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遡ること数時間前
菅野直哉は門前仲町にある自宅の安アパートにいた。
机の上にはノートパソコンが一台置いてあるだけだった。彼が大学を卒業して、小説家になる夢を捨てきれず会社を辞めてから1年間、彼の主戦場となっていた作業机だ。
バイトをしている時と寝ている時以外のほとんどを過ごしていた机は普段は原稿の山とメモが散乱していたが今は綺麗に整頓されていた。
キャスターはおもむろに立ち上がるとてきぱきと身支度を整え始めた。
白装束の上に直哉のトレンチコートを羽織る。
こうして見ると彼氏の上着を借りてちょっと買い物にいく女の子にも見えなくはない。
直哉もシャツとスカジャンを羽織り身支度を整える。円形の盾に星マークがついた直哉のお気に入りの物だ。
「それで、どうやって騒ぎを起こしている敵の位置を読むんだ?キャスターにはそういう力があるのか? 」
「ん、無いぞそんな力? 」
あっけらかんとキャスターは言ってのけた。
渋い顔を向ける直哉にキャスターは指を突きつける。
「そなたがやるのじゃ、マスター」
「え、俺ぇ? 」
「そなたというか、そなたに卸したモノの力によってじゃ」
直哉は自分の胸に手を置いた。
ランサーとの戦いで力を貸してくれた名も知らない神。
今は眠っているが、直哉はどこか深くでその神の存在を感じていた。
キャスターが蛇口を捻ると血のような赤い水が出た。
直哉はその臭気に顔をしかめる。
今朝方からこの現象が続いていて、東京都心は騒然となっていた。
報道では環境省が水の原因究明に勤めていて、使用を控えるようにという勧告を出している。
水が無ければ産業は、特に飲食業は仕事にならない。直哉のバイト先の居酒屋も営業を停止している状態だった。
その原因がサーヴァントによる事はキャスターが看破していた。そしてその本拠地に乗り込むことも、二人の間で決めていた。
「そなたにはこれを追ってもらうぞ 」
直哉は恐る恐る水に近づき、キャスターに促されて水に触る。
すると直哉の頭にイメージが広がる。導火線についた火が逆行するように、水の流れに逆らって直哉の意識は地中深くのある場所にたどり着いた。
そのおぞましい闇を垣間見て、直哉は思わず手を離した。
「なんだあれ・・・・」
超状的な体験よりも先に、そこで見た光景の鮮烈さに直哉は戦慄していた。
「あんなのが東京の地下にいるのかよ」
「そうじゃよ、あれはそなた達のすぐ足下にいる。時が来れば地上に出てくるじゃろうな」
直哉は自分の足下が揺らぐような感覚に襲われた。
今までのもやもやした感情は遠のき、リアルな危機感が全身を支配していった。
形容しがたい、おぞましいあの存在が地上に出て、それこそ友人や先程までこの部屋にいた恋人の前に現れるのを想像したら直哉は居ても立ってもいられなくなった。
「急ごうキャスター。はやく行って奴を止めないと」
「それはそうなのじゃがの・・・・」
キャスターはじっと直哉の瞳をのぞき込んでいった。
その瞳の深さに直哉は思わず息を飲んだ。
「ここが分水嶺じゃぞ。一歩踏み出せばそなたは命の取り合いに参加することになる。」
「でも誰かがやらなければならないんだろ? 」
キャスターが自分を試しているのを直哉は感じていた。
ならばここで弱さを見せるわけにはいけなかった。
「俺がやるしかないならば、俺がやる。散々話しただろう。そのために近しい人との関係も絶った」
強い口調で言う直哉にキャスターは冷静に頷く。
そして重々しい口調で告げる。
「そなたの気持ちが変わらないのは分かった。ならばもう一つだけ言っておく。そなたが身に宿した力は本来人の身には過ぎたものじゃ。
今はまだ引きはがすことができるが、これから力を使い続けた時、人に戻れる保証はないぞ」
その言葉には直哉は押し黙るしか無かった。
分かっていたことだった。これだけ超人的な力をただでもらえるはずがない。キャスターは数日を共にし直哉の人となりと覚悟を聞いた上でこの事実を告げてくれたのだ。
その気遣いに感謝をしつつなお考えた。
本当にこの大任をやり通せるのか?これまでの人生大した実績も残せなかった自分が?たった一つ、小説家になりたいという夢にしがみついて巨大都市の隅で現実をやり過ごしてるだけの自分が?
