飛び降りる前に、なぜだか両親の顔が浮かんだ。これから死のうというのに、どうして親の顔が浮かぶ?私のことなど興味がないのに…。私なんていないようにしてたくせに…。
「なのに…、どうして……。」
まだ、私を自分たちの娘のようにかわいがっていた時のことが、なぜ頭の中に浮かぶの…。
知らない男を自分の家に連れてくるようになった母が、まだ笑顔で父の帰りを私と待ち、帰ってきた父と夕食を食べて、その様子を暖かく見ていた時の母の顔が。
仕事に没頭し、家族を捨ておいた父が、休みの日に自宅の近くにある公園に連れて行ってくれて、一緒に遊んだ時のことが。
わからない。死ぬ直前になって、いまさらこんな思い出が頭によぎるなんて。
「………………。」
私は柵の内側へと戻る。もう一度死のうとしても、おそらく両親の顔がまた浮かぶだろう。
なら、あの人たちに死ぬことを伝えてから死ににいこう。そうすれば何も考えずに死ねるはず。明日にでも会いに行って、それから、誰にも知られることなく最期を迎えよう………。
寮に戻ると、夜になっていた。ここで過ごすのも今日が最後になるかもしれない。今のうちに整理しておけば、あとの人に迷惑がかからない。
「鬼咲さん、いますか?」
扉をたたく音と同時に、山田先生の声がした。返事をして部屋に入れて何の用か聞いた。
「鬼咲さんのお父さんから、電話がかかってきてお話したいそうなんですけど。今、大丈夫ですか?」
「え……?父から?」
どういうことなのか。ここに来てからそんなことはなかった。あの父が学校に電話をかけてきて、私に話したいことがあるって……。
IS学園を退学しろとでも言いに来たのかな…。それなら心配する必要はないのに。
「わかりました。かわってください。」
「私は外で待っていますので、電話が終わったら呼んでください。」
私は電話を受け取り、山田先生は部屋から出ていった。
「はい……。」
「よみか?すまないが、落ち着いて聞いてほしい。」
こんな改まった言い方をするなんて…。いったい何を話す気なんだろう?
「…………ひとみが、母さんが死んだ…。」
「え?」
お母さんが、死んだ…………?そんな……。どうして………?死ぬのは、私のはずじゃ………。
「よみ?大丈夫か?」
「お父…さん。どうして……お母さんは死んだの?」
「交通事故で、母さんが車に轢かれて…………。救急車が来た頃には、もう………。」
「……………。」
信じられなかった。お母さんが死んだなんて。…………これも、私のせいなのかもしれない…。どこかで私が、知らないうちに何かしてしまったのだろう………。
「お葬式を近いうちにやるから、家に戻ってきなさい。先生には、俺が話をつけておく。」
「はい…。」
話の内容なんて頭に入っていなかった。お母さんが死んだということで頭がいっぱいになっていた。なぜ死ななければならない。なぜ私じゃない。そんなことしか考えられなかった。
「よみ。すまないが……さっきの先生に、代わってくれないか?」
「はい…。」
私は部屋を出て、山田先生に電話を渡した。その後は、電話が終わったであろう山田先生が私に何か言っていたのは覚えていた。
「つらいかもしれないですけれど、どうか頑張ってください………。」悲しそうな顔でそんなことを言っていたような気がした。
翌日、葬式のために家に帰ってきた。お父さんも家にいて、葬儀屋の人と話をしていた。
話が長引きそうなのでしばらく外に行ってよう…………。持ち物を置いて、私は外に出た。
最初に来たのは近くの公園。少し広めのこの公園では、お父さんとよく遊びに行った。休みの日にはお母さんも一緒にいき、そこで持って来た弁当を家族3人で食べた。
いつからか、そんな日は来なくなっていた。私も大きくなって、そんなことする年頃ではないと決めていたのもある。でも、そう思い始めた時期が、お父さんが仕事に没頭し始め、お母さんが知らない男を連れてくるようになった時と重なっている。
結局は、私が最初に壊し始めた………。だからあの二人も私をいない者のように扱っていた。
私は公園から去り、家とは違う方向に向かっていった。
私が来たのは公園からやや歩いたところにある商店街。ここではお母さんとよく買い物に来ていた。今日の夕食は何にしようかと二人で相談して、ここで食材を買っていた。お母さんの誕生日には、私がここでケーキを買ったりもしていてそれを用意したらお母さんは涙を流すくらい嬉しがっていた。
