例えばそれは、とてつもなくリアルな背景にデュフォルメされたキャラクターが配置されているような異質な雰囲気だった。それだけナオミの眼前に現れた遊女然とした者は見る者をざわつかせる雰囲気があった。
その現実感の無い佇まいはサーヴァントのもので間違いなかった。何の武装もしていない格好は強いて言うならキャスターだと判断できそうだったが、それよりも先にナオミには確認する事があった。
「殺すも殺さないも、それはあなた次第よ。すぐにこの水を止めなさい。そうしたら今回は見逃してあげる」
無論その後すぐに追跡し排除するつもりだったが、相手は人目をはばからずこんな大規模な力の行使をしてのけた者だ。下手に刺激し追い詰めたらどんな災禍を撒き散らすかわかったものではない。これ以上の騒ぎは聖杯戦争そのものの中止に繋がるし、聖堂教会の耳にも入ってしまう恐れがあった。
遊女は気にも止めない様子でしゃがみ込み、段差の下の赤い水面を愛おしげに撫でた。
「止めろだなんて、無体なことを仰るんですね。腹を痛めて産んだ我が子を、また穴に戻せとでも? 」
指に付着した、地上のそれより遥かに毒々しい水を女は舐めとった。
「ああというか、生みの苦しみどころか女の悦びも知らないご様子ですね」
女は目を細め笑った。
予想外の角度からの言葉に一瞬眉を顰めたナオミだったが、すぐに元の冷静な表情に戻った。そして鉄を打つような強い口調で言った。
「話を逸らすのはやめなさい。この現象を止めるか止めないか。セイバーに絶対に敵わないあなたには、選択肢は一つしか無いのよ」
「傲慢ですね。しかも何かに急かされてるみたい。あなた、随分窮屈な人生を送られてきたのではないですか? 一度、力を抜いてお話ししましょうよ」
すべてを見透かしたような言葉は、そのまま女が超常の存在ということの証左だった。
しかしナオミはこの女に興味もなければ話し合う気も無かった。この女がもたらした、既に数十人の人命に影響を及ぼしている地上への厄災で態度は決まっていた。
「はっきり言うわ」
ナオミは女王のように冷酷な目で遊女を見下ろした。
「あなたみたいな低脳のせいでみんな大変なことになっているの。こんなことした理由だってどうせ生前辛いことがあって世の中に復讐したいとか、そんな薄い動機でしょ?笑わせるわ。あなたの行動からは自己顕示欲しか感じない。こんなことで自分を慰めたいならそれこそそこらへんのつまらない男でも漁ってなさいよ。あなたみたいなアバズレにはそれがお似合いよ」
ナオミの言葉は託宣のように下水道に響き、長い沈黙を作り出した。遊女は面を貼り付けたような笑顔のまま黙っていた。
引き伸ばされた時間の中、ようやくセイバーが鼻で笑うかのような息使いで沈黙を破った。
「まったく女って奴はお喋りが好きだな。相手のことなどどうでもいいだろう。前提として殺し合いがあるこの戦争でそんなものに意味はない」
セイバーの体からは迸るような魔力が放出された。いつの間にか彼の身を包んでいたのは荘厳な甲冑とマントだった。権威を示す為これでもかと華美に装飾された白と黄金の装束はこの薄暗く汚い場所にあっても少しも輝きが曇ることはなかった。
セイバーは帯刀していた剣を抜き放つ。十字架を模したかのような、柄の至る所に宝石が埋まる剣だ。優雅に一振りし女に向かって突きつけた。
「この島国では名の知れた者なんだろうが主のもたらした聖杯を求める者には報いを与える。
ナオミ、いいだろう? 」
「ええ、セイバー。マスターが居ないのは気がかりだけどやってしまっていいわ。水の方は時間がかかるだろうけど私がなんとかするから」
セイバーが冷酷な笑みを浮かべながら一歩を踏み出した。
対する遊女は特に動じた様子もなかった。同じように歌い上げるように言葉を発した。
「ああ。可哀想な人達。掲げた正義の為なら他者を害することも厭わないというのですね」
女は座り込んだまま、悲嘆に暮れるように目を涙で潤ませていた。本当に、心から哀れでならないといった様子だ。
すぐにそれは慈母のようなすべてを包み込む笑顔に変わった。そしめ蝋燭のように白く華奢な左手の人差し指を右手で持った。
「そんなあなた達も愛しましょう。私はこの国の神、大宜都比売神(オオゲツヒメノカミ)なのですから」
ナオミは2つの衝撃に打ち震えた。
1つは女の口にした真名。
それは紛れもなく、古事記にも登場する日本の豊穣神の名前だった。イザナギとイザナミを親に持ち繁栄の象徴たる穀物や蚕から成る繊維など後の人類の繁栄になくてはならぬ物資を生み出した強大な影響力を持つ神。
従来の聖杯では神霊は呼び出すことは不可能なはずだ。貯蔵する魔力のパイが別格なのか、限定的に異質な仕様になっているのか・・・・今回の聖杯戦争は不可解に過ぎた。
そして2つ目の衝撃。
女の行動だった。
彼女は自らの指を、何のためらいもなく、いっそスティックアイスを割るように景気良く、関節の反対方向に折ったのだ。
地下水道には耳を覆いたくなるような絶叫が響いた。額に玉のような汗を浮かべて、鬼の形相で女は手を抱え込んでいた。激痛にのたうちながらも女の凶行は止まらない。折った指を更にサーヴァントならではの剛力でねじり上げる。一回転では千切れず3度、4度とねじ込み、ようやく人差し指は痙攣する女の右手を離れ、地面に転がり段差の下の赤い水の用水路に落ちた。
