「んー……と。あったあった、まあこんなもんでいいだろ」
ひたすらに独り言を続けつつ二人分のコップを探し出したクリフは、部屋に入ったきり、ずっと黙って立っていたレナスの方に振り返った。
「じゃ、さっそく乾杯といこうぜ」
と笑顔で話しかけても返事はなし。
今度はクリフもわざとらしく問いかけてみる。
「なんだ? お嬢様はしゃれたワイングラスじゃねえとお嫌だってか」
その効果はバッチリだ。
レナスは形のいい眉をわずかにひそめ、閉ざしたままだった口をようやく開いた。
「用件は何?」
「いいからまずは飲もうぜ。買った酒がもったいねえ」
言うクリフはすでに椅子に座り、ワインのコルクに手をかけている。
何か言いかけたレナスも結局はおとなしく向かいの席に座る。
二人分の酒をコップに注いだところで、クリフはさっそく酒を手に取った。
仕方なく付き合っている感満載のレナス相手に、いかにもご機嫌なふりをして乾杯。一気に酒を飲んだ後、クリフはいかにもうまそうに息をついて言う。
「かーっ、労働の後の一杯はいいねえ」
「……」
「おいおい。お前安もんにだってな、それなりのうまみっつうもんはあんだぞ。安もんをばかにしちゃいかん」
「そんな事、あなたに言われなくても分かっているわ」
またしてもクリフにわざとらしく言われ、レナスもようやく酒を手に取った。
ためらいなく最初の一杯を飲み干し、「おっ、いい飲みっぷりだねえ」とクリフが新たに差し出した酒もためらいなく受ける。
「お前やっぱ酒も強えんだな。俺の想像通りだぜ」
「……そう。よかったわね」
反応は示したものの、やはり多くは語らず。
ひたすら静かに酒を飲み続けるレナスを見て、クリフも酒を飲みつつ考える。
(信頼されてんだかされてねえんだか、わかんねえなこれ。剣も含めて)
どうせ自分が先に酒を飲んだところを見て安全を確認したとかそんなところだろうが。直前まで警戒していたくせに、少しはっぱかけられたぐらいでこの威勢のいい飲みっぷり。
前もってコップの方に何かを仕込んでいた可能性を考えられないだけ、一応信頼はされているという事なのだろうか。
しかし腰にはしっかりと剣。やはり警戒されているとしか思えない。いざとなったらその剣をどうするつもりだこいつは。
(ったく、そこまで警戒されるような事した覚えはねえぞ俺は。そりゃ自分でも、多少強引なお誘いだったとは思わねえでもねえけどよ……)
酒でも入れば向こうも腹を割って話してくれるかも知れんとこの場を設けたものの、ここまで警戒されていてはどうしようもない。
さてどうしたものか。
とりあえずもうしばらくはこのまま酒飲みつつ世間話でお茶でも濁すかと、クリフが口を開きかけたところ。
レナスの方から聞いてきた。
「どうしてレナに嘘をついたの?」
なんともまあ直球な質問である。
すぐさまおどけてみせたクリフにも、レナスは真剣な様子で言う。
「嘘? 俺がいつ? なんか言ったか?」
「ふざけないで。あなたは見たはずよ」
まわりくどいやり取りはやめて、という事らしい。
今度はクリフも酒を置き、真面目に質問に答えてやった。
「さあな。深い意味はねえよ。今までのノリでつい、ってやつだ。あの場で問い詰めんのも色々面倒くせえ事になると思ったしな」
嘘はない。本当にそれだけの事だ。
よくよく考えれば自分にとって損があるわけでもないのに、なぜわざわざ率先してはぐらかしてやったのか。
あの場ですぐにでも問い質せばいいものを。こうして他二人に気取られないよう、できるだけさりげない口実作って連れ出してやったりなんかまでして。
(まあ俺の根っこのところは紳士だからな。美人が嫌がる事はしねえようにしてんのさ、きっと)
我ながらご苦労な事だと思いつつ、クリフは改めてレナスに向き直って言う。
「とにかく、わかってんなら話は早い。俺が聞きたい事もわかるよな?」
それから一拍置いて、本人の希望通りまわりくどいやり取りは一切せず、クリフはレナスに聞いた。
「お前のあの強さはなんだ」
あの時。
闘技場で、待ち構えていたクリフの横をさっとすりぬけ、仲間の所へ狙いを定めて飛びかかっていった怪鳥。そいつがレナの目の前に来て、クリフがまだそこに辿り着けていなかった時。
