「恋愛」とタグで銘打ちながら全然恋愛要素ないので、ちょっとそれっぽいのを書いてみました。
ほんのりエロい感じなので、苦手な人は見ちゃいけません。
目が醒めると、ミルキの隣に見知らぬ男が寝ていた。
いや、「見知らぬ」というのは語弊がある。ミルキは、少なくとも眼前の男の名を知っていた。艶のある黒髪、ゲルマン系を思わせる顔立ち、男にしては大振りの青いピアス。
認識した瞬間、心臓が早鐘を打つ。奴だ。幻影旅団のトップ。団長としてA級犯罪集団の采配を振るう男――クロロ・ルシルフル。父からも「幻影旅団には近づくな」と通達されるほどの危険人物だ。
その人間と、あろうことかミルキは同衾していた。
――ちょ……、ちょっと待って。
頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、ミルキは胸元に毛布を引き寄せる。裸だ。起きた時から分かってはいたが、男も自分も裸だった。そもそも、ここは何処なんだ。白を基調にした調度品。天井は高く、窓からは抜けるような碧空と高層ビル群が見える。見知らぬ部屋だった。昨日はククルーマウンテンの自室で寝たはず。半身を起こして見回すと、さらりと背中に流れる感触に再び思考が停止した。
「これ髪……? うわ、長い……」
おそるおそる一房掴んでみる。腰に届くほどのそれは、自分と同じ見慣れた黒色だった。でも、肩上のショートカットだった自分がこんなに長いワケがない。これじゃあまるで、10歳の頃みたいじゃないか。それに身体。まだ自分は12歳で、発育はいい方だと思うが、こんな成熟した女性の身体ではない。
別人……?
意識は自分だが、身体が違う……?
ひとつの可能性にぞっとする。何で、どうして。元に戻れるのか。ゾルディックに連絡をとれば。いや、それより何より。
――問題は隣の男だろう。
逃げよう。
できるだけそっと、気配を殺しながらベッドに背を向ける。着替えとPC。携帯でもいい。端末を持ち出せられれば後は何とかなる。ちらりと肩越しに見遣った男は、相変わらず気持ちよさそうに寝息を立てていた。
ほっと息をついて、立ち上がろうとした時だ。
「もう起きるのか?」
少し掠れたテノールバリトンが背中に掛けられる。振り返るより早く、腰に流れる髪に指が絡んだ。後ろ髪を引かれて仰け反った首元に、男の手が伸びる。
「あ、ちょっ……、きゃっ!」
どさりとベッドに引き戻されて、慌てて起き上がろうとした所を羽交い絞めされる……というか、後ろから抱き締められている形だ。ちゅ、というリップ音が耳の後ろで鳴って、耳朶には歯の感触。
「か、噛むな」
うわ、舐めるのもなし!
恐慌状態に陥っているのにはこれ以外にも理由がある。さっきから……その、太腿に当たっているんです。これって、多分……間違いなく、クロロ・ルシルフルの……ですよね? 思わず、腰を引く。
「気乗りしないか?」
ちょっと笑った気配がして、「それなら」と右手をとられた。
「手でするか?」
「は?」
導かれた先の未知の感触に硬直する。
「――嫌あっっ!! このヘンタイ!!」
全ての思考がぶっ飛んだ。計算とか、駆け引きとか、そんなものを全て
「あ……」
しまった……!!
私の顔は蒼白だ。反射的にとはいえ、あの旅団の頭に攻撃したのだ。この身体の持ち主とクロロ・ルシルフルとの関係性が分かっていない以上、不用意な言動はすべきじゃない。行きずりの女だとしたら、この平手打ちで殺される可能性だってあるのに。分かっている……分かってはいるけれども! す、と上げられたクロロの手に、ぎゅうと目を瞑る。殴られるだろうと覚悟したが、衝撃はいつまでもやって来なかった。恐る恐る目を開けると、クロロは左手を自分の頬に当て、未だ驚愕、といった面持ちだ。
「そんなに嫌がるとは思わなかった」
ぱしりと瞬きをひとつして、クロロが呟く。酷く複雑そうな顔だ。――どうやら、この身体の持ち主とはそれなりに良好な関係らしい。平手ひとつで殺されることはなさそうだ。ひとまず去った命の危険に、一息つこうとした私の耳に、さらなる爆弾が投下された。
「ミルキが嫌なら俺は無理強いしない。そういう時は言ってくれ――夫婦の間でこういった遠慮はなしだ」
「ふうふ?」
今度は私がぱしりと瞬きをする。
ふうふ、って何だっけ? 脳内で変換してみたが、一つの単語しかヒットしなかった。
――夫婦?!
「だ、誰と誰が?!」
誰と誰が夫婦だって―――!!!!