するとすぐに女の右手は左手の中指に伸び、同じことを繰り返した。たっぷりと、粘つくような時間をかけて、一連の儀式はとり行われた。
ナオミは突然の出来事に、正直なところ圧倒されていた。理詰めで考える傾向にある彼女にとってオオゲツヒメの行動は想定のどの行動にも当てはまらなかったからだ。
転じて、するりと次の行動に移ったのはセイバーだった。
その痛ましい様子に耐えられなくなって、というわけではなく、ただ単純に待っているのが退屈になったから、という感じで大股で女の所に歩いていく。
「気色悪い、死ね。」
無造作に十字剣を女めがけて振りかぶった。
容赦なく振り下ろされる剣、先端が見えないほどの剣速だ。人間が受ければ切れるという段階をふっとばして粉々になってしまうだろう。
しかし、予想に反して起こったのは重々しい金属音だった。
忽然と、オオゲツヒメの前には人影らしきものが出現していた。両腕でセイバーの剣をいなし、ぬっと2メートル近い巨躯を伸張させ、顔をセイバーに近づける。
セイバーの目には異様な化物の姿が映っていた。顔の半分を占める複眼、左右にに開閉される牙の並んだ口、焦げ茶色の粘性を感じさせる体表。その姿はまさに人間と同じ姿に変化したバッタだった。
怪物は細い割に筋骨隆々とした左腕を唸らせ、至近距離からセイバーの腹部に拳を繰り出した。拳は積層甲冑を粉砕し腹部に到達、内臓の一部を破壊されたセイバーは後方に体が浮いていた。
完全に油断しきっていたセイバーは砲弾並みの威力の拳をまともに受けてしまった。その隙を怪物は見逃さない、意識が飛びかけているセイバーの頭部めがけて拳を振り下ろす。
「Золоті ворота (黄金の門)!!」
はっきりとした発音で、その呪文は放たれた。
その時、奇妙な事が起こった。怪物の拳はセイバーの頭部には届かず、代わりに何故か怪物自身の胸郭に突き刺さっていたのだった。
陽炎のように揺らめく空間のうねりの中から肘から先が生えていて、代わりに怪物の体につながる部分は肘から先がうねりの中に消えていた。
怪物は何が起こったのか分からないという様子で不思議そうに空間に吸い込まれ、出現し自分を傷つけた自らの腕を眺めていた。そして次に見た銀光の煌めきが彼の見た最後の光景だった。
着地し意識を回復したセイバーは無言で十字剣を薙ぎ、怪物を断頭した。
頭部を失った怪物の体は膝をつき、力なく倒れて動きを止めた。
その光景を見とどけて、ナオミは深く息を吐いた。
なんとかギリギリで間に合った。彼女の得意とする、空間と空間を切り取り、繋げる魔術、「黄金の部屋」がうまく決まってくれた。直接的な攻撃はできないが、サーヴァントをサポートする時には必ず役に立つと思い、調整してきた甲斐があった。
しかし転移させる座標の指定、対象物との波長を合わせる作業で演算処理に彼女の脳には多大な負荷がかかり、激しい頭痛と眩暈に襲われていた。
だからこそ、足元の段差の下の用水路から伸びる、異形の手が彼女の足を掴むまで気づく事ができなかった。
「きゃ・・・・・・!」
突如その場に押し倒されナオミは無防備な悲鳴を上げる。眼前には醜悪に口腔を開き笑うようにして鳴き声を上げる、先程セイバーに討たれた筈の怪物がいた。
「ナオミ!!もう一度だ! 」
恐怖に我を忘れかけていたナオミだがセイバーの呼びかけで何とか気持ちを繋ぎ止めた。
「Золоті ворота (黄金の門)・・・・!」
走り出したセイバーの前方とナオミの眼の前で空間に歪みが生じる。熱い。激しい頭痛と発熱にナオミの頭は苛まれた。
だが次の瞬間にはセイバーは彼女の前方に現れ、剣を打ち上げていた。
怪物は吹き飛ばされたが浅かったのかそのまま空中に着地。4本の手足で張り付きカサカサと距離をとった。
「大丈夫か」
セイバーがナオミの手を取り、立ち上がるのを支える。倦怠感によろめきながらもナオミは足を踏みしめる。息を荒げてるのはセイバーも同様だった。
「平気。セイバーこそ傷が・・・・」
「油断した、許せ。それよりもこいつら、どこから現れた」
「見てたわ。こいつらーーーーあの女の指先が変身したものよ」
オオゲツヒメが地面に落とした指が、肉が裏返るようにして膨張し、瞬時に虫の形をとったのを確かにナオミは目撃した。
先程用水路から出現したものも最初に落とした人差し指が変じた物だと思えば合点が行く。
オオゲツヒメは狂ったように笑い出した。
「そうですわよ。穀物には虫がつきものでしょう?この子達はその中でもとびっきり!かつて幾万の人間を飢餓と貧困に突き落としてきた、世界最古の害虫達!骨までしゃぶってくれますわよ!」
親指以外が欠けた手をバンバン地面に叩きつけ、女は高笑いをする。女の側には二体の怪物が控えていた。そしてナオミ達の後ろには先程の一体が動かずじっと二人を見据えていた。こちらが注意を怠れば、即座に襲いかかって来れる態勢だ。
怪物達の実力は、油断していたとはいえセイバーの一撃を防ぎ、あまつさえ彼を仕留めかけた程である。一体一体が並のサーヴャントを凌ぐ実力を持っている筈だ。
そして敵は三体、狭い空間で、マスターであるナオミ共々前後で挟まれている格好だ。
形勢は絶望的だった。彼女達に残されている手はあまり多くはない。
「ナオミ」
セイバーも彼女と同意見だったようだ。
「ええ。セイバー、宝具をーーーーーー使って」