レナスが怪鳥の足を斬り落としたその瞬間を、クリフはしっかりとその目で見た。
直後にクリフが技を放ったせいもあるけれど、会場にいた“普通”の奴らには気づく事すらできなかった一閃。その一閃で、クリフもようやくレナスの実力を理解したのだ。
多少はできるなんてもんじゃねえ。こいつとんでもねえ奴じゃねえかと。
クリフも一応パーティーの最年長としての自覚はある。
旅の仲間の安全を考えるのなら、あの瞬間を目撃してしまった以上、これまでと同じように全くの見て見ぬフリはするべきじゃないと思った。
だから本人に直接聞く事にしたのだ。
「あなたの言う、お勉強の成果よ。剣を扱えるよう一生懸命努力を重ねただけ。他に何かある?」
「そんなんで俺が納得すると思ってんのか?」
レナスの答えは全くの嘘というわけでもないのだろう。技術経験共に高いレベルで備わっていなければ、先鋒として戦った試合であんな動きができるわけがないのだ。
怪鳥の足を一瞬で斬り捨てた事についても、それ自体はそこまで大した事ではない。
常識で考えれば十分にあり得ない事だろうが、常識をはるかに超えた剣の使い手達の中には、そういう事ができる者もいるという事はクリフも知っている。
説明はできる。
それでも今のレナスの答えは違うと、あの瞬間を目撃したクリフには確信があった。
“勘”がそう言っているから、という事なのだろうか。
あの時、ふりかかった火の粉を払うように剣を薙いだレナスを見て。
とにかく一瞬で腑に落ちた事は間違いない。
──ああ、こいつも“特別”なんだと。
「お前、なんか隠してんだろ。単純に腕っぷしが強いってだけじゃねえ。もっと別の“何か”がお前にはあるはずだ」
クリフはレナスをじっと見つめて言う。レナスはその視線を避けずに受け止め、ただ黙っている。
さらにクリフが続ける。
「俺らみたいなのと一緒に旅してきて、それでもてめえだけひたすら実力隠し続けてたって事はそういう事だろ? 魔物と戦うなんてはしたない真似したくなかった、なんて理由でもねえだろうしな。お前は確実にそういうタマじゃねえ」
間違いない。こいつはそもそも最初から素性を隠してる。人に言えないような秘密があるのは明白だ。
確信を持って問い詰めるクリフの声は冷静だが、どこかぎこちない。
レナスが隠している“何か”は、自分達にとってどういう作用をもたらし得るものなのか。有益か有害か、それとも全くの無益無害か。
見極めて判断する必要があるからやっているのに。
こうやって目の前に根拠を突きつけて、言い訳の先回りをして、逃げ道を塞ぐようなやり口は正直自分でも気に入らない。
今の向こうには、自分がさぞかし嫌な奴に映っている事だろう。
お前は“普通”じゃねえ。はっきり異常だと。
自分が今言っているのは、結局そういう事なのだ。
言うだけ言ったクリフは黙り込む。
やや間を置いて、レナスが「結構な観察眼ね」とようやく口を開いた。
「それで、あなたのその考えが当たっていた場合は? やましいところがあるやつと一緒に旅はできないわよね。私をパーティーから追い出す?」
「そうは言ってねえだろ。俺は、まずその辺の事情を詳しく聞いてからだな……」
「言う気はないわ。何を聞かれても、私はさっき言った以上の事は言わない」
頑なな態度を崩さず言うレナスが、すでにどこか諦めているようにもクリフには見える。
例え着の身着のままパーティーを追い出されようと、自分の持っている秘密は一切明かさない。つまりレナスは今そう言ったのだ。
そこまできっぱりと拒絶されてしまったのに、不思議とクリフに苛立ちは湧いてこない。(そりゃそうだわな)とすら自然に思えた。
数週間やそこらの間、一緒に旅をしただけの奴に言えるはずがない。
レナスもきっと「力」を都合よく利用されたり、危険な「力」だからと命を狙われたりされる事がないよう普段から気をつけているのだろう。
普通の人間と違う、“特別”な事には面倒がつきものだという事は──
クリフも身に染みて知っているつもりなのだ。
つまり拾ったワケありの子犬を、つい最近まで近くで見守ってきたおかげで。
(そりゃ、言えたら苦労しねえよな。あいつだって今までに色々と……。ん?)