無い頭を絞って必死に考えたが答えなんて出なかった。
ただもう自分はやるしかないんだ。
キャスターの目を覗くと彼女もどこか不安そうな顔をしているように思えた。
「それでも、やる。なおのこと他の誰かには任せてはおけない」
キャスターは冷静な目で直哉を見据えた。
「なぜそう思う?」
「なぜって・・・・・・。だって、他人の為に命を使うのは当たり前だろ? 俺達だって、沢山の人の犠牲の上で生かされている訳だし。」
「それは本心からの言葉か? 」
「・・・・・・というか、何でこのタイミングでそんなこと言うんだよ」
直哉は動揺から少し声を荒げた。
そんな直哉を置き去りに、キャスターは玄関を抜け、廊下を歩きだした。
あわてて直哉はその後を追う。キャスターは振り返りもせず、追いすがる直哉に言ったのか、つぶやいたのか分からない小さな声で
「『俺がやるしかないならば』ではないぞ」
とそう言い捨てた。
***
閉鎖された暗闇での行軍はこれまでどれくらい歩いてきたかを分からなくしていた。
魔力を追い、キャスターと直哉は「勝ちどき幹線」をひたすら北西に進んでいる。全く先の見えない暗闇の中も不自由なく疲れすら感じずに歩き続けられるのはやはり今自分に憑依されている八百万の神の一つの力なのだろう。
本当に身に余る力だと、思う。
この数日この力に慣れる為に幾度もこの状態に入る訓練をしたが、体の回りにもう一つ皮膚があるような感覚や、戦う意志に対し思考が数歩先まで拡大し体が予想以上の動きをするのは、何とも居心地が悪いというのが本音だった。
しかしその実簡単な建物なら飛び越えられる脚力と壁を殴れば穿孔できる膂力、アメコミヒーローよろしくのスーパーパワーだ。そんな文句を吹き飛ばすほどの特典だった。この力があれば、はっきり言って何でも出来る。
もっとも、直哉の性格上そんな気は全く起きなかった。
もともと私利私欲の為にこの契約に志願した訳ではなかった。
そう、志願だ。かつての大戦で散った兵士のように、彼は自分以外の物を守るという意義あることをしたかった。自分にはその責任があると思った。しかし・・・・
ーーーーー「『俺がやるしかないならば』ではないぞ」
つまりは、自分じゃなくても他の誰でも良かったということか?
好意的に受け取れば、そこまで思い詰めるなという優しさからの言葉かも知れないが、このタイミングで言ってほしい言葉ではなかった。
いったいどういう意図で目の前の女はその言葉をかけたのか?
もやもやとした気持ちを抱えたまま彼女の後ろについて歩くが言葉はなかった。
そんな彼女の背中が行軍を止めた。
すぐに直哉も気づいた。
この地下空間に巣くどんよりとした死の空気の中に更にそれを濃縮したような気配を感じた。
風切り音とがした。
次の瞬間、直哉は宝具、「鏡」の力を展開していた。
本人の意思よりも早く作用した力は飛来した5本の鏃を空中に制止させていた。五本とも恐るべき正確さで直哉の心臓の前で微細に振動している。
直哉の中でスイッチが切り替わる。激しい動悸と汗が彼の額を伝う。
瞬時に神気を身の宿らせた彼はキャスターが水に濡れるのもかまわず側溝に向かい突き飛ばす。
そして眼前の暗闇に向かって剣を甘えた直後、両足を地から離し腕に力を込めた。
地下通路中に響きわたる重い金属地下空間に重い金属が響きわたり、トラックに衝突されたかのような衝撃が直哉の全身を襲った。
黒い大きな塊・・・・全身に甲冑を纏った大柄な武者が突進し、直哉の体をさらっていったのだ。
直哉の剣とその二倍はありそうな大太刀のつばぜり合い越しに、兜の隙間から武者と目があった。そして直哉はその目に深い恐怖を感じずには居られなかった。
「うおぉ!」
直哉は内なる声に従い武者の顔面に向け満身の力の蹴りを繰り出し、その反動で大きく後方に跳躍した。
着地し、地面を滑りながら相手を観察する。
武者が着込む甲冑はよく見れば日本の物なのは間違いないがかなり古い時代の物に感じた。兜には三つ叉に分かれた立派な金型が付き、太陽と川のような流れが描かれた旗を背中に刺している。