胸中で絶叫するが、あまりの事に私は酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくと開閉させるのが精一杯だ。私の様子に、今度こそ不審げにクロロの眼が眇められた。
――――――
「つまり、記憶がない、と?」
こくん、と頷く私の前にマグカップが置かれる。琥珀色をした温かい紅茶だ。カップの横には、当然のように蜂蜜と瓶入りの毒が添えてあった。私の嗜好そのままの取り合わせ。言葉で『夫婦』なのだと説明されるより、自分の嗜好を把握されている事実に動揺する。
少なくとも、私が毒を日常的に摂取していることをこの男は知っているのだ。私のことを「ミルキ」とも呼んでいた。そこから導き出される答えはひとつだ。私とクロロ・ルシルフルは、浅からぬ仲であり、この身体は誰でもないミルキ・ゾルディックそのものなのだと。思わず嘆息した。
クロロも私も服を着て場所をリビングに移動している。服を着替える際にもひと悶着あったが、今は思い出したくない。思い出したって、いろいろと精神的に削られるだけだ。
リビングは、ヨルビアン式のキッチンとカウンターバーが併設し、段差をつけた先の空間にはコの字型のソファーが鎮座していた。かなり開放的な造りで、10人程度ならゆったりと寛げるほどの広さがあった。こちらも白を基調にしていたが、ダークブラウンの木材をふんだんに取り入れることで落ち着いた雰囲気に纏められている。白は私の好きな色のひとつだ。クロロ・ルシルフルの趣味でないとしたら、このアパルトメントにはかなり私の嗜好が反映されている。
「どこでもいいから座れ」というクロロの言葉を受けて、私はコの字型のソファーの先、テラスに続く手前にある椅子に腰かけた。小さな脇机を挟んで向かいには一人掛けのハイバックソファーが置いてある。脇机には、装丁もジャンルもバラバラな本が無造作に積んであった。
「どうしてそこに座った?」
「なぜ?」
質問に対して質問で返し、クロロは喉の奥だけで笑った。黒のTシャツに黒いスウェットパンツという全身真っ黒な男をミルキは睨み付ける。クロロがミルキに用意した服は、グレイのパイル地素材のゆったりとしたワンピースだった。薄手のトレーナーを大きくしたようなそれは、着心地はいいのだがやたらと丈が短い。素肌の晒された太腿あたりがなんとも頼りないのだ。これを用意したのは、絶対に他意がある。
部屋着という意味では妥当なのかもしれないが、この男の前で無防備でいることが耐えられない。いざ戦闘となれば、丈が短かかろうが長かろうが歴然とした力の差に為すすべなく終わるのだろうが、それとこれとはまた別だ。
「何か物言いたげだな」
脇机を挟んだ向かいのソファーにクロロは腰かける。手には冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターが握られていた。蓋を開け、一息に煽る。嚥下する度上下する喉からミルキは目を逸らした。クロロ・ルシルフルの無駄な色気に中てられて、見ているのが気まずくなったのだ。寝室で見た、鍛え上げられた肉体が脳裏を掠める。
「状況を整理しよう」
男は空になったペットボトルを握り潰して床に放る。
「ひとつ、お前は記憶を失くしている。原因は今の所不明。自分の名前や出自に関しての記憶に欠損はない。――ここまではいいか?」
私は紅茶を飲みながら再び頷く。
「ふたつ目。俺の事は何処まで分かる?」
「クロロ・ルシルフル。19歳、男。13歳の時、流星街出身者で構成された『幻影旅団』を結成。通称『蜘蛛』。結成時からトップを務める。仲間内からの呼称は『団長』。念能力は『
「大体合っている。だが、年齢が違うな」
「え?」
「俺は、今年30歳になる。お前とは23歳の頃に出会って、28歳で結婚した。今年で結婚2年目。子どもはまだない。このアパルトメントに居を構えたのは半年前で、それまでは俺の仮宿を転々としていた……どうした?」
「ちょっと眩暈が」
何て暴力的な数字だ。リビングに移る前に姿見で容姿も確認済みだから、自分の認識と年齢が
「どうやら、私には過去10年分の記憶が欠落している」
私の告げた言葉に、クロロの眼が僅かに揺れた。「それは酷いな」と呟いて、所在無げに卓上の本の表紙を撫ぜる。思い切って私は聞いてみた。
「……この結婚は、契約か何か? 仕事の都合上配偶者が必要だったとか、あるいは一方が一方の弱みを握って仕方なく?」
「そうきたか……」
クロロは苛立ったように頭を掻く。
「今の会話で、10年前のお前が俺や蜘蛛をどんな風に考えていたのかは大体分かった」
クロロは私の手の中のマグカップを取り上げると、卓上に置く。無言のまま私の左手を握り、私の目を真っ直ぐ見据えたまま手の甲にキスをした。
「ミルキ、愛している。俺の全てをかけて愛している」
私はというと、呆気にとられて硬直し、一拍置いてからとてつもない恥ずかしさに襲われた。耳が熱い。耳どころかクロロに握られた指の先まで赤く染まっていた。
