そして世界は華ひらく   作:中嶋リョク

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[20]パリストン・ヒルの場合

 世の中を構成する要素は複雑なようで単純だ。人間とは所詮は動物である。進化の過程で頭でっかちになって、理由付けだけは尤もらしいことを並べ立てるが、その内実はシンプル極まりない。人より秀でたい、人より豊かでありたい、人より見目良くありたい、そして人より強くありたい。才ある者は他者を踏み台に、より高みへ。そうでない者は上を見ては嫉妬し、下を見ては優越感に浸る。何も恥じることはない。そういう生き物なのだ。設計図(DNA)がそう作られているのは、生き延びるために必要だったからだ。個々の意思とは関係のない所で、生命としての総意は確固としてそのシステムを構築した。どんなに努力を惜しまない勤勉な人間であろうと、いかに自堕落な人間であろうと、その身に抱える設計図(DNA)には生命としての本能が刻みつけられている。

 

 そしてボクは、その本能を尊重し、偽善を憎む。それと同じくらい珈琲を愛し、退屈を厭う。

 

 サイフォン式で抽出した珈琲を慎重に口に運ぶ。いつもの味だ。湯量は160cc、中挽き豆なら15グラムで粗挽き豆なら18グラム。濃黒色の液体の風味にボクは静かに目を閉じた。人類の進化の副産物として珈琲が生まれたというのなら、人類もまるきり無駄という訳でもない。優秀なバリスタならば生かしておくべきだし、豆の産地を戦火で台無しにするべきではない。

 ボクは朝食を摂る習慣を持たないが毎朝の珈琲は欠かさない。「朝食は一日の活力源」だと言う。確かに、身体を内部から目覚めさせ、脳を活性化する手っ取り早い方法であることは認める。しかし、ボクに関していえば然程の差を感じない。今も思考はクリアだし、自分の成すべきことは分かっている。昨日の自分と何ら変わらない。一年前の自分とも変わらないだろうし、10年後の自分もきっと同じように思考している筈だ。

 

 不幸なことに、ボクは優秀だった。これは不幸としか言いようがない。10歳までは地獄だった。あらゆる事が物足りなく何の感銘もボクに与えることが出来なかった。それでも一般的な価値観から逸脱する事で生じる面倒を避けるため、ボクは日常に感動しているフリをしていた。それは酷く骨が折れる上、何よりボクをうんざりさせた。ボクの両親は『善良な市民』であり、注がれる愛情と寄せられる期待に殺意を覚えたのは6歳の頃だ。今、ボクの『大切な両親』は、高原の風が気持ち良いサナトリウムでふたり仲良く暮らしている。尤も、もう15年は会っていないから想像でしかないが。

 

 この世界はかつて退屈だった。世界は腐敗と堕落と享楽と嘘と、何より退屈に充ちていた。

 だがハンターという存在を()って、念を習得()ってボクの世界は一変する。

 

 楽しい、愉しい、ああ、タノシイ。もっと遊びたい、もっと、もっと!

 

 しかしこの世は箱庭でもあった。外に目を向けることを許されない閉じた世界だ。ボク達の世界を内包するもっと高い次元から、有言無言の圧力(ルール)を押し付けられている。それは自然の摂理と同じで、抗うことは酷く難しい。圧力(ルール)は公開されているものもあれば、非公開のものもある。そもそもハンター資格を得ていない一般人にとっては全て知り得ない事柄ばかり。プロハンターでさえ、その事実を知っている者は限られてくるだろう。

 だから、ボクは決めた。まずはこの世界で『遊ぼう』と。この世界の圧力(ルール)の中で、もがき続ける人間を虚仮(こけ)にしながら、本能が剥き出しになる――その一瞬の燃焼を眺めよう。

 だから今は騙されてやる。圧力(ルール)に言いなりの、使い勝手の良い優秀な人間を演じよう。事実、ボクはとても役に立っている。これからもその期待には十分に応える自信がある。内で研ぎ続けている牙と爪を隠し、圧力(ルール)を足蹴にするその日を想像すると――ああ、全身が歓びでうち震える。

 

 執務室の扉が叩かれた。ボクの私物は粗方回収されているから、執務室というにはがらんとし過ぎているが。残されたのはこの目の前のサイフォンと何着かの衣服くらいだ。

 

「パリストン様、お時間でございます」

 

 秘書が姿を現す。きっかり5分前だ。彼女の美点はこの時間の正確さにある。珈琲を飲み終える前に来るような人間なら、彼女は前任者と同じ道を辿っていた筈だ。

 

「そうだね。じゃあ、ちょっと行ってくるよ――査問会とやらにね」

 

