絶対正義は鴉のマークと共に   作:嘘吐きgogo

14 / 18
取りあえず、本編も更新したかったので無理くり更新。
またもや分割……というか、数行で終わるはずが、勝手に長くなって一話になった。
元々14話の一部分が長くなっただけで、主人公ほとんどでないので、閑話的な扱いで「.5」です。


ここまでが、移転前の作品となります。


13.5話―聖地~覚悟~帰結

 重傷――否、それは確実に所有者の命まで、その名の通りに到っているのだから致命傷と呼ぶべきか。は虫類系の動物系の能力者なのか、その幼い身体に奇妙な鱗を持つ少女達の身体は、傷の無い所を見分ける方が難しいと言える状態で、その体の大半をまるで傷が少女の存在を喰らい尽くそうとしているかの如く深い傷痕が残されている。その傷痕からは未だに夥しい量の血液が流れ出しており、刻一刻と少女達の短い生を終わりえと誘っている。

 崩れた瓦礫をどかしその下に折り重なる様に倒れていた少女達の現状を見た時、フィッシャー・タイガーは顔を歪める事を止める事ができなかった。冒険家として、そしてそれ以外でも様々な物を見てきた彼だが、この有り様はその体験の中でもダントツに最悪の物の部類と言えるだろう。

 

「こいつは……」

「ひでぇな」

 

 その隣では、ここ迄共に行動してきた元奴隷の魚人達も見るに絶えない現状に対して思い思いに言葉を発する。その言葉に違いはあれど、その胸中は皆同じであった。

 

 即ち――助からない。

 

 二人の少女の内少し大柄の少女――ソニアは、雷の直撃でもうければこうなるのかとでも言うのか全身に裂傷、そして、所々では皮膚が爛れ黒く焦げ付いている。その胸の中心は、その雷が直撃したと思える程に深くぽっかりとした穴が空いていた。その穴を良くのぞけば、波々と溢れ出る少女の胸にできた血の池の中に弱々しくも拍動し、自身を更に血の池の底に沈めようとしている心臓が目に映る。

 残りの少女――マリーなど、そこに隕石でも通ったのか右肩の肩先から脇にかけて円上に抉れており、正に薄皮一枚で右腕が何とか繋がっている――これでは付いていると言った方が正しいかもしれない状態で、こちらも大量の血液を流し続けている。

 少女達が埋まっていた瓦礫の下は、少女達から溢れ出たとは思えない程大量の血液で染まっていた。

 

 実際に目の当たりにしても、そんな今も生きている事のが信じる事ができない様な状態だ。この場には医師もいなければ、道具なぞ当たり前に無い。今もなお激しい戦火に包まれてるこのマリージョアから幼子とはいえ重傷者二人を安全な医師のいる場所迄連れて行く。しかも、もう十分に手遅れと言える傷が本当の手遅れになる前に。

 不可能。それ以外の言葉なぞ、まして楽観的な考えなぞ、ここにいる非情な現実を知っている者達に出せる筈も無かった。

 

「おい、ある程度の所まで連れて行ってやれ」

「……へい」

 

 見捨てる。そう決めれば対応は迅速だった。フィッシャー・タイガーは一緒に行動していた者の中で比較的に人間への嫌悪が軽い魚人に、残された少女――ハンコックを連れて行く様に命令する。命令された魚人も、多少の戸惑いはあったものの、しっかりと頷いた。

 フィッシャータイガーは人、魚人関係なく奴隷を解放する事を望み、今ここにいる者達は逃走でも復讐でもなくそんな彼の目的に賛同し集まった者達であり、人間への嫌悪も他の者達に比べある程度は軽い。その上、相手は同じく奴隷の立場にいた者でもあり、何よりも未だ幼い少女であり、そして、この場で自分達が助けることができる唯一の少女だ。彼らも決して人間が好きな訳ではないが、そんな少女に対して同情できる程には心を向ける事ができた。

 そも、基本的に大半の魚人は人間を嫌悪している。その他の者も関わりたく無いという意見が多く、それこそ人間が好き等というのはほんの一握りもいないだろう。それは、魚人は約200年前まで人類として扱われず、魚類と分類され世界中の人間達から迫害を受けていたからであり、そしてその風習は世界的に改訂されたとはいえ一部地域では根強く残っており、未だ差別の対象となるからでもある。また、奴隷としての価値も高く、法の改定前も後も変わらずに人買いの対象とされる。その証拠に、今現在この聖地を揺るがす騒動の原因となる奴隷達の中に魚・l族が多く含まれていた。

 

「立て、行くぞ」

「え……?」

 

 フィッシャー・タイガーによって助けられてからも、その前からも変わらず地べたに力なく座り込んでいたハンコックにかけられた言葉は、その胸中に同情の色を含んでいるとは思えない淡々としたものであり、ハンコックは急にかけられたその言葉に対し惚けた様な声を返すしかなかった。

 先ほどまで様々な理由によって流していた涙によって赤く腫れた目は、困惑の色を強く宿して声をかけていた魚人を見つめ返す。

 

 未だ妹達が助けられていないのに、どこに行くっていうのだろうか?

