街道脇での野宿から一晩明けた、次の朝。
フェイトは最後明け方までの見張り番をしていたレナに優しく起こされた。
鈍った頭で呼びかけに答え、眠気を無理やり振り払いながら身を起こすと、すでに起きているクリフとレナスの姿も見えた。どうやら自分が最後だったらしい。
レナスの様子をこっそり見て、(本当に大丈夫そうだな)と改めて確認する。
夜中見張り番を交代した際。
クリフに彼女の見張り番の様子がどうだったか聞いてみたところ、
「あ? ああー……、まあ大丈夫なんじゃねえの。ふつーにくるくる回し続けてたぜ、オルゴール」
というなんともてきとーな答えしか返ってこなかったのだ。
「お前、ちゃんと見てたんだろうな?」
(こいつまさか、美女に鼻の下伸ばしてただけじゃないだろうな)
と疑いの目を向けるフェイトにもクリフは「あー見てた見てた、ばっちり見てたとも」と面倒くさそうに言い返し。大あくびをして、
「とにかくあいつなら大丈夫だって。……お前も中々に心配性だな」
とフェイトに言うや、さっさと魔物よけのオルゴールを渡して寝入ってしまったのだった。
そんなこんなでフェイトはまだレナスの事を信用しきれていなかったわけだが。こうやって自分の目で、寝る前となんら変わらない落ち着いた様子のレナスを見ると、その心配もまったくの杞憂だったように思える。
この調子だと、ただこっちが面倒見てあげるだけのお嬢様だという、彼女に対する認識を少し改めてみてもいいかもしれない。
(そこそこ旅慣れてるつもりって、嘘じゃなかったんだな)
周りにいくらでも人いるだろうに、進んで見張り番やりたがるなんて改めて変わったお嬢様だ。まあこっちもその方が助かるからいいけど。
寝起きの頭でフェイトがぼんやり思っていると。
レナがたき火にかかっている例の調理専用兜からお玉で汁物を掬い、お椀によそってフェイトに渡してくれた。朝食の用意もフェイトが寝ている間に終わっていたようだ。
「はいこれ、フェイトの分。どうぞ」
「ありがとうレナ」とお椀を受け取り、全員揃ったところでさっそく「いただきます」とお椀に口をつける。
美味しい。具の大根のほのかな甘みと、なによりこのスープの芳醇な香り。この料理を作ってくれた人間の優しさが、見張り明けで疲れた僕の全身に染み渡るようだ──
などと大げさに感動してから、
(うん、朝はやっぱりみそ汁だな)
とまったり落ち着くフェイト。
細かい事はもう考えない事にする。今日のはちゃんと火通ってるし、昨日のだって結局アンチドートのお世話にはならなかったし。
野宿先でも朝から美味しいみそ汁が飲めるなんて素晴らしい。もうそれでいいじゃないか。
早くもそう割り切ったフェイトの横では、これまたクリフが普通にみそ汁の味を褒めている。こっちも早々に環境に順応する事にしたようだ。
「いいお嫁さんになれるぜ、嬢ちゃん」
「やだクリフさんったら。おだてても何も出ないですよ」
クリフに軽い調子で言い返したレナは、そのままの笑顔でレナスに話しかけた。
静かにみそ汁を頂いていたレナスも、いったん手を止めてレナに返事する。
「みそ汁はどうですか?」
「ええ、とても美味しいわ。こういうのも、たまには悪くないわね」
(似合わないなレナスさん。みそ汁じゃなくてミソスープって感じだ)
その様子を見てフェイトは思う。
なにゆえ野っぱらで銀髪美人が朝から上品にみそ汁なんぞ飲んでいるのか。彼女を見ていると、せっかく忘れかけていた違和感がふつふつと湧きあがってしょうがない。
おはしよりスプーンの方がいいんじゃないですかね。慣れない手つきながらもそれなりにお上品におはしを持てているレナスを見て、フェイトが内心そう思っている中。
レナがレナスの様子を見て、意外そうに聞く。
「みそ汁は初めてじゃないんですね」
「前にね。興味があったものだから、みんなと一緒に食べに行ってみたのよ」
「みんなって……お付きの人達と一緒に、って事ですか?」
レナスは懐かしそうに言う。
首をかしげてから聞いたレナに頷き、その時の事を思い出したのか、微笑みつつ続きを話した。