それまで真剣にレナスを見ながら考え事をしていたクリフは、目を瞬かせた後、急に間の抜けた声をあげた。
「あー……そういう事かよ」
訝しむレナスをよそに、でかいため息をついて言う。
「あれだな。あいつとダブって見えんだ、お前は」
「あいつ?」
「いやなに、こっちの話だよ」
勘の正体はつまりそういう事だったというわけだ。
唐突に自分の感じていたモノの正体に気づいてしまったクリフは、ますます訝しむレナスの目の前で、もう一度くそでかいため息をふうとつく。
自分はこいつの事を、人に言えないようなワケありの奴だから注意して見ていたはずなのに。
そしてなにより超絶美女だから気になっていたはずなのに。ていうかぶっちゃけ注視するにかこつけて、しばしば目の保養をしていたはずなのに。
なのにそんな目で見ていたとは。
なんかもう、自分にすんごいがっかりである。
(……俺はそこまでの年じゃねえ。つか別にこいつ似てねえし。たまたま状況がダブったってだけだろ)
いやそんなわけはねえ。俺はまだまだいける。こいつは余裕で攻略対象だ、などなど。
認めたくないあまりにひたすら心の中で思いなおしてから、クリフは気を取り直してレナスに向き直った。
そんな事はどうでもいいのだ。今はこいつの処遇を本人と話し合っている真っ最中ではないか。
クリフが警戒させないよう軽い調子で確認をとると。
「わかったわかった。じゃ、お前はどうしても言いたくないんだな」
「言いたくない──?」
今度はこっちからヘンな反応が返ってきた。
どうやらクリフに言われた事を真面目に考えているらしい。あれ……私がここまで隠しているのって、そんな感情的な理由なの? みたいな。
明らかにそういう反応である。
クリフが(おいおい自分でも分かってねえのかよ)と内心つっこみつつ見守る中。
真面目に考えたらしいレナスはしばらくして、ようやく言い返してきた。
「言う必要があると思わないだけよ。言ってもどうせ信じないでしょうし」
結果、ぜんぜん違ったらしい。
レナスはさらに意味の分からない独り言を繰り広げ、一人で勝手に納得している。
「そうよね。言ったところで、どうせこの世界にはいないもの。今の私には存在を証明する事もできないし……」
「何言ってんだお前」
「ああごめんなさい。頭のおかしい人にしか思われないから言いたくない、という意味では合っているわね」
「今まさにそんな感じだったな」
自分でも話が逸れていると思ったようだ。
クリフの余計な発言をいつも通りに無視し、レナスは改めて言う。
「私の答えは聞いたでしょう? 私をどうするかはあなたが決めて」
出ていけと言われれば、きっとレナスは文句ひとつ言わずに、今すぐこの場から立ち去るのだろう。その答えを選んだ場合の彼女の行動は、クリフにも容易に想像がつく。
どんな判断でも受け入れるつもりらしく、レナスはただ静かにクリフの答えを待っている。
一方、答えを待たれているクリフの方はというと、
(お前俺に決めろって、……そのやり方は卑怯だろうよ。さっきの仕返しか?)
