―――後漢末期、黄巾の乱と呼ばれる戦いから始まった群雄割拠の時代は一人の英傑とそれに従う数多の将星たちによって終わろうとしていた。
私の周囲は乱戦状態であった
あれほど圧倒的な戦力差であったにも関わらず、敵軍の捨て身の突撃によって陣深くまで進入を許してしまったのだ
私は嘆息しながら傍らで周囲を警戒する隻眼の将に声をかける
「まったく厄介な相手だ、惇」
「そうだな。奴にとってはこの戦いは孟徳を討つことが目的だからな、城を落とされたところで怯むものでもないのだろう。」
眉間に皺を寄せたその厳つい顔を此方に向けながら男―――夏侯惇が声を返す
「さりとて此処で馬超を討たねば我が覇道は成らない以上、前線で奴をあぶりださねばなるまい。」
「ならば俺から離れるな、孟徳。各隊、密集陣形で近寄ってくる敵兵の侵入を許すな!」
しばらく警戒状態が続き混戦状態が落ち着いた頃、左右から弓を担いだ将と戦斧を担いだ将が駆けてくる。
「惇兄!左翼陣、馬超発見できていないよ!」
「右翼陣、同じく発見できず!」
「淵、徐晃、奇襲に警戒しつつ偵察に当たってくれ!」
「「 承知! 」」
二人はそのまま馬を蹴り、駆けて行く。
二人の後姿を見ながら私は先ほどから見かけないあいつの姿を探しながら惇に問う。
「ところで惇、あやつは何処にいったのだ?」
「銀河のことか?やつなら一足先に哨戒についてもらっている、例え馬超と遭遇しても単騎で渡り合えるだろうからな。」
そうか、と小さく呟きながら私は不安が顔に出ないようにする。
―――まったく、私も弱くなったものだ。銀河の強さはよくわかっているというのにこんなにも不安になるとは、銀河が帰ってきたら文句の一つでも言ってやろう。
そんな理不尽な事を考えながら少し前のことを思い返す。
銀河―――その名に良く合う銀髪の青年に出逢ったのは偶然か必然か。
最初はその類まれな武に魅入られただけだった、それがいつしか掛け替えのない愛しき存在となった。
まさか覇道の道を進むこのわたしをそのような気持ちにさせる男が現れるとは思っていなかった。
戦場だというのにのんきに昔の事を思い出し始めていた私を引き戻すように大声が聴こえる。
「孟徳、聴いているのか孟徳!」
「なんだ、惇。そのように大声を出さなくても聴こえているぞ。」
私が呆れたように声をかけると惇はこめかみを押さえながらため息をつく。
そんなやり取りをしていたときだった、私の視界の端に此方に駆けてくる白いものが映った。正体を確認しようと眼を凝らすよりも先に惇が声をあげた。
「孟徳、馬超が来たぞ!」
惇は私より早く見つけていたのだろう、確認するより先に白いものの正体を告げた。
錦馬超―――西涼の雄、馬騰寿成が娘にして、かの呂奉先に匹敵すると称される程の武勇をもつ傑物。永らく涼州にこもっていた為に今まで表舞台に現れなかった将であったが父である馬騰が覇道を突き進む私と敵対の末、命を落とした事により挙兵。圧倒的な劣勢をものともせず、その類まれなる武を駆使して私の眼前にまでたどり着いたのであった。
「曹操―――!!」
馬超が吼える。その身を焦し尽くす程の憎悪と執念の炎を瞳に宿らせながら。
馬超が発する殺気が肌にひしひしと伝わってくる。私はそれを真正面から受け止めるように馬超を見据える。
「馬超、よくぞここまでたどり着いた。さあ、我が覇道を破らんとするならば見事この曹孟徳の首を獲ってみよ!」
私の言葉を聴いて馬超は駆けてくる速度を上げる。その前を遮らんと立ちふさがる兵たちを造作も無く蹴散らしながら。
兵の壁を全て突破したそのとき、傍らに控えていた惇が前に出た。
「孟徳、奴の相手はこの俺がする。」
惇が振り向かずに私に声を発す。
「わかった」
私は短くそう返す。
―――私は油断をしていたのだろう。
惇と馬超が一騎討ちをする、そう信じて疑わなかったというのに惇の前に躍り出た馬超はその勢いを殺さぬまま前進する。
惇はそれを押し返そうと剣を振るう、しかし馬超はそれに対し槍で受けることは無かったのである。