「癖の強い匂いでしょう? だから、文化圏の異なる子達には大体不評だったのよね。こんな腐った匂いのするものが食べられるか、って」
「はあ。それはまあ……発酵食品ですからね、みそは」
「そういや、俺も初めて食った時は抵抗あったな」
フェイトとクリフの同意にも頷き、
「それでみんな散々に文句を言っていたら、今度はみそ汁に親しみのある子達が怒りだしたのよね。私達の食文化をバカにしないでください、って」
とレナスはさらに話す。
「それからみそ汁に馴染みのない子達の中にも、みそ汁を擁護する声も出てきて。まずは口にしてみなければ分からないではないか、って大きな声で、人目を忍んで来たはずの店の中で、討論会まで始めて……」
「基本お忍びなんだ。ていうか幅広い文化圏のお付きの人達取り揃えてますね」
「どんだけいんだよお付きの者達」
やっぱり微笑んだまま、「あの時は大変だったわね」と昔を振り返るレナス。
男二人が感じたままの事をつっこむ中、レナは笑ってレナスに言葉を返した。
「仲いいんですねレナスさん、そのお付きの人達と」
「そう見える?」
「ええそれはもう。雇ってる雇われてる関係っていうより、一緒にいて楽しい仲だから一緒にいるっていう感じがします」
「……。そうね。少なくとも私は、彼らの事を大切な仲間だと思っているわ」
やや時間を置いてから、レナスがそう言うのを微笑ましげに見た後。
レナはふと思い出したように聞いた。
「そういえば、レナスさんはどうだったんですか? 初めてのみそ汁の感想」
「私? 私は──、どうだったかしら」
しばらく考えてから、レナスはお手上げとばかりに答える。
「結局、食べる前と同じ“興味深い”で終わったんじゃないかしらね。レナが作ってくれたこのみそ汁にも悪い感情はないから、嫌いでなかった事は確かよ」
「それはよかったです」
にこやかに言った後、レナはちょっとだけ残念そうに言う。
「でもそっかあ。レナスさん、すでにみそ汁は食べてたんですね。せっかくだから、レナスさんが住んでるところでは食べないようなのを御馳走しようと思ったんだけどな」
昨日の寿司はそういう事かと、フェイトが今になって納得する中。
首をかしげるレナスに向かって、
「知らないところを旅する時の一番の楽しみって、やっぱり料理だと思うんですよね」
とレナが言う。
「あっ、もちろん今はレナスさんにとって大変な状況だっていう事は分かってますよ? でも、旅が好きだって言ってたじゃないですか、レナスさん。だから、レナスさんが元の世界に帰るまで、せっかくだからエクスペルの料理を色々味わってもらおうかなー、なんて……」
言っているうちに自信がなくなってきたようで、最後は「不謹慎ですかね? やっぱり」と様子を窺うようにレナスに聞くレナ。
レナスは首を振って答え、クリフが補足するように今後の展望を述べた。
「ううん、ありがとうレナ。これからも期待してるわね」
「その“これから”が、早いとこ終わるといいけどな」
☆☆☆
その後支度を終えたフェイト達は、野宿先を後にし、再び街道上を東のマーズ村へと向かって歩きだした。
このペースだと日が落ちる前にはマーズに辿り着けそうだ。
ひとまず今日のところはマーズで宿をとり、レナスの希望である紋章の森調査は明日にでも行う予定である。
もちろんフェイトは第一の目的、すなわち謎メッセージ送りつけやがったアホを探し出す事も忘れていない。
といってもこの問題に関して現状できる事は、こうやって歩いている時にたまに自分の携帯端末、クォッドスキャナーを覗いて電磁波の変化を確認する、ぐらいのものだ。
今のところ、いつ見てもどこで見ても、まったく異常な数値は出ていない。
クォッドスキャナーが壊れているんじゃないかと思うくらい平和だ。自分達をこんなくだらない事に巻き込んだ元凶をとっちめられるのは、どうやらまだまだ当分先の事になりそうである。
(やっぱりエル大陸が当たりだったのかもな)
とまで思い始めてきたフェイトだったが、その辺の事は気にしたって仕方ない。
