宝具・・・・・・英霊を英霊たらしめる武具や伝承のが具現化した神秘の結晶。その使用は即英霊の真名看破につながり、対策を立てられないためにもこの序盤で切りたいカードではなかった。
ただ今いる地下水道という空間は第三者の監視を防ぐという意味では非常に有意な場所ではあった。
ただ、ナオミが気がかりだったのは別にあった。
おそらくこの地下空間の別な水路だろう、サーヴァントと思しき二つの気配がぶつかり合うのを察知したのだ。それは先ほどの一連の行動があった後、二つの気配のうち一つの気配が爆発的に増大したのが契機だった。
オオゲツヒメを追ってきた他のサーヴァント同士で戦闘になったか、もしくは彼女の同盟相手がいて、それが侵入者を迎撃をしているか、といったところだろう。
聖杯戦争の運営そのものを脅かす騒ぎを起こしている彼女にまともな良識を持った人間が支援するとは思えない。あるとすれば、オオゲツヒメ自身が別のサーヴァントを召還したという可能性だ。
その方法そのものが無いわけではないことをナオミは知っていた。そしてそんな荒唐無稽な想像をかき立てるほど、オオゲツヒメの異質さは際だっていた。
そもそもあの怪物たちは何者だろう?
見たところ純粋な力ではオオゲツヒメを越えている。
通常、使い魔というものは自分より力の弱いものしか使役できない。サーヴァントのように力の強い霊格は聖杯の魔力と令呪をはじめとしたいくつもの制約でがんじがらめにしてようやくまともに運用できるのである。
しかし彼女は自らの指を供物に4体ものサーヴァント級の霊格を生み出した。まさに血を葡萄酒に変えるような神の御業だ。
いや、実際に彼女は神に類するものなのか。
(『神に類するもの』・・・・ね)
聖堂教会全体で言えることだが神とはすなわち一つの存在しか示さない、唯一にして絶対の存在だ。類するものなどという曖昧なくくりの適用外にある存在だ。
中でも彼女の所属する科は原理主義的な色合いが殊更濃い集団だった。
異教神など目の前に現れた日には目の色を変えて消しにかかるような人間の集まりだった。
そんな組織に所属している自分が今こうしているのは何というか因果なものだった。そして彼女は柄にもない渇いた笑みを浮かべた。
そんな彼女の胸中を見透かしたかのような毒婦の目と出会い、ナオミは我に返った。
(いけない・・・・・・今はこの状況を乗り切らないと)
気を引き締めた彼女を余所に、セイバーが口を開いた。
「ふん、もう勝ったつもりか。平和ぼけした軟弱な猿どもの神は頭までお花畑だな」
ナオミはセイバーの顔を見ることができなかった。
口から血を流しておいてこの男はこともあろうに相手を挑発したのだ。
ナオミは苛立つことすら一瞬忘れていた。
それに対しオオゲツヒメは余裕の笑みで返した。
「ふふっ。つまらない売り文句ですね、侵略することしか脳のない野蛮な民族の大王様。」
「そうだ。野蛮すぎたから俺が導くしかなかったのだ。それは認めよう。
しかし自らの民を手に掛けている神に言われたくはないな」
「おや? こちらの事情など聞く必要はないのではないですか?」
「質問に答えろ。何故自分の民を手に掛ける?それに答えられないのなら人を統べる資格など無いぞ」
オオゲツヒメの指摘を完全に無視し強い口調をぶつけるセイバー。
その意図は明らかに時間稼ぎだろう。
しかしナオミは疑問を感じずにはいられなかった。セイバーの宝具を使えば一瞬で負傷を回復することが可能だった。時間稼ぎの必要など無いはずだった。
だがその疑問はすぐに一つの答えに行き着いた。
(なるほど、私の魔力の回復を待っているのか)
そして完全にセイバーの意図が分かった。それだけ余裕を見た休養をさせ、これからナオミに何をさせようとしているのかを。
かなり無茶な策だが、ナオミの魔術とセイバーの宝具を掛け合わせてこの状況をひっくり返す手段が一つだけあった。
「冷淡な方とお見受けしましたが存外真面目な方なのですね」
そうつぶやいてオオゲツヒメは少し、どこか遠くを見るような曖昧な表情を見せた。
不思議な間が空間を支配した。
ナオミは意外に思った。
人を食ったような態度をとり続けていたオオゲツヒメがここにきて初めてその仮面を取りかけているように見えたのだ。
そして元の艶然とした笑みを張り付け彼女は話し出し、
「そうですね。これから死にゆくあなた方に、手向け代わりにはなしてあげてもいいですか」
「いや、いい。やはりお前はすぐに死ね。売女」
自分で問いかけておきながら、用なしとばかりにセイバーは冷たく切り捨てられた。
それが契機だった。
セイバーは無造作に聖剣を担ぎ上げた。その柄に収まっている聖遺物の一つが力を発する。淡い暖かな光がセイバーを包み、不浄なるものからつけられた傷は瞬時に回復し、彼の顔には活力がよみがえった。
更に聖剣の力の発露は止まらない。