 ボクは珈琲カップをソーサーに置く。心は何処までも平坦だ。通常と何ら変わりない。……変わらない? いや、違う。正直に言うとムカついている。ボクはにっこりと秘書に笑い掛けると、下ろし立てのターンブル&アッサーの襟元を両手で整えたのだった。

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

【昨日 午後13:45、ハンター協会本部】

 

 

「やあ、貴方がゾルディック卿ですね、初めまして! ボクがパリストン・ヒルです」

 

 面会申請の時間は13:30だったが、ボクはワザと15分遅れて応接室を訪問した。何れにしても急な面会申請だったのだ。多少遅れたからといって文句を言われる筋合いではない。

 ゾルディック家は暗殺を生業にしている関係上、ハンター協会とは表向き敵対関係だ。こうして敵陣に堂々と乗り込んでくる事自体異例であり、さらに公式として記録に残る正規の面会だ。あまりに異例続きの事態に総務部は一時騒然としたらしいが、結局ネテロ会長が許可を出した。ゾルディック家は懸賞金付きブラックリストの筆頭に名を連ねている。しかし、実際はハンター協会から秘密裡に依頼を出すこともあり、その関係性は世間一般で言われているほどギスギスしたものではない。それはそれ、これはこれ。世の中持ちつ持たれつだ。

 

 ボクが入室してもゾルディック当主は席を立つこともなく無言で向かいの席を指さした。体躯の大きさから、総革張りの重厚なソファーが少し手狭に感じるほどだ。それでも構造内のコイルと高密度ウレタンが当主の身体を問題なく支えているようだった。男は肩より長い銀髪を背中に流し、しつらえの良いスーツを身に纏っている。薄い琥珀色の目がボクを値踏みした。座しても分かる長身の美丈夫だ。名は、シルバ・ゾルディック。その後ろには紅顔の――と形容しても差し支えないくらいの見目良い少年が控えていた。現当主の第1子、イルミ・ゾルディック。エドガー・ハーケンから報告された人物だ――そして少年の更に後方。

 

「何で貴方がここに? 面会者一覧には名前がなかったようですが」

 

 一瞬無視してやろうか、という誘惑に駆られたが、むしろ構ってやる方が面白い。何れにしろこの場に居るのなら、黙っているような男ではないのだから。

 

「俺は護衛として雇われた。何せ、ここは敵陣だからな」

 

 にやりと笑ってジン・フリークスがしゃあしゃあと言う。面会者は使用人をひとり付けることができる。その際、氏名の申告は省略されていた。

 

「護衛? 遺跡ハンターの貴方が? そんなに金策に困っていましたっけ。よろしければお仕事回しましょうか」

 

 ボクの嫌味にジンは呵呵と笑い、べえと舌を出した。

 

「やなこった。どんだけピンハネされるか分かったもんじゃねえからな」

 

「嫌ですね。根も葉もないことをおっしゃらないでくれませんか? これは公式の面会なんですよ。発言は使用人といえど記録されることをお忘れなく――ゾルディック卿、差し出がましいようですが使用人はよく吟味された方が良いですね」

 

 当主はフ、と笑うと目に獰猛な色を宿した。

 

「ご配慮痛み入る。しかしながら、私は大変この使用人を気に入っているのでね。ご心配には及ばない」

 

 それより、と当主が手を組み直す。

 

「お互い忙しい身だ。そろそろ本題に移らせて貰っていいだろうか。それとも、いきなりビジネスの話をされるのは嫌いな性質(たち)というならば、もう暫く私の使用人と話してもらっても構わないが」

 

 ボクは降参のポーズでにこやかに微笑する。焦れて相手から話題を振ってきた。これはこちらにとって有利だ。こういう場合、大抵相手の勇み足で自滅する。落ち着いて見えるが、意外とゾルディック家当主は血気盛んらしい。

 

「とんでもない。ボクは風流も解しますが、効率もこよなく愛する男です。ご用件、お伺い致しましょう」

 

「話が早くてありがたい。――是非貴方に教えて頂きたいことがある」

 

「さて、何でしょう。若輩の身ですからね、ボクでお答えできることなら良いのですが」

 

「今回の茶番のシナリオを書いたのはハンター協会だろうか、それともパリストン・ヒル。貴様か?」

 

 シルバ・ゾルディックの雰囲気が一変する。急激に膨らんだオーラの余波で圧された空気が、背後の少年の黒髪を駆け抜け、ジン・フリークスが佇む窓のガラスをビリビリと震わせた。ボクは微笑をたたえたまま腹に力を入れてそれをやり過ごす。すぐさま応接室の扉が開いて護衛のハンターが駆け込んで来る。ボクは左手を上げてそれを制した。

 

「問題ありません」

 

「しかし……」

 