本命が向こうのチームだったとしても、だからといって自分達の向かう先にいる可能性がまったくのゼロとも言い切れないのである。
せいぜい今まで通りクォッドスキャナーでの確認を怠らないようにして、行く先々で現地の人から情報収集もして、あとそのついでにレナスさんの帰り道探しも手伝ってあげよう。
そう気楽に考える事にして、この先行きの見えないぐだぐだ旅に、フェイトはとりあえず気持ちの区切りをつけたのだった。
☆☆☆
予定通りマーズに到着して、宿をとり一泊した翌日。
フェイト達は、例のクリフに持たせていたパーティー共有のなんかやたらかさばる荷物袋を宿に置いて、さっそく紋章の森へ出かけていった。
「紋章の森で手がかりを探すって、具体的にはどうするんですか?」
森へ向かう前、村の中を歩きながら不思議そうにレナが聞くが。
話を振られたレナスの方は返事に困ったように考え込む。具体的にどうするのと聞かれても、とりあえず見に行っとこうかな、ぐらいの事しか考えていなかったに違いない。
未開惑星人の彼女にそういう事聞くのは酷だと思うな。自分がどうやって来たのかもよく分かってないんだからさ、この人は。
憐れむような上から目線で二人のやり取りを見つつ、フェイトはあの初対面の時の、アーリア村長家でのレナスの様子を思い出す。
──あの時確かレナは、村長やら自分の母親やらへの報告で席を外していたんだったか。
これから一緒に旅をするにあたって、本人の口から自分が迷子さんになってしまった経緯を説明してもらおうと、
「帰り道をこのエクスペルで探すって、そもそもあなたはなんで、どうやってエクスペルに来たんですか」
と聞いたところ。
レナスはだいぶ時間を置いてから、考え込みつつこんな事を言ったのだ。
「少し、気になる事があったから──。私は自分の世界の事だと思っていたけど、そうじゃなかったのね。知らない内にこの世界へと繋がっていて、それで……」
まったくまとまっていない話ぶり。
というか半ば独り言である。
「……えーと、つまりなんか気になって覗いてみたらこっち来ちゃったんですね」
「そういう事に、なるのかしら」
頑張って翻訳を試みたフェイトにも、レナスはやはり考え込みつつ答えた。
どう考えてもその時の状況をよく理解できていないとしか思えない様子に、クリフも
「そりゃ、その来ちゃった時の場所とやらを見に行ってみるしかねえわけだ」
とレナスの紋章の森調査希望に、すんなりOKを出したのだった。
とまあ、レナス本人は何が何だか分かっていないようだけど。
人が突如発生した時空間の歪みに巻き込まれ、別の星に飛ばされるといった事故はたまに聞く。
かつて地球にあったムー大陸の人間が、地殻変動だかの影響で遠く離れた惑星ロークに飛ばされたとかなんとか、とにかくその手のやつだ。
恐らく彼女も、そういった類の事故に巻き込まれたんだろう。
ちょうどエクスペルでは謎の転送障害が絶賛発生中だし、時空間の歪みとかが発生していてもなにも不思議じゃないと、フェイトはそう察していたりする。
そうなると。メッセージ送りつけた奴が転送障害を発生させた奴と同一人物だとすれば、つまり彼女もそのアホの被害者なわけだ。
残りの一生を全く別の星で過ごすはめになるかもしれない彼女は、その気になればかまってちゃんガン無視で帰る事もできるフェイト達以上に深刻な、アホの被害者であるとすら言える。
そう考えれば、改めて許しがたいアホだ、とは思うものの。
明らかヤバそうな時空間の歪みに、興味本位で近づいて覗いて、うっかり帰れなくなっちゃったレナスの方に落ち度が全くなかったかというと──
(なにやってんだかな、このお嬢様は)
内心ではフェイトはそう呆れていたりする。
あとついでに、そんなよく分かってない様子のレナスにはにかみながら
「なんか変なのあったらつい調べたくなりますよね」
とか共感してたクロードにも、(英雄もか)と驚いてたりする。
──まあそんな原因はともかく。
実際現場に行って具体的にどうするのかというと、そりゃやっぱり行って見るしかない。確かめてみないことにはどうしようもないだろう。
