膨大な情報と熱の奔流が直哉の体と魂を震わせていた。過去というにはあまりにも途方も無い彼方から、とても崇高な存在が女の身体を通して直哉の中に下ろされていくのがわかった。
直哉は本能的な恐怖に絶叫しそうになった。それまでの自分がどんどん奥に押しやられていき、果ては消滅してしまいそうな錯覚に陥っていた。
激流の中に必死で自分を構成する様々な要素にしがみついていた。
しかしそれも緩やかに反転していった。
どうしてか彼はその血管の中に虫を入れられるような不快感が嫌ではなくなっていた。
というかそもそも捉え方が変化したのだった。
異物が自分の中に入ってくるという訳ではなく、自分自身が大きな存在の一部になるという感覚に、直哉は安堵すら覚えていった。
そして永遠のような一瞬の邂逅が終わり、彼は現実に引き戻された。
「・・・・・・・・・・ん!?」
先程までの体験に比べひどく狭い、生身の彼の視界には容赦なく槍を振り被る少年の姿が映っていた。
それに対しあまりにも間抜けな反応を見せた直哉だが彼の体はしっかりとそれに対応していた。
上体を畳んで大振りの一撃を回避した彼の体は連動して放たれる蹴りも予見していたように身体を反らして回避。すれ違い様に片手に持っていた剣を横に薙ぐ。
「くっ、そ!」
堪らず少年は受け切れずに吹き飛ばされた。
更に追撃しようと間合いを詰めるが牽制に飛ばされる突きに全身を阻まれる。数合それを捌き後退し、睨み合う形となる。
「くそ!なんなんだこれ!」
美少年がその秀麗な顔を歪めて吐き捨てるように言う。
「クソ女!こいつに一体何しやがった!!」
「下ろしたのじゃよ。高天原から特注の神をな」
どうやって登ったのか、本殿の屋根の上に腰掛けていたあの女は月の女王のように典雅に微笑み、夜の空気に
「のうお主」
少年と女に同時に見られ、ようやく直哉はそれが誰に向けての言葉か気付く。
「え、俺?」
「そうそうそなたじゃ。そなたに今しがた神を宿らせたでな。その力でそやつから妾を護ってはくれぬかの」
「んーーー?」
困り果てたとばかりに首を傾げる直哉を尻目に少年は女に食ってかかる。
「おい!正気かお前!一般人を巻き込むばかりか聖杯戦争に参加させる気か!?」
「その通りじゃ。この者には妾の『マスター』とやらになってもらう」
「ふざけんな!キャスター」
「よそ見は禁物じゃぞランサー」
戦の中で培われた勘で、ランサーはその場を跳躍した。さっきまでランサーの首があった所で鋭い刃が空を切った。
着地したランサーは驚愕の表情を浮かべる。
その先には、ランサーとは対照的な落ち着いた表情で剣を構える直哉の姿があった。
「すごいな。戦い方が次々頭に浮かんでくる」
「てめぇ・・・・」
「ランサーだっけ。全然状況は分からないけど、これ以上あの人に危害を加えようってなら、俺は戦う」
ランサーは毒気の抜かれた顔をもたげる。
「・・・・・・ダメだこれ。完全に洗脳されてやがる」
「え、いや俺は別に・・・・・・」
ふっ、と直哉の視界からランサーの姿が消えた。一瞬混乱しかける直哉だが足下の影に気付く。瞬時に剣を掲げ槍を弾く。受け切れず、直哉はその場に尻餅をついてしまう。
なんとか態勢を立て直そうと剣を構えるが、予想していた追撃は来なかった。
「え・・・・・・・」
上空を見上げた直哉は驚きの声を上げる。
満月を背にして、美少年は冬の夜空に浮遊していた。
黄金色の靴にはめ込まれた滑車がシュンシュンと風切り音を出していた。
「どーしたよ!ここまではさすがに来れねーか?」
嘲弄するように美少年が笑う。
そして彼の持つ三叉層が静かに鳴動し、夜気を震わせた。
その変調にいち早く直哉は気付いた。というより、彼の中に居るものが声なき警告を発していた。
「なんだ・・・・あれ?」
「いかんな。宝具を使う気じゃ」
耳元で囁かれた声に驚いて振り返ると、直哉の傍らには先程まで本殿の上に座っていたはずのキャスターの顔があった。
「のうランサーや!お主ここら一帯焼け野原にするつもりかや!?」
「あー?そうだよクソアマ!」
「それをお主の主人が許すのか?」
ランサーは一瞬ハッとしたような表情になったがすぐに嘲笑を浮かべ勝ち誇るように言った。
「『許可する』だとよ。残念だったなお前ら。このしみったれた土地ごとあの世に行きな」