平静は装っているものの、実際はまあこんな心境。完全におよび腰である。
そりゃ話の流れとしてはクリフが決めるべきなのだろうが、だがしかし。
ようはこの問題、拾った子犬が実はヤバい奴かもしれないから捨てるか否か、という話なわけだ。
まあレナスの場合は子犬というには少々無理があるかもしれないが、それこそかつて拾った子犬とダブらせてるような状況で、目の前の子犬本人に「捨てるの?」と聞かれてごらんなさい。そりゃクリフだってきっぱり「捨てる」とは言えないでしょう。
ここで「出てけ」って言ったら俺が悪者じゃねえか。
つうか今出ていかれたらあいつらになんて説明すんだよ。「うさんくせえから追い出した」とでも正直に言ってみろ、確実に俺が悪者じゃねえか、などなど。
現在クリフには、そんな心苦しい思いがめぐりまくりである。
そんなこんなで実はとっくに決まっている答えを、もう一度冷静になってじっくり考えた後。
クリフはようやくレナスに言った。
「どうしても言いたくねえんだったらしょうがねえな。お前はこれまで通り、まるで戦えねえようでいて実はそれなりに腕がたつ、サボりが得意なただのお嬢様だ」
意外だったらしい。レナスはわずかに戸惑った様子を見せた。
クリフ的には(おい。俺をなめんなよ)って感じである。
「ま、どうせそんな大した秘密でもねえだろうしな」
大人の余裕とばかりに再び酒を手にとり、カッコつけてさらに言ってやる。
「確か“この世界”じゃ、お前はただの一個人なんだろ? 元の星に帰るまでの浅い付き合いだ。お前の一般人ごっこに付き合うってのも悪くねえ」
一応これでも、クリフは冷静に考えて判断したつもりだ。
レナスが人に言えないような特別な「力」を持っているとしても、それを危険視してパーティーから追い出すにはあたらないと思っている。
まず自分達が今置かれている状況が、至って平和である事。
数か月前のあの時と違って、何者かがレナスを狙っているような気配も感じられない事。
レナス本人が実はその「力」を使ってこちらに害をなしてくるような危ない奴である可能性も考えたが、これまでにレナスが剣を抜いたのはたったの二回。二回とも仕方なく、さらに理由はどちらもレナを危険から守るためだったはず。
以上、周りの状況からも本人の性格からも、放っておいても安全だと判断できる。
それにもうひとつ。
それこそ本人の性格からしてまず関係ないだろうが。自分達が過去のエクスペルに来る原因となった、あのクソふざけた謎メッセージを送りつけてきた奴に、レナスが何らかの形で関わっていた場合。
その場合、ここでレナスと別れるのはとても得策とは言えない。そのアホに繋がる貴重な手がかりをみすみす手放してしまう事になるからだ。
(ほれみろ、俺はちゃんと考えてんだよ。決して情にほだされたわけじゃねえ)
酒を飲みつつちゃんとした理由を頭の中で並べて満足したクリフは、勝ち誇ったようにレナスを見る。
そもそも言え言わないの話が、どうして出ていく出ていかないの話になるのか。
本人が言わないのなら自分で探ればいいだけの話ではないか。
危うくこいつの術中に嵌るところだったぜと一人で勝手に安堵してから、クリフはまだどこか戸惑っている様子のレナスに軽く話しかけた。
「なんだ? それとも追い出されたかったか?」
「……いえ、そんな事はないわ。ありがとうクリフ」
なんとも素直な礼が返ってきたので、クリフも酒をうまそうに飲みつつさりげなく茶化してみる。
「なに、組織のリーダーが気楽に羽伸ばせる機会ってのもそうあるもんでもねえしな。せっかくの長期休暇を楽しんでる最中に、俺が水差すのもあれだろ?」
「長居したくてしているわけじゃないわ。私は、帰れないから仕方なくいるのよ。ひとを無責任呼ばわりするのはやめ、て……?」
まあそういう風に仕向けたわけだが、向こうは案の定クリフの言い方が気に障ったらしい。即座に言い返してからようやく気づいたのか、途中で言いやめるが時すでに遅し。
クリフがにやりと笑って確認をとる。
「やっぱ否定しねーんだな。組織のリーダー」
今のやり取りではっきりした事。
それはレナスは元いた星では、なにかしら重要な地位についている人間だという事だ。
この辺に関しては、実はクリフはだいぶ早い段階──ぶっちゃけアーリア村長家で初めてレナスと会話した時点で薄々当たりをつけていた。
つまり「お前のようなただのお嬢様がいるか」という第一印象である。
クリフだって伊達に組織のリーダーはやっていない。