「まあなんだ、こいつがエクスペルに来ちまった際の痕跡がなんかあるんじゃねえのかと、とにかくそういうのを調べに行こうって話だ」
結局なんにも具体的じゃないクリフのまとめに、レナは「そうなんですか」と考えがちに答えた。
紋章の森で倒れていたレナスを助けたのはレナなのだ。
その時に周りの状況もちゃんと見ているはず。その彼女が「行ってどうするのかな」というような反応をするのだから、レナスが元の星に帰れるような時空間の歪みがその場にまんま残されている可能性は非常に低いとみていいだろう。
それどころか、手がかりゼロという事も十分ありうる。
「そうですよね、行ってみないとわからないですよね。あの時はわたしもセリーヌさんも、レナスさんの方に気をとられてたから、なにか見逃してた事があるかもしれない」
「ええ。そうね──」
不安をかき消すようにレナは首を振り、前を向いて言う。
レナスはどこか心ここにあらずといった様子で答えた。
☆☆☆
日の差さない薄暗い森の中では、魔物と遭遇する機会も多い。
レナスが倒れていたと思われる場所に辿り着くまでに、途中四回ほど魔物と交戦するはめになった。
襲いかかってくるのは、どいつもこいつも大した事のない雑魚魔物ばかり。宇宙を救うような冒険をしてきたフェイト、クリフと、十賢者を倒した英雄レナの敵ではない。
レナスが邪魔にならないよう一歩離れた場所で見守る中。襲いかかってきた魔物達をその都度、三人で軽く返り討ちにしてやったのだった。
なにもない。
それが現場を見た時のフェイトの感想だった。
普通にただの森の一角である。
注意深くその辺を見回してみても、やっぱり期待していたような、あからさまにどこか別の空間に繋がってそうな怪しげな歪みなんてものは見当たらない。
せいぜいここだけ日辺りがよくて、地面にやたらと木の枝が落ちているくらいか。
「なんもねえなあ」
同じく辺りを見ながら言うクリフをよそに、念のためクォッドスキャナーで確認もしてみる。
といってもフェイトが持っているやつは、多少は奮発したものの、それでも個人所有のごく一般的な端末にすぎない。時空間の歪みを測定できるような専門的な機能もついていない。
例のごとく電磁波変化をちらと見て、おまけになんとなくそれらしい測定機能を一通り試してみただけだ。
そして結果はやはり異常なし。
やれやれと機械から目を外すフェイトに、レナが待ちかねたように聞いてきた。
「どうだった? 何か手がかりはあった?」
「いや、特にこれといってそういうのは……」
「……そうなんだ」
フェイトが持っている機械だったらどうにかしてくれるはずだというような期待を寄せていたらしい。手がかりゼロという現状に気落ちするレナを見て、(力になれなくてごめん)とフェイトも若干申し訳ない気持ちになる。
いや、ぶっちゃけ本当に申し訳なく思うべきなのは、レナスの事を心から心配しているレナにではなく。
実は他に確実に帰れそうな方法あるのになかった事にされているレナスにだというのは、フェイトもちゃんと分かってはいるのだが──
《なんだろうねえ、この態度の違い。若さかなあ……》
……たぶん初対面の時に色々ありすぎたせいだな。
と納得してから、先ほどからずっと空を見上げたままのレナスに、色々と気まずい思いを押し隠しつつ慰めの言葉をかける。
レナスに対して若干薄情だったりするフェイトではあるが、一応人として、後ろめたい思いがさらさらないわけでもないのだ。
「えーと、気を落とさないでくださいレナスさん。まだ旅は始まったばかりですし。今回は残念でしたけど、そのうちどこか他のところで手がかりも……」
がしかし途中で言葉を止め、改めてレナスに話しかけた。
真剣に上の方を見てばかりで、どうにも話を聞いていないように見えたのだ。
「……ってレナスさん?」
呼びかけられたレナスはというと、少々間を置いてからやっと反応を示した。
今になってこんな事を言う辺り、やはりこの人はフェイトの話を全く聞いていなかったらしい。
「何もないわね」