もう…そんな日は一生来ない。お母さんが生きていたとしても来ないだろうと思っているのに、どうして私は懐かしむようにあんな場所やこんな処に来ているのだろう……。
ふと、前を見ると……………。
「ママ。今日は何を作るの?」
「そうねぇ。パパも今日は早く帰ってくるし、オムライスでも作ろうかしら?」
「ワーイ!ママのオムライス大好き!ママ、ありがとう!!」
ずいぶんと仲のいい親子だった。その親子に、私は魅入ったように見ていた。
「お姉ちゃん、どうしたの?どうして、泣いてるの?」
「………え?」
女の子に言われて気が付くと、涙が流れていた。なんで、涙が…………。一つも悲しくないはずなのに…………。涙をぬぐってもどんどん出てくる。
「こら、失礼なこと言わないの!…どうもすいません。さぁ、行くわよ。」
女の子の母親と思われる女性が女の子を注意し、通り過ぎていった。
「…………あの人………。誰かに……。」
なぜかあの親子が無性に気になり、後ろを振り向くと…………。
そこには誰もいなかった。
あの親子を見て、おぼろげながらに思い出した。
自分みたいに立ち尽くして涙を流していた女性に、ああやって声をかけた気がする。そして、お母さんに注意されたような………。
だが、お母さんは死んで、今となっては知る由もない…………。
もう家に帰ろう…………。葬儀の準備がはじまってるかもしれない。
家に帰るとお父さんが待っていた。
「よみ……。お前も、母さんが死んで辛いか……。」
「……………。」
私の顔を見たお父さんが言った。ぬぐっても出てくる涙だから、私はそのままにして家まで帰ってきた。辛いわけじゃない。悲しいわけでもない。いったいなんで流れてくるのかわからない。
「母さんに会いに行くぞ。さっき母さんをここに運んでもらったんだ。来なさい。」
お父さんに促されて、あとについて行く。
部屋に入ると、お母さんの姿があった。
だけど、顔色は白く、すでに死んでいることが分かるくらいだった。
お母さんはもう、二度と起きることはない…………。
ただ、動かなくなったお母さんを、私は見据えていた。
お葬式が始まったのは、私が家に帰ってから2日後だった。通夜、告別式、火葬。やることが多く、お父さんはとても忙しそうにしていた。
火葬が終わって、お母さんの遺骨は家に持ち帰り、神棚のある場所に置かれた。
今はお父さんと二人で遺品の整理をしていた。
「……………………。」
「………………………。」
黙々と遺品を整理していく。服、写真、金品、通帳。それらを小分けにしていた。
「よみ………。」
ふと、お父さんに呼ばれた。ここのところ、お父さんと一緒にいたけれど忙しくて話せなかった。普段は話すどころか、一緒にいることすらなかったので、近くにお父さんがいて、話しかけられたのは不思議な感じだった。
「何………?」
「その……学校は、どうなんだ………?辛くないか?」
お父さんが私の近況を聞いてきた。最初は耳を疑った。あのお父さんが、私のことを聞いてきた。
「どうして、いま聞いたの…………?」
「………すまない。」
会話が途切れた。数年ぶりのまともな会話なので、私は答えず疑問をぶつけてしまった。お父さんも、これ以上口を開かなくなってしまった。
「よみ……。今更、許すわけないだろうが、聞いてほしい。」
お父さんが再び話しかけてきた。今度は、私の顔見て、目を離さなかった。私は顔をあまり見ないで、うつむいて耳だけを傾けた。
「おまえたち家族を鑑みずに、仕事ばかりしていて、すまなかった…………。おまえたちに楽な生活をさせてやるために、来る日も来る日も仕事を続けてきた。だが、それは結局、こんな形になってしまった…………。母さんが他の男ともいたのは知っていた。……それは私の責任だ。母さんに寂しい思いをさせてしまった分、あとでその埋め合わせは必ずして、謝るつもりだった。でも、遅すぎた。俺が家族を壊してしまった…………。当然許されるものではないと思っている。俺の顔など見たくないだろう……。よみ。おまえが望むなら、俺の弟のところか、父さんたちのところで暮らせるようにする。おまえと一緒にいると、俺のせいでおまえまでいなくなるような気がしてしまう………。」
なにそれ…………………………。
今日の今日まで、私になんて興味も眼中にもなかったくせに。お母さんが死んで今頃になって、元の家族に戻ろうっていうの?それが嫌なら、私を親戚のところに押し付けて、自分は逃げる気?
