エスデス将軍はアン・シャーリー料理長をこの上なく苦手としている。
ブドー大将軍はやたらとスキンシップや言葉によるセクハラを受けているから料理長を苦手としているのと違い、エスデス将軍には別の理由があった。
エスデス将軍がアン料理長を苦手としている理由を知っている者は実は少なく、「なんであのエスデス将軍も苦手なんだ?」と首を傾げる者ばかりだ。
・・・ただ、厨房で勤務する者は皆知っていることである。
彼女がなぜアン料理長を苦手としているかを・・・
そのエスデス将軍は今、その苦手意識を抑え込んで厨房の正面入り口にずっといた。
正確に言えば、ナイトレイドであるタツミとラバックが逃げ込んでからになるから、約半日程度だろうか?
・・・さすがに部下であるクロメやウェイブに言われて、風呂や睡眠をとらざる得なかったが、それが済むとすぐさま厨房の前にやってきた。
睡眠時間を大幅に削ることになったが、それでも彼女はその場に待機していた。
ナイトレイドを狩るためのイェーガーズなのだから当たり前だが、それ以上に・・・タツミに会いたかったのだ。
この際、ナイトレイドのラバックなんぞ見逃してもいいからタツミに会って抱き着いていちゃいちゃしたかった。
インクルシオの装着者?そんなのどうでもいい。
・・・と、言わんばかりだ。
ラバックとタツミが昼下がりにオネェとオカマたちに囲まれている間も、彼女は厨房の前にいた。
「アンタねぇ、いつまでそこにいるのよ」
アンがめんどくさそうに厨房の入り口に寄りかかりながらエスデスに尋ねた。
「・・・貴様がタツミを引き渡すまでだ。タツミは私のモノだぞ。手を出せばどうなるかわかっているのか」
「恋する乙女ねぇ、仕事のことは?」
「・・・・・・・・・ついでに取り調べもするつもりだ」
「あんた、さてはすっかり忘れてたわね」
「忘れてもいいだろう。とにかくタツミを引き渡せ。緑はいらん」
「本当にあんた私情まみれね・・・」
エスデスのまっすぐな視線に射抜かれながらも、アンは一歩も引くことなく入り口に寄りかかり続ける。
「・・・シュラの作戦でナイトレイドを誘き寄せた。大臣にも話は行っているはずだぞ?いくら宮殿の厨房が力を持っていても、さすがに断れないはずだ。お前の料理は気に入っている・・・無駄なことで処刑されるのは避けたほうがいいと思うが?」
「あらぁ、心配してくれるの?お優しい帝国最強さんね」
エスデスの言葉に少しふざけながらアンはそう返した。
エスデスはナイトレイド・・・というか、タツミをどうしても引き渡すように交渉しようとするが、その前にアンがエスデスにこう尋ねた。
「それよりもあんた、しばらく宮殿で食事してないけど食事マナーは忘れてないでしょうね?」
摩訶鉢特摩も使っていないのにその場の空気が凍った。
「・・・」
アンの言葉にエスデスは何も答えない。
帽子を深く被りなおす仕草をしながら、彼女はアンと視線を合わせないようにそっぽを向いた。
「・・・やっぱり忘れたっての?あらじゃあ厨房に招いてあげるわ」
「やめろ」
「いいじゃない。タツミちゃんに会いたかったんでしょ?じゃあタツミちゃんの前でじ~っくり宮殿の食事マナー講座をやり直してあげるわ」
「やめてくれ」
「帝国最強だろうがなんだろうが、皇帝陛下との食事の機会があるなら必ず習得して覚えろって言ったはずよねぇ?」
同時刻、厨房では扉前の会話が聞こえてきたため一同が静かに聞いていた。
いわゆる盗み聞きというものだ。
「食事マナーって、あれだよな。コース料理とかそういうやつか?」
「・・・あの、エスデス将軍が押されてる様子なんだけど・・・」
不思議がるラバックとタツミに、料理人であるオネェ&オカマたちはこっそりと彼らに話し始めた。
エスデス将軍が帝国軍に招かれて少し経過した頃、将軍たちや内政官を招いて料理会をすることになった。
好き勝手できるオネスト大臣とは違い、将軍たちや内政官はそれなりに食事マナーをしっかりとしなければならない。ましてや皇帝陛下が招かれるのだ。
ブドー大将軍はそういったマナーには厳しい。特に将軍職を持つ者には特段厳しくしていた。
エスデス将軍は帝国でも辺境の出身、宮殿においての食事マナーなんて知りもしなかった。
「大臣が許されているのだろう?私も好きにさせてもらうぞ。それに多少緩くしたところで皇帝陛下が怒るはずもない。皇帝とはいえ子供だしな」
・・・と、若さゆえの余裕を出していたが、この発言がアン料理長に届いてしまったのが彼女の運の尽きだった。
「ふざけんじゃないわよこの小娘!あの悪食暴食中年男の真似なんてさせるわけないでしょうが!」
と、実際にエスデス将軍の尻を引っ叩いて叱りつけた。しかもオネスト大臣とブドー大将軍のいる前で、だ。
そして強制マナー講座を実施された。
エスデスも抵抗したが、残念なことにそのマナー講座はブドー大将軍全面協力の下で行われ、オネスト大臣はにやにや笑いながらその様子を楽しんでいたらしい。
泣く子も黙るエスデスの強さも威圧も、料理長の前では効かなかったのである。
彼女の持つカリスマ性も一切効果が無い。
付け焼刃のようなものではあったが、一応料理会でマナー違反はしなかったとかなんとか。
だがそれ以降、エスデスは表立ってのコース料理等の場を避けている。
・・・それだけマナー講座、ひいてはアンのことが苦手になったからだ。
「・・・へぇ、あの帝国最強でも苦手なモノがあったんだな」
「あ、でも俺もエスデスの気持ちはわかるかもな。コース料理とか覚えるの難しそうだし。田舎にいたら必要ないもんだし」
「そうか?あんなもんすぐに覚えるぜ?」
「そりゃあラバはそうだけどさ」
そんな雑談を交わしながらも、エスデスが退散するまでこっそりとアンとエスデスの会話を聞く二人であった・・・