乱暴極まるその物言いにキャスターは呆れ果てたように口先を曲げた。
しかしどうしたものか、と思案しているようでもあった。その時、確かにキャスターにはランサーをねじ伏せる武力が存在しなかったからだ。
そんなキャスターの手を取った、大きな手があった。
「なぁ、キャスターさん。あいつをどうにかする方法は無いのか?」
見ると真剣な顔をした直哉がまっすぐにキャスターを見つめていた。
「俺はなんとかして、あなたの事もこの場所の事も守りたい。ここに居る人達の声が聞こえるんだ。あんたの事を守れって。
だから教えてくれ、俺はどうすればいいんだ?」
キャスターは初めて目の前の直哉の事を初めて見つけたように、僅かに目を見開いた。彼女にしては本当に珍しい、神妙な面持ちで問いかけた。
「本気かお主。お主が言っていることは容易い事ではないぞ?それは、この国の土となり果てた幾多の防人達と同様に、国を護ると言っているのと同じことじゃぞ」
その瞬間、直哉はこれまで居心地のいい場所と捉えていたここがまるで別の物のように感じられた。周囲の木々や社は何倍の高さにまで伸び、直哉を見下ろしているように感じられたのだった。
しばしの間隙、直哉はごくりと唾を飲み込んだ。
しかしその目はどこまでも変わらず、強い光を讃えていた。
「それでも、他にやる人がいないなら、俺がやる」
キャスターは今度は物珍しい動物でも見るような目で直哉を見た。そして猫のように笑った。
「やはり面白いの、お主」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」
空を照らしあげる業火はすべてを飲み込まんばかりの大きさに膨れ上がっていた。その敵意が、今まさに英霊を祀る神聖な地に降りかかった。
『爆炸性的火尖鎗《baozhaxing de houjianqiang》!!!』
少年の槍の先端で圧倒的な破壊のエネルギーが爆発した。
爆風と輻射熱を伴い真夜中の世界を昼のように照らしだし、猛火の刺突がすべてを焼き尽くさんと推進していく。
着弾すれば武道館までのエリアを軽く吹き飛ばす威力の解放だった。
ランサーは勝利を確信していた。これだけの大火力をもってすれば、例外中の例外、しかもこの土地で他に無いほどののパフォーマンスを発揮するキャスターでも無事ではすまない、と。
しかしその炎の刺突は地表に到達することはなかった。
「ああ!? 」
ランサーが見たのは巨大な鏡だった。
炎尖鎗から放たれた炎はその表面に届かず静止していた。
後ろには必至の顔で両手をかざす直哉と、その腰に手を回し子供のように笑みを浮かべるキャスターの姿があった。
『天照らし照覧せす八咫の鏡』
それがキャスターに託され、直哉が唱えた、この神器を呼ぶ言葉だった。
直哉は恐ろしさを覚えていた。恐るべきランサーの宝具の力に、何より己の内から湧き出る正体不明の力の正体に。
しかしそれもつかの間の逡巡でしか無かった。彼の頭の中は確信に裏付けされた使命でいっぱいだった。
先祖より受け継がれたこの土地を、そして自分にとって恐らくとてつもなく尊い存在であろうこの女性を守る。守る。
ーーーーーー国護り。
「ここからーーーー」
炎の進路がゆっくりとねじ曲げられる。今までの進路とは逆の方向に。
ランサーは危険を感じ取り、その場を移動しようとする。しかし、彼の進路には見えない存在達が群を成して立ち塞がっていた。
「くそ!ここに来て邪魔するかよ亡霊共が!」
その時、地上では直哉が満身の力を込めて叫んでいた。
「出ていけぇぇええええ!!」
振り返ったランサーの視界は朱で染まった。
制御を失った爆炎が蛇のようにしなりながらランサーがいる方へなだれ込んできた。何かしらを口汚くさけんだ少年の声もろとも飲み込み、炎は空へと駆け上がっていった。
そして先程までの喧騒が嘘だったかのように、神社には都会の静寂が訪れていた。
両腕を上空に突き出したままの直哉は、そのまま崩れ落ちるように後ろに倒れた。
天地が逆になった彼の視界には、確かに、荘厳で静謐をそのまま建物にしたような靖国の本殿が、直哉を見守るようにそこにあった。
何かに抱かれる温もりを感じつつ、守れた。守り切れたという充足感の中で、直哉の意識は途絶えた。