ぶ。多分に本能的なものなのだろう。姿勢を低くしてキルアは警戒体勢をとる。対してアルカはミルキにしがみつくと、わあわあと泣き出した。ミルキはアルカを庇うように抱え込むと、咎めるような視線を寄越す。

 

「……兄さま、お帰りなさい。ね、キルアとアルカが怯えてる。殺気を仕舞って」

 

 ボクは殺気を仕舞うと、壁に腕を組んで凭れる。自然とため息が短く漏れた。ミルキの意識が戻ったのは喜ばしいが、こんな再会を望んでいた訳じゃない。第一声で咎められるとは思わなかった。

 

「ミツバ、キルアとアルカをお願い」

 

「はいっ」

 

 ミルキからアルカを受け取って、ミツバは部屋の隅で未だ怯えているキルアを回収する。

 

「みるねえちゃ……」

 

 ミツバの腕の中で目を潤ませているキルアに、ミルキはにこりと笑った。

 

「大丈夫よ、イルミ兄さまは怒っている訳じゃないの。心配してくれているだけだから」

 

 「いい子でお休み。また昼においで」と言うと、ミルキはキルアとアルカの額にキスを送った。ボクはやはりむっとした。

 

 

 

――――――

 

 

 

 キルアたちが退室した後の寝室に沈黙が降りる。ミルキは居住まいを正すと、可笑しそうにくすりと笑った。ボクは壁に凭れたまま、ミルキを()めつける。

 

「キルアにああは言ったけど……兄さま、本気で怒ってるよね」

 

「……怒ってるよ。凄くね」

 

 ミルキの価値観はおかしい。ボクにとって、他人とミルキの命は天秤にかけるまでもないものだ。他者より自分だし、自分よりゾルディック家の総意が優先される。そういう風に育てられた。だが、迷うことなく切り捨てなければならない他者を、ミルキは庇った。証人としての価値からあの女を庇った訳ではない筈だ。あの女の娘を殺した事が多分に影響していたのだろうが、ミルキの内実までは分からない。もしかしたら、他に理由があったのかもしれない。……いや、一番危惧すべきなのは、理由がない場合だ。「思わず」とか「咄嗟に」というものだったら? そんな理由にもならない理由で自分の命を差し出していたとしたら。

 

「あのね……」

 

「何?」

 

 突き放すようなボクの物言いに、ミルキが苦笑する。

 

「ありがとう、兄さま」

 

「は? だから怒ってるんだけど」

 

「うん。心配してくれてるんだよね」

 

「違う。怒ってんの」

 

「うん、分かってる。……ごめんなさい」

 

 分かってる? ごめんなさい? その言葉にぴくりと眉が動く。腕組みを解いて壁から離れ、ボクはベッドへ大股に近づいた。ボクの様子に、ミルキが驚いて後退(あとず)さる。引いた右手を逃がすものかとボクは掴んだ。

 

「――ってない」

 

「え?」

 

「分かってない。全然ミルキは分かってないよ」

 

「兄さま?」

 

 ボクはそのまま手を引いて、ミルキを抱き寄せた。小さな身体は抵抗することなく腕におさまる。細い腕が戸惑いつつも宥めるように背中にまわった。……ミルキの匂いがする。胸に苦いものが込み上げた。

 

「きっとミルキはこんな事を繰り返す。それでそのうち命を落とす。馬鹿だから」

 

 自分で言って、ああそうかと思う。苛々していた原因が分かった。ミルキが目を覚ましたら、と待ち望んでいたこの状況下でどうしてこうも胸がざわつくのか不思議だったのだ。目を覚ましたミルキと対峙してみて分かった。ミルキはあんなことがあってもやはりミルキで、ちっとも変わっていなかった。

 

――変わらないなら、変えてしまえばいい。

 

 ボクは速やかに行動に移す。髪に仕込んでいた針を抜き取ると、ミルキの頭部に狙いを定めた。

 

「刺すの?」

 

