もこ日記 〜幽明、幾度となく境を異にする〜 作:疾く冥
憎しみは腹の底から燃え滾り、さかり、全身からもうもうと煙をさえ上げる。
力んだ拳も、やりどころの無い怒りを表すように、ただ焔を出し、燻っていた。
燻らせた憎悪はただ一点を目指し、立ち昇る。私は煙の行く先を───月を見上げる。睨み上げる。
「輝夜ァ……」
腹から湧き出る声は力強く低く、また険しいものだった。
いつかお前を、とでも言うように。もう一度、宣言するように言い放った。
「蓬莱山、かぐやあアア!」
不死の山からその声は、木霊する。
足元の死屍を見て、妹紅は想起する。奴への手掛かりは、それだけだ。
───や、やめてくれ! 薬ならもう飲んだろ。気が済んだだろ? もうどっか行ってくれ!
え? かぐや姫? それなら、月の使いに連れられて、宙(そら)に帰っていったと専らの噂だが……。お、おい、なんだよその炎は。何をするつも───
奴は月に行った。それだけが分かった。とは言え、其処に行く方法も検討がつかない。
「ちっ」
今まで一度もした事がないような、下品な所作。だがそれでも、憎しみは弱まらず。収まらず、寧ろ時間が経つにつれ増幅する。
混沌とした胸の内が晴れることは今後数百年、ついぞ一度として無かった。
♢ ♢ ♢
青年は、恋を知らなかった。
言葉としての意味は知っているが、今まで一度も体験した事が無かったのだ。
その原因は、彼の趣味にあるのかもしれない。(趣味といっても健全なほうだ。)
というのも、彼は一風変わった物品が好きだった。障子を真っ赤な和紙に張り替えたり(返り血に見えると専らの噂だ。)、家の漆喰に緑や黄などの染料を混ぜたりなど。(家が腐ってるように観えると近所では口々に言われている。)
そんな変わった青年からすれば、周囲の
髪は黒く、健康的な体型。平均的に美しい容姿。そしてあり得なくはない名前。
どれも彼にとって活力を萎えさせるものばかりだった。
恋に興味が全く無いわけではないが、意欲が沸かぬならそれで良い。五月蝿く言ってくるはずの親も数年前に他界した。もうそれで、良いだろう。
彼にとって恋や愛は、その程度の物なのだ。やはり変わり物の方が好き、なのだ。
そんな変わり物好きの青年も、変わった骨董品などを買うだけでは生きていけない。
彼のお気に入りの、持ち手が二股に裂けた斧を持って森へ出かける。青年はそう、きこりなのだ。
ただ木を伐採したところで終わらず、加工し、陶芸品や日用雑貨にしてしまう。勿論どこかしら変だ。
変なもので変なものを造る。彼はそれがこの上なく楽しい。これから何を造ろうかと想像しながら、二股の斧を両手で持ち、木に傷をつけてゆくのだった。
○
───コーーーン!