何だこれは。映画の中でしか見たことがない景色だ。真っ赤になって絶句する私を見て、クロロが破顔する。急に少年めいた幼い笑顔を見せられて、不意に胸が締め付けられた。説明のつかない感情に動揺する。
何と言われようと、自分にとって目の前の男は知らない人間だ。それどころか超特級の危険人物だ。クロロ・ルシルフルの言う「結婚」の事実の裏付けだって取れていない。信頼できない、信用ならない。それなのに、一瞬
「赤いな」
サイドの髪を耳にかけられて、熱いままの耳が空気に触れる。
「かわいい」
耳に落とされた唇は、そのまま頬を辿りリップ音を立てて上唇を
「お前な……」
私の手が塞いだために、少しくぐもった声が手の平から振動として伝わる。
「なんて女だ。この流れで普通止めるか?!」
「だ、だって! 私、12歳なんですけど!」
「身体は大人だろ?」
「心は子どもなんです!」
「昨日まで普通にしてたが?」
「それ、覚えてないから!!」
ぐいぐいと押し戻そうとする私に、クロロは「困ったな」と嘆息する。
「じゃあ、好きな女を目の前にして、キスひとつせず俺に我慢しろと? 何もセックスさせろと言っている訳じゃないのに?」
直球の物言いにドン引きだ。何てデリカシーがないんだろう。さっきまでは確かに切ない気持ちで胸を締め付けられていたというのに。流星街出身者だからなのかクロロ・ルシルフルだからなのかは分からないが、価値観が独特過ぎる。――本当に、私はこの男が好きだったんだろうか? 甚だ疑わしい。
「兎に角、
「じゃあ、確認が取れたらいいのか?」
間髪入れず返された言葉に、ぐ、と詰まる。
「抱いてもいい、ってことだろう?」
「だから、12歳なんだってば!」
「じゃあ、せめてキス」
「……」
「ノーコメントは、了承と受け取るが?」
「……寝室で、『無理強いはしない、夫婦の間で遠慮はするな』って言っていたじゃない」
「もちろん夫婦ならな。今のお前は俺を「夫」として見られるのか? そういう事は、お互いを尊重できる関係性の上で成立する話だろう? それに考えてもみろ。肉体関係は夫婦関係の根幹だ。これは割と切実な問題だと思うが」
突然記憶を失くした妻に対する言葉としてどうなんだこれは。おっしゃる通り、夫として見られないからこそ触れて欲しくないのだけれど。喉まで出掛った言葉を飲み込む。ただ、クロロの気持ちも分からなくはないのだ。一方的に忘れ去られ、拒絶される気持ちとはどんなものだろう。だからと言って、同情でベッドインできるほどやけっぱちにもなれない。
「兎に角、兄さまか父さまと話させて。確認できたら……確認できてから考えるから!」
――――――
結論から言うと、私の惨敗だった。
渡された携帯電話は、見覚えがないが私が自作したものだとクロロが言う。指紋認証なので、パスワードといったやっかいな手順を踏まなくても操作できた。画面をスクロールして、スピーカー機能をオンにしてからイルミ兄さまをコールする。携帯番号は私の記憶と変わらない。1回のコールで相手は出た。
『ミルキ、久し振……』
「兄さま!」
被せ気味に出した声が、後に続かない。喉が詰まって、行き場の無い熱が眦から涙となって溢れた。声を聞いてほっとした。ああ、兄さまだ。私の兄さまだ。クロロから乱暴に扱われたわけじゃないが、やっぱり緊張で全身に妙な力みがあったのだろう。緊張の糸が切れたのと同時に、コントロールできない涙で視界が歪む。
『……ミルキ、泣いてる?』
「――うん。ちょっと……。ごめんね」
『――クロロだね』
「え?」
『どうせアイツだろ。ミルキを泣かせてばかりだからね。何があった? 電話してくるなんてよっぽどだ』
「あの、あのね兄さま。私……いや、私とクロロって結婚してる……のかな?」
『……』
「兄さま?」
『……』
無言のイルミに首を傾げる。変なことを聞いている自覚はあるが、沈黙が長い。
『ねえ、ミルキ』
やたらと低い声が通話口から流れる。感情の起伏の乏しい兄だが、この声音は酷く腹を立てている時のものだ。
『ゾルディックに帰って来ていいんだよ。あんな奴とはさっさと離婚して家に戻っておいで。母さんは反対するかもしれないけど、父さんもオレも黙らせるからさ』
「ち、違うの。そうじゃなくって……あっ」
手の中の携帯電話をクロロに取り上げられる。「イルミ、俺だ」とクロロが告げてからは、何とも醜い嫌味の応酬が繰り広げられた。クロロは一方的に通話を切って、携帯をミルキへと放る。ご丁寧に電源まで落としてあった。
「これで分かっただろう。俺とお前は結婚している。これは揺るぎない事実だ。――さて、返事を聞かせて貰おうか?」
にやりと笑った顔は凶悪で、ああ、やっぱりこの人は
以前、ミルキがクロロにお嫁入りしたら……云々というコメントを頂いたことがありまして、そこから思いついたお話です。
いわゆる記憶喪失ものになります。続きそうな雰囲気ですが、続きません。
これもあくまでIFなので、本編とのリンクはないですよ。