榊原正国は馴染めない子供だった。それは彼が「施設の子」だったからだけではない。彼は時折妙なことを口走ったし、全国に行ける程に強いのに剣道部に入らず、あまつさえ剣道の授業すら見学した。
そこに加わる生まれ持ったという数多の傷痕と、人らしからぬ金の
御手杵結城は「浮いて」いた。それは彼が、通う私立校でも随一の良家の出だからでもあったし、相手が誰であっても頓着せずに話すからでもあった。けれど彼が通う学校の生徒は地元の名家の一人息子に当たらないというくらいのことはできたので、むしろ彼のクラスは虐めらしい虐めも起こらず平穏を保っていた。
曾祖母がドイツの貴族だと噂される髪と瞳は、年少の彼にある種神聖さすら付していた。
榊原正国は小学校の時に今の「父」の元に引き取られた。鍵吉というその男は剣術の道場を営んでいたが、息子が夭折したために跡取りを必要としていたのだという。
ある年の四月六日、二人は高校に入学して、隣り合った席に座った。何の故かは誰も知らないけれど、彼らはすぐに十年来の友人のように話した。貧乏道場に引き取られた孤児と良家の子息、けれどどうしてどうして彼らは気が合った。なぜって彼らはその思いを話す相手を他に知らない。その衝動をその記憶を、ともに共有する相手を他に知らない。誰に告げられるものか、自分は
彼らは世界にただ二人──案外他所には居るかもしれぬがここにはただ二人、誰も望まぬ戦を切望する。
かつての未来に誰の呼ぶか、無用の長物。
この世界からは失われた刃たち。
自らを未だ人間と定義できない二人組は、それでも惰性で生きるため食事をとる。昨年まで封鎖されていたために誰もよろうとしない屋上で昼食を口にするその時間だけが彼らをほんものに戻せた。付喪として肉の身を持っていたあの頃と同じように語らえるのは、そのほんの三十分ほどだけ。
「ほんと意味わかんないよなぁ~。古文とか読めたからなんなんだよ」
「そうなんだよな、漢文ならまだしも古文は物語ばっかじゃねーか」
「そういえば正国って漢文はできるよな、なんで?」
「門前の小僧ってやつだろ。それに
「うえー、マジで?てかさ、あの先生眠くならねえ?俺毎回起きてられなくなるんだけど」
毎度変わらず語りだしは由無し事。授業だとか、家人だとかについて。いつもそう。今日の四限は古典だった。
古典の教師は長谷部と言って、へし切りと呼ばれた彼らの同胞に似てはいた。けれど日本人らしい黒髪に焦茶の目は彼らとは違うとどうしたところで思い知らせる。
「正国ー」
手元の弁当箱から蒼穹の雲へなんとはなしに目線を移して、御手杵は口を開く。現世を語るときよりも、少し声を低めて。
「どうした」
「......人間って、何?」
榊原はほとんど空になったプラスチックの弁当箱から隣の同級生に目を遣る。見もせずにそれを感じ取って茶髪の青年はからりと軽い口調で語る。
「俺さ、いまいち人間ってものがわかんないんだよな。ずっとしまいこまれて飾られて、そんなに人間を見てたわけでもないし。正国ならわかるかなって」
「わかるわけねーだろ。人間って生き物は、一人一人があまりに違いすぎる。それに.......『
即座の返答に背高の男は瞠目し、
「そっか」とそれだけを溢して再び箸をさ迷わせる。
弁当を食べ終わると毎度、もう185センチを越えたというのにこの青年は育ち盛りの特権だと鞄からパンを取り出す。今日は大きなメロンパンとチェダーのかかったベーグル。三時間目の後教室移動のついでに売店で買ったものだが、普通に一食分になりそうな量がある。
毎度のように投げられる「食いすぎだ」や「なんでお前それで太んねーんだよ」といった声が聞こえない。代わりに榊原の口をついたのは、相方の名だった。まるであの頃に、二百年後の過去に戻ったような声音をしていた。
「御手杵」
「なんだ?」
「あんまり焦んな。我らは、まだ人間一回目なんだ」
「いやいや、一回目って二回目あるのかあ?」
「......六道輪廻って知ってるか」
この考える習慣のない「槍」にどうやって説明したものか、と思いながら榊原──前世には同田貫正国と名乗った男は話し始めた。
六道輪廻。それは生けるものらの巡る生。其々が其々の苦に満ちた、六つの界。天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄。もっとも楽園に近く思える天界すら、幸福な生と引き換えに死の恐怖と絶望はひどく大である。
けれどそんな詳細な話は双方ともに求めてはいないわけで。
「名前だけ。あんま難しい話はなしで頼むぜー」
「めんどくせーやつだなおい。要するに生まれ変わりだと思っとけ。それが大まかに分けて六種類。その中に人間と、それからひたすらに戦い続ける修羅道ってのがある」
ひたすらに、自らの目的もなく戦う。それは随分と、懐かしい概念だった。遠い過去の未来にそんなことがあった。歴史を元の通りに保つことが使命だった。たとえそれが、彼らにやさしくない時代でも。今戦に行ければそれだけで、と二人してそう言ったものだ。
「あー、何となくわかった気がする。そっか。じゃ、次生まれ変わったらまた正国と暴れられるかもしれないんだな。それは楽しそうだ」
「そうだな。再び修羅道を望むもまた一興」
「あ、それいただき。なあそのソーセージ食わねえんなら俺に頂戴」
かつての彼らは神であったし、彼ら自身もそれを知っている。生き物のための道はきっと、彼らには狭すぎる。けれど今はそういうことにしておこう。
生まれ変わったのだ。戦場を忘れられなくてもそれで良いから、ここで人間の真似事をしてみよう。ただ武器のまま、またあの場所に還るならそれで良い。何回目かに、慣れてしまえばそれでも。
──ひょっとしたら自分達はお互いを知らないのかもしれない、と彼らは思った。所詮は分霊。自分の知る相手とは別の本丸に顕現したのかもしれない、と。けれどもそれも見ない振りをして彼らは今日も。二人だけの記憶を話す。知らないことに触れないように。忘れたことだと誤魔化して。同じもののはず、だから。
けれどもそれも別の話。今は二人で平穏に慣れよう。ぬるま湯のような平和に。泥沼のような平凡に。