油断のない佇まいに加え、常に自分の立場を有利に持っていく駆け引きじみた会話なんかされた日には、そりゃ即気づくだろう。ああ、こいつそういう奴かと。
そしていざ一緒に旅してみれば、こっそり戦場外から自分達一人一人の戦闘能力を観察してくるというおまけつき。
新しく入った人員の把握をしているとしか思えないその様子に、同じく人員把握として彼女の様子を窺っていたクリフも、(やっぱりお仲間かよ)と確信を深めたのである。
詳しい事までは断定できないが──
偽名使わざるを得ない程の有名人、未開惑星において剣の心得があり、多数のお付きの者達もとい部下達を引き連れているとなると、レナスの元いた星での立場もだいぶ絞り込んで予想できる。
おそらくは将軍か何か。まあそんなところだろうとクリフはみている。
「しっかしまあ、部下がお付きの者とはよく言ったもんだぜ。それも嬢ちゃん達の“勘違い”か?」
常に気品漂わせている辺りからして、一応レナスがお嬢様な事は間違っていないのだろうが。
“ただのお嬢様”と“将軍家育ち”といったら、そりゃえらい違いである。ほとんど詐欺のようなもんだ。
「部下じゃなくて、元部下よ」
押し黙っていたレナスは、それだけ訂正した。
認めざるを得なくなってしまったので仕方なく、といった様子が顔に出ている。
「今は大切な仲間。上も下ももうないわ」
「おおそうか。そいつは悪かったな」
軽く謝るクリフは、鼻を明かしてやった事にすっかり上機嫌だ。
元いた星では軍関係の人間という事は、おそらくレナスが隠している事も軍事に関係するのだろう。それだけ推測できるだけでも十分な収穫である。
それに立場のある人間ならめったな行動も起こさないはずだろうという、安全の根拠らしきものも一応は補強できた。
「今日はこんなもんにしといてやるか」
と人懐っこい笑顔を浮かべたクリフは、不本意そうなレナスににこやかに酒を勧める。
レナスもふっきれたように酒を再び手に取った。
「さあもっと飲めよ。嫌な事なんか酒飲んで忘れちまえ」
「そうね。こんな手に引っかかった自分を早く忘れたいわ」
それから先は腹の探り合いもなし。正真正銘ただの飲み会である。
用事は済んだのでもう解散してもいいのだが、あまり帰りが早いとレナ達に怪しまれないとも限らない。名目通り酒を大量に残して荷物にするのも面倒くさいので、ご一緒に酒を平らげましょうというあんばいだ。
ぶっちゃけクリフにとっては、美女とサシで飲める願ってもない状況である。
真面目な話し合いも終わったので緊張感のかけらもない。内心ひゃっほいなんて年甲斐もなくはしゃぎつつ、雪見酒ならぬ美女見酒を楽しんでいたクリフだったが、それも最初の内だけであった。
ようするにこういう事である。
(酒もマジで強えな、こいつ)
向かいの美女もといレナスの飲みっぷりが恐ろしく凄まじいのである。
なぜにこいつはこんなお上品な仕草で大量の酒を次々と腹に収めていくのか。まったく休みなしに飲み続けているくせに顔色一つ変わってないのは一体どういう事なのか。クリフには不思議でならない。酒飲んでるのは自分だけで、向こうが飲んでるのは水なのではないかと疑いたくなるくらいだ。例え同じビンから注いだ酒でも。
クリフ自身も酒の強さにはかなり自信がある方だ。
であるからして、あのペースは間違いなくヤバいと断言できる。
足りなくなるよりマシだろうとだいぶ多めに買ったはずなのに、この分だとマジで就寝時間までに全部飲みつくしそうな勢いだ。
レナスは涼しい顔を少しも崩さず、着々と酒を片づけていく。
ミラージュ以外の人間に後れをとってたまるかと、途中からはクリフもやっきになって酒をあおり続けた。
そうして全体の半分もの酒を片づけた頃。
レナスがふと酒を飲む手を止めた。
(おっ、もう限界か? だよな。そりゃあんなペースで飲んでりゃそうなるよな)
クリフが即思ったのはそれだが、どっこい向こうの顔色に変化はない。
レナスは今しがた空けたばかりのビンを、ぼんやり見つめて言う。
「みんなは、どうしてるかな」
言い方からして今の“みんな”は、別室にいるフェイトやレナでも、エル大陸にいる他の仲間達の事でもないだろう。
おそらくはレナスが元いた星に残してきた、彼女の言う自分の“元”部下達の事と思われる。
さっき会話に出たから思い出したのだろう。
いきなりこんな所にやって来てしまってからにずっと帰れない状況が続くとなると、心配になるのも無理はない。
(ことこいつのような真面目人間にとっては厳しい状況だろうな)
なんてクリフも思ったので、レナスの独り言に軽い調子で言い返してみせた。