納められた複数の聖遺物は一つ一つが魔力の炉心だ。それが繋がり、動脈のように高速で魔力を循環させる。そこから漏れ出た魔力はもはや可視化できるほどで、鋭い閃光となってナオミの目には映った。
一拍遅れたオオゲツヒメもすぐに決断を下した。
ナオミの背後で機を伺っていた怪物が猛烈な脚力で天井を蹴って飛翔した。
目標は無論、非力なマスターだ。
オオゲツヒメはもしもセイバーが怪しい動きをした時、すぐにマスターをしとめられるよう布石を打っていた。マスターをねらわれたセイバーは防戦に回るしかなくなる。
しかし当のセイバーは背後に迫る怪物ではなく前方のオオゲツヒメに向けて聖剣の切っ先を突き出した。それにタイミングを合わせてナオミの叫びが下水道に木霊する。
「ーーーーーーーЗолоті ворота(黄金の門)!!!」
彼女の魔力を贄にしてセイバーの前方に空間の歪みが形成される。
そしてその中に聖剣の刺突は吸い込まれ、代わりにナオミの背後、頭から突っ込んでくる怪物の眼前に出現した。
自ら刃に突っ込む形になった怪物はそのまま頭部を貫かれ、ピン刺しの標本のように空中に固定された。
次元魔術による連携で背後の奇襲には対応できた。しかし眼前の二体がここぞとばかりに疾走を開始した。
セイバーは聖剣を引き抜こうと力を込めるが、抜けない。上空を見上げると頭部を貫かれながら怪物は聖剣の刃を素手でつかんでいた。
「その程度では殺せませんよ!少し頭が悪くなりますけどねえ!」
オオゲツヒメも完全に予想した展開だった。
セイバーの奇襲も、ナオミがまだ余力を残しているということも。
しかしこれでこれで完全に詰みだ。おそらくあの聖剣には一瞬で怪物諸共オオゲツヒメを討ち取る力が秘められていたが、それもマスターを助けるために封じられてしまった。
セイバーを殺した後、あのマスターは令呪をはぎ取り脳を溶かして肉人形にするか、もしくは脳を残して魔力を生成する炉とするか。
無邪気にそんな皮算用すらしていたオオゲツヒメは、完全に油断をしていた。
そして完全に見誤っていた。
聖堂教会において異端とされている魔術の使用を特別に許可され、19という若さにして枢機卿に次ぐ地位に座するナオミ・ギレンホールの実力を。
「Зупинка декомпресії(停止、解凍)」
ナオミは次元魔術の二節目の呪文を口にした。限界を越える演算をする彼女の脳をアタッシュケースの中の魔具が支える。吐き出すように紡がれた言葉はすぐさま状況に作用した。
変化が訪れたのはセイバーの持つ聖剣の刃が吸い込まれている次元の穴だ。脈打つように振動し、黒い波紋はしゅるしゅると回転を初めて、内側に収縮する。その回転はとどまるを知らず、ついには臨界に達する。
「Одночасне розміщення кілька вимірів(多重次元、同時展開)!!!」
呪文の三節目が唱えられたと同時に、不可解なことが起こった。
聖剣の刃が吸い込まれていた次元の穴が消失し、そこに刃が出現したのだ。
しかも背後には怪物を貫く刃が厳然として存在しているというのに、そこにあるのが当然であるかのように、である。
非常に不可解な状況だが同じ聖剣の刃が同時に二カ所に存在していたのだ。
当然、セイバーが握っている柄につながっている方はまっすぐオオゲツヒメに向けられていた。
オオゲツヒメは初めて心からの驚きの声をあげた。
「ーーーーーーーしまっ」
「遅い、死ね」
はじかれたように飛びかかる二つの孤影。
音速を超える速度で地を蹴った二つの怪物は爆光に身を踊らせることとなった。
『輝煌剣(デュランダル)ーーーーー』
二つの刀身からあふれる輝きは下水道を真昼のように照らし出した。
どの自然光とも違う人の想念が生み出した信仰の光は外敵に向けては凶悪な暴力となって襲いかかる。光の刀身に触れた二匹の怪物は痕跡すら残さずこの世から消滅した。
被害はそれに終わらない。赤い水は瞬時に蒸発し、コンクリが肌を表しそれすら激しい臭気とともに溶解した。
そんな殺戮の光をナオミは呆然と見ていた。
セイバーの加護により熱から守られながらもその威力には畏怖を抱かざるを得なかった。
これが今後自分が向き合い御さねばならない世界宗教の権威の具現だった。
まばゆいばかりの光ではあるがその実底なしの闇と同じ、酷薄な虚に彼女の目には映った。
やがて熱の放出は終わった。
後に残ったのは地獄のような破壊の跡だった。
ただれた病人の胃の中の用に醜い姿となり果てた地下空間が、ナオミの目には急激にぼやけて見えてきた。そして徐々に視界が傾斜していった。
(ーーーーーーあ、倒れる)
死人のような自らの体は、大きな腕に抱き留められた。
柔らかく地面に寝かしつけられついでに頭に手が乗せられた。
「終わったぞ。よくやったな」
そんな言葉を耳にしたような気がしたが、彼女の意識は深い沼の中に吸い込まれていった。