「問題ない、と言いましたよ? 持ち場に戻りなさい」

 

 護衛のハンターが退室するのを見送って、ボクはシルバ・ゾルディックに向かい直した。

 

「どうやら、誤解があるようですね」

 

 ボクは大仰に溜め息をついた。当主の眉がぴくりと動くのを目の端に捉える。うん、やはり思った以上に感情的な面があるようだ。大変読みやすくて結構。

 

「誤解?」

 

「ええ。そちらの――ご子息からの伝言をうちの協専ハンターから承って、いろいろ調べさせて頂きました。……お嬢様のことはご心痛お察し致します。ですが、今回の大変不幸な事件と、協会本部は一切関係ありません。勿論、ボクの潔白も申し添えておきます。なぜそんな結論に至ったのか理由をお聞かせ願いたいものですね」

 

「だ、そうだ。イルミ」

 

 正面を向いたまま、当主が少年を呼ぶ。イルミ・ゾルディックは懐からメモリを出すと卓上に置いた。

 

「……これは?」

 

「5年前、アナスタシア一族暗殺の依頼をゾルディック家で受けた。これはその時の金の動きを追ったもの。当時アナスタシアと小競り合いをしていたマフィアからの依頼のようにカモフラージュされていたけれど、金の出所を追ったら、ある非営利団体に辿りついた。団体の設立目的は孤児や虐待児の保護。でも実態のないペーパーカンパニーだったことは調査済み。今はもう解散して影も形もないけれどね。その非営利団体はハンター協会からの出捐金(しゅつえんきん)で設立されていた。設立時の代表者の名前はパリストン・ヒル。あんただよね」

 

「…………」

 

「それから、当時14歳だったジョセ・アナスタシアを保護して養護施設に入所させたのは、この非営利団体だったことになっている。アナスタシア一族の暗殺依頼をした団体が、そのアナスタシア家の子女を保護するなんて、どう考えたっておかしいでしょ」

 

 ボクは、口角が上がりそうになるのを耐えた。ああ、面白い。なかなかどうして、随分歯ごたえがあるじゃあないか。5年も前の金の動きなど、簡単に追えるものじゃない。どうやって調べたのか知らないが、相手はジンを抱えている。油断は禁物だ。ボクは考える素振りをしてから、ぽん、と手を叩いた。

 

「ああ! 先にそれを説明すべきでしたね。確かにアナスタシア家の暗殺依頼を出したのも、その子女を保護したのもボクです。ですが、他意はなかったのですよ? 当時、アナスタシア家はハンター協会の利益を侵害していました。守秘義務がありますのでボクの一存でその内容までは公言できませんが。ただし子どもは別です。まだ成人していない子どもまで暗殺対象にはできないでしょう? 保護措置をとったのはそのためです。金の出所が特定できないように細工したのは、ハンター協会の表向きを考えて頂ければ理解して貰えると思うのですが」

 

「俺達は、ジョセ・アナスタシアを唆し、ゾルディック家に送り込む駒に仕立てる為の布石だと考えているが」

 

「保護当時は念能力者ですらない少年を? 確かに、ハンター証を取得した当時の彼を諌めたことはありますが、ボクと彼の関係性などそれだけです。ボクもまさか使用人として潜り込むとは思っていませんでしたが、そこを指摘されるのは少し酷ではありませんか? そもそも、ブラックリストハンターでさえ返り討ちにするゾルディック家ですよ? あなた方に挑む立場の彼を心配こそすれ、あなた方を心配する必要は皆無でしょう」

 

「あくまで、シラを切ると?」

 

「シラではなく、完全なシロですね。悲しい誤解としか言いようがない」

 

 ボクが告げた言葉で、二人のゾルディックのオーラが揺らぐ。一気に高まった室内の緊張感を崩したのは、窓辺で成り行きを見守っていた男だった。ジンは腕組みを解くと、首に巻いていた布を鬱陶しそうに解いた。それから懐に手を突っ込んで丸めた紙を取り出した。――なんだ?