 

 ハンコックは彼らが妹達を助けてくれると信じていた。何せ彼は、自分達を絶望的な状況から二度も助けてくれた上に先ほどなんて、あの『恐ろしい化け物』まで倒してしまったのだ。彼はまさしく英雄で、彼にできない事なんて無い。そう盲信的な考えをもつ程にハンコックにとってフィッシャー・タイガーは衝撃的な存在であった。

 その彼――正確には彼と共にいた魚人達だが、ハンコックには彼が行った事と相違ない――が瓦礫をどかし、今正に妹達を助けてくれるのに、何故、自分だけがこの場を離れなければならないのだろうか? ハンコックは妹達が負った怪我の度合いをその目にしながらも、そんな楽観的(・・・)な事を考えていたのだ。

 

「だ、だって。まだ、い、妹達が……」

 

 未だ先ほどの衝撃が抜けていないのか、その口から紡がれた声は弱々しく震えてしまっていた。

 

「……」

 

 それを聞いた魚人の男は顔をしかめる。

 助からないから見捨てる。その選択は戦場となっているこの場では間違いではない。何より彼らは逃亡者なのだ。より多くを助ける為に動いているとはいえ、助からない者の為に時間を割く余裕もなければ、力も無い。今は来る筈も無かった奇襲によって奴隷達のほうが押しているが、それももう長くは続かない。今は炎に包まれ普段の美しい姿の見る影も無いが、ここは聖地マリージョア――世界政府の中心地なのだ。直ぐにでも、世界政府の持つ戦力が救やってくるだろう。

 そうなれば終わりだ。だから、その前に彼らはやれる事だけの事をする。その為に、彼女の妹達は見捨てるしかない。

 そのむねを告げれば良い。だが、所謂お人好しな彼は口ごもってしまい、ただ顔をしかめるしか無かった。

 

「何をしている、早く連れて行け」

 

 動かぬ二人。その頓着を破ったのはある意味その場をつくった原因とも言えるフィッシャー・タイガー自身だった。

 

「タイガーさん、それ「い、妹達は、ソニアとマリーは!?」が」

 

 魚人の男が話しかけている最中なのにもかまわず、ハンコックは口を挟む。

 妹達を助けに行った彼が妹達を連れずに帰ってきては、そんな事を言うのだ。しかも、その後ろには共に瓦礫をどかしにいった他の魚人達も見える。もちろんその中にハンコックの妹達の姿は無い。

 

 何か可笑しい。

 

 流石のハンコックでもそう考えるのは難しく無かった。

 もしかして……。とも恐ろしく信じたくも無い事がハンコックの頭をよぎる。

 だが、直ぐにそんな考えは振り払ってしまう。そんな想像は信じたくも無いし、何より彼が――英雄である彼がいるのだから、と。

 

 

 

「あいつ等は助からん。お前だけでも逃げろ」

 

 

 

 しかし、そんな甘い理想はその彼自身の言葉によっていとも容易く崩されてしまった。

 

「う、うそ。嘘よね?

 そ、ソニアも、マリーも……た、助けて、く、くれるのよね?」

 

 彼から、英雄からそんな言葉が出る筈が無い。信じられない――否、信じたく無い一心でハンコックはすがる様にフィッシャー・タイガーを見つめる。

 ハンコックにそれを、その可能性を認める事はできない、できるであろうはずもない。なぜならば、それを認めるという事は、ハンコックは自分の妹達を……

 

「時間もない。担いででも連れて行け。助けた奴を、むざむざ死なせる事もねぇだろ」

 

 そんな彼女の思い等知らぬ、とばかりにフィッシャー・タイガーはハンコックの言葉に解を返さず、ハンコックを連れて行く様に命じた魚人に再度告げる。

 彼はそうなろうとは思わなかったにせよ、今やこの集団のリーダーである事に違いは無い。彼の采配一つで彼についてきた者達の命が左右する。そんな立場にいるのだ。

 ハンコックに多少の同情は持とう。幼い身ながら奴隷として捕まり、やっと解放されたと思った矢先に家族を失う。確かに悲劇だ。

 だが、その程度の悲劇は珍しくも無い。現実も見据えれない子供の我侭で仲間の命を無駄に危険にさらすわけにはいかないのだ。

 

 

 別にそれはハンコック達が人間だからという訳ではない。確かに、彼は他の多くの魚人同様に人間に嫌悪感を抱いている。

 だが、魚人だったらもっと必死になるのか? もっと手を尽くそうと考えるのか? 