その身に深く剣を受けながら、それでも馬超は身を逸らし突破した。
もう私と馬超の間には誰も居ない。私は腰の剣を抜き声の限り吼える。
「馬超―――!!」
「曹操―――!!」
「・・・ぐっ!!」
一合斬り結んだだけで馬超の圧倒的な力にバランスを崩してしまう。そしてそれを見逃すほど馬超は甘くは無い。すぐさま鋭い突きを放ってきたところを何とか剣で逸らすがその勢いで剣を弾き飛ばされてしまった。
眼前には槍を構える馬超、対する私は無手。馬超の肩越から急いで此方に引き返している惇が伺えるが間に合いはしないだろう。
「曹操!覚悟―――!!」
「孟徳―――!!」
馬超の咆哮と惇の初めて聴くような悲痛な叫び、それらを聴きながら私は眼を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは銀髪の男だった。せめてもう一度あの男に抱きしめてもらいたかった、そんな他愛の無い考えを浮かべながら最期のときを待つ。
「―――?」
しかし一向にその時が訪れない。どういうことかとゆっくりと瞼を開いたとき、其処には信じられない光景があった。
銀髪の男―――銀河がいつの間にか背を向けながら私の前に居た。
「ぎ、銀河・・・なぜ、お前が・・・・・・」
私は呆然としながら銀河に話しかけるが返事が無い。
いぶかしみながら馬超が居る事さえ忘れ、顔を見ようと前に廻り込み、言葉を失った。
其処には互いに抱き合う形で銀河と馬超が向かい合っていた。
―――互いの得物を胸に突き立てながら。
それは致命傷と呼べるもので、二人とも身動き一つしない。
「な、なにを、なにを・・・して、いるのだ・・・銀・・・河・・・」
私は震えの止まらぬ声で銀河に話しかけるが返事が無い。
それでも諦めず私は何度も何度も呼びかける、まるで目の前の現実を否定するかのごとく。
その声が届いたのだろうか。先ほどまで全く反応の無かった銀河から、か細い声がもれ出た。
「・・・曹・・・操」
その声に俯きかけた顔を上げ私は声を返す。
「ぎ、銀河!!生きていたのだな!!」
「・・・・・・あぁ。・・・曹操は・・・無事か?」
「私は大丈夫だ、だから銀河も早く手当てを・・・」
そういって私は薬師を呼ぼうと声を上げようとしたが遮られた。
「・・・いいんだ、曹操・・・。必要・・・ない・・・。」
「なにを、なにを言っているんだ・・・銀河。早く傷の手当てをしないとだめだろう!!」
「もう・・・・・・わかって・・・るんだろ。俺が、・・・もう「わからん!!」」
私は銀河の言葉の先を聴きたくなくて声をかぶせる。
「わかって、わかって堪るか。私は許さないぞ、そんな勝手な事。これから、これからではないか。」
「・・・こまった、・・・奴だな・・・」
銀河は苦笑しようとして顔が動かないのだろう、不器用に顔を歪ませながら私を諭す。
「・・・お前は・・・・・・王だ・・・。なら・・・迷・・・うな、・・・立ち・・・止まるな。・・・安心・・・しろって、・・・ちゃんと・・・みて・・・いてやるから。」
そして今度は悲しそうな顔をしながら―――その言葉を告げた。
「だ・・・から・・・・・・さよ・・・なら・・・だ・・・・・・。」
それから銀河が再び声を発する事は無かった。
後には覇王という仮面をかなぐり捨てて泣き叫ぶ私の声が響くだけだった。
後に馬氏の戦いと名づけられたこの戦いの後には目立った反対勢力も存在せず、労せず魏は天下を統一。
曹操は生涯を通して独身を貫き、後継として一族の中から養子をとり娘とした。その娘は曹丕と名づけられ、後に献帝から禅譲を受け魏の初代皇帝となり永く栄華を誇った漢という大国は滅びた。
曹丕が皇帝となってからまもなく1年という頃、曹孟徳の死期が迫っていた。
洛陽の街中の一角に構えられた曹操の屋敷には魏の重臣たちが集っていた。
その中でも旗揚げ時から付き従った者たちが曹操の枕元で目を伏せる。横たわる曹操の姿があまりにも弱々しく眼に映ったからだ。
集った重臣たちを薄く開けた瞳で見渡しながら曹操が声を出す。