 手首を返して突き立てようとした針を寸でで止める。

 ミルキは背中に回した腕を外すと、ボクの胸を軽く押した。針を構えている右手をちらりと見てから、ミルキはゆっくりと二度瞬きした。それからちょっと笑って、「いいよ」と呟いた。

 

「何……」

 

「だから、いいよ。針、刺して」

 

「理由を聞かないんだ?」

 

「聞かなくても……分かるもの」

 

 ごめんね、と吐息交じりに呟いてミルキはもう一度ボクの胸に顔を埋めた。ボクは無言でミルキを見下ろす。時折……妙に聡くて嫌になる。針を刺すと分かっていたのなら、思い切り抵抗してくれた方が良かった。こうやってボクを許すから……受け入れるような人間だからこそ、『針を刺さない』という選択肢が無くなるのだ。

 

 ボクは怪我をした左肩には触れないように、背中を引き寄せる。針の角度を微調整してからミルキに動かないように注意を促した。

 

「一瞬で終わらせる。痛みを感じる暇もないくらい」

 

「ふふ……それは、どうもありがとう」

 

 ミルキが力を抜いたのが分かった。多分、この針を刺すことでミルキの変質は避けられないだろう。だが、安全が買えるなら、多少の変質がどうだというのだろう。この世から、ボクの目の前から居なくなることだけは許さない。細い首筋に視線を落とした時だった。何だろう。違和感を覚える。だが違和感の正体が分からない。分からないが、見過ごしてはいけないような気がしてボクは次の行動に移ることができなかった。

 

「兄さま……?」

 

 いつまでも動かないボクを訝しんだのだろう。ミルキが身動(みじろ)ぎする。動きに合わせて首筋から先の肌が襟ぐりから僅かに覗いた。瞬間、ボクは針を放り投げた。大理石の床と針とがぶつかる音に、ミルキは驚いたように顔を上げる。

 

「兄さま、どうし……」

 

「脱いで」

 

「はあっ?!」

 

「コレ、脱いで」

 

 ボクはミルキのシャツの裾を引っ張って捲り上げようとし、ミルキは慌てたように裾を引っ張り返す。

 

「ちょっ……!! 何言ってるの! 兄さま」

 

「いいから、背中見せて」

 

 ボクのその言葉に、ミルキは明らかに動揺した。

 

「やだ……やだってば! 何で兄さまに見せなきゃいけないの!」

 

 ボクはぱしん、とシャツを掴んでいたミルキの手を払う。ミルキは意識が戻ったばかりだ。出来れば乱暴したくない。ボクは内心で舌打ちして、尚も抵抗しようとする力を利用してくるりと俯せに身体を反転させた。右腕を捻り上げ、左肘を膝で固定する。

 

「動くな――頼むから」

 

 この体勢で動こうとするとそれなりに痛む。ミルキは背中を一度震わせて浅く息を吐くと大人しくなった。ボクはシャツを裾から少しづつ捲り上げる。ミルキはぎゅっと目を瞑った。ボクが捲り上げる手を止めたのはすぐだった。ミルキの肌に走る歪な赤に息を飲む。震える指で、ミルキの襟足を掴むと一気に服を裂いた。

 ボクの行動に驚いたのか、ミルキからくぐもった悲鳴が上がる。

 

「これ……」

 

 そう言ったきり、ボクは二の句が継げないでいた。(びょう)が刺さった部分を中心に、白い肌が引き攣れている。血管に沿って赤い蚯蚓(みみず)腫れが縦横に張り巡らされて、ミルキの体表を覆っていた。それは左の肩甲骨を中心に背中を過ぎ、腰の上にかけて続く。かなりな広範囲だ。醜い――そう、醜いと評せざるを得ない肌の変容だった。

 ボクはミルキの右腕を離すと、片手で額を覆う。明らかに、これはボクの念による攻撃の影響だ。ボクのせいだ。

 

「違う」

 

 ミルキの声にはっとする。「そんな顔をするだろうから、見せたくなかったの」と言ってミルキは困ったように笑った。何で、この状況に笑える。この傷は――これは、お世辞にも美しいものではない。しかも、これは残る(たぐい)のものだ。女の肌にあっていい種類のものじゃない。

 

「違うからね。兄さまのせいじゃない。これは、違うの」

 

「――ボクのせいだ」

 

「だから、違うってば。そうやって勘違いされそうだったから見せたくなかったの」

 

 ボクはぱしりと瞬いた。勘違いだって?