 そう問われたら彼は迷わずに違うと答えるだろう。

 フィッシャー・タイガーは冒険家だ。有りとあらえる場所に行き、それだけ多くの物を見た。だから、彼は人の風評等あてにならない事を知っている。よって彼は自分の見た物を信じる。

 彼は人間がどれほど愚かで、醜いかを知っている。だから人間に嫌悪感を抱いている。だが、同時にそれが全ての人間に当てはまらない事も知っている。そして、奴隷がどれほどに屈辱的で無力で残酷な扱いを受けているかも知っている。

 だから、彼は今回の奴隷解放に置いて人間も魚人も分け隔てなく助ける事を決めたのだ。

 

 

「そんな……」

 

 乗り出しかけたハンコックの身が再び力なく沈む。

 自分だけが助かってしまった。妹の危機に何もできずに、ただ怯え情けなく震え上がっていた自分だけがのうのうと五体満足で生きている。ソニアは恐怖を押し殺し、自分達の為にその身を犠牲にしてでも退路を切り開こうとあの化け物に正面から立ち向かった。マリーもあの化け物の恐ろしさを目の前にしながらも、そんなことよりソニアを助ける為にと、その命を賭け立ち上がった。二人とも故郷のお姉様達の様に、決して仲間を――家族を見捨てず、恐怖に負けず、立ち向かう。その姿は正にアマゾン・リリーの戦士のそれだった。それなのに、何もしていない自分だけが――臆病者の自分だけが……。と、力ない目で地面を見つめ、ハンコックは絶望と不条理の思考の海に捕われる。

 

「……ほら、行くぞ?」 

 

 そんな彼女の姿に何か思う所があったのか、命令された魚人の彼は最初のそれよりも優しい口調で、担ぎ上げる事なぞせずにハンコックを優しく抱き起こす。

 

「ッ、いや!! ソニア!! マリー!!」

「お、おい! 嬢ちゃん!?」

 

 しかし、その刺激で思考の海から抜け出したのか、急に叫んだかと思ったらハンコックはそれを振りほどき妹達がいるどかされた瓦礫の山へと駆け寄よる。

 焼かれた大地が持つ熱と瓦礫の欠片が裸足で駆けるハンコックの足を傷つける。が、そんな物はハンコックとって気にならない。ここに来るまでもそうだったのだから。

 だから、ハンコックが気になっているのは、ピチャリ。ピチャリ。と生温く足に粘ついてくる感触と、瓦礫の隙間から見える、その気味の悪い感触の原因であろう赤い色の液体だった。

 いつの間にか駆け足だった足は急ぎ足になり、徐々にその速度を落としていっては遂には瓦礫の前で止まってしまう。

 呼吸が荒い。熱気とは別に寒気を伴ういやな汗が背筋を流れる。心音が五月蝿いくらいに高鳴り耳が遠い。前に出そうとした足は面白いくらいに膝が震えていて一向に進もともしない。

 目の前にある大きな瓦礫。そこから一歩前に出れば、妹達がいるはずなのに、ハンコックは止まってしまう。

 その場所からでも、妹達の姿を直に見ないでも想像できてしまうために。

 

 赤い。

 

 妹達を助ける為にどかされた瓦礫でできた囲い。その大地一面が赤く染まっていた。先ほどからハンコックの足を濡らすそれが何なのかは考えるまでもないだろう。ハンコックはそれを流す妹達の姿を先ほどまで目にしていたのだから。

 

 動けない。喪失の恐怖がまたもやハンコックの足をすくませる。

 

 何をしてるこの臆病者! 妹達がこの先にいるのに、助けを――私を待っているのに!!

 動け! 動け!動け!動け!