 

「シルバ、そろそろ『本当の面会』時間だ。じじいも来てるぜ」

 

「――そうか。待ちくたびれた。危うく手を出しかけた」

 

 苦笑して、シルバ・ゾルディックがやれやれと首を鳴らす。

 

「シルバ」

 

「分かっている。……ジン・フリークスとゾルディック家との契約関係を、ジン・フリークスとハンター協会会長ネテロ・アイザックとの面会開始を以て終了とする」

 

 今、何て言った。契約の終了? ジン・フリークスとネテロ会長の面会だと? ボクは笑みを忘れて真顔でジンを見た。ジン・フリークスは半眼で扉を見ている。

 

「聞いてたか? じじい。いつまで立ち聞きしているつもりだ。さっさと入って来い」

 

 扉が開いて、ネテロ会長が顔を出す。よ、と片手を上げて悪びれない様子で立っていた。室内をぐるりと見回してから面白そうに目尻を下げる。

 

「なかなかタイミングが掴めなかったんだもーん」

 

「『もーん』じゃねえ、キショイわ」

 

 ジンは悪態を()きつつ丸めた紙をネテロに向けて広げる。紙には文章が綴ってあり、最後にジン・フリークスの署名が見てとれた。 

 

「ダブルハンターの特権として、パリストン・ヒルへの査問会の招集を正式に申し立てる」

 

「なっ……!」

 

「ほっ」

 

 ボクは唖然とする。査問会。確かに星持ちのハンターにはプロハンターを査問にかける権限がある。だが査問会など今まで一度も開かれたことがない。理由は簡単、ハンター達は良くも悪くも極端な個人主義者の集団だからだ。同業者の査問などしている暇があれば、個々の探求に時間を費やす。さらに査問会を招集するにはかなりな代償を支払わなければならない。

 

「じじい。出来る筈だよな?」

 

「まあ、可能じゃよ。それにしても査問会か。ほっほっほっ……また突飛もないことを思いついたのう」

 

 ボクはまたいつもの笑顔を張り付けて、冷静を装う。本心を隠すなら笑顔が一番いい。そして、ジンはボクの笑顔が大嫌いだ。案の定、ボクの顔を見ると彼は鼻に皺を寄せた。

 

「正気ですか……? 査問会を招集するには、貴方の星をひとつ差し出さないといけないんですよ」

 

「ああ、分かってる」

 

「分かってる? ……そこまでする価値(メリット)が、何処にあると言うんですか? 言っておきますが、貴方に勝ち目はない」

 

「かもな。でも、お前に対する疑いの芽は生まれる。漫然と皆が感じていた疑義を日の元に晒すんだ。それは自然とお前への監視となる」

 

 ボクは内心で舌打ちする。ジンの指摘は正鵠を射ている。ジンは勝ち負けなど本当にどうでもいいのかもしれない。ボクが査問に掛けられたという事実が欲しいのだ。勝敗に関係なくボクは汚点ともいえる過去を背負うことになる。――だが、そんなことの為だけに星をひとつ捨てるか?

 

「じゃあ、査問会はデモンストレーションですか? 最初から負け戦をすると?」

 

「さてな。出来れば勝ちたいが。ま、無理だろうな」

 

「……お前、馬鹿じゃのう」

 

 そう言いつつも、ネテロ会長は面白そうだ。少年のように瞳をきらきらと輝かせながら顎鬚を撫でる。……それはいい見物だろう。ハンター協会設立史上、初めて開催される査問会なのだ。

 

「そんな事に星をひとつ使うんですね。査問会の規約は知らない訳じゃないでしょう。招集に星をひとつ差し出すだけじゃなく、査問にかけた人間が罪に問われなければあなたは莫大な賠償金を払うことになる」

 

 ジンはボクをちらりと見てから、広げた紙面を再び丸めてネテロ会長に差し出した。会長がそれを受け取り申し立てが受理される。――査問会は、開かれる。

 

「合わせて、証人としてシルバ・ゾルディック並びにその関係者に出席を請いたい」

 

「承知した」

 

 ジン・フリークスから告げられた言葉に、銀髪の男は短く首肯した。最初から、これが目的か。ゾルディック家の面会はただの目くらましだった。ボクはまんまと一杯食わされた形になる。ああクソ、面白くない。ボクは人を虚仮(こけ)にするのは好きだが、虚仮(こけ)にされるのは大嫌いだ。

 

 ボクは人間というものをよく知っている。大抵の人間は考えも行動も読みやすい。他者の思考を予想しながらパズルのピースを嵌めるように()を完成させるのがボクの『遊び』のひとつだ。多少読み間違えたとしても、それはより美しいパズルを完成させるためのエッセンスに過ぎない。――だが本当に時折、大幅な思考の修正を強いてくる存在と出会うことがある。そういう人間はただのバカが多いが、ジンは違う。こいつは、人間というものを理解した上でそこを超えてくる。

 

「パリストン、お前は明日の査問会まで執務室に居てもらう。ただし、外部と連絡を取ることはできない。パソコンや携帯電話も回収する」

 

「――分かっていますよ」

 

 そう、分かっている。お前みたいな人間を見ると、ボクはどうしようもなく心がザワつくんだ。ああ、本当に目障りだ。

 

 にっこりと微笑むと、ジンは再び鼻に皺を寄せたのだった。




査問会と規約のあたりは、完全に捏造です。

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