「みな、良く来てくれた。どうやら、ようやく私の順番が来たようだ。」
そして曹操は声をかける。
「子孝、子廉。いままでよく私を支えてくれたな。」
「孟姉」「曹操様」
「淵、あまり惇を困らせないように」
「わかってるよ」
「惇、すまないが先に銀河のところにいって待っている。子桓のことを頼む、あの娘にはまだ支えるものが必要だ。」
「・・・承った。銀河のやつとゆっくり休め、孟徳。」
「それを聴いて安心した。」
そして曹操は瞳を閉じ一度大きく吐いたかと思うと震える声で呟く。
「あぁ、・・・銀・・・河・・・迎えに来てくれ・・・たんだな。」
その言葉を最期に曹操はその波乱に満ちた人生の幕を下ろした。
洛陽の一角に、質素ながらも広い敷地を誇る名士の屋敷がある。その屋敷で生活する主の孫娘がある日、高熱を出し寝込んでいた。
家人は洛陽中の薬師を訪ね歩き、屋敷へ呼んで診てもらったが娘の病状が回復する事はなかった。
娘が倒れて五日目、昨日まで意識すらなかった娘が熱も下がり唐突に眼を覚ます。そのことに家人はたいそう喜んだが当事者たる娘は呆然とした様子で反応が無い。
病み上がりであるための反応の薄さであると考えたのか家人たちは気にも留めなかったが、娘は呆然としながらもその瞳には歳不相応とも思える理性の色を宿していた。
それから幾年か経った。
以前から秀才と持て囃されていた娘は、あの謎の高熱から回復して以来は秀才と呼ばれた頃と比べても隔絶した才を見せるようになり、神童と謳われるまでに至っていた。
時の人物批評家許劭に「子治世之能臣亂世之奸雄」と評されたその少女の名は―――曹操孟徳といった。
―――なぜ私は生きているのか
―――なぜ私は子供の姿に戻っているのか
―――なぜ亡くなった祖父や父がいるのか
そんな事はどうでもよかった。気にならないといえば嘘になる、しかし過去に戻ったとしか考えられないこの状況に対し私に浮かんだ感情は歓喜だった。
今からであれば、これからであれば、大切なものを取り戻す事が、失わずにすむことができる―――そう考えたからだ。
私なりに調べてみたが未来を知っているのは私だけのようだ。
惇や淵、子廉や子孝に不審に思われない程度にそれとなく聞いたが無駄だった。
だから今度こそは、銀河を死なせない―――その決意を胸に私は一人、以前よりも遥かに文武の鍛錬に励んだ。今では淵や惇と手合わせしても三回に一回ほどではあるが一本取れるまでになった。
今日、そんな私は宮殿に来ていた。立場としては祖父―――曹騰の小間使いであるが私の目的は別にあった。
現在宮殿には・・・・・・涼州から馬騰が娘を連れて来ているという話を聴いたからだ。
別に私は馬超に復讐をしようなどとは考えていない。ただ、いずれ再び立ちふさがる相手の今の姿を見ておこうと思ったからだ。
その機会は意外にも簡単に訪れた。もともと今日の予定に祖父と馬騰の会談も含まれていたらしい。祖父の後ろに続いて馬騰の待つ部屋に入った時、あまりの衝撃に私は息を止めてしまった。
「・・・・・・ぎ、銀・・・河・・・」
か細い声が私の口からこぼれ出る。
そう、其処には馬騰と馬超のほかにもう一人男がいた。
薄く輝く銀髪と一見軽薄そうに見える顔に誠実な色を宿す瞳を携えた体格の良い男、私が唯一愛した男―――銀河が其処にはいた。
なぜだ、なぜ銀河が馬超の横に居る。なぜそんなに親しそうに馬超と話をしている。なぜ、なぜ・・・。
わたしは何も考えられなくなる。
私が固まっている間に向こうが名乗り始める。
「涼州の馬騰寿成だ。お初にお目にかかる。そしてこっちが」
「馬騰が娘、馬超孟起。」
馬騰と馬超が簡潔に名乗る。
そして、銀河も名乗り始めるが、私は更に混乱する事になる。
「二人とも適当すぎるぞ、まったく。すまないな、家の父上殿と姉上殿は口下手でな。俺は馬騰が子、馬岱銀河だ。銀河って呼んでくれ。」
孟徳―――曹操
元譲(惇)―――夏侯惇
妙才(淵)―――夏侯淵
子孝―――曹仁
子廉―――曹洪
寿成―――馬騰
孟起―――馬超
子桓―――曹丕
では、また