 

 ギリギリ、と手の平に爪が食い込む程に力を込めても、噛みしめすぎた奥歯が悲鳴を上げていても、ハンコックの足にだけは一向に力が入らずガタガタと弱々しく膝を振るわせるだけだ。

 一度、恐怖に屈してしまった心はそう容易くは戻らない。圧倒的な恐怖が身体を狂わせてしまった。身体が恐怖という物を安全への裏返しと勘違いしてしまった。

 

 『恐怖に打ち勝った妹達は死んだ(・・・)が、恐怖に負けた自分は生きて(・・・)いる』

 

 彼女の心がどうであれ、まだ短い時しか生きていない身体は死への可能性を許容しない。例え違う意味での恐怖であれ、恐怖それ自体を勘違いしてしまった身体はハンコックを縛る。

 それは所謂、外傷性精神障害という物であり、幼い少女があの様な衝撃的な事があったばかりで仕方の無い物なのだが、そういった知識の無いハンコックにとっては、妹の安否すらも確かめる事のできない臆病者であり、勇敢な戦士である妹達に命を賭けて助けてもらった価値などない存在であった。

 

「……ねぇ……さま」

 

 思い通りに動かぬ身体を、何とか動かそうと必死に自分を叱咤していたハンコックの耳に微かに届いた掠れた声は、今正にその胸中に思い浮かべていた妹の物だった。

 

「マリー!?」

 

 駆け出す。

 先ほどまで動かなかったのが嘘の様に、ハンコックの足はその意思通りに動き、自分を呼ぶ妹の所へとハンコックを運ぶ。

 

 

 

 

 

 その、生きているのが不思議とも言える程に無惨な妹達の姿を直視した瞬間、ハンコックの精神は限界に達し、その口から胃の物を逆流させ、妹達の血で赤く染まりきっている大地に新たな色を混ぜていく。

 たまらず、突っ伏したその身は妹達の血と己の吐瀉物で汚れるが、そんな事を気にしている余裕等も無く、繰り返し、何度も何度も、胃液すら出なくなって来るまで、それは続いた。不幸中の幸いと言ってよいのか分からないが、奴隷という立場によって元々胃の中の物が少なかったおかげが、そこ迄酷くは吐瀉物を被らなかったが、変わりに手や足はもちろんの事、長い髪や服には、ベッタリと鉄の臭いを発する赤い血がこびりついてしまっていた。

 

「大丈夫か?」

「……うぅ」

 

 後から追いかけてきた魚人が、未だ苦しく嘔吐いているハンコックの背を優しく摩る。水かきのついたその冷たいはずの掌の感触を不思議とあったかいとハンコックは眩みそうになる意識の隅で感じた。

 そのおかげが顔を上げられる程度にはなったが、苦しさと悔しさで、唇を血を流す程強く噛み締めながらハンコックはボロボロとその両目から涙を流す。

 

 妹達はこんなになってまで自分を助けたというのに、こんなになってまで自分を姉と呼んでくれるのに、その姿を見て吐き出すなんて、どこまで自分は!!

 自分こそがこうなるべきだったのだ。立派な戦士の資格を持つ妹達が無事に生き残るべきだったのだ!! 妹達のために姉が動かずに何が姉だ!? 

 私は……

 

 

 

「ねぇ……さぁ……マ」

 

 

 

 あの光景を見た時からハンコックがたびたび陥ってしまう負の思考の連鎖を断ち切ったのは、またもや妹の声だった。

 その今にも消えそうな掠れた声を聞いた瞬間、ハンコックは立つのも煩わしいと這いずるかの様に妹達の所へと飛びついた。

 その痛ましい姿を見て、身体がまたもやガタガタと震えだすが、それを無視して妹達の手を身体に響かぬ様にそっと握る。

 

「……ぉ……ねぇ……さ……」

「そ、ソニア、マリー。私は、お姉様はここにいるよ。だ、だから、だか、ら、おねが、い。じ、じななぁいでぇ」

 

 何が姉だと。そう思う思考なんてどこかへいってしまっていた。ただ生きて欲しかった。ただ、それだけがハンコックの心を占めていた。

 二人がこの傷を負ってから既にだいぶ時間が経っている。普通なら既に命は無い、その場に溢れかえる血の量も、その年代の少女にしては大分体格の大きいソニアとしても、致死量の血は既に流れ出ている様に見える程だ。どう見ても、もはや助かりようが無い。

 

「ね……さ……ぁ」

「うわごとか。意識なんてある筈も無いか。

 こんな状態で生きているのだって不思議なくらいだ。魚人だってここまで生きていられないだろうさ。動物系の悪魔の実の生命力のおかげなのか?」

 