絢爛な鎧武者の格好だが身に纏う雰囲気は悪鬼とも言うべきまがまがしいものだった。近づいただけで祟り殺されそうな負の気配はさながら落ち武者と評するのが正確だった。
武者は四足獣の様な低い姿勢で直哉の出方を伺っていた。
直哉は武者に注意を払いつつその後方に向けて声を発する。
「キャスター!大丈夫か? 」
「大丈夫かとは何じゃいきなり突き飛ばしておいて!お主の衣服も台無しじゃぞ!? 」
大丈夫そうだった。
少し神妙な口調に戻り、キャスターは檄を飛ばす。
「その男は私には手を出せない。
戦えマスター!勝って防人の力を証明しろ!」
直哉の中に戦意が宿る。目の前の存在がサーヴァントであったとして、今の直哉には武者がもう手遅れなのは感じていた。
戦う。
これが第一歩だ。この聖杯戦争を終わらせ、東京を守る為の。
直哉は大きく跳躍する。飛燕となって上段から武者めがけて切りかかる。
しかし武者は予想をしていたかのように大太刀をあわせる。虫をはたき落とすように振るわれた大振りは空気をかき混ぜるような迫力だ。
しかしそれが直哉に被弾することはなかった。
「鏡」の力だ。ランサーの宝具をねじ曲げた様に、物理法則をねじ曲げることが出来る力は真命解放無しでも自身の姿勢制御くらいはできる。
懐に潜り込んだ直哉は袈裟懸けに剣を振るう。
甲冑を砕き肉をえぐる生々しい手応え。しかし、浅い。武者はひるまない。
武者が怒りを込め大上段に振り上げた大太刀が振り下ろされる。
破壊の力はどす黒い水柱を上げるが、直哉は既に数メートル距離をとっていた。
ーーーーーそうだこれでいい。
先制で一撃を加えられたのが直哉の自信になった。
正面からの力比べでは勝てるはずがない。「鏡」と機動力を生かしてのヒットアンドアウェイ。理性を失っている奴は対応しきれないはずだ。頭の中の神の声を聴けば、攻めるべき手順も見える。
ーーーーーいける。俺の力は確かに通用している。
壁、天井、段差を活かして飛びかかる。嵐のような大振りをかいくぐり致命傷とはいかないが斬撃をあびせまくる。
少しずつ、城壁の土台を削るように攻撃を加え続ける。
「■■■ーーーーーー」
うめき声をあげて武者が片膝をつく。
好機だ。この機に決着をつける。
直哉は大きく踏み込み距離を詰める。あの恐ろしい大太刀はまともに握られていない。迎撃は間に合わない。
「とどめーーーーー」
「馬鹿者!まだ終わっとらん! 」
キャスターの声が耳朶を揺らしたときに痛烈な衝撃が直哉の襲った。
見ると、腹部に大太刀の柄がめり込んでいた。猛烈な吐き気とめまい。黄色い胃液をたまらず吐き出した。
武者は哄笑していた。
「ぁん・・・・えんぁったなぁ・・・・」
直哉の頭に特大の警報が鳴り響く。
意識は混濁し視界が虫食いが現れる。その端に恐るべき銀光が走った。
次の瞬間直哉は宙に舞っていた。
武者は下段からの突き上げるように刃を振るい、神霊に操られた直哉はすんでの所で剣で受けていた。
ーーーーーあ。
しかし代償は大きかった。不安定な姿勢で受けた為に右腕があらぬ方向に捻れ、肘から骨がつきだしていた。
落下を待たずに武者の容赦ない追撃がくる。また体が勝手に動く。
激痛に直哉はやめてくれ!と叫ぼうとするがその声ごと横薙ぎの斬撃が直哉の体をさらっていった。
空中で体を丸め、折れた腕で固定した剣にあたり致命傷には至らなかったが、全身をしたたかに打ち付け水路に転がった。
そして少しも間をおかずに全身にリアルな痛みが駆けめぐった。
右腕は言わずもがな、左手も指が数本無くなっている。
内蔵もかき混ぜられたようにおかしくなっている。血とも胃液ともわからない液体が喉を逆流した。
それでも直哉は立ち上がった。
いや、神霊の力によって強制的に立ち上がらせられた。
武者はそれに反応し大太刀を悠然と構えた。
直哉の頬に液体が伝った。
血ではない。涙だ。
これが現実だった。全身を襲う痛烈な苦痛は言葉では言い表せず、彼の精神を蝕んでいた。
しかし、彼の中の神は退くことを決して許さない。
彼が踏み込んだ世界はこういう物なのだ。
死ぬまで目の前の敵と戦わせられ続ける、地獄だった。