「向こうもお前がいなけりゃいないでどうにかすんだろ。組織のリーダーなんて言わば飾りだからな。俺のとこがいい例だぜ」
クリフにとってはガチでこれが真実である。
自分の不在を深刻に捉えているレナスの組織が、実際どういう事になっているかは知らないが。
まあそれでも気休め程度にはなるだろうとてきとーに言っただけの言葉だったのに、言われたレナスの方はなぜかさっきより深刻そうな顔になった。
レナスはどこか自嘲ぎみに呟く。
「いなくていい存在、か。そういう考え方も──確かに大事よね」
まさか気休めをそういう風に捉えられるとは思わなんだ。
(なるほど、こいつもだいぶ酔ってんだな。ただ顔に出てねえだけで)
とすぐ納得したクリフは、酔い方まで真面目なレナスに重ねて年上としての訓示を垂れてやった。
「あのな。俺は“どうせ誰からも求められてねえんだから気にするな”とまで言った覚えはねえぞ」
今度は素直に受け取ってくれたらしい。
レナスはついさっきまでの深刻さを一切感じさせないような、いつも通りの落ち着き払った様子でクリフに向かって言う。
「分かっているわ。ここで私が何を思ったところで、どうせすぐに帰れるわけではないもの。気にしてもしょうがない事を気にするなと、あなたは言いたいんでしょう?」
「そうだぜそうだぜ。どうせ帰れるわけでもなし、今はせっかくの酒を存分に楽しみましょうってな」
暗い気分を吹き飛ばすにはなにより酒が一番だ。酒飲んでりゃ大体気分よくなる。少なくとも俺はそうだ。
お前も俺を見習えと言わんばかりに、クリフはレナスの目の前で酒の入ったコップを掲げ、幸せそうに再び酒を飲み始める。
(このままエクスペルを一通り巡って何もねえようだったら、ちと“ズル”してやってもいいかも知れんな。こいつ口も堅そうだし、たぶん大丈夫だろ)
などとどっかの誰かが大反対しそうな事を、内心こっそり検討し始めちゃったりしながら。
その様子をしばらく見ていたレナスも
「そうよね。ただの人間としてこの世界にいる事の意味を、もっと前向きに捉えた方がいいに決まってるのよね」
と自分に言い聞かせるように言い。
クリフの訓示通り、今度は心なしか嬉しそうな表情で再び酒を手に取った。
結局、二人が酒を飲む手を休めたのはその時だけだった。
なんたってレナスの方が少しだけ表情を緩めた以外、先ほどまでとなんら変わらない、凄まじいペースで静かに酒を飲み続けるのだ。
クリフも自分で「さあ飲め」と勢いをつけた手前、「そろそろお開きにするか」とは意地でも言いたくない。
(こうなりゃ向こうが潰れるまでとことん付き合ってやるか)
なんて上っ面だけの大人の余裕をかましつつ、一向に酔い潰れる気配のないレナスに負けじとひたすら酒を飲み続けた結果、あっという間に二人の周囲に空ボトルの山が積みあがっていったという次第である。
そしてようやく最後のひと瓶までこぎつけた時──
「今思えば、あそこまで戦闘を避ける必要はなかったのよね」
レナスがいきなりくすっと笑い出した。
これまでの自分を振り返ってみたら、なんともおかしかったらしい。
「んあー? ……まあ確かに? 嘘くせえにもほどがあったしなー」
レナスは酒のおかげか楽しそう。
対するクリフは、酒のおかげでもうなんかただただ眠い。
目の前のテーブルにだらしなく体重を預け、ぐでんぐでんになってレナスの会話の相手をしてやっているという状態だ。(なんか知らねーけど元気になってよかったな?)とぼけーっとレナスを見ている状態。
とりあえず幸せな気分だが、頭が働いてない事は間違いない。
「あれなら今日みてえに、だましだまし戦ってたほうが、まだマシだったんじゃねえの」
と言ってみると、レナスはううんと首を振り、「もっと警戒されるかと思っていたから」と答えた。
「レナの目はごまかせても、あなた達二人の目はごまかせない。二人とも優れた戦士だから、私の小細工なんてすぐに見抜かれると分かっていたわ」
「そこまで俺らを買ってくれていたとは。そりゃこーえいだ」
頭上でひらひら手を振るクリフを、可笑しそうに見ながらレナスは言う。
「これでも覚悟はしていたのよ? もしもあなた達に見咎められたらその時はその時、このままいられなくなっても仕方ないって」
クリフは「そーかそーか」と相槌を打つ。
「なのに、あなた達ときたら」
追求されてもできるだけはぐらかして、それでもごまかしが効かなくなったら自分から立ち去る。どう反応されても対処できるよう身構えていたのに、さすがに二人揃ってあんなバカみたいな反応してくるとは思ってなかったらしい。