 彼の言う通り、彼女達がここまで生きて来れたのはその身に宿す悪魔の力と彼女達が潜在的に持つ覇気を操る力があったために相違ない。

 動物系の悪魔の実は能力者の身体能力を強化させると共に強い生命力を与える。それに加え、覇気はあらゆる生物に宿る生きる力そのもの。それが動物系の強靭な生命力を底上げしていた。

 

「……」

 

 魚人の言葉を背に、ハンコックは妹達の手を握りうつむく。

 虚ろな目。二人とも確かに目は薄く開いているが、その視線は虚空を見つめるばかりで呼んでいたハンコックに向いていない。死の間際の幻想でも見ているのか、それとも瀕死の重傷を負いつつも残された姉の事がそこまで心配だったのか、その口からは無意識に愛しいもの求める声が漏れているだけだ。

 求める者は、此処にいるのにそれに気がつく事無く、死ぬその瞬間まで彼女達は愛しいその者を呼び続けるだろう。

 

 

 愛しい妹達の為に最後まで何もできない。もはや、ハンコックには後悔しか残されていない。

 

 幼かったまだ人攫いに捕まる前、部族の姉達に強請ってやらせてもらった、とても仕事とも言えない遊びのような監視役の仕事に夢中になって自分達だけで船の甲板に残っているんじゃなかった。そうすれば人攫いなんかに捕まらず奴隷になんてならなかったのに。

 奴隷から解放される時、何も考えずに救われたなんて思わず、捕まったときの事に恐怖して脱走なんてしなければ良かった。そうすれば、たとえ最低の暮らしでも姉妹全員で一緒にいられたのに。

 この大通りに出た時、戦線の中を突っ走ろうか、なんて考えずに迷わず来た道を引き返せば良かった。そうすれば、あの化け物に出会う事も無かったのに。

 あの化け物に怖がって震えていた時、勇気を振り絞って妹達の為に真っ先に飛び出せば良かった。そうすれば、一人だけ無様に生き残る事も無かったのに。

 

 例え、この聖地を無事抜け出せたとしても、ハンコックは死ぬ。心が死ぬ。

 只々、身体が生きているだけの後悔の毎日を送る事になるだろう。狂った身体のせいで恐怖によって自殺すらできずに、きっとやる事全てに恐怖する日々を生きていく。

 それは正に生き地獄と呼ぶにふさわしい。

 

 悪魔の実のおかげで生きているのに、悪魔の実のせいで妹達はこんな目にあってしまった。

 ソニアもマリーもあの化け物を相手する為に、まだ慣れもしない悪魔の実の能力をつか……って……

 

 

 

『悪魔の実!!』

 

 

 

 ハンコックの思考が一色に塗り潰される。唐突に閃いた絶望の中に輝く一条の光。

 それは、通常な思考では到底不可能だときって捨てる愚考。もし、万一にでもそれが成功したとしても無駄に終わる可能性が高い――否、ほぼ確実に無駄に終わるだろう。

 それでも、妹達の為に何一つできなかった彼女が、唯一妹達の為に今できる事。脅迫観念に近いそれに捕われた彼女にそれを行わずいる事等でできる筈が無い。

 ハンコックは涙に濡れた顔を強引に拭き取ると覚悟を決めた表情で叫ぶ。

 

「マリー! ソニア! 私は此処にいるわ! お願いだから、私を見て!」

 

 しかし、叫ぶハンコックに対しても妹達は虚ろな視点を合わせようとはせず、先ほどよりもか細くなった声で名を呼ぶだけだ。

 それでも諦めずに、ハンコックは叫ぶ。繰り返し、繰り返し叫んでいく。

 心の限り力強く、妹達の為に自分にできる事を只一心に。

 

 しかし、それでも届かない。

 どんなに叫んでも、妹達の目はハンコックには向かず、徐々に、徐々に、名を呼ぶ声さえも小さくなっていく。

 

「お願い! 一度だけでいいの!」

「……嬢ちゃん。気持ちは分か

 

『五月蝿い!! 少し黙ってて!!』

 

 ッ!!?」

 

 

「「「「「!!?」」」」」

 

 

 ドンッ。と空気が揺れたようだった。

 流石に時間切れだと、魚人の男がかけた声を遮り、邪魔をするなとハンコックが叫ぶと、その魚人以外の遠巻きに見ていた魚人達でさえもが衝撃を受けた様に退き、まるでその衝撃に耐えきないかの様に意識を失って倒れる者までいた。

 その中に声をかけてきた魚人も含まれており、ハンコックの目の前で意識を失い力なく大地に倒れる。

 