どこか残念そうに言って、また上を見上げるレナス。
つられるように、フェイト達も上を見上げて言った。
「何にも、ないですね」
森の中で青い空を見上げ、さてこれからどうしようかなとぼんやり考え。
フェイトは唐突に気づいた。
そういえば鬱蒼とした森の中なのに、ここだけ日辺りがいいのは一体なぜか。
思いつつすぐ近くにある丈高い木の上方をよく見ると、木の幹が所々剥がれている。
元々あった枝が、つい最近、無理やり折れたような跡だ。
次いで視線を落とし、足元を見た。
枝が落ちている。ここだけ、たくさん。
「まさか」
「空から落ちてきたんですか!?」
フェイトとぴったし同じタイミングでレナも今気づいたらしい。
かぶせるように驚いて聞くレナ達に、レナスはあいまいに答えた。
「ええ。まあ、そうね」
「……よく無事でしたね」
改めて驚きつつ、フェイトは上を見上げた。
木の枝の散らばり方やレナスが見上げている方向からすると、かなり高い所から落ちたように見える。今ここにレナスが元気で立っているのが、わりかし奇跡と言ってもいいくらいの高さだ。
木の枝がクッションになって助かったのか。
傷だらけで保護されたのだから、全く無事ではないといえばそうなのだが──
時空間の歪みに巻き込まれ、いきなり全く知らない別の星の、しかもお空の上に飛ばされてからに。
ちょうど通りかかった、エクスペルに現状二人しかいない、回復術の使えるネーデ人の一人レナに助けられるって。
(運が悪いのかいいのか、分からない人だな……)
とフェイトが感心する中。
重ねて礼を言うレナスに、レナは恐縮しながら納得している。
「レナ達のおかげね。本当にありがとう」
「あ、いえ……。そうか、だからあの時……」
(自分で治療したはずなのに、今の今までレナスさんの怪我の理由に気づいてなかったレナすごいな)
とさらに感心するフェイト。
そういえば前に、ソフィアに回復術のコツを聞いてみた時も……と思い出す。
答えは「知識なんか必要ない。大切なのは気持ちの問題。要するに根性」というバリバリ体育会系なもので、その時は全く信じられなかったのだが。
現にこうやって元祖回復術の使い手が、レナスさんのなんだかよくわからない怪我を、なんとなくで治しているのだ。
きっとソフィアの言った事、つまり「回復術に大切なのは根性だから!」も真実だったのだろう。
(すごいな根性って)
やはり感心するフェイトをよそに、レナとレナスが話している。
「それじゃ、魔物は関係なかったんですね」
「その魔物には悪いことをしたわね」
魔物ならここに来るまでにも何匹か倒しているのに。
今さらなぜ魔物に悪いと思うのか、フェイトにはさっぱりわからない。
首をかしげていると。突如すぐ近くのしげみが、がさがさっと音をたて揺れた。
揺れたかと思った瞬間。
魔物が一匹しげみの中から飛び出し、
「おらあッ!」
ほぼ同時にクリフが魔物を蹴って、豪快に吹っ飛ばした。
フェイトが腰の剣に手をかけた時には、すでに魔物の体は宙を舞っている。
吹っ飛ばされた後、魔物はその巨体からすると常識では考えられないくらいずさーっと地面を滑り、そのままぴくりとも動かなくなった。
本当に魔物をやっつけたか、行って確かめるまでもない。あれはどうみてもクリーンヒットだった。
いくらクリフの運動能力が高くても反応が素早すぎる。魔物の姿がみえた時にはもう、クリフの足が魔物の首に届いていたのだ。
きっとクリフは最初からあの魔物に気づいていて、いつ襲われてもいいように身構えていたのだろう。
フェイトが剣から手を放してそう予想する中、クリフはというと案の定大きく伸びをして言う。
後ろで見ていたレナとレナスの二人も、落ち着いたとみて喋りはじめた。
「っし。やっと静かになったな」
「いきなり飛び出てくるなんて心臓に悪いわね、もう!」
「飛び出しただけだったわね」
ついさっき魔物に黙とうしたばかりなのに、彼女達のこの反応。
最近の女子……いや、過去の時代の女子はなんともまあ、考え方があっさりしているというか、刹那的というか。