 

「これはね、多分――自分で刻んだのよ。忘れないために」

 

「意味が……」

 

 分からない。大体「多分」って何だ。ミルキは時々意味不明な発言をするけれど、これは中でもとびきりだ。

 

「――私もどう説明していいのか……。ごめんなさい、きっと近いうちに言うから。今は――口を開いたら涙が出そう。兄さまを困らせちゃう」

 

 ボクはどう返せばいいのか。囁くように呟いたミルキが、酷く寂しそうに見えて、ボクの中の怒りが急速に萎んでいく。床に落ちた針を一瞥するが、もう一度針を刺す気には到底なれなかった。この傷を目前にして、ボクは心が挫けてしまった。何より、相手がミルキだからだ。

 

「ちゃんと話すこと。それが条件だから」

 

 ミルキが頷く。何て酷い妥協案だろう。現状はちっとも変わっていないのに。

 ふと、 近づく気配に顔を上げて戸口を注視する。

 

「どうしたの?」

 

「父さんだ。こっちに来る」

 

 

 程なく、開け放したままの扉の前に父が現れた。室内を見て、ぎょっとしたように立ち止まる。

 

「これは一体どういう状況だ?」

 

 確認するまでもなく、ボクがミルキの上に乗って組み敷いている状況を指しているんだろう。

 

「イルミ」

 

 怒気を孕んだ声が殺気とともにぶつけられる。

 

「弁明があれば聞こうか? 弁明があればな」

 

 『約束を反故にする気か』と空中に念で文字が描かれる。『そんなんじゃないよ』とボクも返す。ボクはベッドから降りて父と対峙した。随分とボクは信用がないらしい。いや、この状況なら(うたぐ)られても仕方ないのかもしれない。

 

「ミルキの背中を見せてもらっていたんだ」

 

「――見せてもらっていた?」『あの服の有様は何だ?』

 

「そう。傷跡をね」『ミルキが抵抗したからね』

 

 父さんは息を吐くと、眉間を押さえた。父はミルキの傷跡を知っていたのだろう。これは、意図的にボクに隠していたことになる。多分、モローク地区での仕事に障りがあると考えた結果だ。

 

「ミルキは病み上がりだ。そんな見せてもらい方があるか」

 

 父は呆れて言うと、自分の上着を脱ぎながらベッドサイドに近づく。脱いだ上着をミルキの背中にかけてやって、ミルキの頭をそっと撫でた。

 

「大分、残ってしまったな。何とか治してやりたいが」

 

 ミルキは首を横に振る。

 

「父さま。私、この傷治さないわ」

 

「いいのか? 治療できる可能性もゼロじゃない」

 

 父の言葉にミルキはこくんと頷く。

 

「いいの。これは私への戒めでもあるけれど――何より、この傷跡は私に必要なの。これが、私に大切なことを繰り返し思い出させてくれるから」

 

 言い切ったミルキの顔は穏やかだ。ミルキは背中の傷跡を受け入れていた。ボクの動揺とは違う次元で既に動いている。

 

「そうか」

 

 父さんは短く答えて、俯せたミルキの後頭部をわしゃわしゃと掻き混ぜた。

 

「お前がそれでいいのなら、口出しはしない。キキョウには俺から言っておく」

 

「うん……。ありがとう、父さま」

 

「疲れたろう。まだ夜明けまで間がある。もう少し寝ておけ」

 

「……うん……」

 

 ミルキは安心したのか、そのまますう、と寝てしまった。

 

 この時、父さんもボクもミルキの背中の傷は、念による攻撃を受けた後遺症だと理解していた。それは正しくもあったが、ひとつの側面に過ぎなかったことを後で知る。ミルキの変質は、ボクらの気付かないまま既に始まってしまい、終わっていたという事を。




ちょっとだけど、キルアやアルカが書けて良かった。

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