「ふざけるな…………。ふざけるな…………!」
「よみ……?」
「ふざけるな!!!!!!!今になって家族のようにふるまって!!いったい何のつもりなの!?だったら、なんでもっと前に言ってくれなかったの!!!!!なんでいじめから助けてくれなかったの!!?なんでお母さんが死んでからそんなこと言うの!!?
こんなことだったら、そんなこと言わないでほしかった!!!!!いっそ、おまえなんか消えればいいと言ってくれたほうが、遥かに良かった!!!!なのに、なんで…………!なんでそんなことを言うのぉ………!ッ、グスッ……!うぅ…!どうして、私を……死なせてくれないのぉ……!!なんで、ううう、そんな……、っ!、優しい言葉を言うのよおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
「よみ……………。すまなかった……。本当にすまなかった…。」
慟哭する私をお父さんが抱きしめ、私はお父さんの胸でただ泣き続けた。
私は、お父さんにこれまであった自分のことをすべて話した。中学であったいじめ。そのせいで後遺症ののこる身体になり、今もいじめを受けていること。そのいじめから逃れるべく死のうとしたこと。お父さんたちの顔が浮かんで死ねなかったこと。
全部を話した。お父さんは私の苦しみを理解して後悔していた。だけど、お父さんが私を捨てていないことが感じられた。
私の話を聞いて、理解してくれた。お父さんにとって、私は不必要じゃなかった。
「なぁ、よみ。」
「何?お父さん。」
「もう一度、やり直さないか?無論、おまえが望むならだが……。」
やり直す……。でも、できるのだろうか。私は、私たちは、もう一度家族になれるの?
いいや、私の答えはもう決まっている。
「私は……………。」
お父さんの言葉に私は……………………。
「じゃあ、行ってくるからな。おまえも学校に遅れないようにするんだぞ。」
「わかってる。いってらっしゃい。お父さん。」
私は仕事に向かうお父さんを見送った。私もこの後、学校に行くことになってる。
あれから1か月。私はIS学園を自主退学し、地元の何の変哲もない普通の高校に通っている。お父さんも会社を辞めて、近くの町工場で働くことになった。お父さんも職場ではうまくいっていて、仕事が終わればいつも家に帰ってきてくれる。私も学校だと、人の手をたまに借りるけど中学やIS学園の時のようないじめはない。友達もいて、一緒に遊んだり、勉強を教え合ったりもしている。最初は警戒したけど、時間が経つにつれて、いい人たちだってわかることができた。
私は、あの時死んでいたらこの幸せに出会えなかった。いま思えば、お父さんたちの顔が浮かんだのは私を引き留めるためだったのかもしれない。お母さんが死んだのも、私の代わりになって………。
いや、こんなことはもう考えないようにしよう。自分勝手な考えかもしれないけど、私がお母さんの分まで生きて、幸せにならないと。もう一度、本当の家族として……。
「行ってきます。お母さん。」
私は玄関に飾ってあるお母さんの写真にそう言って家を出た。