(だよな。英雄が、今更魔物一匹の扱いにどうこう言うわけないよな……)
なによりいきなり死角から魔物が飛び出てきたのにこの感想。フリでもいいからせめて黄色い悲鳴ぐらいはあげてほしかった。襲いかかる魔物を前に「僕が守るから大丈夫だよ」みたいなカッコつける隙すらないってどういう事だ。
(せめてレナスさんはもっとちゃんと驚きましょうよ。今回はクリフが気づいてたからいいですけど、本当に危なくなったらどうするつもりですか。あんな無反応じゃ僕も気づかないですし、それに……)
最近?の女子に慄きつつ、魔物から自分の身を守るので精一杯のくせしていきなり現れた魔物に驚きもしないレナスお嬢様に、フェイトが心の中でダメ出ししていると。
当のレナスが、全く動じていない様子でクリフにねぎらいの言葉をかけた。
「お疲れ様クリフ。そんな事より──」
「そんな事より」
「……。なあお前、もうちょっと……なんつーの? 俺が言うのもヘンかもしれんが、もうちょっとなんつーか」
クリフはなにやら呆れつつ、言葉を濁してレナスに言いかける。
が、レナスの方が気もそぞろといった様子でまた空を見上げたので、クリフもそれ以上は言わなかった。
「なんかあったらよかったんだけどな」
「そうね」
上を見たままレナスは答える。
フェイトも上を見上げ、沈黙をごまかすよう、なんとなしにレナスに聞いた。
「これから、どうしましょうか」
空の合間からは、自由気ままに空を飛んでいる小鳥の姿が見える。
手がかりゼロで帰る道も見当たらず、ただ空を見上げるしかないレナスの現状とはまるで正反対だ。
今までさして深く考えていなかったけど、この状況は彼女にとって、ひょっとしなくてもかなり絶望的なのではないだろうか。
いくら眺めても、紋章の森上空には時空間の歪みらしきものは何もない。
来た“道”はどうみてもすでに閉ざされている。
今のエクスペルが時空間の歪みが発生しやすい状況にあるとはいえ、それでも空間が歪むなんて現象はそうそう起こる事じゃない。帰り道を探している彼女の目の前で、そんな都合よく再出現してくれるものなのだろうか。
残りの一生をこのエクスペルで過ごすという最悪の想定は、考えすぎでもなんでもないのかもしれない。
これからどうするつもりなのかなんて、そんなの彼女だってわかるわけないだろう。
ずいぶん無神経な事聞いちゃったな、という気まずい気持ちと、そんな状況でもレナスが帰れそうな確実な解決法を選択肢に入れない事への後ろめたさが、フェイトの中では半々。
そんなフェイトの心境を知るはずもないレナが、
「大丈夫ですよ、レナスさん。帰り道なんかきっとこの先いくらでも見つけられます」
とやっぱりじっと空を見上げたままのレナスを気づかうように、
「あの空の上からは帰れなくなっちゃいましたけど、でもそれだけの事なんですから。これからも旅していけば、レナスさんが違う場所から、元の世界に帰る事だってきっと……」
そう優しく話しかけていた時だ。
空を見上げたまま、レナの言葉を聞いていたレナスがぽつりと言った。
「私の世界に、帰る“道”──。そうね。ここから帰れないのなら、直接あの場所に戻れば──」
みんなしてその発言を、しかと聞き届けた後。
しばし頭の中で整理してから、上を見上げたままのレナスに一斉に聞く。
「レナスさん、あの場所……って」
「お前今なにげに重要な新情報さらっと言いやがったな」
「どこですか。ていうか何なんですかあの場所って。初耳なんですけど」
やいのやいの言われたレナスは、ようやく目線をフェイト達の方に戻した。
困ったように、記憶を探るように眉を寄せて言う。
「よく覚えていないのよ。霧がかかっていて視界も悪かったし、なによりその場所にはほんの少しの間しか居なかったから」
「だからなんだよ“その場所”って。……俺達は、お前が元いた星から、いきなりあそこの上空に飛ばされてきたとしか聞かされていないんだが?」
すかさずクリフがつっこむ。
やや時間を置いて、レナスは考え込みつつ答えた。