最後の渾身の一振りが森に響く。
───ドサ、ドサドサドサ……
それなりに大木が周囲の木々の枝をへし折って倒れる。そして青年は、大木が倒れるであろう方向を見定める。
その瞬間彼は、目を見開く。
「ぬかった!」
人影だ。このままでは青年は人殺しだ。いくら自分が変わり物好きの変わり者だとて、刑に処されるのだけは勘弁だ。
刹那、青年の脳内に思考が駆け巡る。
「おい、そこの者、退け───!?」
だが其れよりも何よりも、彼はあることに注目した。
純白の長髪、紅白を基調とした派手な和服。とても普通とは思えない装いが、彼の心を揺さぶった。
だが、見とれるのもつかの間。木が彼女に倒れかかる。
「避けろ!」
叫んでも、どうにもならない。だからこそ逆に、叫ぶしかなかった。言い訳にしかならないが。
一方で彼女は、その声が聞こえているのか聞こえていないのか、ただ呆然と迫りくる大木を見上げるだけだった。
彼女を包む陰。やがて、木はその脳天に直撃して女子を押しつぶした。
青年はゆっくりと倒れた大木に近づくにつれ、その現場を目の当たりにする。
地面と木の幹に染み入る血が生々しく、その間からはみ出た衣服が現状を物語っていた。そして、自分が何をしたのかも。
元々は、切り倒した大木をいくつかの輪切りにして、転がして家まで持って行くつもりだった。けれども今から輪切っても彼女を救うには間に合わない。
じゃあどうするか?大木ごと、退かそう。
結局、四苦八苦して木を転がしたのも水の泡。少女が助からないのは一目瞭然だった。
顔は青白く、大量に出血している。脳の裂傷も、全身の至るところの骨折も、どんな医者に診せたって治らないだろう。それこそ彼女が、不死でもなければ。
‥‥‥それにしても、なんて彼女は麗しいのだろう。青年は、そう思った。
青年も、
彼女の容姿は、青年の村の女子とは一線を引く美しさ、いや遥かに凌駕する美麗さだった。
切れ長の目は顔の輪郭とあいまって涼しげな雰囲気を醸し出し、黄金比の顔のパーツのバランスは“可愛い”より“恰好いい”と言った方が印象として適当だろう。
そして腰のあたりまで伸びた白銀の長髪。そこに浸る紅血が青年の脳裏に、より鮮烈に焼き付いた。
青年が女性に持った第一印象は、涼しげだが内では炎を滾らせる女性。大方そんな感じだ。
青年がまじまじとその女性を見つめてる時、彼女から溢れる血から白い煙が微かに立ち上る。青年は気がつかない。
血はやがて温度を上昇させ、女性の身体を白煙で包み込んだ。
青年も流石に気づき、触れられなくなる頃には少女を地面にそっと置き、僅かに離れて様子を見守ることにした。
「‥‥‥何が‥‥?」
何が起こっているのか、彼には理解出来なかった。死んだはずの少女が発火するほどの高熱を帯びたのだから。
青年が距離を置いて数秒後、見計らったかのように、白い髪の先がちりと燃え、そして瞬く間に彼女の身を炎が包み込んだ。
────再構築(リザレクション)
業火の竜巻。弾ける火の粉。気付くとそこには、もとの姿の、少女が居た。
青年は再び、目を見開く。
じっとこちらを訝しげに見つめる双眼は真紅で、それだけでもう彼の心は貫かれた。ハートを直接鷲摑みされて思いきり圧迫された感覚だった、後に彼はそう語る。
「好きだ!嫁に来てくれ!」
「は?」
彼女───
○
妹紅は驚いていた。不慮の事故とは言え、自分を殺した張本人からプロポーズされたのだから。
妹紅は、大木が迫り来た時、死なぬよう避ける事は諦めていた。横に跳び、危機を免れる事は充分出来た。いやむしろ、勢い付いた木を片手で支えることさえ出来た。
じゃあ何故、其れをしなかったのか。
妹紅は、不老不死だからだ。
死ぬことも出来ない。老いることも出来ない。そんな彼女にとって、生と死という概念はとうに消えている。
故に、避けたり支えたり等という無駄に疲れることはせず、素直に一度死んでた方がマシだ。彼女はそう考えたのだ。
「でも、何で私があんたの家に来ているわけ」
「こら、妻ならもっとお淑やかに‥‥‥いや、これもまた良し。可愛いぞ妹紅」
「はあ‥‥‥‥」
咄嗟の事で、つい曖昧ながらも肯定を意味するような事を述べてしまった。妹紅の大失態である。
取り敢えず、言ってしまった事は仕方が無い。
妻として、青年を支えよう。
「これから、どうなんのかなぁ‥‥‥」
言うように妹紅はあまり気にしておらず、まあどうにかなるだろ、くらいに考えていた。
青年も青年だが、妹紅も妹紅なのである。妹紅の緩やかな日常はまだ始まったばかりだ。