 その異常な光景をハンコックは見た事があった。

 まだ、ハンコックが故郷にいた頃だ。どんな争いごともアマゾン・リリーの皇帝が一喝すれば、今の様にそれを向けられた者は衝撃を受けたかの様な症状を表し、酷い者は同じく意識を失い倒れた。

 

 今、ハンコックがしたそれは正に皇帝のそれと同じであった。

 

 覇王色の覇気――数百万人に一人の「王の資質」を持つ者しか身を付ける事のできない特殊な覇気である。その覇気の力は意思の力。王のみが持つ事の許されるカリスマとも言い換える事ができ、この世で大きく名を上げる様な人物は、この力を秘めている事が多い。絶対的な力の差があれば相手の意識を刈り取る事もできる。

 

 未だ未熟ながらもハンコックはその身に宿った覇王色の覇気を開花させたのだ。

 

 

 そして、それはハンコックに一つの可能性を見せる。

 

 

 ハンコックは先ほどソニアとマリーに故郷の姉達の姿を重ねた。そして、それにハンコックは魅せられたのだ。

 

 自分の今の姿は汚れに汚れ、決して美しいものではない。

 

 それでも。とハンコックは決意する。

 ハンコックは立ち上がり、ボサボサに乱れた髪を手に付いた血で逆に固め、残ったそれを頬をぬぐう様に指で一閃し、一筋の赤い線を入れ墨の様に描く。

 その決意を込めた瞳で凛として立つ姿は、先ほどまでの少女と同一人物であるとは考え難い程に美しかった。

 

 

 妹達は戦士の姿を重ねさせた。それは、妹達にそれだけの資格があったからできたことだ。

 今の自分にその資格が有るわけはない。それ以前に、重ねる相手もそれ以上の相手だ。最低ラインにも届いてない自分が、最高ラインの相手をまねるなんて普通に考えて、できる訳が無い。

 

「マリー……ソニア……。私を……」

 

 それでも……やり遂げるのだ! 私は姉なのだから! 

 

 

「妾を見るのじゃ! マリー! ソニア!」

 

 

 映す相手は幼き頃に見た皇帝の姿。

 全てを魅了するその凛々しく、美しき姿。

 それならば、妹達の心に届くかもしれないと、全てを望みをかけてハンコックは堂々と叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 かくしてそれは届いた。

 

 

 

 

 

 

「ぉ……ねぇ、さま?」

「ね……さま」

 

 人を引きつける「王の資質」は、虚空を見つめていた二人の視点をハンコックへとしかと向けさせた。

 ハンコックは確かに汚れていた。その姿は血塗れで、頬は炎で煤け、服の所々には吐瀉物の後が残っている。

 

『綺麗……』

 

 それでも、その姿を見た二人の心は捕われる。どんなに汚れようとも、その姿は間違いなく美しく、覇王色の覇気を無意識ながらも微弱に放っているその身は人の心を引きつけて離さない。

 何よりも、死の間際でも求め続けていた最愛の姉の姿なのだ。それに見入らないなんてそれこそ嘘だ。

 

 

 二人は魅入られ、そしてその身は石と化した。

 

 

 それは比喩でも何んでもなく、石像そのものだった。

 その幼さが残る張りのある肌は無機質な物と変わり、周りの瓦礫と大差のない色となる。その細く長い髪も、どういう事か着ていた服も、流れ出ていた血でさえも傷口ごと石化している。

 

 

 これこそが、ハンコックが食べた超人系の悪魔の実、メロメロの実の能力である。

 能力者の魅力に見惚れた者を石化する能力である。

 

 そして、石化した者は仮死状態になり、後で石化を解く事によって蘇生する事が可能である。

 

 これで、これ以上状態が悪化する事は無い。後はこの状態の二人を医者のいる安全な所まで連れて行き、石化を解除して治療を施すだけだ。

 もちろん、解除して直ぐ死んでしまうかもしれない。それほどに酷い状態だ。それでも、それだけが、ハンコックにできる唯一の手段だった。

 

 

 成功した事にハンコックは心から安堵するが、一息もつかず、先ほどから黙って事の成り行きを見つめていたフィッシャー・タイガーに向き合い、両手を地面に合わせ深々と頭を下げる。

 

「何のつもりだ?」

「頼みがある。

 散々、迷惑をかけて言える義理ではないのじゃが、妾達を安全な所まで連れて行く事と、その後の妹達の治療を頼みたい」

「ただでさえ足りない時間と人数を更にお前達に使えと? 