「私がこの世界にやって来た時──。あの“道”の先に繋がっていたのは、こことは全く別の場所だったはず」
その当時の事を頑張って思い出しているのだろう。
説明するというより、自分の頭の中を整理しているような口ぶりで話し続け、
「あれは今思えば、“道”の中の出来事ではなかった。……やはり、私の世界にある場所でもなかったと思うわ。私はそこから、また別の“道”を通って、それから……」
そこまで言ったところで、レナスの言葉が途切れた。
まだ何か頑張って考えてはいるけど、どうやら口に出してちゃんと説明できる事はそれで終わりらしい。
なんとなく理解したクリフがまとめの確認をしてみせたところで、レナスもそのまとめに反応し、頷いて言う。
「つまりこのマーズ上空にあったのはそっちの、二度目の“道”の方の出口、ってことか?」
「ええ。私の世界とエクスペルとを繋ぐそもそもの“道”は、ここじゃなく、その最初に通った“道”だったはずよ」
ようするに彼女は、自分がいた場所から直接、マーズ上空に飛ばされたわけじゃなかったらしい。
事情を理解したレナが元気よく言う。
懐疑的なフェイトの言う事も跳ね返し、レナスに食い入るように聞いた。
「それじゃあその場所を探せば、レナスさんは元の世界に帰れるんですね!」
「いやでも、レナスさんはよく覚えてないんですよね、その場所の事。そっちの方の“道”ももう閉じちゃってるかもしれないし、それだけでそこからなら帰れるかっていうと」
「いいから! ──レナスさん、その場所について霧が深かった事以外に、何か思い出せる事はないですか? どんな事でもいいですから」
そんなすぐに思い出せるようなら、レナスだってあんな回りくどい言い方はしないだろう。はじめから「これこれこういう場所を探している」とフェイト達に伝えればいい話なのだ。
案の定むうと考え込んだまま何も言えないでいるレナスに代わり、クリフが言う。
その言葉を受けて、ようやくレナスも首をかしげつつ答えた。
「霧がかっていて周りがよく見えなかったとなると、少なくともそこが見晴らしのいい野っぱらなんかじゃねえって事は確かだな。こんな感じの森の奥地か、山間の奥まった所、ってところか」
「色合いからすると、森の奥地……ではなかったと思うわ。あれは──岩壁? ええ、確かにあの時はそんな風景の中にいたかもしれない」
「てことは、岩ばっかの場所だな」
二人のまとめを聞いて、レナは真剣な様子で頷く。
気後れするフェイトにも強気に言い返してみせた。
「なるほど、岩だらけの場所ね」
「なるほどって……。それだけじゃやっぱり探しようがないんじゃないかな。そんな場所、珍しくもなんともないだろうし、それに……」
「これだってちゃんとした手がかりよ。エクスペル中を全部調べなくってもよくなったんだもの、それだけって事はないわ。とにかくエクスペルにある、岩だらけのそれらしい場所を一生懸命探したらいいだけの話じゃない」
レナは本気でその場所を探し出す気らしい。
果たしてエクスペル上に、霧のかかる岩だらけの場所がいくつあるというのか。
それにレナは気づいていないだろうけど、レナスの言うその場所は、そもそもエクスペルの中にあるとも限らない。またどこか別の、名前も聞いた事のないような星にあるかもしれないというのに。
フェイトからすると、レナスが最初にやって来た場所を地道に探すという案は、とても現実的とは思えない。しかし他にもっと現実的な案があるとは──、具体的には「ちょっと今からFD世界行ってみませんか」とはもっと言えない。
結局フェイトも裏表のないひたむきなレナに合わせて、表面的には前向きな賛同をしてみせるしかないわけだ。
「そうだね。頑張って探そうか、レナスさんのためにも」
そうしてレナスの旅の方針が新たに、「岩だらけな場所を探す」に定まったところで。フェイト達は、レナスがレナに保護された現場を立ち去る事にした。
とにかく紋章の森上空にはもう何にもない事が分かったのだ。
これ以上この場にいてもまた魔物に襲われるだけだろう。長居は無用である。
フェイト達がさっそくマーズ村へ向かって歩き始める中。