口調は呆れているが、そう言った時のレナスはやっぱり笑っていた。
言い返すクリフももちろんご機嫌だ。
「おそれいったか、ははは」
剣の腕が多少ありえないくらい別にどうという事はない。その他色々ありえない「力」がこいつにあったとしたって、それだって別にどうという事はない。
なんたって“特別”な事にご縁がある自分は、これまでだって常識外れなモノをたくさん見てきているのだ。
今さら自分の知らない、特別な「力」を持ってる奴にビビるワケがない。
“特別”なのは、あくまでそいつの持ってる「力」だけ。
そいつ自体はごく“普通”の、一生懸命背伸びしていただけの子どもだったのだ。
「だいじょーぶだ。頭おかしいのなんてそこら中にいる。お前もじゅーぶん普通の人間だよ」
べろべろに酔っぱらったクリフは、まるで子どもを相手するかのようにレナスに言い聞かせる。
そんなクリフを見て、レナスはまた嬉しそうにくすりと笑った。
「ありがとうクリフ。あなたのおかげで、私ももう少しだけ普通の人間でいられるわ」
クリフに向かって言い、微笑みを浮かべたまま手元のコップに視線を移す。
それからレナスはこんな事まで嬉しそうに言った。
「この世界と、あなた達と出会えてよかった」
どうみても心の底からの笑顔。
からの自分に対する感謝の言葉。
からの今のシメのセリフ。
聞いた瞬間クリフは、(これ俺に惚れてんじゃね?)と思った。まさに寝耳に水である。
あんぐりと口を開けレナスを見た後。
マジかよ今の。俺と出会えてよかったってよ。えマジで? こりゃそういう風に受け取っていいんだよな? そういう風にしか受け取れねえもんな?
……などと、酒で働いてない頭をめいっぱい回転させるクリフ。
実際のところレナスが口にしたのは「あなた」じゃなく「あなた達」だったわけだが、そんな都合の悪い真実は今のクリフの眼中にはない。
「そうかそうか、好きになっちまったか。そりゃしかたねーな。好きになっちまったんだからな。いい告白だ。まったくいい告白だな。いやーまいったまいった」
さっきまでの子どもを見るような目つきはどこへやら。
しかも浮かれきった気分のくせして(俺はかまわねえよ? お前がそう言うんならな?)となぜか上から目線。
そんな酔っ払いのおっさんを見て、レナスは最初不思議そうに首をかしげ。
それからまたすぐ微笑んで言った。
「──そうね。せっかくこの世界に来たんだもの。あなたが言った通り、私もこの際、この世界を十分楽しんでからルシオの元に帰る事にするわね」
☆★☆
結局、フェイトの予想より一時間以上も早くレナスは部屋に戻ってきた。
レナスが戻ってくるまでフェイトはずっと、マリアの言葉を聞いて今にも現場に乗り込もうとするレナを
「大丈夫だから! あの人剣持ってるから!」
と冷静になって考えればなんだかわけの分からない言葉で、必死に落ち着かせていたのだが。
そんな中、レナスはまるで何事もなかったかのように(酒のせいか少しだけ楽しそうだったけど)、「ただいま」と言って部屋に入ってきたのだった。
感動の再会、みたいなノリでそのまま抱きつくんじゃないかと思ったくらいほっとしたレナの様子に、心配されていた当の本人はひたすら困惑するばかり。
「どうして、どうしてレナスさんはそんな、いつも簡単にほいほいついて行っちゃうんですか! もうちょっとよく考えてから行動してください! わたしが……ううん、わたしだけじゃない、みんながどれだけ心配したか……!」
「ねえレナ。確かにハーリーでの一件は自分でも軽率だったと反省しているわ。けど……これは、いくらなんでも心配しすぎじゃないかしら? 私は、ちょっとお酒を飲みにクリフの所へ行っただけで、何も危険なことは」
「そういうところがダメだって言ってるんです! だいたいレナスさんは、……」
やり取りを聞いているフェイトとしては、
(うわあ。マジで酒飲みについてっただけだったんだな、レナスさん)
と思うばかりである。
ともかくレナスは無事この部屋に戻ってきたのだ。
今日は闘技試合で無駄に苦戦したりレナを落ち着かせたりするので疲れたし、自分ももう部屋に戻ってもいいだろう。
叱るレナと叱られているレナスの二人に「お休み」とだけ声をかけ、自分に助けを求めるような視線も全部気のせいだという事にして部屋を出る。
それから部屋に戻ったフェイトは、テーブルに突っ伏したまま
「そりゃ、まあ、だよなあ」
とぼやくクリフをとっととベッドに押しやり、自身もとっとと横になった。