 俺達がそこまでする必要があるとでも?」

 

 ギロリ、と凄まじい圧力のある視線をハンコックに向ける。

 背中越しでもハンコックはその視線の恐ろしさが分かる。覚悟が無い者がそれを向けられれば、その圧力に耐える事はできないだろう。

 

「頼む」

 

 しかし、ハンコックは顔を上げ、それを真っ正面から受け止める。

 覚悟は既にできているのだ。命もかけた。妹達を助けれるのならばハンコックは何も要らない。

 恐怖の鎖は未だその身体にしかと根付いているが、皇帝の仮面がそれを少女の未熟な心ごと奥底へと押しとどめる。

 

 

「……」

「……」 

 

 

 長い沈黙が続く。

 

 

 その沈黙を破ったのは、ハンコックでもフィッシャー・タイガーでも無く、その場に最も長くいた存在だった。

 

 衝撃。

 今度は比喩ではなく、物理的威力を持った衝撃が、激しい熱と共にその場にいた全ての者に襲いかかる。

 ハンコックの覇気を受けても無事だった魚人達は気絶している仲間達を庇い、フィッシャー・タイガーは妹達を庇おうとしたハンコックを妹達ごと盾になる様にして庇う。

 

 その爆風の発生源など見なくても分かる。むしろ直視する事が難しい程に輝き、聖地を燃やす炎が全てそこから飛び火した小火なのではないかと思える様な、火の柱が恐ろしい轟音を鳴らしながらそびえ立っていた。その勢いは、天涯を燃やす尽くす勢いで、広大な聖地の半分以上を昼間の様に照らし出す。

 

「ぐぅぅ」

 

 余波だったおかげで大した傷にはならなかったが、あくまで直撃に比べて大した事が無いというだけで、発生源の近くにいたフィッシャー・タイガーの背中は熱と衝撃で大きく爛れていた。

 人より何倍も丈夫な魚人でもこれほどの怪我を負ったのだ、ハンコックが庇われなかった場合どれほどの酷い怪我を負ったか想像に容易い。

 

「大丈夫か!? 

 すまぬ、助かった」

「気にするな。お前は覚悟を魅せた。それを俺が気に入っただけだ。

 おい、お前等! 無事か!?」

 

 フィッシャー・タイガーが大きく声を張り上げると、あちこちから無事を告げる声が上がる。

 流石に、あれで死ぬ様な者は居なかったらしい。全員が無事な事を確認するとフィッシャー・タイガーは直ぐさまに指揮を飛ばす。

 

「お前等、こいつ等と気絶した奴等をつれて逃げろ!」

「タイガーさんは!?」

「俺はここに残ってあれをどうにかする」

「じゃあ、俺達も残ります!!」

 

「馬鹿いってんじゃねー!! 

 倒れた奴、全員連れてくにはテメー等が運ぶしかねーだろ! 仲間を見捨てる気か!?」

 

 ビリビリ、と怒号が響く。

 フィッシャー・タイガーも余裕がないのだ。今度は本当に時間がない。近くにアレがいるのだから。

 

「ッ、せめてこの人間を連れて行かなきゃ数人は残れます!」

「駄目だ。連れて行って治療してやれ」

「なんでですか!? 人間なんグァッ」

 

 ガシッ、と音が出る程激しく、フィッシャー・タイガーは魚人の頭をアイアンクローの要領で掴み上げ、先ほどと変わら眼光で射抜く。

 

「いいか、こいつは覚悟を魅せた。

 俺等が到底無理だと諦めた命を悪あがきだったといえ、不可能から可能性にまで引き上げやがった。

 お前等の半分も無い年の娘が俺を視線を真っ直ぐと受け止めたんだ。これに答えないでいられる男がいるか!」

 

 分かったら速く行け。と、フィッシャー・タイガーが振り払う様に無造作に手を離すと、慌てて意識のある仲間達と共に、気絶している仲間とハンコック達を担ぐ様に行動する。

 ハンコックは連れて行かれる前にもう一度、フィッシャー・タイガーに例を告げる。

 

「妾のせいで迷惑をかける」

「気にするなと言ったぞ。どっちにしたって気絶した奴らを連れて行かなきゃならんかったしな」

「……すまぬ」

 

 その原因も他ならぬ、ハンコックである。

 彼らはハンコック達にかまわなければ、もっと多くの人達を助ける事ができただろうに。

 

「そういう意味で言ったんじゃねぇ。

 お前を助けたのだって、俺が勝手にやった事だ。その結果は全て俺が原因でてめぇの責任はねぇ。

 勝手に人のもの(責任)を取るんじゃねぇ」

「……」

 