レナスは去り際に、最後にもう一度だけ、自分が落ちてきた空を見上げる。
「きっと大丈夫です。レナスさんはちゃんと帰れますよ」
「──そうね。もう行きましょう」
後ろ髪を引かれるようなレナスの様子を見たレナは、安心させるように声をかけ。声をかけられたレナスも、微かな心残りを振りきるように、レナに答えてその場を後にした。
☆★☆
辺り一面まっ暗闇の中、たき火がパチパチと音をたてて爆ぜている。
「帰りたいなあ」
クロードはぽろりと本音をこぼしたが誰にも聞かれなかった。
というよりもみんな、クロードの方を見てすらいない。
たき火をはさんで向こう側は、今日も今日とてすごく盛りあがっている。いわゆる女子会、というやつだ。
「だから違いますよ! フェイトはただの幼馴染なんですから! 全然そんなじゃ……」
「ムキになって否定するということは、つまりそういう事ですわね!」
「やっぱりあなた、顔に出るのよ」
クロードの現状を見れば察しもつくだろうが、女三人の中に男が一人だけというのは、ぶっちゃけ羨ましくもなんともない。ただ悲惨なだけである。
荷物持ちや水汲みなどの力仕事を任せられるのは構わない。問題はとにかく彼女達の会話に入っていけない事だ。
クロスを出てレナ達と別れてからというもの、クロードが発した言葉の大半は「はあ」とか「そうですね」とか「そうなんだ」とかいう生返事ばかりである。
だって旅の方針について真面目に話する時以外、話題は全部女子なんだもん。話振られても返しようがないじゃない。
セリーヌは新しい仲間の恋愛事情に興味津々。
ソフィアもいちいち年頃の乙女感爆発な反応をしてみせるし、マリアは……二人のようなはしゃぎ方はしないが、かといって男一人で居場所をなくしかけているクロードに温かい手を差し伸べてくれるわけでもない。基本どうでもよさそうに二人の会話を聞き、気が向いた時だけ、たまーに話に加わるという徹底したマイペースっぷりだ。
なんかもう、一人旅より孤独なんじゃないかとすらクロードは思う。
「早くクリクに着かないかなあ」
たき火の向こう側を、まるで別世界で起きていることのように眺めていたクロードは、自分の手元にある通信機を見てため息をついた。
「岩だらけの場所かあ。一体どこにあるんだろな」
クロードにとってなによりの安らぎの時間である、レナ達向こうチームとの定期報告はついさっき終えてしまった。
相変わらず北に向かって移動しているだけで報告できる事なんて何もないクロード達と違って、向こうはさっそく今日の紋章の森調査でレナスの事に関する進展があったらしい。自分達にも旅ついでに「岩だらけの場所」を探してほしいという話だった。
当然クロードの方にも異存はない。「こっちもできる限り探してみます」とレナスの力になる事をはりきって約束し、通信を切ったのだが──
そんな事よりレナ達ともっと話がしたかった。
クロードの心の奥底にある思いは正直そっちである。
(いいなあ。向こうは男女二人ずつでさ、今の僕のような思いなんてすることもないんだよな……)
フェイトやクリフさんが羨ましい。
あの二人のどっちかがこの場にいてくれたらいいのに。
またはそうじゃなくても、レナやレナスさんならきっと話題が全部女子になることもないだろう。
あの二人のどっちかがこの場にいてくれたらいいのに。
向こうチームのたぶん順風満帆であろう旅の様子を想像し。
多少言葉を交わしただけだったけども、終始落ち着いた雰囲気を見せていたレナスの美人っぷりも思い出し。
最終的にはいつも見ていた、けれど今は見る事ができないレナの温かい笑顔ばかりを思い出し。
クロードは人恋しい気持ちいっぱいに、通信機を見てため息をつく。
「早く、明日にならないかなあ」
そうして思わず口をついて出た本音の方は、セリーヌ達にもばっちり聞かれた。
彼女達に格好の話題のエサを与えてしまったクロードは、「今レナの事を考えてましたわね?」「きゃーラブラブー」など口々に言われ、今日も今日とて肩身の狭い長い夜を、ただひたすらに耐え忍ぶのだった。