 大きい。

 身体も、その器も、何もかもが。

 負の連鎖に飲まれていたハンコックは、心がその言葉で少し救われるのを確かに感じた。

 まだ、仮面を被らなきゃ立ち上がる事さえ難しい心でも。こうやって少しずつ、いつかは救われるのかもしれないと、希望を魅せてくれた。

 

「お前、名前は?」

 

 だから、ハンコックは彼に名を聞かれた時、とても嬉しく感じた。

 そして、そういえば自分も恩人の名前を聞いていなかった事を思い出す。

 

「ハンコック。ボア・ハンコックじゃ。其方は?」

「フィッシャー・タイガー。冒険家だ」

 

 二人が互いの名を交換し終わるのと、ゆらり、と火の柱の中に、一対の羽を持つ異形の影が浮かんだのはほぼ同時だった。

 アレが来る。

 

「行け!!」

 

 ハンコックは石化した妹達と共に、魚人達に担がれるように背負われ、運ばれていく。

 自分達を守った時にできた真新しい傷がある、離れていく彼の背中を見えなくなるまで、ハンコックは見つめていた。恩人の姿を決して忘れない様に。この光景を割れない様に。

 彼にもう一度会う事を望みながら……彼にはもう会えないだろうとも思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く、聖地を走った後、後方からの閃光が聖地を何度も照らし出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンコック達が離れて直ぐに、火の柱から陽炎を伴い出てきたのは、火傷一つ、傷一つ無い、黒い一対の羽を背に持つ異形の少女。

 それは、彼が解放した同胞を多く焼き払った、この時、この聖地において奴隷達にとっての絶望。

 

 地獄の人工太陽――霊烏路 空。

 

 派手な登場の割に無表情に佇むウツホの眼前には、もとより険しい顔を睨みつける事で更に深くした、冒険家、フィッシャー・タイガーが油断無くたっていた。

 




GW中に本編を上げたかったので、取りあえずで更新です。
元々遅い執筆速度がさらに下がったせいで、結局、14話間に合わなかった。

同じ説明が繰り返し入ってしまい全然展開が進まないせいですね。削っては書いての繰り返しです。これでもだいぶ削ったのですが、変ですね。
結局、この話の中での作品中の経過時間は10分~20分しかありません。

この話は3,000文字くらいで済ませるつもりだったんですが、ハンコックとタイガーさんがでしゃばって結局12,000文字近くなってしまいました。
別に好きなキャラではないんですけどね~。勝手に走っていきました。
あ、タイガーさんの口調おかしかったらすいません。今、単行本が手元になくて、うろ覚えの記憶で書いてます。

色々独自設定が多い話ですので、受け付けない方も多いと思いますが、そこのところはご了承ください。

今回は14話(第一部の最終回)を書きたいと思ってたのですが、時間が足りずあきらめて、長くなったところで分割いたしました。
次回は第一部最終回だけあって色々、主人公や小説の設定についてのネタバレ回でして、一番書きたいところでもあるので早く書きたいですのですが、GW明けからすごく忙しくしばらく書けそうになく、次回更新は未定です。
でも、なるべく時間作っては書いていきたいと思います。

今回の知らない方への東方設定は主人公でなさ過ぎて、お休みです。

しかし、どう見ても、ハンコック(主人公兼ヒロイン)、タイガー(相手役兼ヒーロー)、ウツホ(序盤に主人公と少しだけ邂逅するラスボス)
悪役だな~。まぁ、海族側から見たら敵だし仕方ないか。

うちのハンコックはキャラ崩壊起こしましたね。あんまりキャラ崩れるのは好きではないんですが、主人公がいる差異で変わってしまうのはどうしようもない所ですね。異物がいるのに全く変わんないのも、おかしいですしね。

ハンコックはアニメでの子供時代は普通の口調だったので、皇帝になる時に口調変えたのかな、と思って。なんか、へんな妄想が沸きあがり、うちのハンコックは妹たちのため。くじけた心を覆い隠すための仮面『皇帝』を被る様になりました。
なんか原作より皇帝っぽいかも(汗

マリーとソニアは、魚人たちによって輸血と治療され、一応、助かってます。
次の登場はルフィがアマゾン・リリー行くときなので遥かかなただな~。

久しぶりで書きたいことが多くなり、あとがき長くなりましたが、また次回もよろしくお願いいたします。



まぁ、新話の投稿は未定ですが……ただいま、執筆度30%(2013/02/28)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。